真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
安法
入学式から数日経ったある日。例年通りならば、川神学園の体育教師でもあり川神院の師範代でもあるルー・イーの監視の下、一般的高等教育には存在しないような技術と機材を織り込んだ体育の授業を展開しているところだったが、その体育の授業が一回目にして体系を失っていた。
特例を一回目に適用してしまえば、二回目以降の普段授業が特例に感じてしまうかもしれない恐れを考慮して尚、ルーはそれを敢行した。
この川神学園の一年生の体育は合同授業ではあるが、全クラスが揃って授業をやることなど存在しない。そうなってしまえばただの体育祭だ。
合同授業の本来の目的は、格上の人間と同じことをすることで刺激と飢えを与えようとする、川神学園の教育方針に則ったものだ。
しかし、今日の体育だけは違う。
きっちりと一年S組からF組までの全クラスが集結し、グラウンドを埋め尽くさんとしていた。
「みんな揃ったネ?」
そして、監督者たるルーがこの場にいないという訳でもない。怪我をしてコンディションが万全という訳でもない。怪我らしい怪我は見る限り無い上に、片足を上げてポージングを何度も変えている。これが怪我人のやることだったら、地球全土は怪我人で埋め尽くされてしまう。
「最初の授業だけどちょっと変則的だヨ! 特別講師が来るからネ! もう少しだけ待っててヨ!」
ルーの言う特別講師と言う言葉に生徒がざわめき始める。一学年のほとんどが動揺したのだ、そのざわつきも相当な声量の渦となる。騒音、喧噪と言っても過言ではないだろう。
その喧しさの中、大きな声を出すことなく会話を試みる生徒の集団があった。
「モモちゃん、知ってる?」
「特別講師のことか? 私は知らないな。あまり強い気配は感じないから大丈夫じゃないか? 期待しないでも」
百代は対して興味が無さそうに梓の質問に答えた。そっけない態度に梓は少し不満げだったが、その質問を左脇にいる別の人物に向ける。
「ねぇねぇ、ソラはどう思う?」
「そうだね。強そうな感じはしないけど、気味の悪い感じはするかな。その講師とやら、何かしらの強さを隠しているって所かな」
梓の質問に応えつつ自分の意見も交えて回答した慶に、梓はとても満足気だった。
梓の右脇で話を聞いていた百代は、慶の表情をじっと見つめてニヤニヤとしていた。それに気づいた慶が目を細め、俗にいうジト目で百代を見つめ返す。
「…………なんだい、百代さん?」
「いやぁ? なかなか気に入っているようじゃないか、そのアダ名」
「ぐっ……。ま、まあね。華月から賜ったものだから、それなりに大事にさせてもらうさ」
痛いところを突かれたようで、慶は背中に若干の汗をかきつつも平静を装っていた。アダ名というものが初めてなこともあり、どうにもまだそこを突かれることに慣れていないようだ。もどかしくこそばゆい、初々しい反応であった。
「ほう、お前にはそんなアダ名があったか」
その会話に興味を持った者がこっそりと慶の背後から声をかけた。その囁くような声に、何故か百代と梓がゾクッと悪寒を感じて身を震わせたが、実際に囁かれた慶は大した動揺も見せず、拙いところを聞かれたと言いたそうに顔を引き攣らせていた。
「ひ、彦一、いたのかい?」
「言っただろう? 興味のない人間に付き合う程お人好しじゃないと。言い換えれば、興味のある人間には確りと付き合わせてもらおうと思ってな」
彦一の微笑みは恐らく本心から来ているものだろうが、慶はその本心を推し量れずにいた。その本心は純粋に慶との親交を深めたいと言う純粋さなのか、慶の一度だけ見せてしまった自分のコンプレックスに関する好奇心なのか、慶は彦一の奥底を見切れていなかった。
慶は彦一との面識があったため、この神出鬼没ぶりにも慣れ始めていたが、ほぼ初対面とも言える百代と梓からすれば心臓に悪いことこの上ない。
「確りとした自己紹介は初めてになるな。S組、京極彦一だ」
「……F組、川神百代」
「お、同じく、南浦梓!」
