真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜   作:霜焼雪

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――――野守は見ずや君が袖ふる


額田王


第二十七帖 茜草指紫野行き標野行き――――

 

「フハハハハ! どうした伊那よ! お前の勝利にはまだ五発足りないぞ!」

 

 

 渕が揚羽との組手を初めて僅かに一分、片膝を尽き体力の消耗により苦しめられていたのは渕の方だった。渕の目の前で堂々と笑う揚羽を見上げようとするも、渕が見続けているのは滴る汗が染み込む床だけ。首を上げることすらままならなくなっていた。

 その光景を見た紋白は、警護の任についていたゾズマに疑問を投げかけた。

 

 

「ゾズマ。何故伊那殿はあのように疲弊しきっているのだ?」

「単純な燃料切れ。そう考えるのが妥当でしょう」

 

 

 戦闘特化の執事、九鬼家従者部隊序列四番のゾズマ・ベルフェゴールは、やれやれといった具合に渕の情けないさまを見ながらそう答えた。

 ゾズマは紋白と英雄を守ることを第一としつつ、目の前で繰り広げられる光景に興味を持っていた。壁を越えた者たちを圧倒する奇妙奇天烈な能力者が、如何にして自分の主人である揚羽を圧倒しようとするのかを観察していたのだ。ゾズマは目の前で行われる二人の戦闘を間近で観察し、仮説を立てては打ち破られ、仮説を立てては打ち破られを繰り返すことにより、渕の能力の対策に誰よりも近づくことに成功した。

 

 

 ――――あの力、“殴られた瞬間にその手を掴むことができれば”反撃は容易だな。

 

 

 神出鬼没雲散霧消、突如現れふわっと消えるその不明瞭な気配を操作する渕を追いかけることや、瞬間移動の如く速度で出現と退避を繰り返す渕から逃げ切ることは至難の業。そこまで分かったゾズマは、反撃の緒をあっさりと見つけてしまう。

 たった二回の攻撃を見ただけでそこまでたどり着いたゾズマ。それならば、二回も実際に攻撃を食らった揚羽がそこに到達できないはずがなかった。

 そこで揚羽は敢えて直立不動することにより一撃をくらい、堪えた。渕はその行動に疑問を持ったが、好機と捉えてしまった渕は揚羽三回の攻撃を一気に打ち込もうとした。しかし、それが仇となった。

 一発目の貫手は揚羽の肝臓を貫き、二発目の手刀は肋骨と肋骨の間に差し込むように水平に打ち込まれた。いけると確信した渕が三発目を鳩尾に打ち込んだ瞬間、渕の異能が消し飛んだ。

 

 

 ――――げっ、配分ミスった。

 

 

 渕の体から、プシュウ……という擬音と共に今まで食い殺してきた隙の残骸が抜け出してしまった。渕の脳内計算におけるエネルギー運用は完璧だったが、それを実現できるかどうかは別の話であったということだ。渕の気配は殺し続けることができなくなった瞬間、それを見逃さなかった揚羽に掴まれてしまう。

 渕の異能がきれたことに揚羽は即座に気づいたが、気配を殺し続けている状態の渕から攻撃された瞬間に、渕の腕を掴むことは成功していた自信があった。渕からすれば自身のミス。揚羽からすれば自身の作戦勝ち。どちらの主張が正しかったのかは神のみぞ知るといったところだが、この瞬間に渕の体力が削られることが確定された。

 揚羽は掴んだ手を引き寄せ、渕の顎めがけてアッパーを繰り出した。回避能力や攻撃能力が向上したところで、耐久力は一般的人間よりもほんの少しだけ上という性能しか保持していない渕は、それを何とかして回避しようと全力を振り絞った。その結果、揚羽の視界を歪ませつつ限界まで上体を逸らすことで拳の直撃をまぬがれ、揚羽の拳に空を切らせた。

 しかし、それで渕のエネルギーに底が見えてしまった。ほとんど透けることのない牛乳の入ったコップの底が見えてしまうような、そんな少量の精神力しか残されなかった渕は、無様にも揚羽の前で膝をついてしまう。そして、揚羽は完全に優位に立ったとして高笑いをしたのがつい先程のことだった。

 

 

