真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
作者不詳
――――ここは、どこだろう。
真っ暗な空間、闇と表現しても支障がない程の黒さに包まれた場所で、金髪の青年が立ち尽くしていた。
いや、立ち尽くしていたというのには語弊がある。そのように見えるだけで、実際は身体を伸ばしてその空間に浮いているのだ。足場がない、天井もない、左右に壁などなく、ただただ闇が無限に広がっていた。
青年は目覚めたばかりだ。何故今自分がここにいるのかは勿論のこと、自分のことさえも曖昧であった。まずここがどういう場所であるかを悩むより、自分についての初期知識を思い出そうと思案する。
まずは自分の名前から思い出すことにしたのだが、自分の性も名も思い出せない状態に青年は陥っていた。しかし、自身の名前がどうしても思い浮かばないことや、現在自分がこんな空間に投げ出されていることは、青年はどう考察しても異常にしか思えなかった。
――――よし、常識は覚えてる。
青年は自分の精神にも異常が来たしているのではないのかと不安になったが、そんなことはないと確信が持てたことが何より安心のできることだった。
時間の制限など気にしたところでどうしようもないと理解している青年は、長い時間をかけてゆっくりと自分のことを思い出すことにした。この際、この空間が死後の世界であろうと構わなかったからだ。何よりも自己と言うものを確立する、それが精神を壊さないために必要なことだと知っていたから。
手始めに生き様を回想する。一つ一つ、物心ついた頃と俗に言われる幼少期から思い起こす青年。その手探り感たるや、非常に慎重で、憶病と言っても差支えはないくらいであった。
小学校に上がるまでの、いわゆる幼少期と言う時代において、青年は既に腕っぷしが強かった。同年代で自分より強い者は誰もいなかったと自負していた。もっとも、四、五歳の内から喧嘩が強いなどと考える子供も子供であるのだが。
小学校に上がり、本格的に武道に手を出すことにした。幸いにも青年の家はそういう空手や柔道などの武を習っている人間が多い家であったため、練習相手には全く困らなかったし、寧ろ最高の環境で育てられたと言っても過言ではなかった。
正義感の強い警察官で剣道三段の父親からは、竹刀の扱いを毎日付きっ切りで教わった。自称中学で一番喧嘩に強いと嘯いていた兄からは、身近にある凶器の代わりになるものの使い方を習った。男よりも強いと評判だった姉御肌の強い姉からは、護身術にもなるからと合気道を基礎から叩き込まれた。関東では敵なしと明言していた当時の新成人だった従兄から、実験台と言うことで体に直接柔道の技を染み込まされた。家族の中で最も権力のあった母親から、これくらいは覚えておきなさいと勉学というものが何たるかを頭に詰め込まれた。いつもニコニコと笑顔を絶やさなかった祖父から、年の功と言うもの見せつけるかのように経済学を説法の様に刷り込まれた。身内が集まると必ず料理を作ってくれていた叔母から、何にでも備える様にと家事を伝授させられた。
――――濃密だった。
自分の過去を回想し、真っ先に思ったのがこの言葉だった。彼の小学校の六年間は彼の基礎を形成したと言っても過言ではない程に、今の彼の土台となって今も生きている。どくんどくんと脈を打ちつつ、彼の中で未だに鼓動を鳴らしている。肉親たちの中で最も年下で生まれた彼はとても可愛がられ、その愛情故に家族の教えが集中してしまったのだ。勿論、青年はそれを当時苦痛だと思ったことはなく、寧ろ感謝しているくらいだった。恵まれた環境を、青年はこの上なく最活用したのだ。
青年がそれを最も実感したのは、中学校に上がって直ぐのこと、不良に絡まれた時だった。如何にも不良であるというような風貌の男三人に囲まれた時、それらを蠅でも払うかの如くあっさりと蹴散らしてしまった。それが青年の己の強さの自覚、自己認識であった。
その後も青年は家内の修行を必死に受けた。それに加えて空手や弓道、さらにはフェンシングなど幅広いものに手を出していった。導入部だけでいいのであれば、日本国内で大衆的な武術やスポーツにはほぼ全て手を付け、さわりまで至った武術だけでも両手の指で数え切れない。
