噂な彼女【完結】   作:遠名 彬

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永夜異変編。

普通に感情を喋らせるのって難しい。

たぶん次話から風以外のオリキャラが出てきます。男です。前日譚から音沙汰がない彼です。忘れていると思いますが。



欠けぬ名月

 今日は満月の日、名月の日。太陽はもはや一欠片となり沈もうとしている。今宵は十五夜、中秋の名月。特別な満月の日。

 

 なんとなくの気紛れで、今日は一寸した夜更かしをすることに決めている。その為に昼寝もしたし、昨日も夜に起きることで少しだけ生活の周期を崩して、わざと夜に眠くならないようにした。

 

 かつて先人は、見えない名月を丸いものを通して見ることを風流としたらしい。それは今の時代にも月見団子の文化として残っている。

 

 今夜に限っては雨が降る気配も、ましてや雲がかかる気配も感じない。綺麗な満月を夜通し眺めながらお団子を食べ、少しだけ思いを馳せる。ちょっとだけ風流で、お洒落で静かで気持ちの良い事だろう。そんな時間を待ち望みながら、私は卓袱台に肘をつき頬杖をつき、ぼうっと窓の外の、白と黒の入り交じった昼と夜の境界の空を眺めていた。赤く染まった西の空が、段々と暗くなっていく。鶴瓶の如く落ちた太陽が残した残滓を、夜の帳が覆っていく。やがて空は黒く暗くなっていく。丁度真逆の東から、明るく月が昇る。激しく刺すような日差しとは対照的な、優しく狂わせる月光が、静かな世界に降り注ぐ。まだ顔を出したばかりだが、それしか明かりがない暗闇には十分すぎる光だ。

 

 窓の位置関係で見えない月を考えながら、用意しておいたお団子をひとつ口に運んだ。餡子のほんのりとした甘さが口の中に広がった。

 

 

「見えぬお月見なんて、随分風流な事をするのねぇ」

 

 

 いきなり隣から声が聞こえた。しかし聞きなれた声だ。少し驚いたが、気配と声から見ずとも誰か分かった。だいたい人の家の中に何の遠慮もなく突然現れるのは一人くらいしか知らない。何人もいてはたまらない。

 

 

「こんばんは、紫さん。なんとなく気が向いたので。せっかく満月ですし」

 

 

 自分のお屋敷でお月見でもしていそうな人が来た。

 

 私の家の立地はそういい場所ではない。だからお月見にはあまり向いていない。どう考えても紫さんはどこかにある(誰も知らない)お屋敷にて、式の藍さんらと優雅に月を眺め愉しむほうがよいだろう。何故いちいち私の家に来たのかは全くもって謎である。

 

 

「……お団子はあげませんよ」

 

「あらら、残念。でもまあいいわ、神社かどこかから持ってくるし」

 

 

 なんとなく食べられそうだったので釘を差してみると、それは糠の中を通り抜けて霊夢さんにとばっちりを食らわせた。可哀想であるが私の憩いの時間のための犠牲となった。

 

 

「ついでに御神酒でもどうかしら」

 

「結構です、飲むなら帰ってください」

 

「厳しいのね、悲しいわぁ」

 

 

 全く悲しさを感じない笑顔で紫さんは言った。からかいに来たのだろうか。暇な妖怪(ひと)だ。

 

 

「……で、からかいに来たんですか?わざわざ」

 

「別に幽々子の所に行っても良かったんだけど。今宵の満月は特別だから、折角だし楽しもうと思っただけよ」

 

 

 ……どうしてそれで私の所なのだろうか。その回答が未だにないが、もう気にしても仕方がない。何せ相手はあの紫さんなのだ。言い方は悪いがまともな問答を期待する方が馬鹿なのだ。

 

 

「まあいいです。お酒を飲まなければ」

 

「何を言っているの、月見なら団子と日本酒でしょう、常識よ。晴れた満月ならなおさら。覚えておきなさい」

 

 

 どこからともなく取り出した一升瓶を置き、紫さんはそう言った。……勘弁してほしい。

 

 というか御神酒といえば神に捧げるためのお酒ではないのだろうか。いくら何の神様を祀っているのか分からない(霊夢さん本人に聞いても知らないと返された)博麗神社といえども、一妖怪が勝手に持ち出してあろうことかお月見という享楽のために消費してしまっていいのだろうか。

 

 

「大丈夫よ、下戸の妖怪(あなた)でも飲めるように、少しだけ弄くってあるわ」

 

 

 風味は落ちるけどね、といつのまにか卓袱台の上に二つ並んだ漆塗りの小さな(さかずき)にお酒が注がれていく。透き通った液体が盃を満たす。お酒特有の鼻を刺すつんとくる匂いが漂うが、しかし紫さんの細工のお陰か宴会の時のような噎せ返るような吐き気は微塵も浮かんで来なかった。

 

