あれからしばらくして、俺は車を運転していた。というのも、東京のほうで働いてくれないか、と依頼を受けていたのだった。そこで、愛知県に住んでいた俺は引っ越しを余儀なくされた、というわけだ。そこで、ぎりぎり失効を免れていた免許を使って、愛知から東京までドライブ、とあいなった。半病み上がり、しかも運転は数年ぶりと来た。そんな状態で300キロ以上の距離は難しいので、途中で一泊することになったのだが。
『目的地・周辺です。この先注意して・走行してください』
やかましわわかっとる。つかもう見えとる。という本音を包み隠し、俺は車をロータリーのほうに向けた。人の出入りが少なそうな時間を指定したこともあってか、その姿は目立っていた。その近くに向けて車を滑り込ませると、相手もようやく気付いたようだ。
「さすがというか、時間通りだね」
「当たり前だ。時間を守るってのは最低限のマナーだからな」
「ふふ、君らしい」
そんな会話を終えると、その相手も乗り込んだ。
「さてと、道案内頼むぞ」
「うん。とりあえず、ロータリー出るところを左折したらしばらく直進ね」
「了解」
それだけ言うと、俺は車を発進させた。
駅から大体10分ほど車を走らせると、マンションについた。アパートかもしれないが、細かいことはどうでもいい。車を近くの駐車場に止めて、俺は改めて、虹架の実家へ向かった。
何を隠そう、その途中一泊の場所が、静岡にある、レインこと枳殻虹架の実家なのである。
正直、SAO帰還者ということで、色眼鏡に見られるのではと思っていたのだが、そんなことはなかったらしい。というのも、虹架が結構俺のことを話していたそうな。・・・いったい何喋ったんだあの娘、とそこはかとない不安を、向こう仕込みのポーカーフェイスで包み隠して、俺は挨拶をした。
「初めまして、天川蓮です」
「虹架の母です。しかし、あなたがロータス君とはね」
「ええ。まあ、キャラクターのネーミングは、そのまんまですけど」
「変にひねって妙な名前になるよりはいいと思うわ。それに、名前に関しては、うちの虹架も人のことは言えないし」
「ちょっとお母さん」
「はいはい、分かったわ。ご飯にしましょうか。時間もちょうどいいくらいだし」
そういうと、虹架のお母さんはご飯の支度に入った。
「しっかし、こんな環境が再びとはね」
「え?」
「いや、何でもない。こっちの話」
俺の独り言が聞こえたのだろう、虹架が聞き返してくるが、それはなんでもなかったように切り返した。俺からしたらこんな、純粋に温かい家庭といえる環境は本当にいつ以来だろうかと思うほどに久しぶりなのだ。
SAOから帰還した俺を待っていたのは、まずリハビリだった。というのも、戻った直後は文字通り、腕を持ち上げるだけでも一苦労だった。医者に言わせると、疑似的な脳信号を筋肉に直接送り込むことによりある程度動かしていたからまだよかったらしい。それでも、喋り続けることも、気軽に手を上げるのもできない。そんな状況だったので、ひたすらにリハビリをしていた。
リハビリを終えたはいいものの、俺の家に居場所はなかった。SAOに関する情報は十二分に公開されていたにもかかわらず、親からしたら「ただ2年間もゲームだけに明け暮れたバカ息子」という認識だったのだ。すぐに荷物をまとめ、俺はなけなしの金とともに家を追われた。その金も、いつの間にか独立させられていた携帯電話や、日々の生活に当てられ、ほとんど手持ちなどないに等しかった。そんな折、俺の携帯電話に連絡が入った。電話をかけてきたのは、俺の事情聴取を行った、仮想課の役人だった。彼はその中でもかなり上の部類のようで、俺がSAOでやってきたことから、直接話を聞いていた。そこで聞いたのは、東京のほうで働いてくれないか、ということだった。急な話でもあるので、住宅もこちらで便宜を図るということだった。どちらにせよ、親の支援が受けられない時点で、大学には通えない。俺からしたら、願ってもない話だった。
で、そのリハビリ中、どこから知ったのか、虹架が訪ねてきた。そして、あれこれ事情を話すうちに、あれよあれよと連絡先を交換され、交友関係を築いて今に至る。SAO帰還者の学校への引っ越しが済んでおらず、いずれ越さなければならないというのは雑談の中で知っていた。そこで、一緒に移動しよう、と俺が言い出した。それを待っていたかのように、すべてを計算しつくしているかのように、これまた押し切られた。・・・いやはや、男より女のほうが計算高いというのは一般論だが、それを身をもって実感した瞬間だった。