肉体の方は勿論のこと、勉学に関しても母と言う最高の教師がいたので、学徒時代は常に上位の成績。所謂“非の打ち所のない人間”、青年はそんな風に評価されたことを思い出した。
――――恵まれてた。
ありがとう、ありがとう。青年の心の奥底から、ただただ感謝の気持ちだけが溢れ出てきていた。今の自分があるのは間違いなくこれらの経験があってこそだと、青年は強く強く実感していた。
その後、川神学園という川神市内随一の武術校に進学し、何事もなく過ごした――――訳はなかった。とは言っても、彼の家族や人生に大きな障害が発生した訳ではない。彼らの生涯はまず間違いなく幸せの部類である。
彼は成績が良く腕っぷしが強い、それだけで学園のメンバーから目をつけられるのは至極当然のことであった。特に競争意識と自尊心の塊であるS組の面子からは敵対意識を燃やされていたと、青年は思い出して苦笑していた。
――――そう言えば。
ふと、青年は学生時代の“敗北”を思い出す。とは言っても、敗北というのは彼の精神面上のことであり、勝負の結果だけ見れば彼の勝利であった。
彼が負けたと感じたのは、自分か積み上げてきた自慢の拳に追いついている歳下がいたということであった。その年下は、まだ小学生後半、中学生にも進学していない小さな少女だった。少女は川原で修行をしていた青年に勝負を挑んできたのだ。
練りに練り上げた拳は歳月が重なれば重なるほどに強くなっていく、そう実感していただけに、青年はその事実がショックだったのだ。この事実はつまり、青年の一年単位の努力が全力ではなかったという意味であると、彼はそう捉えてしまった。
生まれながらの身体能力や得手不得手といった才能は存在しない、才能にうつつを抜かしている者や、生半可な努力しかしていないその他大勢に負けるはずがない、努力の量も質も自分が一番だ。そう認識している青年の精神を更正させた。
自分の実力は揺るがないと自身を持っていた彼の心は、ある少女の拳によって叩き壊され、正しい形へと修正されることとなった。
――――俺は弱かったんだ。
青年は自分の弱さを、自身の力に慢心していた汚点を見直し、さらなる研鑽と修行を積み重ね、見え始めていた油断という弱点は綺麗さっぱり洗い流されることとなった。
この敗北をきっかけに、青年は自身の持っていた血統的才能と、環境的努力を組み合わせた強者へと開花し、“壁を越えた者”のステージへと足を踏み入れていた。
三年間通してS組で在籍し、主席の卒業はならなかったがそこそこの順位で卒業することに成功した青年。卒業後は暫くは就職先を考えることにした。大学を目指すことも考えたが、家族から少し休んだらどうだという提案の元、受験は頭から追いやり見識を広めるべく放浪することにした。精神的起点ともなった敗北をきっかけに、青年は努力家ならぬ努力過、努力魔と言われるほど絶え間なく修行を続けてしまっていたため、家族にもいらぬ心労を与えたいたと気づく。そのため青年はその提案を受け入れることにしたのだ。
その一人旅の中で、青年は親友とも呼べるような男と出会うことになる。
川神からも比較的近い場所にある七浜、赤煉瓦やベイブリッジなどで有名な観光名所であり、更には川神からも視認できるラグナマークタワーや、巨大複合施設クイーンズスクエア七浜が建っているなど、如何にも都会と言える地に青年は足を延ばしていた。
そこに、幅の広い緑の鉢巻きがやけに目立つ執事姿の男が倒れていた。
その男は気絶している様子だったが、何故か表情は苦しんではいなかった。寧ろ、僅かに笑っているようにも見受けられたという。
若干その男の容態に混乱し引きつつも、青年は彼が目を覚ますまで介抱することにした。特に深い意味はなく、言うなれば気紛れと言うものではあるのだが、青年はこれが運命だと思った。少しばかりロマンチストの青年の悪い癖であった。
数分もしない内に男は目を覚ました。パチリと目を開けた瞬間、横になっていた体の上半身だけを起こし、突然立ち上がって辺りをキョロキョロと見回していた。