 そんなことより、大丈夫かどうかはそこではない。しかしまあ、何の神様が祀られているのかを誰もが忘れた神社の御神酒なら、バチは当たらないだろう。精々当代博麗の巫女(れいむさん)のありがたーい御小言を貰うぐらいだ。たぶんなんで私にも飲ませてくれなかったのか、とかだろうが。

 

 

「……弄るって、何を」

 

「怪しいことはしてないわ。何なら毒見をして差し上げましょうか?」

 

 

 多少食い気味に言葉を被せてくる。そういうところが怪しいと感じるのだが、今更だろう。

 

 そして言うが早いか、紫さんは勝手にお酒を一気飲みした。量がそうでもないので直ぐに終わる。行儀よく両手で盃を持って、かなりの急角度で傾けているのにも拘らず、一滴の液体も零す事も無く実に鮮やかな一気飲みをした。

 

 それに目が奪われていると、盃が下がって紫さんと目が合った。相変わらず綺麗な人だ。性格が良ければずっといい人なのに、知ってしまった以上はその可憐な顔と微笑から、後ろに渦巻く底知れない深謀の海を感じ怖れずにはいられない。彼女はそんな妖怪だ。私のような矮小な妖怪は本来こうして一緒に酒を飲むなど畏れ多い存在なのだ。“妖怪の賢者”とは、なんともしっくりくる呼び名である。

 

 

「そんなに見られると照れるじゃない。面白いものじゃないと思うのだけれど」

 

 

 紫さんはそう言った。もちろん照れた様子などない。頬がほんのり赤く見えるのはお酒の所為だろうか。

 

 

「……いえ、何でもないです。月、見えませんね」

 

「夜目遠目笠の内。見えないくらいが丁度いいのよ」

 

 

 窓の外を眺めながら、紫さんは呟いた。

 

 私は私の分、と置かれたままの盃を手に取った。確か盃の中に月を浮かべて飲み干す、なんて飲み方をどこかで聞いたことがある。ここからでは南中にならなければ月は見えない。それまではさすがにお酒を待ってはいられない。

 

 意を決して、盃を傾ける。口に含んだだけで、独特の風味が駆け抜ける。しかし――。

 

 

「……おいしい」

 

 

 初めて心から、そう思った。言葉にするのは難しいが、舌にまとわりつく味、鼻を突き抜ける香り、その全てが初めての感覚で、あれだけ嫌悪していた風味も、すとんと綺麗にしっくりきた。

 

 なるほどこれがお酒を飲む、ということか。暇なときにお酒を飲みたがる気持ちが少しだけ分かった気がする。

 

 

「それは良かったわね。まだまだあるわよ」

 

 

 空になった盃にお酒をまた注ぐ紫さんを横目に、お団子を摘まんだ。丸いものを月に見立てて、見えぬ月を感じるのは無月(雲がかかって月が見えない名月の日の事)のお遊びだったか。晴れる日に満月を見ないで月見とは、我ながら酔狂なことを考えるものである。

 

 

「乾杯」

 

「乾杯です」

 

 

 盃を軽く合わせて、小さな宴会を始めよう。

 

 

 ――――――

 

 

 それからどれくらいの時間が経っただろうか。窓から入る月の光が強くなり、もう少しで見える頃か。

 

 とりとめのない話とお団子を肴にして、少しずつお酒を飲む。そんな幸せな時間だった。私も紫さんも、思い出したときに少し話し、もう一人がそれに簡潔に答える。そんな静かな、二人だけの宴会であった。

 

 私は、紫さんの見たことのない顔を何度も見た。幻想郷のことを話している彼女の、我が子を思うような、慈しむ様な顔。声色も幾分か嬉しそうで、私にそれを誇るように語る彼女はとても楽しそうだった。藍さんの事を語る彼女は、ころころ表情を変えながら、出会いのあれこれを少しずつ教えてくれた。

 

 私の日常を聞く彼女は、時に笑って、時に興味深そうに、静かに話を聞いてくれた。いつものにこにこと誰にも同じような微笑みを湛えている彼女とは全く違った、なんというか、ひどく生身(・・)な印象を受けた。

 

 きっと私の見えないところでは、彼女は気さくで親しみやすく、優しくてちょっと理想主義な人。そんな評価を下されるような人なのだろう、私からはそう見えた。それはお酒の魔力に絡め取られた結果なのか、それとも本当に私に心を許してくれているのか。それはわからないが、しかしそれを考える事はしない。この幸せで平穏な瞬間を崩したくない、小さな私の利己的な考えだ。

 

 

「それにしても、はじめから私と飲む予定だったんですか?」

 

 

 なんとなく口から出た、そんな疑問。

 

 

「……。」

 

 

 一瞬の空白。

 

 

「いえ、そのつもりは無かったのだけれど。あなたと飲むのもやっぱり楽しいわね」

 

 

 まるで予想外の質問が飛んできたかのように、紫さんは一瞬反応に躊躇した。しかし、すぐにいつもの調子を取り直して、笑顔で答えた。その言葉には今までの言葉とは違い、不思議と真実味を感じなかった。どんな大嘘でも平然と、冷静に、誰もが信じてしまいそうな雰囲気で言っていた紫さんに見えた、一瞬だけの隙。

