そろそろ展開が日常(大嘘)になる。
花が咲いた。それは生命の息吹であると同時に、散り落ちる死の前段階である。花とは、生と死を同時に形容する不思議な存在だ。そしてそれは、時に総括されて人生そのものとされる。芽が出て、成長し、美しい花を咲かせて、散る。人間の劇的な人生そのものだ。長く生きる妖怪はそんな単純な一生にはならない。惰性と暇潰しに明け暮れ、最期は意外とあっけない。そんなものだ。少なくとも私の知る妖怪はそうだ。幻想郷がこうして結界に隔離される前は、妖怪も生き残りに忙しかったが、今は生きていくだけなら馬鹿でも出来る。納得する寿命まで生きた上で、いかに充実した生き方をするかが問題となっている。妖怪は結局精神が大事な存在だ。不満が溜まる過酷な環境では、身体は耐えても心が耐えられない。
まあ、つまり花が多い、ということだ。不思議なことに、桜とかの大きな物から人里の路傍の花までもが全開に咲き乱れ、なかなかすごいことになっている。いつかどこかで聞いた、向日葵畑にいるという花を大事にするらしい大妖怪とやらが泣いて喜びそうだ。それほどまでに壮観である。当分花見の肴には事欠かないだろう。
私はぶらぶらと散歩しながら、そこらかしこに咲き乱れる花を愛でていた。ここまで咲くのはなかなかない。少なくとも私の記憶の中には無い……はずだ。一瞬それらしき光景がよぎったが、たぶん気のせいだろう。いわゆる
私は色とりどりの絨毯を踏まないように細心の注意を払いつつ、歩を進める。なぜ人里の中でもここまで気苦労をしなければならないのか。それは最近拡散され始めた、“花を踏むと風見幽香(さっき言った花好きな大妖怪だ。人里では超危険妖怪として知られている。)が殺しに来る”というものだ。本当かどうかは例によって分からないが、他の人里の人々もそれを信じているからか人里の中で無駄な気苦労を強いられているようだ。常に足元を確認しながら歩くのは思いの外面倒だ。前が見えづらいし。というか人里の人間に危害を加えればいかに大妖怪といえどもただではすまないと思うのだが、どうなのだろう。まさか大妖怪特権的な何かが働いているとでもいうのだろうか。
いや、何でもない。最近
歩く私の頬を、冷たい感触が撫でた。白玉団子がふよふよ浮いて、隣をすれ違っていく。花が増えてからというものの、やたらと幽霊が多くなってきた。平時でもたまに見る存在なので幻想郷において幽霊は珍しい存在ではないのだが、ここまで多くなることはなかなかない。これでは前に連れていってもらった白玉楼並みだ。あそこは冥界のお屋敷だから当たり前だろうが、生憎ここは現世で生きている人々の住む場所だ。そんな気軽に死後の魂が還ってきてたまるか……と思うのだが、飛べれば普通に死後の世界に行けてしまうのが幻想郷だ。あまり深く考えない方がいいのかもしれない。
そうして歩いていると、どこか華やいだ通りの中に、一際目立つ女性が歩いていた。正面から歩いてきている彼女の背中からは、金の尻尾がはみ出て溢れている。あの特徴的な姿に思い当たるのは一人しかいない。紫さんの式である、藍さんだ。元々九尾の狐だそうだ。九尾の狐と言えば伝承にも登場する程の凄い妖怪であり、それを式として使役する紫さんの凄さが分かるというものだ。ちなみに現在は紫さんの仕事のお手伝いをしているらしい。
「藍さん、こんにちは」
軽く挨拶をすると、藍さんはそれでこちらに気付いたらしく、少し間があってから返事をした。
「ああ、風か。どうだ?最近は。変わりないか?」
「まあ、特には。それより、こんなところで何をやっているんですか?」
「花が咲いているだろう?これの見回りだ。実害は無いが、一応な」
そう言った藍さんは、どこか疲れたように溜め息をついた。大変そうだ。
「大丈夫ですか?疲れてるみたいですけど」
「……まあな。だが、これくらいはいつもの事だ。心配される程ではない」
藍さんはそう言うが、なんとなく感じる漏れ出た妖気が彼女の疲れを語っていた。ここまで薄ければ特に影響も無いだろうが、鋭い人なら気付くであろう。藍さん程の妖怪が疲労を訴えるとは、紫さんはいつもどんな仕事を押し付けているのか……。業務形態に不安を感じる。
