ネルソン商会記 ~黒い商人の道筋~   作:富士富士山

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序章 はじまり ~北の海~
第1話 出航


北の海(ノースブルー)” ベルガー島

 

 

 夜の帳が下りた暗闇の中しんしんと降り注ぐ雪。

 

 辛うじてそこにあるかと思われる空と海の境目。

 

 重量感のある雲に覆われて一切の輝きを見せない空。

 

 墨で塗りつぶされたように黒々としている海。

 

 そこに海があることをしっかりと感じさせてくれるような、ただ寄せては繰り返す波の音。

 

 寒さをまるで形あるものとして実感させられる程の吹き付ける風。

 

 1年の大半を雪に覆われ、寒さに覆われた島。

 

 寒さというものに対し、決して慣れさせるということがない。生まれて此の方育ってきた、そして生きてきた島だ。

 

 

 これが俺の、……俺たちの島なのだ。

 

 

 今、海岸では桟橋に一隻の船が停まっている。出航へ向けて、積み入れ作業に大わらわの状態だ。暗闇の中でそこだけかがり火が焚かれており、忙しく立ち働く船員の姿はどこかしら幻想的ですらある。(そび)え立つ三本マスト、船尾窓のランタンには火が入れられていて、船内でも忙しく立ち働く船員の姿が想像できる。

 

 丘の上に立ち、眼下の出航作業を眺めながら俺はゆっくりと煙草を楽しんでいる。降りしきる雪と凍てつく寒さ、肺に取り込む煙草の香りとたなびく紫煙。実に心地よい時間である。

 

 俺たちの船が進みだそうとする先は暗闇に閉ざされているが、かがり火とランタンの光はその道筋を照らし出してくれる。眼前に広がる情景はそう思わせるものがある。

 

 

 はじまりへの鼓動が静かに高まりつつある。

 

 

 これからへの期待に胸を膨らまることから思考を切り替えた俺はその場を振り返り、歩を進める。まるで、これまでの事に思いを馳せるように。

 

 次第に波音は薄らいでいき、代わりに別の音があたりを支配してくる。眼前に見えるのは燃える建物。降りしきる雪の中でも、赤とオレンジの炎が覆い尽くし、燃えている。雪を積もらせた針葉樹に取り囲まれ、森の中にぽつんとある建物が燃えている。それを眺めながらゆっくりと紫煙をくゆらし、先日の集いに思いを巡らす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夕闇が窓の外に迫りつつある中で、ゆっくりとはじまった今夜の晩餐。眼前にあるオーク調で長方形のテーブルには、すでにいくつもの大皿に盛り付けされた料理が所狭しと並べられ、銀食器とグラスの音が心地よく響くダイニングルーム。テーブルの上座に座り、左右に思い思いに座りながら舌鼓を打つ面々に対し、口を開く。

 

「みんな、いよいよだ。俺たちネルソン商会の新たなる船出となる。乾杯だ!!!」

 

 皆一様にグラスを掲げ、カチンとグラスを交わす。

 

 ここまでの道のりは長かった。

 ネルソン商会。俺たちの商売。ネルソン家は元々海軍一家だ。だが、母親のベルガー家は代々交易を営む由緒正しき家柄。父は海兵を辞め交易商人としてベルガーの商売を継いだ。ベルガー島を根拠地として、手広く商売をしてきたのがベルガー商会。かつてはベルガー同盟と呼ばれた商業組合を結成して一大勢力を誇り、北の海(ノースブルー)一帯と、政府と契約して海軍の護衛を得ることで新世界とも直接交易を行い栄華を欲しいままにしていた。

 

 そう、かつては……。父が突然、行方不明となるまでは。

 

 しばらくして、政府から伝えられたのは死亡の二文字。理由は伝えられなかった。ただ死んだということだけ。俺は10を数えたばかりであった。その後ベルガー同盟、そしてベルガー商会は音をたてるようにして瓦解した。一瞬だった。富み栄える島だったベルガー島からは一人、また一人と人が離れていった。

 