彦一が先に名乗ってしまったこともあり、百代も最低限の礼儀として名を教える。梓に至っては、百代が自己紹介をしたのでつられて名乗っただけである。
その二人の行動を見て、彦一は慶に向けた微笑みとは若干意味合いの違った不敵な笑みを浮かべる。
「何がおかしい」
「なに、決して君たちを嘲笑している訳ではない。君たちを見ると、S組の連中に交じっている自分が滑稽でね」
「? どういうこと?」
「退屈なんだよ。私も、彦一も」
慶は百代と梓にS組の状況を教える。協調性のなさ、一種の没個性集団、息苦しい競争意識、挑発に満ちた空間。S組の居心地の悪さに感じた慶と彦一の不満一切合財を、多分に脚色して伝えた。
脚色したのは彦一だ。ほんの少しでも、“S組印象が悪くなるよう”に誇張しているように見受けられる。
慶はそれを咎めたりせず黙認していた。一体どんな覚悟と奸計があっての大げさな物言いなのかは分からなかったが、それが彦一の不満を解消してくれるのなら大した問題にはならないだろうと楽観視していた。
これが伝統的なF組とS組の対立にさらなる拍車をかけることになるのだが。
「言うなれば自嘲と、歓喜だ。君たちはそのままでいてくれればいい。実に愉快だ」
「F組、というかS組以外の生徒は積極的に絡んでくれるからね。積極的過ぎてこの間階段から落ちそうになったけど」
「待て待て、私が聞き逃しちゃいけない侮辱と、言った本人が受け流しちゃいけない事故が聞こえたぞ。京極って言ったなお前ちょっと屋上行こうか」
かの武神である百代に胸倉を掴まれながらも彦一は笑ったままだった。寧ろこうして胸倉を掴まれて乱暴にされていることに奇妙な快楽を感じているようだった。その笑顔が気に食わなかったのか、百代はそのまま彦一の体を前後に揺さぶって鬱憤を晴らしていた。
そんな気味の悪い光景を脇に、梓は梓で慶の両肩を持ってガクガクと慶を揺らしていた。百代に比べれば勢いはないが、それでも慶の首はぐわんぐわんと激しく揺れていた。
「ソラ、階段から落とされそうになったの!?」
「落ちそうになった、だからね? ワイワイはしゃいでいたら足が引っかかってバランスを崩したところに体当たりが来ただけだから」
「それ確信犯じゃんか!」
「無傷で着地できたし、その後ちゃんと謝ってくれたから故意じゃないさ。大丈夫大丈夫」
「う、うーん。謝ってくれたからって故意じゃないとは限らないんだけどなぁ……」
彦一と慶の強制的ヘッドバンキングが終わったのを見計らってか、タイミングよくさらに生徒が集いだす。
「WAO! HARDCORE! HEAVYMETAL!」
「よくそんなことをされて笑っていられるで候」
「…………ちょっと顔を見せに来たら、何してるの?」
「おお、華月じゃないか!」
「おっと!」
百代たちの近くに寄ってきた三人の内一人、華月に百代は勢いよく抱きついた。その際に胸倉を掴まれていた彦一は放り出されたため、バランスを崩してしまうが慶に支えられて事なきを得た。
「なぁ華月、結婚しよう」
「わたしかももちゃんが男だったらね」
「ちっ、揺るがない同性愛否定……!」
「百代は少しはその姿勢を崩すで候」
華月に頬擦りしながら求婚する百代、頬擦りを拒まず求婚を拒む華月、この光景に見慣れてしまった自分に呆れたように溜め息を吐く弓子。
その弓子を若干観察するように、彦一はそっと弓子に近づいて言葉を囁く。
「同性愛という時点で私の理解の範囲外だというのに、川神はどちらも“いける”そうじゃないか。実に観察のし甲斐がある。そうは思わないか?」
「そうだね――――んんっ! 確かに、特異な例で候……」
普段ならスラスラと言葉を紡ぐはずの弓子だったが、彦一との対話は何故か円滑に進まない。それを不思議に思っているからこそ彦一はアプローチをかけるのだが、その真意には気づけないでいた。
それを不思議に思っているのは何も彦一だけではなく、この場にいる生徒では約二名がそのつっかえつっかえ話す態度に違和感を感じていた。
(…………ねぇけいちゃん。ゆみちゃんはひこちゃんのことが好きなのかな?)
