真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜   作:霜焼雪

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――――我が心とや思ひそめけん


作者不詳


第二十四帖 こころとも知らぬ心をいつのまに――――

 

 午後三時五分。一杯目の紅茶を飲み終えた婦人に、英国紳士が二杯目はどうかと気を利かせる時刻。

 直江大和は虚ろな目を浮かべていた。

 

 

「ユキに、葵と井上……。それに、燕先輩も。まだ授業中じゃないのか……?」

 

 

 早退していながらブラブラと外出している自分は棚に上げて、暗にサボリを働いている四人を咎めた大和。その言葉に全く覇気は感じられず、言って聞かせるために発せられた言葉とは到底思えなかった。

 その様子を見た冬馬と準は何も言えず、目を見開き息を飲んでしまう。ここまで酷く沈んでいるものとは思ってもみなかったのか、大和にかける言葉を探そうにも見つけることができなかった。

 しかし、一度この状態の大和に出会ったことがある小雪は大和の肩を掴んで、目を覚まさせるように呼びかける。

 

 

「大和! しっかりしてよ!」

「ユキ……? どうしたんだ? 俺は、“いつも通り”、だろ?」

「どこが“いつも通り”なもんか! 僕たちの方がまだ“いつも通り”だよ!」

 

 

 僕たちという言葉は、冬馬と準と小雪の三人を、悪事から手を洗い学生らしさを暗中模索する三人を意味していた。冬馬は戸惑いつつも学生らしさを今回のサボタージュで見出し、準は梓との嗜好の討論で自分らしさの表現を思い出した。勿論、小雪も苦しまなかったはずがない。

 友のために鍛えた脚が、血に染まる。人を守ろうと練り上げた脚が、人を傷つけていた。その矛盾してしまった目的と結果が、小雪を苦しめない筈がなかった。その矛盾という事実を見ないようにして明るく振る舞い、冬馬と準とともに堕ちようとしていた。

 その暗く果てしない下り道は、九鬼財閥の手によって作り替えられた。冬馬と準はそこで解放され、小雪も同様に悪の道を外れることになる。首謀者である冬馬、補佐的立場であった準は責任を強く感じていつも通りを取り戻すのに戸惑った。小雪はその間、何がどう変わったのかを理解することに戸惑い、何が正しくて何が正解なのかが分からなくなったため、足場もない無重力空間に投げ出されたように、不安定さの中を彷徨っていた。

 

 

 ――――戯け。

 

 

 そんな時、家族である二人にも感づかれなかったその不安定さを、一人の老人に見破られてしまった。

 

 

 ――――なまじ情があるせいでそう考える。甘っちょろい情けを敵にかけるでない。その脚は守るため、人のため、そう()かしたな小娘。その過程、その道筋、一切の血を浴びることなく、傷を負わせることなく済むと思うな。主が言いたいことはそうではない、そう言いたいことも至極当然。しかし、表裏一体の自称を矛盾と思い込み塞ぎ込むのは愚の骨頂。傷つけてこそ、守るのじゃ。他人も――――自分もじゃ。よし、儂に出会ったのも巡り合わせじゃ、ここで選べ。情け容赦なく人を傷つけ高みへのし上がるか、人を守るなどという大義名分を引っさげぬるま湯に浸るか……。さあ、決断せんかい!!

 

 

 出逢って数分と立たない老人に説教された小雪は面くらい、今まで小雪を苦しめていた気持ちの悪い塊が吹き飛ばされてしまった。

 そこから小雪は腹を括り、迷いなく今の自分と向き合いいつも通りに過ごそうとしている。今までやってきた行いが正しいとはとても言えない。聞く耳を持たない輩を力でねじ伏せ黙らせていた行動に賛辞は贈られない。それでも、その過去を受け止め、小雪はこれからを生きると誓った。

 いつも通りとは言えないが、いつも通りを振舞う冬馬、準、そして小雪。その三人をして、大和はいつも通りでないと言わしめるこの状況。明らかに異常であった。

 

 

「ねえ、僕を見てよ大和……。そんな死んじゃった魚みたいな目じゃなくて、いつもみたいな優しい目で僕を見てよ!」

「優しい、目……?」

「今の大和は、痛々しいよ……! 何か訳があるなら、教えてよ!」

 

