ソードアートオンライン―泥中の蓮―   作:緑竜

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66.覚悟

 案内された先は無菌室だった。そこに併設されている小部屋に、俺たちは案内された。そこには、ベッドと一体化し、頭をすっぽり覆うように設置された大きな機械が二つあった。そこ入っている体は小柄で、どう見積もってもローティーンレベルの子供だった。だが、機械のサイズを勘案すれば、大人でも問題なく運用できるサイズであろうことは想像がついた。その子供には点滴などと思われるホースなどが密につなげられていた。

 

「向かって左側が紺野藍子くん、右側が紺野木綿季くんです。二人は双子で、帝王切開で生まれてきました。その時に、母体に感染、気が付いたときには家族計4人全員が感染していました」

 

「帝王切開、ってことは、もしかして、彼女らは・・・!」

 

「おそらく、ご推察の通りだと思いますよ。

―――彼女らが感染したのは、ヒト免疫不全ウイルス。略称はHIV。通称、エイズです」

 

「でも、血液製剤なんて検査がかかるはずなんでしょう・・・?どうして・・・」

 

「・・・ウィンドウピリオド」

 

「よくご存じですね」

 

 苦々しく吐き出された俺の言葉を、倉橋医師は肯定した。

 ウィンドウピリオドは、分かりやすくいってしまえば潜伏期間のようなものだ。目に見える結果としては出てこないが、感染力はある状態。その期間にある血液を検査しても、潜り抜けてしまうことがある。

 

「母親を介して父親に感染、その後二人の双子に感染しました。通常通り、薬剤による症状緩和を試みましたが、彼女らが感染したのは突然変異的に薬剤への耐性を得たウイルスでした。複数の薬剤を組み合わせた投薬治療も試みられましたが、思わしい結果は出ませんでした。HIVの偏見、薬の副作用、好転しない状況。まさに彼女らにとっては地獄のような日々だったでしょう。事実、お母様は事実を知って、一家で死を選ぶ道も考えられました。ですが、結果として、闘病される道を選ばれました。そのまま、特にこれと言って何もできずに、今から2年ほど前に、彼女らのご両親は他界されました。

―――が、彼女らには福音が訪れた」

 

「福音?薬剤耐性型に効く薬が開発された、とか?」

 

「確率的には、おそらくもっと非現実的なものでしょうね。

 彼女らがHIVを発症してから、2年ほどたったころ。今から3年ほど前、メディキュボイドのプロトタイプが二機製造されました。ちょうど、お二方が目にしているこれが、それです」

 

「3年前・・・ちょうど、デスゲームの熱が収まらない頃、ですか」

 

「ええ。それゆえに、電子レンジの要領で脳を焼き、人を殺すことのできるナーヴギア、その数倍の出力が、人体にどのような影響を及ぼすのか。誰にも想像はつきませんでした。一歩間違えば死に至るかもしれない、そんなリスクを承知のうえで被験者になろうという患者さんもなかなか表れませんでした。それを知った私は、紺野一家に打診をしました。もし、被験者になることができれば、無菌室に入り、日和見感染のリスクを大幅に減らすことができる、と。正直、今でも私は、その選択が果たして本当に正しいものであったのか、迷う時があります。

 ご両親、当人たちともにとても悩まれていたようでした。ですが、バーチャルワールドという未知の世界への興味、憧れが背を押したのでしょうね。彼女らは被験者となることを承諾し、この部屋に入りました。以降、彼女らはずっとメディキュボイドの中で暮らしています」

 

「ずっと、というのは・・・?」

 

「文字通りの意味です。彼女らがリアルに帰ってくることはほとんどない。今は苦痛緩和のために、メディキュボイドの体感覚キャンセル機能を使用しています。24時間、ずっとダイブしっぱなし、というわけです。それを、3年間ずっと。

 さらに幸運なことに、ええ、本当に大変幸運なことに、彼女らには光明が差しました。彼女らに、奇跡的なドナーが、SAO被害者の中に見つかったのです。それは、HIVへの抗体遺伝子を持つドナーでした」

 

「それって、白人のごくごく一部しか持たないっていう、アレですか?」

 

「まさに。そのドナーさんは、ロシア人と日本人のハーフで、片親の遺伝子が強く表れた結果ではないか、と推察されています。SAO被害者の、命にかかわらないドナー提供は、親族の同意で可能になっていました。即座に、被験者から彼女らに骨髄移植が行われ、成功しました」

 

 そこから、今まで冷静だった倉橋医師は、強く顔をゆがめた。

 

「木綿季くんは、順調に快方に向かっていました。ですが、藍子くんの方には、拒絶反応が出た。このままでは、仮に彼女の体からHIVが駆逐されたところで、彼女は遠からぬうちに、その拒絶反応で死に至ります」

