目を覚ます。最近はしょっちゅう気を失っては運ばれている気がするが、気にしてもしょうがない。少し薄暗い、西洋風の空気。しかし、紅くないので紅魔館ではない。直前の記憶を考えると……地底。地底といえば、鬼達が逃げて行った所で、嫌われ者の落ちていく場所……。
違う。現状の確認が先だ。あのピンクの――桃色の髪の妖怪、確か覚妖怪だったか。かつて山に生息していて、人々の心を読む能力を持った妖怪で、それゆえに人間だけでなく妖怪にも嫌われているのだとか……。
だから、そうではない。統合の弊害か、妙に横道にずれていく思考が残ってしまったようだ。自分に振り回されるとは何とも滑稽だ。今までの又聞きだけの情報だけではなく、長生きした妖怪としての知識も手に入れてしまって、お陰で何か考える度に私がどうでもいい思考を始める。無意識的なものなので止めようにも意識的な思考が必要で、まったくテンポが悪い……。
そう考えている今も、どんどん逸れている。いい加減現実を見ることにしよう。
起き上がり、ベッドの下に置かれたスリッパを履く。結構地が厚いもので、ふかふかしていて履き心地が大変よろしい。たぶん客人用なのだろう。堂々と“客人用”と書いてあれば誰だって分かる。随分きっちり書かれているからきっとあのさとり……さんが書いたものだろう。
何故だろう、敬称を付けるのに抵抗感を感じる。だが、なんとなく付けなければいけない気もする。これも統合の弊害だろうか……。まったく、確固とした人格が一つになると碌な事が無い。思っていた通りだ。しかし、程度の違う違和感が二つ出てくるという事は、きっとどちらもいい感じに統合されたという事だ。失敗していないのならよい。あとは生きながら慣れればいいのだ。
そう考えて、今更ながら私の中には私一人しかいないことに気付く。つまり、本当の意味で独りになってしまったという事だろう。心のどこかで、もっと正確に言うならば
傍から見れば、ベッドの脇でスリッパを履いたままぼうっとしているだけである。しばらくそうしていると、ノックの音。そちらに顔を向けると、返答していないのにドアが開く。ノックの意味があるのか怪しい。そうして入ってきたのは、赤毛に猫耳を生やした女性。見覚えは無い。しかし、その纏う妖気はどこかで感じたことがあるような雰囲気だ。スカートから覗く二股に割れた尻尾はどことなく橙ちゃんを連想させる。きっと彼女も猫だ。地底で見覚えのある猫といえば、門前で見たあの黒猫か。
「おや、起きてたの?つまんないねえ」
人の就寝に面白さを求められても困る。
「えーっと……誰?」
言葉は自然に紡げる。その口から出た言葉遣いは記憶にあるどちらとも違うが、なんとなくしっくりくる。足して二で割った……といえばきっとそうだろう。
「ああ、そういえば猫でしか会ってないね。あたいは燐、お燐とでも呼んでおくれ」
そう言ってウインクした彼女は、見た目よりも幼く見えて、とても可愛らしかった。
――――――
どうやらお燐さんはここ……地霊殿のペットらしい。人型でペットというといかがわしい妄想しか出てこないが、たぶん違う。猫だし。しかし、幼い主に飼われる、出るところが出た女性というのも倒錯的でなんとも……じゃない。
地霊殿でご飯を貰いながら、私はお燐さんと向かい合っていた。顔をじろじろ見る私に、純粋な眼差しで疑問顔なお燐さん。なんだか私がとても穢れている気がする。そういう趣味は無いのだが……。
地霊殿の食事は、和食と洋食が入り混じった不思議なものだった。お米に、褐色で透明な液体……“コンソメスープ”というものらしい吸い物に、鳥の揚げ物に玉葱を刻んだものがかかった、どことなく中華風の大皿……“ゆーりんちー”というらしい。漢字は分からない。
なんというか、国際色豊かである。地上から隔絶されているはずなのに、人里よりよっぽどバラエティが豊富だ。
「あっ、これ美味しい……」
「でしょ?昔に落ちてきた外国の妖怪が、いろいろと教えてくれたのよ」
なるほど。西洋の妖怪はレミリアさんぐらいしか見ないものかと思っていたが、昔に来ていた妖怪たちはまとめて地底に篭ってしまっていたのか。道理で中途半端に外来語とかが浸透している割に、海外にいそうな妖怪は外にいない。
「さて、お嬢ちゃんはこれからどうするの?」
「どうする、か……。どうしましょう?」
