真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
壬生忠岑
第一帖 はるたつといふばかりにや三吉野の――――
――――――
春、それは出会いの季節。
この一文は普遍的に使われており、半永久的に崩壊することのない確固たるこの世の摂理とも言える。別れの季節とも言われるが、出会いと別れは共存している。春が別れの季節と言われたとしても、同時に出会いの季節であることが仄めかされているのだ。
出会いも別れも、同等な期待と不安を孕んだ試練である。
春、騒々しい出会いの季節。
とある学園のとある入学式にて、数百名の学生たちが必然的に名も知らぬ人物との交流を強いられる。それを好ましく思う者もいれば、それを厭わしく思う者もいる。それを進んで受け入れるもいれば、それを断固として拒絶しようとする者もいる。
人とは個性的で、個性主義で、千差万別である。それ故に、出会いが必ずしも正しいとは言えないし、過ちとも言えない。
春、創造される出会いの季節。
学生は浮かれ、暴挙に出やすいのもまた普遍的心理の一つ。不変的真実の一つ。その浮かれの度合いにも依るが、大半の学生、特に新入生と銘打たれた学生は怠惰も付加され愚行を犯しやすい。それほどまでに浮わついてしまう魔の季節。
この時期に何の行動も取らないものは、それ以上の愚か者であるのだが。
春、即興的な出会いの季節。
その新たな出会いに、一種の絶望に近いものを抱き始めている人物と、人との出会いをこの上ない至上の喜びと考えている人物が、初めて足を踏み入れた地にて交差する。強敵を求める者と友人を求める者が、桜並木の中で笑顔を掠め合わせる。
拳と握手、互いに差し出そうとした手は目的も手段も違った。
春、俗物的な出会いの季節。
その出会いが成功しようが失敗しようが、生まれるのが心の隙である。袖振り合うのも多生の縁、合縁奇縁とはよくいったもので、気が合おうが合わなかろうが、人は出逢い崩れていく。それを埋め直そうと出逢い別れを繰り返す。
その循環がこの世の理である。
春、総じて出逢いの季節。
「うーん、危ない危ない。危うくお腹に一発もらっちゃうところだった」
「ははっ、よくかわしたな。私の直感も捨てたもんじゃないようだ。この川神にも、あの人やジジイ以外に私の拳を初見で回避できる人がいたというのは、実にラッキーだ」
桜並木の中、握手を求めた手と戦いを欲した手は奇妙な形で絡み合っていた。握手を求めた手は相手の腕に巻き付き肘を捕らえており、戦いを欲した手は決して拳を開こうとせず反撃の機会を狙っている。
誠意と戦意が正面から混じり合う。
「艶やかな黒髪、整った凛々しい顔立ち。それでいて中身は獰猛。美しい花には刺がある、なんて比喩じゃあ測りきれないね。けど、強さと美しさが兼ね備わっていることは美徳だ」
「私はお前ほど中性的という言葉が似合う人間を見たことがないな。半端なんて意味じゃない。女と見ても男と見ても美形にとれるその風貌、私と張り合えるくらい綺麗な黒髪、そそられる」
称賛の投げ合い。たった一合の拳のぶつけ合いで、互いにその内面に触れて見惚れあったのだ。一目惚れならぬ、一合惚れ。
握手を求めた手の持ち主である彼の人は拘束を解いて距離を開ける。戦いを欲した手の持ち主である少女は瞬間的に拳を振るうが空を切る。
少女は追撃せず、距離を開けたまま彼の人の全貌を何度も何度も舐めるように見据える。
「加えて、片腕ときた」
「それは君の好評価の一因となりうるのかな?」
彼の人は右手で左肩をぐっと握りしめた。その左肩から先は、通されるべき腕という芯を失い、風に身を委ねている布だけ。少女はずかずかと彼の人の心の闇に踏み込んでいくようだった。しかし、その踏み込み方は彼の人の好ましい方法であり、変に気を使われるより何倍もマシなもの。
