真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜   作:霜焼雪

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――――みのなる果てぞ悲しかりける


源頼政


第七帖 埋もれ木の花咲くことも無かりしに――――

 

「やあ」

「あれ、天野さん?」

 

 

 川神院の門前、今から日課のランニングをしようとジャージ姿で意気揚々と自宅から出てきた一子は、キャスケット帽子に眼鏡をつけて変装を完璧に施していた慶に遭遇した。その気合の入った変装も、一子の嗅覚の前では一瞬にして破られてしまったのだが。

 

 

「今日の手合わせだけどね、ちょっと場所を変えたいな」

 

 

 どうやら慶は偶然一子に出会った訳ではなく、一子が出てくるのを待っていたようだ。忍ぶべき身の慶が知り合いに会う危険を省みずに伝えたいこと。一子が真剣な面持ちになるのは至極当然なことであった。

 

 

「昨日知り合った九鬼家の執事さんに聞いたのだけれど、どうやら今日の夕方は河川敷で決闘があって、百代さんが立会人になっているらしいんだ。非常に困った状況でさ。場所をもっと上流にしよう。私の知り合いもいるから大丈夫だよ」

「九鬼家の執事? 九鬼くんのところの執事さんと知り合いなんですか?」

 

 

 一子の素朴な疑問にどう答えるか迷った慶は、落とし物を拾って届けてあげたところから知り合ったという軽い嘘をついて誤魔化した。

 馬鹿正直に昨日起きた出来事を一子に伝えると、慶が一子のことをどう思っているかが知られてしまうために躊躇われたのだ。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「止めろぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 それは昨日のこと、慶は左腕の空虚な痛みに耐えきれず、襲い来る汚い負の感情に押し潰されそうになった。足場がなくなり自身の輪郭さえもなくなってしまった感覚は慶の五感全てを狂わせ、落下しながらも浮上するような真逆の感覚を同時に身に浴びる。

 それから逃れるために橋から飛び降り、多馬川の緩やかな流れに身を投げた。いっそのこと体を打ち付けられて体中に痛みが襲ってくれば、左腕にだけに意識が集中しなくて済むからだ。

 目を瞑り、水面に叩きつけられる覚悟を決めて、慶は叫ぶことをやめた。いや、叫びが限界を超えて声にならなくなったという方が正しいのか。

 着水すると思われたその時、慶の体に暖かい何かが触れ、一瞬落ちている感覚が浮き上がる感覚へと変わった。しかも体に痛みはない。慶は強く塞いでいた瞼をゆっくりと開けた。 そこで慶は、青い髪の執事姿の男に抱き抱えられていることに気付いた。

 

 

「危ないですよ? 幾ら潜水できる深さがあるとはいえ、あの高さからでは着水時に深手を負ってしまいます。折角美しい容姿をしているというのに、危うく傷物になってしまいそうでした。まあ、私の母の方が美しかったですが」

 

 

 急に自分の母の自慢を始めた執事姿の男は慶を優しく降ろして、川に落ちかけた帽子を優しく慶の頭に被せた。

 少し冷静になった慶は今どうしてこうなったのかを考えた。

 恐らく、慶が橋から飛び降りて川に落ちる前に、この執事姿の男は土手から飛び出し慶を受け止め、対岸の岸に着地したのだろう。それを可能にするためには驚異的な脚力が必要であるが、今はただ助けてもらったと理解しておくことにした慶。冷静に現状を理解しようとしたお陰で、慶の左肩の疼きは消え去っていた。

 左肩の疼きは燻っていたが退屈そうに消えた、慶はまるでこの古傷の痛みが自我を持っているような錯覚に襲われた。

 

 

「あの、貴方は?」

「九鬼家従者部隊序列四十二番、桐山鯉と申します。そう言う自殺志願者の貴女は、天野慶さんで間違いありませんか?」

 

 

 慶は初対面である筈の人に、橋からの飛び降りを助けられた上、フルネームで呼ばれたことが非常に驚き呆気に取られてしまう。桐山鯉と名乗った執事は素早く慶を立ち上がらせ、慶の服についた土や草を手で払ってくれた。紳士的な行動に、慶は鯉を敵と見なすことをやめた。

 

 

「何故私のことを?」

「二年前の事件の当事者に、あの事件の真相を聞きに参りました」

 

 

 二年前、慶はその単語だけで体が硬直してしまった。しかも当事者とまで言われてしまっては逃げるわけにも行かず、覚悟を決めて鯉の話を聞き、答えられるだけ答えることにした。

