真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜   作:霜焼雪

20 / 37
――――ひるま過ぐせと言ふがあやなさ


藤式部の丞


第二十帖 ささがにのふるまひしるき夕暮れに――――

 

「よく躱した。素直に賛辞を送ってやる」

 

 

 ドッドッドッドッドッ! と、一人の少年の心臓が素早く大きく鼓動する。緊張、焦燥、少年の心は自分が危険だと認識する余裕がないほど、明確な死を相手に立っていた。瞳孔は開き切り、呼吸も正しく行えていない。循環器官が痙攣を起こしているのではないかと思うほど、体の芯から震え恐怖していた。

 

 

「一撃目は一割、今のは三割の速度だ。素人にはもったいない速さだと思ったが、流石は警戒レベル4の対象、と言ったところか?」

 

 

 少年と対峙している金髪の老執事は首元のクラバットのような赤いネッククロスを調整し、くっくっくと、気分よくこみ上げてくる笑いを鎮めていた。その不敵な笑みも、対象を睨みつける鋭い眼光も、相対する少年の恐怖心を駆り立てる。

 しかし、少年はそれどころでなかった。絶望的な攻撃力を誇る執事が妙に上機嫌であることも、この真っ白な立方体の中のような部屋がどういう意図で作られ利用されているのかも、自分が何故ここに連れてこられたのかも、全てどうでもよかった。

 

 

 少年は生き延びるため戦っていた。

 

 

 少年は他に何も考えていなかった。考えられる余裕がなかった。考える機能が停止していた。考えることを放棄した少年は、今までにないほどに本能に頼り、一種の覚醒を成し遂げていた。

 少年の頬には鋭い刀で斬られたような傷跡があった。履いているジーンズの裾も擦れ切ったように摩耗し脱色され、熱を帯びはためいていた。着ているTシャツは無残にも引き裂かれ、少年の右腕は完全に露出していた。

 そんな状況下で、少年は疲れも痛みも暑さも涼しさも感じ取らず、目の前にいる老執事から発せられる殺気にのみアンテナを立てていた。

 

 

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ!」

 

 

 言葉を発するという簡単なことも忘れていた。ただただ短い呼吸を繰り返し、次なる攻撃に備えていた。そんな少年を見て、老執事は少年にではなく、ここを監視している者に向けて声をかける。

 

 

「おいクラウディオ。こいつをどうやって連れてきた」

『貴方みたいに正面から挑むなんて愚直なことをしなかっただけですよ、ヒューム』

「罠でも張ったのか。ふん、姑息な手を。だからお前はいつまで経っても俺に近接戦闘で勝てんのだ」

『何も考えない貴方よりはマシでしょう?』

 

 

 金髪の老執事、ヒューム・ヘルシングは分かりやすく監視者を挑発した。そんな挑発など日常茶飯事なのか、監視者、クラウディオ・ネエロはさらりと受け流し、反撃のように苦言を呈した。

 今のやりとりを見聞きしていたはずの少年は、ヒュームに対して攻撃しようとも逃げようともしなかった。普通の人間であれば、会話に気を取られるなり隙を突こうとするなり、何らかの形で行動する筈だ。しかし、少年はそういった行動を一切取らす、浅い呼吸ばかりを繰り返していた。息を整えるのではなく、緊張感をより高めるような呼吸だった。

 それを監視カメラの映像を移すモニター越しに観察していたクラウディオは、この少年を捉えた時のことを思い出していた。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「伊那渕様」

 

 

 それは約一時間前のこと、黄色いヘッドフォンを首にかけていた少年は、聞き慣れない声でフルネームを呼ばれたために、珍しい日中の散歩途中の足を止めた。珍しくヘッドフォンをしていない時に限って声をかけられるとはついていない、そう思いながら声をかけた人物の顔を確認した。その人物は眼鏡にチェーンをつけており、燕尾服を身に纏っている銀髪の老執事であった。

 少年の記憶の中にこのような風貌の知り合いはいなかったが、どこかで見たことがあるなと、少し頭を悩ませた。そこで最近の出来事を思い出していくと、あっさりとその老執事のことを思い出すことができた。

 

 

 ――――あの喧しい委員長のところの完璧執事さんか。

 

 

 それは半月ほど前のこと、武士道プランの受け皿として宛てがわれた川神学園に、武士道プランの申し子たちと九鬼の関係者が、朝礼を盛大にかき乱して転入してきた。その時に一緒にいた執事だと、渕は確信に至る。