 

「そんな・・・!」「ッ・・・!」

 

「彼女らの母親は敬虔なクリスチャンだそうですが、あの時ほど私は神とやらを恨んだことはありません。一体、神というのは、彼女らにどれほど苦しい試練を課すのか、と・・・!」

 

 ゆがめた顔そのままに、倉橋医師は頭を片手で強く握りしめた。

 沈黙の後、俺は静かに倉橋医師に聞いた。

 

「ひとつ、聞かせてください。藍子さんは―――ランは、今どのような状況なんでしょうか」

 

「一言で言えば末期です。もとより、体内の細菌やウイルスを排除することはできませんから。藍子くんの寿命は、HIVによる免疫不全によるものか、拒絶反応によるものなのか、そのどちらが先に来るかだけです。今は、HIVの動きを抑える方向で治療をしています。ですがこれは、活発に拒絶反応を起こしている抗体の動きを抑えることをあまりしない、ということと同義であり、遠回し的には彼女の寿命を縮めかねない行為であるともいえます。どの治療が正しいのか、というのは、おそらく誰にもわかりません。

―――木綿季くんが、あなたの前から姿を消そうとした理由は、もうお分かりのことだと思います」

 

―――覚悟はしていた。していたつもりだった。が、実際に聞くと、流石に(こた)えるものがあった。そんな状況で、あいつは、それでもユウキの姉であらんと踏ん張っていたのだ。その覚悟たるや、想像することすら難しい。

 思わず天を仰ぐ。これほど神とやらを恨んだことはないという、倉橋医師の言葉ももっともだ。わずかに見えた光明すらも奪われる、その絶望たるや。想像を絶するものがある。しかも、それは二人に一人にしか与えられない。どうあっても、早すぎる別れを余儀なくさせられるということだ。

 

『そんな顔をしないでください』

 

 その時、声が聞こえた。声こそ、あちらとは少し違う。だが、この丁寧語口調には心当たりがあった。

 

「ラン、いや、藍子さん、か・・・?」

 

『・・・どうぞ、ランと呼んでください。藍子さん、なんて呼ばれると、少しこそばゆいです』

 

「こっちが見えてる・・・ってことなのか?」

 

『はい。最も、厳密には取り付けられたレンズ越しに、ですけど。

 話には聞いていましたが、本当にリアルと同じ顔立ちなのですね。私のことを察してくださっていたあなたなら、ここに来ること自体、かなりの覚悟が必要だったことでしょう。それでも来てくださって、本当にうれしいです。直に顔を見れないことが残念なくらいに」

 

 直に顔を見れない。それはつまり、そういうことか。そこまで彼女の病状は末期である、ということか。

 

『倉橋先生、お二人に隣の部屋を使わせてはもらいませんか?』

 

「分かりました。

 お二人とも、あちら側にある隣の部屋に、私が面談で使っているアミュスフィアがあります」

 

「私は自分の物を使います。こうなるかもしれないことは予見していましたから」

 

「分かりました。少々お待ちを」

 

 そういうと、彼は白衣のポケットからメモ帳を取り出し、何か短く書いて、メモを破ってこちらによこした。

 

「アクセスポイント名とパスワードです」

 

「ありがとうございます」

 

 それを受け取った時に、ランから声がかかった。

 

『お二人とも、ユウキがデュエルをしていた、あの木のたもとで、また』

 

「ああ、向こうでな」

 

 それだけ言い残すと、俺はすぐに隣の部屋に向かった。

 

 

 設定を速攻で終わらせて、ユウキとデュエルした木のたもとへ向かった。ランは俺より先についていた。そこにはユウキもいた。

 

「よう。久しぶり、だな」

 

「ええ。ほら、ユウキ」

 

 ランに促されて、ユウキがゆっくりこっちを向く。そちらはアスナに任せることにした。

 

「私は信じてました。あなたなら、私たちの下にたどり着いてくれる、と」

 

「買いかぶりだよ。蜘蛛の糸にしがみついたのが俺だけだった、ってだけだ」

 

「そうかもしれません。ですが、現にこうして、あなたは私たちの前にいる。それに、アスナさんをユウキの下へ導いてくれました」

 

「仮にも、そういう立場だからな、俺は」

 

 大して年が違うわけじゃない。精神的には、むしろアスナの方が大人かもしれないと思うこともある。だが、今の俺は、そのほんの少しの歳の差も利用した立場の違いで、彼女らを導く義務がある。

 