 しかし、はぐらかせることができればそれでいいと、慶は始めは白を切って様子を窺うことにした。

 

 

「真相? 学長にでも聞けば、ほぼ全てのことが解りますよ?」

「貴女が全治三ヶ月に追いやったという生徒、明らかに貴女がやったとは思えないんです。貴女の拳や足、小さいですよね? 被害者の傷と一致しませんでした」

 

 

 そこまで解りきっているのかと、慶は心底呆れていた。この人生において一番大きいと思う程の溜め息をついてしまった。鯉は慶が諦めたことを確認してより笑顔になり、更に深く追求する。

 

 

「貴女は被害者ですね?」

「私は加害者ですよ。それはもう、許されざる」

「私が聞いているのは、“全治三ヶ月の重症になった生徒と貴女の関係”です。改めてお聞きします。貴女は、被害者ですか?」

「――――――被害者、です」

 

 

 鯉は二年前の事件の全貌を知っているのかもしれないと慶は疑った。慶が加害者であるということを否定することなく、被害者であることを再確認してきた鯉は、慶の心の傷を正確に見極めているようだった。

 慶は加害者であり、被害者である。傷つけて、傷つけられていた。

 慶は許されざる加害者であるとともに、許しはしない被害者であった。

 

 

「一体、桐山さんは、どれ程知っているのですか?」

 

 

 慶は震える声で鯉に尋ね返した。心の傷を抉られながらも、気骨が折られることなく鯉に問い返した。

 そんな慶の必死の問い掛けに対して、鯉は飄々と笑って答えた。

 

 

「貴女が苦しんでいて、もうすぐ真実が明るみに出る。貴女自身がこれまで積み重ねてきたことにより。それまでに、百代さんに知られてはいけないのでしょう? 警戒されてしまいますからね」

「…………もう全部知っているのですね。恐ろしいですね、九鬼家の情報網は」

「世界の九鬼ですから」

 

 

 先程この人生で一番呆れたと思う程の溜め息をついた慶であったが、たった今より呆れた溜め息をついて記録を更新した。

 慶はようやく諦めて鯉に全てを話した。慶の口から発せられる内容に、鯉は度々頷いたり相槌を打っていた。慶は今まで誰にも話さずに自分の内に溜め込んでいたこともあり、一切の滞りもなくスラスラと流れるように口から溢れていった。鯉はそれを全て掬い取って記憶していっていた。

 そして数十分後、慶の懺悔のような言葉が打ち止めとなった。慶は全てを吐き出して、呆然として脱力していた。

 

 

「ありがとうございました。辛かったでしょう、いや、まだ辛いのですね」

「あはは、確かに、まだまだ辛いですよ。でも、吐き出すと意外と楽になれるものですね」

 

 

 鯉と慶は互いに笑いあった。鯉は慶の心の内に触れたような気がして、少しだけ慶のことが理解できたような気がした。慶は慶で鯉の懐の広さを感じることができたような気がしていた。意外とこの二人は気が合うのかもしれない。相容れるかどうかは解らないが。

 

 

「それでは、これは記録としては保存しておきますが、やはり我々が手を下すような内容ではないのですね」

「はい。私が自分で決着をつけなくてはなりません」

 

 

 そうでなくてはいけないと、慶は自身の決意を鯉に伝えた。それに鯉は目を閉じてゆっくり深く頷いた。

 そこで、慶は素朴な疑問を鯉にぶつけた。

 

 

「ところで、何故今更になってこのことを?」

「いえ、今回の武士道計画(プラン)のため、九鬼家は街の汚点を排除するというクリーンな活動を展開していまして。その行程の中に過去の犯罪者の洗い出しのようなものがありまして。個人的に気になったというのもありますが」

「なるほど、危険人物の調査も含めているのですね」

 

 

 自分が危険人物の類いとして見られていたことに全く不愉快に思っていない慶を見て、鯉は不覚にも吹き出しそうになってしまった。あまりにも物事を容易く受け入れてしまう慶が滑稽であったからだ。無論、慶も自分が滑稽な存在であることは重々承知している。

 武士道計画なるものがどういうものかは慶は深くは知らないが、クローンを用いて偉人を現世に復活させるということだけ知っていればいいかと、慶は自分に言い聞かせて聞くことをやめた。尤も、話し疲れて聞く余裕がないということもあるのだが。

 

 

「それともう一つ。貴女はホームレスとお聞きしましたが?」

「心外ですね。侵害です。自宅はありますよ? ただ、テント暮らしの方が拠点を移すのに便利なんですよ」

 

 