 

 小雪が涙ながらにヤマトに訴えかけた。今朝は屋上で泣かなかったのに、そんなことを思いながら小雪の顔を見つめる大和。しかし、その小雪の必死の呼びかけも、大和の奥にある真実を引き出せない。

 

 

「…………俺は、何も、抱えてなんか――――」

「大和くん。そんなに、一人で背負わなきゃダメなのかな?」

 

 

 ここで、今まで傍観に徹していた燕が大和に声をかけた。

 

 

「私だって共犯者だよ? 橘さんだって、梓ちゃんだって、あの作戦に関わった人は等しく同罪だよ。なんで大和くんはそんなにも、一人で抱えようとするの?」

「それが、俺の役目です。責任なんです」

「橘さんは、真実を求めた百代ちゃんの最初の足止めになったよ」

「俺はそうなると分かって、見捨てました」

「梓ちゃんは、百代ちゃんに大技をお見舞いしたよ」

「そうでなくちゃ、あの人選はできません」

「私は、何もできなかったよ」

「時間稼ぎと姉さんの動揺、十分すぎる活躍です」

「――――一子ちゃんは何も知らなかったよ」

「――――ワン子には悪いことをしました」

 

 

 川神百代鎮圧作戦、その詳しい内容をほとんど知らない葵ファミリーは会話に参加できなかった。しかし、作戦の首謀者である大和が、どういう結果を求めてこの作戦を組み上げたのか、アウトラインは見えてきた。

 

 

 壁を越えた者を、まるで捨て駒のように使い、真実を求めて来襲した百代の精神を瓦解させることで、真実を守ろうとした作戦。

 

 

 ――――大和くんにしては、切羽詰った苦肉の策ですね……。

 

 

 葵ファミリーの頭脳、冬馬はそう判断を下した。仲間を第一に考えた作戦を講じることで“軍師”と呼ばれるようになったと言っても過言でない直江大和が、姉貴分である川神百代を潰すことでしか止められないとは考えられなかったのだ。

 そして何より、冬馬が解せなかった事は――――

 

 

 ――――大和くんが、罪悪感を背負うということ以外、何の代償も払っていない。

 

 

 時には身を挺して仲間を守り、時には体を張って犠牲となる作戦も練ることがある大和が、あまりにも無傷過ぎるのだ。加えて、今回の作戦で何も知らず被害者となった人物が、彼らの中でも最も仲の良いとされる最古参三人組の一人、川神一子であることも奇妙だった。

 

 

「大和くんは作戦を考えただけ。それを実際に行ったのは私たち。責任は半々、一人で抱え込むのは間違いだよ」

「違います……。作戦を立てた時点で、最高責任者は俺です。俺が全ての尻拭いをしなきゃ……。真実を遠ざけて、来る日まで耐えなきゃいけないんですっ……!」

 

 

 大和の目が、真っ黒なクレヨンでぐるぐると塗りつぶされたように光を失っていた。

 

 

「おい直江。お前危ないぜ? 今にも崩れそうな桟橋の中央で蹲ってる感じだ。お前、そんなんで大丈夫なのかよ?」

「……俺のことなんか、気にすんなよ井上。あと少しなんだ……。あと少し、我慢すれば、何もかも上手くいくんだ」

 

 

 大和がブツブツと「あと少し……あと少し……」と呟いている目を見て、準は小雪の手の上から大和の右肩を掴んで揺さぶった。しかし、大和はそんなことは意に介さないように自分一人で言葉を反芻し続けていた。

 その不安定さが気に入らなかった冬馬は、準同様小雪の手の上から大和の左肩を掴み、顔を今にも触れ合いそうな距離まで近づける。いつもならここに至るまでに大和は抵抗の一つも見せる筈なのだが、振り払うこともせずなすがままにされていた。それが冬馬にとっては張り合いがなく、実につまらなかった。

 

 

「大和くん。貴方らしくありませんよ? 不敵な笑みを浮かべて、自信で満たされた貴方はどこに行ってしまったんですか? 今の大和くんは、何かに怯えているようで、らしくありません」