青年は男に声をかけた。何と無しに呼びかけただけだったのだが、男は状況を理解したのか、青年に向かって急に土下座し謝罪と感謝の意を熱く述べたという。
実に嵐のような男、青年の男に対する第一印象は正にそれだった。男は一礼すると、一切の迷いなく駆け出して行ってしまった。
――――運命だよね。
青年はその後も何度も男と遭遇することになる。それもその遭遇の大半が男が路上で気絶するか倒れているか。挙句の果てには空から降ってくるなどと言うこともあったという。
暫くそうやって顔を合わせる内に、青年と男は会話を交わすようになっていた。そこで青年は男の内情を聞き出すことに成功した。内情と言っても、まず青年が知りたかったのは、何故こんなにも頻繁に気絶しているのかということだった。
男は巨大財閥の当主の娘の執事として仕えているらしい。男が自分の主について語っている時は常に全力、いつも以上に暑苦しい熱気が青年に襲い掛かることはしょっちゅうだった。その態度から見ても、青年は男の忠誠心と愚直さを感じ取っていた。
彼が主に仕えている理由の一つとして、輸血要因としての使命があった。彼の主の血液型はとても稀なもので、それと同じ血液型を持つ彼は幼少の頃から主に仕えている。しかし、そんな輸血要因であるかれが主に逆に輸血されるという事件が起こった。それ以来、彼は全身全霊をかけて傍に仕えると誓ったという。その話に、青年はひどく感銘を受けた。
それからだろう。彼と男は急速に親密度を高めていった。それがきっかけだった。青年は自分が本気でやりたいことを見つけたのだ。
――――俺も同じ道を行きたい。誰かの為になりたい。そう強く思った。
彼は早速実家に戻り、その旨を両親に告げた。両親は二つ返事でそれを許可してくれた。誰かの為に身を粉にしたいということは素晴らしいことだと、父から頭を撫でられ褒められた。こんなに真っ直ぐな子に育ってくれて本当に良かったと、母は涙ぐんで感激していた。その両親の暖かい表情は鮮明に思い出された。
両親の後押しも受け、七浜に向かった青年。そこで前もって男と話す機会を設けていたのだ。しかし、そこには男だけではなく、額にバツ印の切り傷の入った銀髪の少女がいた。学生服を着ていたが、発せられる貫禄に近いものは、隣にいた男よりも遥かに強く大きかった。
その女性は名乗る前に、拳を青年に向けて突き出した。青年はその拳を完全に見切り、紙一重で回避してその腕を掴み、思わず放り投げてしまった。
投げ飛ばされてしまった女性は華麗に着地し、何故か高らかに笑っていたという。青年の脳裏に焼き付いている印象深い光景で、大事な思い出だ。
話によると、その少女は男の主であるらしい。男は青年が九鬼に仕えたいという話題を主に振ったらしく、その話に興味を持ったようで、自ら見定めてやるとここまで来たようだった。
ここで、初めて自己紹介となった。男も青年も、互いに名を知らないままであったことに今ようやく気づく。
――――武田小十郎に、九鬼揚羽。
九鬼揚羽のお墨付きということもあり、青年はすんなりと九鬼の従者部隊に入ることができた。しかし、青年の快進撃はそれだけに留まらなかった。
大学に進学していないとは言え、その頭脳は驚異的なものであった。これも小さい頃から肉親たちの教授を真面目に享受していた賜物であった。その頭脳を買われ、始めは従者部隊から経営などの補佐に回ってみてはどうかと内部異動の進言があった。
し かし、その頭脳よりも際立っていたのが、腕っぷしの強さであった。基本何をやらせても失敗はしないし、力仕事は何でもこなす。その上、九鬼揚羽のスパーリングの相手として適任であったため、やはり従者部隊の中でも上位のランクを与えるべきだということで異動はなくなった。
この辺りから、青年と小十郎の仲はより親密なものとなっていた。それこそ、親友とも呼べるような間柄であった。普段揚羽の執事としてほぼ同じ時間を過ごす小十郎、小十郎程長い時間ではないが揚羽に仕える様になった青年。血の繋がりを越えた兄弟、そう表現されることも少なくなかった。
――――有意義だった。