「降参するならば意識を奪うことはやめてやろう。怪我人に対し少し大人気なかったな」

「くっ……そ……!」

「まずは怪我を治すことを優先することだな。万全の状態でない上に、目覚めたばかりの化物では少し無理があったろう」

「揚羽様もお人が悪い。わざと攻撃を喰らうなどと」

「そうでもしない限り、こやつの攻撃に対して反撃はできなかった。ゾズマ、お前もそう考えていたであろう?」

「そうしていたか、若しくは爆破していたでしょうね」

「相変わらず危ういやつだ」

 

 

 揚羽とゾズマは笑いながら会話をしている。目の前にいる渕に対し、賞賛どころか批判すら行わずに、揚羽はゾズマとの会話に意識を切り替えた。

 決闘の最中に、もう自身の勝ちだと決め付け会話を始められる屈辱的状況。膝をついている渕は息を整えながら、いま自分が置かれているこの状況を理解できていなかった。

 

 

 ――――なんだこいつら。

 

 

 渕は床を凝視しながら、床につけていた手をぐっと握り締める。その握り締めた拳からは、無意識に爪で弱所を付いたことによりできた切り傷から溢れる血が滴っていた。

 

 

 ――――おい、何を談笑しているんだ。

 

 

 今、渕が抱いている感情は、渕が生まれて一度も抱いたことのない感情だった。人に無視され続け、感覚という感覚が麻痺しきっていた渕には体験する機会がなかったとも言える感情。ひょっとすると、普段から抱えてきたせいでその感情自体を無意識下に放りやっていたのかもしれない。

 渕は目を見開き、顔を横に向けてくだらない会話をしている揚羽を睨みつける。そこには殺意は存在しない。妬みも嫉みも存在しない。有るのは、理解しがたいという疑いのみ。

 

 

 ――――アンタら、人のこと下に見すぎだよ。

 

 

 圧倒的な自尊心の台頭。渕が今まで抱く必要がなく、気づく必要のなかった安っぽいプライド。自身の有能さを自慢しようにもする相手がおらず、プライドというものは静かに無意識の中に沈んでいった。しかし、今こうやって普通に接してもらえることが段々と当たり前になったせいで、渕の溜まりに溜まったゴミのようなプライドは山を成し、怒りとなって表層へ現れる。

 

 

 ――――刻んでやる、見せしめてやる。アンタらの油断ってものが、どれだけ愚かなのかを!

 

 

 

 

 その瞬間、渕の周りの空間が激しくぐにゃりと歪んだ。

 

 

 

 

「「!?」」

 

 

 ゾズマは咄嗟に揚羽の腰を抱きかかえ、紋白と英雄達と同様に自身の背後に回して警護に入れた。目の前にいる存在の異常行動、“警戒レベル4”の危険人物の不可解な行動は主の危険へ直結する。シンプルすぎる考えではあるが、それは従者としては素早く正しい行動だった。

 その危険人物、渕は揚羽とゾズマを睨みつけ、立ち上がる。

 

 

「おい非常識人。タイマン張った奴に対して、そんな簡単に意識逸らして許されると思ってるの?」

「伊那渕。それ以上奇妙な行動をとるのはやめろ。拘束されたくなければ――――」

「今はアンタに話しかけてないよ。黙っててよ執事さん」

 

 

 ゾズマの言葉に聞く耳を持たない渕。ゾズマと揚羽の二人を意識して凝視しているが、渕のプライドが傷つけられたことにより生じる怒りの矛先は揚羽に多分に向いている。

 

 

「いや、なに。勝負はついた。火を見るより明らかに――――」

「ルール、決めたろ。俺が気絶するまでって。何が降参すればだよ。仮にその提案が通っていたとしても、俺は降参してない。アンタの選択したくだらない会話という行動は、怪我を背負って拉致された上に勝負を申し込んだ一人の人間に対しての態度じゃあない。これは侮辱ってやつじゃあないの? 武人が挙って嫌う、正々堂々の欠片もない卑劣な行為だ」

「伊那渕。それ以上揚羽様に対する暴言は許されない」

「アンタに許されたところで俺のこの苛立ちは解消されないよ。頭の中がモヤモヤして、今にも叫びたくなるようなもどかしさを、アンタのお許し一つで解決できると思っているならお門違いも甚だしいもんだ」

