これが、“彼女”にとっての終幕。
爆煙が晴れてくる。煙を吸い込んだ私はげほげほ咳き込みながら、その中心を見た。
さっきまで荒谷江介が立っていたそこには、誰もいなかった。ただ、まさしく爆心地というように綺麗な地面があるだけであった。
「……げほっ、あの人は……?」
周囲を見回してみるものの、それらしき影はない。自分を殺しに来た人間を探すというのも馬鹿らしい話だ。
「彼なら……落ちていきました。恐らく――」
――死にました。
さとりさんは、ひどく冷淡にそう言った。まあ、ほぼ何の関わりもない人間が死んだところで、彼女にはなんの感慨も浮かばないのは当然のことではある。
しかし――。
私にとって彼は、曲がりなりにも知り合いであり、八雲紫に騙された被害者である。“風”としての私を気に入っていたのか、さして暴力的でも排他的でもない、普通の男だった。ただ、復讐に囚われていただけだ。そんな彼を、私は――。
「正当防衛です。気に病むことはありません。殺らなければ殺られていましたよ」
さとりさんは何でもなさそうに、訳知り顔でそう言うのだ。心を読んでいるからだろうが……彼女が忌み嫌われる理由が何となく分かる。
「……さあ、帰りますよ。
尻餅をついたままの私に、さとりさんは手を伸ばす。その顔は私に憐憫でもしているような顔で、“私は全てを知っていますよ”とでも言いたげな顔で。
私はその手を振り払って、自力で立ち上がった。
「……さあ、帰るかな」
ぱたぱた土埃を落としながら、私は意図的にさとりさんの前に出た。これ以上、彼女の顔を見たくはなかった。
「……そうですね」
背中に声を聞きながら、私は洞穴を飛んで抜けた。
――――――
灼熱地獄跡に蓋をして、余計な怨霊が出てこないようにした頃には、既に夜であった。出るや否やお燐さんともう一人の少女がさとりさんに飛びかかり、感動の再会のような雰囲気で何やら話始めたので、私は黙って地霊殿の外に出た。地底は天井があり、星空は無い。地上のように清々しくとはいかないが、それでも地獄よりはましな空気で深呼吸をした。
「――そうか、お前が勝ったのか……」
不意に、背後から声が聞こえた。聞き覚えのあるその声は、今二番目くらいに聞きたくない妖怪の声であった。
「……ええ。貴方のお陰で、彼を殺せた」
九尾の狐、八雲藍。監視か始末かは分からないが、彼女はそこにいた。
「随分嫌味な言い方だな」
「事実だから。それに、今の私は
「そうか……」
それっきり、二人とも口を噤んだ。私は八雲藍を見ようとは思わないけれど、彼女の視線は私に突き刺さっている。
……しかし、旧都を見続けるのも飽きてきた。そもそも何でこいつの問答に付き合わなければならないのだろうか。
私は踵を返して、八雲藍の横をすり抜け、地霊殿に戻ろうと歩を進めた。
「……待て。話はまだだ」
「私の話は終わった。それとも何、私を殺しにでも来たの?」
もし本当にそうなら、大した抵抗もできずに殺されるだろう。しかし、今の私はそんなことはどうでもよい気になっていた。
――私は殺したのだ。殺されても文句は言えまい。
「紫様からは、“確認してこい”以上の命令は受けていない。だが――」
「……」
「お前がこれからどうするのか、それくらい聞いても良いだろう」
これから、どうするか。
そんな未来へ向けた命題など、考えたこともなかった。逃げて、落ちて、逃げて……。結局、場当たり的な人生を歩んできたに過ぎない私には、その問いは難しい。
「また、監視でもするつもり?」
だから私は、設問から逃げるのだ。
「違う。地底との不可侵がある以上、恒常的な監視は不可能だ。今回の事も、下手に公になれば大事になる。が、そういう政治的な話ではない。私は私個人として、お前が――風がどう生きるのか、と聞いているんだ」
……逃げさせてはもらえないようだ。
少し真剣に考えてみる。
――私は、何のために生きる?