と、肩を軽く回していた藍さんは、すっと私の後ろの上の方を見た。私もその視線を追う。
「藍さまー、終わりましたー!」
人里の密集した屋根の上を、ぴょんぴょこ軽快に渡り歩きながら、一人の少女が此方に来た。緑の帽子から小さな猫耳を生やし、快活そうな笑顔をした彼女は、
「どうだった?おかしな所は無かったか?」
「はい!各部異常なし、です!」
びしっと敬礼をする橙ちゃん。かわいい。
それを聞いた藍さんは満足そうに、そうか、と言う。心なしか安らいだような顔をしているのは気のせいではないはずだ。自分の式が可愛いので癒されているとかそんなところだろう。大いに同意する。
……そうだ。最近は色々と不穏な空気がある。一応報告しておいた方がいいだろう。
「……そうだ、藍さん。最近、人里で不穏な噂が流れているんですけど、知ってますか?」
「いいや。どんな噂だ?」
「まあ、そんな大事にはならないと思うんですけど……」
私は少し小声でそう言う。藍さんが少し顔を近づけた。あまり公衆の面前で言う話ではない。
「最近、特定個人を誹謗中傷するような話が蔓延してるんです。誰も彼も敵視するみたいに。まあ一番の標的は私なんですけど、これまではそこまで表立って噂として出てこなかった悪口位のモノまで立派な噂として広まっているので、少し不安です。私が一身に集められればいいんですけど、そうもいかなくて……」
これは本当だ。ここ最近に集中して起こった異変で鬱屈した雰囲気が溜まってきたのか、最近は新年明けだというのにどことなく雰囲気が悪い。紅霧、春雪、永夜に今回の花と幽霊の異変。私が来た頃に始まったその異変を私の所為だと言う人がいるのはまあ理解できる。そしてその噂が最も多く流れている。それはいい。どこまでいっても被害を受けるのは私だけで、私が何もしなければいずれ消えるだろう。しかし、それの影に隠れてかなり過激な噂も流れているのも事実だ。今は私が悪者で、人々が気に食わないことを何でも噂として流し、それを私の所為にしてしまえば非は負わないだろう……という考えなのだろう。そういう小狡い考えはなんとなく理解できる。そしてその犠牲者を私にしたのは賢明だと言える。何故なら今や人里が居場所となってしまった私は、嫌われるような事を迂闊に出来ない。ここで根強く反論したところで、職業を理由にすればどこまででも追及できる。なので私は反論しない。自分が悪者として必要悪となることで人里が安定するのなら、むしろ自分から悪になることも吝かではない。私はもうそのくらいにはこの幻想郷を、この人里を好きになった。
「……そうか。お前はそれでいいのか?」
「何か起こらなければ、私を捌け口にして解決するなら、それでいいです。その位の覚悟は、もうしました」
藍さんははぁ、と溜め息をついた。そして袖口から一枚のお札を取り出すと、それを私の懐に入れつつ、小声で呟いた。
「何かあったらこれを使え、妖力を流すだけだ。それがお前を守る」
その囁きは、確かに私に伝わった。橙ちゃんには聞こえていないようで首を傾げているが、私はきちんと理解をして頷いた。傾国の九尾の謹製だ、これほど信頼のおけるものは無いだろう。
「よし、私はもう行く。貴重な情報をありがとう。また頼むよ。ほら橙、行くよ」
「あ、はい!それでは風さん、また今度!」
橙ちゃんは最後に綺麗に御辞儀をして、藍さんのあとを着いていった。私は愛想笑いをしながら、ひらひら手を振ってそんな二人を見送った。まるで子供だ。いや子供みたいなものなのだろうが。
私も藍さんにおける橙ちゃんみたいな存在が欲しい。世話のかかるけど可愛い子供が。暇な日々も少しは輝いて見えるだろうし、今も継続的に聞こえてくるどす黒い噂の声を聞き続けなくてもよくなるだろうし、この後どんな逆境に陥っても心の支えになってくれそうだ……。なんて、そんな
私は、誰もいない虚空にそう決意した。
――――――
「……で、こんなところで何をやっているの?」