「私は純粋にうれしいです。アスナさんがスリーピングナイツに加わりたい、と申し出てくれたことは、本当にうれしいことでした。

 私たちは、セーリンガーデンという、バーチャルホスピスで出会いました。若いメンバーが多かったこともあり、たまには戦闘系のゲームを、ということで、様々なゲームにコンバートを繰り返していました。もともとは9人いたんですが、ふたり、既に亡くなられています。その矢先、私も長くない、と分かりました。だから、みんなと話し合い、私がそうなったときに、スリーピングナイツは終わりにしよう、と。そう決めたんです」

 

「だから、姉ちゃんがまだ生きている間に。どこかに、ボクたちがいた、って証明を残しておきたかった。最後に、この世界で、とびきりの思い出を作りたかったんだ。だから、あのモニュメントに、どうしても名前を残したかった。でも、なかなかうまくいかないうちに、姉ちゃんが思うように動けなくなっちゃって。それで、手伝ってくれる人を探してたんだ」

 

「それで、あんな辻デュエルを・・・」

 

「うん。だから、ロータスさんの言葉は本当に目からうろこだった。パーティのバランスって考えたことなかったし。考えてみれば、ボクと同じくらい強い姉ちゃんが積極的に前線に出てきたことなかったなーって、その時初めて思ったんだ。その時になって姉ちゃんの大切さを改めて思い知ったつもりだったんだけど・・・やっぱだめだなボク。もうとうの昔に覚悟なんてできてるつもりだったのに」

 

「なーにが覚悟か14、5の小娘が。悟った気になってんじゃねえぞ」

 

「でも・・・アスナにも、ロータスさんにも、迷惑かけちゃったし」

 

「迷惑くらいかけろ。それがガキってもんだ。それくらいでちょうどいいんだって。それと。

―――忘れろっていうのなら、俺はまとめて二人とも思いっきりひっぱたく」

 

「ロータスさんはこういってるけど、さ。私たち二人とも、ユウキたちのことを忘れるなんてできないよ。今でもまだ、スリーピングナイツに入れてほしいって思ってる」

 

 アスナの言葉を聞いて、ユウキの目に涙が浮かんだ。

 

「あぁ・・・ボク、この世界に来てよかった。アスナと出会えて、本当にうれしい。・・・今の言葉でもじゅうぶん。じゅうぶんだよ・・・」

 

 さめざめと泣きながら言うユウキに、俺は頃合いかと思い提案した。

 

「なあ、ユウキ、ラン。外の世界を見てみたくないか?」

 

「え?でも、ボクたちは―――」

「メディキュボイドから出られない。ああその通り。だがな、それ以外にも手はあるんだ」

 

「それって、どういう・・・?」

 

「メディキュボイドには、遠隔でカメラの映像を使ったAR機能が期待されている、と倉橋医師が仰ってた。それを応用する」

 

「もしかして、ユイちゃんの・・・?」

 

「そ。試験運用データが増えることはあいつにとってもプラスになるはずだ」

 

 キリトが、AIであり愛娘のユイちゃんと現実世界でも暮らせるように、と調整を行っている双方向通信プローブ。あれの接続などをいじってやれば、上手くいくはずだ。

 

「じゃあ、お願いしたいかな」

 

「それって、二機用意することってできますか?」

 

「どうだろ、聞いてみないとわからん」

 

「できたら、二機お願いしてもいいですか?別々の景色を見てみたいんです」

 

「わかった、頼んでみる」

 

 それだけ言って、とりあえずその場は分かれた。

 




 はい、というわけで。

 ちょっとHIVウイルス周りについてちょこっとだけ補足というか解説しますね。
 ウィンドウピリオドというのは本文中そのままです。原作のユウキのお母さんもこれで感染しています。そこからお父さん、母乳を介して姉妹へ、という感染経路ですね。この辺は原作通りなんで説明省略しました。
 HIVウイルスへの抗体をもつ遺伝子云々って話はマジです。すでに確認がされてます。非常に低確率で、はっきり言って現実的でないというのは重々承知の上です。ましてやハーフにそんなものが残るのか、というのは疑問視されてしかるべきではあると思いますが、遺伝の関連で残った、という設定です。
 双子の姉妹で片方のみ適合というのにも一応根拠はあります。というのも、ドナーの適合率というのは、兄弟姉妹では30%程度だそうなので、同一ドナーに適合したとしても片方だけ拒絶反応が起こる、というのも、確率的にはありうるだろう、という判断です。
 医学というのは日進月歩というので、もしかしたらHIVへの特効薬も生み出されているかもしれませんが、ここでは生まれていない、という前提です。
 繰り返しますが、かなり現実的でない、はっきりいってファンタジーもいいところ、というのは百も承知です。が、創作物ということで一つご容赦いただきたいと思います。

 さて、そんなこんなで、彼女らとの現実ルートに入ります。難しいところではありましたので、あまりうまく書けてないとは思いますが、平にご容赦ください。
 ではまた次回。

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