真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
作者不詳
「さて、おいで」
「お願いしますっ!」
初夏というには時期的には早いが、温度的にはそれも適さない熱さを誇るある日のこと。多馬川上流の水流調節設備があるテント群集地帯で、自慢のポニーテールを揺する少女、川神一子と、同様に何も物質的なものが通っていない左腕の袖を靡かせる人物、天野慶が対峙していた。
そこから少し離れた位置、多馬川を背にして腕を組んで二人を見つめている女性、橘天衣が欠伸をしていた。立会人という役割を請け負ったものの、慶が暴走することなどほとんどないため、天衣からすれば基本的に退屈であった。
今日も今日とて、一子と慶は修行に精を出していた。
「今日の目標は私の一撃を耐えて倒れないこと、いいね?」
「う、またあの技ですか……」
慶の技を思い出して青ざめる一子。それも無理もない。以前一子は慶の技をまともに喰らい、起こしたこともない脳震盪を起こしたんじゃないかと自分で錯覚するほどの目眩に襲われ、数秒後に遅れてやってきた吐き気に体を支配されて意識を手放してしまったのだ。
その際に胃の中の戻さずに唾液だけ吐いていたのは僥倖だったと、意識を取り戻した後の一子は強く思った。一子を倒した張本人であり介抱した人物でもある慶や、立会人としてその場に居合わせた天衣に無様な姿――気絶してしまったのも一子にとって無様ではあったのだが――を晒したくはなかったので、慶の技は軽い心的外傷になっていたのだ。
「大丈夫、基礎は教えてある。本気で私も打たないから安心してくれていい」
「お、押っ忍!」
「あはは」
「おいソラ、あんまりからかうんじゃない」
「失敬、だって一子ちゃんが可愛くて」
「かわっ!?」
「こら」
◆◆◆◆◆◆
「そこまで! もういいだろう」
「ぶ、ぶはぁ!! ぜぇっ、はぁっ!!」
「はい、お疲れ様。調子に乗って三回ぐらい打ち込んでみたけど、全部いなすなり回避するなりで逃れ切ったね。おめでとう」
「鬼だなお前……。心の傷を抉って塩漬けにしてどうする」
「いやぁ。一回目に上手く相殺されちゃったので。ちょっと意地悪したくなっちゃいました」
ごめんねと、慶は一子の頭を軽く撫でながら笑顔を見せた。一子は褒められていると受け取って深呼吸を二回ほどしてからにんまりと笑った。
「しかし、こうも短期間でソラの技の一端が使えるようになるとはな」
「まだ防御限定なのが痛いところですがね。一子ちゃん、これを攻撃に移すまでには根気がいるよ? 勿論、そこまで進歩したいならとことん付き合うけど、今まで以上に私は本気で接するから」
「ううっ……。ソラさん、見た目に反して厳しいわぁ……」
一子は撫でられている頭からじわじわと慶の恐ろしさを痛感していた。これは撫でられているのではなく、逃げないように押さえ付けられているのではないかと錯覚するほどに、慶の手は妙に力強かった。
「まあ、今日のところはこれくらいで。やっぱり実戦形式の修行はいい。短期間且つ効果的、ドロッドロの半固形になった背脂くらい濃密な修行が、ね」
一子の頭と慶の手が触れているところから途端に熱が奪われ、一子の背筋に鋭い悪寒が走った。ひょっとして、慶の本性はサディスティックなのではないかと、同様に自分を躾と銘打って調教してくる――勿論、本人は不満に思っていない――幼馴染の同級生の顔が浮かんだ。
慶の手が離れたのを確認した一子は、まだ残る戦慄を抑えながら草の茂る地面に大の字で倒れこんだ。その際見上げた慶の笑顔の裏に、般若面の彫りを深くしたような形相が見えたという。
「それにしても、回転エネルギーか」
一子が倒れ込んだのを確認してから、天衣は慶の下に歩み寄っていった。今日の修行は本格的に中断されたようだった。
「ええ。これがないと私の武は成り立たない。攻撃、防御、反撃、回避、それら全ての根幹を作っているのはこの力ですね」