「怯えてなんかいない……。恐れてもいないぜ……。やるべきことをやって、待っているだけだ……。あと少し……」

 

 

 「あと少し……あと少し……」と、俯きながら唱えている大和は、精神的に傷を負っている危うい人物にしか見えず、燕を含めた四人は酷く心を痛めてしまう。一体どうして、こんなことになってしまったのかと――――

 

 

 

 

 

 

 

「秘匿してくれと頼んだけれど、懐抱(かいほう)しろと命じた覚えはないよ。自分が、自分がと拘ることは、決して美徳ではないのだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 大和の後方、冬馬立ちからすれば前方から、この場にはいなかった人物の声が発せられた。その声に大和は顔を勢いよく上げて目を見開き、錆び付いた可動部分を強引に動かしたように、震えながらゆっくりと首を後ろに向けた。

 そしてそこには、古ボケて色あせた狐面を被った隻腕の人物が立っていた。顔は見えないが、大和は声と雰囲気だけで誰であるかを確信した。

 

 

「ソラ、さん……? な、なんで!?」

 

 

 大和がソラと呼んだ人物は、大和のやつれ細った姿を見て左肩を握り締めた。表情は見えないが、歯を食いしばって自責の念に駆られているようだと憶測できるほど、ソラは身体で感情を表現していた。

 

 

「私の失態だね。そこまで私との約束に固執してくれたことは嬉しい限りだけど、君を苦しめてしまうのは不本意極まりない……。済まなかった」

「そ、んな! 謝らないでください! 俺が好きで、犠牲になってるんです! ソラさんのせいじゃない!」

 

 

 ソラが大和に頭を下げた。それに対し、大和は全力で否定する。ソラの謝罪を拒絶する。責任は全て自分にあるのだと、今まで以上の責任を背負おうとしていた。逃げ道を自ら潰し、言い訳という言い訳を排除しようとしていた。

 

 

「……久しぶりだね。葵くん」

 

 

 そんな必死な大和を無視するように、ソラは呆気にとられていた冬馬に声をかけた。

 

 

「ええ、お久しぶりです。数週間ぶり、ですね」

「私に辿り着こうとしている誰かがいるから警戒していたけど、君たちだったとはね。一応正体を知られないようにと、貰い物の仮面をつけてきたけど……取り越し苦労だったようだ。君たちになら知られても問題はないからね」

 

 

 冬馬とソラの会話が円滑に進んでいくことに、当事者以外の四人は驚きを隠せなかった。特に、真実に至ろうと共にここまで来た準と小雪は、初めから知っていたなら紹介しろよと言いたげな表情を浮かべていた。

 文句を口に出さず顔で訴えかける二人に対し、ソラが仮面の下で笑って応える。

 

 

「私は隠れるのが得意でね。私の家の血筋は影を薄くすること、気配を消失させることに特化している。生まれつきこういう能力があって、それを成人するまでに制御できるようにするんだ。それも才能の一つで、弟の方がその能力に長けていたんだが、如何せん見境がなかったから、制御まで含めると私は稀代の飲み込みの良さだったらしい。私はもう既に体得しているから、私を意識した時点で私に合うことは不可能になるんだ。特に、今は隠れ忍ばなくてはいけない身の上でね」

「そ、それじゃあ、タチバナやあの女が回りくどかったのは……」

「天衣と梓だね。あの二人には前もってそういうことができると伝えてあった。だから、私に辿り着くためには、果てしなく遠い回り道をする必要があるんだ。つまり、偶然出会えるような状況を作り出す必要がある」

 

 

 小雪はそこでようやく合点がいった。聞き込むこと全てが直接的なことではなかったため、小雪は隔靴掻痒としていたのだが、そのもどかしさが今ようやく解消された。今目の前にいる真実を目指することで、冬馬や準が自分に対して何も言わず着いて来てくれと頼んだのかが理解できたのだ。

 その目指した真実は、輪郭線が曖昧ではっきりと人型と認識できない。ぼやっとした黒と白の塊の中、狐の仮面が浮かんでいるように見える。何とか存在だけを認識できる状態だった。それを目の当たりにしてしまったことで、常識の通用しない一種の怪物を認めざるを得なかった。