その後。路地裏を歩き回りながら色々と考えていた私の前に、人形っぽい顔の少女がいた。アリスさんだ。
「何って……言われましても。別に、何もしてません」
「さっきからそこの曲がり角からここまで五往復以上して、何もしてない、ねぇ」
「強いて言うなら、考え事です」
「何も歩き回らなくても良いでしょうに。癖?」
「いえ、そういう訳では」
「……」
完全に不審者を見る目で、アリスさんは私を見た。視線が突き刺さる。
「そんな事より、アリスさんは何でここに?」
「買い物よ。雑貨と消耗品と……ね。森に篭ってると色々と欲しくなるものなの」
そう言う彼女の少し後ろに、二人で一つの買い物袋を持った人形が浮いていた。人形があるとこういうときに便利なのだろうか。そして重そうな生活必需品を持ち上げても壊れない人形の耐久性はかなりのものだ。流石は人形師を名乗るだけはある。すごい耐久力だ。
「それで?何か悩み事かしら」
「うーん……まあ、そうと言えばそうですかねぇ」
確かに、対処に困っているので悩みと言えば悩みだ。しかしアリスさんに相談したところであまり変わらなさそうだが……。
しかし、アリスさんは何故か笑顔。顔は作り物の人形のように形容できるのに、表情は結構豊かで作り物には感じない。不思議だ。
「悩みじゃなきゃそんな顔しないでしょう。さ、話してみなさい」
「……なんでそんなに楽しそうなんですか?」
「いい暇潰しを見つけられたら、嬉しくなるものでしょう?」
……。
――――――
アリスさんの暇潰しに使われた私は、とりあえずアリスさんを家に上げ、軽いおもてなしをしていた。多分こうやって妖怪かそれに準ずる存在と仲良しこよしやっているから人里の人々から距離を置かれているのだろうが、今更だ。
「……ふぅん、結構大変なのねぇ、人付き合いが」
湯飲みのお茶に口をつけて、アリスさんは他人事のように言った。自分から聞いておいて返事が淡白すぎる気がする。親身になるとかそういう事を少しは見せればいいのに、なんともひどい。
「そうなんですよ。人里に住んでるといろいろと大変で……」
私は、魔法の森に住んでいて殆ど人付き合いが無さそうな魔法使いに、少し皮肉っぽくそう言った。その意図を汲んだのか、アリスさんは少しだけ笑った。
「また何とも、きつい事を言うのね。少し性格変わった?」
「そうですか?前からこんな感じだったと思ってますけど……」
「……ああ、そう。気のせいみたいね」
アリスさんは少しだけ不思議そうに、そうとだけ言った。……そんなに変わっただろうか。自分ではよく分からない。しかしあまり会わない、尚且つ他人に対する機敏に疎そうなアリスさんがそう言うのだ。相当かもしれない。
……確かに、最近は私でも考えが逸れて行って止められなくなりそうになることがある。その原因にはそれとなく心当たりは付いているが、しかしどうにもしようがない。私がそういう考えに飲まれないようにするしかない。今のところは問題はないし、多少性格が悪くなった位ならそうそう分からないだろう。
「まあ、いい暇潰しになったわ。そろそろ日も暮れるし、私は帰らせてもらうわよ」
確かに見れば、もう空は橙色に色付いていた。今日も特に何もすることもなく一日が終わったのだ。それはとても平穏で良いことだと思う。
アリスさんは、そういってさっさと帰っていってしまった。結局本当に時間を潰しに来ただけだったらしい。はた迷惑なものだ。
二つの小さな影と共に飛んでいくアリスさんを見送りながら、私は夕飯の献立を考えていた。よくよく思い出せば今日はお昼ご飯を食べ損ねた。そう考えると、途端にお腹が空いてくる。私は夕餉の匂いが混じった花の香りを感じながら、平穏の為に家へと帰るのであった。
長く伸びた人々の影が、鼬のように道を切った。
叩く音は風ではない。荒々しく、乱雑に。それに気付くも、しかし既に遅い。
鈍く輝く殺意。同じ光を宿す双眼が確かに射抜き、本能的恐怖を呼び覚ます。
煌く軌跡は、確かな狂気を象っていた。
終わらない日常。誰もがそれを信じている。
全てを受け入れる理想郷の、語り継がれぬ外典。
忘れられた存在の、忘れられる物語。