 そんななか俺は15歳を目前にしていた。栄光が一気に消えていく中で、生きるため這い上がるために俺は俺の商売をはじめることにした。それがネルソン商会。生易しくはなかった。旨味のある商売は他の奴らに根こそぎもっていかれた。残るのは雀の涙にしかならないようなものばかり。だがやるしかなかった。泥水をすするような日々を送りながらも何とか生きて、そして再び這い上がってきた。この北の海で。機は熟しつつあった。そろそろだ。

 

「坊っちゃん。いよいよでやすね。わっしは嬉しいでやす。嬉しくてたまらんでやすよ~!!」

 

 今にも泣きそうになりながら、ロッコがグラスを傾けてきた。

 

「ロッコ、いい加減その呼び名はやめろっ。総帥かボスと呼べっ。まあ、おまえの気持ちは痛いほど分かるがな」

 

 アレムケル・ロッコ。父の右腕だった男だ。父の最後の航海には付いていくことが許されなかった。失意をぐっと押し隠して、ロッコはこれまで俺についてきてくれた。大男であり、歴戦の海の勇士である。

 

 今もロッコは太い腕を捲し立てながら、巨大な肉の塊と格闘しつつも目に涙を浮かべてこちらに目をやって笑っている。坊っちゃんと呼ぶ癖は断固として直させなければと常々考え、指摘しているが、一向に改善される気配はない。

 

 だが、ロッコは俺の師匠でもある。彼は新世界にも度々渡っていた強力な覇気使いであり、戦闘の師匠だ。物騒な海を渡って商売をしていくには、戦う交易商人でなければやっていけないのである。とはいえ、ロッコの力をあまり借りずに戦えることが理想だ。師匠のお出ましはないに越したことはない。

 

 それにしても、このサーモンは最高だな。マリネにされてレモンベースのソースと合わさり、口の中でとろけてゆく。白ワインで満たされたグラスを呷って、あ~、満足だ!! 心の声が漏れそうになる。

 

「もうそろそろいい? みんなが出来上がってしまわない内の方がいいでしょ、兄さん」

 

 至福のひと時を邪魔したこいつは俺の妹。ネルソン商会の副総帥と会計士を務めているジョゼフィーヌだ。金の計算と契約書作りをこよなく愛している。とてつもなく有能であるが、とてつもなく狡猾でもあり、わが妹ながらなかなか扱いに困る。筋金入りの剣士でもあるため余計にである。今もわが妹は書類の束を抱えて、こちらを窺っている。

 

「ああ、わかってるよ。全く、至福のサーモンの余韻を邪魔しやがって」

 

 妹にはしっかり恨み言をぶつけてやりながら、パチンと指をならして皆の注目を今一度集めた。

 

「みんな聞いてくれ。ジョゼフィーヌから話がある。まあ、大事な話だ」

 

 先は任せたとジョゼフィーヌに目で合図を送ると、妹は嬉々として抱えた書類を皆に見せるようにして話し出す。

 

「みんな、新しい船出を前にして新しい雇用契約書を用意したわ。これはひとつのたたき台よ。みんなそれぞれ入れたい条項があるでしょうから、ひとまず目を通してね。もちろんここでサインしてしまってもオーケー」

 

 そう言いながら各自に契約書を配って回るジョゼフィーヌ。皆一様にして、酔いが一気に醒めてしまったかのような顔をしている。当然だろう。自分の将来を左右する雇用契約書である。妹がどんな狡猾な文言を入れているか目を皿のようにしてチェックする必要がある。皆の目が必死だ。早速異議を唱えている者もいるが、菩薩のような笑みを浮かべながら妹に却下されている。

 

 俺は心の中で謝ってやることしかできない。総帥は俺だが、こと金に関する権限はジョゼフィーヌが一手に引き受けている。すまん、俺にしてやれることは心の中で謝ることだけだ。

 

 ああそうだ。そんなことよりも、このローストビーフだ。なんて綺麗な赤色なんだろう。こいつもサーモン同様口の中でとろけてゆくに違いない。給仕に赤ワインを用意させて、早速フォークを運び、再び至福のひとときに浸ってゆく。