 その九鬼の執事が自分に何用かは知らないが、はっきりと名前を呼ばれることが滅多にない渕は、喜んで会話を続けることにした。

 

 

「何ですか? クラウディオさん」

「おや、私の名をご存知で?」

「あれだけ目立つ登場したら、あの時名乗った人くらい嫌でも覚えてますよ」

 

 

 その言葉に驚いたように目を一瞬見開いたクラウディオ。何故驚いたのかは渕は分からなかったが、ほぼ初対面の人物を覚えていることは少し気味が悪かったかなと、少しだけ自分の中で反省していた。

 実際のところ、クラウディオが驚いたのは、渕がクラウディオを覚えているということではなく、クラウディオが渕のことを覚えていないということだった。クラウディオは川神学園の人間をほぼ全て把握し、朝礼の時に全員の顔を見渡した筈だった。しかし、朝礼の時に目にした覚えはないどころか、朝礼前にも渕のことだけは顔も知らないという事実を改めて突きつけられ、クラウディオは驚きを表情に出してしまったのだ。

 

 

 ――――アイツの隠密性はアタイ以上だ。

 

 

 そこでクラウディオは、今回の作戦の発端とも言える、要注意人物のリストの更新の申し出に来たメイドの言葉を思い出していた。

 

 

 ――――報告通りですね。非常に希薄な気配、どうしても見抜けない本質……。全力で意識を集中させてやっと、というところでしょうか。

 

 

 

 

 ――――元より、あの野良猫から聞いてはいましたが。

 

 

 

 

「……失礼いたしました。それでは早速、本題に移ります。渕様、貴方を捕えよとのオーダーです」

「へっ――――」

 

 

 渕が素っ頓狂な声を上げた瞬間、クラウディオが即座に間合いを詰めて背後に回り込み、渕を一撃で気絶させようと右手を首筋へ叩き込んだ。同時に気も送り込み、最小限の痛覚で意識を奪おうとした。

 

 

「む?」

 

 

 クラウディオの手に感触はなかった。首筋に当てたと確信を持った瞬間、標的が瞬間的にその場から消失したのだ。気配も雲散霧消するという奇妙な現象、クラウディオは渕の気配の残滓を手で払っただけに過ぎなかった。

 クラウディオが標的の渕に逃げられたかと思っていると、渕が数メートル先で何もせずに立っているのを確認できた。恐らく、攻撃されたということに本人はまだ気づいていないのだろう。

 

 

「……やれやれ、板垣の次は九鬼か。騒がしくなったね、俺の平穏」

 

 

 しかし、渕はクラウディオを見失い周囲を見渡しながら、現状を瞬時に把握していた。逃げないのは、自分の意識下にある行動では逃げきれないと理解しているが故。無意識下にある行動力に全てを委ねるというのも危険ではあるが、どちらにしろ、それに頼らねば渕は逃げ切ることなどできないのだから。

 

 

 

 

 

 

 ――――その騒がしさが、キミを次の段階に“飛翔”させるんだ。

 

 

 

 

 

 

「うん――――」

 

 

 その幻聴を最後の記憶とし、渕は意識を集中して全身の力を抜いていた。いつどのような衝撃が渕に襲ってこようが、できる限り被害を最小限に抑えようとした結果の行動だった。

 一方、クラウディオは感心していた。

 

 

 ――――あれが、最後に開花した玩具ですか。

 

 

 クラウディオは渕をこれでもかと観察する。かつて、自分が自称野良猫の人外にされたように、渕という人物を明確に把握しようとする。

 

 

 ――――それでは、あの野良猫のお気に入りの隠された力を暴きましょう。

 

 

 ヒュンッ……と、周囲の空気を見えない何かが切り裂く音が聞こえた。その音は次第に数を増やし、その正体も段々と視認できるようになり、渕もそれを肉眼で一瞬だけ捉えることができた。

 僅かに陽光を反射し、クラウディオの周りを繭のように取り囲む極細の結界。その正体を渕は見ただけで、それが何なのかは理解できなかった。元より武と掛け離れた人間である渕が、一瞬見えただけの武器を把握できる筈がないのだが。

 しかし渕は動かない。自分からは決して動こうとしない。自分の体を動かすのを、本能という“もう一人の自分”に全てを任せた状態で待機する。

 

 

「――――」

 

 

 クラウディオは一言も発することなく、自身の切り札とも言える武器、糸を渕に向けて放った。放たれた糸はまるで生きているようにうねり、渕の両手に絡みつき拘束しようと輪を作る。同時に足、更には胴体にも蜘蛛の巣のような網を仕掛け、動けばすぐに雁字搦めになるような罠を仕掛けた。

 

 

 ――――さて、どう切り抜けますか?