はっきり言って、これから先のことは何も考えていない。流されるまま地底に来てしまったが、それでどうするんだ、という話だ。生きる為に逃げて、逃げて。辿り着いた先では何もすることが無い。まあ、旧都に住まわせてもらえるのなら色々と仕事を探すのもいいが、さとりさんがいない以上それもまた無理だ。
「あたいに聞かれてもねぇ……。まあ、さとり様が来るまでは何もできないみたいだし、ゆっくりしていきな。お客さんは大歓迎だよ」
「地上からの客は、あまり歓迎できませんけどね……」
噂をすれば影がさす。食堂の扉を開けて入ってきたのはさとりさんだ。第三の目を浮かべながら、物憂げな半目のまま私たちを見る彼女からは、どこか疲れているような雰囲気を感じる。何かあったのだろうか。
「……何かあったのか、とは。貴方の事ですよ。お陰でもうすぐ
面倒な人、とは……彼だろう。彼以外にはいないだろう。私を追ってきているのなら、地霊殿の住人には随分と迷惑をかけてしまっている。
どうして彼が私を追っているのか。紫さんの指示か何かだと思っていたが、過去のあの出来事があるのなら私怨で来ていると考えてもおかしくは無い。というかそちらの方が濃厚になってくる。そりゃあ、自分の住んでいた地域を滅ぼされれば殺したくもなるが……。
「ああ、彼は完全に復讐の為に動いていますよ。貴方と会わせれば、彼は間違いなく貴方を殺すでしょうね」
そんな物騒な。心が読める覚妖怪だからこそ分かる事なのだろうが、そう言われると怖くなってくる。向かいに座っていたはずのお燐さんはいつの間にか黒猫になって、さとりさんの足に擦り寄っていた。まさしくペットである。
「その事で話があります。手短に済ませますが」
足元の黒猫を抱き上げる。猫は嬉しそうに猫撫で声で鳴いた。
「貴方は、彼に殺される気がありますか?」
心を見透かす覚の瞳が、私を見詰めた。
私の中では、恐ろしいほどに冷静に、その言葉に対する結論が導き出されていた。それは千年を超える年の功か、それとも人間的な思考に似ているのか。その判断は今の私にはできない。けれど、私は今までに無いくらいスムーズに回転する自分の思考に感謝していた。
「ありません。彼は……江介さんは、復讐なんてする必要は無いんです。だから、そんな彼に殺される気はありません」
私の言葉に珍しく茶々を入れなかったさとりさんは、そうですか、と頷いた。そうして抱いていたお燐さんを足元に置いた。
「お燐、お空と一緒に彼を足止めしてくれますか。荒事になりそうだったら、“私たちは旧地獄に行った”とでも言っておいて下さい。彼と戦ってはいけませんよ。くれぐれも、いいですね。お空の歯止めをするのはお燐の役目です」
それににゃあと返事を返すと、開いたままの扉を飛び出して行った。そしてさとりさんは私のほうを見て、右手を静かにこちらに伸ばした。
「さあ、貴方はこちらです。急ぎましょう」
私はとりあえずその手を取る。しかし、彼女の意図が見えない。家の中で暴れられるのが困るのならば追い出せばいいだけの話で、なにも最後まで面倒を見る必要は無いはずだ。それなのに、何を……。
「……私は、貴方の事を――噂の妖怪の事を、知っています」
歩きながら、さとりさんは口を開いた。その声はどこか諭すようで、昔話を語るようで。
「嫌われた妖怪ではあるけれど、地底に落とされる事すら許されなかった妖怪、だと」
「……どうして、それを」
「私も、昔は地上にいましたから。私としても、貴方の事は不憫に思っているんですよ」
……不憫に、とは。
「私はこう見えても、嫌われ者の味方ですよ」
こちらを見て微笑む彼女は、珍しく無感情には見えなかった。
――――――
地霊殿は、地底の中でも一際大きく、そして立派である。その下には旧地獄と呼ばれる、かつて地獄として利用されていた場所があり、今でも怨霊が発生し続けているらしい。その怨霊を外に逃がさないように上から蓋をする役割を担っているからこそ、地霊殿は大きく立派なのだとか。
「まあ、そんなところです。閻魔共が勝手にやった事ですけど、結構居心地がいいんですよ?」
中庭にぽっかりと空いた穴から、ゆっくりと地下に降りていく。高度が下がるにつれて段々と気温が高くなってくる。もうそれなりに進んでいるので、結構暑い。夏の日差しとは違う、纏わり付くような嫌な暑さだ。