「いいぞ。片腕の武道家は私の世界を広くしてくれる。そうに決まっている」
「あはは、そんなにお望みならば遠慮なんてしなくていいよ。私の片腕の護身術程度の武術が、君のような強者にどこまで通用するか、試してみるのもまた一興かな」
彼の人は拳を額に添えて、目の色を変えた。それは比喩でも何でもなく、少女が見てはっきりとわかる純然たる事実。日本人によく見られるブラウンカラーの瞳は、瞳孔がぐわっと広がり黒に支配された。それで相手を認識できているのが実に奇妙である。
それと同時に気迫も変わる。彼の人の飄々としながらも完璧であった足運びと、見惚れてしまいそうな滑らかな挙動に惹かれるように拳を放った少女は、彼の人の本質に触れる。
気を抜いたら痛い目を見る、何が護身術程度の武術だ、牙を隠しきれていない獣もいいところだろう。少女の中では自分への戒めと彼の人への文句が渦巻き、その結果が少女の表情へと現れる。
「ふふっ、随分楽しそうな顔じゃあないか」
「そうだな、楽しみなんだろう。会ったばかりのお前との戦いがな」
少女は拳を構え、足を広げて踏ん張りを聞かせるために足場を確保する。すると、ズドンッ! という炸裂音が少女の足元から聞こえた。
気を抜いたらもう片方の腕もなくなりそうだ、強者というか恐者だね、最強よりも最凶とか言われる部類なんだろう。そのようなことを考えながら、もう一段階警戒心を高めて集中する彼の人。
「そういうお前も楽しそうだぞ?」
「そうだよ、楽しいんだ。この張り詰めた空気と緊張感がね」
柔らかく和まされたこの空気、 一見すれば楽しく稽古をつけているだけの微笑ましく思われそうな光景である。
しかし、勘違いしてはいけない。今から行われるのは、どちらが先に倒れるかを競う、殺し合いの数歩手前。喧嘩の数歩先へ進んだ決闘。どちらも本気でぶつかり合う、真剣勝負。
そのためには、この武の街川神において礼儀とも言える、名乗り口上が必要不可欠である。
「本日より川神学園一年生、川神百代! 行くぞ!」
「同じく、本日より川神学園一年生、天野慶。いざ参らん」
「顕現の三、毘沙門天!!」
轟ッ!! と、妖怪の類いかと思わせるような巨大な半透明の拳が、目に見えないほど恐ろしい速度で二人を弾き飛ばした。
慶は左側に、百代は右側に勢いよく身体を持っていかれ、そのまま校舎の外壁まで押し付けられる。
「がっ!?」
「ぐっ!?」
「お前らいい度胸じゃのう。入学式当日から学園をボロボロにする気か」
三階の高さの壁面に叩き付けられた二人を屋上から見下ろす老人が声をかけた。老人は手をぷらぷらとさせて疲れていることをアピールしているが、呼吸も乱れておらずただただ笑っていた。
壁にめり込んだ二人はなんとか首から上だけを動かせるようにし、声の主を見据える。
「じ、ジジイ! 決闘を邪魔するなよ! と言うか、今校舎壊れた原因はジジイだろ!」
「何を抜かすかアホ孫。あんな地震のような四股を踏みおって。新入生が入学した当日に怯え震えとるわ。加減せんかい」
そう言って老人は校庭で足をすくませて立ち止まっている生徒を指差した。それも一人や二人ではない。化け物的な大技に興奮しているも少なからずいるだろうが、特に二、三人で集まり身を寄せあっている女子生徒はまず間違いなく怯えていた。
「お言葉ですが学長、本気の勝負に水を指すような真似は許されることでは……」
「ワシだって邪魔するよりは見物したかったわい。ワシが動いた原因は簡単じゃ。この川神学園に限らず、荒くれ者が揃った場にはルールは必要不可欠。じゃろ?」
そう言って老人は生徒手帳を取り出し、ある項目を開いてから慶の眼前に持っていく。