 

 

 クラウディオは本気で拘束しようとしていながら、同時に渕を推し量っていた。楽しみながら任務をこなすのは若干気が引けたが、対象が人ならざる者の一端に触れているのであれば、クラウディオの興味が惹かれてしまうのも仕方のないことであった。

 

 

「――――はっ」

 

 

 クラウディオの糸が触れる寸前、渕の大きな息遣いがクラウディオの耳に届き――――

 

 

「むっ――――?」

 

 

 

 

 

 

 クラウディオの目の前に突如現れた渕が、クラウディオの顎を掌底で打ち抜いていた。

 

 

 

 

 

 

「ば――――」

 

 

 馬鹿な、そう口に出す前にクラウディオに強烈な目眩と吐き気が襲いかかり、クラウディオの声は遮断されて行き場を失い、意味を持たない呻きに変わった。

 クラウディオは無様にも膝をついた。一瞬のこととは言え、僅かに気を抜いたが故の結果。その一瞬の油断は、文字通り瞬き一回の間の出来事であったのだが、渕はその百分の一秒単位の世界を支配したように動いていた。

 そして何より驚くべきことは、渕が驚異的速度で移動し罠を掻い潜ったことではなく、今現在の渕の状況であった。

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ!」

 

 

 渕の行動そのものが野生じみていたことだった。完全に無駄な力を抜き切り、標的にしか意識を向けておらず、言語を発することなく荒い息遣いでクラウディオを威圧していた。

 

 

 ――――まだ未完成だった筈……。朧、貴方の予想より早く、“飛翔”を遂げようとしていますよ、この“影法師”は。

 

 

 クラウディオは眼鏡の位置を直し、僅かに残っていた遊び心も切り離し、“壁を越えた者”を対処するように全ての動きを封じようと再び糸を張り巡らせた。その糸は先ほどより網目が細かく、人が抜けられるような穴はどこにもなかった。

 その非常に細かな網目を持ったドームのような糸の包囲網を見ても、渕は一切呼吸や姿勢を崩そうとしなかった。まるで“その罠が見えていないように”、渕はクラウディオだけを見つめていた。

 渕の世界にいるのはクラウディオと自分だけ。彼の世界には音もなく陰りもなく、ただただ真っ白な空間に二人だけが立っていた。

 

 

「ふっ――――!」

「っ――――」

 

 

 渕が動いたのと同時にクラウディオが糸の結界の形を変える。真正面から突進してくるように動いた渕を絡め取るように、独楽に糸を巻きつけるように糸を拗らせる。

 その糸の動きを見たのか見ていないのか、渕は突然動きを止めた。

 

 

「ぬっ?」

 

 

 クラウディオの糸が獲物を失い空回る。その瞬間に束になった糸を掴んだ渕は、それを思い切り引っ張って一つの大きな穴を作る。ギリギリ人が一人通れるくらいの脱出口。渕はそこに向かって走り出し、身を限界まで狭めて穴から抜け出すことに成功した。

 しかし、クラウディオはそう易々と逃がすような間抜けではない。渕の着地予想地点にも罠を仕掛ける。着地と同時に足を縛り付ける、狩猟用のトラップのようなものであった。

 その罠が仕掛けられた場所に渕が着地し、渕の右足が巻き取られ引き上げられた、筈だった。

 

 

 一度だけ浮いた渕はくるりと一回転し、罠があった場所に着地した。

 

 

 クラウディオは目を疑ったのと同時に、その疑いを晴らすような感覚をその手に感じた。確かに罠にかかったと、糸を出している手に確かな負荷がかかった。しかし、その重みが一瞬にして消え、“千切れた糸がクラウディオの下に戻ってきた”のだ。

 

 

 ――――切ったというのですか、私の糸を。

 

 

 クラウディオは驚愕を表情には出さないまま次の作戦に移る。それは糸を直に巻きつけるための近接戦闘。遠隔操作の糸も、クラウディオほどの使い手となればまず回避できないものだが、それが近距離となれば精度も上がり確実に獲物を仕留めることができる。