 慶は川神で放浪すると決めた日にテントを購入し、多馬川の上流にある堤防でテント暮らしをしている。その方が百代や知り合いに会った際に、即座に拠点を換えることができるためにそうすることにしたのだ。

 そんな慶の事情を知らない他人が、慶のような美人がテント暮らしをしているところ見てしまうと、何か大変なことがあったのかと思われるような光景ではあった。

 

 

「そのホームレス、もといテント暮らしを共にしているあのお方は……」

「テント暮らし初日に知り合い意気投合しました」

「あの女性ですが、常に九鬼の監視を受けているのはご存知ですか?」

「ええ。そのようなことを本人から聞いております。特に気にはしていません」

「それならばよいのです」

 

 

 鯉は聞きたいことや知りたいことを全て把握できて満足したようであった。慶も自分の冤罪を理解してくれる人が増えて気が楽になったようだった。

 

 

「それでは私は街の警邏に戻ります。自殺に疑われる行為は慎んで下さい」

「以後、気を付けます」

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 などと、慶が実際にあったことを言うと、一子がどんなことを言うかが解ったものではなかったので、慶は細々と慣れない嘘をついていくことにした。嘘を吐く度に間延びしたり口篭ったりする様子は実に覚束なかった。

 そんな付け焼き刃の嘘ではやはりボロが出かけるものだが、その虚構の話を聞く者が難しい話に滅法弱い一子であったのが幸いして事なきを得た。慶は心の中で何度も一子に謝罪していた。

 そんな危うい橋を渡りながらも、慶は一子をつれて多馬川の上流にある堤防に到着した。そこにはポツポツとテントが張ってあるが、人気は下流に比べれば閑散としたものだった。

 

 

「ここでやろう。立会人を私の知り合いに頼もう。知り合いと言っても、もう同居人みたいなものだけど」

 

 

 そう言って慶は幾つかあるテントの内の一つの中に入っていった。随分と手慣れたような動きであった。

 まさか慶がホームレスばりのテント暮らしをしているとは思ってもいない上、慶の今置かれている状況を何も知らない一子は、これは別の人のテントで慶にとっては休憩所のようなところであると勘違いをしていた。実際は慶の現在の拠点であり、二人暮らしなのだが。

 などと、一子が盛大に勘違いをしていると、テントから帽子と眼鏡をとった慶と、一子の予想だにしない人物が現れた。

 

 

「えぇ!?」

「む……お前は確か……」

 

 

 どうやらテントから出てきたその人も一子のことを覚えていたようで、多少なりにも驚いていたが一子のように大声をあげる程ではなかったようだ。

 

 

「あれ、お知り合いなのですか?」

「私としては、お前とあの子が顔見知りであることが驚きだ。忍ばなければならない身だと言っておいて、よくもまあ短時間に知人を増やす奴だ」

 

 

 慶の質問に対し、その人物は半ば呆れるように溜め息をついていた。纏め上げていた銀色の髪の毛を軽く揺らし、黄色い瞳から放たれる鋭い眼光は、未だにその人物が衰えていないことを示していた。

 

 

「橘、天衣、さん……!? な、何で!?」

 

 

 一子は驚愕していた。一子の目の前にいるのは、元武道四天王の一角であったからだ。

 橘天衣。西の方ではその圧倒的な速度を活かし、その脅威的な速度で猛威を振るっていたことから、スピードクイーンという二つ名を欲しいままにしていた女性である。

 かつて天衣は百代に破れてしまい、その後自分を鍛え直そうと修行の旅に出るも、北の地において黛十一段の娘である黛由紀江に敗れ、掟に従って四天王の称号を由紀江に強奪されてしまった。

 その後、武道家としての道から自衛隊への道へと移り、国のために尽くそうと決めていたが、その国に捨て駒扱いにされて解りやすくやさぐれてしまった。しかもそのやさぐれ方が極端で、一種のテロに近いものを引き起こそうとしていた。しかし、それはある学生たちの奮起により未然に引き留められた。

 そして彼女は九鬼に身柄を引き取られることとなり、社会復帰のためのリハビリに勤しむことになった。

 一子はその辺りの経緯を半分程知っていた、と言うよりも、その天衣のテロを未然に防いだのは一子たちの仲間たちである。その関係者と言っても過言でない一子は、天衣からこの川神で過ごすことになった経緯を聞き情報を補完したのはよかったのだが、どうして九鬼に引き取られて尚、こんなホームレスと変わらない生活を送っているのかが解らなかった。

