今回長くなっていて申し訳ありませんが、じわじわとアラバスタに入ってまいります。
ではどうぞ!!
“
頭に壺を乗せた女が器用にも片手1本のみでそれを支えながら右から左へと横切って行く。カラフルな野菜を山積みさせた馬を引く男が先を急ぐようにして左から右へと横切って行く。数限りない人々が何処かへと向かって通りを横切って行く。
その服装は白い軽装が大半であり、頭には必ず何かしらの帽子を被っている。通りは舗装などされておらず砂が剥き出しの状態である。通りの向こうでは両手を広げて客寄せに必死な物売りが所狭しと軒を連ねている。
それらが生み出す喧騒、活気とも呼べるものがこの場には感じられる。
建物は白か土壁の色で、所々には高い尖塔が見られる。
異国情緒……。
今目の前に映る情景にはそんな言葉がふさわしい。“
俺はどうやら未知の土地に対する好奇心が旺盛らしい。確かに美食には目がないし、心奪われる景色にも目がない。
明日もしれない道に両足突っ込んでいることを考えれば、相反するもののように思われるが、であるからこそ、こうやって己の中でバランスを取っているのかもしれない。
そんな事を思いながら俺は樽の上に腰を下ろして、右手に持つ煙草からは紫煙を燻らせながら日常の喧騒に包まれている通りをただ眺めている。
それにしても……、……暑い。
頭上は庇で覆われているのでここは日陰になってはいるが、そんなものはどうやら焼け石に水でしかないようだ。
黒いスーツに黒いシルクハットを被っているのだから当然ではある。これでもアラバスタ入りを見越して出来るだけ風通しのよい素材を使った特注品を着てはいるし、もちろんタイは締めていないのだが、それこそ焼け石に水のようだ。
とはいえ、この暑さを理由に正装をかなぐり捨てる気は毛頭ないが……。
左横からは、これ見よがしに絨毯を薦めてくる物売りの声が聞こえている。全く興味を示そうとしない俺に対して如何なる勝算を持ってこの男は挑んできているのか? 皆目見当も付かない。
わが妹であればここで逆に砂を売りつけてやるところだろう。この砂漠と共にある国では無謀な取引だが、あいつならやりかねない。なぜならわが妹は“
背後から一陣の風が吹き込んで一時の爽快感をもたらしてくれる。海風だ。
ここは港町ナノハナ。アラバスタ王国の首都は内陸部のアルバーナであり、この町は砂漠の王国の文字通り玄関口にあたる。
サイレントフォレストからの航海は順調と言えるものではなかった。最短航路を通って来たので、各島の気候域の狭間を進んできたからだ。大きな問題もなくここまで来る事が出来たのはロッコのこの海での航海経験によるものである。
アラバスタ王国……。反乱騒ぎの渦中にある国。
この国では3年雨が降っていないという。それが何を意味しているのかは雪と凍える寒さしか知らない俺たちにもわかる。そこに拍車をかける出来事、王への不信を抱いてしまいかねない事件の数々。
もっと荒れ果てて生気のない町の様子を想像していたのだが、実際はそうでもなかった。
とはいえだ、
表向きはそう見えるだけなのかもしれない。
そこかしこで燻り続ける火種は一度火が放たれれば一気に燃え上がるのかもしれない。グラスいっぱいに満たされた水はあとコイン1枚を投じれば溢れだす状態なのかもしれない。
だが俺たちにとってはそんなことは知ったことではない。人として同情心が生まれはするが、反乱を何とかすることが俺たちの役割ではない。反乱中のこの国で仕事をしようとする俺たちは火事場泥棒に近いが、目指すべき場所を考えれば俺たちはこの反乱を利用してのし上がる事しか考えられない。
俺たちはこの町に入る前にサンディ
視点を替えれば世界の見え方は180度変わる、か……。
紫煙が眼前の賑やかなりし通りの様子を包み込んで揺らめかせ、あの場所での出来事と方針会議の様子が否応なく頭の中に浮かび上がってくる。
▼
“
もぬけの殻か……。
俺たちはニコ・ロビンの話を基にして、ダンスパウダーを先に確保すべく手前の港町ナノハナは通過してサンディ
だが実際はどうかと言えば倉庫内には何もない。
砂岩で作られた倉庫内は照明もなくて薄暗く、入口から入る陽の光によって何とか様子を見分けられる程度の明るさである。中に入って5分も経ってはいないが、止めどなく汗が体から吹き出している。
「どういうことよ?」
倉庫内の暗がりの奥まで調べていたジョゼフィーヌがこちらへ戻って来て、怪訝な表情で言葉を発する。奥まで入っていたのに汗ひとつかいた様子がないこいつの体質は一体どうなっているのか。
「見ての通りよ。ここにダンスパウダーはあったけど今はない。私も驚いているわ」
俺の横で突っ立っていたニコ・ロビンが幾分驚いた表情で答える。この女も蒸し風呂に近いこの中で何とも涼しい顔つきである。
「見て下せえ、この跡……。ここに何かしらのでかい袋がしまわれてたのは間違いなさそうでやすね」
しゃがんで床を確認しているロッコの言う通り、確かに何かがこの倉庫内に保管されていた痕跡は垣間見れる。ニコ・ロビンの表情を見る限りもこの場所にダンスパウダーはあったのだろう。
この女が動かしたのでなければ一体誰が動かしたのか? クロコダイルか? それとも……?