揚羽とのスパーリングがより自分を磨き上げていっているのが理解できた。九鬼での仕事が自分の知識をより洗練しているのが解った。肉体的にも精神的にも、青年は自身の成長をその身で感じていた。
今まで詰め込まれただけだった知識も、この九鬼という環境では嫌と言う程使う機会があったが故に、青年の中の荒れ放題だった引き出しが整理整頓された。使うことがなかった武の技も応用する方法が訓練で見つかり、より強力な戦士として飛躍していった。
青年の最終的な九鬼家従者部隊の序列は十二まで上がった。小十郎と同い年でここまでの成績を収めたことは前例がなく偉業であった。小十郎はその頃九九九番、最下位であった。 勿論青年はそんなことで親友の小十郎を卑下したりはしない。寧ろ納得がいかなかったのだ。小十郎の実力ならばもっと上位の序列を手に入れることが可能であるのに、どうしてもそれは叶わなかった。
理由は明白、ミスが目立ちすぎるのだ。もう少し落ち着けばいいものをと、青年は幾度となくため息をつき、それがアイツの味なんだろうなと、幾度となく苦笑していた。
――――それで、どうなったっけ。
青年が思い出そうとしていることは、九鬼従者部隊として仕え始めた二年後に起こったある事件のことだった。
九鬼家従者部隊の内数人が選抜され、川神院との三日間の合同訓練が川神山で行われることになった。そこに青年は選抜されたが、小十郎は揚羽に付きっ切りということもあり、今回は不参加に終わった。
合同訓練と言っても、双方から選抜された人物同士で模擬戦を行ったり、山と意識を同化させようとする精神鍛錬などが主であった。その中でも青年は群を抜いていた。発展途上の若者ということで川神院に紹介されていたが、その実力は師範代にも劣らないもので、川神院総代を驚かせたらしい。元々川神学園生であった青年と総代は親しかったため、青年の更なる成長ぶりに驚きを隠せなかった。
加えて、青年を一度打ち負かしている――当人としては結果的にも精神的にも大敗したと思っている――少女も参加しており、青年は出会い頭に襲われそうになった――少女からすれば歓喜のあまり飛びついただけのつもりだった――が、何やら人間離れした大技をくらい少女は吹き飛ばされ壁面に叩きつけられていた。青年が唖然としていると、かつての恩師でもある川神院の師範代に説明された。例の少女は川神院総代の孫らし
く、今回の修行では自身との折り合いを付け精神的に成長させることが目的らしい。
既にそれができている青年からすれば、それに協力したいと思うことは彼にとって当然のことであり、率先して少女の相手をすることにした。勿論、ただただ先頭を繰り返すだけでは意味がない。兄貴分のような、道を示すような役目を担おうと考えた。
――――弟や妹がいなかったから新鮮だったな。
余計な役目まで背負ってしまったが、初日、二日目共に何事もなく訓練を終わらせていた青年。川神院と九鬼の古株の双方から認められて何とか主に泥を塗らずに済んだと安堵していた青年に、悲劇が降りかかる。
三日目の川神山は豪雨に見舞われていた。いや、最早雷雨と呼んでも差支えのない程に悪天候であった。そんな中でも訓練は行われた。今回の訓練を引き受けた川神院は“根性論”として有名であったため、恐らくこの天気でも訓練は行われるだろうと青年も予測していた。
その後、山を登って降りるというただそれだけのランニングで全ては終わる筈だった。筈であったのに、運命とは残酷なものであった。
青年の目の前で走っていた修行僧の一人が
青年は父親直伝の正義感に駆られて助けに行くと決意した。青年の後ろを走っていた修行僧にその旨を伝え、直ぐに師範代クラスの人間たちを呼ぶようにと指示を出し、青年も崖から飛び降りた。
悪天候で視界が悪かっただけであったのか、崖は青年が思った程高くはなく、落ちてしまった修行僧も直ぐに発見できた。できたが、その場所が問題だった。風雨によって激しさを増していた川の流れの中に、修行僧が落ちてしまっていたのだ。
青年は何も考えずにそこに飛び込んだ。修行僧が遠くに流される前にその手を掴んで引き寄せることに成功した。そこまでは良かった。