(…………そうとは限らないが、何か表立たせたくないことがあるのは確かだ)
(…………だからこそ、私はこうして話しかけているのだがね。実に興味深い)
弓子が少し頬を赤らめながら何度もわざとらしく咳き込むその様を見ながら、彦一と慶と華月の三人は顔を寄せ合ってコソコソとか細い声で会話をする。
(…………好きって感じじゃないかな、あれは。隠しているって感じがピッタリだ)
(…………私もそう思っている。第一、私に好意を抱く連中はあんな態度をとらない)
(…………二人共さ、冷めすぎてない? 特にひこちゃん。少しは期待したりしないの?)
華月が二人のあまりに冷静過ぎる客観的判断に若干引いてしまった。この年頃の学生ならば、男性だろうが女性だろうが関係なく、男女関係が話題の種となっている俗に言うところの恋バナ、というものには目をキラキラとさせて食いつき、落ち着きがなくなるほど興奮するものだと華月は認識していた。
しかしどうだ。目の前にいる見学覚悟の着物少年と、性別を隠そうと肌の露出がほとんどないジャージ姿の生徒は、機械的にしか状況を把握しようとしていない。
(…………申し訳ないが、そういったことに対する興味は微塵もなくてね。親愛が限界だ)
(…………彦一は恥ずかしがりだからね)
(…………君ほどじゃない)
(…………いやいや、君は相当さ)
君だ、いいや君だ、いやいや君だ、などとひたすらに肘で互いの脇腹を付き合って恥ずかしがり屋であることを押し付け合う彦一と慶。一体機械的なのか人情的なのか分かったものじゃない、と華月は呆れて苦笑する。
一方、百代と梓は虎子のブルマ姿をじっと見て、一言述べる。
「タイガーは流石に体育じゃ頭の飾り外すんだね」
「動き辛そうだしな」
「NO! ワタシ、ホンイジャナイ! BAN! サレタ!」
GAO! と叫び、両手を虎の爪でも表現するように曲げて、不満が溜まっていることをアピールする虎子。普段からつけているアクセサリーの数々がないこともあり、インパクトはいつもよりも半減してしまっている。
百代も梓も大体予想していたのか、虎子のシンプルな飾り気のない姿を堪能する。
「やはり素材が良いな」
「他に言い方無かったかな」
「いやいや、かなりいいスタイルじゃないかな。もう少しヒップが大きい方が俺の好みなんだけどね」
百代と梓の間にぬっと顔を出し、自身の理想の女性のスタイル像を曝け出した一人の男の出現に、百代も梓も固まってしまった。
背後に立たれたどころか、肩に顎を乗せんばかりまで近づかれてようやく気配を察知できた。そのスタイルを褒められた虎子でさえ、褒められてから数秒してようやく違和感を感じたほどだ。
その男を囲う様に、その場にいた百代、慶、華月、虎子、梓の五人が男を取り囲んだ。弓子は彦一を庇うように少し離れた位置を陣取っている。
その異様な光景と雰囲気に、生徒のざわつきの色が変わる。
「あ、あら? ち、ちょっと待った! そんな本気にしないでよ!」
その状況が如何に危ないものかを察したのか、男は慌てだして即座に謝罪する。
その姿を見て、五人の内三人が臨戦態勢を解き、その男に素早く近寄った。
「成実さ――――」
「何やってんのさ成実
「へぶぅあ!?」
バッシーン!! と、小気味いい乾いた音が激しくグラウンドに響き渡った。首がぐりんと勢いよく回り、男の金髪がさながら洗髪料のコマーシャルで見られるように、サラサラ感をアピールするようにふわりと舞った。
百代と慶が戦闘態勢に入り空気が重いものとなっていたのに、その痛快な音に全てが吹き飛んでしまう。傍観者と化し始めていた生徒群はポカーンと開口したまま、華月と男以外の人間は何も声を出せずにいた。
男が勢いよく叩かれたのも強烈だったが、その音を出した原因が基本的に厭戦的である華月であるというのが大きな要因になっていた。