その問いに即答はできない。私の中には様々な思いが渦巻き、ついさっきの出来事と合わせて、あまり考え事をできる精神状態ではない。
しかし――。
「私は……彼を殺した。何も悪くない筈の人間を。だから、八雲藍。私に、彼の事を教えて欲しい」
「……荒谷江介の事を、か?構わないが、どうして……」
「きっと彼は、私を殺すことを最後まで迷っていた。だから――」
――「迷っているのですか?殺すことを」。
あの時さとりさんが放ったその言葉は、恐らく彼の心を読んだ彼女だからこそのものだろう。そこに嘘があるとは思えない。ならば、どうして彼の中に“私を生かす”という選択肢が生まれていたのかを知れば、私の“すべき事”も見つかるだろう。
「殺した彼への贖罪が、私の生きる目的になる」
私は振り返って、八雲藍の目を見て言った。私の姿を見た彼女は少し驚いたような顔をして、口を開いた。
「……自分を殺そうとした人間の為に生きると、そう言うのか?」
「生憎私は人間の価値観に染まってる。だから、罪無き人間の死を無意味なものにはしたくない。それだけの事」
「死者への贖罪……か。それがお前が選んだ道なら、私は止めはせんよ」
八雲藍の呆れたような声を聞いて、私の決心は一層固くなった。
私は、彼の遺志を汲み取る。それが殺したものの義務だと思うから。
「まあ、今すぐというわけにもいくまい。お前が地底で暮らしていれば、いずれ伝えるさ」
八雲藍はそれだけ言って、スキマを開き帰ろうとする。私はその後姿に声を掛けた。
「そういえば……何故、私を見逃すの?八雲紫は私を狙っていたはずだけど……」
「……さあな。私には紫様の意思は分からん。ただ……」
八雲藍は――藍さんは、優しげな顔を浮かべて、柔らかい声音で続けた。
「少なくとも私は、風の事を嫌いではないぞ」
「……おや。そんなところで何をしているんですか?」
真後ろから声を掛けられた。振り返れば、猫と烏に纏わりつかれたさとりさんが立っていた。心なしか疲れた表情をしているのを見ると、あれからあの二人に散々やられたらしい。
「人生に疲れていた、というところ。旧都は綺麗でいいね」
「でしょう。ここばかりは地上にも引けをとらないと思っています」
隣に立つさとりさんは穏やかな顔をしている。肩に烏を乗せたまま、腕で黒猫を抱えたまま、私のほうを向いた。
「さあ、こちらへ。どうせ行く当ても無いのでしょう。暫くは
それは願ってもいない申し出で、私にとってはまさしく渡りに船というやつだ。喜んで受けることにしよう。
「それはよかったです。空き部屋が多くって、持て余していた所なんです」
私が歩き出せば、彼女も少し先を歩く。第三の目だけは私のほうを見ていて、心を読んでいる事だけは分かる。抜け目が無いというか、なんと言うか。性格がいい妖怪とは思えないが、妖怪にしては
「……それは、褒め言葉でしょうか。どうにも嫌味にしか聞こえませんが」
さあ、どちらでしょうか。
藍さんのお陰でなんとなく心が晴れた私は、さとりさんをそんな風にからかって、心の中でけらけら笑っていた。
――――――
それから、一ヶ月かそこらが経ったころ。
私も地霊殿での生活に慣れてきて、お燐やお空(というらしい、烏だ。本名は霊烏路 空だそうだが、フルネームで呼ばれていたところを聞いた事はない)ともそこそこに仲良くなった頃。他のペットにはあまり好かれていないのだが、まあ言葉が通じないのだからそんなものだろう。結構な数が妖怪化しているのには初めこそ驚いたが、今では慣れた。お燐が連れてくる猫の尻尾を数えたりしているうちに、意外と簡単に妖怪になるものなのだな、なんて思ったりもしていた。
そんなある日。私がさとりさん自慢の書斎で読書を楽しんでいた頃。地霊殿にはかなりの数の文庫本が置いているのだ。誰が書いたのか分からないものや、古い妖怪が書いたらしい妖魔本チックなもの、果ては明らかに外来のものまで、何故ここにあるか良く分からない本が多数置いてある。さとりさん曰く“心が読めても本の先は読み進めるまで読めないから面白い”そうだ。
がたん、と扉が開く音に、私は文庫本を置いて振り返った。
唐突に開いた扉の向こうには、どこか不機嫌そうな顔をしたさとりさん。彼女は表情の変化が乏しく、(彼女基準で)大きく顔を動かさなければ見慣れていない人には感情が伝わりにくい。それに加えて心を読むものだから、見知らぬ人妖から不気味がられても当然なところはある。ちなみに初対面の頃に私が表情を普通に推察できたのは、ひとえに私の人妖観察眼が素晴らしかったからである。決して私が人見知り故にさとりさんを警戒して注意深く観察していたからではない。