 

 

 ゾズマに対し一切の怯えや恐怖心を見せない渕。それを上塗って余る程、渕の精神状態は怒りの黒で染まりきっていた。

 

 

「第二ラウンドを始めようとか言ったら怒るよ? 俺はまだ終わっていない。俺は気絶していないし、諦める気も毛頭ない。出てきてよ九鬼揚羽。今の俺の意見が全く理解できないというほど思い上がってるなら出てこなくていい。その執事さんの後ろで縮こまってるといい。もし、ほんの少しでも俺の意見に正しいところがあって、自身の非を感じたのならば前に出てきて俺を気絶させてみてよ。完膚無きまでに叩きのめしてよ」

 

 

 渕は右手のひらを天に向け指を二回曲げた。かかってこいよと、実力的にも年齢的にも経験的にも格上の揚羽に対し、怒りに任せた挑発をかます。それに対し揚羽は怯むことも怒ることもせず、ふてぶてしく笑う。

 

 

「悪かったな。心のどこかでお前をまだ見くびっていた、いや違うな。お前のことを侮辱していたとはよく言ったものだ。手加減をし情けをかけた時点で、我は武人として自身を見直す必要性が生まれたようだ。とても基本的で、単純な礼儀というものを改めて学ばなければな」

 

 

 ゾズマの背後からゆっくりと歩いて前に出てきた揚羽は、謝辞を述べながら拳を構えた。先程のような、戦いを楽しむという笑顔は消えていた。目の前の素人にしてやられたという、自嘲の笑い。

 揚羽は自身の他人を見下してしまうその欠点、“汚点”を見つめて受け止める。

 

 

 ――――今代の壁を越えた者は、そこそこに聡い人間もいるようだぞ、影法師。

 

 

 その揚羽の態度に満足していた渕の頭の中に、聞き覚えがある声が響き渡る。どこか懐かしくて、思い出したくても思い出せないような、記憶の奥底に沈殿した掘り起こしきれない声。

 

 

 

 

 

 

 ――――ぼくが手を加える必要もなかったようだ。さて、影法師。ほんの少しだけキミの制限を解除しよう。

 

 

 

 

 

 

 その声が響いた瞬間、渕の周りの時間が静止したかのように、揚羽やゾズマたちの動きが停止した。

 それに驚いた渕は思わず構えを解いてしまい、目を見開いて辺りを見回してしまった。壁にかかっている時計は秒針から動いておらず、目の前にいる四人の瞳は瞬き一つせず硬直してしまっていた。

 まるで、周りが灰色になったような錯覚を覚えた渕の目の前に、赤と白を基調として色彩された一つの人影が降り立った。モノクロの世界でも映える輝くような純白に、それを対比するように恋焦がれるような色である茜が印象深い。

 

 

 ――――六人の中では、こうして時間を止めたようにして話すのは二人目だ。お久しぶりだね影法師。ぼくのことは朧と呼んでくれ。それくらいは覚えているかもしれないが。

 

 

 朧と名乗った朱の巫女服姿の少年はニヤリと笑った。その笑い方に、渕は既視感を覚えた。以前、それもごく最近のこと。こんな感じのやり取りをした覚えがあったのだ。

 

 

 ――――さてと、君に与えた“天賦の才”は他の五人と比べてちょっと異質でね。

 

 

 前回の遭遇を思い出そうと悩んでいる渕に対し、そんな行為は今は必要ないと言わんばかりに話を切り出した朧。その説明は観衆を握る出だしからして渕には理解できなかった。まず第一に、朧という存在が極めて不確かであることが何よりの疑問点であり、そこが解決しない限り何もかもに納得がいかないというスタンスに渕はいた。

 

 

 ――――ファミレスで話しただろう。こう言えば思い起こせるだろう?

 

 

 その一言で渕のスタンスは崩壊する。

 頭の中で塞ぎ込まれていた記憶の塊が爆発し、脳から溢れんばかりに記憶が飽和状態に陥りかける。あの日、まだ板垣竜兵と伊那渕が明確に絆を結んでいなかった頃のファミレスでの遭遇、そして問答を、渕は瞬間的に思い出した。

 

 

「ああぁぁぁあああああああああぁ!! お前、あの時のケーキ泥棒!!」

 

 

 ――――おいおい、他に覚え方はなかったのかい? それに、あーんをしてくれたのは他ならぬキミ自身じゃないか。忘れたとは言わせないぜ?