問題は、どうやってここから脱出するかだった。川は青年の丈よりも深く、足場がつかないためにバランスが取れなかった。全力で気を放出して水を吹き飛ばすのも考えたが、そうすると修行僧の身に危険が及んでしまう。青年は考えた。どうやってこの場を乗り切るのか、その解決策を。
――――万事休すだった。
そこで青年は思いついてしまった。自分を踏み台にするということを。
青年は修行僧を両腕で持ち上げた。その比重のせいで青年の体は頭まで水の中に沈んでしまったが、青年はそのおかげで川の底につま先を付けることに成功した。さらに、水中に潜るまでの間に予め丘の位置と距離を確認していた。そして、青年は革底を僅かに蹴り上げ、修行僧を全力投げて水面から顔を出した。そこには修行僧が河原から少し離れたところで蹲っているのが見えた。少し苦しそうにしていたが、溺死するよりはマシだろうと前向きに考えていた。
残るは青年の脱出だった。青年一人での脱出は簡単だった。簡単だった筈だった。
濁流に流されたままの青年は修行僧の気を遣い過ぎたせいで、自身が流れていく先への注意を怠っていたのだ。後ろを向きながら流されていた青年の背後に有ったのは、巨大な倒木だった。
ぐじゃり、青年の胴体から嫌な音が聞こえた。青年はゆっくりと自分の胴を触って確かめた。すると、そこから何やら尖ったものが突き出していた。水面から手を出すと、僅かに赤いものが付着していた。
――――ああそうか、俺、死んじゃったんだ。
胃を貫かれたのか、肺をやられたのかさえ分からなかったが、口からは血が吐き出された。口の中に嫌でも広がる苦い鉄の味が今でも思い出される。
青年はここで自分の人生の終末を確認した。こんな激流の中、こんなにも大きな傷からの出血は耐えられる筈がないと、まるで客観的に自分の死を確信していた。こんな時、ゲームや漫画のような回復魔法があればどれだけ便利かと、そんなくだらないことまで考えていた。
しかし、青年に襲い来る自然の猛攻はそれだけに終わらなかった。
青年は視線を前に上げると、目の前から巨大な流木が流れてきていた。その流木は真っ直ぐに青年に襲い掛かった。暴風で薙ぎ倒され、引きちぎられたような荒々しい切断面が、ビリヤードのキューのように迫り来る。
――――ああ、死んだ。
二度目の死の確信。青年は流木と流木の間に挟まれ、意識を失った。
――――それで、ここは死後の世界なのかな。
青年は自分の腹部を確認してみる。痛みはなかったが、やけに縫い傷が目立っていた。妙なところでリアリティが溢れているなと青年は感心していた。
そうなると、夢半ばで潰えたことになるのかと、青年は僅かに肩を落とし溜息を吐いた。 しかし、青年の顔に絶望は見られなかった。まだ自分が死んだという実感が湧かなかったからだ。あの過去を鮮明に思い出した限り、青年の死はほぼ確定していた。しかし、青年の体はところどころ治療されてあった。青年も不思議に思わざるを得なかった。
――――ドクンッ。
その時、青年の心臓が跳ねた。青年が顧みた過去の中で一度も感じられなかった程の大きな躍動。思わず青年は心臓を掴むように左胸に爪を立てた。
ドクンドクンと、心臓の爆発的な活動は収まることを知らず、むしろその勢いと大きさは増しているようだった。青年はその心臓の動きに苦しみを覚える。今にも破裂してしまいそうな自身の重要な循環器官に張り裂けるような痛みが襲い掛かる。
――――起きろ、起きるんだ覚醒者。
青年の頭に言葉が響き渡る。あまりの激痛でついに幻聴まで聞こえ出したかと青年は思ったが、どうやら幻聴などではないようだった。まるで自分の中心から語りかけてくるような、もう一人の自分が諭してくるような、そんな感覚が青年を襲った。
――――二年が経った。もうそろそろ起きてくれ。君がいなきゃ始まらない。努力の権化。君には働いてもらわなきゃ困るんだよ。いいから起きろ。
青年のいる真っ暗な空間に、一筋の光が差し込んだ。その光は、まるで子供の手のような輪郭を形成し、青年の首を握り、勢いよく引き上げた。青年はあまりの眩しさと息ができない苦しさに悶える。
――――眩しい? 苦しい?