 武の怪物、壁を越えた者とは違った意味で常識を破壊する怪物。もはや妖怪物の怪の類と言われても不思議に思うことはない。

 

 

「今回は私が大和くんの安否を確認しに行く状況と、君たちが大和くんの下へ行くという状況が合致した偶然。だから私は今こうして君たちと会話しているんだ。難しくてややこしいだろうけど、私はそういう存在だ。私に辿り着くことは、まず不可能だよ」

「二年後の川神を見たいとか言って、隠れ忍ぶことを少し前までしなかった人が言う台詞じゃないでしょ?」

「そうだね。燕も久しぶりだ」

 

 

 小雪が納得したのを確認した燕が会話に参加した。燕との会話が心地いいのか、曖昧な認識しか出来ないソラの周りに優しい空気が漂った。ソラという人物をはっきりと認識することができない分、溢れる感情という抽象的なものが感じ取りやすくなっていた。それを本人が本能で支配できていないのであれば尚更だった。

 

 

「申し訳ない。色々と厄介事を任せてしまったようだ」

「気にするなんて野暮だよ。私たち友達でしょ?」

「そうだね。君のその明るさというか、能天気さを装った狡猾さというか。それでいて私を楽しませる朗らかさが心地いいよ。友人付き合いというものは、やはり麻薬のようだ」

 

 

 クスッと、ソラが狐の面の奥で短く小さく笑った音が聞こえた。狐面の彫りも色も絵も変わっていないが、不思議とその狐が微笑んでいるような錯覚に陥ってしまう。

 

 

「梓にも、天衣にも、燕にも重荷を背負わせてしまった。何せ相手は川神百代、武神だ。梓は自慢の脚を砕かれ、天衣は体の中をぐちゃぐちゃにかき乱され……」

「私は軽傷だよ」

 

 

 燕は自分の頭に巻かれた包帯を指差しニカッと笑う。これっぽっちの怪我なんだから心配することはないと言いたげな表情だったが、ソラの顔は若干下に向いていた。下といっても、脚まで下がるほどではない。見ているのは、胴の心臓がある高さ。外見は怪我をしていない。しかし、それをいたたまれない様に見つめていた。

 

 

「それでも、精神的なものは皆平等だろう。私なんかを擁護したが為に」

「それは覚悟の上だよ。尤も、覚悟もなく傷ついちゃった子がいるけどね」

「……一子ちゃんにも、本当に悪いことをした。今回の作戦が全て完遂されたその時には、百代さんも交えて楽しいお茶会がしたいな」

 

 

 ソラの頭の中に浮かぶ情景は、春の陽気を感じる花見の季節。川神院の中庭の一角に敷いた複数枚のござの上に広げられた雑多な和菓子を、十数名の人間が摘みながら緑茶を啜り、ソラたちが苦しんでいる今の状況を笑い話にしている。老人も、教師も、生徒も、年齢と性別の壁を取り払った集団が形成される中、ソラは自分を隠そうとしていない。今付けている面を剥ぎ取り、偽りを取り払った本当の自分をさらけ出している。そのソラの笑顔は、後ろめたさの欠片もない、心からくる微笑み。

 その理想を実現させるため、ソラたちは今を捨てていた。

 

 

「この話を聞いたからには、そこの三人には守秘義務が課せられるから」

「大和くんがそこまで苦しんでいることを大っぴらにするつもりはありませんからご安心を。それに、貴方の頼みでもありますし」

「流石葵くんだね。さて――――大和くん」

 

 

 ソラは念のためと思い、葵ファミリーに釘を刺してから大和に向き返った。

 

 

「これ以上抱え込むようなら、むしろ吐き出してくれ。君の苦しみ方は、見ていて辛い」

「俺が、好きで苦しんでるんです。恩を返せないまま貴女を失うなんて、考えられないんだ!」

「……君の相談相手になっていただけで、恩を与えたような記憶はないよ」

「それだけで、充分だったんです……! それに、姉さんと貴女が仲違いしてい事実は、一分一秒でも早く消し去るべきなんです! 二年前に失われた学園の笑顔を取り戻せるのは、貴女が戻ってくることだけなんです! 」

 

 

