真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
「――――はい、はい……解りました。それでは明日、俺も約束を果たしに行きます。ご連絡、感謝いたします」
電話の応答者は力強く握りしめていた携帯電話の通話が終わったことを確認し、今この場に座っている二人の人物へと視線を向けた。
一人は座布団もなしにその場に正座し、とても暗い、焦燥感に見舞われているような表情をしている女子。もう一人は、目を閉じて大和が話を切り出すのを待っているような、寛容な心構えでその場に鎮座している男子。
応答者は二人の表情を確認し終わった後、この場にいるもう一つの存在、空中に浮いて茶菓子を貪る人外を睨み付けた。
「朧、説明しろ」
「それは凄んでるつもりかい、大和くん? 威嚇にも脅迫にもならない疲弊しきった顔でそんなことをやろうとするなよ」
その睨みに全く動じない朧は、ふわふわと浮かびながら大和を揶揄するように挑発した。大和は挑発に乗ろうとしないが、疲弊しきった顔ということは自覚しているようで、その顔はさらに悲痛に歪む。
「……何で二人が聞いていたことを黙っていた。俺は孤独でやっていくってのが――――」
「孤独が制限、そんな縛りを課した覚えはない。そんな縛りが課せられるほどに有能だと、つけあがるな青二才」
大和の怒りの言葉に、朧は更に大きな憤りを込めた厳しい口調で言い返す。大和は朧と接触してから初めて、朧の喜怒哀楽の怒をその身で感じた。つい最近まで人間らしい感性に基づく感情を全く感じさせなかった朧だったが、ここ最近になって安売りされ始めている。
朧の内面の変化から生じたその怒りの態度に、大和は思わず一歩引いてしまう。
「第一、その理由の一つが、ぼくが見境なしに人間を玩具にしているから、とかいう偏見すぎることだというのがさらに気に食わない。ぼくは自分がいいなと思った人間しか選抜しない。自分勝手に、どこぞの偉人よろしく選民だと思うのは愚かしい。ぼくは公正公平に、人間身溢れる人間を玩具にするんだ。そこを勘違いするんじゃあない」
「……そんなのは理由の一部だ。そんなこと抜きで、俺が自分自身で孤独って義務を課したんだよ。誰にも相談せずに、独りで考え抜いた結果だ」
必死に決意したんだと訴えかけようと、自身の必死さを表情に表そうとしている大和に、朧は更なる苛立ちを覚えてしまう。そんな上っ面な覚悟など、最初から瓦解していると言わんばかりに鼻を鳴らす。
「孤独、ね。甘ったれだな直江大和くん。独りで何もかもやろうと考えるのは、餓鬼の発想だ。人は独りじゃ何もできないんだよ。君のような参謀タイプの人間ならば尚のこと、引き立て役の独壇場なんかありはしない――――甘えるなよ」
大和の苦し紛れの言い分に、朧が一喝した。一体何を甘いことを口にしているのかと、分かりやすく叱咤していた。当然、それが逃げの言葉であるということは当人も解っていたのだろう。大和は唇を噛み締めていた。
上っ面とは言え、覚悟と認識したものが崩壊するのはやはり悔しく、苦しい。
「――――分かってる、分かってるさ。独りよがりの行為だってのは。けどな、姉さんから、ファミリーから離れた俺には、こうするしか残されてない」
大和は朧から視線を逸らし、自分の足元に視線を落として奥歯を強く噛み締める。歯を剥き出しにして、悔しそうに唸り出す寸前でなんとか堪えている様だった。
しかし、その悔しさの中に別の感情が紛れていることも、朧からすればお見通しだったようだ。それは、大和自身が現在の自分の状況を受け入れてしまっているという、諦め。こうするしかないと、他の行動ができない自分に苛立ちを覚えつつ、その自分自身を受け入れ始めている。そうすることで生まれる、何か。
「その考えが甘ったれだと言っているんだ」
その実に悔しそうな大和の表情と、その裏にある別の感情さえも、朧は踏みにじるように苦言を呈す。
「そうする以外に手があるから、こうやって二人も君のことを本気で心配しているんじゃないか。孤独は手段の一つであっても、決して最善ではない。次善の策とも言い難い」
朧は大和から決して視線を外すことなく、大和をずっと視界に入れたまま、座ったまま動こうとしない二人の寮生を指差した。
二人は大和を案じ、心を砕いていた。今のこの朧という人外がいる現状を理解しきれず、朧が大和をどれだけ貶めようとも、大和だけは決して見捨てることなくその場に居続けることだろう。支え続けることだろう。
「キミは自分の美化のために行動している節がある。深層意識が行動源泉だ。キミの中にある醜さが、孤独を求めている。普段のキミらしくないと思わないのか? 効率重視だったくせに、非効率的だ。もはやそれは呪いだよ。自分が犠牲になり、孤独であれば全てが丸く収まるという自己犠牲は、現実では通用しない」
