噂な彼女【完結】   作:遠名 彬

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過去に忘れた少女の話(下)

 一週間という時間は、長いようでそうでもなく、短いようでそうでもない。妖怪にとっては一瞬で、人間にとっては貴重な時間だ。

 

 私は種族的には前者だけれど、感覚的には後者だ。

 

 生まれてこのかた、まともな記憶といえば荒谷さんに助けられたあの日から位しかない。それだけそれまでを惰性に生きていたという事なのだろうか。それとも、かつて紫さんに言われたように。私の過去が失われているのか。

 

 そんな事は私には分からない。けれど、今の私には受け入れてくれる人々がいて、慧音さんがいる。だまくらかして生活している事に罪悪感を感じた事もあった。けれど、今となっては私自身、自分が妖怪であることを時々忘れてしまうくらいに、人という存在に慣れてしまった。

 

 でも、それでいいのではないだろうか。

 

 妖怪としての私は、日々をただ消化するだけの、いてもいなくても何も変わらない存在だった。でも、今の人間としての私は、確かに生きる意味を持って存在している。

 

 私のことを知っている同級生がいて、私のことを気にかけてくれる慧音さんがいて、知り合った人里内外の人たちがいる。

 

 過去の罪の清算だとか、そんな小難しい理由は今の私にはない。この環境を与えてくれた紫さんには、感謝こそあるがかつて感じていた理不尽からくる怒りはない。

 

 そんな私は、いま――。

 

 

 

「調子はどうかしら?」

 

 

 朝。

 

 休日に気持ちよく目覚めた私を迎えたのは、平穏な日々を与えた不穏な女性。

 

 

「ああ、紫さん。おはようございます」

 

 

 当然のごとく卓袱台に座っている紫さんに、朝の挨拶をする。内心かなり驚いてはいるものの、紫さんの能力と性格を鑑みるとこの程度のことは驚きに値しない。表には出さずに、お茶を用意する。

 

 

「おかげさまで。平和ですよ」

 

「そう。それはよかったわ」

 

 

 他人事のような淡白さで、紫さんはそういった。紫さんからしたら他人事だが。無関係ではないのだから、もう少し親身でもよいのではないか、と思うのは、きっと私が人間の繋がりを知ったからだ。

 

 それから、お湯を沸かし、お茶っ葉から朝のお茶を淹れ終わるまで、私も紫さんも一言も発しなかった。

 

 なんというか、あの紫さんが何も言わず、何か観察するように私の一挙一動を眺めているのは、端的に言って不気味だ。怖い。

 

 何ともいえない圧力を受けて、不思議な空気の中、少し熱いお茶を啜った。薄い。

 

 

「さて――」

 

 

 ふと、紫さんが口を開いた。

 

 

「そろそろこの暮らしにも慣れてきた頃だと思うけれど。どうかしら?」

 

「ええ、まあ」

 

 

 無難な質問なのに、重い。

 

 

「仲良くしてる人もいる?一人ぼっち……ってわけじゃないでしょうけど」

 

「まあ、それなりには」

 

 

 まるで保護者だ。心配してくれるのは嬉しいが、申し訳なさもある。

 

 

「そう。心配して損ね」

 

 

 あからさまな不満顔で、紫さんはそう言った。揉め事が起きたほうが嬉しいのだろうか。

 

 ……今のところ、私は紫さんの真意を掴みかねている。いや、あの人の心の内を見たことは無いが。

 

 私がこの人里に越してきてから一週間。これまで紫さん方面からの接触は無かった。何かあったのならば――たとえば私が妖怪である事が露見するとか――分かるが、今は特に何かが起こったわけではない。ただの心配で顔を見せるとは考えづらい。忠告か、警告か――。

 

 何となく訝しげな顔をしていると、それを見た紫さんは少しため息をついた。

 

 

「……まあ、恐らく貴方が考えている事は正しいわ。今回は、警告……というかアドバイスよ」

 

 

 一つ区切りを置いて、紫さんは言った。

 

 

「人間と妖怪は、本来は深く交わってはならない。貴方が自分を見失うことは、妖怪としての死を意味する。それは同時に、貴方の存在の消失を意味する――」

 

 

 気がつけば、紫さんの後ろには、“スキマ”が――。

 

 

「貴方は考えなければならない。貴方自身を。過去を。現在を。未来を。そして――」

 

 

 本当の“風”を。

 

 

 ―――

 

 

「……で、私の所に来たわけ?」

 

「ええ、まあ……。事情を知ってる人は霊夢さんくらいしかいないもので……」

 

 

 昼下がりの博麗神社。

 

 私が訪問したときには、珍しく竹箒で境内を掃除していた。思わず驚いて声を出してしまい、おもいっきり睨まれてしまった。常日頃から縁側でお茶を飲んでいる想像しか出来ない。