縦長サイズの倉庫は入口が中央付近にあり、ローがジョゼフィーヌとは反対方向を調べて回っている。
奴はやや奥まった場所で先程から立ち尽くしている。何か手掛かりを見つけたのか?
暗がりの中でうっすらと確認できるローの真っ白な顔が不意にこちらを向き、壁の一方を指差している。
ローの指差すものを確認しようと俺たちも入口付近から奥へと移動すると、
壁には何かが描かれているのがうっすらと確認できる。ライターを取り出して炎をかざしてみるとそれは、
丸、二つの目、右から左に斜めに直線、あざ笑うかのような歯を見せている顔の形をしたマーク……。
そういうことか……、……ドフラミンゴ……。
「片時も頭の中から離れやしねぇ忌々しいマークがここに描いてある。こいつがあるからと言って奴がこの国にいる確証とはならねぇが……ニコ屋……、お前がこの状況を与かり知らねぇってんなら、ファミリーの誰かしらがこの国に入ってるってことになる。おまえ以外にな……」
ローが俺たちの方に振り返り真剣な眼差しをニコ・ロビンに向けながら言葉を発する。
「私はこんな話何も聞いていない。そもそもこの倉庫はバロックワークスの所有で、私自身が手配したものよ。ジョーカーは何も関与していない」
ニコ・ロビンの言う通りであるならば、ドフラミンゴはクロコダイルの下に潜入させているこの女に話を通さずに進めているヤマがあるってことになる。
そして、奴らは倉庫にダンスパウダーが存在する事を嗅ぎつけて俺たちの前から寸でのところで掠め取っていったことにもなる。
さて、どうしたものか……。
と、考えながら左横でゆっくりとメガネを上げる仕草を見せているクラハドールへ視線を移す。
「脚本家はどう見る?」
「……そうだな、いくつか筋書きは描けるが……、まずはこの町の規模に合わないコーヒーショップからだな」
俺の問いかけに対しクラハドールは不敵な笑みを浮かべつつそう答えてくる。
「コーヒーショップってけったいな名前付けよるな。こら多分あれやろ。わいらもノースの町で何回か目にしてるさかいな」
クラハドールの言葉に反応して今の今までただひたすらにこの場所の暑さを嘆いていたオーバンが口を挟んでくる。こいつが暑そうにしていなければこの世の摩訶不思議さを呪っていたところだ。
コーヒーショップ……。
俺も気になっていた。アラバスタ王国東の港町タマリスクはさほど大きな町でもない。いわば国の中で辺境の町。であるのにも関わらずこの名前を看板に掲げる店がいくつも存在する。
オーバンが言うようにこれが文字通りの意味を持つ店であるわけがない。
ドラッグ……。
“
奴らが同じようにして入り込んでいる可能性はある。きな臭い反乱騒動真っ最中である王国の辺境の町に。
「行くか……。奴らの尻尾の先を掴みに」
その言葉を合図に俺たちは空っぽの倉庫を後にした。
太陽は西に傾きつつあり夕暮れ時が近い時刻、ただ暑さは微塵も変わっていない。
郷に入っては郷に従えか……。
この国に入った以上鬱陶しいぐらいの気候ともうまく付き合っていかなければならないのだろう。
東の港町タマリスクには特徴的な塔が町の中にぽつぽつと建ち聳えている。だがよくある先の尖った塔ではなく縦に細長い直方体の様な塔だ。入港する際に海から眺める景色はなかなか見応えがあった。
俺たちはもぬけの殻であった倉庫を後にして、そんないくつかある塔のひとつを前にしている。堂々と掲げてはいないが、見る人間が見ればコーヒーショップと分かるような店がその中に入っている。町の表通りではなくひとつふたつ筋を入った場所だ。
通りは空気が乾ききっているが殺伐とした佇まいではなくどちらかというと長閑である。まっとうな人間はこんな場所にある店がドラッグを提供する店だとは思いもしないだろう。国は反乱騒ぎで大わらわ、中央の目も当然ながら辺境には届きにくい。
その間隙を突いて入り込む。どんなに小さくとも一度入り込んだ悪玉は広がっていく。全体へとあっという間に。
敵ながら何とも上手い手ではある。
奴のこの国での本当の狙いは何だろうか?
