今回から地底編。違和感凄いかもしれませんがご容赦を。
地の下の空
地に落ちる。飛んで落ちていく。幻想郷にこんな場所があるとは思わなかった。底の見えない穴の中をほぼ垂直に落ちながら、私は地上でのひと悶着を思い出していた。
妖怪の山に空いた大きな穴は、そこだけ異様な雰囲気を漂わせていた。鴉天狗により制空された下。白狼天狗の監視の目を掻い潜った中。やたらと慣れた感じに妖怪の目を欺く妹紅さんを見ていると、まるでいつかの誰か……思い出せない記憶の中の誰かを見ているようだった。そうしてそれなりに順調に進み、終ぞ到着するかといったところで、空から一人の天狗に見つかってしまった。黒髪に見慣れた白い装束。首からカメラを提げて、黒く大きな翼を広げた鴉天狗。文さんだった。どうやら今日は非番だったらしく、なんでも白狼天狗の部下の様子を見に行った帰りにたまたま覚えのある妖怪と人間を見つけ、後ろから追跡していたらしい。それなら仲間の天狗に知らせればいいのだろうが、事もあろうに彼女は、新聞の話題を提供すれば見逃してやる、などと言い出した。願ってもない話だったが提供できる話もない。一応公表すれば話題どころか幻想郷を揺るがす可能性もある話題ならない事もないが、それを話せば後々文さんが神隠しに遭いそうだったので流石に自重した。
背に腹は変えられない。私は止める妹紅さんを無視して、私が地底に行く事、そして人里での物騒な事件の事を話した。それは記者魂を刺激させる事には成功したものの、残念ながら天狗社会の一員としての規律にひっかかるらしく、地底だけは駄目だと念押しをされてしまった。だがそんな事はどうでもいい。不思議と約束を守ってくれた文さんに感謝して、私は無事に穴に落ちる事ができたのであった。
妙に湿った空気を肌で感じる。やはり地上よりもどことなく澱んでいる。空気の入れ替えがあるのかどうか分からない地底なら仕方のないことかもしれないが、爽やかな風が吹かない地というのは少し嫌かもしれない。少しだけ暗くなった未来を思って、しかし住めば都かもしれない、と思い直す。
重力に引かれるように飛んでいく。時折速度が出過ぎないように加減を効かせながら、ところどころに穴が開いた洞窟を落ちていく。側道の中にも誰か住んでいるのだろうか。底が見えないので結構な速度を出しているお陰で、誰かいたとしても見えないだろうが。しかし、暗闇にたまに見える白いモノは何なのだろうか。幸い私の進路にはないので横目で見るだけだが、まるで蜘蛛の巣だ。それにしては大きすぎる気がしないでもないが……。
そうしてよく見えない周りを眺めながら落ちていくと、ふと、視界が開けた。どうやら周囲の壁になっていた地面が無くなったようだ。私は速度を落として、空中に浮く。まだ地面までは距離はある。随分と天井が高いようだ。そして前を向くと、そこには想像を絶する光景があった。
ここは地面の下だ。その証拠に天井がある。突き抜けるような青空は無い。なのにそこには、地上の人里を優に凌駕する町並みが広がっていた。本来明かりなど無い筈の、地上の光も届かない地の底にありながら、その町は確かに暖かな明かりに包まれていた。微かに聞こえてくる喧騒も、鬱屈した雰囲気など微塵も感じさせない賑やかさを伝えてくれる。それを見るまで感じていた不安や先入観を見事に吹き飛ばすその光景は圧倒的の一言に尽きた。
私はとりあえず地に足を付ける。思っていたより光は遠い。遠近感が微妙に分かり辛いが、まあ歩く事は嫌いではない。真っ直ぐ歩いていればいずれ着くだろうと楽観的に考え、私は歩き出した。
――――――
橋があった。
ずっと真っ直ぐ歩いていると、何故か流れている川に行き当たった。所謂地下水脈というやつだろうか。どこから流れているかは分からない。上流を目で辿ってみるが、その流れは暗闇に消えていた。気になりはするが一々そっちまで見に行く事もない。そして下流に目を流していくと、そこには立派な橋があった。道にもなっていない土地が広がる不毛の大地にしては随分と大仰で大きい。そしてその袂には人影が一人。暗がりでよく見えないが、魔理沙さんのような金の髪であることがかろうじて分かる。飛べば川を渡れるが、橋が見えるというのに無視するという無粋な真似はしたくない。少し疲れてきた足を持ち上げて、私は見える橋に向かった。
