真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜   作:霜焼雪

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――――山の奥にも鹿ぞ鳴くなる


藤原俊成


第二十六帖 世の中よ道こそなけれ思ひ入る――――

 

「鎖骨って、上半身の恥骨って感じがするよね」

 

 

 葵ファミリーが仲睦まじい家族を彷彿とさせるような言動を用いつつ探偵の真似事をしていた頃。早退という形をとって九鬼家の極東本部にとんぼ返りしてきた九鬼英雄が出会ったのは、背中に付けられた医療用のバンドを羽交い絞めのように締め付けられ、強制的に胸を張らされながら低俗なことを口走る少年だった。

 九鬼財閥極東本部は大扇島に高く高くそびえ立っており、厳粛、高貴といった世界の違う印象を与えてくる建造物だ。その高貴な結果、好奇な目を向けられることも少なくない極東本部に、このような一般的怪我人が一室与えられることは例外中の例外である。

 個室といっても、少年が寝ているベッド。英雄が腰掛けている椅子とセットのテーブル。何がしまってあるか分からないクローゼット。ただそれだけの殺風景な部屋で、もてなしの心など一切感じられない質素なものだった。

 

 

「だってさ、グラビアとかモデルさんとか、デコルテ見える時が一番興奮するじゃん。あのスゥ……と膨らんだ丘がまたね」

「おい伊那よ。貴様、置かれている状況が分かっておらんのか」

「……まだ拷問じゃないよね。レベルは三って感じがする。尋問だ」

「そうだ。故に我の言いたいことが分かるな?」

「黙って聞かれたことにだけ答えろって? クラスメイトに酷い待遇だよ」

 

 

 怪我人、伊那渕が九鬼極東本部に半ば強制的に連行させられた待遇は、確かに病人や怪我人に施されるようなものではなかった。両手は見たこともない形をした手錠で繋がれ、両足はガッチリとベルトでベッドに固定されていた。ベッドということだけ見れば正しく病人や怪我人の扱いだが、拘束されているという事実がそれをあっさりとひっくり返し逆転させる。

 しかし、そんな状態でも渕は笑ってみせた。これぐらいどうってこともないと威嚇しているようにも見えるし、害がないと理解しているからこそ安心しているようにも見れた。

 実際は、英雄が考えている複数の理由のどれにも当てはまらない、渕はただ、一年以上一緒のクラスであった九鬼秀夫と、状況はどうあれ会話が成立していることに満足しているだけなのだが。

 しかし、それでも自身が無視されてきたという状況に納得しきっている訳ではなく、ほんの少しだけ悪戯心が芽生える渕は、言葉の節節に刺を生やす。

 

 

「まあいいや。今まで無視されてたんだから、気づいた時に構ってくれるだけましなのかな?」

「…………我には信じがたい。我やトーマたちだけでなく、あずみの目まで出し抜くという偉業がな」

「忍足さんか。どうせどっかから俺のこと見てるんだろうけど……。堂々と姿見せてくれたらいいと思わない?」

「我の希望だ。お前と一体一、腹を割って話したいとな」

「……へぇ」

 

 

 至って真剣な表情の英雄に、渕は目を細めて感心したように声を漏らした。一体どんな言い訳を述べてくれるのか、どんな弁解を供述してくれるのか、渕は心の底で楽しんでいた。

 

 

「危険人物とか言われてるんだよね、俺。よくもまあ、一人で相対しようと思ったもんだよ」

「俄かに信じ難いことである。一年、いや二年。同じ級友であったお前を覚えていられないなどという愚かな我を」

 

 

 そこで渕は首を傾げる。若干だが、渕が想像していたよりも話の矛先がずれ始めていると感じたのだ。もはや質問でも諮問でも尋問でも糾問でも拷問でもない。責め立てられている気は一切しないし、かと言って回りくどく誘導されている気配すら微塵も感じられなかった。

 この状況に最もふさわしい言葉はなんだろうかと考えつつ、英雄の話を聞いていく。

 

 

「我はこの学園の生徒全てを、熟知とまではいかないが、浅く知って覚えているつもりであった。勿論、名前と顔程度だ。趣味や特技などは興味を持ってから深く調べる。人材確保も含めて、だ」

「九鬼の御曹司ともなると、大変なことをさも当然のように言い張るね。でも――――」

「――――そうだ。我はそのさも当然のように言い張っていたことを、できていなかった。伊那渕、お前のことは何一つ記憶にない。昨年度の学年末試験において四位という実力、そんな優秀な人材を歯牙にもかけずに生きて来たということが、何よりの恥だ!」

 

 

