もこたんの口調が不安定。てゐは資料が少なくて困る。
今回の後に一回魔理沙その他の閑話を挟んで章変えとなります。
翔る。朝霧の立ち込める竹林を。
翔る。幸運の白兎に導かれて。
翔る。境界の化け物から逃げるために。
足はもう、擦り傷切り傷だらけで歩くのも痛い。しかし、私には空を飛ぶ力がある。
心は暗く、絶望が重くのしかかってくる。しかし、私の目の前には先導者がいて、私はまだ生き残ることを諦めていない。
代わり映えのしない景色を飛び続ける。時たま私の前を行く兎が進行方向を変えるのに合わせて私もそれに追従する。終わりのない迷宮かと思われたがしかし、やがて竹が途切れた。
出口だ。
迷いの竹林は、その名の通り人を迷わせる。それには様々な理由があるが、重要なのは理由ではなく起こった現象だ。ひとたび迷い込めば生きて出ることは叶わない。人里でもそう言われ、相当な用事でもない限りは近づいてはならない危険地域である。魔法の森と同じ位か。生きたければ行ってはならない場所なのだ。
しかし、目の前にいる私と同じかそこらの年齢に見える白兎は、一切迷うことなく竹林を踏破した。もしかしたら途中で迷ったかもしれないが、結果的に外に出ることが出来たのだから問題は無い。
「さて、確か外に出たら例のあいつを訪ねろ……って言われたはず。よし、もう少しこっちだよ」
兎はそう言うと、またも勝手にどこかに向かっていく。私には拒否権も拒否する理由も無いのでおとなしくついて行く。多少空を飛んだ先にあったのは、一軒の掘っ立て小屋だ。人が辛うじて住めるかどうかといった具合の襤褸家だが、この兎が目指しているのだから何かがあるのだろう。
兎は家の前に降りる。私も足の事はすっかり忘れて普通に着地する。いつの間にか、怪我は無くなっていた。
「おーい、妹紅やーい。いるー?」
兎が控えめに声を張ると、中から少し物音がした後、扉が開く。軽く軋んでいるが、まあ見た目からして仕方がないのだろう。
「あん?お前は……輝夜のとこのてゐじゃないか。何か用か?」
出てきたのは一人の少女。色が抜けたような白い髪を腰ほどまで無造作に伸ばしている。作業用のもんぺのような赤いものを白い服の上に着ていて、だぼだぼの足回りにはお札らしきものがいくつも貼られている。紅く輝く双眼を不思議そうにてゐ、と呼ばれた兎に向けながら、扉を開けた体勢のまま立っていた。先ほどまで食事でもしていたのか、少しだけ頬が汚れている。しかしそれを気にするような素振りは無い。
「なに、ちょっとした頼み事さ。依頼料はあとで姫様が払うって言ってたよ」
「輝夜がぁ……?怪しいなぁ。お前、また何か企み事でもしてるんじゃないか?」
「違うってば。確かに考えたのはお師匠様だけど、頼み事ってのは本当だよ」
……何か今、てゐちゃんがまったく意味のない嘘をついた気がする。気にしたら駄目なのだろうか。たぶんそんな些細なことに反応していたら身が持たないのだろう。妹紅、と呼ばれた彼女もどこかうんざりした顔をしていた。慣れっこなのか。同情する。
「……まあ、報酬さえ払えば依頼は聞くよ。で、何の用?」
「あそこに突っ立ってる子、いるだろう?あの子を、妖怪の賢者――八雲紫の目の届かない場所に連れてってやってほしい……って依頼」
てゐちゃんが私を指差してそう言う。その言葉に、妹紅さんは目を丸くした。私も同じような反応をした。そんな場所が幻想郷にあるのか……?