 

 

 「うっ」

 

 

 ――――わははははは。まぁ、思い出してもらったところで話を本筋へ合わせようか。キミは自身が貸与された才能が何か、明確に理解しているのかな?

 

 

 渕の面食らった様子に腹を抱えて笑う朧は、笑いすぎで目尻に溜まった涙を軽く払って渕への問答を再開する。

 

 

「才能って……あの、隙を殺せる能力でしょ? あ、ということは……何で俺がこんな奇っ怪な力を持っているのかと思ったらお前が原因かよ!?」

 

 

 ――――残念ハズレ。

 

 

「へっ?」

 

 

 渕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。渕は数秒思考が停止してしまったが、直ぐにファミレスでの会話を想起する。

 渕は確かに、朧から“人並み外れたスキルみたいな奴”を与えられと教えられ、加えて“それに耐えられるような体に弄くってある”とまで宣言されたことを思い出していた。

 これと今までの自分の変化から考えられる事象が、“隙を殺す能力”だった。しかし、それは与えた能力でないと朧に否定される。

 

 

 つまり、この能力は渕自身が生まれながらにして秘めていた能力と断定されたことになる。

 

 

「お、俺は始めっから異常者だったの!?」

 

 

 ――――正確には、その資格があったってことだね。だからこそ、ぼくは“天賦の才”を与えたんだ。

 

 

「お、俺はまだ変な能力を持ってんの? これ以上俺は異常者になっちゃうの!?」

 

 

 ――――そんなに異常者異常者と口にするもんじゃあない。この世界、特にこの川神じゃ異常か異常じゃないかなんて括りは存在しない。あるのはどれだけ異常かという尺度だけ。みんながみんな、異常者だよ。

 

 

「…………そういや、揚羽さんもそんな感じで言ってたような……」

 

 

 ――――まあいいさ。さてここでクエスチョンだ。ぼくが君に与えた才能とは何でしょうか!

 

 

 朧は両手を挙げて天井を見上げて問を投げかけた。その遥か高みからの物言いは少しばかり釈然としなかった渕だが、渋々与えられた能力に関しての考察を始めようとした。

 

 

 

 

 

 

 ――――時間切れだ! 答えは“異常な成長速度”!

 

 

 

 

 

 

「えっ」

 

 

 まだ三秒も経ってないぞと反論する暇もなく、思考を中断させられた上に答えまで言われてしまう始末。渕は怒りを通り越して混乱する。元々怒りの感情を持つ理由はなかったが、こうも引っ掻き回されてしまうと怒りたくなるのも至極当然のことだった。その怒りたくなる当然の感情すら掻き回されているのだが。

 

 

「せ、成長速度……?」

 

 

 結果、復唱するようにしか聞き返せなかった渕を、実に上機嫌に朧は嘲笑う。

 

 

 ――――わっははははは! 六人の中じゃ一番弄りがいがあるよ影法師! ドが付くほどの真面目野郎が多すぎるもんだから、キミみたいな元普通というのが一番面白い!

 

 

「う、うるせぇ! いいからその、“成長速度”とやらについて説明しろよぉ!」

 

 

 ――――泣くない泣かない。えっとだね。キミのその“隙を殺す能力”……古くから“隙殺(げきさつ)”とよばれる技法なんだけどね。それは血筋で伝わる遺伝能力なんだ。それが薄く遺伝されると“影が薄くなる能力”っていう、隠密にしか適さない能力にしかならないんだけど、極希にそれが異常に濃く遺伝される場合がある。

 

 

「それが、俺?」

 

 

 ――――そう。“隙殺”が濃く出ると他人への干渉も有りとしてしまう異能になるんだ。空間をなかったことにしたり、弱所をついたりね。隙が見えるその目も遺伝だよ。

 

 

「け、けど。俺の両親はすっごい濃いんだけど……」

 

 

 ――――キミも、両親が隠し事をしていることに気づいているんだろう?