 ダンッ! と、英雄が机を叩いた音が嫌に響いた。響いたといっても、室内を反響して増幅しただとか、そういう類ではない。渕がその光景を見て頭と心を響き揺らされてしまったのだ。感動や感心ではない、驚愕や仰天といったものだ。

 その心の振動、心動が渕の嗜虐態度を崩壊させる。

 

 

「ちょ、何なに!?」

「抑えられぬ悔しさが溢れ出た八つ当たりだ!」

「いや何で!? 悔やむほどじゃないでしょ!」

「王は民を護ってこそ王! その護るべき民を知らぬ存ぜぬで通すとはなんたる失態かぁ!!」

「お、落ち着いてよ委員長!」

 

 

 

 

 渕は漢泣き寸前の英雄を前にして、ようやくこの場を占める雰囲気を理解した。質問でも諮問でも尋問でも糾問でも拷問でもなく――――懺悔。

 

 

 英雄が渕にしようとしていたのは、ありとあらゆる痛めつけを駆使した責めではなく、誠心誠意必死の謝罪だった。先程自分に対する責めの気配が感じられなかったのは、責めの矛先が英雄自身に向かっているからだと渕は理解した。

 

 

「どこまですればよい! 何をもぎ取ればよい!」

「もぎ取る!? 何その発想! 果実じゃないんだからさ!」

「しかし! これでは示しがつかんではないか!」

「気にしすぎ! ちょっと初めに嫌味ったらしく接してごめんなさい! なんで俺謝ってるか分かんないから一旦落ち着こう!」

 

 

 英雄の示しのつけかたが渕の遥か斜め上を突っ切っていった。現代日本では切腹でさえ薄れてきているというのに、体の一部分を差し出すような行為はさらに時代錯誤である。一般人を自負していた渕にとっては見たくもない光景であろう。

 その豪快というか、振り切って余りある勢いに気圧された渕は思わず謝罪してしまう。こんなところでも簡単に鍍金は剥がれてしまうのか、などとくだらないことを渕が考えていると、英雄が漢泣き一歩寸前のところまで極まっていた。

 

 

「我はなんと情けない……。一人の級友すら己の記憶に焼き付けることができぬとはッ!!」

「あっつい、あっつい! いつも遠目で見てただけで熱かったのに、こっちにその熱源を向けるな! 暑苦しいわ!」

「王の愛を与えるには、勢いとッ!!」

「あだっ!?」

 

 

 渕の鎖骨が砕け散って治療を受けているにも関わらず、英雄は渕の肩をガシッ! と鷲掴みにし、渕の目元に涙を浮かべさせた。そしてほんの少しだけ後ろへ体を反らした英雄は――――

 

 

「抱擁だぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 

 

 ――――上体を反らした反動を利用し、固定用のバンドごと渕を力いっぱい抱きしめた。

 

 

「いぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「フハハハハ!! よいよい! よい肉付きだ! 背筋と胸筋が引き締まっているぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 

 

 ◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「紹介しよう! 妹の紋だ!」

「フハハハハ! 九鬼紋白である!」

 

 

 十数分後、激痛と暑苦しさに精神と体力を根こそぎ持って行かれた渕は、英雄が連れてきた渕よりも十数センチも小さい少女が、慎ましい胸を大きく張っている姿に癒されていた。英雄に似た暑苦しい笑い方をしているが、不思議と微笑ましく見えてしまう。

 

 

 ――――いや、俺はあのハゲとは違う。

 

 

 自分が少女に癒されている姿を客観的に見て、同じクラスの幼女嗜好の男子生徒を思いだして我に返る渕。今回癒されているのは、その前に触れた人物があまりに濃すぎることによる反動だと自身に言い聞かせる渕。しかし、どう弁明しようが傍から見れば変態そのものである。

 

 

「兄上! この者が例の暗殺者ですか?」

「否! こやつは伊那渕、我がクラスメイトにして新たな友だ!」

「おお! 兄上のご友人!」

 

 

 ――――この兄妹は常時喧しいのか?