「い、痛いな華月、首折れるかと思った……。ひ、酷いじゃないか!」
「セクハラしている変態には当然の体罰!」
「せ、セクハラなんかしてないのに……。そうでしょ百代ちゃん?」
「え、あ、はい……」
成実に同意を求められた百代だったが、あまりの急展開にその返事はおざなりなものとなってしまう。
まず成実という人間がこの場にいることはまずありえないことであり、その成実に対して痛烈な張り手をしたのが普段は温厚な華月であるという二点で、既に百代の脳内は処理が追い付いていなかった。
「お、ようやく来たネ」
その処理を補助するためという訳ではないだろうが、百代がショートする寸前でルーが成実の下へやってきた。
「る、ルー師範代。なんで成実さんがここに……?」
「何でと言われてモ。彼が今日の特別講師だからだヨ」
「「「えぇ!?」」」
その事実に驚いたのは、成実に張り手を食らわせた華月と、成実に声をかけられた百代に加え、もう一人。
「あれ、なんでソラが驚いてるの?」
「い、いや、私は華月と幼馴染と言うこともあって、成実さんともそれなりに面識があってね」
「いや、それより私はそこの御仁と華月、百代の関係性が気になるところだ。その華月との関係性が分からない限り、お前のその言い分も理解できないものでな」
慶に成実との関係性を問いただした梓に便乗するように、彦一もまた百代と華月の二人に質問を投げかける。
「ちょっとこれはどう言えばいいのか悩むところなんだけど――――」
「悩む必要無いでしょバカ兄、ただの従兄だよ!」
「私と成実さんは、その、一回殺し合った仲と言うか……」
「血縁関係と同列に並べちゃいけない単語出てきたよね!?」
「OH……。CRAZY……」
華月と百代が照れながら成実との関係性を述べるが、百代が照れていることに梓は勢いよく突っ込んでしまう。その態度に思わず心の声を漏らしてしまった虎子に加え、この武神の生き様はもう手遅れだと言わんばかりに両手を上げる彦一の姿もあった。
「話はまとまってないようだけどいいかナ? 授業も進めたいからネ?」
――――――
「九鬼従者部隊十二番、三条成実と言います。皆さんよろしくお願いしますね」
ニッコリと微笑む成実の顔には真っ赤な紅葉が浮かび上がっており、どうにも締まらなかった。
「今年の新入生は武術を習ってる人が多いって聞くからネ。折角だから実力を見ておきたいと思って、この学園のOBを連れてきたんだヨ」
「要は組手をしようってことですか?」
「そうだネ。だから武術をやっていない子は別のメニューをやってもらうヨ! と言っても親睦を深める意味合いでサッカーだけどネ」
そう言うとどこから取り出したのか、ルーはサッカーボールを足で浮かび上がらせてリフティングを始める。予め打ち合わせをしていたのか、どこかのクラスの体育委員を思われる少年がルーからサッカーボールを譲り受けた。
組手をする生徒とサッカーをする生徒に分かれるのにはそう時間はかからなかった。「無理して組手をしなくても構わないヨ」とルーが付け足したのだが、恐らくそれはほとんど関係していないだろう。
武術の総本山のある川神の武人だ。九鬼従者部隊の十番台ともなれば腕試しをしようと血気盛んとなるに決まっている。腕試しできるような実力でなくとも、十分な見稽古となることは間違いないのだから。
サッカーはサッカーで、よくて運動に自信がある程度の一般人で構成されたクラス混合チームでの対決だ。超人的な動きをする生徒がほとんどいないものだから、サッカーも平和に楽しむことができるだろう。
そして、武術チームはサッカーから少し離れた野球ができる程度の広さのグラウンドに正方形の線を引き、児戯的かつ疑似的なリングを製作して準備が完了される。