 

 

「っ」

 

 

 渕の心の奥の汚点を抉り出す朧。両親に対して抱いているのは親愛の情よりも、疑惑の念のほうが大きいという親不孝者の精神状態。両親が渕に隠している真実、それが一体何を意味しているのか渕は分からないが、朧はそれを理解しているようだった。だからこそ、今このタイミングで両親への不信感を煽ってきたのだろう。

 渕が覚醒した“隙殺”という技法と、渕の両親が隠している真実が何かしらの形で繋がっていると、朧は仄めかしているのだ。

 

 

 ――――今回の九鬼との一悶着が終わったあとにでも、誠意を込めて尋ねてみるといい。「本当のことを話してくれ」とね。そうすれば少しばかりでも近づけるだろう。人間の目指すべき“飛翔”の境地へ。

 

 

「…………分かった。考えてみる」

 

 

 ――――前向きに検討するとか善処するとかは、後ろ向きに考えている奴らの逃げ口上にすぎない。本当に分かっているよね?

 

 

「…………それもそうか。分かった、必ず聞くよ」

 

 

 ――――それでこそだ。じゃあ、目の前の壁を越えた者に対して、一回り大きくなったキミを見せつけてやるといい。荒削りでありながら目を見張る、表立ち隙を支配する影法師よ。今こそぼくの真の玩具として銘じ(命じ)よう。“九鬼の関係者を中心に、川神を引っ掻き回せ”!

 

 

 

 

 

 

「わかったよ朧。俺は俺らしく、目の前の人をまやかそう」

 

 

 前へ一歩、色が戻った世界を進む渕。怒りに身を任せて殺し捻じ曲げた空間を正し、何の歪みも汚れもほとんどない状態の揚羽を見据える。

 先ほどよりも凛々しく雄々しい揚羽の姿を見て、朧の真意に触れる渕。

 

 

 これが“飛翔”の一端であると理解する。

 

 

 まるで生まれたての人間のように、白々しく見せるその姿は実に美しい。人間が辿り着くべき真の境地。人でありながら人とは呼べない乖離的な存在に至る扉に、揚羽はようやくたどり着いた。まだその扉は開ききっておらず、人一人も通れない。しかし、それでも十分な成果である。

 

 

「あと五撃、掠めてやる」

「その前に今度こそ、意識を刈り取ろう」

 

 

 渕と揚羽は互いに勝利宣言を発し構えを取った。そこで揚羽は渕の異変に気づいた。渕の構えが変わっていた。両腕に力を入れずだらしなく放置していた構えは失われ、拳を作り両腕を曲げて腰に据える構えが生まれていた。気合は十分だと思わせる体勢、体育会系の男子が「押忍!」と口に出して取りそうな構えではあった。ただ、渕はその体の正面を斜めに向けていた。首だけが揚羽の方へ向いており、少しばかり不自然な構えではあった。

 目の前の人物が異常性の塊であることは先程の数合の打ち合いで理解している揚羽は、その構えに対して最大限の注意を払う。決して、油断などしない。

 

 

「隙殺――――お披露目だ」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「お目覚めですか?」

「………………ええ、これ以上ないくらいに、重々しい気分ですけど」

 

 

 渕が目を覚ますと、そこは九鬼極東本部で初めに連れてこられた一室だった。その待遇は以前と変わらず、手錠と下半身の拘束具は再び渕の体を縛っていた。

 自分の拘束具合を体を動かして確認する渕の様子を、笑顔を絶やすことなく見つめている老執事が一人。その視線はじっくりと渕の体を舐めるように見たあと、渕の瞳の奥を貫くように見据えていた。

 その視線に怖気付くことなく、渕は老執事に問いかける。

 

 

「……どれくらい時間が経ちましたか?」

「二時間と十二分です。秒単位は省かせてもらっております」

「大体でいいですよ。俺なんかに律儀にならなくても」

「そうはいきません。揚羽様から貴方のお目付け役を頼まれたという忠義心、加えて奇妙な少年の差金である貴方を見ていたい好奇心。この二つが相まっている以上、貴方に対しては細心の注意と観察眼を用います」

 

 