「あのなぁ……私は竹林の案内役だぞ?そんな場所を――」
「“あの子は長生きだから、嫌われ棄てられた妖怪の行き場位は知ってる筈”――だって聞いてきたけど、違う?」
妹紅さんの言葉を遮り、てゐちゃんはあまり似ていない誰かの声真似をして言った。それを聞くと何か心当たりでもあるのか、酷く面倒そうに妹紅さんは少し頭を抱えて、はぁ、と深く息を吐いた。
「知らん……というと嘘になるが、正確な場所は知らない。だが……」
「だが?」
「……ここが結界で隔離されるよりずっと前に、嫌われた妖怪が逃げるために地底に行った、って話は聞いたことがある。たしか、鬼がどうとか……。もう何年前になるか分からない眉唾な話だけど」
「鬼……。ああ、成程。昔に鬼がいなくなったのは、そういう理由だったのか」
「ん、どういう事?」
「ずっと昔には、地上に普通に鬼はいたんだけど、ある時期を境にめっきり見なくなっちゃったんだよ。人間に乱獲されたのかとばかり思っていたけど、地面の下に行ってたのか……。合点がいった」
てゐちゃんはそう言った。まるではるか昔にいた鬼と交流があったかのような言い草である。もしかしたら本当にあったのかもしれないが、それは私の知らぬところだ。
そして、これから出される言葉を予期したのか、妹紅さんは困り顔だ。私にも何となく分かる。どうせそこの入り口に連れて行けとかそういうことだ。
「じゃあさ、そこに――」
「駄目だ、それはできない」
一刀両断。全てを言い切る前にてゐちゃんの言葉は妹紅さんに遮られた。
「そもそもどこに入口があるかも分からないし、この子が行ったところで無事に済む訳がない。地上から放逐された妖怪共の巣屈だぞ?それとも、この妖怪少女にゃ鬼なんか敵じゃないってか?」
茶化すような台詞を真顔で言い放った。それはおそらく、妹紅さん自身が鬼という存在と出会ったことがある故の言葉なのだろう。てゐちゃんも粘り強い交渉をする気はさらさら無いらしく、実にあっさりと身を引いた。
「あ、そう。じゃあ、とりあえずこの子はあんたの所に預けておくから。それでお師匠様の言付けは守ったし、私は帰るよ」
「はぁ?おい、ちょっと待て」
「やなこった。私も面倒は嫌いなの」
それだけ言い残し、てゐちゃんは竹林の闇に消えていった。妹紅さんは反射的に追いかけようとするも、近くに話に置いて行かれて突っ立っていた私の顔を見て止まった。その顔は明らかに私の事を厄か何かだと認識しているのだろう渋い顔だ。……とりあえず愛想笑いをしておいた。
「あはは……」
「あはは、じゃないよまったく……」
――――――
人里は静寂に包まれていた。朝方で起きている人もまばらだが、それ以上に昨日の一件がいまだに解決していない事に人々は不安を募らせていた。この為だけに本来は妖怪退治を専門としている博麗の巫女まで動員しているのにも関わらず、一向に犯人が捕まる気配はない。しかし、その素性は既に判明していた。あの後、霊夢と慧音は人里の人々を一戸一戸回り、何か異常は無かったか、何か気づかなかったかと聞き込みをしていたのだ。霊夢にとっては面倒極まりなく、途中から慧音に丸投げして独自に自分の勘で怪しい場所を虱潰しに捜索したところ、見事一人の男性に行き当たった。なんでも慧音に聞く限り、彼は人里で平穏に生活していた好青年だったらしい。綺麗な妻を娶り、幸せな生活を過ごしていたそうだ。しかし昨今の異変続きで妊娠していた妻の体調が優れず、何度も里の医者に通っていたらしい。そして、一昨日から全く見ることがなくなった。
不思議なのは、この妻の女性について聞きこむと、誰もが口をそろえて彼女の悪い噂を口にすることだ。まるで誰かにそう言えと口裏を合わせられているかのように、似たような不穏な噂を交わしていた。旦那さんが不倫していたとか、妻が妊婦の体で男を誘惑しているとか、生まれてくる子は流産するだとか……。そのすべてはまるで事実無根であり、それは誰よりも人里の事情に精通している慧音がよく分かっていた。そして彼と彼女の家にたどり着いた霊夢と慧音が見たのは、腐臭を漂わせた美女の変わり果てた姿であった。
