真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
大伴黒主
武士道プラン。
それは過去の偉人たちを現代にクローン人間として蘇らせ、現代の若者と交流を深めることにより、若者の意欲と競争力を高め、“飢え”と“渇き”を与える九鬼グループの計画である。
その受け皿となった川神学園に、四人の偉人のクローンが編入することになった。
源平合戦において源氏を勝利へと導いたが、兄との不仲が生じた結果自刃した、薄幸薄命の英雄、源義経。
忠義を掲げ豪腕を振るい、義経と死ぬまで共に戦った、鬼の名をかつて持っていた豪傑の英雄、武蔵坊弁慶
自身の兄弟を全て敵に回し、唯一人源氏についた、挑発する平家の意欲を扇とともに射た弓兵の英雄、那須与一。
そして、未だに正体は謎に包まれた英雄。彼ら四人が川神学園に生徒としてやって来たのだ。
しかし、彼らの容姿も性格も史実とは異なるものばかり。義経は非常に真面目で策を不要とする女子へ、弁慶は義経を可愛がるような飲んだくれの女子へ、与一は若干残念な精神の持ち主へと育ってしまった。
それでも、彼らの強さは折り紙つき。過去の逸話伝説に恥じない力を持っている。やはりそこは九鬼のクローン技術が優れていたことがあるだろう。
そして、その武士道プランが全国にほぼ全てのメディアにより報道され、日本中、いや、世界中がどよめきたった。あの義経が、弁慶が、与一が、現世に蘇生されたと。
その影響で世界中の猛者が川神に集い始めた。目的は英雄との決闘、英雄に勝ったという成績が残されればそれは素晴らしい誇りとなる。皆が過去の英雄と戦いたくてうずうずしているのだ。
しかし、そんなにも多い人数を捌ききれる筈がない。英雄と言えども体は一つ、しかも決闘を真面目に受けるのは義経だけときた。捌くなどという効率のいいことはまず行えないだろう。
そこで九鬼家は効率のいい選手の選抜方法を考えた。それは通り抜けることが困難な関門を用意することだった。その関門とは、川神百代。彼女と戦い挑戦権を認めてもらうことだった。並大抵の武人では弾かれてしまう関門を設置したことにより、質の高い決闘のみが行われるようになった。
川神百代の欲求不満解消、義経との決闘志願者の選抜、濃密な決闘による見学生徒の意欲向上など、一石二鳥よりもお得なシステムが出来上がった。
義経の体が疲労で倒れるやもしれないが、そこは英雄の力の見せ場、義経は弱音を吐かずに精一杯の力を尽くしていた。
その関門にある男が挑んだのは、そのシステムが開始されて数日後のことだった。
「さあ! 次はどいつだ!?」
多馬川の河川敷で川神百代が心からの笑顔でそう叫んだ。川神百代の周り正しく死屍累々、力の及ばなかった挑戦者が苦しみ悔しみうち臥していた。
今のところ義経への挑戦権を獲たのは僅か九人。百代が満足できた相手は一人もいないが、流石に全員倒しては不味いと採点は甘めにしていた。そうでもしないと、義経への挑戦権を手に入れられるのは、百代や義経と同ランクの壁を越えた者に限られてしまう。
百代は欲求不満を全て解消できないでいたが、九鬼家の執事との取り決めの一つとして、対戦申し込みの人数が落ち着き許可が出せる状況になれば、義経との決闘を認めるというものがあった。それを支えに百代は与えられた責務を全うしていた。
そして辺りに立っている挑戦者がほとんどいなくなった時、土手を降りてくる一つの人影があった。
「儂も参加して構わぬか?」
百代はその声の主を確認しようと顔を向けた。
そこにいたのは、翁。実の祖父である鉄心よりは若いが、元川神院の門下生であり元四天王の総理や鍋島正よりは老けて見える、白髪を角刈りにした浴衣姿の男であった。履いている靴は雪駄という、古いイメージばかりを突き付けてくる容姿をしていた。
「ちょっとおじいさん、危ないですよ?」
百代はそう注意するような声をかけながらも、その顔は非常に綻んだ笑顔であった。