 銀髪の老執事は渕にニッコリと笑顔を向けた。しかし、渕はそれに対して笑える余裕などなかった。笑顔に笑顔を返す、そんな気楽なことができるほど彼の脳内は平穏で満ちていない。驚愕と戸惑いが大半を占め、残りの隙間には不安が敷き詰められている。

 

 

「クラウディオさん……。何であの食い逃げ野郎を知ってるの?」

「食い逃げ野郎とは、相変わらずあの少年の行動は読めませんね」

「答えてよ」

 

 

 ガシャンと、真っ黒な手錠で大きな音を鳴らし、今すぐにでも抜け出してやるぞと言わんばかりに手錠を突き出す渕。早く聞いていることに答えろと威圧していた。

 

 

「失礼、朧のことでしたか。彼と出会ったのは貴方よりも後ですよ。貴方は二年前、私はほんの一ヶ月前。彼からあなたとは別の人物の監視を頼まれておりまして」

「……え? 俺やクラウディオさん以外にもアイツに弄られた人がいるの?」

「朧が接触し、かつ改変させられた人間は全てで六人。その中には九鬼の人間もいますが、私ではありません。彼はまだ朧の描いたシナリオに参加していない」

「じゃあ、あの食い逃げ野郎は意味もなく人と触れ合ってるのか……?」

「意味はあるよ、目的も覚悟もちゃーんとある。外堀を埋めていき川神を戦場とし、何よりもまずぼくが楽しいことが大事。その結果もたらされた喜劇や悲劇を受け入れる覚悟はある。世界が根源から壊れないように管理する責任も放棄していない」

「戦場とするって、それ自体がどういう意味――――えっ」

「おや」

「やぁ、お二人さん」

 

 

 渕とクラウディオのすぐそばに、ふわふわと浮きながら胡座をかいている人外が突如その場に現れた。

 

 

「食い逃げ!」

「朧だって言ってるだろ?」

「神出鬼没なのはいつも通りですね」

 

 

 朧は渕に誇張された罪状を擦りつけられようが、神出鬼没という褒め言葉か悪たれ口か分からない物言いをぶつけられようが、普段通りの笑顔を浮かべていた。少なくとも、朧本人からすればそのつもりでいた。

 しかし、二人は朧の機微な変化に気づいてしまう。二年前から知り合っていた渕だけでなく、ほんの一ヶ月前に出会ったばかりのクラウディオでさえ、感覚でその変化が理解できてしまう。

 

 

「朧……?」

「何やら、嬉しいことでもありましたか?」

 

 

 その質問に、朧は笑うことをやめた。

 

 

「あー、うん。あったにはあった。けど何でかな。顔に出したつもりはなかったのに、ね。最近脆いや。元から脆かったんだけど」

「何やらナーバスな空気になってしまいましたね」

「珍しいような気がする。まだ数回しかあった記憶がないけど」

「奇遇ですね、私もです」

「あーもう。ぼくのことはどうだっていいんだよ。それよりも影法師、二撃残して負けるとは情けない」

 

 

 話全体の矛先が朧から渕の勝敗に向かう。急に振られた渕はうぐっ、とのどを詰まらせたような声を出し、目を見開いておどおどし始めた。少しでも自分に非があると思っていなければ現れない行動である。

 

 

「だ、だってさ。“飛翔”するとああまで変わると思ってなかったんだよ。九鬼揚羽、おっそろしいよ? あれ、本当に武神先輩に負けてから現役引退してたの? とてもそうは思えないよ。ヒュームさんの方がまだやりやすい」

「キミの意識下の戦闘経験回数は一桁で、その大半は壁に関係した人間との決闘だ。あまりその感覚で測るなと言いたいけど、確かにあの一時、九鬼揚羽はヒューム・ヘルシングなんかよりずっと気高い強さを発揮していた。キミの天敵は“飛翔した者”だとか、あとは同類だね。いやはや、ようやく本質を掴んでくれたようで助かったよ。流石に甲斐甲斐しくキミだけを見ていられるほど暇じゃないからね」

 

 

 “飛翔”という単語が何を意味するのか、クラウディオも渕もはっきりとは理解はしていない。“壁を越えた者”と“飛翔した者”の区別もつかないほどに曖昧である。しかし、何故か見る対象が飛翔しているかどうかを二人は理解できる。