「どういう原理か知らんが、お前のそれは異常だぞ? 人差し指だけでコンクリート
破壊するとか、私の戦闘強化股肱となんら変わらん」
「呼吸ですよ。体の中でこう、グルグルっとしたイメージが。ね、一子ちゃん?」
「あ、はい」
「なるほど、感覚の問題なんだな……ふむ――――」
腕をくるくると回しながら回転エネルギーというものを理解しようと試みている天衣、それが微笑ましく思えたのか、慶は目を細めて優雅な笑みを浮かべた。
この笑顔に加えて着ている服装が高級な着物、若しくは一国の王女が着ているようなドレスであったなら、それは絵画のような美しさを生み出すだろう。はたまた、九鬼の従者部隊が着ている執事服を着用していれば、十人のうち十人全てが一目惚れしてしまいそうな男性へ豹変することだろう。
「それにしても、早い成長具合だ。無駄な動きも多い、動作にも粗が目立つ、まだ大雑把で決して綺麗とは世辞でも言えないが。まあ、普段とは違う枷をつけての修行だから当たり前と言えば当たり前なんだが。それでも、やはり目を見張るものがあるな。飲み込みの速さは異常値を叩き出している。基礎訓練を毎日怠らなかった結果だな」
「それに関しては同意見ですね。私がこの回転技法を、その中の防御だけでも会得するのに数ヶ月は要したというのに、一子ちゃんは一週間とかけていない。これなら早い内にステップを移行して攻撃に移し、得意と聞く薙刀と組み合わせて行けるかもしれませんね。基礎体力は流石川神院の娘、と言ったところでしょうか。あそこのハードな根性論鍛錬に加えて自主トレーニングも欠かさないとは天晴れです」
二人は妹のように思えてやまない可愛い弟子に関しての意見を、当人がしっかりと聞こえるような声量で話し合っていた。当然一子からしたらこそばゆい状態なのだが、慶の笑顔を見ていると、そんなことは瑣末なことにしか思えなくなってしまう。
一子はここ最近、慶の笑顔の奥を感じるようになってきた。それは、人間の基本感情である単純な喜怒哀楽では示しきれない、複雑怪奇な深層意識。慶は一体何を思ってそのような淡い笑顔をいつも浮かべているのか、そう言った疑問を感じるようになっていた。そのような疑問を一度感じてしまうと、慶の笑顔の脆弱性を認識できるようになってしまう。慶の本心に触れてしまいそうになるのだ。
そこまで踏み込んで、一子は逆に自問自答する。本心に触れてしまうと、慶はおろか、自分も容易く崩壊してしまうのではないかという不可思議な謎を自分自身に問いかける。ここ数日間、一子は自分の新しい可能性を見つけると同時に、限界というものを強く感じてしまっていた。一段一段ゆっくりと長い階段を登っていくようだと比喩できる努力の先に、飛び越えることのできない“壁”が立ちはだかっているように見えてしまったのだ。
慶の笑顔からどうしてこのような考察に至ったのかは一子も分かっていない。自分が無意識に実感していたことが意識の支配下に浮上してきたのか、それも分からない。しかし、その鍵は慶の美しすぎる笑顔の中に隠されていると、奇妙な確信が一子にはあった。
「……一子ちゃん、ちょっと買出しに行ってきてくれるかな?」
そんな魅惑の微笑に心を奪われかけていた一子に対し、慶は唐突にお遣いを頼み込んだ。その笑顔が一切絶えないままであったため、一子がそれを断り切ることは不可能と言っても過言ではなかった。
「は、はい。えっと、何ですか?」
「基礎訓練兼ねて、ちょっとね。私と同じ呼吸法を維持したまま、仲見世通りにある自販機で飲み物を三つお願いしたいんだ。お金は出すよ。お釣りはそのまま仲見世通りでおやつでも食べてくるといい」
「いいんですか!?」
「勿論」
甘味処へ行けるということで一子の目がキラキラと輝きだした。本当に表情で何を考えているか分かってしまうなと、一子の単純さと純粋さを少し危うく思いながら微笑ましく思っている慶であった。