 

 

「何か……知ってますか?」

 

「何か、なんて漠然な質問されても、分からないわよ。紫の事ならなおさら」

 

 

 ですよね。

 

 二人揃って、水出し茶で一息ついた。暑い。

 

 妖怪の方々の思考は理解し難い。私も妖怪だが。基本的に快楽志向で、直情的で感情的な事が多いが、所謂倫理観や人間から見た一般常識といった思考の基底にあるものが無いので、人間から見ると飛躍的で突飛な考えになる事が多い。

 

 紫さんの場合はそうもいかない。私はそこまで長く付き合っていないので詳しくは分からないが、紫さんは賢い。他の妖怪を馬鹿にしているわけではなく、紫さんが他の人妖問わずより、ずば抜けて賢いのだ。故に、どこまで・何を考えているのか、といったことが分からない。

 

 

「でも、あいつはあんたの過去がどうとか言ったのよね?」

 

「ええ、まあ……」

 

「なら、その過去を探ればいいんじゃないの?」

 

「過去を?」

 

 

 過去を探る。記憶の無い過去をどう探れというのだろうかこの巫女は。

 

 紫さんに聞いても答えてくれないだろうし、どこかに私の記録があるわけでもないだろうし……。

 

 どうしようもないだろう。

 

 

「探ると言ったって、どうやって……」

 

「さあ。慧音にでも聞いてみればいいんじゃない?」

 

 

 そう言って、霊夢さんはお茶を啜った。

 

 うむむ……他人事だ。どうしてこうも私の周りの人妖は親身になるとかそういう思考が無いのだろうか。

 

 しかし。

 

 私の名前を付けてくれた時、藍さんはたしかこう言っていた。

 

 “霊夢のなんとなくほど、あてになるものは無い”。

 

 と、言う事は……。

 

 慧音さんに聞いてみろ、と。きっとそういう事なのだろう。

 

 

「慧音さん、私が妖怪な事を知らないんですけど……」

 

「知らないわよそんなの。そこまで面倒を見る気は無いわ」

 

 

 どこまでもこの人は……。

 

 何を聞いても暖簾に腕押し、糠に釘というやつだ。興味の無い事にはまるで反応を示さない。情とかそういうものが無い。いや、同情が欲しいとかそういうわけではないのだが。

 

 これだから霊夢さんは、そこらの妖怪よりも妖怪のような匂いがする。誰よりも欲求に従順で、興味の対象がはっきりしている。

 

 

「……はぁ、仕方ないです。何とか聞いてみます……」

 

「あ、そう。がんばってねー」

 

 

 私が少し心労を抱えながら神社から出ると、背中に応援の気も微塵も感じられない声をかけられた。仕方が無い。何とか慧音さんに聞いてみる……か。

 

 いっそのこと、ばらしてみてもよいのでは……?

 

 一瞬そんな思考がよぎり、すぐに捨てる。そんな事をしたら、私はもうあの人々との生活にはいられなくなる。紫さんから何を言われるかも分からない。

 

 “慧音さんが人外らしいのだから、別にもう一人ぐらい妖怪がいてもよいではないか――”。

 

 私の中の何かが、私に囁く。

 

 それは比喩ではない。最近起こる、不思議な幻聴。

 

 どう聞いても私にしか聞こえない声で、私の本能を代弁している。その声に従えば、私は違いなく妖怪だ。

 

 しかし。

 

 人間の常識としての私が、それを否定する。

 

 慧音さんは、恐らく昔から人里を守ってきた。受け入れられるにはそれほどの時間が要るのだろう。紫さんすらも認めるほどになるには。

 

 そんなぽっと出の妖怪が、私は人畜無害な妖怪なんですー、などと主張したところで、誰が信じるだろう。私だったら信じない。

 

 そう自分に言い聞かせると、私の中の誰かは静かに主張を消していく。

 

 私の中に、何かがいる。しかし、不思議と私は、その存在に嫌悪感も異物感も感じない。まるでもう一つの人格のように。まるでもう一人の私のように。

 

 

 

「あれ、まだいたの。何やってるのよ、風」

 

 

 そんな霊夢さんの声で、私は目覚めた。

 

 気がつけば、神社の境内の真ん中で、私は地面を見つめるように立ち尽くしていた。

 

 

「あ、あれ……?」

 

 

 ふらりと、視界が揺れた。

 

 気付けば私は、霊夢さんの腕の中に収まっていた。

 

 まるで現状の確認が出来ず、何度も瞬きを繰り返す私を、霊夢さんは珍しく心配するような顔で見た。

 

 

「あんた、大丈夫?いきなり倒れて……」

 