 それほどまでに、飛翔とは美しいのだ。

 

 

「さてと、渕くん。ここから大変だよ? キミはこれからまず間違いなく、九鬼の中心で生活していくことだろう。九鬼英雄に良き級友として慕われ、九鬼揚羽に戦友として認められ、九鬼紋白に優秀な人材として目をつけられている。ヒューム・ヘルシングも、ゾズマ・ベルフェゴールも、そこにいるクラウディオくんにも、キミは観察対象にされている。分かるかい? 今まで以上に自由にできない、ストレスフルな生活に身を投じることになる。選択肢は用意されていない。聞くべきは覚悟の程と決意の質だ。問おう影法師」

 

 

 

 

 

 ――――キミは“いつも通り”、生きていくことができるか?

 

 

 

 

 

「出来るわけないでしょ」

 

 

 

 

 

 至極あっさりと、渕は朧の問を跳ね除けた。

 

 

「聞こう、その真意」

「俺の“いつも通り”ってのは、誰からも無視されて、誰にも気づいてもらえずに、孤独に嫌気が差していながらも死のうとも思えない臆病な俺だよ。けど、こうも賑やかになっちゃそれも無理でしょ? 俺がこれからすべきなのは、自分を見失わず、慢心せず、お前がやってほしいように振舞うこと。文字通り、引っ掻き回す。強者っていう括りを概念からぶっ壊す」

「その心意気や良し。それでこそぼくの玩具だ。不満はない。その言葉通り、目の前にいるクラウディオくんとよろしく仲良くなって、九鬼にうまく溶け込むといい」

 

 

 朧の満足げな表情は、クラウディオと渕を驚かせる。まるで、強請っていた玩具を祖父に買ってもらえた孫のような、幼く無垢な笑顔。天地開闢から生き続けてきたなどと豪語していた普段の朧からは考えられない、人間臭い表情だった。

 

 

「さて、ぼくはそろそろ行くよ。そろそろ“五人目”の世話をしなくちゃいけない。今物語に入っている四人はこのまま動き続けてくれればいい。正直、“恭”と“怨”に関してはまだまだ不安要素が多いけど、まあなんとかなるだろう」

「五人目、ですか。朧、決して乱暴には扱わないで下さいね」

「分かっているよ。彼はキミにとって、決して無関係な存在じゃないからね。そんなことを心配するより、目の前の“影”に九鬼を崩壊させられないよう、気を張っておくといい」

「そんなことしないって!」

「どうだか。無意識で戦闘してきたキミに説得力はないよ」

 

 

 渕は再びうぐっ、と喉を詰まらせる。図星と書かれた札を思いっきり顔に貼り付けられたような、そんな感覚に陥った渕だという。

 

 

「せいぜい頑張れよ? ぼくの可愛い玩具」

 

 

 





 あらゆるものが一個の全体を織り成している。ひとつひとつが互いに生きて働いている。

 ゲーテ

 ◆◆◆◆◆◆

 大変、大変申し訳ありませんでした。呑気に八月になればPCいじっている姿がうんぬんかんぬん抜かしていましたが、そんな暇なはずがありませんでした。私が感化しないところで何かしらの抑止力が働き、私の自由を鎖で縛り付け簀巻きにし欲望の宇宙へ放り投げたのです。


 何が言いたいかというと、コミックマーケット三日間連続始発組参加という苦行を成し遂げたが故の遅延でした。

 
 完全に、自分の都合です。全参加のために前へ後ろへバイトを詰め込んだが結果、PCなんていじっている余裕はありませんでした。
 遅れた理由が実にくだらないもので申し訳ないのですが、お土産に髪の毛が二mほど上に伸びたゴンさんのコスプレをなさっていたお方の写真でもお見せしたいのですが、何分この場では難しいです。申し訳ありません。

 加えて、来週は合宿があります。もうなんだよ八月忙しいわ! と叫びたい気分です。叫びましたけど。何とか、来月は二回は更新したいです。
 多忙かつ、MNSコンテストも出し切りましたので、今回のおまけはお休みということで……あしからず。

 またコミケの感想でも、書こうかと思います。楽しい隣人のお話とかねむっておりますので。

 結果。全参加は全身を痛める。
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