「でもソラさん。アタシだけっていうのもちょっと気が引けるんですけど……」
「ははは、そんなに多く渡さないよ。帰ってきたら私が作ったお菓子をみんなで食べよう。そのためのお遣い、頼んだよ」
「なるほど、了解でっす!」
一子は自分の任務の本質を理解したところで仲見世通りの方へ全力で、駆け出してはいかなかった。一子の動きは走るというよりも競歩に近い。それは慶に教わった呼吸法が関係していた。
慶の呼吸法は日常生活で続けるには非常に辛いものだった。普段から深呼吸のような深く大量の息を普通の呼吸間隔で行うというある種激しいものだった。その上戦闘時以外は大きな音を立ててはいけないという制限もあるため、即座に真似しろということはできない代物だった。
一子と慶が本格的な師弟関係となってすぐに、慶は一子に呼吸のコツを教えた。腹部、へそ下の位置に力を込めることは忘れないよう、両肺の間で渦を作るイメージを修行の最初に叩き込んだのだ。呼吸が武も精神も強くする、それが慶の師匠の教えであった。慶がこれを他人に教えることになった際、初めに必ず呼吸を徹底させろというのが慶の武の流派の方針であった。
理屈ではなく感覚的なものであったこともあり、体で覚えるタイプの一子にはぴったりのものだったようで、一子が呼吸の仕方を覚えるまでに十分とかからなかった。しかし、それを継続するとなると話は変わっていった。普段からこの呼吸法を行えるようにと、慶は一子の日常生活において呼吸を第一とさせた。勿論、川神院の修行をしながらできる段階ではないので、食事や移動の際にしか強制はしなかった。
その結果、走ることはまだできないが、早歩きをしながら独特な呼吸をできるようになった。その早歩きしていく一子の背中が小さくなるまで、慶はじっと一子を愛でるような目で見つめていた。
一子の背中がほとんど見えなくなったところで、天衣が溜め息をついてから話を切り出した。
「休憩をさせないスパルタっぷりは置いておいて、一子についてか」
「おっと、お見通しでしたか」
「切り出し方が露骨すぎる。それにやけに遠回りさせるような言い回しだったしな。あの子の前じゃ話しにくいことなんだろう?」
「天衣さんだって分かっているくせに」
一子が完全に視界から消えた二人の表情から笑顔は消えた。
「これ以上の成長を望んでいるならば、必ず覚悟がいる。壁を越えるという覚悟がな。だが、覚悟だけでは足りない。壁を越えるために必要な条件は三つある。一つは覚悟、一つは努力、一つは才能だ。この中で一子がどう足掻いても手に入らない条件がある」
「…………才能、ですよね。学長もそう言っていました」
「ああ。決定的に足りない武の才能だ。集中力や持続力だけで見たら群を抜いて才能を持っているだろう。しかし、武の才能とそれらは似ているようで別物だ。一子は決定的に“天賦の才能”が欠落している」
「天賦……。運否天賦の天賦ですか?」
「人の運不運とは、予め神が定めた決定事項である。それが私の持論でな。こうでも思わないと私の今までの不運を納得できなかったんだ……」
「た、天衣さん。落ち着いてください」
話していながら段々と沈んでいった天衣を宥める慶。慶以外にも天衣を慰める年下は多いため、天衣が自分より若い人物に慰められるというのは珍しいことではなかった。
「それで、だ。あいつの武の才能は、この一週間近く一緒に修行と銘打って観察させてもらったが、決定的に凡庸な人間だと判断した」
自分の不幸な過去を思い出し軽く鬱な状態になってしまっていた天衣だったが、普段通りに戻った彼女が放った言葉は酷く現実的なものだった。この場に一子がいたら、恐らく一子の精神の足場は瞬間的に軟化し落下していったことだろう。流砂に飲み込まれるように絶望に沈んでいっただろう。
その言葉を聞いても、慶は一切の反論を見せることはなく、ただ静かにゆっくりと頷いた。それは誰が見ても分かる、肯定の意思。