「ルールは簡単です。制限時間三分、リングの外に出た方が負け。武器の使用有り、金的目潰しだとか、急所や危険なところを狙ったら反則負け。ギブアップ有効。堅苦しく言っちゃってるけど一応先輩という身の上なので、大体のことには厳しく言わないようにしようかと思ってます。先手は譲るよ」
「時間も少ないから始めるヨ! 誰が先陣を切るかナ?」
「俺が行くぜ!」
ヒラヒラとてを振って余裕ぶっている成実に対し、意気揚々と四角形の敷地内に入り込んでいったのは、何故か眉間に皺を寄せてメンチを切っている男子だった。
「一年A組の村上だネ」
「おう」
「血気盛んだね。よろしく」
成実が握手のつもりで差し出した手を、村上は舌打ちしながら、パァン! と弾いた。そのような挨拶も、欧米諸国の各地方にないこともない。Dap Greetingと総称されるものだ。
しかし、彼の心内は違う。
――――いけすかねぇ。
心の中にあるのは、黒い感情。
――――イケメンだからって調子に乗ってやがる。
水泳部入部希望村上、彼は顔の整った男性を嫌う。
――――文字通り鼻を折ってやるよ。
醜く汚い感情によって左右される村上だが、彼が得意としているのは水中戦だ。陸の上での攻撃は特筆するほどではない。
しかし、彼は勝とうと考えていない。少しでも成実に傷をつけようとしているだけだ。
――――そのすかした顔を歪めてやるぜ。
「それじゃあ一人目、開始!」
「おりゃぁあああああああああああああああ!!」
村上は開始と同時に突撃した。後先のことなど考えない愚直な特攻だ。一撃顔面に拳を入れるだけで勝利を狙っていない特攻男は、相手の評判を落とすことだけに今この一時を生きている。
村上が握りしめた拳は、四角形の敷地の中央に立つ成実の顔面に、すんなりと突き刺さった。
「――――へっ?」
「まあ、悪くはないんじゃないかな」
成実は村上の拳を避けることなく、むしろ自らその拳を迎えに行った。その結果、村上の拳は成実の鼻頭ではなく、成実の額に当たってしまった。
成実は一切痛がるそぶりを見せず、極めて自然に村上の手を左手で握って引き寄せた。
「組手なのに呆けてちゃ駄目だぞ?」
そう優しく諭しつつ、成実は村上の腹部に右手の甲を押し当てた。
すると、村上の制服が背中で弾けたようにブワッと浮かび上がり、村上は堪らず嗚咽と涎を吐き散らし、絶叫を上げることなく意識を失った。
「そこまデ! 成実の勝ちだネ」
「ありがとうございました。次の人ー?」
成実が村上を敷地の外へお姫様抱っこで運びつつ、次の挑戦者を敷地内に入る様に声をかける。
しかし、今の不可解な光景を見せられて、率先して戦いたいと名乗り出る酔狂な人間はいないだろう。村上が倒れた理由が分からない状態で挑もうとする武人は、無謀というレッテルが張られることだろう。
「次はわたし」
そんな無謀のレッテルが張られることに恐れることなく、一人の少女が名乗りを上げる。
「か、華月!?」
華月が鞄を持ったまま準備体操を始めている様を見て、思わず慌ててしまう百代。華月がこのようにやる気になってしまうと、頑なに自己を通そうすることを知っている百代だが、それでも華月を何とか引き留めようとする。
「い、今の見てただろ? 危ないぞ!」
「ももちゃんは一番最後にやるんでしょ? ももちゃんがやらないって言うならわたしもやらないよ」
「うぐっ……! ひ、卑怯だぞ華月!」
「まあまあ百代さん落ち着いて」
「落ち着いていられるか! か、華月の可愛い顔に傷が付いちゃったらどうするんだ!」
「少しくらい手元から離してあげたらどうだい? 守られるばかりじゃ弱い人間になってしまうよ?」
