幽玄の宴会
春が来た。
文言にして四字だが、その意味はとても大きく、そしてとても喜ばしい事だ。
霊夢さんによる異変終息宣言の後しばらくは冬が続き、本当に終わったのか疑問に思っていた頃、ゆっくりと暖かくなり、春の訪れを知らせる妖精も現れだした。そうなってようやく、私も里の人々も、ああ冬が終わったのだと実感した。
いまだ雪は残り、春にしては少し肌寒い。しかしついこないだまでの真冬よりは随分とましになったものだ。もう家の中で暖を取ることに腐心しなくてもすむし、春の味覚ももうすぐだ。神社や里では桜の花が開花するかどうかという具合である。まごうことなき春だ。
そして、この幻想郷には、春が来るということはある重要な意味を持つ。それはある意味で四季どの場面よりも大切で、この時だけは幻想郷の人も
妖怪退治人と人食い妖怪が共に杯を交わし、妖精と神が対等に語り合う。強者も弱者も、賢者も愚者も、貴賤も何も全ての立場がそこには存在しない。誰もがただ一つの存在として、呑み、食い、愛でる。幻想郷における、何よりも優先されるべき一大行事。
そう、花見である。
――――――
……酒臭い。
私は下戸だ。酒は飲めない。あんな液体は、その香りですら嫌悪の対象だ。だかしかし、それを飲むことで一部の人々は前後不覚になり、それを楽しんでいる。その感覚は分からないが、宴会の度にその辺りに倒れ伏している人々は皆一様に妙に幸せそうな顔をしている。吐瀉物にまみれていることもあるが。
さて、春が来た。それは桜が咲くということだ。そして花が咲くということは、宴会の口実ができるということだ。
幻想郷の人妖は、とにかく宴会が好きだ。何か起これば、それを口実にみんなして酒を飲み始める。例えば異変が解決したとか、例えば桜が咲いたとか。例えば紅葉が出てきたとか、例えば初めて雪が降ったとか。年が明けたとか外来人が来たとか、果ては河童が里に来たからとかいう時もあった。全て実体験である。つまるところ幻想郷の人々は、宴会をしたいだけなのだ。
そして今日は、博麗神社にて宴会の日だ。なんでも今回の“春雪異変”(
私は酒は嫌いだ。しかし宴会は嫌いではない。
特にやる事の無い日常を出て、私は飛んだ。
向かうは博麗神社。春先、暖かくなりかけた風が私を包む。日が橙色に染まり落ちる。暗くなる前に着けばいいが。
――――――
私が辿り着いたときには、すでに何人かが集い、境内で何かしらを準備していた。
なんというか……見たことのある人々ばかりだ。霊夢さんといい魔理沙さんといい、あとは……知らない人が一人。
明らかに馴れたように料理を運ぶ彼女は、短く揃えた銀髪を揺らしながら、いそいそと霊夢さんの指示に従っていた。しかし何よりも目を引くのは、その腰に提げた二振りの刀だろう。少女の体躯には些か大きい長刀と、脇差と呼ぶには少し長い短刀。立派な鞘に入ったそれを時たま気に掛けながら、それでも邪魔とは思っていないのだろう、何食わぬ顔でいた。
「よう、風。手伝いに来たのか?殊勝な心がけだな」
真っ先に魔理沙さんに見つかった。私が大雑把に見た限りでは魔理沙さんはあまり働いている様子はなかった。本人に直接聞けば現場監督だとか何とか帰ってくるのだろうが、要は準備に参加する気が無いと見た。
「あら、風。少し早いけど、手伝いに来たの?」
「ええ、まあ。そんなところです」
霊夢さんだ。魔理沙さんが見つけたのを見て、私に気付いたらしい。
「それはどうも。でももう大してやることないし、始まるまで好きにしてていいわよ」
そう言われた。
好きにしてていいと言われたので、取り敢えず神社の中に入ることにした。
中には酒の肴になる料理が並び、厨房からはいい匂いが漂っていた。……というか、多い。勿論今回の宴会は私のような木っ端な存在にまで声を掛けるような大規模なものだ。参加する人数も相当なものだろう。にしても、明らかに博麗神社で作れる量を越えている。何処から出てきたのだろうか。