霊夢はかつての噂屋に来ていた。そこは既に慧音と里の有志によって綺麗に片付けられており、惨劇の現場であることはもう分からない。しかし、そこに残されたものを取りに、霊夢はわざわざ戻ってきていた。
綺麗に片付けられた室内。しかし大した汚れも無かったということで後回しにされた、後から取り付けられたような小さな棚には、かつての住人が護身用として持ち歩いていたものが無造作に置かれていた。霊夢はそれを手に取る。しっかりした、見た目から想像されるよりもすこし重いそれを、霊夢は大事そうに持った。
霊夢は風に対して特別好意的である訳では無い。誰に対しても同じような態度を取る霊夢にとって、風はあくまでただの一妖怪に過ぎない。しかし曲がりなりにも友人のような関係で数年間を過ごした霊夢には、あの風が今回の惨劇を引き起こしたとは到底考えられなかった。今回の事件の概要は恐らく、妻が悪い噂によって自殺し、それを噂屋の風の仕業だと思い込んだ旦那の凶行だと霊夢は踏んでいる。不本意にも柄にない探偵の真似事をしているが、それでも霊夢は一応の顔見知りのために解決を目指していた。
「……あんたは、馬鹿ねぇ」
自衛の為にあるはずの武器が引き抜かれた形跡もないことから、霊夢は彼女の心情を慮り、そう呟いた。そうして、その刀を持ったまま外に出る。
魔理沙の箒が転がされていたということは、おそらくそれだけ魔理沙は切羽詰まっていたということだ。大方、怪我した風を見て急いで医者に連れて行ったとかそんな所だろう。そして、人里の医者は風は来ていないと言っていた。魔理沙は風が妖怪だと知っている以上、その判断は懸命だ。そして、そんな彼女が行く場所といえばおそらく……。
「永遠亭……かな。あそこなら安心だと思うけど」
霊夢はそう結論付けた。里の中の犯人捜しは、あとは慧音が上手くやってくれるだろう。風もたぶん魔理沙に任せておけば大丈夫だ。この刀は、あの馬鹿が帰ってきたら渡してやろう。もうやることは終わった。昨日から何も食べていない癖に朝から動き回ったので、そろそろ倒れそうだ。作りかけの茸鍋を一人で食べるために、霊夢は飛ぶ――つもりだった。
「ここにいたのか、霊夢。紫様から言伝だ」
空から降りてきたのは九尾の狐。その言葉、その雰囲気からは嫌な予感しか感じられない。特に“紫様”とかいう言葉から。
「……はぁ、今度は何?悪の組織でも倒すのかしら」
霊夢は深く、深く溜息を吐いた。いつになったら解放されるのか分かったものではない。自分の運命とついでにレミリアに心の中で呪詛を掛けながら、狐の言葉を聞いた。
――――――
とりあえず妹紅さんの家に上がらせてもらうこととなった。彼女の名前は
彼女の家は、竹林の近くに建つ掘っ立て小屋のようなものだ。どうやら日頃は竹林の案内役をしているらしい。確かに人里にいた頃に、そういう職業をしている人間がいる、という話は小耳にはさんだ事はある。事実迷いの竹林から筍を採ってくる人もいたし、案内役としての仕事はきちんとしているのであろう。私みたいなのとは違って。
女の子の一人暮らしとは思えないほどに綺麗に片付けられた部屋に入る。片付けられたというよりは物が無い、といったほうが正確か。最低限の食事と睡眠に必要な程度の物しか見当たらない。
「……なんだ、そんなに見回して。見るものなんて無いぞ」
きょろきょろしていると咎められた。まあ減るものじゃあないし構わないだろう。
「まあ、いい。ほれ、座れ」
擦り切れそうな座布団を敷いた卓袱台の側に妹紅さんは座った。私はその向かい側に座る。妹紅さんは食べかけだった朝食を脇に退け、切り出した。
「確か、風とか言ったな。妖怪でいいんだよな?」
「あ、はい。元噂屋の風です。一応、妖怪です」
「んー、どうも妖怪には見えないが……力が弱すぎるからか?それにしては変だな……」
じろじろと観察してくる妹紅さん。初対面の人には大概同じような反応をされるのでもう慣れた。