今までの挑戦者は基本的に若い武人ばかり、年を食っていたとしても五十を越えている老人はいなかった。しかし、目の前にいる老人は六十を裕に越えている。ひょっとすると七十さえも超えているかもしれない。
年齢が上がるごとに強さも増すという法則はこの世には存在しないが、彼女の祖父や九鬼家の執事など、あれほど年を取っていても強さを維持し更に磨きをかけている武人を目の当たりにしてきた百代は、肉体が引き締まった老人というものに期待をせずにいられなかった。
「舐めるなよ小娘、貴様の数倍は生きとる儂に向かって無礼極まりないわ。して、可か不可か。疾く答えよ」
その百代のからかう様な態度に、老人の温和そうな笑顔は一瞬にして失せ、苛立ちを顕にしながら覇気をむき出しにする。
老人は首をゴキッと鳴らし百代を睨み付ける。たったそれだけの行為、凝視しただけで百代の右腕の袖が斬れた。
「!?」
「ふーむ、狙いが定まらん。胸元を狙ったのじゃが、何せ気の量を維持するだけで一苦労じゃわ。どうじゃ、選考前の一芸披露というところじゃ」
「…………これは、舐めてちゃ不味そうだな……!!」
百代も男の剣気に誘発されたように闘気をむき出しにする。ビリビリと、周囲にいた人間に激しい波のような衝撃を与えた。
無論、百代の目の前にいる男もねその波動を感じている筈なのだが、寧ろ心地よく感じているような様子を見せた。
「良か。良き覇気じゃ。やはり武の神と称される器、生半可な若造が敵う道理は無か。一応言うておくが、儂の本職は鍔迫り合い、刀を持った者に対してしか真価を発揮できん。それを踏まえ、勝負を受けてもらおうぞ」
決して言い訳ではないがな、そう付け足した老人は背中に抱えていた日本の長い袋を土手に投げ置き、その内の一本を手に取り封を開けた。その中から現れたのは、約三尺の日本刀。
「二刀流じゃないのか」
「あちらは“義経用”じゃ。もう一度言うが、儂は刀を持った相手にこそ本気の本気というものが出せる。それを使うにはあちらでなくては、のう。じゃが気兼ねはいらぬ。こちらの刀は貴様の為に持ってきたようなもんじゃ。本来二本も持ち歩く程、儂の手は浮気性でなか。しかし、壊されたら堪ったもんでないのでのう。帯刀許可はある故、その辺りの気兼ねもいらぬぞ」
壊される、ということには些か心外であった百代だが、それ程今回の義経との決闘を大事にしているという現れだと、百代はそれを本能で理解した。
老人は刀を鞘から抜き、鞘をもう一本の刀が入っているであろう袋とともに地面に置いた。
その鞘から抜かれた刀の刃を見た瞬間、百代の体に電撃のような鋭い何かが迸った。
刀の刃が、一瞬だけ淡い螢火のような輝きを発したように見えたのだ。実に神々しい輝きであったので、百代は一瞬のことだが見逃さなかった。
「ほう、こいつの気に触れたか。良か、そうでなくては面白くなか」
「何だ、その刀」
「銘を言うたところで解らんじゃろう。それでも知りたいか?」
「ああ」
馬鹿にされていることを我慢して百代は頷いた。聞いていたよりも素直な行動を取った百代に驚いた老人であったが、それはそれで面白いと感じて刀の切っ先を百代に向けて突き出した。
「蛍丸、約三尺三寸の大太刀じゃ。太平洋戦争を期に紛失とされた、国宝指定の日本刀じゃ」
「国宝……? 何だってそんなもんを一般人が?」
「戯け、日本刀の個人所蔵なぞ“ざら”じゃわい。金に目が眩んだ輩が美術館なんぞに寄与するんじゃ。その刀を愛しておれば、重要文化財だの国宝指定だの、どうでもよくなる。大事なのは価値ではなか」
百代は突きつけられた刀の穂先から刃文を伝い、なぞるように柄から腕へと移り、老人の目の奥を凝視した。それだけで、百代は老人の強さを垣間見た気がした。その強さは、ただの腕っぷしの強さではく、心の強さ。確固たる強固な意志。
「それでは、行ってみようかのう」
老人は百代に突きつけていた刀を降り下げ、二度空を斬るように振り回した。そして刀を左手に持ち換え、右腕を袖から外して右胸と右腕を露にした後、左腕を吊り上げて右手に刀を持たせ、右肩で担ぐように刀の峰を右肩に乗せた。