一、肉体を使用する決闘の場合、事前に決闘方を明記し教師に届け教員会での了承が必要。
一、決闘に立会人を望む場合は、教師がそれを担当し公平な立場でジャッジする。
一、肉体を使用する決闘の場合、必ず教師二人以上の立ち合いが必要。
一、決闘による結果で、遺恨を残さない事。
一、偽りの決闘、出来レースは提案したの者を制裁の上、退学処分。
「他は自由な校風じゃからのう。最低限この縛りは守ってもらわんと、この学校のモラルは完全崩壊してしまう」
「積極的にモラル崩してる本人が何を言ってんだか」
「そういうお前も人のこと言えんじゃろうが」
壁にめり込んだまま老人を挑発する百代に対し、挑発を真実と受け止めつつもきっちりと言い返す老人。慶はそれを見て、なにやら不穏そうな空気を五感全てで感じ取ってしまう。
「スケベジジイめ」
「万年発情期が」
慶の五感の感度は正常かつ優秀だったようだ。その予感は的中し、壁にめり込んでいた百代は周囲の外壁を気で弾き飛ばし、老人が待つ屋上へ飛び乗った。慶はその屋上での二人の対峙を眼前にすることはできていないが、明らかに戦闘直前の闘気の膨張を感じ取っていた。
これは拙いと察した慶は身動きが取れるように身体の自由を確保しようとするが、百代のように思い切った行動ができないこともあり、なかなか脱出することができない。
――――ごめんね。ちょっと痛いだろうけどっ――――!
慶は今年度から自身の学び舎となる川神学園の校舎に前もって侘びを入れ、右腕を力づくで掘り起こし、手を合わせるように右手だけを縦に構えて目を閉じる。
――――慧紋の十法・初雪!
ドンッ! と、何かが爆発したような音と共に、慶の体は壁から押し出されたように抜け出した。慶が脱出したあとの壁には、まるで蝸牛の殻皮のように中心が見えないほどの、さながら自然界に存在する対数螺旋のように美しい爪痕を残していた。
慶はそのまま左腕があるはずの袖を勢いよく回し、袖を空中に叩きつける。すると、空中でもう一度跳躍をしたように上昇し、屋上へ着地する。
その屋上では、慶の予想通り、百代と老人が今にも拳をぶつけ合いそうだった。
「入学祝いに引導を渡してやるよクソジジイ」
「抜かせ。まだまだ武道家を引退する気にはならん」
「じゃあ教職に専念できるように完膚無きまでに叩きのめしてやる」
「まだまだ精神の青い餓鬼に打ちのめされるほど鈍っとらんわ」
――――正しく一触即発、だね……。
後にこの仲裁に入ろうとする行為が如何に危険であったか、慶は百代と老人の実力をその身で感じると同時に理解することになるのだが、それはもう少し先の話。今はその危険性を感じていない。
慶は自身の腕っ節が強いということを自負していた。故にこの状況下では自身の危険性ではなく、相手を如何にしてクールダウンさせるかしか考えていなかったのだ。
肌が粟立つような闘気を当てられても、老人の背後に見える神仏の幻影が見えても、百代の眼光にある戦闘狂の本質が垣間見られても、慶は決して怯まない。
「行くぞ! 川神流、無双正拳突き!」
「ふん! 川神流、無双正拳突き!」
目の前で両者の拳が放たれようとも、慶は二人の間に割り込むことを恐れなかった。
「「!?」」
既に放たれた拳は止めることはできず、軌道修正も間に合わないほど手遅れだった。百代も老人も何とか拳を逸らそうとするが、全力の正拳は無慈悲に慶の体に襲いかかる。拳と拳のサンドイッチだ。
――――慧紋の十法・花菱。
百代の拳が腹部に、老人の拳が背中に食い込んだが、食い込ませた当人たちは奇妙な感覚に襲われていた。まるで柔らかい泥の塊に拳を当てたように、拳はゆっくりと沈んでいき威力が軽減される。
――――慧紋の十法・