 

「どうやー? 今日のんは? ええ出来やろ」

 

 隣で赤ワインをグラスになみなみと注ぎつつオーバンが尋ねてくる。俺たちのコックだ。

 

「ああ、最高だ。サーモンもローストビーフも口の中でとろけていくよ」

 

 オーバンには惜しみない賛辞を述べてやる。こいつは北の海(ノースブルー)にあって、出身が東の海(イーストブルー)という変わり種だ。よって変な話し方をするが、まあ意味は通じる。長い付き合いになる幼馴染であり、ベルガー島で繁盛していた料理店の息子である。ベルガー島衰退で店は畳まれて家族は島を後にしたが、唯一オーバンは俺に付いてきてくれて、海のコックとして俺の船で腕をふるってくれている。

 

「ほんまはおまえに俺の最高のおばんざいを食わせたかったんやけどなー。今日はこれくらいにしといたるかー」

 

 ザイ・オーバンが本当に得意としている料理はおばんざいなるものらしい。まだふるまわれたことはないのでどんな味かはわからないが。こいつは話口調に似合わず狙撃手でもある。近接格闘は一切せずただ遠距離からの狙撃を得意とする。

 

 

 契約書をにらみながらの喧々諤々の食事もたけなわとなり、俺はモルトウイスキーの角瓶片手に隣接のソファ席に移動する。既に向かいには東の海(イーストブルー)よりはるばる取り寄せた焼酎片手に一杯やっている奴がいる。

 

「あんたの妹は最悪だ。細かい文字で例外の条項を詰め込みすぎだ。ひとつひとつ反論するのに偉ぇー時間が掛る。朝食を握り飯にするたびに1000ベリーって何なんだ。何とか650ベリーで妥結したが」

 

 その時のジョゼフィーヌとのやり取りを思い出して苦々しさを顔に表し、それを飲み下すようにして焼酎を呷るロー。

 

 この男はトラファルガー・ロー。ネルソン商会に加わったのは途中からだが、ローを迎え入れたのは非常に大きかった。船医を必要としていたのもあるが、何よりもこいつは頭が切れる。幼い頃から医者としての勉学に勤しんできた脳細胞はもとより、ドンキホーテファミリーにおいて3年間修業のようにドフラミンゴに付き従ったことで、商売における頭の切れは研ぎ澄まされつつある。間違いなく俺の右腕になりつつある男だ。

 

「ああ、すまん。としか言えないが、すまん。ところで、ハートの条項はまだ残すのか?」

 

「ああ、当然だ。それだけは譲れねぇ」

 

 ローはドンキホーテファミリー脱退において一悶着あった。コラソンを恩師として敬愛し、その亡くなった恩師の遺志を継いで、ハートの図柄とコラソンの文字を服装に刻むことを要求してきた。我々ネルソン商会は黒一色で無地の服装を正装としている。よって、ローのハートの条項は例外中の例外だ。だが、こいつの気持ちを慮れば認めてやらざるを得ない。それでなくともジョゼフィーヌによって虐げられているのだから。

 

 そもそもローがネルソン商会加入を受けたのは俺たちに共通の目的があったからでもあるだろう。海賊であることにこだわりを持っているわけではないというのもあるだろう。齢13にして超人(パラミシア)系悪魔の実“オペオペの実”を食べた改造自在人間であり、はっきりと憎むべき対象を持っていた。それはドフラミンゴ。共通の目的。亡きコラソンの本懐を遂げるためドフラミンゴを討ち取ることを加入の条件として要求してきた。俺たちに否やはなかった。

 

 ドンキホーテファミリー、ドフラミンゴの名は北の海(ノースブルー)において大きな意味を持つ。俺たちは表の商売をやりながらこの海で這い上がってきたが、その名は常に見え隠れしていた。厳然と存在していた。ましてや闇に回るのであるならばなおさらであった。

 