「大道寺銑治郎、罷り通る」
「川神百代、お相手しよう!」
互いの名乗りを切っ掛けとして、選抜のための模擬戦の火蓋が切られた。
銑治郎は左肩を前に出し、右足を限界まで後ろに引き下げ体勢を極限まで低くして、百代に鉄砲のように突撃した。
それを迎撃するように百代は右拳を下から抉り込むように打ち込んだ。そこで百代は驚愕的な技術を魅せつけられる。
銑治郎は担ぎ上げていた刀を拳に向かって降り下ろした。互いの速度は目に追えるような生半可なものではない。そんな高速の世界において、銑治郎は降り下ろした刃を百代の拳に当て、それの勢いを全く殺すことなくいなした。
そのいなした方向は百代から見て左側、大振りではないのに大振りをしたように右脇が空いた。そこに銑治郎は潜り込んだ。
銑治郎は腕を思いっきり横に薙いだ。しかし、百代の体に当たったのは刀の刃ではなく、峰でもない。攻撃に使う場所ではない柄を使い、百代の肋骨と肋骨の間に抜き手を通すように、百代の内臓を強打した。
百代は思わず口から息を漏らした。肝臓に激しい激痛が走った百代は、まるで体が焼けるような錯覚に陥った。瞬間的な回復が取り柄とは言え、人体の構造上の痛みは回避しきれない。それを知ってかどうか、銑治郎の狙い目は実によかった。
銑治郎は深追いをせずにその場から二歩で離脱し、互いに余裕を持たせる間合いへと移行した。そして銑治郎は再び刀を担ぎ上げた。
百代は思わず右の脇腹を左手で押さえた。回復は効いているものの、やはり痛みがあったという結果は消せない。肝臓を打たれた鈍い痛みは後を引きやすい。
しかし、百代は苦痛に顔を歪める訳ではなく、寧ろ盛大な笑顔を見せていた。
銑治郎に寒気が襲いかかってきた。目の前にいる女子学生から発せられた気の密が変わったのだ。銑治郎は虫酸が走るような思いだった。こんなにも若い学生がこんなにも禍々しい闘気を放っている、銑治郎が忌嫌するような事象だった。
だからといって手を抜く銑治郎ではない。寧ろ感覚をより研ぎ澄ませる。より鋭利に、より
二度目の仕掛けは百代からだった。勢いよく飛び出して拳を銑治郎の腹部に目掛けて打ち込んだ。
銑治郎はそれを先程と同じように受け流すが、攻撃には転じなかった。百代が同じ攻撃をして自分が同じ回避方法を取ったのだから、きっと何かがあると銑治郎は予測を立てていた。
そしてその予測は的中した。
百代は受け流された拳は捨て、そのまま右足を軸に反時計回りに回転して、銑治郎の顔面目掛けて回し蹴りを繰り出した。あらゆる物を突き刺す銛のように、百代の左足の踵が銑治郎のこめかみを襲う。
それに対し銑治郎は、迫り来る足の裏の踵を丸い鍔で受け止め、刀を手放し自身の左肩も鍔に当て、刀を歯車とするように回転させて回し蹴りを不発にさせた。
大道芸に近い技法に驚く百代だが、驚きに浸っている暇はなかった。銑治郎は空中で激しく回転する刀を手に取り、回し蹴りの不発により背中を向けた百代の背中を斬りつけようと、刀を大きく振り上げた。
ゾクッと、百代の背中に悪寒が走った。直ぐ様百代は体を銑治郎の正面へと向けて、降り下ろされた刀の刃に拳をぶつけた。
その衝撃で周りで生い茂っていた雑草が地面に張り付けにされた。球状に広がる衝撃波は相当な物であった。
しかし、それでも二人の攻撃は終わらない。百代は体勢を整えて拳を連続で放つ。その一撃一撃が爆弾のように重い破壊力を秘めているが、銑治郎はそれを的確に正確に精密に対処していく。
百代の左拳を外に流すようにいなし、追撃の右拳を刃で受け止めた銑治郎に、百代は受け流された左腕をフックのように大きく曲げて左拳を放った。それを予測していたのか、銑治郎は刀を逆手に持ち換え地面に突き刺し、百代の側面からの攻撃を耐えた。
しかし、百代の右腕はまだ死んでいない。刀を突き刺した瞬間に、百代は隙ができたと右拳をこめかみに向かって打ち込んだ。