「まあ、いいや。で、あんたはなんで八雲紫から逃げてるんだ?」
なんの遠慮も無く、実に単刀直入に切り込んできた。そこはもう少しじっくり聞きだすところではないんですか……。まあ、そうしている時間も惜しいという事なのだろう。いつ紫さんが来るか分かったものではない以上、まどろっこしい人付き合いをしている余裕はない。
「……簡単に言うと、私は知ってしまったんです。私の事を。それに、危険な妖怪が目覚めそうだって……」
「さっぱりわからん。要はのっぴきならない事情ってことでいいか?」
「あ、それでいいです」
どう纏めたものかと思案しながら口に出せば、これまた一刀両断。最初からそれでいいならそう言ってくれればいいものを。
「さっきの兎にはああ言ったが、私は地底の場所は知ってる。入り方も」
「……え?」
「伊達に長生きしてないって事。まあでも、危険で馬鹿な真似だって事を理解してほしい。八雲紫から逃げるには確かに有効かもしれないけど、その分自分を殺すことになる」
妹紅さんは、真剣な目でそう言った。覚悟を試しているのだろうか。それなら上等だ。いまだ私にも全ては分かっていないが、どうやら私の中には覚醒間近の大妖怪が眠っていて、それは私を殺すらしい。それなら紫さんに捕まろうがこのまま逃げて覚醒まで隠れていようが地底に行って鬼に嬲られようが大して変わらない。結局、私が何もしなければ待っているのは死という救済にもならない結末だけだ。
まだ死ねない。私は“彼女”に抗う。
――選択は唯一の抗いだ。
「行きます。たぶんそれが、私の運命です」
今の私の思考が、本当に私のものなのかは分からない。もしかしたら、もうその殆どを“彼女”の制御下に置かれているのかもしれない。
それでも、私は。
人里という拠り所を失った私には何もない。結局頼れるのは自分だけで、今の私にはその自分すら信じることが出来ない。だから、私は自分を知りたい。
「……分かった。時間が無いんだろう、今から発てるか?」
一も二もなく頷いた。
てゐちゃんの言うところの“お師匠様”が誰なのかは分からない。しかし、見た目と性格に反して聡明そうな彼女が認めているのだし、この妹紅さんも随分とその人のことを分かっているらしい。素直に無理難題に応じるくらいには。
あのとき紫さんと話していた人と同一人物かどうかは分からないが、もしそうならばあの紫さんと同程度の理解不能な知能を持っている人という事だ。そんな人が考える策が悪いもののはずがない。勿論二人が結託していたらどうしようもないが、もとより詰んでいる身だ。とにかく今は縋れるものなら何でもいい。
死にたくはない。少なくとも、私が“彼女”の事を知るまでは。
――――――
地底への入り口は、妖怪の山にあるらしい。そこは幻想郷の中でも最も統率が取れている危険な妖怪集団、天狗が治める土地だ。新聞記者の文さんも一応天狗だが、彼女はだいぶ変わり者なので置いておく。通常の天狗は身内以外には極度に排他的であり、迷い込んだだけで即殺害は基本である。幻想郷には危険地帯が多く、妖怪の山も例に漏れず、といった所だ。だがこれから私が行く予定の地底は、聞くところによれば地上が生温いと思わせるほどの場所らしい。私は考える事をやめた。そんな恐ろしさを考えていても始まらない。
決意をした私が飛び立とうとした所に、彼女は現れた。
「どこ行く気なの、風」
どこか真剣味に欠けた、気だるそうな少女の声。私はその声の主を一人しか知らない。
暗闇に映える紅白の巫女服を着た、幻想郷の絶対権力者。霊夢さんだ。
「霊夢さん……」
「紫から聞いたわ。逃げるつもりなんだってね」
「何しに来た、博麗の巫女。この子の邪魔をする気?」
「死なないだけの人間が五月蝿いわね。私は今、風に聞いたのよ」
霊夢さんの声色が冷たい。口調はいつも通りなのに、いつもはそこに込められている感情が感じられない。
「……はい。私は、このままここにいたら紫さんに殺されてしまいます。だから、逃げるんです。紫さんの目の届かない場所に」