 

 何となく遠い、霊夢さんの声。私の視界が心なしか霞む。

 

 だんだんと意識から現実感が遠ざかる。しかし、気を失うわけではない。思考が鈍ったわけでもない。

 

 自分が、どんどん離れていくような感覚。しっかり前を見れない。

 

 

「ねえ、大丈夫?聞こえてる?おーい」

 

 

 目の前で手の平を振られているのはわかる。しかし、声が出ない。

 

 何か返事を返そうとしても、体が自由に動かない。

 

 

「気を失ってる?面倒ね……」

 

「――は――の――こ――」

 

「え?」

 

「――博麗の巫女、貴様が――」

 

 

 ―――

 

 

 沈む。

 

 意識の底に。

 

 見えている視界は本物か。目の前で鬼のような形相で此方を見る霊夢さんを考えれば、できれば偽者であって欲しいと思う。

 

 思う。

 

 思考は明るい。世界も見える。

 

 しかし、私はどこにいる?

 

 認識している自分は、霊夢さんの前にいる?

 

 まるで――。

 

 意識だけが、深い底に沈んでしまったよう。

 

 私は……。

 

 

 ―――

 

 

 ――あれ?

 

 浮遊感から一転、一気に覚醒する。

 

 知らない天井だ。……いや、見覚えはある。ここは、博麗神社だ。

 

 まだ頭に靄がかかる。まともな思考が邪魔される。

 

 私は、何で寝てるんだろう……?

 

 自問に自答が帰らない。目は開いている。意識もはっきりしている。でも考えが纏まらない。

 

 ぼーっと、天井を眺める。

 

 

「あれ、起きた?」

 

 

 音に反応して頭を傾けると、低い視線に座った霊夢さん。

 

 

「……霊夢さん」

 

 

 吐き出した声も弱い。なんというか、体がだるい。

 

 そのまま微妙に焦点の合わない目で霊夢さんを見ていると、霊夢さんは興味を無くしたように目線を逸らした。

 

 

「今日はそのまま寝ときなさい。私は出かけてくるから」

 

 

 言うだけ言って、霊夢さんはおもむろに立ち上がる。そしてそのまま何の準備もせずに外に出て行ってしまった。

 

 

「えぇ……?」

 

 

 何も状況が飲み込めていない私は、ただ呆然とその後姿を眺めるしかなかった。

 

 

 ―――

 

 

「説明しなさい。可及的速やかに」

 

 

 幻想郷の端、何処とも知れぬ場所に立つ屋敷の前、いつも通りの胡散臭い笑みの口元を扇子で隠しながら、八雲紫はいた。

 

 そしてその前には、明らかに殺気立った一人の少女――博麗霊夢が自身の武器である祓い棒を紫に向けたまま、立っていた。

 

 

「何の事かしら。きちんと言ってくれないと分からないわ」

 

 

 煽るように、焦らすように、紫はその粘ついた声で言った。

 

 にやにやと何が面白いのか、紫は霊夢を観察するように眺め回す。その視線に霊夢は明らかなイラつきを抑えようともしない睨みを向けた。

 

 

「……あんた、ふざけてるの?」

 

「ふざけてなんかいないわ。私はいつも真剣よ」

 

 

 にやにやと、紫はいつもの調子を崩さない。霊夢はその姿に苛々が限界を通り越し、何の警告も発することなく、躊躇無く祓い棒で殴りかかった。

 

 しかし、その一閃は当然のごとく扇で受け止められる。二人の顔は対照的だ。

 

 

「まったく、貴方は乱暴すぎる。少しは自制とかそういう言葉を考えなさい」

 

「黙れ。あの少女の事、何を知ってるの?全部教えなさい」

 

「嫌ね。まるで私が貴方を嵌めてるみたいな言い草じゃない」

 

 

 紫のそんな言葉を聞こうともせず、霊夢は回し蹴りを敢行する。

 

 

「何か違うかしら……!」

 

 

 紫はそれを軽くかわす。その顔の余裕はまったく消えておらず、逆に霊夢は段々と必死な顔になっていく。実力差は歴然としていた。

 

 

「違うわよ。確かに何も言わなかったけれど、だからといって騙していたつもりは無いわ」

 

 

 全く悪びれず、紫はそう言うと軽く扇を振った。

 

 

「少し落ち着きなさい。話はそれからよ」

 

 

 霊夢の足元に唐突にスキマが開く。咄嗟の事態に空を飛ぶ事も忘れ、成すすべなく霊夢はスキマに落下していった。

 

 

「……まったく、これだから博麗の巫女は……」

 

 

 紫も目の前にスキマを開くと、その中に消えていった。

 

 

「何すんのよ」

 

 