「来てたのね。今日は私が腕を奮って作った料理よ。存分に味わいなさい」
奥から上品に手を拭きながら現れたのは、咲夜さんだ。表に姿が見えないと思ったら、料理をしていたのか。確かに紅魔館で食べた咲夜さんの料理は絶品だった。料理上手なのだろう。期待できそうだ。
しかしそれでは、この量に説明が行かない。一人で作れる量ではない。
「……これ全部、咲夜さんが作ったんですか?」
「ええ。
……念のため言っておくが、神社と紅魔館はかなり離れている。それこそ飛んでもそれなりに時間が掛かる。料理を冷まさずに、博麗神社と同時進行で作れる距離などでは到底無い。
しかし、不可能を可能にするのがこの完全なメイドである咲夜さん。彼女は驚くべき事に、“時間を操る程度の能力”を持っているのだ。時間を止めて動ける彼女にとって、距離は大した障害にはならない。
目の前で満足そうに笑む彼女を考えるに、相当能力を乱用して実現させたに違いない。並ぶ料理はどれも出来立てで湯気が立ち、食欲を刺激する。レミリアさんが咲夜さんをものすごく大事にする理由が分かった気がする。
「ああ、多い……。ん、誰?」
そんな私と咲夜さんの横に、少女が一人、現れた。表で見たあの帯刀少女だ。
「あ、どうも」
「ほら、さっさと運びなさい。間に合わなくなるわよ」
私が軽く会釈をしているうちに、少女は咲夜さんによって料理を押し付けられ、渋々運搬任務をこなしていく。
どことなくしょんぼりしている彼女の周りには、顔以上の大きさは有るであろう大きな白玉めいた物が漂っていた。それは少し前、春雪異変の時に見た霊魂(白くて小さく、丸い
「あの物騒なのは妖夢よ。こないだの異変の首謀者の使用人か何かみたい。迂闊に近づくと斬られるから気を付けなさい」
隣の咲夜さんがそう言った。それは怖い。是非とも参考にさせてもらおう。
――――――
日が落ちてからどんどんと参加者が集まり、霊夢さんの音頭で始まった、春を祝う宴会。
開幕から呑めや食えや歌えやの大騒ぎで、人妖入り乱れてすごいことが起きていた。
明らかに妖怪以上に酒を飲む霊夢さん、余興に空に星を浮かべる魔理沙さん。片付けにレミリアさんの世話にと八面六臂の活躍を見せる咲夜さん。ばかに大きな声で歌い出す妖怪や、早々に酔って戻し出す妖怪。酒を盗んでは一回休み(妖精基準でいう死に近いものらしい)になる妖精に、三者三様の楽器で場を盛り上げる騒霊姉妹(プリズムリバーとか言ったか)などなど。呼んで呼ばれた人々に、呼ばれてもいない妖怪も勝手に集まって馬鹿騒ぎだ。
そんな状況を、私は神社の縁側に座って、お茶と料理をちびちびと口に入れながら眺めていた。
たまに飛んでくる色々なものを受け流しつつ、凄まじい熱気と妖気に当てられないようにいまだ涼しい夜風を感じながら、人の騒ぎを楽しむ。これが私の宴会の楽しみ方だ。
霊夢さんの鬼のような気迫はどう見ても巫女には見えないし、魔理沙さんは魔理沙さんで何故か弾幕ごっこを始めている。相手はたしか、宵闇の妖怪だったか……。しかし一分と持たずに相手の妖怪を撃墜し、勝鬨を上げている。楽しそうで何よりだ。
レミリアさんは妖怪達を相手によく分からない講釈を垂れていて(勿論誰も聞いてはいない)、彼女自身が持ってきていた琥珀色の液体を少しずつ飲んでいた。そこでがぶ飲みしないのは欠片ほど残った矜持か何かだろうか。相変わらず体面を気にする吸血鬼である。
そして、件の帯刀少女は、騒ぎから一歩引いたところにもう一人の人と一緒にいた。あれは……
しばらくその二人を眺めていると、その死人……というのはなんとも、たとえ事実としても語感が良くない。たぶん亡霊の女性はよく食べるものだ。なにかしらを帯刀した少女と話しながら、出ている料理に片っ端から手を付ける。そして食らう。上品な箸使いで行儀良く食べているのに、その速度は尋常ではない。瞬く間に一人前を食べきり、そしてまた次の料理に手を伸ばす。果たして彼女一人で食費がいくら掛かるのか、とても恐ろしくて考える気にもならない。