銑治郎の対処はまたしても異常なものだった。地面に突き刺さった刀をまるで支柱のように扱い、銑治郎は刀を掴んだ状態で逆立った。そして刀をまるで足のように使い、剣先に集中させた気を爆発させて跳躍した。その跳躍はあり得ないことに二メートルは裕に越えていた。そのせいで百代の両腕は空を切り互いに交差した。
銑治郎は体を回転させ、着地する寸前に交差した百代の両腕を斬り裂いた。百代の腕から鮮血が噴き出すが、反則的な能力である瞬間回復によって傷を塞いだ。
互いに再び距離をおいた。百代は心のどこかで銑治郎を舐めていたのだろう。気で防いでいれば斬れることはないと高を括っていたのだろう。百代は心の中で銑治郎に謝罪し、感謝した。ここまで百代を昂らせた挑戦者はいなかった。百代は強者との決闘をただただ感謝していた。
「して小娘、これの合否はいつ解る。まさか雌雄が決するまでとは言うまいな」
ようやく百代のギアが最高潮に達しようというところで、銑治郎の鋭い剣気が次第に緩んでいった。それに百代は失望したが、銑治郎の目的はあくまでも義経であることを思い出して、少しばかり義経に嫉妬していた。
しかし、選抜は選抜。嘘をつく訳にもいかないし、騙すことはしてはいけない。今見た銑治郎の力だけでも、既に義経と決闘する権利はあった。
百代に二撃も与え、且つ自身は無傷という好成績。認めざるを得なかった。
「合格だ。義経と戦っていい。それと、私は川神百代だ。小娘じゃない」
「長幼の序を弁えよ。敬語を使わぬ限り、貴様は小娘のままじゃ」
「うっ…………わ、解りました」
「良か! 百代よ、拳の使い手にしては楽しかったわい。当たっとらん筈だのに、体の所々が軋んどるわ。恐ろしい小娘じゃよ、貴様」
まだ小娘と言われたことには些か腹がたった百代だったが、自分より遥かに年を取っていることに加えあの強さを持つ銑治郎に、敬語を使わないのは確かにおかしな話だと思い堪えることにした。
「さて、義経に挑戦ができるのはいつぞ?」
「私からご説明させていただきます」
銑治郎の素朴な疑問に答えたのは、突如として空から現れた銀髪の執事だった。銑治郎は物珍しいものを見たかのように目を見開いていた。
「クラウディオ、まさか貴様と相見えようとは」
「おや、私のことをご存知で?」
「九鬼のヒュームにクラウディオと言えば、儂らのような朽ちかけの人間からすれば、憧れの存在じゃ」
「光栄ですな。それではご説明させていただきましょう。今義経様は学園生との決闘を処理しております。そのため、本日の決闘は少々難しいでしょう」
武士道プランの本来の目的は若者の競争力を高めること。そのために義経は学園生とも決闘を行っている。勿論決闘と言っても、ただ拳の強さを競うもの以外にも、スポーツや遊戯の面でも競っているので、義経は引っ張りだこ状態であった。
「うむ。して、明日はどうであろうか?」
「明日の午後四時以降は義経様との決闘はございません」
「ならば、明日の午後六時、義経との決闘を申し込みたい。場所はここでよいのか?」
「はい、問題ありません。それでは決闘を正式に受理させて頂きます」
「感謝する」
銑治郎は刀の鞘を拾い刀をしまい、袋へと収納してからクラウディオへ頭を下げた。
それに対するクラウディオの反応は非常に優しい穏和な笑顔を向けることだった。
「いえいえ、これが私のお仕事でございますから」
「おーい。なんか私が空気になりかけてるぞー」
クラウディオと銑治郎が互いに笑いあっていると、痺れを切らした百代が二人の間に割り込んできた。百代の顔は蚊帳の外にされていたこともあって、実に不服そうであった。
それを見たクラウディオは暫く考え込んで、一つの提案を百代に出してみることにした。
「百代様。それでは明日、決闘の勝者、義経様と銑治郎様のどちらかと戦ってみてはいかがでしょう?」
「何? いいのか?」
「ええ。そろそろ頃合いかと思いまして」
銑治郎と義経を抜きに話を進めるクラウディオであったが、銑治郎はそれに対しては何も思うところは無いようだった。
戦うならば戦う、義経との決闘さえ行えれば後はどうでもいいようであった。そんな銑治郎を見ていたクラウディオは、心底楽しそうな笑顔を浮かべて笑っていた。