 

 

 発言の一つ一つにエクスクラメーションマークがついているようなハキハキとした会話に、渕は僅かに目眩を感じてしまう。約十数年間を平穏かつ穏便、そして無関係に過ごしてきた渕にとって、九鬼兄妹の熱量は太陽のようで、輝かしさは額の十字傷が夜空に輝く一等星のように見えてしまう。

 それでも、渕は何とかコミュニケーションを取ろうとする。彼は近年患者が増加しているコミュニケーション障害という病にかかっているわけではなく、ただ経験不足なだけなのだ。

 

 

「は、はじめまして。伊那渕って言います」

「うむ! して、伊那殿!」

「ど、殿……?」

 

 

 ――――後輩からは先輩とかさん付けで呼ばれるもんだと思っていたけど、殿ってパターンがあるのか……。

 

 

 友人総数暫定二名――男色の無頼漢と目の前の熱血漢の二人――の渕は、ネットサーフィンや読書で得た知識と現実は違うということを思い知らされ、事実は小説よりも奇なりと心の中で反芻した。もっとも、この状況が極めて例外なだけで、渕の中にあった知識はほとんど間違ってはいなかった。

 

 

「伊那殿はヒュームの攻撃を回避し続け、ヒュームに拳を入れることができたと聞く。その理由は何故であるか、我に教えていただきたい!」

「え、説明するの……?」

 

 

 渕は紋白のキラキラと輝く瞳を前にして、しばらく考えた後に申し訳なさそうに(こうべ)を垂れて後頭部を掻いた。紋白の好奇心に答えを提示してあげたい気持ちはやまやまだった渕だが、それを事細かに説明し理解させる話術と語彙を持ち合わせていなかったのだ。

 

 

「実践して見せたら早いんだけど……。これじゃあ無理だね」

 

 

 渕は自身の両手に架せられた手錠をガシャガシャと鳴らし、行動できないことを大げさにアピールした。しかし、その程度のアピールで拘束が解かれるなどと、渕は微塵も思っていない。精々開放ではなく緩和だと、渕は自身の置かれている状況を達観し、諦観していた。ましてや、主を守る従者が一人もいない個室で、暗殺者容疑がかけられている人物が野放しにされるはずがなかった。

 

 

「ならば、外してやろうか?」

 

 

 などと、諦めの境地に達していた渕に、紋白は予想外の言葉を吹っかけた。その言葉に渕は目を白黒させてしまう。

 

 

「そうすれば、その才能を我に披露してくれるのだろう?」

「…………いや、いやいや。何でそうなるのさ? 俺は殺人未遂……? だか何だか分からないけど、危険人物ってことになってるんでしょ?」

「それは関係ない。兄上が友と言っている。それだけで信用に値する!」

 

 

 何を言っているのか渕には理解できなかった。友という関係性がそこまで重要視されるなどと、渕の知識には存在しなかった。仁や義と言った人との礼節を重んじ筋を通す重要性は渕も知っていた。哲学や古典の勉強をしていればその程度の教養は身につく。しかし、たかが肉親が友人だと紹介した程度で、危険人物というレッテルがいとも簡単に剥がれ落ちることは考えられなかった。そんなことが簡単に罷り通るのであれば、今の世の中はあっけなく崩壊し秩序を失う。

 それでも、この九鬼の血筋はそれが理屈として通っている。一般ではなく異常だと自身を再認識したばかりの渕が、更なる異常性を前に震え上がる。

 

 

「……手錠、外さなくていいよ」

 

 

 異常性と理解に及ばない絆というものに対し、混乱に混乱しきった渕はそう呟いた。

 

 

「何とか自分の言葉で、理屈だけでも説明する。うまく伝えられないかもしれないけど、それでもよかったらそれで」

「うむ! 伝えようとする意思は大事だぞ!」

「はは……。委員長、アンタの妹さんは肝が据わってるよ」

「自慢の妹だからな!」

 

 

 肉親を一切疑おうとせず、まるで無垢な少年少女のように互いを信じあう彼らが、渕はどうしても眩しく見えてしまった。

 自身の唯一の家族である両親でさえ信じることができず、挙げ句の果てに尾行までして反抗期を起こした自分自身が、渕はどうしても情けなかったのだ。何も話してくれない両親も両親だが、何も聞こうとしない自分も自分だと、渕は反省していた。しかし、渕が両親に対し、職業や何か隠していることについて聞きたい気持ちはあった。それでも、何か知ってはいけないことがあるのではないかという恐怖に押し潰されそうになり、渕は素直に両親に質問ができなかった。

 だからこそ、疑問も抱かず、質問すら不要とし、互いに分かり合えている目の前の兄妹が羨ましかったのだ。その羨望の対象に、渕は綱渡りのように言葉を繋ぎ、自身の才能について拙い文章を送る。

 

 

「……俺の才能は、胸を張れるようなものじゃあない」

「そうなのか? ヒュームを笑顔にさせたのだから、自信を持っていいと思うが?」

 

 

 

 

 

「誇れないよ。だって、俺の才能は殺す技術だから」

 

 

 

 

 

 

 

 シーン……と静まり返った個室。そうなることは明白だったのか、渕は構わず沈黙を破るように言葉を紡いでいく。

 

 