――――なんだ、俺は生きてるのか。
青年は苦しさを喜びへと変えて、全てを光に委ねた――――
◆◆◆◆◆◆
武田小十郎には、二年前から日課ができた。それは筋力トレーニングやランニングといった肉体的なものではなく、かといって日記やブログなどと言った日常の感想を綴るものでもない。
それは、見舞いだった。
二年前、彼の親友は天災に巻き込まれ、意識不明の重体になってしまった。所謂昏睡状態である。命を取り留めただけでも奇跡的と呼ばれるような状況だが、一向に意識が回復する様子は見受けられなかった。安定した脈拍に呼吸、規則正しく動く循環器官が、まるで彼の親友が機械の様になってしまったと感じさせる。
しかし、小十郎は諦めなかった。いつか必ず、くだらない話で笑いあったり、拳を交えて競い合ったり、一緒に同じ主に仕えて使命を全うしたり、再びその機会が訪れることを夢見て何度も何度も面会している。
時には、彼の主である九鬼揚羽と共に訪れ、気合を入れろだのと根性論で起こすように諭したこともあった。揚羽が如何に無理をしてここに訪れていたかがわかる。小十郎はそんな揚羽に何もできないことを悔やんだ。
時には、川神院総代である川神鉄心と出くわすこともあった。まるで孫の寝顔を見ているかのような鉄心の表情に、思わず小十郎は涙を流しそうになった。
時には、彼のことを兄として慕っていたと聞く川神百代とも出くわした。入院当初はほぼ毎日のように来ていたが、何かを振り切るようにしてある日突然来なくなってしまった。今、彼女は情緒不安定だと聞いていた。
――――みんな待ってるんだぞ、親友。
設備は九鬼家が全力を尽くして整えたために、医療施設としては最新最高のものであった。始めはICUに収納されていた彼の親友も、今では個室に移っているが、やはり意識は戻らなかった。
そして今日も、小十郎はその病室に入る。いつも通り、真っ白なベッドに真っ白な壁、真っ白な服を着て眠っている――――筈だった。
「――――」
小十郎は先程買ったばかりの花を落としてしまった。目の前の光景が信じられず、呆然自失となってしまっていた。
真っ白なベッドで寝ている筈の彼の親友が上半身を起こし、開け放たれた窓から入ってくる風を浴びていたのだ。
ふと、眠っている筈のその人物は、来客に気づいてそちらに顔を向ける。
「ダメだよ小十郎。見舞い用の花を落としちゃ」
「な、
「おはよう。小十郎」
青年の金髪が部屋に舞い込んできた風に靡き、小十郎の瞳を焼き尽くしてしまいそうなほどに煌く。生きていると実感した青年の命の輝きが、視覚を通して小十郎へ流れ込んだ。
青年、
人間は、みんなに愛されているうちに消えるのが一番だ
川端康成
◆◆◆◆◆◆
また登場人物増やすのかよいいかげんにしろよ、ごもっともです。一番初めに六人の玩具がいる、などと風呂敷を広げてしまいました。広げた風呂敷は、畳まなければ邪魔になりますし見栄えが良くありませんので、きっちりと最後まで貫き通させていただきます。その風呂敷の大きさが、まだ私自身掴みきれていないという欠落がありますが……。
MNSコンテストが終わってしまい、何をしようかという次回のコンテスト的何かを脳内打診しつつ、その場凌ぎを考えつきました。
今回のタイトル、和歌ですが、結構有名な和歌であります。ご存知の方も多いと思います。本来ならば平仮名で記載されることも多いですが、今回の話に則した深い眠りと目覚めがわかりやすくなるよう漢字にさせていただきました。
こんな和歌知らねぇよ、というお方には是非、この和歌がどういう法則に、どういう条件に法って則しているのか、ぜひお考え下さい。