 クラウディオは瞬間的に渕に詰め寄り、糸を仕込んだ拳の連打を浴びせる。その全てを、渕は紙一重で躱しながらクラウディオに反撃を入れていく。全てを対処しきっているように見えるが、確かに渕はクラウディオの糸に絡め取られていく。背中を一瞬でも見せれば束縛されてしまうと本能的に察知しているのか、クラウディオの目の前で逃走することなく相対していた。彼の人生で初めての殴り合いだった。

 渕を拘束しようと糸を放つクラウディオだったが、彼自身もまた渕の攻撃により身体を蝕まれていた。クラウディオは全身に気を纏い強化し、余すところなく防御力を強化していた。しかし、渕の鋭い拳がクラウディオを苦しめていた。内臓は棍で突かれたように内側に鈍痛を残し、横隔膜は押し上げられ空気を排出されて絶息状態に陥っていた。手加減をしているとは言え、九鬼家従者部隊序列三位を純粋な近接戦闘で圧倒している渕。

 渕は無意識下における攻撃手段を極め始めていた。

 

 

「ぐっ……!」

 

 

 クラウディオが遂に苦痛の声を上げた。執拗に内部破壊を目的とした攻撃ばかりを繰り出す渕は手を休めず、クラウディオの無意識下を狙う。

 一方、従者部隊三番の完璧執事を圧倒しようとしていた渕はクラウディオを見ているようで、クラウディオを見ていなかった。クラウディオの周りに漂う、常人には見えない“何か”を捉えているようだった。

 

 

 ――――朧の言った通り、この少年の本質は回避ではないっ……!

 

 

 クラウディオは渕を拘束しつつそう感じ取る。回避と攻撃を同時にできないという、渕の露呈した弱点を見抜いたクラウディオ。渕に仕掛けている拘束術もあと僅かで終わる。

 

 

 

 

 

 

 ――――無意識下における絶対的支配者、人間が克服することのできない虚を突く武術家、瞬間回復が可愛く思える“多面的異能使い”の、未完成。

 

 

 

 

 

 

 ギリッと、クラウディオの糸が完全に決まった音が渕の“意識”に届いた。

 

 

「――――あ、捕まった……か」

 

 

 両手両足を縛られ、まともに動かすことのできる部位が頭しかない当事者は疲弊しきっていたが、まともにクラウディオとやり合った実感はないようだった。顎を打ち抜いたことも、糸を断ち切ったことも、乱打戦をしたことも、渕の記憶の中には一切残っていない。

 残っているのは、確かな疲労と、身体にかかった負担だけ。クラウディオとの短い戦闘は彼の記憶には残らなかった。

 

 

 ――――これは危険ですね。恐らく、玩具の中で一番性質が悪い。もしこれが彼の“意識下”で可能となれば、武神をも圧倒できるやもしれません。

 

 

「ええ。捕まえました。肉を切らせ、骨を断たれ、内臓を掻き乱されて、ようやくです」

「えっと……? ごめんなさい?」

 

 

 一方的に交戦をおふっかけられ拘束され、渕には非など何もないのに、小首を傾げながら疑問符を浮かべ謝る様がおかしかったのか、クラウディオは痛みを忘れて明るい笑顔を浮かべた。

 

 

「それでは、極東本部までお連れします」

「その前に、親に連絡させてください。九鬼財閥直々の召喚ですから、父さんはもう知ってるかも――――」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「ジェノサイド・チェーンソー!!」

 

 

 クラウディオの追想を断ち切るように、ヒュームの一撃必殺の弧を描くような蹴りが渕目掛けて放たれた。その威力にほとんど加減は感じられない、正真正銘、意識を狩りとる従者部隊零番の一撃。

 それを渕は、上体を逸らし限りなく蹴りの衝突面積を抑えた。それでも渕のTシャツは再び切り裂かれ、左鎖骨にヒュームの蹴りが掠った。その僅かな接触、埃でも払うような最小限の接触で、渕の鎖骨は砕かれた。その勢いは鎖骨だけに収まらず、下半身は残されたまま上半身が吹き飛ばされたため、何度も後転しながら渕は壁に叩きつけられた。

 それを確認したヒュームはネッククロスのズレを修正し、観察者であるクラウディオへ呼びかけた。

 

 