 スキマの中。四方八方から謎の目線があちこちに刺さる空間で、博麗霊夢は何も変わらず浮かんでいた。

 

 

「頭を冷やしなさい。うかうか話もできないじゃない」

 

 

 何も変わらず浮かんでいるように、見える。しかし、不可視の力により周囲を隔絶され、霊夢は自由に移動できないようになっている。それを直感で感じ取っているのか、無駄に動こうとはしない。

 

 

「あのね、あんたが差し向けた妖怪が面倒を起こしかけてるのよ。落ち着けって方が無茶じゃないの?」

 

「差し向けた、なんて。私は異変を起こすつもりはないわ。話を聞きなさいって」

 

 

 再三の発言と、完全に紫の空間であり反抗する事が無意味であるという脅しに、さすがの霊夢も少し大人しくなった。

 

 その姿を見た紫は、少し微笑み、淡々と説明を始めた。

 

 

「いい。おそらく貴方が思っていることは間違っているわ。あの少女――風は危険な妖怪ではないわ。ええ、間違っても単独で異変を起こせたり、何か大きな騒動を引き起こせるような力は持ってない。本当よ。そんな仇でも見るような目は止めなさい。人には見えないわよ。で、あの妖怪の正体は何なのか、だったわよね。端的に言えば、昔々に少ーしだけ迷惑を働いた妖怪よ。お陰で私は随分と苦労させられたわ。まあ、貴方には関係の無い話よ」

 

 

 一息ついて、紫は霊夢の様子を伺う。あまり納得していないようだが、紫はそのまま話を続ける。

 

 

「で、どうしてその妖怪が今回の扱いになっているか……。説明するには、あの妖怪の性質とこれまでの変遷を説明しなきゃいけないの。説明する必要はないし、しないわ。適当に幻想郷縁起でも読んで、想像して頂戴。面倒でも知りたければやりなさい。でも、これだけは知っておきなさい。あの子は危険じゃないし、害を与える存在でもない。貴方が警戒する必要はないわ」

 

「それで納得しろっての?何も言ってないじゃない」

 

「仕方が無いのよ。貴方に必要以上に関わらせる訳にはいかないの。大人しくしていて」

 

「……()()、お人形でも増やす気なの?」

 

 

 紫の眉が、僅かに動いた。

 

 

「……」

 

「ま、そうならそうと早めに言ってくれればよかったのに。あんたの悪趣味な遊びに口を挟む気は無いわ」

 

 

 霊夢がそう言うと、紫は少し、不機嫌そうな表情を見せる。霊夢はその一瞬を見逃さない。

 

 

「やるならさっさと、洗脳なりどっかの境界弄るなりすればいいのに。性格の悪さが顔にも出てるわ」

 

 

 そういう霊夢は、どことなく楽しそうである。いつも面倒な紫を一時的とはいえやりこめる事に、少しの快感を覚えている。

 

 

「煩いわね。貴方は今回の件に関係ないのだから、黙っていて頂戴」

 

「本音が出たわね。あんた、管理者だの賢者だのと囃されて、調子に乗ってる?あんた一人じゃあどうしようも――」

 

「黙りなさい。いい加減時間切れよ」

 

 

 紫が扇を翻すと、異空間に出口が創造される。その出口からは、真上から見た博麗神社が覗く。

 

 

「あとはお好きに、貴方の嫌いな調べ事を存分になさい」

 

 

 霊夢の返答を待たず、紫は別口に消えた。

 

 

 ―――

 

 

 ……暇だ。

 

 唐突に霊夢さんが出て行ってしまってから、留守を預かる立場になってしまった私は帰るに帰れず、しかしだからといって特にやることも無く。仕方ないので縁側に腰掛け、ぼうっとしていた。

 

 ああ、平和だ。

 

 そよ風が吹いた。日が傾きかけている。そろそろ帰らないと里に着く頃には日が暮れる。どうするか。

 

 

「おお、風か。霊夢はいないのか?」

 

 

 聞きなれた声に視線を向けると、そこには白黒の服を着た金髪少女。魔理沙さんだ。

 

 今日はどこか疲れたように見える。少し汗ばみ、前髪が額に張り付いているからだろうか。

 

 

「霊夢さんなら、先ほど何処かに行ってしまいました。今は私しかいません」

 

「そうか、そりゃあ残念だ」

 

 

 珍しくそこそこ落胆してそうな返しだ。魔理沙さんとは私が人里に住み始めてからも、度々出くわしては話す程度の仲ではある。何というか紫さんや霊夢さんとは比べ物にならないくらい人当たりがよく、まともに話せる魔理沙さんはとても貴重だ。

 

 

「あーあ、せっかく今日は茸鍋にでもしようと思ったんだがな」

 