「否定しないんだな。私はお前があの子を評価していると思っていた」
「勘違いしないでください。私はしっかりと一子ちゃんを評価しています。その評価の観点が違うだけです。貴女たち武道家はどうしても才能という観点からものを見すぎです。さきほど提唱されましたが、壁を越えるための条件の二つ目、努力こそが人間の本質なんです」
「その点においてはあの子は最高の逸材だ。恐らく、この時代における究極の精神の持ち主だ」
「私はそれが――――憎らしい」
慶の無表情と一段低いトーンに、天衣の背筋に悪寒を走らせた。先程の評価をしているという発言から一転して、慶が一子に対する負の感情をぶちまけた。
「それが、お前の本心なのか?」
「一子ちゃんには憎しみだけではなく、当然の如く愛情もありますよ? ただ、どちらが多いかと聞かれれば、憎悪の方が勝っているでしょうね」
「……カタストロフィー理論、とは違うな。何せ愛と憎しみが共存しているのだから」
「ええ。それにこれは恋愛ではなく親愛です。当人が確証もなく言う事ではないのですが、一子ちゃんは私を兄のように慕っていますし、私自身も一子ちゃんを妹のように思っています」
慶の声質と表情が和らいだ。慕情と怨恨の比率が逆転したのだろう、慶が一子を思う気持ちが愛に満ちていたと、その場にいた天衣は確信できた。
「私は感情が欠落しているとよく表現していますが、覚えていますか?」
「ああ。確か事故に遭ってからだと聞くが……」
「ええ。あの忌まわしき交通事故、両親も弟も無残に命を落とし、私だけが生き残ってしまった悔やまれる不運、あの時に私は左腕を失いました」
慶が何も通していない左腕の袖をギュッと掴み、奥歯を噛み締めた。その時の慶の表情は心労しているように思われた。それほどまでに、慶が腕を失った交通事故は痛烈で悲惨なものであったのだろう。思い出すだけでじっとりとした汗が額に滲むほど。
慶は袖を伝い肩にまで手を伸ばした。天衣は慶が服を剥いだところを、左肩の傷を見たことがない。着替えの際も「私が男だといけないし、女だとしても他人に裸を見られたくない」と着替えは別々に行っていたからだ。
その過剰なまでの反応のせいか、天衣は慶の傷がそれだけとは思えなかった。他にも傷はあるだろうが、そこにしか意識を向けようとしないのは、傷の大きさ以前に何かの思いがあるのではないかと考えていた。
「その時に欠落したのは、喜怒哀楽といった人間当たり前の感情――――ではありません」
「ああ、それは私も思っていた。お前は人並みに笑うし、今みたいに憎んでいるとはっきり理解できているじゃないか。本当は何が残って、何が失われたんだ。無傷の感情は何で、刻まれた後遺症は何なんだ?」
天衣が慶の内側に踏み込んだ。今まで誰も踏み込んだこともないであろう領域に一歩踏み出した。感覚的には無垢な赤ん坊の肌に爪を食い込ませるようで、緊張感と罪悪感という苛む砲撃を一心に受けるようであった。
しかし、慶の表情は決して怒り悲しむようなことはなかった。なかったが、それよりも恐ろしい何かを天衣は感じた。その踏み込んだ領域は、慶の
「ある感情以外、自分で認識できないんです」
「……?」
「簡単なことですよ。自分が今嬉しいのか悲しいのか、それが本能では分からないんです。家族が死んだと改めて聞かされた時、私は涙を流していたそうです。それに対して「そうですか」という答えを私は口にして、医者と看護婦に冷たい目で見られました。多分、「なんて可愛そうな子なのだろう」とか言われていたのでしょう。気が狂ったと思われたのでしょうね…………。天衣さん、私は今、どんな表情をしていますか?」
そう聞かれ、天衣は慶の表情をよく見て、相応しい言葉を模索しようとする。慶の表情は笑っているが非常に弱々しく、壊れかけという言葉が似合ってしまう。それは微笑んでいるのではなく、自嘲している笑顔だった。
「哀しんでいるだろうな。それも、自分自身を貶しているような」