 そう、俺たちは表の商売から闇の商売に入っていくことを決めた。だがしかし、北の海(ノースブルー)においてはそれは許されなかった。ドンキホーテファミリー、今はもうファミリー自体、王下七武海(おうかしちぶかい)として偉大なる航路(グランドライン)に存在するが、その名は隠然と北の海(ノースブルー)に存在する。そこかしこに奴らは食い込んでいる。俺たちにはまだまだ奴らに正面切って対抗する力はなかった。

 

 ゆえに偉大なる航路(グランドライン)に入り、そこで力を蓄えることを決めた。ドンキホーテファミリー、そしてドフラミンゴを叩き潰すのはそのあとだ。もちろん、それは通過点にすぎない。俺たち、否俺には最終目標がある。少し話が行きすぎたか。とにかくローは俺たちの中で頼りになる男になりつつある。

 

偉大なる航路(グランドライン)に入るのはいいが、その前に寄るところがあるとか言ってたな。どこに寄る?」

 

 焼酎を呷りつつ、再び話を向けてくるロー。こいつは本当にうまそうに焼酎を飲む。こいつの飲みっぷりを眺めていると、ついつい焼酎に手を出しそうになってしまうが、ここは丸氷の入った極上のシングルモルトをちびちびと飲む方を選び取る。

 

 だが、ローよ。べポに焼酎を薦めるのはやめてやれ、嫌がってるぞ。べポは簡単にいえば白クマだ。そう簡単に言える存在でもないのだが、今はいい。こいつはロッコのもとで航海士補佐をやっているが、妙にローに懐いている。ローもこいつのことは気に入っているようだ。

 

「フレバンスだ。おまえには悪いと思って言いにくかったがな」

 

「言いにくいなら言うな。だが、もうそんなセンチメンタルなものはあそこに捨ててきた。問題ない。確かにあそこは奴の息が掛っていない場所だが、もう滅亡した場所。今さら行ってどうなる?」

 

 顔色一つ変えずにローが答えてくる。フレバンスはこいつの出生地。とはいえ壮絶な物語があった場所ではあるし、考えるところもあるだろうが、それを表情には見せていない。

 

「行く意味はある。だが、ここで話す内容ではないからな。この話は出航してからだ。そうだ、また勝負をしようではないか」

 

 そう言って、俺は横にある暖炉の上に置かれているチェスセットを取り出してきて、テーブルの上に広げた。このままでは、べポが焼酎を飲まされてしまいそうだ。何とか引き離してやらねば。

 

「あんたも好きだな。言っとくがチェスで俺に勝とうなんざ10年早ぇー」

 

 ああ、わかってるよ。この男はチェスがすこぶる強い。何度も煮え湯を飲まされている。だが、チェス盤をこいつと眺めていると、これからの作戦と計略の構想が次々と湧いてくる。お互いに。それをあーだこーだ言っているこの時間は実に至福のひとときなのである。

 

 こうして俺たちの夜は更けていった。

 

 

 

 炎は燃え盛り、建物を焼き尽くしている。俺たちが自ら火を放った建物。俺たちが長年根拠地としていた場所。もうここに戻ってくるつもりはない。俺たちは偉大なる航路(グランドライン)に入り、そこに根を張るつもりだから。俺たちなりの決意表明を形にするとこうなった。

 

 気づけば煙草の火はもう消えていた。吸殻を燃え盛る炎に投げ入れて、新しい煙草に火を点け、盛大に煙を吐き出す。雪は当然のように舞っている。燃え盛る炎はそのまま視覚から訴えてくるものがある。胸の中には熱くこみ上げるものが駆け巡っている。体の中は熱くたぎりつつある。それをゆっくりと煙とともに吐き出し、冷静になろうと努める。胸の奥底は熱くとも、常に頭の中はクールに。これからの鉄則だ。

 

 気配が近づいている。そろそろ出発の時間だ。

 

「兄さん」

 

「ああ、そうだな」

 

 妹の呼びかけに応じて、火の点いたままの煙草をそのまま炎に投げ入れて、踵を返してそこを後にした。

 

 

 俺たちの戦いはまだ始まったばかりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




いざ自分で文章を書くというのは難しいものですね。誤字脱字、ご指摘、ご感想お待ちしております。

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