「……おいクラウディオ。何分持った」

『現在、三分と十三秒。なかなかの好成績ですね』

「ふん。赤子の中では持ちこたえた方か。回避だけだが、目を見張るものがあるな」

『…………ヒューム。構えなさい』

 

 

 ヒュームが普段通り、敗北者に自身の評価を擦り付けて、後始末をクラウディオに任せて訓練場を去ろうとしたところを、クラウディオがいつになく真剣な声色でヒュームを制した。何故呼び止められたのか分からないまま、ヒュームは帰ろうとする足を止めて渕が倒れているはずの方向へ体を向ける。

 すると、そこには倒れているでもなく座っているでもなく、両腕をだらんと垂らして中腰で立っている渕の姿があった。その瞳に光は点っておらず、一見気絶しているようにも見えたが、渕の異常な呼吸がそれを否定する。

 

 

「はっ、ふっ、はっ、ふっ、はっ」

 

 

 獣が獲物を狙いを定めた緊迫状態を再現した浅い呼吸を確認したヒュームは、驚きつつも口角を上げ、靴の位置を調整するように爪先を地面で二度トントンと叩く。

 

 

「活きがいい。まだ楽しめるか」

「はっ、ふっ――――」

『……ヒューム、来ますよ』

 

 

 クラウディオの忠告を聞きながらも、ヒュームは余裕の態度を崩さない。自身が確実に格上であるという確固たる自信は揺るぐことなく、異常性に満ち溢れた渕に対して油断を露呈させる。

 

 

 ――――その“油断”、もう見えるだろう? 影法師。彼は溺れているからね。自尊、倨傲、不遜の沼に。

 

 

 その“油断”を晒さないようにと、クラウディオは苦言を呈した。少しでも“慢心”するなと、ヒュームを扱き下ろしたのだ。その“隙”こそ、渕の野生が求める極上の獲物だと、クラウディオは理解していたから。

 

 

 ――――それが活路だ。キミが支配する万物の弱点だ。

 

 

 しかし、ヒュームはその忠告をただの戯言としか捉えない。目の前にいる少年を、単なる回避力の高いだけの素人としか見れなかった。自分が見て感じ、体験したことしか判断材料としていなかったから。

 

 

 ――――もうすぐで完成だ。キミは壁を越える者を凌駕しうる存在に、飛翔するんだ。

 

 

「さあ足掻け。もっと俺を昂ぶらせて――――」

 

 

 

 

 

 

 その言葉が締めくくられる寸前、渕はヒュームの背後に回り込んでいた。

 

 

 

 

 

 

「――――なに?」

「うらぁあああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 ヒュームが対応できなかった速度で移動した渕に再び異変が起きる。今まで生気が宿っているかさえ危うかった瞳に光が戻り、渕が無意識下から脱して自身の意識の下で体を動かしていた。その証拠に、今まで荒い呼吸しか繰り返していなかった渕の口から、単純な雄叫びが発せられていた。

 ドズッと、ヒュームの背中に鈍く熱い痛みが走る。それと同時に襲いかかる背骨を駆け上がるように脳まで響いた鋭い痛みが、ヒュームの表情を歪めた。

 

 

「ぐぬっ……!?」

 

 

 その歪んだ顔は悲痛に依るものではなく、歓喜に依るものであったようだ。ヒュームの吊り上がっていた口角はさらに上がり、完全なる臨戦態勢に入ったことを意味した。渕の一撃、背骨を穿つ一撃がヒュームの油断を失わせたかのように思えた。緩み、欠如、怠り、ヒュームは自省せずに本気で背後の敵を駆逐せんと意識を集中させる。

 しかし、一度噛み付いた獲物を易々と逃がすほど、今の渕は満ち足りていない。

 

 

「うぁああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 加えてヒュームに二撃、位置的には肺がある高さを背後から拳で射抜いた渕。ヒュームが振り返りざまに蹴りを打ち込もうと足を上げる寸前、再び背後に回り込み、背骨を沿うように二撃打ち込んだ。その拳は人差し指の関節が飛び出た一本拳に近いもの。渕はそれを“無意識”で行っていた。

 一度打ち込んでは離れ、再び近づき拳を打ち込んでまた離れる。ヒットアンドアウェイではあるが、その速度と距離さが尋常ではなかった。傍から見ればヒュームの周りに半球のドームが渕の残像で描かれ、最長距離は十メートル以上にも達していた。