 

 茸鍋。

 

 そういえば魔理沙さんは、魔法の森――幻想郷にある、一般人は近づかない危険な森だ――に住んでるとか言っていた気がする。なるほど魔法の森の茸でやるのか……。

 

 

「魔法の森の茸って、大丈夫なんですか?」

 

 

 主に生命の危機とかそういう意味で。

 

 

「大丈夫だぜ、多分。これまで何回かやってるけど、死んでない」

 

 

 そういう基準なのか……。

 

 死ななきゃ安いとは言うが、一回の食事に命を懸ける気にはなれない。でも霊夢さんなら何の疑問も抱かずに食べそうだ。そして毒茸を食べても死ななそうである。

 

 

「そうですか……。でも、霊夢さんいつ帰ってくるか分かりませんよ?私は今日神社で寝てろって言われましたし……」

 

 

 それを聞いて、魔理沙さんは少し驚いた。

 

 

「なんだ、目の前で失神でもしたか?」

 

 

 ご名答である。

 

 どうして幻想郷の人々、人以外もだが、はやたらと勘が鋭いのだろうか。野生の勘というやつだろうか。確かに人里に住んでいる人々より、妖怪が跋扈する場所で暮らす人妖のほうが、生き残るために勘が鋭くなりそうである。

 

 

「まあ、霊夢がいないんじゃしょうがないな。風、今日暇か?」

 

 

 暇です。

 

 

 ―――

 

 

 それからしばらくして。

 

 魔理沙さんは何故か博麗神社の構造に詳しく、どこからともなく土鍋を取り出し、まるで自分の家のように茸鍋の用意を始めている。鼻歌交じりで。

 

 私はそれをなんともいえない気持ちで見守っていた。止めたほうがいいのだろうか。でも私より間違いなく霊夢さんと仲がよく付き合いも長いであろう魔理沙さんがやり始めたのだ。多分問題ないのだろう。

 

 しかし私は博麗神社の食糧事情や調味料の在り処など知らない。下手に動いても迷惑だろうし、待ってろと言われたので、結局変わらず縁側に座っていた。

 

 日も傾き始め、酷暑も鳴りを潜める。そこはかとなく赤く染まった空を見上げて、私は特に理由なくため息をついた。

 

 今日の()()は、何だったのだろうか。

 

 その時の感覚を思い出そうとするが、不思議と記憶がない。まるでそこだけ抜け落ち切り取られたかのように。失神した、という記憶しかない。

 

 不思議だ。

 

 紫さんが言っていた事も気になる。私は結局、何者なのか――。

 

 一人思考し、なんとなく空を見上げていると、少し向こうの空に、見覚えのある裂け目が生まれた。あれは、これまで何度か見た、紫さんの作り出す、たしかスキマだ。

 

 いつもは紫さんや藍さんが降って来るそこから、今日は紅白の少女、霊夢さんが降って来た。

 

 そう、降って来た。上空から。

 

 霊夢さんは境内に着地した。恐らく飛行の応用だろう、滑らかに速度を落とし、綺麗に接地した。

 

 そうして降り立った霊夢さんは本殿に目を向け、そして私に視線を向けると、睨みに似た、どうにも表現し辛い目をした。疑いなのか恨みなのか分からないが、とりあえず肯定的な感情ではないであろう事は容易に分かる。

 

 そしてそんな雰囲気のまま、ゆっくりとこちらに歩いてくる霊夢さんからは、今すぐここから逃げ出したいくらいの圧力を感じる。怖い。

 

 

「風。私と共に来なさい」

 

 

 拒否権は無さそうである。

 

 震える私を引っつかみ、霊夢さんは凄い速さで人里のほうに飛んだ。私も勿論連れて行かれてしまった。

 

 あー、魔理沙さん怒るだろうなぁ……。

 

 そんな事を考えて、内心で魔理沙さんに謝っておいた。ごめんなさい。今度埋め合わせします。

 

 

 ―――

 

 

 鳥居を飛び越え、森を飛び越え、人里の門を飛び越え。あっという間に人里の中に到着した。

 

 霊夢さんは一切迷わず、人里の中を歩いていく。私も手を引かれ、半分引き摺られるように連れて行かれる。その只ならぬ雰囲気に、人里の人々も自然と道を開けた。まるで神様だ。

 

 そうして辿り着いたのは、一軒の家。人里の中でもかなり大きいこの家は、人里では知らない人はいないであろう有名な家だ。

 

 

「開けなさい。今すぐ、幻想郷縁起を渡しなさい」

 

 

 門戸でそう声を張る霊夢さんは明らかに怪しい、というか強盗じみている。

 

 しかし、中から出てきた一人の少女は、そんな霊夢さんの事をまるで恐れてはいないようだ。至って冷静に答えた。

 