 大和は力説する。二年前に起きてしまった事件は学園から笑顔を奪い取った。その笑顔は一人の学生の無実を晴らすことで取り戻すことができると。

 しかし、それに対してソラは素直に肯定の意志を見せなかった。

 

 

「戻ったところで、全ては戻らない」

「そ、そんなこと――――」

 

 

 

 

「学園から害虫を駆除しない限り、私が戻っても意味がないんだ」

 

 

 

 

 

 害虫という単語が何を指しているのかを理解したのは、その単語を口にしたソラ以外では大和だけだった。それが分かってしまっただけに、大和は戦慄してしまう。その狐面の奥に隠された表情が、どれほどの恨みの色に染まっているのかと考えただけで身震いしてしまう。

 

 

「時間稼ぎ、残り一週間以内と宣告され数日が経過した。ひょっとしたら、今回の接触のせいで期間が伸びてしまったかもしれない。その間、私は全力で忍ぶ。学長からのGOサインが出るまで待機する。私の見立ててでは、四日後。私と、華月と、大和くんと、九鬼が総力を挙げて――――二年前の真相を明るみに出す。真実を、公のものにする。正しき裁きを下すんだ」

「…………そのために、俺は姉さんとの繋がりを一時的に切った。姉さんに邪魔されるわけにはいかないから」

「葵くんたち三人は、この四日間は私のことを誰にも話さないで欲しい。そうしてくれないと、私の二年間が全て水泡に帰してしまう。それどころか、数人の生徒が解放されることなく苦しみ続けられることになる。頼む。黙っていてくれ」

 

 

 ソラは狐面に手をかけ、それを外して冬馬たちに素顔を晒した。その素顔は非常に中性的で、確証を持って性別を言い当てることは不可能だが、性別など些細な問題に思える程、美しい。不純物一つない透き通った肌は、幼女嗜好の持ち主である準を唸らせる。

 美しいが、痛ましい。

 栄養失調で痩けた頬、疲労で生じた黒い隈。薄く開いた目には光が入らず、ソラの表情が相対的に暗く思えてしまう。これを隠す意味でも仮面をつけていたのだろうと、冬馬や燕、一度ソラに会ったことのあった者はそう思った。

 しかし不思議なのは、そうなっても失われないソラの美しさだ。比率からすれば既に崩壊しているはずなのに、その崩壊した数字が互いに寄り添い、新しい美しさを創造しようとしていた。その結果、健康優良体調万全の期に比べれば劣るが、美しさは見るものを惹きつけてしまう。

 明暗の激しい、ボローニャ派閥のレーニが描いた老婆の痩け具合でありつつ、悲劇の体現者ベアトリーチェを描いた絵の暗さが人々の心の奥底を揺さぶる。矛盾した美が創造されていた。

 

 

「頼む」

 

 

 そんな遺影的美を宿したソラはもう一度頼み込み、頭を下げた。その行為に、誰も言葉を発することができなかった。痛々しいだとか、いたたまれないだとか、そんな単純な理由ではなかった。もっと強大な、イデア的立場の不可思議な現象、触れられず見ることもかなわない存在から支配されたように動くことができなかった。

 美は人の心を鷲掴みにし、操り弄ぶ。

 

 

「……私は、再び姿を消す。時が来たらまた会おう。特にそこの白い髪の女の子。君とは何か、近いものを感じるよ。楽しく、苦しく、会話をしたい。いつか、私が心の底から笑えるようになったら――――」

 

 

 そう言い残し、ソラは霧のように姿を消した。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「まさか、葵たちに追いつかれるとは思ってもみなかった」

 

 

 午後三時三十分。学生たちは部活の挨拶が始まるのを今か今かと待ち受けつつ駄弁る時刻。

 幾分か元気を取り戻した大和が、冬馬たちをジト目で見ながらそう言った。燕はソラが消えたのと、大和が少しだけ心の中で張り詰めていた糸を緩めたことを確認し、「私にもできることがあるはずだから」と言い残して去っていったため、大和のジト目の対象は冬馬、準、小雪の三人になる。今この瞬間が漫画で描かれていたのであれば、“じとーっ”というオノマトペが大和の頭上に描かれていたことだろう。

 

 