「そういえば、虹架、お前ちゃんと宿題はやってんのか?」
俺の無造作な問いかけに、虹架はうっと声を詰まらせた。
「ちゃんとやっとけよ。手伝ってやるから」
「・・・はぁい」
むくれたまま顎をテーブルの上に乗せる。その様子がどこかおかしくて、俺は思わずその頬に人差し指を立てた。膨れていた頬に指が埋まる。そのからかいに、さらに頬を膨らます虹架だが、それで指をひっこめる俺ではなく、むしろくりくりと頬を指先でなでる。・・・うん、ぷにぷにして気持ちがいい。ある程度堪能したところで、指を離した。どちらともなく笑っていると、虹架の母親が料理を運んできた。
「そういえばさ、こっちでどんな仕事するのかとかって聞いてる?」
「詳しくは聞いてない。なんかSAO帰還者に関する話だってのは聞いたが」
「SAO帰還者に関する話っていうと・・・カウンセリングとか?」
「さあな。ま、俺にカウンセリングなんか勤まるとは思えんが」
と、口では言いつつ、実はそうではない。実はそこそこ聞いている。だが、今現時点ではできるだけ誰にも漏らさないようにと言われているし、彼女の立場を考えると隠しておいたほうがいいだろう。・・・果たして知ったときにどんな反応をするのかは見ものである。
「ま、いずれ分かるだろうよ」
「そうだね」
それだけ言うと、俺はゆっくりと手を合わせて、料理に箸を伸ばした。
思いやりがある虹架の母親らしいというか、どれもきれいに味付けがなされていて、優しい味だった。というか、いろんな意味で娘を振り回した張本人である俺に対して、ここまで、おそらくではあるが、平常通りをできるのは、ただただ素直に驚きと尊敬に値するものがあった。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様。お口に合ったかしら?」
「ええ。すごくおいしかったです」
「それはよかった」
虹架は先に食べ終わって片づけと風呂洗いをしていた。こういう家庭だから、家事一般はそこそこ以上にはできるらしい。
「そういえば、ね、君にとって、虹架はどうなの?」
「どんな、と言われても・・・いい子だな、とは思いますが」
「そうじゃないって、分かってるでしょ?」
思い切りド直球で聞かれて、何となく煙に巻こうとはしてみたが、きれいに返された。思わず苦笑して眉を掻いてしまう。・・・まいったな、あいつの妙な勘の良さはここがルーツか?
「正直、自分のしてきたことは許されないと思っています。俺があの世界でやってきたことを、包み隠さずすべて話したら、誰もが俺のもとを去って行くだろう。その確信もあります。でもそれでも、虹架さんはついてきた。なんというか、目を離すことを許さないというか、良くも悪くも懐にずっといるような、そんな子です」
「あの子の思いについては?」
「・・・うすうすとは」
その言葉に秘めた思いに、虹架の母親は気づいたようだ。
「そう。
あの子はね、幸せになってほしいと思ってるの。だから、どんな形であれ、あの子のこと、よろしくね」
その言葉には、果たしてどのような思いが込められているだろうか。少なくとも、俺が思っているより、もっと複雑で、多くの思いが込められた言葉なのだろう。だからこそ、すぐに返事をすることができなかった。
「はい」
少しの間をおいて、俺はしっかりと目を見て頷いた。
その翌朝。ちゃんと引っ越しの準備を終えていた虹架の荷物をレンタカーに積み、俺たちは部屋を出た。少し名残惜し気に別れを告げて、俺たちは長めのドライブにでた。
『まもなく・右方向です。・その先、合流が・あります』
淡々とカーナビが道を教える。それと、Bluetoothでつないだ端末から流れる音楽がよく聞こえた。
「そういえばさ、」
「え?」
「ありがとな。助けに来てくれて。まだ言ってないなー、って今思ってさ」
完全に横顔だったから、どんな表情をしているのかは分かり辛い。だが、少なくとも、険しい顔はしていなかったはずだ。かすかに頬が上気して赤みが差してはいたが。
「そんなの、いいよ」
「お前がよくても、俺がよくない」
「律儀だねー」
「妙なところ妙な風に、っていうのがめっちゃ多いからな」
「面倒な人」
「ああ、自分でもそう思う」
そういった彼の顔は心なしか明るかった。お互い口数が多いわけではないから、沈黙も短くない。だが、決してその沈黙が苦ではなかった。
寮につくと、俺たちは虹架の荷物を下ろした。順に、先に指定されていた寮の部屋に運び込む。仮にも車に積める程度の量だったこと、最初からある程度のものはそろえられていたこともあって、引っ越しは想像以上にスムーズに進んだ。