 一方、渕の決死の連撃を食らっているヒュームのダメージは少ない。瞬間回復はないものの、常人とは掛け離れた回復力と耐久力の持ち主。壁を越えた者のトップクラスに位置しているヒュームが体験したことのある痛みでも、渕の拳の威力は下級だと判断された。しかし、ヒュームは明らかに渕を獲物と見なしている。これは渕がヒュームの中で上級の赤子と認識されたことを意味する。

 それを象徴するかのように、ヒュームは声高々と笑う。

 

 

「はっはっはっはっは! いいぞ小僧! 俺も本気の速度を出そう……着いてこい!!」

 

 

 ヒュームの周囲にパリッと電流の軌跡が青白く光り、鋭い眼光からも雷が迸るように渕の心臓を射抜く。ヒュームの本気の威圧と気合で、渕は無意識に危険を察知し壁まで瞬時に撤退する。

 ヒュームは一歩も動いていない。ただ、本気を出すと宣言しただけ。それだけで渕の精神力は根こそぎ持っていかれてしまった。頼りにしていた無意識下の自分が喪失していくのを実感してしまうほどに、渕の中を虚空が満たしていく。

 

 

「――――うん……! いい感じ……!」

 

 

 その虚空に満ちた状況は渕を表面に引きずり出したが、普段と様子が違った。まるで、“先程までのヒュームとの戦闘全てを意識している”ようだった。クラウディオとの対戦時とは明らかに違う様子。無意識下の行動である筈の渕の攻撃は、意識下によってしっかりと認識されていた。

 渕はこの短い期間で、尋常ではない成長を遂げてしまった。

 しかし、渕が意識無意識のスイッチによって戦闘や回避行動をとることができると知らないヒュームは、この異変にも理解できずただの燃料切れと見なし、“油断”に塗れ鼻で笑う。

 

 

「フン。もう終いか? やはり赤子は赤子か」

「いやぁ、やっぱりやられる時は自分の意識にないと納得いかないのかな。それに、貴方のお陰でレベルアップできたよ。ありがとう金髪のじいさん。どうやらこれは俺の想像以上に、武術家にとっては危険みたいだね」

 

 

 渕がヒュームに感謝の意を表明する。その表情は屈託のない笑顔で眩い輝きを放っていた。心に一片でも曇があれば、それを直視することは叶わないほど。

 

 

「“二回殺す分の精神力”しか残ってないみたいだから、あと一撃……。それで正真正銘燃料切れ。ちょっと欲張って殺しすぎちゃった。それにしても、よくもまあ凡才とか自虐してもんだ。こんな異質な存在で、鍍金だなんて二度と思えない」

「何を言っている」

「自分の無知さに呆れていたんですよ。自分の力量も知らずに一般人だなんて言っていたことが恥ずかしくなったんですよ。けど、無知は克服した」

 

 

 渕は腰を低く落とし、両の力を抜いて前にだらりと垂らす。以前の渕ならばこれをただの威嚇としてしか使わなかっただろう。しかし、今の渕はこれを単なる威嚇として使っていない。威嚇の構えから、戦闘態勢へと昇華していたのだ。

 

 

「これからは放棄することも慢心することなく、全力で相対します」

「能書きはいい。どうやるかは知らんが、さっさと殺してみろ」

「勘違いしないでください。俺が殺すのは人じゃないんですから」

 

 

 渕はさらに体勢を低くし、ヒュームをじっと見据える。

 

 

 

 

 

 

「俺が殺すのは――――」

 

 

 

 

 

 

 ――――それ以上キミの能力について喋る前に、さっさと逝けよ。

 

 

 

 

 

 

 自身の技の本質を口にしようとしたところで、どこからか渕を抑制する不可思議な力が発生した。呼吸は出来るのに、声だけでない。緊張に支配され声を一時的に失ってしまうような症状だったが、渕はそうなってしまったことに大きく驚きはしなかった。

 この力をくれた存在からの命令に近いものだと、渕は戒めのように抑止力を体で受け止めていた。

 声が失われ、遥か高みから逝けよと命令された以上、渕は行動を移さずにはいられなかった。

 肺に溜まりに溜まった汚い空気を大きく吐きだし、その天上の存在に感謝しつつヒュームを見据え、“能力を発動した。”

 

 

「なっ――――」

 

 