「そうなんでしょうね。いや、地の文に起こせばそれも簡単に理解はできます。何も知らないで生きてきた訳ではないので。どういう場面で人が笑うのか、どういう言動で人は怒るのか、そういう空気や雰囲気は何とか理解できるようになりましたけどね。私が今感じるのは、僅かに口角が上がったな、という肉体的感覚のみです」
天衣はその発言を素直に受け入れ信じることはできなかった、というよりは、それを信じたくはなかったのだ。あの時、自分に手を差し伸ばしてくれたのはなんとなくという感覚で起こったものなのかと、悲しみに塗れながら問い詰めたくなったのだ。
しかし、慶はさらに言葉を紡いだ。
「流石に今は自分が喜んでいるんだ、哀しんでいるんだ、悲しんでいるんだ、怒っているんだ、ということも判断できるようになってきました。長い経験の末に感情をようやく理解しました。それも日常的に全く問題がないくらいに。ただ、どう足掻いても感じるというのではなく、理解するという段階になってしまいます。本能的に笑っているんだと感じることはできません。人より感情を表すのが数瞬遅れてしまうくらいで、本当に話したり一緒に暮らしていても何の不快も与えないようにできますし、私自身人とコミュニケーションをとることが興味深いという段階から楽しいと思えるようになりました」
「……少し難しいが、お前が今抱いている感情は人間的というより、機械的ということか?」
「そうでしょうね。その表現が一番正しいと思われます。たった一つの感情を除いて」
「たった一つの……? まさかそれが、憎しみか?」
確信のない一言に、慶は笑った。それも非常に邪悪で、人を殺すことなど虫を殺すことと何ら変わりのない殺人“機”のような冷徹な表情。そして慶はそれを“理解ではなく”、“感じている”。
「私が唯一の生き残りというように聞こえたかもしれないが、正確にはもう一人生きている。私たちの乗用車に突っ込んできたトラックの運転手。あいつは飲酒していた上で居眠り運転を掛け合わせて私らに突っ込んだ」
慶の口調が温和なものではなくなっていった。これが憎しみを抑えきれない慶かと、天衣はその豹変ぶりに戦慄した。
「そいつは今も留置所だが、私はあいつを許しはしない。殺意しか沸かないが、それも人として当たり前だと私は思う。家族を殺したあいつを、この手で轢殺してやりたい。ぐしゃぐしゃにして、誰か分からなくなるまで真っ平らにしてやりたい。不思議と、そう考えるだけでゾクゾクとなるのは感じることができるんだ、ははははは――――」
「慶、お前――――」
「――――分かっていますよ、狂ってるんです。どうしようもなく、もう戻ることはできないほどに、私は壊れてしまっているんです」
天衣が慶の肩を掴んで引き戻してやろうとしたが、慶はそれを拒絶し涙を流した。慶は恐らく、この泣いている原因である悲しみを“理解しかしていない”のだろう。
「私はもう、憎悪の塊でしかない。怨恨の体現でしかない。人間としてはもう終わってるんです。私を哀れまないでください、同情も情けもいりません。それくらいなら、私を人殺しにしてください。私に人を殺させてください」
慶の表情が変化する。これで本能的な感情を感じることができず、機械的に理解することしかできないとは信じられなかった。だが、ここで天衣は慶の新たな異常性を目にした。
その左腕が通っていない筈の袖が、まるで“袖が通っているかのように形をなしていた”。それは慶が恨みを意識し表現する度に、それに呼応するように膨れ上がり成形されていた。
現に今、慶はそれを本当の左腕のように無意識扱っていた。袖口は完全に閉じられ、そこから五本の指のような形に服が伸びていた。肩よりも大きく広がるその左手は、人の手よりは想像された妖怪や悪魔の手に近かった。そのないはずの異形の左腕を使い、慶は天衣の腕を掴んで懇願する。