 そこに疑問を感じていた一子を見た天衣と慶は顔を見合せ、二人が出逢った時の話をすることにした。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 それは数日前、慶が手合わせで気絶させてしまった一子を背負って川神院に送っていった帰りの出来事であった。

 慶は多馬川の堤防を更に越えた奥の上流で、拠点を川神に移すにはどうしたらいいかを石を川に投げ込みながら考えていた。

 なるべく値は張らない方がよく、すぐに寝泊まりができて、自由度の高い拠点を第一として考えていた。百代などに見つかった際に、直ぐ様撤去して場所を移すことが出きることが理想であった。

 どうしたものかと、何度か石を投げ入れて悩んでいた慶は、遠くの方で何か妙な声を聞き取った。叫び、とは違い、奇声、と言うのも語弊がある。何と言えばいいのか慶はよく解らなかったが、兎に角悲壮感の漂う酷い声であったことは直ぐに解った。もうこの時点で慶は自分が忍ぶべき身であることを忘れ、その声の主が一体だれで、その声の主に一体何があったのかを確かめに行くことにしたのだ。

 声は慶がいる場所よりも下流側、場所的には堤防がある場所が発信源であった。慶は早足でその場に駆けつけた。するとそこには、両膝と両手をつき、解りやすく沈んで落ち込んでいる女性の姿があった。泣いている訳ではないのに、それ以上に悲しいイメージが慶の心に与えられた。

 それはもう酷いほどに暗い印象を擦り付けてくるもので、事情をそこまで知らない筈の慶に同情させるような力を持っていた。そんな無理矢理に同情をさせてくるような人を放置することはできず、慶はがっくりと項垂れている女性に声をかけた。

 

 

「……なんだろうか、私が惨めだったのか?」

 

 

 一切の事情を知らない慶の目の前で自虐的な発言をした女性は、体中から暗いイメージのオーラを発していた。それはもう物凄い勢いでモヤモヤと漂っていた。

 しかし慶はそれに対して怯んだり竦んだりすることなく、めげずにその女性の肩に手を乗せて明るく話し掛けた。

 するとその女性は、自分の身に何があったのかを徐々に話してくれるようになった。

 

 

「家が、テントが……流された……」

 

 

 なるほどと、慶はこれほどまで落ち込んでいる理由をようやく聞き出せて若干満足していた。目の前で不幸に打ちひしがれて落ち込んでいる人の前で失礼だとは思ったが、それでも満足は満足であって誤魔化しようがなかった。

 それにしても気の毒だと、慶は声には出さず心の中でこの不幸な女性を憐れんだ。この女性の落ち込みようを見れば、恐らく人生の大半が不幸に見回れていたということが予測できる。落ち込み方や沈み方があまりにも板についていたからだ。本の些細な幸福で至福の時を味わっているような、そんな健気な人生を送ってきたのだと推測できる。

 

 

「テントの中の荷物は無事でしたか?」

「缶詰と乾パンは無事だったが…………衣類はびしょ濡れだ。またコインランドリーに行って洗わなきゃな、は、ははは…………」

 

 

 女の人は唯一生き残っていた非常食たちを抱き抱えながら負のオーラを撒き散らして笑っていた。テント暮らしの恐ろしさを垣間見た気がした慶であった。

 しかし、慶はここで妙案を思い付いた。テント暮らし、今自分が求めている拠点の条件を全て満たしているではないかと。

 

 

「テント、そうか」

「……? 私の見るも無惨なテントに何か?」

「いや、そこまで卑屈にならないで下さい。私もテント暮らしをしようと思いまして」

 

 

 と、慶が自分の決意をその女性に告げたのだが、女性の反応は芳しいものではなかった。 それもそうだ。今目の前でテントが悲惨なことになっているのにテント暮らしを始めると言い出すなど、あまり誉められたことではないし何を考えているのかと注意されるレベルだ。

 しかも慶はその上、忍ぶはずの身とは思えない、とんでもないことを口にした。

 

 

「どうですか? 一緒のテントにでも?」

「……………………え?」

 

 

 その女性は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、すっとんきょうな声を上げてポカンとしていた。慶の発言が全くもって理解できなかったからだ。それに、慶が何故そのようなことを真剣な顔つきで言えるのかが解らなかったのだ。

 

 

「どうですか? 悪い話ではないでしょう?」

「いや、少し待ってくれ。色々と言いたいことはあるのだが、まず第一に、何故見ず知らずの私にそんな提案をするんだ?」

「不幸な出来事に見回れている人を、見過ごしていい理由などありません」

 

 

