12話です。
振り返ると、雪ノ下に近づく女性が一人。
先ほどの雪ノ下の呼び名から察するにおそらく親しい知り合いなのだろう。
由比ヶ浜以外にそんな相手がいたとは意外だ、と思ったが、俺の予想は雪ノ下の言葉によって否定される。
「……姉さん。」
彼女は険しい顔つきでそう呟いた。
というか、姉さん?
俺は外した視線を再びその女性に向けた。
柔和な笑顔を浮かべて近づいてくる彼女は確かに雪ノ下の面影がある。
その艶やかな黒髪や、きめ細かく透き通る白い肌、そしてその端正な顔立ち。
雪ノ下とは方向性が違うが、彼女もとんでもない美人だった。
しかし、妹とは決定的に違うところがある。
それは、彼女の背後に見える一緒に来たと思われる大学生のグループと、雪ノ下が絶対にしないであろうその人懐っこい笑顔だった。
根拠はないが、俺は直感的にこう感じた。
きっと彼女は周りから好かれ、もてはやされる人間なのだろう、と。
けれど、そんな彼女に俺は言いようのない嫌悪感を感じた。
よく分からないけど気持ち悪い、初対面の相手にそんな風に感じたのは初めてだった。
さて、当の彼女はというと、雪ノ下に会えたのが嬉しかったのか、楽しそうに雪ノ下に話しかけている。
一方で雪ノ下本人はそれがうっとおしいと言わんばかりに絡んでくる姉を邪険に扱っていた。
そして、俺の視線に気づいたのか雪ノ下の姉が初めて俺の方を見る。
一瞬不思議そうに首を傾げたが、すぐに表情を変え、とびきりの笑顔で雪ノ下に詰め寄った。
「ねぇねぇ雪乃ちゃん!あの子誰?もしかして雪乃ちゃんの彼氏!?
デートの途中だったのかな?
だとしたら、お姉ちゃん邪魔しちゃったかな……。」
当然、雪ノ下はその勘違いを訂正しようとするが、興奮している姉を前にして少したじろいでいるようだ。
仕方ない、助け舟を出すか。
勘違いされるのも困るしな。
「妹さんとお付き合いはしていませんよ。
今日は共通の友人の誕生日プレゼントを探しに来ただけです。」
彼女への嫌悪感を拭えぬまま、俺は表情を作ってそう言った。
「えー、なんかつまんないよー。」
俺の返答が気に食わなかったのか、彼女は可愛らしく少し頬を膨らましてそう言った。
「そう言われましても……。
それと、俺は比企谷八幡です。雪乃さんとは同級生で同じ部活に所属しています。」
少し困った表情を見せてから、俺は自己紹介をする。
すると、すっと一歩近寄ってから彼女も俺に続く。
「私は雪乃ちゃんの姉、陽乃です。
雪乃ちゃんと仲良くしてあげてね。」
並大抵の男子高校生なら見ただけで恋に落ちそうな笑顔で彼女は、雪ノ下陽乃はそう言った。
それにしても、と彼女はさらに続ける。
「君が比企谷君か……。」
そう呟いた時の彼女の表情は先程までのそれとは別物だった。
目を細め、冷たい視線で俺を眺める。
それはまるで、俺という人間の価値を測るかのようだった。
そして、俺は彼女の呟きを聞いた瞬間、いや、彼女の表情の移り変わりを見た瞬間に強烈な既視感に襲われた。
しかし、戸惑う俺を他所に雪ノ下さんは嬉しそうに俺に話しかけてくる。
「ねぇねぇ比企谷君。君が雪乃ちゃんの彼氏じゃないにしても、一緒に遊びに行くくらい仲いいんでしょ?