 

「はいはい、博麗の巫女さんですね。どうぞ、中へ」

 

 

 赤みがかった短めの髪に、花の髪飾り。人里では普通の和服を着こなした彼女は、見た目からすれば霊夢さんよりも幾分か幼く見える。彼女こそ、稗田阿求。幻想郷の所謂妖怪大百科とでも言うべき資料である、“幻想郷縁起”を記す少女である。

 

 

 

 屋敷の中に通された私と霊夢さんは、霊夢さんの「早く見せろ」という単純かつ強い催促により、これまで出版された幻想郷縁起を収めた倉庫に案内された。

 

 綺麗に整頓されたその中で、霊夢さんは到着するやいなや昔に書かれたであろう古い書物を読み漁り始めた。

 

 

「……あの、」

 

「なによ」

 

 

 あまりに素っ気無い返答。怖い。

 

 

「私は、何で連れてこられたんですか?」

 

 

 素朴な疑問である。何の説明もなしに連れて来られたので、全く状況を把握できていない。

 

 それを聞くと、霊夢さんは一旦書物を置き、私を見た。

 

 

「確かに、何も言わずに連れて来て悪かったわね。まあ、あんた、今日の事どこまで覚えてる?」

 

 

 質問に質問で返されたが、気にしてはならない。幻想郷ではいつもの事だ。

 

 ……霊夢さんはいつもいつも、痛いところを突いてくる。

 

 

「いえ……何も。気を失った所までしか」

 

 

 正直に話すと、霊夢さんは露骨に残念そうにため息をついた。そこはかとなく罪悪感が。

 

 

「……まあ、そうよね。そんな気がしてたわ。えーっと、そうね、どこから説明したらいいのかしら」

 

 

 額に人差し指を当て、うんうん唸っている霊夢さん。しばらく待つと、何かさっぱりしたようにこう言った。

 

 

「紫があんたの事でよく分からない事を言ってたから、昔のあんたを知るために縁起を見る……と。そんなところね」

 

 

 大雑把な説明だ。分かったような分からないような。ただ、紫さんがよく分からない事を言うのはいつもの事なので、そこは仕方ないのだろう。

 

 なるほど。もしそうなら、そろそろ日が暮れる時にこの薄暗い場所で文書を読む必要は無いだろう。いい案を思いついた。

 

 

「あの、魔理沙さんが神社で茸鍋を作ってるんですよ。ですから、この本を持って帰って、そこでご飯食べてから読むっていうのはどうでしょうか」

 

 

 本音は、お腹が空いた。ご飯を食べたいのだ。

 

 

 

 その後、どうやら霊夢さんもお腹が空いていたらしく、二つ返事でその案に賛成した。阿求さんに私が言うと、快く了解してくれたので、私と霊夢さんはいくつかの縁起を持って、博麗神社へと帰った。

 

 

 ―――

 

 

 そして。

 

 

「あー、食った食った」

 

 

 人は欲望に勝てないのである。妖怪なら尚更だ。

 

 結局三大欲求を満たすことは最大の誘惑であり、そんな時に真面目な話をしようだなどと考えるほうが無理であったのだ。

 

 欲望の赴くままに茸を食べ、気が付けばどっぷり夜は更けていた。帰るのが面倒だという魔理沙さんの提案で、今日は私と魔理沙さんは博麗神社にお泊りをする運びと相成った。

 

 しかし、私は寝間着などというものは神社にない。泊まる前提ならば持ってくるが、残念ながら人里だ。その旨を霊夢さんに伝えると、それを横で聞いていた魔理沙さんが、

 

 

「それなら私のを着ればいい。確かこの辺りにあるはずだ」

 

 

 と、住んでもいない神社の箪笥から、何故か魔理沙さんの服が出てくる出てくる。都合五日は過ごせそうな量だ。

 

 なんでも偶に泊まりに来る時のために、来るたびにいろいろと物を持ち込み、そのうちにこうなったそうだ。

 

 

 魔理沙さんの服は、私には少し大きいが、寝る分には特に問題はないだろう。一人しか住んでいない筈なのになぜか三つあった布団一式を広げ、さながら川の字を書くように寝ころんだ。

 

 結局、私も霊夢さんもその日は縁起を読むとかそういう面倒なことは後に回して、寝ることにした。

 

 魔理沙さんが一人で何かを喋っているが、霊夢さんは疲れたのかそれを聞きもせずにさっさと寝てしまった。私も昼に寝ていたのに、横になると不思議と睡魔が襲ってくる。抗うことも面倒であったので、素直に眠る事にした。

 

 おやすみなさい。

 

 

 ―――

 

 

 ……不思議だ。

 