「さて、と。こんなとこか」
「そうだね。ありがと」
「うんにゃ、大した苦労じゃないから安心しろ」
手をひらひらと振りながら、俺は言った。実際、大した苦労ではない。さっきも言ったように、どれだけ言っても車に乗る程度の量しか載せていないのだ。しかも、車には俺の荷物も載っていた。虹架自身も働いていていたし、そんな苦労はなかったのだ。
「蓮さんは、どこに住むことになってるの?」
「俺は、・・・遠くはないみたいだな」
すでに、周辺の地図と住所は渡されている。その住所は、決してここから遠いところではなかった。
「ま、何かあったら呼びな」
「あ、はい。頑張ってください」
「おう。しっかりな」
それだけ言うと、俺は車に乗り込んだ。手を振り返しつつ、俺は車を運転した。
実を言うと、俺はもうすでに仕事の詳細を聞いている。正直、俺に務まるのかわからないといったが、そこはちゃんとサポートをするらしい。そういわれて、俺は頷いたのだった。
自分の引っ越しを終え、もろもろ終えたところに、俺の携帯に電話がかかってきた。
「もしもし」
『あー、よかったつながった』
その声に、俺は本気でこめかみを押さえた。頭痛すらしてる気がするぞおい。
「・・・何で俺の番号知ってるわけ。教えてなかったよね」
『調べた。菊さんと仲良くなって』
菊さん、というのは、例の役人のことだ。“菊岡”という苗字だから、俺は“菊”と呼んでいる。どうやら、電話をかけてきた相手―――永璃ちゃんも同じらしい。
「で、何の用、永璃ちゃん」
『ただ単につながるかどうかの確認。働き口が一緒になるみたいなのでよろしくという挨拶込みで』
「あっそう。よろしく」
『あらそっけない』
「じゃあどういう反応しろってんだ」
『もう少し驚くとかしてもいいなーって』
本当にこの子はつかめない。後輩時代から、なんだか距離の取り方がわからない子の筆頭だった。
『あ、こっちも少しやることがあるので、また』
「ああ、またな」
それだけ言うと、向こうは電源を切った。それを確認して電話を切って、俺は電話帳に“橘永璃”を登録する。と、部屋に気を利かせて積みあげられた本とノート、それから鞄の中から筆記用具を取り出し机に放って、レンタカーを返しに向かった。
後日、生徒は着席していた。一応は学校なので、始業のあいさつなどがあった後、教室で顔合わせ、というわけだ。掲示に会った通りにクラスに入ると、見知った顔がちらほらあった。
「あれ、レインじゃん」
聞き覚えのある声に振り向くと、そこには茶髪にそばかすの女の子がいた。一瞬首をかしげるが、すぐに思い至る。
「リズベットさん?」
「やっぱりレインだ。久しぶり、元気してた?」
「あ、はい」
「そっか、ならよかった。あ、ちなみにアスナは隣のクラスね」
「てことは、結構多かったんだ、この学年」
「一番多かったみたいよ。SAOの年齢層考えれば納得はいくけど。ま、だからこの学年だけ2クラスなんだけどね」
「へえ。先生はどうなんだろ」
「年を取ってる先生が多そうだったから、再任用の先生が多いんでしょ。ま、少なくともSAOの帰還者ばっかだから、それなりに頭の柔らかい人をそろえてるでしょ」
「さすがに、帰還者の先生は、いない、よね?」
「いないでしょ、さすがに。だってさ、想像してみなよ。例えば、クラインとかが先生やってる姿」
言われてみて、想像してみる。思わず吹き出してしまった。
「似合わない・・・っ」
「でしょ!」
そのまま、しばらく肩を震わせていた。釣られてリズさんも笑う。しばらくして、笑いをひっこめたリズさんが肩をたたいた。
「ほら、いい加減笑いひっこめな。ぼちぼち時間だから」
「うん、分かった」
何とかしてその笑いをひっこめ、席に着いた。
「ほーい、席につけー」
タブレットでトントンと肩をたたきつつ入ってきたその人相を見た瞬間に、私は凍り付いた。
「嘘・・・」
どこからか聞こえた、つぶやきは果たして誰のものか。
「さて、挨拶させてもらおうか」
全員が席に着いたことを確認すると、その若い男は教壇に立って声を出した。
「今日から一年、君たちの担任を務めさせてもらう、ロータスこと天川蓮だ。まかり間違ってもキャラネームで呼ばないこと。よろしく」
その言葉に、おそらくクラスの全員が絶句した。それだけは間違いない。
多くは言いません。言いたいことは全部あとがき的な何かに全部回します。
これにて、ソードアートオンライン―泥中の蓮― SAO&ALO編(正史)、終了です。