「どう、楽しんでる?」
いきなり後ろから声が聞こえて、驚いて振り返る。今は片付けられた食器やその他もろもろが無造作に置かれた中に、紫さんがいた。とくにそれらを意に介すことなく、紫さんは此方に歩いてきた。
「楽しそうで何より」
「それはどうも。初めて言われましたよその言葉」
大体もっと楽しめとかこっちに来いとか言われる。大体その後には酒を飲めだとか言われる。
「嘉肴有りと雖も食らわずんばその旨きを知らず」
「……?」
「そんなに見るなら話しかければいいじゃない」
紫さんは私の手を引いて、縁側から私を連れ出した。取り敢えずお茶をその場に置いて、されるがまま成り行きに身を任せることにした。
紫さんはずんずんと騒ぎの中に入っていく。私も引かれて行く。ああ酒臭い。この臭いは苦手だ。
「ごきげんよう、幽々子。相変わらず良く食べるわねぇ」
「あら、紫。その子は誰かしら、知らない顔ね」
幽々子、と呼ばれたその人は箸を置き、私の方を見た。
人間離れした雰囲気を纏った幽々子さんは、しかし妖怪と形容するには人間だ。遠目で見るより幼く見える顔立ちは、容姿だけなら霊夢さんや魔理沙さんとそう変わらない。けれど先程まで箸を休めない大食漢であった彼女からは想像もできない落ち着いた雰囲気と上品な物腰からは、千年を生きる妖怪と言われても無理なく信じ込めるだろう余裕を感じる。不思議な人だ。
「ああ、この子は風よ。噂の」
「そう。私は幽々子、西行寺幽々子。よろしくね。噂の風ちゃん」
そう言って、幽々子さんは微笑んだ。唇に料理の食べ滓が付いていなければ、もう少し絵になるのだろう。
「よろしくお願いします、幽々子さん」
私はお辞儀をする。
「ね、可愛いでしょう?」
「そうねぇ。でもうちの妖夢には勝てないわ」
そう言って、二人はくすくすと笑った。
「もう、幽々子さま。どういう意味ですか」
「どうも何も、そのままよ。そういうところ」
「うちの藍は最近可愛いげが無いから、羨ましいわ」
「いいじゃない、尻尾があるところとか」
幽々子さんの近くにいた帯刀少女、妖夢さんは、顔を少し赤くして幽々子さんに抗議するも、あっさりいなされてさらに顔を赤くする。確かに少し可愛い。
「さ、可愛い妖夢も見れた事だし、私はそろそろ帰るわ。お呼びでないしね」
紫さんは立ち去ろうとスキマを開けようとするが、幽々子さんはそれを阻止するようにどこからか持った酒瓶を突きつけた。
「私がお呼びよ。紫も少しは飲んでいきなさい」
「……はぁ、仕方ないわね。少しだけよ」
言葉とは裏腹に顔は少し綻んでいる。呼ばれて嬉しいのかどうなのか。少なくとも私は、あそこまで素直に嬉しそうな紫さんの顔は見たことがなかった。
「何がいいかしら。焼酎もワインもあるわよ。紫なら吟醸酒かしら」
「分かってるじゃない。でも今日は安酒が飲みたいわ」
「自棄酒なんて、体に悪いわよ」
「焼き酒がいいのよ。
叫び声、歓声、音楽。多くの音が飛び交う宴会場の片隅で、紫さんと幽々子さんは揃って安物の焼酎を飲み、静かに騒々しい宴会を眺めていた。
「平和ねぇ。紫には悪い事?」
「まさか。そんなわけ無いじゃない。幽々子ならわかるでしょう?」
私は紫さんの横で、なんとなく巡ってきた酒瓶を手に取る。“純米大吟醸酒”と書かれたその液体を、試しに一口含んでみる。
……やっぱり駄目だ。
数十秒後、紫さんと幽々子さんに笑われながら、妖夢さんに介抱されながら、私はそう思った。
いくら高い酒でも、駄目なものは駄目だ。
気持ち悪い気分を抑えているうちに、夜は更けて行った。
「そうね。最後に平和じゃなかったのはいつかしら。私には分からないわ」
「福中不知福、逆も然り。そういうものよ」
「あれぇ?あんたら呼んだっけ?」
「酔っ払いがうるさいわね。ほら、これでも飲んでなさい」
「……まあ、そういうものねぇ」