 私は何の抵抗もなく眠りに落ちた筈なのに、いま私は意識をはっきりと保っている。

 

 明るいわけではない。しかし暗いわけではない。辺りははっきりと視認できるけれど、何かが見えるわけでもない。前後不覚に陥っている訳ではない筈だが、自分が上手く認識できない。なんともふわふわしたこの感覚には、どこかで覚えがある……気がする。

 

 そうだ。いつか、昼間に私が気を失った時、こんな感覚に陥った。しかし、それならばここは何所なのだろう。

 

 

「己の認識も妨げられている……か。とんだ道化になっているわけだ」

 

 

 声。

 

 

「お陰で何の障害も無しに表出すると考えれば、奴の認識の甘さに感謝すべきか」

 

 

 頭の上か下。右か左から聞こえるその声は、周りに反響してまっすぐに聞こえてくる。

 

 それに返答しようとするも、自身の制御すらままならない今の私には、声を出すことすらできない。

 

 

「返答の要は無い。お前は私の仮初だ。いずれ消え去る」

 

 

 ……話が見えない。この話を理解するためには、きっと、私の事を私が理解する必要がある。

 

 あなたは……いえ、私は、何者ですか。あなたなら、それを知っているでしょう。

 

 

「説明の必要は無い。お前は奴に造られた仮初、表層。私を封印する為だけの存在だ。直ぐに消える」

 

 

 それは、つまり――

 

 

「お前は私の――」

 

 

 声が途切れる。世界が暗転する。

 

 視覚と聴覚を一度に奪われた。しかし感覚は失われていない。

 

 そう感じられるのは、目の前に、とても大きな力を……持った人。

 

 

「危なかったわね。でも、よく耐えたわ」

 

 

 聞き慣れた声。見慣れた姿。私が私をはっきりと認識できるようになり、感覚もしっかりとしてくる。

 

 目の前にいたのは――紫さん。

 

 

「……危なかった、とはどういう事ですか」

 

「簡単な話よ。貴女が今まで話していたのは、貴女を喰おうとしていた()()()だった、という事」

 

「何者か……」

 

 

 その言葉に胡散臭さが無いといえば嘘になる。欺瞞に聞こえなかったかと言われても否定できない。しかし、これまでのいついかなる時でも余裕の笑みを浮かべ、嗤って何とかしてしまう紫さんを見てきた私は、その言葉の裏に漂う()()()を感じていても、あえてそれを無視することを選んだ。

 

 無意識の内に牙を抜かれていた事に、私は最後まで気が付く事はない。

 

 

「……紫さん。そろそろ、私が何なのか、教えてくれてもいいんじゃないですか」

 

 

 私のその言葉に、紫さんはまるで待ってましたと言わんばかりに笑った。

 

 

「ええ、ええ。そろそろ貴女にも教える時が来たわね。朝、貴女は目を覚ます。一番枕元に近いところに置いてある幻想郷縁起を持って、境内に出てきなさい。霊夢も魔理沙も、起こしてはいけません」

 

 

 ―――

 

 

 私は、三人の中で誰よりも早く目を覚ました。

 

 まだ日も昇っていない。暗闇の中、鳥の声も聞こえない。

 

 私は夢の中で言われた通りに枕元の縁起を手に取り、そして足音を立てないように静かに戸を開けた。

 

 月も太陽もない。朝と夜の境界。宵と呼ぶには遅すぎ、暁と呼ぶには早すぎる。薄闇の中、境内には一人の女性が、空間の境界に腰掛けたまま、こちらを見て口が嗤った。

 

 八雲紫だ。

 

 

「――先ず、貴女の存在について話すわ。いいわね」

 

 

 紫さんは、静かに口を開いた。その声はすんなりと私の頭に入り込み、否応無しに理解をする。

 

 

「縁起の二十三項。かつて、風の噂を流していた妖怪。貴女は風だった。人々、妖怪の中を駆け抜ける噂という風。その存在は時に風を超え、瞬く間に幻想郷を駆け巡った。どこからともなく情報は現れ、その体に尾鰭背鰭を着ける。真実をも覆い尽くし駆逐する強大な妖怪。民意という魔物を常に味方につけ、大多数の意思を統一させ、存在すらしない悪を殺す。貴女はそういう存在だった。天狗の新聞なんて目じゃない。理解に目など必要がないから。それが貴女の過去。でも、貴女は少しやりすぎた。大結界。ここ博麗神社を基点とし、幻想郷を覆う常識の結界があることは、勿論貴女は知っているでしょう。この結界はかつて――大体千年かそこらだったかしら、もしかしたら五百年かもしれないけれど、正確な時期は問題ではないわ。昔に、この幻想郷を現世から――今風に言うなら“外の世界”から切り離した。そう、幻想郷はかつて外の世界と同一だったの。でもそれはどうでもいいことよ。重要なのは、この幻想郷が隔絶した、という事。そして、その大結界の効果効能が、一般の妖怪共に正確に周知できていなかった事よ」