その軽減された攻撃を全身で受け止めつつ、慶は次の処理へとステップさせる。体の中心をずらすことなく、慎重に体を左へ回転させる。慶の意識下ではゆっくりという表現が似合うほど繊細に回転させた体を沿うように、両者の拳は慶の体の軸から次第に逸れ、最終的には大振りの攻撃が外れたように拳を振り下ろす様になってしまった。
繊細や慎重にとは言うが、これらの工程が行われた速度は、常人が目で追うことができないほど速く、傍から見れば一秒もかかっていない瞬間的な攻防だった。
全力の拳を当ててしまったと確信していた二人は、気がつけば慶を中心に先ほどと点対称の位置に移動していた。
「そこまで」
完全に攻撃を流し切り、澄まし顔で二人へ仲裁の言葉をかけた慶。尤も、慶がそのような言葉をかける必要はどこにもなく、百代と老人は唖然とした様子で放けていた。
「はぁ……。学長、川神鉄心さん? なんで戦闘態勢に入ってるんですか? 私には止めろと言ったくせに」
つい先程、久々に昂ぶった戦闘意欲を沈められた慶はご立腹気味であった。加えて、戦闘意欲を沈めた張本人、川神鉄心は五分としないうちに戦闘を開始しようとしていた。それは慶の苛立ちの勢いを強くさせた。
慶が鉄心に求めるのは誠意のある謝罪。戦闘を止められたことによる苛立ちを少しでも解消できるよう、何かしらの妥協点が欲しかった。
「――――この場合、どうなる?」
「成功でいいんじゃないかのう?」
すると、慶の目の前で鉄心と百代が何かについて話し始めた。何が成功したのか問いかけようとした慶を鉄心は右手で制し、頭を下げつつ先に口を開いた。
「――――すまんな天野。別に儂らは本気で戦おうと思っとったわけじゃなくてのう」
発せられた鉄心の返答は、慶が求めているものでも予想していたものでもなく、全く見当違いと言っていい謝罪だった。
「…………えっ?」
今まで唖然としていた鉄心から発せられた言葉を伝い感染したように、慶も開いた口が塞がらなくなっていた。どういうことなのか理解できていない、取り残されているような気分に慶は陥っていたのだ。
慶の理解を現状に及ばせるため、鉄心の言葉を補足しようと百代も口を開く。
「これはな、警告なんだよ。今年は私もいたから特別版でな」
「警告……? 二人で戦うことが?」
「正確には、二人が一発ずつ拳をぶつけ合うという行為がそれじゃ。例年通りならワシが全校生徒の前で喝を入れて終わりなんじゃが、今年は百代が入ってきたからのう」
慶はまだ首を傾げていたが、次の鉄心の説明でようやく納得することとなる。
この学園の教育基準は生徒の“飢え”を助長させることに有る。その基準を満たすための下準備として、生徒の入学時の意識改善が必要とされると鉄心は語る。
「入学当初なんかは浮かれた阿呆どもが多くてのう。そいつらに気合を入れてやるのがワシの恒例行事となっておる」
「まあそれはわかります。しかし、それがなんで百代さんとの拳戟になるのですか?」
「私の危険性の喚起だと」
鉄心の代わりに、今年に限って当事者となってしまった百代が実に気怠そうに答えた。どうやら本人もこれには納得していないのか、僅かな苛立ちでさえ慶にも読み取れてしまう。
「この学園内の人間に対し、武神と呼ばれるモモの危険性を伝えておきたかったんじゃよ。生半可な気持ちで挑むな、ということをな」
「私はどんな奴が相手でも構わないんだが、できる限り質が高い戦いがいい。それに関しては納得できていたんだが、やっぱり自分で対戦相手を減らすっていうのは、どうもな……」
「名も上がるから全体で見れば増減無しとは言ってあるが、先行するのは間違いなく減少じゃ。だから不機嫌なんじゃよ」
「は、はあ。まあなんとなくは理解しました。だいぶ思い切った行動だったのですね。それはいいのですが、私が何故百代さんに絡まれたのかは教えてくれないのですか?」