「人だとか、生物は殺せない。俺が殺すのは、この世に歴然として存在する、“油断”、“無意識”といった“隙”だよ」

「隙を、殺す?」

「俺だけに見えるんだろうけど、感覚的に感じることができるありとあらゆる隙が、俺の食料になる」

 

 

 そう告げる渕の視界には、英雄や紋白の周りにまとわりついている黒い穴のようなものが存在していた。渕からすればそれは不思議な存在でもあり、最も身近な存在だ。この二年間、無意識とはいえ、好んで殺し続けた愛しい存在であるからだ。

 

 

「渕よ。その、隙を殺してどうなるという?」

「正確には、隙を媒介にして回避したり攻撃したりするんだ。その際に、隙を殺すってだけ。難しいだろうけど、理屈はこれなんだ。例えば……そうだね、二人は呼吸を意識したことはある?」

 

 

 渕は自分の喉と胸の中間、渕が言うところの上半身の恥骨がふたこぶを作っているちょうど間、喉仏の僅かに下をトントンと人差し指でつついた。それを言われ、紋白と英雄は小首を傾げながらも自身の呼吸を確認する。

 最新設備により適温適湿に設定された室内の空気を吸い込み、体内で濁った空気を排出するその行為自体は、紋白も英雄も、話を振った渕でさえも当たり前のように行う生きるための一工程。それを意識したことがあるかと言われれば、誰しもがイエスであろう。

 肩で息をするという文章はごく一般的であるし、冬の寒い季節になれば白い息を見て風情を感じ、ラジオ体操では深呼吸を締めの動作として取り入れ、水泳では息継ぎを基本として習得する。無意識でも行える行為だが、それを意識したことがないことは九分九厘ありえない。意識することは通過儀礼である。

 

 

「そりゃあるさって顔をしてるね。でも、意識しなくてもいい。無意識に行える。それを俺が“支配”できるって言ったら、どうする?」

 

 

 渕は自身の首をぐっと握り締める。手中に収めることなど容易いと、不敵な笑顔で仄めかす。この時の渕の心情は、好奇な瞳で見つめられことに対する悦で満たされていた。

 

 

「呼吸の切り替わりは、無意識内にある最大の隙の一つなんだ。それを殺して、攻撃する。他の隙と言えば、瞬きで目を閉じた瞬間とか」

 

 

 一体何を言っているんだと、紋白と英雄は疑問符を浮かべてしまう。呼吸だの瞬きだの、そんな刹那的時間を見計らって行動するような技法は不可能であり、無意味であると二人は切り捨てる。仮にその瞬間に合わせた速度を伴う攻撃ができたとしても、相手が呼吸を切り替える瞬間を予測できるはずがないと突き放す。

 しかし、目の前にいる異常者はそれをさも当然のように語りかける。そのスタンスたるや、経済学の知識がないものに「新自由主義っていう思想があるんだけど」と、理解できることを話す学者のような立ち位置。つまり、渕にとってその世界は当たり前なのだ。

 

 

「俺が感じ取れる隙は大きく分けて四つ。一つは今言ったような、人間が生きていく上で停止できない反射的行動内の切り替え。一つは、A地点からB地点までの距離という空白。一つは、物質が構成する上でどうしても必要な接合部と溝。そして極めつけが、油断や慢心といった心の隙」

「…………この際、理屈は無理矢理、甚だ不本意ではあるが納得したことにしよう。隙と空間を同一視することも受け入れておこう。では、それでヒュームを打倒し得た謎は何であるか?」

「問いかけが形式張っててこそばゆいね。えっと、ヒュームって執事は目を沢山瞑っていた。癖だね、あれは。それに加えて、格下だと見下すその余裕な態度。これもまた俺の好物だ。普通の格闘家ならまともに戦えないだろうけど、俺ならまともじゃない手で戦える。勝てるとまではいけないけど」

 

 

 

 

 

 

 

 ――――ようやく本質を理解し、物にしたか。“生来”の影法師。

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、ヒュームならば目を瞑っていようが気配を読み取れると思うが」

「無理じゃあないかな。気配を文字通り殺した状態だと、俺が背後に瞬間移動しているようなものだから。反応できるとしたら、俺と同じように無意識的な能力者か、単に影が薄い奴。あの執事、おっそろしいほど濃いでしょ?」

「フハハ! それは否定できんな。紋のクラスでも異彩を放っているようだからな!」

「いや、あの図体と年齢じゃ異彩どころか極彩色……」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「九鬼揚羽! 降臨である!」

 

 

 場所は変わり、極東本部内にある訓練場へと呼ばれた渕。そこにはまたしても額にバツ印を刻んだ、英雄よりもさらに貫禄のある女性が仁王立ちしていた。

 