「情けないところ、見せちまったな」

「僕たちに頼ってこない大和が悪いよ」

「そりゃ、そうか。ソラさんにも叱られた。少しくらい周りを頼ってもいいんだってな。と言われてもな……。これはソラさん云々関係なく、俺に課せられた仕事みたいなもんだし」

「守秘義務でもあんのかよ?」

「義務じゃない、権利だ。けど、話したところでっていうのが大きくてなぁ……。依頼人……いや、ありゃ人って言いたくないな、依頼主にしよう。遊びが過ぎるというか、ほとんど遊びというか……。俺が人に頼ると、その頼った人まで“玩具”にされてしまう。それが嫌だから、俺は一人で背負ってるってのが大きい。うまく説明できないんだが、とにかく、巻き込みたくないんだ」

 

 

 大和が真剣な表情で言っていることを、ほんの少しでも理解できたのは冬馬だけだった。その理由は至極簡単。

 

 

「なるほど。あの信じがたい現象に、大和くんも触れてしまったのですね」

 

 

 葵冬馬は一度その信じがたい存在に触れてしまった、大和に近しい立場にいたのだ。

 

 

「……? 冬馬?」

「ユキたちを巻き込みたくないという気持ちに関しては、激しく同意、というやつです。あんな奇妙奇天烈不可思議な存在に触れて、気でも狂れてしまわないかと切迫感に支配されてしまうのも無理はありませんね」

「なんだか、直江と若だけ別次元で話をしてるみたいだな」

「そりゃそうだ。別次元の話をしてるんだからな。井上、言い得て妙だったぜ?」

 

 

 準と小雪は全く理解できない話を、大和と冬馬は感覚で共有することができていた。理解できていない二人の心情を一言で表すのであれば――――

 

 

 ――――面白くない。

 

 

 これに尽きるだろう。

 

 

「それより大和。僕のことはいいから手伝わせてよ!」

 

 

 いい加減にしびれを切らした小雪が大和の肩を掴んで揺さぶり抗議した。がっくんがっくんと前後に、それも運動神経が基本的に高いSクラスの中でもトップクラスの女子である小雪の全力で揺さぶられた大和の脳みそは、バーテンダーの振るシェーカーの中に入れられた氷のようにかき混ぜられていた。ただし、中の氷は砕けないため大和の脳みそも何とか生き延びている。

 ぐわんぐわんと揺れる頭のせいで視界は歪み、五感はまともに機能していなかったが、大和はフラフラと頭を揺らしながら何とか小雪を見据える。

 

 

「や、やるべきことはもう終わったよ……。あとは待つだけなんだ……」

「じゃあ、僕たちができることはないの?」

「それは……」

「いや、手伝うことはあるぜ!」

「え?」

 

 

 大和がやるべきことは終わった、尽きたんだと伝えた直後、準はそれに反抗する態度を見せた。

 

 

「たった一つだけ、直江を手伝えることがある!」

「たった一つだけ……ですか?」

「ああ、とっておきのやつだ!」

「何か不安を掻き立てられるが……聞こう。それはなんだ?」

「直江には今、心の支えが不足していると見た。お前には安堵、休息、癒しが足りない!!」

「おー! 準が熱いのだ!」

 

 

 無駄に熱血漢を演じる準、それを煽てて盛り上げさせる小雪。それを遠めに見て微笑む冬馬と呆れ顔の大和。当事者がここまで他人ごとだと思いながら話を聞いていることは、そうそうあることではないだろう。

 

 

「だからよ直江。愚痴でもなんでもいい。辛くなったらユキに頭を撫でてもらいながら膝枕で寝ろ!」

「――――は?」

「なんだ? 膝枕より添い寝の方が良かったか? なかなか上級者ぶべらっ!?」

 

 

 準の発言に数瞬意識が飛んでいた大和が言葉を取り戻すよりも先に、小雪が高く振り上げた足を準の頭頂部に叩き込んでいた。所謂踵落としである。

 

 

「な、何言ってんだよ井上!?」

「く、ぐはっ……。痛え、痛えよユキィ……」

「馬鹿なこといったバツなのだ!」

「馬鹿なことじゃありません!」

 

 