 

 

 そこで紫さんは、一旦言葉を切った。

 

 私には、もう全てが解りかけていた。噂の妖怪。大結界の騒動。無知な妖怪。そして、私自身にある、過去の罪。紫さんにとっての、不都合な存在。

 

 そう、つまり――。

 

 

「私が、妖怪を扇動した……ということ、ですか?」

 

 

 紫さんが、嗤った。

 

 

「ええ、そう。貴女は地上の妖怪に、大結界の根拠のない不信を、疑念を、嫌疑を植え付けた。全ての妖怪が当事者で、不安の種を持たない者はいなかった。その噂は瞬間的に幻想郷全土に広まった。それは幻想郷にとって、とても良くない事だったの。中には結界を壊しにかかる者もいた。有益にも関わらず、ね。噂は時に、真実を凌駕するの。悪いものなら特に。そうして今の幻想郷になるまで、私は藍と荒谷江介と共に、誤解を解いて回ったわ。でもその過程で、どうしても貴女の存在が邪魔だった。何故か、は解るわよね。そして、貴女の記憶を封印し、自我を封印し、能力を奪い、封じたの。でも、貴女は今、地上に出てきている。それは、その時の封印が弱まっている事を意味している。対応策を用意する前に目覚められると厄介だったから、自身を妖怪として認識することを阻害して、覚醒を遅らせる事にしたの。それが、貴女が人里に送られた理由。貴女が完全に目覚めれば、かつての二の舞を演じる事は間違いがない。それだけは阻止しなくては、妖怪が幻想郷に定着し、長寿が増えた今では押し止められるか分からない」

 

 

 そして、紫さん指を二本立てた。夜が明ける。丁度後光のように、紫さんは朝日に照らされた。

 

 

「貴女には、選択肢が二つあるわ。一つは、私が貴女を弄繰り回して、記憶喪失の外来人たる“(ふう)”として生きる事。そしてもう一つは、貴女が私の式となって、能力と妖力を制御し、噂の妖怪として生きる事。選択は貴女に委ねるわ。でも、生憎と時間がないの。ここで、今すぐに決めてもらわないと、私は貴女を封印しなくてはならなくなる」

 

 

 現在(いま)か、過去(むかし)か。紫さんは私に、どちらの私がより正しいかと選ばせる。

 

 それは、残酷な選択だ。何と答えようと、今と昔のどちらかを失う。私に全てを得る権利は無い、ということだろう。

 

 でもここまでの話を聞いて、そして最後の選択肢を聞いて、私は決心した。

 

 

 

 ――歴史は、常に最悪を避ける。私の決心は決して“良い”ものではなかったが、はたしてそれ以外を選ぶことが最高に繋がるか、とは分からない。

 

 

 

「……条件が、あります」

 

 

 私は切り出す。

 

 

「私を()()()()()()()()()()()()こと。そして、(ふう)という名前を捨てない事。その二つの条件があれば、私は後者の選択を甘んじて受けましょう」

 

「……受け入れなかった場合は?」

 

「私の力を用いて、いずれ紫さんが後悔するような結果を残します」

 

「この私に、一丁前に脅しとはね……。いい度胸じゃない。全てを剥奪された、名も無き妖怪」

 

 

 ――一瞬。一瞬だけ、私は紫さんから感じ取った。間違えようもない。これは――殺気だ。

 

 

「まあ、いいでしょう。その程度は大した障害にもならないでしょうからね」

 

 

 そう前置いて、紫さんはこれまでに見たこともないような笑いを浮かべた。まるで、私を見て楽しむかのように。

 

 

「交渉成立ね」




「あんた、人に見せられないような顔をしてたわよ」
「あら、そう?確かに笑ってたのは覚えてるけれど」
「笑い方が問題なの。あんたの腐った性根をそのまま煎じたものを表情にしたら、たぶんあんな感じね」
「それは光栄ね。わたしらしい、って事ですもの」
「で、風はどうしたの?人里にいるって話だけど」
「最近は人里も妖怪が出入りすようになったでしょう?そういう時に、人と妖怪の間でやり取りする情報屋を始めたの。お陰で人里の話が即座に入ってきて、重宝してるわ」
「まったく、玩具遊びも大概にしないと、後ろから斬られても知らないわよ?」
「誰が斬られるのかしらね。貴女かも知れないわよ、霊夢。夜道に気を付けなさい?」
「馬鹿ね、紫。私なら返り討ちにするっての」
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