「……一体どこに向かって釈明しているんですか。それより」
勝手に心を読まれた。何を考えているかは個人の自由だ。それに突っ込みをされても反応に困る。
ずかずか寄ってきた彼女が突き付けたのは、どこか見覚えのある紙切れ。これは……。
「そうです、地上の新聞です。こいしが勝手に持って帰ってきたものですが。まったくあの子は……」
こいし、とは、さとりさんの妹である。古明地こいし。無意識を操るらしく、居るのか居ないのか良くわからない少女だ。地霊殿でたまに見る。大体色々なところをふらついているらしい。しかし、自分でも何をしているのか良く分からない時が多いそうだ。なので無意識を操るというよりは無意識に操られているという方が的確だろう。本人は楽しそうなのでいいが。
優しい姉の妹に対する愚痴を聞き流しながら、私はその新聞を手に取る。機嫌が悪いのはこいしちゃんのせいで、この新聞は関係無いようだ。
それは、今では懐かしい“文々。新聞”。射命丸文さんが発行していたものだ。これがここにあるということは、確かにこいしちゃんは地上に行っているらしい。これは地底では発行されていない。そして、この号は随分昔のものだ。
――人里に“噂屋”開業。
そんな見出しだ。私の記事である。この記事の頃から今までは大して経っていないはずなのに、もう随分昔の事のように思える。
「……これが、何か?」
特になんて事もないものだ。結構汚れているのは、汚れ方からして鍋敷きにでもされたのだろう。新聞の正しい使い方だ。あとは窓拭きとか。
「噂屋、とは何でしょう。随分胡散臭い職業のようですが……」
まあ、普通はそういう反応になる。かくいう私も何も知らずにそれを聞けばそう言うだろう自信がある。
噂屋は、私がかつて人里にいた頃に、私の能力を活用しようと始めた商売である。噂を売る、という唯一無二性で売っていたが、まあ閑古鳥の巣窟であったことは否定しない。
「……はぁ。また変な事をしていたんですね」
「それほどでもない。結局――」
「なし崩し的に廃業、ですか……。褒めてませんよ。まあ、でもそれなら」
そう言って、さとりさんは机に積み上げられた書類を捲る。何枚目かにお目当ての物を見つけたのか、書類を何枚か持って私の前に戻ってきた。
「実はついこの間、家主が行方不明になった廃お……空き家があるんです」
「……廃、なに?」
「提案なのですが、貴方がそこに住むというのはどうでしょう。貴方としてもいつまでも地霊殿に縛られるのは御免でしょうし」
無視ときた。彼女にしては珍しく口を滑らせたようだが、何事もなかったかのように続けた。
どうやら彼女は穀潰しの私を厄介払いしたいようだ。丁度いい物件(ということにしておく)に目星がつき、私が一人暮らしをしても問題がない事も分かった。その上での提案なのだろう。
「……そこまでは言っていませんよ、口では」
……相変わらず、この妖怪は性格が悪い。
「それほどでも」
褒めてない。
――――――
「……これ、本当に家?」
「書類上は。屋根のラインは家っぽいじゃないですか」
家っぽい、では困るのだ。これから私が住むのだから。
さとりさんに連れてこられたのは、旧都からは少し離れた場所。明かりが僅かながら届いておらず、この辺りはどうも薄暗い。そんな中にぽつんと建ったそれは、お世辞にも住める家には見えなかった。何とか表現するなら、“積み上げられた前衛芸術的な木材”。はたして誰が住んでいたのか、何をしていたのかさっぱりである。
「誰が住んでいた、ですか。……さあ?」
「さあ?」
「どうやら鬼の一人が住んでいたようですが、それ以外は何も」
「……どういう事?」
「書類上はとある鬼の所有物だったのですが、勇儀さんに問い合わせた限りでは数ヶ月前から行方知れずだそうです。なんでも“俺より強い奴に会いに行く”と言ったきりだそうで……」
……鬼はよく分からない。
とにかくそれなら、当分その鬼が帰ってくることは無いだろう。私は気にする事をやめた。
「それが賢明ですよ。適当な事に慣れないとやってられません」
経験が乗った、重い言葉だった。
それから、私は数ヶ月を掛けてこの木材を家にするのであるが、それはまた別の話だ。