「思わず、だ」
「は?」
「今回の筋書きはな、私とジジイが屋上で言い合いを始めて険悪なムードになり、グラウンドだとか駆け巡ってそこら中に私とジジイがどれくらい怒らせちゃいけないかを伝える寸劇だったんだ。だが、私はそれを遵守しなかった。あまりにも美しく洗練されたお前の身のこなしに――――嫉妬してしまったからな」
慶は百代の視線に思わず身震いした。蛇に見込まれるとは言うが、そんな生易しいものではなかったと慶は感じた。既に捕食される寸前なのか、堅く冷たい鱗を生やした大蛇に締め付けられ長く舌を這わされているような、気味の悪い感覚。
「――――それって、嫉妬なの?」
「――――いや、歓喜じゃろうな」
慶の本能が百代の快楽に浸り始めた瞳を見て、この女は狂人に近い何かだと認識する。戦闘狂ともとれる危険意思の持ち主だと、慶の中で百代はそう認識されてしまった。
「すまんかったのう、巻き込んだ形になってしまって。まあ、大分自然にことが運べたからよしとしてくれると助かる。当初の目的は果たせておる」
「え?」
「お主が巻き起こした妙な気の流れと、ワシらの拳に乗った気が相乗したのか、学園どころか川神全体にこの一合の衝撃は振動として伝わったようじゃ」
鉄心の言葉を聞き、慶はようやく学園内の異変に気づいた。入学式という記念すべき日に似つかわしくない、動揺や困惑といった不安定さから発せられる大小様々な声から構成される喧騒が学園を支配しようしようとしていた。
その原因は、三人の武道家の全力に近い攻防の際に生じた闘気の波。それは人間の本能に直接畏怖という概念を植え付けた。
「入学式、凄惨なものになりそうですけど」
「なに、心配はいらん。ワシが喝を直に入れた時よりはマシじゃ。どうせ直ぐに元に戻る」
「よく今まで潰れなかったな、この学園」
――――――
鉄心の予言通り、学園内の空気は柔らかなものとなった。しかし、柔らかすぎず、適度に引き締まっており、理想の空間が出来ていた。図らずしもこの雰囲気を作る要因となった慶だったが、少しでも学園の空気の改善に繋がったのならよしとしようと前向きに捉えていた。
結局、「これがないとやはりワシ自身、身が入らん」と、入学式の際に鉄心の喝もあったため、今年の入学生は揉まれに揉まれた根性のある学生に育つことだろう。しかし、そう考えているのは慶だけで、学生の大半は萎縮してしまっていたのだが。
そんな萎縮から学生が徐々に立ち直り始めた頃、クラス分けに伴った教室移動が終了した。
慶が所属することになったのは、学園内でも選りすぐりのエリートたちが集うと言われているトップ集団、Sクラスであった。元より勉強は予習復習さえしていれば何も問題はないということを地で行く慶にとって、Sクラス入りしたことは意外ではなかった。しかし、嬉しくもなかった。
――――協調性がないというのか、自主性しかないというのか、個性豊かというのか。
入学式が終わり、担任教師が来るまで教室で待機と言われた生徒たち。その間に親交を深めようと画策していた慶であったが、そんなことができるような空気はこのクラスにはなかった。
他人には無関心、自分の世界に入り込み、読書や勉学に没頭する者で占められようとしているこの集団は、学園の中で最も学長の喝に耐え忍び、受け入れることに成功した者で構成されている。ある意味では、受け流しきったとも言える。
その生真面目さは優秀であることの証ではあるが、慶は全くもって面白みがなく、飽き飽きして廊下に出てきた始末だった。このSクラスの中にも誰かしら、自分のように不真面目な行動をとるような生徒がいるのではないかと期待をしているのだ。
――――流石にいないよね。