「ああ、怨霊には気をつけて下さいね。妖怪がとり憑かれると死ねますよ」
……さらりと怖い事を。それだけで周囲に時折見える白い塊が恐ろしく見えてくる。
「まあ、過度な心配は無用ですけど、一応」
そう言ってにやにやしている彼女。私で遊んでいる。間違いない。
「人聞きの悪い事を。妖怪の本能です」
そう言われると、反論のしようが無い。
心の中でうんうん唸っていると、やはり趣味悪く笑われる。私は心理戦では彼女に一生勝てなさそうである。これで二人目だ。
――――――
エントランスの扉が開く。下からの薄暗い照明だけの世界に、外からの光が注がれる。
地霊殿の外には、一人の男。薄汚れた黒いコートを身に纏い、腰には太刀が提げられている。射抜くような鋭い目線が、エントランスに立つ二人の少女に向けられた。
「ようこそ、地底の要、地霊殿へ」
「さとり様は、今取り込み中よ!」
一人は、赤い髪に赤い瞳。三つ編みが印象的な、猫耳少女。化け猫であり火車の妖怪、
そしてもう一人、足を一つ前に出して、威嚇するように敵意をむき出しにする少女。地獄烏の、
「噂の妖怪はどこだ。お前らじゃ話にならない。さっさと古明地さとりを出せ」
有無を言わさないその威圧に、威嚇していた空も少し驚き、たじろいだ。燐はあくまでも冷静に、男の出方を観察していた。
「だから、さとり様は取り込み中なの!」
「お空、少し落ち着きなさい。まあ、さとり様は手が離せないのよ。日を改めて――」
「ほう、それは本当だな?」
燐の言葉は、それを大きく上回る声で遮られた。その声に、ここにいる全員が聞き覚えがあり、その一言だけで個人を判別できるくらいには記憶されていた。そして、それを聞いた燐は、信じられないものを見る目で男の後ろに目を移した。
ちょうど開いた扉で死角になっていた場所から出てきたのは、男より一回り大きな女性。額に伸びた一本角が、彼女が見間違えでもなんでもない本物だと主張していた。
星熊勇儀。地底の鬼の頭領であり、かつての妖怪の山の四天王の一角。“力”の勇儀。
鬼は嘘を嫌う。それは地底では誰もが知る常識である。彼女の前に立つ者は、誰であろうとも真実を語る事を強いられる。彼女の絶対的な力はそれを可能とする。
「……勇儀、なんであんたがそっちにいるんだい」
「こいつが、私に勝ったからだ。私は負けたらこいつの妖怪探しに付き合うって宣言したからな」
「鬼に……勝った……?」
「ああ、そうだとも。人間に負けるなんて何年振りだったかねぇ」
そう言って豪快に笑う勇儀。しかし、対峙している燐と空の顔には笑顔は無い。当たり前である。
「――で、私が聞こう。さとりはどこに行った?」
――嘘を言えば、殺す。
鬼としての凄まじい威圧と共に、その言葉は放たれた。それは空がしていた子供騙しともとれる可愛らしいものではなく、従うか死ぬかという絶対的な二者一択を迫る。
「……あ、えっと、さとり様は……」
「――旧地獄に行ったわ。客人の妖怪と一緒にね」
その威圧に完全にやられた空は、怯えながら言葉を紡ぐ事しかできない。燐の袖を掴んだ手は震えている。それを横目で見た燐は、空の頭を軽く撫でる。燐としても、抵抗する意味は感じられなかった。“荒事は避けろ”という主の命令を守る為にも。
観念した燐が、冷静に回答を述べる。それを聞いた男は、そうか、と二人に聞こえないくらいに呟いた。
「旧地獄は、確か中庭から行ける。こっから先は、私は行かないよ」
勇儀のその言葉に、男はゆっくりと彼女のほうを見た。
「決着をつけるのは、あんただ。行ってきな」
ばしん、と鬼基準では軽く背中を叩かれ、男は軽く咳き込んだ。そして、手だけで燐と空をどけると、迷い無く中庭に歩いて行った。
「世話を掛けたな、鬼……」
邂逅は、近い。
「……まったく、無愛想なやつだ」
「あれ、誰なの?只者じゃなさそうだけど」
「あいつは、元人間なんだそうだ。私も詳しい事は知らんが、なにやらやんごとない因縁があるそうでな。今回は見逃してやってくれ」
「鬼にそう言われちゃあ、どうしようも無いわね。まあ、私たちも荒事にはするなって言われてたし、これでさとり様に被害が無きゃいいんだけど」
「まあ、大丈夫だ。あいつもそういうところは弁えてるはずだ。やりあったから分かるのさ。そんなことより、あんたも飲み会、くるかい?」
「いいや、今回はやめておくよ。さ、帰った帰った」