 地面にめり込んでいた頭を力技で地面から抜いた準は、大和と小雪が引くようなレベルの形相で自身が真剣であるとアピールした。

 

 

「膝枕ってのはな、性的感情を与えないスキンシップの代表だ! 安心感と癒しを提供する最大の親愛表現だ! 知ってるか、膝枕ってのは母親が最も子供にしてあげる回数の多いスキンシップだということを! 想像してみろ、小さい子が自分より大きな彼氏に膝枕させてあげる情景を。俺は好まんが想像してみろ、お姉さんが正座をして手招きしてくる姿を。膝枕こそ“一般人が妄想するシチェーションランキング(葵紋病院調べ)”上位五%に食い込む! 心に支えが足りない、家族と離れている、癒しを求める、これらを一気に解決するのは膝枕に他ならん!」

「なるほど、一理あります」

「ねーよ! 何で厳粛に受け止めて真摯な応えを出してんだ葵! ユキ、お前も何か言ってやれ!」

「えーっと、僕は大和がしたいなら別に……」

「可愛く恥じらってらっしゃる!?」

 

 

 葵ファミリーの残り二人がが準の説得により篭絡させられる。四面楚歌、孤立無援、多勢に無勢。準の変態的力説は大和以外の人間をその気にさせてしまった。

 

 

「大和くん。私はいつでもウェルカムですよ?」

「お前に膝枕してもらうつもりは毛頭ねぇ」

「そうですか、大和くんは頭を乗せてあげる嗜好でしたか」

「なんだよその奇妙な曲解!」

「大和は僕の膝枕で、寝てみたい?」

「うっ、上目遣いは、卑怯だぞユキ……」

「委員長の膝枕とかいいなぁ……。足が痺れてきてキュッと目を瞑っているんだが、「大丈夫? 降りようか?」って気を遣おうとすると「だ、大丈夫です! 井上ちゃんは寝ててください!」ってさらに気を遣われるんだが、降りてあげたい慈愛心といじめたい悪戯心がせめぎ合って興奮する。そうだろ直江」

「その妄想の委員長をマルさんに替えてくたばれ」

「年増っ! 肉の塊っ! そんなムチムチしすぎた膝枕なら岩石の方がマシだっ!!」

 

 

 あまり納得がいかないが、くだらない会話で疲労を解消できた大和と、膝枕の約束を取り付けておいて満足気な小雪だった。

 準のくだらない膝枕の布教で、小雪の素行調査は一旦幕を閉じた。

 

 





 知らざるを知らずと為す是知るなり

 孔子

 ◆◆◆◆◆◆

 ギリギリ二週間以内の投稿になります。試験が被りこれ以上伸ばすとさらに一週間はかかってしまうため、見直しする暇もなく投稿してしまいました。拙い文章が拍車をかけて汚い文章になってしまたよな気がします。申し訳ありません。

 次回から、少し不安な回が始まります。以前書いたことなる内容と、いま頭にある内容を組み合わせて一つの文章にしようとすると、どうしても食い違いが生じてしまいそうでして……。不安なまま筆を執ります。アマチュアは勢いです。

 MNSコンテスト、引き続きリストアップしていきます。前回は下位十四名を発表させていただきました。今回は平均的位置、中央の十名をリストアップ。

  史進  CBCSA 総評B 16
 橘 天衣 BBBAB 総評B 16
 武蔵坊弁慶 SBABC 総評B 17
 ステイシー SBBAC 総評B 17
 李静初  BABAB 総評B 17
 クリス  CACAS 総評B 17
 忍足あずみ BSBCA 総評B 17
 板垣天使 SBSBC 総評A 18
 源 義経 SASBC 総評A 19
 葉桜清楚 AASBC 総評A 19

 まだ20点に到達する選手、元いキャラはいませんね。加えて、D評価なんて無様な判定を出したキャラもいません。これくらいのバランスが一般的なのかもう感覚が麻痺していますが、だいぶ評価Sが目立ってきました。
 無印ヒロインは残り一人、Sヒロインも一人。残りはサブと、攻略対象ですらないキャラ。
 不肖霜焼、最大の誤算はやはり羽黒の存在でした。

 予告。リストアップを、五名単位で詳しく。
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