 

「我、九鬼英雄と!」

「我、九鬼紋白の姉上である!」

「ああ、うん。説明不要な血筋だね。見なくても声と覇気で九割理解できた」

 

 

 九鬼揚羽、九鬼英雄、九鬼紋白。世界の九鬼の時代後継者を三人も前にした渕は最早満身創痍だった。その疲労は、彼の人生で全く経験してこなかった精神的困憊。強固な精神を持たない渕にとっては、常時紙やすりでガリガリとハートを削られている状態だ。

 

 

「お前が奇っ怪な妖術を使う暗殺に長けた忍か」

「まだ誤解が解けてない!?」

「うむ! まだ疑いは晴れ切った訳ではない。これは紋と姉上と相談して決めたことだ!」

「我と手合わせをし、お前の言葉の真を確かめる!」

 

 

 厄介なことになってると、渕は瞬時に自信が置かれている状況を把握した。明らかに興味本位の行動の中に巻き込まれつつあると感じ取った渕は、つい先日覚醒しきったばかりの能力を駆使して脱出口を探す。

 しかし、渕は脱出までの隙の道筋を見つけることはできなかった。

 出口は揚羽の背後に一つ、窓も扉も一切ない。壁を壊して逃げるという手も考えたが、完全な防音どころか耐久性も完璧に作られた部屋の分厚い壁を破ることは、渕の異能をもってしても一瞬とはいかない。揚羽を出し抜き入口を破壊し逃げることも考えたが、渕の油断を見切る目がそれを拒絶する。唯一の出口である扉の奥から、尋常ではないほどの“警戒”が見て取れたのだ。油断の対極にあるとも言える警戒を、渕は同様に感覚で感じ取れていた。

 

 

 ――――あの老執事二人のどっちかか、それくらいに強い人が配備されてるね。

 

 

 渕は脱出を潔く諦める。少し検討して直ぐに結論を下すのはどうかと疑われるが、渕としても長時間の能力使用は避けたかった。自覚し覚醒したといっても、それを効率よく運用できるかどうかはまた別の問題。渕は長時間意識下で能力を発動することができるのは、精神的に一分持てばいい方だと考えていた。こまめに能力を節約しつつ使うことで三分長引けば上等とも考えていた。暴走状態に陥る無意識下の能力行使ならば十分は持っても、その後の体力や安全は保証されない。だからこそ、渕は最小限の能力使用に抑えようとしていた。

 

 

「本来ならばヒュームたち従者部隊に任せるべきなのだろうが、我が興味を持ってしまった以上、やらねば気がすまぬのでな!」

「うわぁ超自己本位」

「して伊那よ。紋たちに言って聞かせた殺す技法、果たしてそれが本当に人殺しの技でないか見極めさせてもらおう! 英雄、手錠を外していいぞ」

 

 

 揚羽が拳を構えたことを確認した英雄が、真っ黒なカードを取り出して渕の手錠にかざした。すると、バキンッ! と大きな音を立てて手錠が四つに分裂し床に落ちた。

 

 

「……さっきから気になってたんだけど、この手錠何?」

「非常に強力な電磁力を利用した手錠だ。力技で破壊できるのは壁を越えた者くらいだろう」

「そんな高磁界を利用しないでよ……。人体に影響でないように設計されてはいるんだろうけど……。ところで委員長、壁をどうにかしちゃったなんちゃらってのは何なの?」

 

 

 自称異常者新入り、伊那渕は異常者の基準たる壁越えを知らなかった。

 

 

「壁を越えた者、それは自身を限界まで鍛え上げた末、強さの上限値を飛び越えた強者を指す言葉だ。この九鬼にも数名存在している。我が姉上も壁を越えた者だ」

「その、壁を越えた者ってのはどれくらいの割合でいるものなの?」

「この川神の武人だけ数えるのであれば、両手の指で事足りる」

 

 

 ふむ、そう口に出し一息入れてから渕は思案する。その“壁を越えた者”というものがいかに異常で異質なものかは、あくまで“なんとなく”理解できていた。一度、ヒューム・ヘルシングという壁を越えた者の中でもトップクラスの存在と手合わせをしたからだ。ヒュームが壁を越えた者であるならば、そう仮説を立てて渕は更に考察する。

 

 

「揚羽さん、でいいですか?」

「うむ、気に入らぬのなら揚羽様でも構わぬぞ!」

「揚羽さんにします」

 

 

 ――――この家系の性格の遺伝率はどうなってんだよ。

 

 