 聖人君子のような発言をした慶、女性が呆れるのも仕方がないことであった。

 

 

「それに、私はもう独りがそろそろ辛くなってきてしまいまして。ルームメイトがいてくれると助かるんです」

 

 

 慶は自分の助けにもなると、如何にも要求を飲み込みやすくする発言をした。互いの利益になるのなら問題はないと、非常に甘い蜜のような提案を提供した。勿論、独りが辛くなっているということも嘘ではない。一子や燕の人格に触れ、人の温かみが恋しくなったというのは事実なのだ。

 しかし、それに対する女性の反応は決していいものではなかった。救いの手が差し出されているのに、それを見ようともせずに諦めているような感じであった。

 

 

「私と一緒にいると、君にも迷惑がかかってしまう。不幸が移ってしまう」

 

 

 まるで感染病のように自分の不幸体質を気嫌っている節が女性に見られた。

 しかし、慶はそのようなことを気にするそぶりも見せずに、恐らく慶のできる全力の笑顔でこういった。

 

 

「いいですよ。その不幸、私にも分けてください」

「………………え?」

「元より私も不幸体質です。左腕を失って、家族を失って、友達も失って、もう何があっても怖くはありません。そんな感情は既に欠落していますがね。私の不幸体質と貴女の不幸体質、それが合わさればどんな不幸も恐れをなして逃げていきますよ?」

 

 

 慶が笑顔で自分の不幸体質を話すことができていることに、女性は目を見開く程に驚いていたが、直ぐに我に帰って現実を直視した。

 

 

「そんな都合のいいこと……」

「不幸体質って、人に甘えることができなくて辛いですよね?」

 

 

 図星、その単語が今の女性の表情にピッタリのものであった。私もそうなんですよと、慶は自分の身の上話と共に会話を続けていく。

 

 

「不幸が移ってしまう、その危惧はよく解ります。それはもう、嫌というほどに。それならば、不幸体質は不幸体質同士、不幸を舐め合って不運に生きていきましょう。ひょっとすると、不幸と不幸がぶつかり合って相殺できるかもしれませんよ?」

 

 

 慶の話は実に現実味のないものであった。不幸が逃げていくだの、不幸同士で相殺するだの、まるで夢物語であった。しかし、そんな雲を掴むような話に、魅せられた。

 

 

「いいのか、知らないぞ?」

 

 

 最後通告のような、慶を拒絶するような言葉を発しながらも、女性は差し伸べられている救いの手を掴みとろうと、弱々しい腕を恐る恐る伸ばした。

 

 

「望むところです」

 

 

 救いの手が、女性の手を先に掴みとった。

 

 

 

◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「おお! 何だかいい話!」

「そのあと二人でテントを選びに行ったんだよ」

「本当に人目を逃れる気があるのかと問い質したくなったな」

 

 

 十数分かけて語られた慶と天衣の出逢い。しかし、慶はそのような例の如く多少の編集を施した内容を語った。慶が友人と家族を失っていることを、一子はまだ知らない。天衣も話を合わせていた。

 

 

「それで、その不幸はどうなったんですか?」

「見事に不発だよ。いい意味でね」

「まさかこうまでうまく行くとは思わなかったな。雨が降ってもテントは流されないし、食べ物も腐っていない」

「……橘さん、今までどんな人生だったんですか……?」

「ね? この人、刺身を食べると食中りするって警戒していたんだよ?」

「悪いか? 今までまともな刺身を食べたことがない」

 

 

暫し天衣の不幸トークに花を咲かせ、三人で他愛もない話を交わすのだった。

 

 

 





 孤独はすぐれた精神の持ち主の運命である

 アルトゥル・ショーペンハウアー

 ◆◆◆◆◆◆

 目的達成、とも言える今回のお話。物語に橘さんを参加させることが第一目標でした。正直Aの橘さんを見たらまた書き直したくなるのでしょうが、そこはグッとこらえて先んじらせてもらいました。
 清楚ちゃんもしっかりとA-2を見てから書きたいのですが、発売予定が延期して初夏になったため予定が若干狂いました。それでも平常運転できるように精進します。

 不幸か幸福か、そう感じるのはは気の持ちようだと私は思います。逆説と順接を使い分けるだけで変わるものです。これはスポーツ界のコーチもよく選手に投げかけるそうです。投げた球は完璧だった“のに”打たれてしまった、のではなく、完璧だった“から”打たれてしまった。そう思うだけで変わるものです。ポジティブかネガティブか、これもそういった関係ではないかと。

 結論。性格の両極端は繋がっている。
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