近づいていくと、段々とその全貌が見えてきた。どうやら川に沿って歩いていくと街に近づいていたらしく、川そのものを渡っていなくとも街に近づいている事が分かる。それは大きくなってくる喧騒や明かりで判断しているが、川の向こうを見れば街の入り口もしっかり視認できる。やはり圧倒的だ。もしかすると地上に住んでいたときよりもいい暮らしが出来るかもしれないと考えると、少しだけ心が躍った。逃げてきているのになんとも暢気なものだと、冷静な自分が自嘲した。ただまあ、少しぐらいは浮かれてもばちは当たらないだろう。
そんな事を考えていると、いつの間にか橋に着いていた。近くで見るとまた大きい。通る人は見受けられないというのに凄いものだ。誰が何の為に作ったのかさっぱりだ。川など飛べばいいはずだ。飛べない妖怪への配慮だろうか。事情を知らないから何ともいえない。しかし川に橋を架けるという感覚は嫌いではない。あるべき場所に物があるのは気持ちがいい。
なんとなく気持ち良く橋に足をかける。かなりしっかり作られた木の感触が足に伝わり、安心できる。これならば叩いて渡る必要もなさそうだ。
「見ない顔ね。この私を無視していくなんていい度胸じゃない」
突然後ろの方から声を掛けられた。吃驚して少し跳ねてしまった。恥ずかしい。ゆっくり振り向くと、明らかに機嫌が悪そうな女性が、腕を組んだまま欄干に寄りかかるように立っていた。短めの金髪に、中々見ない尖った耳。翡翠のような目でこちらを射抜くように見ている彼女からは、無視されて不機嫌ですという空気をひしひしと感じる。……誰なのだろうか。門番のように立っていた訳でもないので、何故怒られているのかがいまいち分からない。
「……はぁ」
「地上から来たのかしら。落ちて来た割には随分綺麗な身形なのね、靴履いてないけど」
彼女は私の全身を上から観察するように見て、そして素足を見て言った。私はそれで靴を履いていない事を思い出した。そういえば。どおりで木の感覚がよく分かるわけだ。ただ、あの整備されていない土地を歩いても痛くなかったのは何故だろうか。絶対小石とか踏んだだろうに。皮が厚くなったのだろうか。自分のことながらあまり良く分からないが、靴が要らないのなら便利……だろう、たぶん。無いからいいという訳ではないが。
「まぁ……色々ありまして」
「でしょうね。
彼女は私の主張をばっさり切り捨ててそう聞いてきた。地底の事情をすごい端的に言ってくれた気がする。つまり誰もが脛に傷を持っているという事なのだろう。前評判通りである。
さて。この人は門番か何かなのだろうか。無視して怒っているところを見るに門番のような任務を負っているのだろう気はする。この人に事情を話してしまっても大丈夫なのだろうか。まあ、どうせ地底に知り合いも伝手も無い。誰に話しても見ず知らずなのだから誰に言っても変わらないだろう。それに地底なら隠す必要も無いはずだ。好んで曝け出すものではないだろうが。
かくかくしかじか、名前も知らない彼女に事情を話してみる。地上で追われる身になってしまったので、逃げるために地底に来た事。来たはいいが行く当てもないので街に向かっているところに橋を見つけたこと。
彼女は話を聞いても、あまりいい顔はしなかった。楽しい話ではないから当然か。というかいい顔を一度もされていない。彼女はずっと辛気臭い顔をしている。疲れないのだろうか。
「――と、いう訳なんです」
「よく分かんないけど、移住の話ね。それなら旧都を越えたところのお屋敷に行くといいわ」
彼女が向こう、と大きく指差した方向は、ちょうど街の方角だった。あの街は旧都というらしい。そして暗くて見づらいが、確かに向こうのほうに大きなお屋敷が見える。あれがこの辺りのお役所のようなものなのだろう、多分。
「ありがとうございます、えっと……」
「パルスィ、水橋パルスィよ。さっさと行きなさい、その能天気な顔が妬ましくてたまらないから」
妬ましいって……。しかし、その刺すような視線を鑑みるにあまり冗談に聞こえないのが怖いところだ。なんだか居づらくなった私は、感謝を端的に伝えて、気持ち早足で橋を渡った。
「そういえば、今旧都に鬼が……。まあ、どうせひ弱な地上の妖怪だろうし、いいか」