「しかし、面白いですな、銑治郎様」
「何が面白いのかは知らぬが、何故儂を様付けで呼ぶ」
「見たところ、貴方様の実力は既に私を越えておられる。それなのにまだ私を憧れているということが不思議でして」
クラウディオの言葉に百代は得心のいくところがあった。実際に立ち会ってみれば解ることではあるが、銑治郎の戦い方は恐ろしい程の修羅場を数々乗り越えてこそ極められたような、死と生の境目を見極めているような動きだった。
どこで押せばいいのか、いつ引けばいいのか、そんな判断を感覚的且つ反射的に行っている銑治郎は最早常軌を逸している。怖い怖くないという感情がないとできない芸当だ。つまり、死なないのであれば問題ないという、痛みと恐怖を視野に入れない戦い方をしていたのだ。
それを端から見て気づいたクラウディオも、やはり九鬼家従者部隊の序列で三位を誇っているだけはあるということか。
「仮にもし、儂の力が貴方を上回っておったとしても、憧れであることには変わりはありませぬ。クラウディオ、いえ、クラウディオ殿やヒューム殿、鉄心殿は儂ら老い耄れには輝いて見えまする」
銑治郎は急に口調が丁寧になった。百代に対して使っていたものに比べれば圧倒的に敬意を払ったものだった。
「嬉しいものですな。憧れになれるというのは」
「おーい。また私を無視するのかー?」
「黙っとれ小娘。こちとら尊敬すべき相手と貴重な会話をしとるんじゃ。邪魔立てするでないわ」
「また小娘と……!」
「まだまだ若いですな、銑治郎様」
「そちらも、クラウディオ殿」
「何だよこのジジイ共」
結局、この日は百代も銑治郎も大きな深手を残すことなく決闘を終わらせた。
銑治郎は自宅に帰る途中、本日は使わなかった刀を抱くようにして撫でた。源義経と立ち会えると聞いて、実践では一度も使わなかった刀を使えると思うと、心臓が早鐘を打って止まらなかった。老いた体には厳しいものではあったが、銑治郎はそれを心地よく感じていた。
一方の百代は、本日の決闘で発散できた欲求は六割といったところだった。日々の決闘で積もっていた戦闘欲求は徐々に消化されているとはいえ、真の強者、百代と同ランクである壁を越えた者とは戦っていない。そのために、心の奥から再び戦いたいという新たな欲求が湧き出てきたのだ。それを消化するために、明日は義経か銑治郎のどちらかとやれる。百代は歓喜しながら明日に備えた。
その心待にしていた決闘を、自ら放棄する
「本当に、あの娘は愚直だよ」
唯一、その未来を知っている人外は、多馬大橋の上で呆れたように欠伸をしていた。
悠々として急げ
開高健
◆◆◆◆◆◆
オリキャラ五人目、銑治郎お爺さんです。一話につき一人とまではいきませんが、それに近いペースでのオリキャラ出現は少々躊躇われるところもございます。しかしここからはこの無駄に増殖しきったオリキャラと原作キャラを絡ませることに力を注ぎたい所存であります。次回投稿はもう少し間隔を狭くしたいところではありますが、何分バイトが週五七時間拘束という社畜状態でして。それが脱したら余裕のある安定した投稿間隔になると思いますので。
「ベトナム戦記」「輝ける闇」などを読んだことのある方が、これを見てくださっている方の中にいらっしゃるでしょうか。開高健、私がこう、なんとも表現し難いのだが……先程まで頑丈な作りだった足場が、風船が弾けたように粉砕されて泥沼に落下し沈んでいくような……そんな気持ちにさせた作家でした。泥や火薬や死の匂いが鼻腔を潰し、虫のようにあっさりと死んでいく兵士たちの姿に心臓を麻縄で縛られ、ねっとりと喉に粘ついて離れようとしない文章に窒息させられるような気分に陥ったあの時は忘れません。開高健の作品で釣りの話しか知らないという方は損をしているに違いありません。是非読んで欲しい、そう心から思います。
それにしても、本を読んでいて戦場に投げ入れられた気分になるのは実に不思議なことです。文章というものは実に不可思議なものです。
結論。文章は人格破壊の兵器。