 渕の姿がヒュームの視界から消えた。それも忽然と、ヒュームが追いきれない速度で渕は姿を消し――――

 

 

「殺したよ」

 

 

 ヒュームの背後で拳を握りしめ、殺害完遂を宣った。

 

 

「小僧――――っ!」

「そして、も一回!」

 

 

 ズドン!! と、ヒュームの体を突破し空気が貫かれるような音が発生し、ヒュームは思わず胸を抑え苦しみの声を上げる。

 

 

「ぐ、ぬぅ……くくっ」

 

 

 しかし、ヒュームは倒れない、。ダメージもすぐに取り除かれ、いつしかヒュームを満たしているのは苦痛ではなく快楽に変わり、渕がいる方へとゆっくり体を向けた。

 

 

「手を抜いていたとは言え、よく俺に五撃以上の打撃を打ち込んだ。しかし、それだけだったな。まだまだ赤子よ。俺を倒すには、威力の底上げをした上で千撃は必要だろう。さあどうする小僧。まだ続け…………」

 

 

 ヒュームの説教と自画自賛が入り混じった評価が突然停止される。停止した理由は明白。目の前にいる評価対象が、立ったまま気絶していたのだ。

 

 

「…………まあいい。全力を出して燃え尽きるのも若者の特権か。ふん、打たれっぱなしで終わるのは癪だが……逸材を見つけたということで今回は不問にしてやろう」

『攻撃が当たらず拗ねるのはそれくらいにして、渕様をこちらに引き上げてください』

「拗ねてなどいない……ふっ!」

 

 

 ヒュームは気絶した渕の腹部に軽く拳を当てて体を強制的に曲げ、それを肩に担ぎ上げてその場から消えるように退場した。

 その誰もいなくなった空間に、電子機器を介したクラウディオの声が虚しく響き渡る。

 

 

『…………朧。貴方から見て、彼の成長具合はどうですか?』

「予想の範囲内で最高の出来、とだけ言っておくよ」

『そうですか。それにしてもよいのですか? 槿とのお遊戯は』

「よくはないね。今から戻るところだ」

『そうですか。幸運を祈ります』

「祈願対象の残物がぼくだってこと、忘れるなよ?」

 

 

 そう言い残した朧の気配が消えたのをクラウディオは確認し、ヒュームが渕を運び込んだ医務室へ駆け出した。

 

 





 ミネルヴァの梟は暮れ染める黄昏とともに飛翔する。

 ヘーゲル

◆◆◆◆◆◆

 二週間の遅れ、申し訳ありませんでした。
 なんとかまとまった時間を取ろうと東奔西走したのですが……
 ・バイト先の人手不足。
 ・節約のための自炊。
 ・同好会における友人とのオリジナル小説共同作業。
 ・資格試験までの勉強。
 など、やらねばならないことが山積みでして……。GWは少しばかり休みが取れそうなので、そこでコツコツと書きだめることができれば、そう思いながらこのあとがきを書かせていただいております。次回も一週間から二週間以内、ということでご容赦ください。

 渕はもう少し後でヒュームと戦わせる手はずでしたが、予定変更で繰り上げさせてもらいました。そのせいで渕くんが若干強キャラになってしまいました。それでも決定力には欠けるのですが。

 MNSコンテスト。今回は大友焔ちゃん大解剖の巻、でございます。
 身長153センチ、スリーサイズは81・56・80のDカップ。高身長が目立つまじこいではやはり低い印象がありますが、実際女子というものはこれくらいでしょう。
 ここでほむほむの特筆すべき事項を探したのですが、バランスがいいという以外見当たらないものでして……。理想のサイズとの差を比較しましたが、どれもトップ3には入ることができなかったのです。
 ここまでくればお分かりでしょうが、ほむほむが上位に食い込めた理由もまた、低身長であるからなのです。しかし、トップ3の中で最も低身長なのに、頂点に立つことができませんでした。二次元において、低身長であればあるほど、このコンテストは有利に働くのです。
 この敗因は恐らく、鍛えすぎてしまったのでしょうね。ウェストの締まり具合がロリ組みと貧乳組みを除けば一番なので、努力が仇となったパターンです。つまり、ポン・キュキュッ・ポンといった具合でしょう。


焔「武士娘たるもの、常に鍛えなければな!」
京「…………油断できない。めらめら」


 予告。ようやく見つけた湘南の花屋の娘のスリーサイズ。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。