ほんの少し悪知恵を付けて親を困らせる娘。それに翻弄されつつも娘の申し出を許せないでいる父親。もう娘はいい年なんだから自分で行動させてあげなさいよと、少しきつく父親を宥める母親。この三人で構成された家族らしい構図が、同い年の女子生徒三人だけで描かれている。妙な寸劇に思えるが、百代たち当事者は至って真面目である。
「それじゃあ、行ってくるね」
「あ、ああああ、華月ぃ……!」
「確りと成長を見守るのも、親の務めだと思うよ?」
若干一名、慶だけは劇団のような振る舞いをしているが、それは御愛嬌。
両親から見送られ、戦場に足を踏み入れた華月。その手には、通学にも使っている茶色の革製鞄。ビジネスバッグにもみられるような、極めてシンプルな手提げ鞄だ。
「先手は譲る、と言いたいんだけど、それじゃあ三分何もせずに終わっちゃうね」
「流石成実兄。よく分かってるね」
「伊達にお兄ちゃんやらせてもらってないからね」
そう言って成実はにっこりと笑い、村上の時には取らなかった構えを取る。その構えは実に奇妙で珍しく、それでいて何故か彼にしっくりくるものがあった。息を吸いつつ両腕を一度大きく開き、ゆっくりと息を吐きながらゆっくりと腕を落とし、ギュッと脇を締めて両手を首元に添えた。
一方の華月の構えもまた独特だが、こちらもまた違和感はない。鞄の取っ手部分を持たず、鞄の上辺をグッと握って首から胸元にかけてを護っている。決して自分から攻撃はしないと堂々と主張しているようだった。
双方の構えを確認し、ルーは右手を上げる。
「二人目、開始!」
開始の合図と同時に、成実はゆっくりと動きだし、華月の隙を窺う。
鞄が届いていない、視界的に悪いのはまず間違いなく下半身だが、成実はそこを攻めようとしない。
――――あれには一回痛い目見てるからな。早計は禁物禁物……。
華月は成実の慎重さに対してより敏感になり、決して成実から目を逸らすことなく、鞄を成実の正面に対して垂直になる様に保っていた。
三分と言う時間制限上、成実は一撃目までに時間を多く割く訳にはいかなかった。成実は防がれることを承知で拳を繰り出すため、華月に突撃する。
「ほっ!」
成実は拳を握ることなく、かと言って開き切ることもなく、まるで力を抜き切っているような掌を華月の鞄目掛けて突きだした。
「むっ!」
その一撃に対し、華月は鞄で防ごうとせずに一歩下がって距離を置く。そしてそれを詰めるように何度も成実の両手が襲いかかる。
「こらー!! 華月の胸を触ろうとしたら承知しないぞー!!」
「百代、少し静かにするで候」
「BEAUTIFUL LOVE? 華月モテモテ!」
「ただの親馬鹿だから、虎子さんも気にしないでくれ」
――――恥ずかしいヤジ飛ばさないでよ……!
成実の攻撃を余裕を持ってかわしつつ、こんな時くらいまともに応援してくれ、と華月は心の中で百代に若干苛立ちを覚えていた。
未だに鞄を使わない華月と、攻め手を変えない成実。そのまま一分が経過しようというところで、成実の動きに変化が生じる。
「っ!?」
先程まで掌を見せていた成実の手が、完全に下を向けた状態で突き出されるようになった。華月から見れば、掌よりも爪の方がはっきりと見えるようになったことだろう。
途端に伸びたリーチに反応できず、成実の指先は華月の鞄に衝突する。
その瞬間、ボンッ! と華月の鞄から爆ぜるような音が聞こえた。
華月はその爆音と衝撃に踏ん張ることができず、その勢いに押されて数歩後退してしまう。
「うーん、割といい手応えだと思ったんだけど、相変わらずその鞄凄いね」
「何十年何百年と受け継がれてきた由緒ある鞄だから」
「いつも思うんだけど、それじゃあ江戸明治からそんなカジュアルな鞄があったってことなのかな?」
「あくまで素材だけだから。形は時代に合わせて移り変わるのが世の常鞄の常」
「そんなこと聞いたことないけど」
――――それでも、耐え切れなかった……!