「勝負の方法を提案します」

「聞こう。申せ」

「揚羽さんは俺を気絶させたら、俺は揚羽さんに十撃与えたら勝ち。どうです?」

「……ハンデを要求するか?」

「さっきも言いましたけど、俺は人を殺すことができません。気絶くらいならなんとかなりそうですけど、ヒュームとかいう執事さんはダウンする気配もありませんでした。ので、こういった形に」

 

 

 ふむ、そう口にして揚羽も渕同様に思案する。ヒュームを気絶させるということがどれほどの偉業であるかを理解していないからこそ言える、そう考えた揚羽は、渕に与えるハンデが正当なものであるかを確かめる諮問へ移る。自身を敢えて低く見せながら相手の懐を弄ろうとする。

 

 

「ヒュームと比べられると、ちと痛いな。あれをまともに相手にした時点でお前は十分な異常者だぞ? 壁を越えていても問題のない異能者にハンデの権利はない」

「俺という鍍金(偽物)金塊(本物)と理解したばかりです。俺は十二分に異常者です。人を殺せないだけで、使う技は常軌を逸した外法みたいなもんです。このハンデは正確に言えば、満足に戦えない俺の体に対する労わりって意味合いが強いですよ」

 

 

 揚羽は目を丸くした。目の前にいる人外の技を使う少年が、自身を異常だと堂々と宣言した上でハンデを求めていたのだ。

 しかし、渕からすれば、まだ一般人と自認していた頃の癖が抜けていないというのもある。まだ鍍金から完全に脱したと納得しきれていないというのもあった。渕が提案しているこの組手は、壁を越えた者という基準がまだ不明瞭かつ、武に関してはドが付くほどの素人である渕にとっての、説明会である。

 

 

「これから俺は厄介事、戦闘に巻き込まれることが多くなるでしょう。そんな非日常な生活(ゲーム)を始めるにあたっての練習試合(チュートリアル)です。そんな殺し合いみたいな殺伐なものはやめましょうよ。俺だってこう見えていっぱいいっぱいなんです」

「ゲーム感覚で我との対戦を望む、か。フハハハハ! 片腹痛い、が、故に興味深い! その条件を受け入れようではないか!」

 

 

 九鬼揚羽は大いに笑う。目の前にいる生まれたばかりの化物に、ひょっとすれば自身を超えるかもしれない存在に稽古をつけようとしてるこの状況を、揚羽は滑稽だと大らかに嘲笑する。

 

 

「英雄、紋! 下がっていろ。怪我をしたくなければな。ゾズマ、中に入って二人を護っていろ!」

「畏まりました」

 

 

 揚羽の呼びかけに、一人の長身の黒人が扉を開けてゆっくりと入室してきた。その身長は渕よりも頭一つ分は大きく、ウェストがしまって見える燕尾服のせいもあってか、その肉体には非の打ち所がなかった。

 

 

 ――――さっきの見張りの役はこの人か。強いみたいだな……。

 

 

 隙を殺す少年、渕はゾズマ・ベルフェゴールの立ち振る舞いを見ただけで、言葉には出さないものの強さをヒシヒシと感じ取っていた。ヒュームとは違った自信家、しかしその隙はヒューム同様。渕からすれば“やりやすい”部類であった。勿論、好んで戦おうとはしないが。

 

 

「英雄様と紋様は確実にお守りいたします」

「任せたぞ……。さて、やるとするか、伊那渕」

「お手柔らかに……」

 

 

 英雄と紋白がゾズマの背後に回り、揚羽が拳を突き出し構えたことを確認してから、渕は力を抜いた両手をだらりと垂らし中腰になった。

 

 

「ゾズマ。合図も頼む」

「畏まりました」

 

 

 二人の構えが取れたことを、ゾズマは二度しっかりと確かめ、右手をすっと挙げた。

 

 

「それでは――――始めっ!」

 

 

 揚羽はまずは出方を伺おうと意識を渕に集中する。一度握った拳を更に強く握り、どこから攻撃が来てもいいように細心の注意を払う。

 

 

 

 

 

 

 

「それが既にダメなんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 どすっ、と揚羽の背中に拳がめり込んだ。

 

 

「――――かはっ……?」

「開始と同時に動くべきでしたね。直立不動は俺の好物です」

 

 

 背中、正確には背骨の内側にしなっている最も体重などの負荷がかかりやすい部分に衝撃が走ったと理解するまで、揚羽は三秒以上も要してしまった。

 それを見て驚いたのは揚羽だけではない。ゾズマの背後から見守る英雄と紋白、更には揚羽と同格かそれ以上の強さを持つゾズマでさえも、渕の動きを完璧に捉えることはできなかった。ゾズマが捉えることができたのは、揚羽の後方数メートル先にぶれて見えた残像のみ。従者部隊序列四番、それも能力の中でも武を考慮に入れられた人材であるゾズマに冷や汗をかかせた渕は拳を収め、試合開始時と同じ位置に瞬間的に移動した。