 

 ――嘘だな。

 

 確信めいた言葉が浮かんだ。

 

 

「……そうですか、ありがとうございます」

 

 

 しかし、それを追求する事も、触れる事も私にはできなかった。今この瞬間、初めて素顔の彼女を垣間見る事ができたこの瞬間を、この幸福な空間に少しでも罅を入れることはできなかった。そんな勇気は無かった。

 

 だから、うわべの感謝で取り繕うしかなかった。

 

 お酒で唇を濡らす。もうどれだけ飲んだだろうか。ちびちび飲んでいただけだから総量は大した事は無いのだろうが、このゆったりした雰囲気に呑まれているからだろうか、思考が少し鈍ってきていた。

 

 少しの酔いと、ゆっくりと蝕む眠気と、幸せな波に打ち寄せれて、私は瞼が重くなってきていた。

 

 

「ふふ、眠いの?まだ月は見えないわよ」

 

 

 うつらうつらと軽く船を漕いでしまっていたようで、紫さんの小突きで少しだけ覚醒に近づいた。

 

 しかしすぐに徒党を組んで押し寄せる眠気に、すぐにまた眠くなってしまう。

 

 

「――あの、紫さん」

 

 

 自然と、口が開いた。

 

 

「何かしら」

 

 

 一瞬脳裏を掠めた、僅かな想い。

 

 

「私は――いえ、私の昔を、知ってますよね……?」

 

 

 卓袱台に突っ伏したまま、私はそう言った。それには何の作意も無く、ただただ漠然と思ったからだ。

 

 ――昔、こうして紫さんといたことがあった気がする。

 

 根拠も記憶も無い、単なる妄想。しかし今までの紫さんの言葉から、何となくそんな気がしただけだ。

 

 

「……ええ。聞きたい?」

 

「……はい」

 

「……そうねえ。どこから話したらいいかしら」

 

 

 少しだけ思案顔になって、盃を傾けた。私の盃はいつの間にか空で、今ので紫さんのものも空だ。一升瓶を手に取ったが、しかし軽く振っただけで紫さんは諦めた。もう空になってしまったらしい。

 

 

「あなたは、昔――」

 

 

 口を開いた刹那、彼女の言葉を光が遮った。

 

 私の耳に僅かに入った電気音。ばちっと静電気でも起きたかという音が聞こえて、それと同時に一瞬だけ紫さんの袖下が光った。

 

 

「……風情がないわね。何用かしら?」

 

 

 本当に嫌そうな声で、薄っすらと光るお札らしきものを取り出した。それから目を閉じて、何かに集中を始めた。

 

 しばらくそうしていると、やがて光が収まると同時に紫さんもゆっくりと目を開いた。

 

 

「悪いわね、急用よ。また今度、一緒に飲みましょう」

 

 

 紫さんは立ち上がると、私の家の戸に手を掛けて、そうして私のほうを向いた。その顔は既に赤みも抜けきっていて、少しいつもの毅然さが戻っていた。

 

 

「……ええ、また、いずれ」

 

「今度はもっといいお酒と、いい肴を持ってきてあげるわ。外のお酒もいいものでしょうけど、幻想郷のはもっと良いわよ」

 

 

 ……外のお酒?

 

 言われて一升瓶を手に取る。なるほどたしかに見たことのないお酒だ。瓶も幻想郷のものより随分と綺麗だ。

 

 

「これ、外の世界のものだったんですか?」

 

「ええ、美味しかったでしょう?貴方が普通に飲める位には」

 

 

 ……やられたな。始めから細工なんてしてなかったんだろう。きっと私が飲めるような、それほど強くもないお酒を選んできてくれたのだろう。

 

 

「今宵はまだ開幕。序幕はこれから始まるけれど、閉幕まで観客は立入禁止。狂気の光は強すぎるから、客席照明にも、スポットライトにすらならない。お客は大人しく寝ていなさい。起きる頃には閉幕。さようなら、また今度」

 

 

 いつも通りの紫さんは、いつものように意味のわからない戯言を残して、光の下に去って行った。

 

 

 ――――――

 

 

 ……どうやら、想像以上に凄い事になっているようだ。

 

 いつのまにやら片付けられていた卓袱台をどかして、私は本能のままに寝た。しっかりと。体感ではもう十分すぎるほどの時間寝た筈だ。

 

 しかし、おかしい。

 

 外を見ずともわかる。人里の人々が噂をして回っているから。

 

 

 夜が明けない。

 

 

 それは、確かな異変だった。




「緊急事態だ、気付いていないのか?」
「いいところだったのよ。無粋な人ね」
「外に出ろ。嫌でも分かる」
「はいはい。で、貴方は動かないのかしら?」
「別件だ。それに、異変(これ)を収めるのは人間の仕事だろう」
「半分はそうね。切るわよ」

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