朧が一番怒りを向けていたのは、友人に支えられているという恵まれた状況と向き合おうとせず、悲劇にいる自分を演じる大和だ。哀れみを向けられている自分に酔い始めている大和だ。
勿論、その悲劇の英雄を演じていただとか、主人公のような自分に恍惚としている自分の存在を、大和は自覚していない。それは大和の理性の及ばない、意識の及ばない出来事だ。
そのデカルトの考えを踏襲したような朧の指摘、大和の自我の及ばない快楽を求めるナルシズムを、言及し糾弾している。
その結果、大和は自分の行動が全て間違っているという事実に直面してしまう。しかし、全てが間違っている訳ではない。誰かを助けようと身を粉にする行為自体は、大衆的に美徳である。
その焦りを感じだした大和に、朧は微笑みかけ優しい言葉をかける。
「もう少し、甘えろ。ふは、甘えるなだの甘えろだの、言っていることがやけに交錯してしまっているな。感情に身を任せる行為というのは、中々に上手くいかないようだ。勉強になったよ」
朧は自分の言葉の矛盾しているような部分に苦笑し、ポリポリと頭を掻いた。
「後は三人の問題だ。ぼくは達観しているよ。君たちの絆って奴が、どれほど脆弱で強固なのか、見せてくれ」
朧はこれ以上話す気がないのか、やれやれといった具合に大和に溜め息を吐き、また茶菓子を貪り始めた。
大和は朧の言葉に自分の心を浸し、考えを改めようとする。自分が孤独に酔いしれているという表現は、客観的に見れば確かにそう見えなくもない。もしこれが小説の主人公だったり、ゲームの主要人物であれば美しく見えたことだろう。
しかし、大和は現実の人間だ。そんなことをしても、運命は大和をいい方向へ導いてはくれない。秘匿と懐抱は違う。先日であったばかりの依頼人に言われた言葉を、大和はようやく理解できた。
――――確かに、ソラさんからすれば、俺の姿は醜く見えただろうな。
秘密に対し固執していた愚かしい自分を恥じ、受け入れ、大和はほんの少し立ち直る。
「――――京、ゲンさん」
そして、長い時間座らせてしまっている二人の前に座り、頭を下げた。
「迷惑かけて、ごめん!」
素直な謝罪。今まで無駄に心配をかけてしまったということに加え、こんなにも自分勝手な行動をとっていたということに対しての謝罪だった。
それに対し、女子、椎名京は暗い表情を僅かに正し、男子、源忠勝は頭を掻いた後に微笑を浮かべた。
「全くだ。無駄に痩せ扱けやがって」
「それでも好き……!」
京は思わず大和に飛びつこうとしたが、大和が弱りきっているのを知っていたために踏みとどまった。しかし、そのせいで飛びつこうとする構えのまま止まっているので、レスリング選手のような体勢で威嚇しているように見えてしまう。
忠勝はそれを見て呆れながら京に軽く手刀を入れた後に大和の前に座った。これ以上余計な心労をかけるなと言わんばかりに睨みを利かし、大和に釘を指す意味で強めの拳骨を入れた。
「あてっ! ……は、はははは……。 全く態度が変わらない、か……。ごめんな、二人共」
大和の目尻に涙が浮き上がり、それを見て京と忠勝は思わずギョッとしてしまう。勝利の嬉し涙、敗北の悔し涙、それらから程遠い行動ばかりをとっていた大和が涙を晒すのは非常に珍しいことだった。
普段から涙を滅多に見せない大和は目の違和感にすぐ気づき、目尻を勢いよく腕で擦り目をギュッと抑えた。数秒後、大和は恐る恐る顔を上げた。その顔は擦りすぎと恥ずかしさにより、ほんの少しだけ赤く染まっていた。
「わ、忘れろ」
「いいもの見たネ。これは脳内永久保存」
「竹の花拝んだ気分だが、悪かねぇな」
「忘れてくれぇ!」
◆◆◆◆◆◆
「改めまして、朧だ。面倒な自己紹介は省こう。ぼくは野良猫だ」
「重要な部分端折るな。いつも通り神様云々の解説しろよ」
「おっと失礼」
朧と大和の間に先程のような居心地の悪い空気はなくなっていた。しかし、それでも両者の立場は朧の方が上のようだった。朧が大和を振り回し楽しんでいるというのは、朧の笑顔と大和の溜め息から予測できてしまう。
「再度改めまして、朧だ。キミ達が崇拝したり信仰したりしている対象、神様仏様八百万の不可思議な存在が残していった余韻が形を持ったものが、ぼくだ」
大和に促され自己紹介を改めた朧だったが、京と忠勝の顔は未だ得心行っていないと訴えかけているようだった。普段の朧なら納得していようがいまいが自分の話を押し通そうとするのだが、今回は違った。
朧は座ったままの二人にゆっくりと近づき、右手を忠勝の頭上に、左手を京の頭上にかざす。
「――――ぼくという存在を理解した者の残滓を集めた。受け取れ」
瞬間、二人の目が見開かれ、力が抜けたように座ったまま前に倒れそうになる。それを見た大和は咄嗟に二人のもとに駆け寄る。しかし、二人は倒れ込んでしまいそうな勢いで体を曲げたのだが、大和が確認する限り意識はハッキリとしていた。ハッキリとしてはいたが、どこか目の焦点が合っていないようだった。