「……そう。死にたくない理由は何?このまま放っておいても、噂の妖怪とやらが出てきて殺されるんでしょう。変わらないじゃない」
「だとしても、です。何も知らぬ存ぜぬ内に死にたくはありません。せめて、私が納得できるまでは」
「――はぁ。なら、好きなだけ逃げなさい」
投げやりな言葉が投げられ、私の口から思わず疑問形が口をつく。
「え?」
「私が言われたのは、逃亡阻止じゃなくて監視だけだもの。それも、勝手に死ぬようなら止めろ、ってだけで」
「どういう事だ。風は八雲紫に狙われているんじゃないのか?」
「このままその辺をほっつき歩いてたら、そうなるかもしれないわ。でも、手の届かないところに逃げたら、無理に追いはしない……と、思うわ。だってそこで何しようが、紫には直接関係無いもの。もっとも……紫以外がどうするか、は分からないわ。それを覚悟の上で、というなら私は止めないわよ」
結局、霊夢さんはいつもの調子でそう言った。ただただ霊夢さんが面倒なだけなんじゃないだろうか。それが彼女らしいといえばそうなのだが。
しかし、それはありがたい。紫さんが追ってこないのなら理不尽に死ぬことは無いだろう。地底には昔の妖怪が住んでいると聞く。昔の私を知っている妖怪もいるかもしれない。
「……私は行きます。自分の事を知ります。それが私の選択です」
「そう、頑張ってね。
「……。できれば、新茶でお願いしたいですね」
「考えておくわ。ああ、それと」
霊夢さんから無造作に何かが投げられる。反射でそれを受け取る。確かな重みを感じるそれは、いつかの小傘さんの力作である脇差だった。騒動で家の中に忘れていたと思ったが、霊夢さんが持っていたのか。
「それ、護身用でしょ。抜かなきゃ持ち腐れよ?」
「……善処します。何から何まで、ありがとうございます」
「いいのよ。これで面倒な奴がいなくなって清々するわ。しばらく帰ってこなくていいわよ」
言葉こそ冷たいが、その声は冷たさを感じない。霊夢さんらしい見送りだ。私は帰ってくることを望まれているのだろう。これで、また一つ死ねない理由が出来てしまった。
「そろそろ行くぞ。天狗の警戒が薄い早朝ぐらいしか行けないからな」
「分かりました。それでは霊夢さん」
深く一礼。これまでの感謝と、迷惑をかけたという謝罪。そのすべてを乗せて。
「行ってきます」
私は笑った。
その笑顔は、紫の書簡によって真実の断片を知った霊夢にはあまりにも眩しくて、儚いものだった。それが痛々しくて見ていられなくて、霊夢は思わず目をそらした。もうすぐ彼女は死ぬだろう。抗いようもない運命に流されて。地底に行っても、帰ってくることなどない。これが今生の別れになることを、霊夢は薄々感じていた。それでも妖怪に対してさしたる頓着を感じない自分なら、何の憂いも無く送り出せると信じていた。魔理沙にはあとで私から伝えればいい。
それなのに。
涙は無い。しかし、霊夢は確かに心を痛めた。その純真すぎる少女の思いは、達観した自分には毒だった。
「……行ってらっしゃい、風」
その一言に、どれだけの思いが乗ったのか。それは本人にも分からない。
風が吹く。風と霊夢を別つ風が吹く。誰にもそれを知られぬままに、彼女は救いのない運命を歩いていく。それに狂わされた人間も、それに心惹かれた人間も、彼女を救うことはできないだろう。終着点は死、あるのみだ。それは救済でも何でもない、ただの結末だ。
それでも風は歩く。最後の足掻きを見せつけるように。
“お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ”――。
外界の書物に記されたその言葉は、今の彼女にぴたりと合うだろう。妖怪の山にぽっかりと空いた深淵への入り口を眺めながら、少女は先行きの見えない運命をそれに重ねていた。
覚悟は決めた。後悔も未練もあるが、それを許してくれるほど世界は、幻想郷は甘くないということは嫌と言うほどに思い知った。
“幻想郷は全てを受け入れる。それはとても残酷な事ですわ”――。
全ての元凶の気取った声を、どこからか聞いた気がした。