なら、お姉ちゃんも比企谷君のこと知りたいな。
雪乃ちゃんが友達と一緒に遊んでるなんて初めてなんだもん。」
言って彼女はさらに俺に近づいてくる。
近い、と言うよりかはほとんどくっついていると言ってもおかしくない距離だ。
「え、ええ。構いませんよ。
どこか店でも入りますか?」
一方俺はと言うと、さっきの謎の既視感と突然の誘いに柄にもなく焦ってしまい、条件反射で了承してしまう。
けれど、俺の頭の中で危険信号がうるさいほど騒ぎ立てている。
この人に関わってはいけない、と。
けれど、言ってしまった手前、今更引き下がることもできないので俺は表情を作り彼女に笑いかける。
「うーん、わざわざそこまでしてもらわなくてもいいよ。
二人の邪魔はしたくないしさ。
そこのベンチに座ろうよ。」
雪ノ下さんは近くにあったベンチを指差し、俺と同様に笑顔を浮かべる。
そして、さっさとそちらの方向へ行ってしまう。
俺もそれに続こうとするがーー。
「比企谷君……。」
背後から聞こえる氷よりも冷たい声に足が止まる。
やっべ、こいつのこと忘れてた。
「すまん、成り行きでな……。
そんなに嫌ならお前からあの人に言ってくれ。
今更俺は断りづらいんだよ。」
そう言うと、雪ノ下はこめかみに手を当てて小さくため息をつく。
「別に構わないわ。
それに、ああなってしまった姉さんを止めるなんて私にはできないの。」
その口ぶりからするにきっと雪ノ下は姉のことを苦手に思っているのだろう。
確かに俺も驚くほどの正反対の性格だ。
相容れない方が当然だ。
「お前も大変なんだな。
俺と言いあの人と言い。」
「全くその通りね。」
そう言うと雪ノ下は姉の座るベンチに向かってさっさと歩き出してしまった。
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「比企谷君はいつ雪乃ちゃんと会ったの?」
雪ノ下さんは上目遣いで俺を見ながら聞いてくる。
「名前だけなら随分前から知っていましたが、実際に会って話したのは二年生の一学期になってからですね。」
「じゃあどうして突然会うようになったの?」
「ある先生が俺を部活に誘ってくれまして、その部活の部長が彼女だったんですよ。」
質問攻め。
雪ノ下さんは俺と会話をすると言うよりかは、雪ノ下と俺の関係を根掘り葉掘りと聞いてくる。
当然、雪ノ下はそんなことを聞かれるのを嫌がったが、さっきの言葉通り姉を止めることはできなかったようで、観念したように俺の隣に座っている。
俺はというと、矢継ぎ早に繰り出される質問に多少誇張を入れながら笑顔を崩さないように答えている。
そして、一つ分かったことがあった。
彼女と、雪ノ下陽乃と会った瞬間に直感的に感じた彼女の完全性は紛れもなく本物だということだ。
コミュ力はもちろんのこと、表情のレパートリー、質問攻めにされても不快に感じない巧みな話術。
どれか一つを取っても何一つ欠けることのない完璧な人間だった。
完全で完璧で隙のない、完成された人間。
ふと、そんな評価が脳裏によぎった瞬間、俺は彼女と会った時に感じた言いようのない嫌悪感と強い既視感を理由を悟った。
雪ノ下陽乃は比企谷八幡と“同類”だということを。
それを理解した瞬間、俺は今すぐここから走って逃げたいと思ってしまった。
俺と“同類”。
つまり、仮面を被って決して他人にその素顔を見せない、嘘で塗り固められた人間。
それをまざまざと自分の眼の前で見せつけられるのだ。
そんなのは、まるで……。
見ると、雪ノ下陽乃はニヤリと先程までとは別人のように唇の端を歪めている。
やっと気づいたのか、と言わんばかりに。
ここから逃げ出したい、という衝動を押さえながら俺はそういえば、と話しかける。
「彼らは大丈夫なんですか?
あそこでずっとあなたを待っているようですが。」
指をさすのは雪ノ下さんと一緒に遊びに来ていた大学生のグループだ。
彼女が雪ノ下と俺と会ってからずっとあそこで女王の帰りを待ってる。
もちろん、そんなことを雪ノ下さんが気づいていないわけもなく。
「大丈夫だよ。
あの子達は私が待っててって言ったらいつまでも待ってるんだから。」
彼女は家来は王に仕えるのは当然だ、と言わんばかりにそう告げる。
「圧政は民衆の反乱を招きますよ?」
俺の言葉か、それとも俺の気持ちの悪い笑みに対してなのかは分からないが、雪ノ下さんは驚いたように一瞬目を見開く。
しかし、彼女はすぐに持ち直して挑発的に笑う。
「それも問題ないよ。
あの子達の頭の中に反乱なんて言葉はないからね。」
「徹底した管理を敷いているようで安心しましたよ。
けれど、どんな王であろうとあまりにも彼らを弾圧するようなら、最後はーー」
「ーー腹心による暗殺、かな?」
俺の言葉を察して、彼女はそう言った。
そして、不敵な笑顔を浮かべながら立ち上がり、俺にこう言った。
「君の諫言、心に留めておくよ。
私はまた君とお話しがしたいな。今度はゆっくりと。」
「……機会があれば。」
俺がお断りの常套文句を口にすると、それすら気に入ったのか雪ノ下さんはもう一度小さく笑うと、俺たちの前から去っていった。
残された雪ノ下と俺。
先に口を開いたのは雪ノ下だった。
「あなたなら気づくとは思ったけれど、そこまで辛辣になるとは思わなかったわ。」
「悪かったな。
別にお前の姉を貶したかったってわけじゃないんだ。」
俺が謝ると、雪ノ下はいいえ、と言って続ける。
「別に構わないわ。
けれど、あなたもあんな風に感情に身を任せることがあるのね。」
「お前は俺をサイボーグかなんかだと勘違いしてないか?」
苦笑混じりにそう返すと彼女は小さく笑いながら立ち上がった。
「ふふ、ごめんなさい。
さて、帰りましょうか。」
「了解。」
それに続いて俺も立ち上がり、歩き出した。
みなさんがコメントで言っていた“同族嫌悪”という言葉。
確かに八幡はそう感じているようですが、果たして陽乃はどうなのでしょうか。
今回は結衣も出そうと思っていたのですが、二ヶ月以上投稿しない、というのは避けたかったので次話に持ち越しにしました。
5月9日に1本短編を書いているので、それまでにもう一話投稿できたらな、と思っております。
それでは、ここまで読んでいただきありがとうございました。