「少し強引に行かせてもらった。ちょっとばかり疲れただろうけど、我慢してくれ」
「……残滓って言ったな。お前、能力使ったな」
「まあいいじゃないか。ぼくが唯一自慢できる特技なんだから」
朧は能力を行使したことを堂々と公表した。その能力の概要を、大和は身を以て知っている。今の二人同様に、頑なに人外の存在を否定しようとしていた大和に痺れを切らした朧は、大和に無理矢理知識を植え付けたのだ。その感覚は決して心地よいものではなく、目眩と虚脱感に見舞われるもので、大和からすれば二度と味わいたくはないもの。
「あれってすごい疲労感溜まるんだぞ? そんなことしなくても、俺が説明して納得させたって」
「ちょっと先走りすぎたかなぁとは思うが、いいじゃないか。今は感情に身を任せる楽しさを、我が身で実感しているところなんだ」
「お前みたいなのがやりたい放題やるとこっちが困るんだよ」
先程まで溜め息を吐いていた大和だったが、ついには頭を抱えてふらついてしまう程に心労が溜まってしまったようだ。それを見ても朧は笑顔を崩さない。むしろより口角を上げて喜んでいるようだった。
自分が人間らしく人間を困らせられることに満足気なのか、ほんの少し鼻歌交じりに空中で回転し始める朧。
――――こりゃ今まで以上に質が悪くなったな……。
「……つぅ……。おい、直江……」
「あ、ゲンさん大丈夫?」
「良いとは言えねぇ……。気分は悪い」
そうこうしている内に、頭を抱えた忠勝が意識を二人に向けることができたようだ。その顔色は優れてはいなかったが、理解がいったという点においてはすっきりしていることだろう。
忠勝に次いで、京も目を閉じたまま「うーうー」と唸りながら何とか会話に参加しようとする。普段から色白だというのに、それを通り越して青白くなっているのが少々痛々しかった。
「……大体分かった。その奇妙なガキについてはな。だが、俺らはまだ納得してねぇぞ直江」
「うん。私もまだだよ」
二人の言い分に大和は目を丸くする。朧という存在の概要どころか、その本質までを強制的に理解させられたというのに、朧にまだ何か疑問を持っているということが不思議だったのだ。
しかし、大和のその考えは見当外れもいいところ。二人が言いたいのは、朧という存在についてではなく、朧という存在と大和にある別のことだ。
「俺らが聞きたいのは、どうしてそうまでしてその朧との接点を持ちつつ、苦しみ続けようっていう馬鹿な選択を取ったのかってことだ」
忠勝の目には苛立ちの感情が篭っているのか、その視線は酷く冷たく、同時に熱かった。その視線で貫かれてしまった大和は声を発することができず、押し黙ったままになってしまう。
そこで助け舟が出されるが、その助け舟を出した本人は嫌に陽気そうで、この展開を待ってましたと言わんばかりに身を乗り出した。
「大和くんはね、大切だった二人の関係ってやつを、その二人以上に大事にしていたんだよ。自分のためにも、二人のためにも」
「その二人って、私と大和の夫婦のこと?」
「そうだとこの話成り立たないだろ。さらりと夫婦とか言うな。この空気割りと真剣味あふれるはずだったんだけどなぁ」
――――この二人は相変わらずだな。
――――全くだよねぇ。
――――脳内に話しかけんじゃねぇよ。気持ちわりぃ。
「仲良きは美しきことかな、と。話を戻そう。その二人というのは、大和くんの親愛が向けられている対象のこと。小学校時代からの付き合いである姉貴分の川神百代と、ファミリーには内緒で日野宮華月と密談を交わした恩人である天野慶。この二人の板挟みにあっていたんだ」
大和への愛を全開に擦り寄る京と、その接近を必死に止める大和。加えて、脳内会話という初体験を「気持ちわりぃ」の一言で終わらせ不機嫌になった忠勝。この三人の意識を一気に朧は自身へ集中させる。
「俺は天野って奴は知らねぇが、直江がそこまで義理立てするような奴なのか?」
「私はどっちも知ってるけど、なんで大和がそこまで苦しんでるのかわからないよ」
「それは――――」
「――――よし、時間はある。折角だ、キミ達にあの日のことを話してあげよう。徹夜になるだろうけど」
大和がどう説明していいか分からず言葉を模索し紡ごうとしていると、見兼ねた朧が自ら説明役を買って出た。
「あの日……?」
「二年前、川神学園を最悪の事件が襲った日のことだ。それを話すには、彼女たちの馴れ初めを話す必要がある」
朧は巫女服の裾から二枚の写真を撮りだした。それはいつか、川神百代が風間ファミリーに見せびらかしてきたある七人の集合写真と、川神鉄心秘蔵のコレクションのうちの一枚だった。
――――全ては、二年前の入学式の日に遡る。
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