その期待に応えられるSクラスの人間がいないことなど、慶自身が身を以て理解しているのだが。
「おや、同類か」
その理解が甘いことを、身を以て知ることとなる。
慶がS組での賑やかな学園生活の夢を諦めかけていたその時だった。協調性皆無の教室から一人の生徒が姿を現した。協調性は皆無、しかし個性豊かな教室から出てきたその生徒も、個性豊かであることは不思議ではない。
その個性の豊かさは服装からも見て取れた。灰色の羽織を袴の上に着込んだ姿は、見た目だけでは学生には見られない。やけに落ち着いた口調も、纏っている静かな空気も、おおよそ学生が持つものとは言い難い。
「あの中は息が詰まりそうでな。どうにも落ち着かない」
「同感だね」
しかし、慶は学生との会話を続ける。向こうからアプローチをかけてきた瞬間に、慶は学生に対して興味を持ってしまった。コミュニケーションを取ろうとしてくる彼に、コミュニケーションを取ろうと画策していた慶が、彼との会話を拒否しようとするはずがなかった。
「それにしても、意外だね。私はもうS組での楽しい生活を諦めかけていたところだったんだけど、貴方みたいに気さくな人間がいたなんてね」
「それはこちらも同じだ。あんな面白味のない教室の中に、唯一抜け出そうとしたイレギュラーがいたのだから」
どうやら学生もまた、慶と同じようにS組の教室の居心地の悪さに嫌気がさした部類だったようだ。大きく溜め息を吐いて呆れ顔をする彼に、慶も苦笑いをしつつ同調する。二人の間に流れる空気は、不思議と十年来の友人のように落ち着いたもので、静けさと温かみの同居する穏やかなものだった。
「もう一つ、意外なことがあるのだけど」
「何だろうか」
「貴方、ええと……」
「自己紹介がまだだったな。私は京極、京極彦一だ」
「京極君。貴方はその、もっと真面目そうな印象だったからね。こんな廊下に出てきて駄弁るような柄じゃあないと思ったのさ」
それを聞き、彦一はにっこりと優しい笑みを浮かべる。二人が笑い合ったそれだけで、その場の空気が一気に華やかになった。
「真面目かどうかで聞かれれば、Sに入れる程度には真面目だ。しかし、興味のない人間に付き合ってやるほど、私はお人好しじゃなくてね」
「なるほど、一理ある」
「そういう君こそ、言いつけを守っていないじゃないか」
「こんなことならFクラスにでも行くべきだったかなぁとか思ったりしてね。物思いに耽っていたんだよ、実に不真面目にね」
再び二人が笑いあう。互いに真面目そうだと思い込んでいた者たちが、ほんの少しだけ不真面目な行動を取っていることが馬鹿馬鹿しくなったのだろう。
「ところで、君の名前をまだ聞いていないな」
「おっと、そうだったね。私は天野慶。よろしくね、彦一君」
名を呼ぶのはまだ二回目だというのに、慶は早速彦一とファーストネームで呼び始めた。しかし不思議なことに、彦一はそれを嫌だと思わなかった。それこそ十年来の友人のように、そう呼ばれるのが当たり前かと思えるほどに違和感がなかった。
「よろしくな、天野」
「うん」
二人はがっちりと握手を交わす。そこで、彦一の頭に疑問符が浮かんだ。
「どうかした?」
「いや、すまない。間違えていたら謝ろう」
やけに前持った言い方だなぁと慶が不思議に思っていると、彦一が疑問に思ってしまったことを申し訳なさそうに切り出す。
「君は、男じゃなかったのか?」
瞬間、その場の暖かで華やかだった空気が、氷河期に突入したかのように一瞬で冷えかえった。
「す、すまない。女だったのか」
その言葉で、場の空気はさらに凍りつく。疑問を投げかけた彦一でさえ動揺してしまうような、絶対凍土のような極寒の空気。
――――お、男じゃない、しかし、女と言ってもこうなるのか?