華月の鞄に感心する成実だったが、その鞄の異常に華月は冷や汗を流す。体操服のせいで背中はぴったりと張り付き、お気に入りの空色の下着が透けて見えてしまっていることに気を配る余裕もなかった。
華月の鞄の防御力は、華月が知る限り鉄板よりも硬く壊れない程強固なもの。その自慢の華月の鞄でさえも傷をつけられてしまっている。先程成実の中指の先端が振れたところは、まるで煙草でも押し当てられたように黒く焦げて凹んでしまっている。ただ、その凹みの直径は煙草の直径の三倍はあった。成実の中指で換算しても二倍はある。
――――革の張り替えしなきゃいけないな……。
華月は鞄の傷をそっと撫でて、鞄に対して労いを送る。ありがとう、声には出さずに鞄に祈りを込めるように強く念じた。
「ほら、行くよ!」
成実の攻撃が再開される。制限時間も折り返しだ。成実の攻撃速度は上昇し、リーチもさらに伸びる。華月はそれを受け流すことなく、必死に交わしていく。触れたらまたあの衝撃が来ることが分かっていたから。
すると成実は、見えている華月の鞄を持つ右手のほんの少し右に狙いを定め、今日一番の速度で手を突き出した。鞄は再び炸裂音と共にその身を焦がす。
「うっ――――!?」
先程と違うのは、その凹み具合が深く、華月が右手を離してしまったこと。
「鞄の裏に隠れた右手親指の節を狙ったから、そりゃ痺れるよね」
諭すような言葉と共に、成実は華月の左手も同様に潰そうと右手を伸ばした。
「っ――――!」
その瞬間、華月は思い切り身をかがめて成実の攻撃をかわし、今まで使ってこなかった取っ手に左手をかける。回避と同時に成実の足もとへ潜りこんだ華月は、体を捻じって左肩を成実に向ける。
その溜まりに溜まった力を解放し、遠心力を乗せて鞄を全力で振り回し、右手を伸ばしきって左半身を開けている成実の顎を狙った。
「おっと!」
しかし、その鞄の最後の攻撃も、成実の余していた左手に止められてしまう。見事に成実の顎の手前で、華月の鞄の角は捕えられてしまう。
「何度も同じ手に引っかかるね」
「――――あっ」
何かに気付いたのか、成実は急いで鞄から手を離そうとするが時すでに遅し。
最後の攻撃を止められて笑っていた華月は、成実が握っている鞄の角とは対角線上の角についている金属製のバッジ、桜のマークのピンズのようなものを勢いよく引き抜いた。
その瞬間、ジジッ! という音と主に成実の体に激しい激痛が迸った。
「いづぅっ!?」
成実は咄嗟に鞄を掴んでいた左手を離し、涙目になりながら華月を引き寄せて腹部に掌底を叩きこんだ。
「がふっ!」
村上同様に掌底を入れられて気絶しそうになるが、その直前に華月は「してやったぞ」と百代たち観客に親指を立てた拳を突出し、俗にいうドヤ顔のまま意識を手放した。
――――開始直後の確認は何のためにしたんだ……! 俺の馬鹿野郎ぉ……!
「そこまデ! 成実、油断したネ? 仕込みスタンガンにやられるなんテ」
「痛い痛い痛い痛い痛いいいいぃぃ……!! バ華月め、それは外しておけといつも言ってるのに……!!」
「ホラ! 挨拶までキチンとやるんだヨ?」
「あ、ありがとう、ございました……!」
挨拶が終わり華月を敷地の外に運び終わると、左手をブンブンと振って痛みを紛らわせようとする成実の姿があった。村上の時の額の痛みとは違い、スタンガンによる電流には余裕がほとんどなかったようだ。
「どうだい、私たちの娘は。一矢報いたじゃないか」
「流石だね。私たちも鼻高々だ。成実さんも、華月が悪戯好きなのは知っていたくせに、昔からよく引っかかる」
「成実さんも従者部隊として格好を付けていたかったろうに、憐れ憐れ」
「百代さん、もう少し何か言いようはなかったかな」
華月の善戦、もとい悪戯に、百代と慶はご満悦だった。
コラボ企画執筆中……
――――――
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。という月並みな定型文を文頭に置かせていただきます。
気づけば一月も中旬に差し掛かりました。お待たせしてしまい申し訳ありませんでした。お待たせして申し訳ありませんと謝罪したところであれなのですが、もうじき試験がやってまいります。そろそろ勉学に意識を向けたいので、少しばかり執筆の力を緩めますので、更新はまたすこし遅れが出ると思われますが、気長にお待ちいただけるとこれ幸いでございます。
過去編ようやく三話です。一体いつになったら過去編は終わるのだろうかと、私自身も震え上がっている状態です。
この組手と言う名のお遊びはまだ数話程続きます。加えて文字数増えてしまっています。筆が乗るとはよく言ったものです。楽しく書いていく所存であります。
故に誤字脱字、誤用も見られるやもしれません。もしお暇であればそちらの報告もしていただけると有りがたいです。
それでは締めにも一つ。これから一年弱、改めてよろしくお願いいたします。