「殺させてくれ、私に一言も謝罪をしない天涯孤独にしたあの野郎を……。殺させてくれ、詐術を弄し奇策を用いて私を陥穽に貶めたあの屑共を……。私の恨みをこれ以上膨らませないでくれ、復讐でそれをなかったことにしてくれ、どうか、どうかぁあああ……」
美しさというものはどこにでも存在する。気丈に振舞っている訳でもない普段の慶からは、ありえないほど美しさしか感じなかった。大衆を魅了し誘惑し、自分が特別ではないと普遍を再認識させて自信を根こそぎ奪っていった美しさがあった。自然界にだけ存在し、人の手では再現が困難とされる究極の美の比を備えていた。
そして、今の情けなく人殺しの許容を一友人に迫るその姿には、迫真の演技という素晴らしさに近い美しさを感じる。その縋りつき嘆願する体勢にも極まった比率が見られた。しかし、目の前にいる天衣はその美しさを感じることができない。目の前にいる泣きじゃくった友人が、感動を通り越すほどに哀れで仕方がなかったから。
その復讐に焦がれる様は、まるで少し前の自分のようで――――
「駄目だ、ソラ。お前はそうなっちゃいけない。私みたいに、復讐に身を委ねちゃいけないんだ」
天衣は覚悟を決め、慶の頭を両手で鷲掴みにして至近距離でその目を見据える。その目の奥に光という光はなかった。あるのは絶望と復讐に燃える黒い炎だけ。こんなにも酷い目をしていたのかと、天衣は見ていて胸が締め付けられていった。
「私になっちゃいけない。考え直せ、殺しちゃいけない。命を奪ってそいつらと同じにならないでくれ」
慶の頭を自分の胸に沈めるように抱きしめる天衣。その抱擁はあまりにも暖かく力強く、慶の復讐心に燃える覚めた感情からくる力では引き剥がすことはできなかった。
「そうしなきゃ自分が人間にならないなんて悲しいことを言わないでくれ。私はお前を一人の人間として、恩人として、親友としてみている。だから、だから……」
天衣は自分が復讐に燃えていた頃を思い出した。抑えきれない怒りと悲しみを暴力という手段に訴えかけ日本を襲った。今にして思えば、なんという愚かなことをしたのだろうと自分を責めたくなるほどだった。復習が生むのは後に遺る虚しい感情だけ、達成感や優越感など一切ない。
また、復讐から生まれるものも壊れるものもある。かつて仲間や戦友とも呼べた人物を傷つけ、また新しい復讐心を生んでしまう。そして、今まで築いてきた人間関係や立場は一瞬にして壊れてしまう。そんな崩壊していく人生を、慶にはどうしても辿って欲しくなかったのだ。自分が半分までその道に進み、今落ち着くことで復讐に対する批判的感情が生まれた天衣。
半分まで実行しただけで、強い後悔が残ったままやる気もなく人生を過ごしてきた彼女にとって友人がそうなることだけは避けたかったのだ。
「――――た、天衣さん……?」
「……あれ?」
天衣の頬を慶がそっと触る。そこには目からこぼれ落ちた涙の雫が乗っていた。天衣は慶をそっと開放し自分の目尻を拭った。そこには確かな水分があり、それは留まることを知らなかった。手首で何度擦っても、その雫は絶え間なく落ちていった。
「お、おかしいな。泣く予定なんてなかったのに……くそっ……」
「………………ごめん、なさい。天衣さん。私、どうかしてて……」
「……気にするな。私がしたいことをしたんだ。お前のようなどうしようもないお人好しを殺人者になんかしたくないんだ。だから甘えてはくれないか……。ああくそ、こんな泣き顔で言っても説得力がだな……」
天衣は頬を朱に染めながら目を隠してなんとか照れを隠そうとしたが、その言動があまりに可愛かったのか、先程まで情緒不安定であった慶がお腹を押さえて笑い出した。
「あは、あははっ、天衣さん可愛すぎますって」
「なっ、か、かっかかかからかうんじゃあないっ!」
「あはっ、あはははは。でも、ありがとうございます。少しばかり、憑き物が落ちたかもしれません」