完全に動揺していた彦一。何がまずかったのかさえ分からないまま、ただただその場の冷たい空気に身を晒していた。人のデリケートな部分に対する接し方に疎い彼だが、今この場の自分の選択に間違いがあったということは分かっていた。
「さ、些細な問題だったな。すまない、忘れてくれ」
彦一は考えに考え、必死に言葉を絞り出した。
するとどうだろうか、先程までの冷たく凍りついてしまうような空気は一瞬で霧散し、先程のような温かく柔らかな空気が舞い戻ってきた。むしろ、冷たさを肌で感じてしまったので、今の空気は先程よりも陽気なものに感じられた。
「ごめんね、ちょっと神経質だった」
「あ、ああ」
「性別の話は嫌いなんだ。この学園に来て初めてだったから、少し準備できてなかった」
「なるほど、親しくない者にはあまり聞かれたくない話、か」
「親しかろうが親しくなかろうが、一貫してこの話は得意じゃないんだ。好んでこんな体や顔をしてるわけじゃなくてね。次回からは表に出さないようにするよ」
彦一の目に驚愕の二文字が浮かんでいるように見えた。目の前の人物が、自身の魅力の一つとも言えるその中性的風貌を鼻に掛けず、それどころか批判している。
彦一は自分の美しさと言うものを自慢し活用してきた人間を五万とみてきた。それこそ、飽きが来るほどに観察していた。自分に惚れて、自分を愛し、自分に欲情できる人間にも出会ってきた。逆に、自身を醜いと貶し、嫌って自傷行為にまで及んだ人間も見てきた。
しかし、彦一が今まで見てきたどの人間にも慶は当てはまらなかった。彦一が見てきた人間の中でも断トツな美しさを持つ慶が、自身を憎んでいるようにも見えた。
先程の握手で、彦一は慶の手の柔らかさを知った。まるで女のような柔肌、優しく我が子を包み込むことになるだろう暖かい手だった。
彦一は外見から慶を男と判断し、触って女と実感する。しかし答えは分からず、慶はそれをひた隠しにしようとする。中性の体現こそ自分であると、暗にアピールしているようにも取れた。
その人物像に、彦一は心の中で舌なめずりをする。
――――興味深い。
「わかった。この話はやめよう。いつか君がそれを笑い話として話せるようになったら、酒の肴として話してくれ」
「成人した後なら、そうさせてもらおうかな」
――――あわよくば、引き出してみるとしよう。長い付き合いになりそうだ。
一人は頑なに自信を隠し、一人はそれを暴こうとする、駆け引きだらけの親友が誕生した。
――――――
Collaboratiion Works start...
Stage is "DRIFTERS".
Which side is in the right?
Which is in the wrong?
Which will be right DRIFTERS or ENDs?
Coming Soon...
――――――
第二部回想編、開幕です。
二〇〇九年時点で三年生の学生たちの過去を書き出し、慶と百代との間にある因縁の決着へと繋げようと思っております。そのため、まずは因縁を書き上げなければなりませんね。一部よりは短くなると思われます。時間は少々かかりますが、お待ちいただけるとこれ幸いでございます。
明るめの慶を描きたかったのに、どうしてこうなった、というやつです。大体は京極のせいです。京極マジ好奇心の獣、決して野獣ではありません。
コラボ企画、スタートしました。
企画内容は、「ドリフターズ×まじこい!」という、先達の方のコラボに触発されたものとなっております。平野耕太氏の原作も「聖杯戦争を原作以上に血生臭いものにしてくれ」と頼まれて書き始めたという逸話があったりなかったりなので、私が聖杯戦争コラボを見てこの企画を思いついた(正確には私と友人の悪ふざけの副産物として誕生した)のも不思議ではありませんでした。
一週間以内に参加者を記したプロローグを投稿し、遅筆ながらも更新していきたいと思っております。参加企画をハーメルン上で発表する前に参加者決めてんじゃねぇよ、というお怒りの声は確りと受け止めます。申し訳ありません、もう締め切らせていただいております。
結論、それほどまでにこの企画、勢いだけでできているのです。