 

 

「俺みたいな“影”は人の背後に回り込むのが大得意でして。影法師はそうやって生きていくんですよ」

「……く、くく、フハハハハ! 侮っておった! あれほど自身に人外だ人外だと言い聞かせた結果がこれか! 謝罪しよう伊那渕、お前をまだ壁を越えた者の中でもまともだと思っていた!」

「強いか弱いかじゃなくて、まともか異常かって判断基準なんですね」

 

 

 揚羽の高笑いに渕は少しだけ頭を抱えた。その笑い方、自身が一本取られたような口ぶりであるのに、強敵との対峙に歓喜しているようにしか見えない態度が、戦ったばかりのヒューム・ヘルシングを彷彿とさせるからだ。

 

 

 ――――揃いも揃って戦闘狂、か。

 

 

 渕は戦闘狂と壁を越えた者が酷似していると判断する。ヒューム・ヘルシング、九鬼揚羽、ゾズマ・ベルフェゴールの三名しか壁を越えた者と認識していないが、それだけでも渕が壁を越えた者として見なすには十分だった。

 渕の通う川神学園には、壁を越えた者とされる人物がまだ複数人いるが、渕が覚醒してから出会っていないため、渕はその事実を知らない。

 

 

「さて、続きを始めよう」

「それじゃあ、今度は先手を譲ります。これでおあいこでしょう?」

 

 

 そう言って渕は再び両手を無気力に垂らした。挑発されているのか、はたまた意味もなく“先手を譲ったのか”、揚羽に渕の真意は読み取れない。

 

 

 ――――確か、こんな感じで言えば上手くいくはず。

 

 

 渕の考えは、漫画やアニメで培われた経験皆無な重みも深みもない希薄な言葉だということを、揚羽は知る由もなかった。

 

 

「ならば、行くぞ!」

 

 

 掛け声とともに急接近してきた揚羽に対し渕が少しだけ腕を挙げた。それを見た揚羽は急停止すると見せかけ、小刻みにステップを繰り返して渕の背後に回った。その速度はゾズマの目でようやく追えるレベル。英雄と紋白には急に消えた揚羽が渕の背後に突如現れたように見えたことだろう。

 揚羽の狙いは、意趣返しと言わんばかりの背中。それもほぼ同じ位置に拳を叩き込もうと拳を振りかざしていた。

 

 

 しかし、揚羽は渕という異能者を理解していても、その理解が渕の異能自体に及んでいなかった。

 

 

 揚羽の拳は空を切った。瞬きなどしていないはずなのに、目の前が強制的に遮断されたように渕の姿を隠し、消失させる。

 拙い、そう悟った揚羽は拳を収めることもせず即座に前方へ飛び出し、訓練場の中を全力で駆け回った。その際に生じる衝撃は凄まじいものだが、それをゾズマは得意な脚技で相殺させて英雄と紋白を保護する。ゾズマのその対応を信じきっているからこそ、揚羽は気兼ねなく渕との手合わせに集中できた。

 揚羽は天井、壁、床、全てを跳ねるように駆け巡っていた。いつどこから現れるか分からない、気配を文字通り殺し続ける渕を目指することはまず不可能だと察した揚羽は、不本意ながら渕のエネルギー切れを狙っていた。防戦に近い作戦に揚羽自身が納得していないが、初めて戦うタイプの人間に勝利するための苦渋の決断であったと言える。

 

 

 

 

 

 

 

「どーん」

 

 

 

 

 

 

 

 その苦渋の決断も、床を蹴ろうとしていた脚を払われたことで無意味となった。

 

 

「なっ!?」

「足払いはカウントなしだけど――――」

 

 

 脚を払われバランスを崩した揚羽は無様に背中を床に叩きつけられ、天井を見上げる姿勢を取らされ、二本の指を突き立てて振り下ろさんとする影法師が視界に入った。揚羽は防御のために気を濃く覆うが、それだけしかできなかった揚羽の胸に容赦なく貫手が襲いかかった。

 

 

「っ――――ぐっ?」

 

 

空気が肺から吐き出された瞬間を狙われ貫手を突き込まれ、悶絶するような激痛に、揚羽は思わず声にならない声を上げそうになり、突如不思議な感覚に陥る。

 

 

「手を、抜いたのか……? お前……!」

「違います。意外と全力ですよ。俺は気なんか扱えないんで、一点集中で攻撃しないと、幾等弱所を突いているからといっても通りません。所詮は弱攻撃ですので」

 