そう言って慶は最高の笑顔を天衣に向けた。しかし、天衣はそれを見て納得はできなかった。憑き物は落ちきっていないと天衣は自信を持って言えた。
その笑顔の裏にまだ、殺人者になりたがって膝を抱えて泣き腫らしている小さな慶が見えてしまっていたから。
「――――なあ慶、お前――――」
天衣が慶に呼びかけようとしたその時、天衣は莫大な闘気を全身で感じた。押し潰されそうな重圧と刃物を首筋に当てられるような明らかな殺意が天衣を襲った。そしてそれは比喩ではなく、明らかな物質的重量で慶と天衣は上方から捩じ伏せられるような圧力に圧迫される。立っていることもままならず、ついには二人共膝をついてしまう。
そして、その殺意を感じているのは天衣だけでなく慶も同様であったが、慶の方が明らかに恐怖していた。慶と天衣に向けられた明確な殺意が慶の左肩の古傷を疼かせる。慶は無いはずの左腕を細かく寸断されていくような錯覚に襲われる。
空虚な空洞を持つ左袖が、慶の不安定さを表現するように重力に逆らい、天へ昇っていく龍のように逆立った。
そして数秒後、左袖が慶の後方に勢いよく伸びた。その袖が指す方向へ天衣と慶が顔を向ける。
そこには、大地を揺らすほどの黒い殺意を身に纏った、気高くも美しい武神が腕を組んで立っていた。
人生は全て次の二つから成り立っている。したいけど、できない。できるけど、したくない。
ゲーテ
◆◆◆◆◆◆
慶の欠落を明確に表記いたしました。書いていてこれって伝わるのかなと心配になりましたが、それこそこれは感覚の問題でありますので、表現できないけどなんとなく分かった、ということが好ましいです。
ところで、これ本当は次話の分も今回で書きたかったんですが、流石に一話に二万字使うのは忍びなかったので分割いたしました。まだ次話は加筆修正どころか見直しもしていないので未完成ですので、連投ではありません。悪しからず。
大和田伊予。今回のまじナイススタイルコンテスト、長いのでMNSコンテストとしますが、今回の成績。
一位タイです。
点数は一位タイですが、細かな採点を見ると二位です。それでも目を疑いました。これじゃあ軍師が野球帰りに始球式しても仕方のないことです。
今回は、無印でサブヒロインですらなく、Sでも短すぎる√しかなかった彼女が、何故このような順位に食い込めたのか、という考察であります。
結論から言ってしまえば、“メインでないから”、これにつきます。
百代の90超バスト、由紀江の桃尻、クリスの貧乳と、メインキャラには必ず“性格的個性”に加え“身体的個性”が身体に現れます。
「私、みんなと比べて胸小さいから……見ないで」
「お尻が大きいの、気にしてるんだから……」
「どうだ、この大きさには自信があるんだぞ?」ドタプーン
これらの一文があるだけで相当映えるんです。まあ、メインキャラ全員巨乳とか個性もへったくれもないゲームもありますが……それはそれでカップを測ったりウェスト換算なり別要素があるのですが、置いておきましょう。
ここで個性の話に。大和田伊予、彼女の立ち位置は“地味でおとなしめではあるが、熱狂的野球好き、時折小動物”という、ゲームをやったことのある方ならわかる“サブキャラにしては妙に濃い個性”ですね。それだけで“野球=伊予”という、まじこい内での方程式が出来上がる程です。
つまり、“身体的個性”を求める必要がほとんどないため、“バストとヒップに差がいらない”のです。しかし、それが“ゴールデンカノンの条件”と一致しているのです。加えて“おとなしめで地味で、メインより目立たない”がモb、サブキャラの前提のようなものです。つまり、身長は高くもなく低くもない。そのためゴールデンカノンの実現が容易になるのです。
京より身長は高いのですが、ウェストは細め。バストとヒップのバランスは最強のボン・キュ・ボン。
伊予「これでもDカップあるんですよ」
クリス「」
伊予ちゃん大奮闘、でした。
予告。一子、史進、クリスの大敗。