パルスィさんのその呟きは、私に届く事はなかった。
――――――
境界を越えた先、そこは嫌われた妖怪の楽園。足を踏み入れた彼が一番初めに感じたのは、思ったよりも賑やかなものだ、ということだった。そしてそれを、今この瞬間にも彼は感じていた。
「……そうでしょう。地上に住まう人とは本来無縁な輝きです」
背後から聞こえた声にゆっくりと振り向く。紅魔館のような洋風の屋敷の一角、地底の旧都を一望できる部屋に二人はいた。窓際に立っているのは、そこらでは見ない黒いロングコートを羽織り、消え入りそうな雰囲気を纏った男。荒谷江介という男だ。彼は視界に一人の少女を捉えると、小さく溜め息を吐いて、そして彼女が座るテーブルの向かいに座った。
「追放されてきた割には、随分と小奇麗ですね」
「……お前には関係の無い話だ」
出されたばかりの珈琲に口をつけて、江介は言った。探られるのを好かない顔で、目の前にふてぶてしく座る少女を睨んだ。水色を基調とした、桃色のフリルがところどころに付いた衣装で、見た目だけならどこぞの噂の彼女や吸血鬼と同い年くらいに見える幼女だ。しかし、幻想郷の妖怪に対して外見年齢など何の指標にもならない。この少女もその例に漏れず、彼女が纏う雰囲気は齢一桁の少女のそれではない。真紅の瞳に宿る怜悧な輝きは、彼の良く知る境界の妖怪にも引けを取らない。そしてその少女の脇に、不思議な管が繋がって浮いた
「……でしょうね。ですが、
「だから嫌われるんだ。誰だって許可もなく読心されるのは気分が悪い」
でしょうね、と少女はもう一つ言う。自覚しています、とも言った。会った事はないが話は聞いたことのある彼は、そんな少女を見て、ああ、道理で、と一人で納得していた。こんな妖怪が好かれる訳もない。
彼女は所謂
彼自身は今
「それで、話は通ってるんだな?」
「ええ。いきなり地上から人を落とすなんて言われて困りました。あとは好きにしてください。私からは何の干渉もしないので」
非干渉――つまり、邪魔はしないが手も貸さない。容認してやるだけ感謝しろ。そんな彼女の本音が透けて見える言葉。江介は地上に極度に排他的な地霊殿の主からここまでの協力を取り付ける元主の手腕に心内で舌を巻く。凄い奴だとは思っていたが、ここまでとは。
「地上の賢者には随分吹っかけられましたが、相応の取引をしましたから問題は無いです。……それにしても、貴方の心は読みづらい。まるであの人を相手にしているみたいですよ」
「まあ……似たような手段を講じているって事だ。邪魔したな」
残った珈琲を一気に飲み干して、江介は立ち上がった。彼からすれば邪魔をしてこないという事実だけが聞ければそれで良かった。地底の事などどうでもいい。たとえそこで面倒事があろうが、どうせ彼はすぐに死ぬのだろうから問題はない。目的だけが果たせればそれでいいのだ。彼の中には、噂の妖怪を殺すという目的しかない。その過程で誰に何があろうと厭わない、半ば狂気的な衝動を含んだものであった。
部屋から彼が出て行った事を見届けて、少女は少し温くなった珈琲を口に含んだ。
「……まるで復讐鬼、ですね。完全に読めなかったのが物足りませんが……まあ、いいでしょう」
地霊殿の主――古明地さとりは、無表情でそう呟いた。心を主食とする覚妖怪としては、あのような感情の煮え滾った心は非常に好印象である。何を考えているのか分からない境界の妖怪などよりもずっと。彼の心を――、その後ろ暗い衝動を完全に読み明かすことが出来れば、いったいどれほど幸せだったか……。そんな事を思い浮かべ、さとりは読みかけで置いていた本を開いた。
静かになった室内に、たしたしと歩く音が聞こえて、さとりは顔を上げた。いつのまにやら椅子の下に、一匹の黒猫が座っていた。その猫はさとりの方を向いて、一声にゃあと鳴いた。
「あら。……ふむ、なるほど。いつもありがとうございます」
膝に飛び乗ってきた黒猫を撫でると、にゃおんと気持ち良さ気に鳴いた。それでさとりは少しだけ笑みを浮かべた。そして、猫をそのままに再び本を開く。
「さて、彼は何を成すのか……。面倒が増えないといいんですが」
少し思案するようなその声に、猫は猫撫で声で答えた。
江介君の話も同時進行していくので、これからの話は前半風→後半江介という形になります、たぶん。