 

 決して瞬間的ではないが、肺を襲った痛みは気による自然治癒力の向上によりじわじわと回復していくのが揚羽にも分かった。一瞬だが痛みは相当なものだったが、その痛みは恐るべき速さで消えていったのだ。例えるならば、注射器をぐっと差し込まれ、直ぐに抜かれた様に近いであろうか。痛みの大小はあれど、触らない限り違和感しか残らないというのは双方同じである。

 その感覚、後になって痛覚がはっきりと残らない現象を、揚羽は手加減だと思い激昂しかけたが、それを渕は自身の単なる力不足と主張した。

 

 

「何度も言いますが、異常を自覚したばかりな上に、ド素人ですので」

 

 

 思わず揚羽は悪寒を感じ取った。目の前にいる人間が、自分と同種でありながら異質である、そんな奇妙な矛盾が手を伸ばせば届く位置にいることが何よりも気味が悪かったのだ。

 揚羽がそっと手を伸ばそうとした瞬間、馬乗りに近い体勢であった渕は文字通り消え、数メートルの距離を置き再び腕を垂らしていた。

 

 

「あと、八撃」





 失敗の最たるものは、失敗した事を自覚しない事である。

 カーライル

 ◆◆◆◆◆◆

 通常定期よりも一週間以上の遅延、申し訳ありませんでした。予め七月は一度の更新で終わってしまいそうだと宣言していましたが、どうやら本当にそうなりそうです。重ね重ね、申し訳ありません。
 渕が漫画で得た知識を元に自分らしさを組み立てようとしたせいで、若干の中二が組み込まれて言っています。自分のことを影法師っていう学生がいてたまるものですか。数年後、自分を振り返って悶々とする渕が、ざまぁ、というやつです。

 第一回MNSコンテスト、最終報告回。上位5名をご紹介。

 武蔵小杉  SASAB 総評A 21

 チュートリアルではしっかりと立ち絵が用意されているのにも関わらず、本編でのまともなCGといえばA‐2での紋様との焚き火くらいしかないという不憫なキャラがトップ5です。絶妙なかませ犬ポジションでありつつ、汎用性の高いキャラに許されたのは年中ブルマスタイルと、引き締まったウェストでした。

 小笠原千花 SSABS 総評A 22

 老舗小笠原の看板娘、ビッ○を振舞う処女という新しくもない一般的クラスメイトを任されたスイーツのスタイルは恐るべきものでした。全キャラ中二人しかいない理想のバスト/ウェスト比Sの理想ボディ。この美しさを表現するならば、「理想のボディすぎる老舗看板娘」とかいうビデオが某サイトで上半期売上1位になるレベル。因みにもう一人はクリス。貧乳と呼ばないであげてください。

 大友焔   SSSSB 総評S 23

 ついに最高評価ランクSに入りました。上位3位入り、これはヒロイン昇格も黙って頷くことができるレベルでしょう。西の勢力恐るべしと言ったところでしょうか。ウェスト引き締まってますがDカップあるので、大筒の肩掛け紐がぐいっと食い込んだ時に最高の光景が見られると思います。はぁ、はぁ、はやく攻略できないかなーと、息を荒くしているほむほむファンの皆様の鼻息が聞こえてまいります。お仲間ですね。

 大和田伊予 SSSSB 総評S 23

 相当初めの方にモブキャラがどうして台頭してくるのか、その実例として挙げさせてもらったベイ子、元い伊予ちゃんです。小動物見たいとまゆっちたちが評価していますが、その実隠れ巨乳、桃尻、程よいくびれという「クラスにいたら確実にモテるスタイル」を越えて「あまりにも美しすぎる高嶺の花スタイル」にまで至っております。それを帳消しにしてしまう野球熱の存在が、彼女を単なるモブから純ヒロインに押し上げたのでしょう。こんなこに応援されて優勝できない☆は断罪もの。

 椎名京   SSSSA 総評S 24

 愛の力で磨き上げた肢体は、型を取って削り取るだけでルーブル美術館に飾られるバランス。思わずミケランジェロが考える人のポーズをとってあの美しさの表現方法を悩んでしまう程の悩ましいスタイル。よほど奇っ怪な嗜好を持っていない限り性別を超えて美しいと憧れてしまう。モデルやっていたら専属とかできずに引っ張りだこになるような黄金体型。何が言いたいかというと、軍師はよく何年も誘惑に耐える事が出来たなということ。京は煩悩とかすっ飛ばして生物根源的に見惚れる羨望の対象なのだが、軍師はそれを拒否し続けている。嫉妬を通りこいて崇めるレベル。


 予告、ネタ尽き。

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