まあいい。すぐに分かることだろう。
大勢で押し寄せても仕方がないので店に入るのは俺とローにクラハドールの3人だ。ジョゼフィーヌは人からものを強引に聞き出す天才でもあるがドラッグに思うところがあるようで参加しない。
とはいえ俺たちも好き好んで乗り込むわけではないんだが……。
何の変哲もない木製のドアを押し開いて店内に入り込むと、そこに広がるのは丸テーブルが点在し奥にカウンターが存在するごく一般的なカフェであり、一見すればコーヒーショップではある。
だが、客は誰一人としていない。夕暮れ時に客が入っていないカフェなど成立するわけはない。カウンターの横にカーテンのみで仕切られている通路口はバックオフィスへの入口のようにも思われるが、その前に立ちはだかっている綺麗な丸サングラスを掛けているいかつい男の存在がそうではないことを匂わせている。
「いらっしゃ……、……見かけねぇ顔だな。わりぃがコーヒーなら在庫切れだ。他行きな」
下っ端だな……。
客が一人もいない状態で在庫切れもないもんだ。もっとましな嘘をつけないのかと言うのも面倒ではあるし、カーテンの奥が虚無の世界に包まれていることは覗かなくても分かることであるし、こんな下っ端でもクラハドールの能力であればドフラミンゴの尻尾の先を想像できそうでもあるので、
余計な時間は掛けるつもりはない。すなわち会話を楽しむつもりはない。
瞬間的に丸サングラスの前に移動して腹に
「ドンキホーテファミリーの者だな? ダンスパウダーはどこだ? 3秒やる。……吐け」
そう言ってカウントダウンを開始して、さらに背後で静観していたクラハドールの能力で分かったことはといえば、
3と言い終わるギリギリ寸前に丸サングラスより得た情報は、やはりドンキホーテファミリーがタマリスクに入り込んでおり、町の中にあるコーヒーショップは奴らによるものであること。ドフラミンゴと幹部数名が既に国内に入っていること。
そして、
うちの脚本家が能力行使で導き出した情報は、ダンスパウダーの闇需要がひそかに高まりつつあること。
サンディ
ダンスパウダーとは雨を呼ぶ粉と言われ、それを燃やす事によって人工的に雨を降らせることができるが、周辺地域の雨に至る筈だった雲を根こそぎ集めてくるため軋轢を生じさせるという副作用を伴うため政府は製造・所持を禁止している代物である。
逆に考えれば戦争を引き起こすことができるわけで闇の世界で需要が高まっているというのは十分に頷けることだ。その点にドフラミンゴも目を付けたのかもしれない。
さて、どうするかなと考えながら丸サングラスにとどめの
ローがどうも腑に落ちないという表情を見せている。多分にそれは前者の情報ではなくて後者の情報だろうが。
「おまえの想像は確かなんだろうな? あの倉庫に目一杯ダンスパウダーが積まれていたとすりゃ相当な量だ。それを陸路で砂漠越えなんて真似、奴が考えるとは思えねぇ。海路搬送よりもそっちの方がリスクがでかいじゃねぇか」
全くその通りだ。奴らがリスクとリターンの両天秤を計り間違えることは有り得ない。
問いかけられているクラハドールはというと、不敵な笑みを見せながらゆっくりと掌でメガネを上げて、
「俺も同意見だ。……この男から想像できることは言った通りで間違いはない。だがそれでは理屈が通らない。であれば、……この男が誰かによって作られたストーリーを信じ込まされているってことだろう。こういうのはどうだ?」
と、言葉を返してさらには、
「砂漠のど真ん中でダンスパウダーを使って誰かと取引をしようとしている。そのために人知れず陸路を搬送させる必要があった。それを秘密裏に行うためにこの男はまことしやかな話を吹き込まれている」
と続けてくる。
しっくりくるな……。
「確かにそっちの方が可能性としては高そうだな。どうする、追うのか?」
ローもクラハドールの筋書きに対して納得の表情を見せており、俺たちはどうするのかと聞いてきている。
そうだな……。と思案しようとすると、
「まあ待てトラファルガー。この筋書きには続きがある。砂漠のど真ん中での取引だとすれば内容は相当きな臭いものだ。時間にも細心の注意を払うだろう。……この国を見ればでかい戦いのXデーが近いことはわかるはず。とすれば……」
なるほど、最後のでかい反乱騒ぎが始まった頃合いを見計らって取引ってわけか……。
ダンスパウダーを使って誰と何を取引しようってのか?
まあそもそもこの筋書き自体に確証はない。わが脚本家はまだドフラミンゴに会ってはいないのだから。
だが、こいつに賭ける価値はありそうだ。リスクをリターンが上回るな、決まりだ。
「船に戻るぞ。これからの諸々、方針会議だ」
俺たちがその快楽に見せかけた虚無を売る店を後にすると、外にはジョゼフィーヌが一人で突っ立っていた。
わが妹は店のそばで虚ろな瞳を湛えつつもぶつぶつと何かを呟いている男を見つめている。
男が突然、幸せになれる薬をくれと目を血走らせながら叫び始め、かと思えば苦悶の表情を見せて自分自身と国の憐れむような窮状を嘆きはじめる。
それをただ黙ったまま眺めているジョゼフィーヌ。だがその表情は何を考えているのかすぐにわかる。
こいつの優しくも厄介な感情って奴が頭をもたげ始めている。
「……ねぇ兄さん……。助けられない?」
ジョゼフィーヌの声音には哀しみが滲み出ている。
「……ダメだ。……ジョゼフィーヌ……、行くぞ。俺たちにはどうすることもできない。たとえ何かを感じたとしてもそれは俺たちがする仕事ではない。俺たちが全うする役割ではない。……あの凍えるような日にベルガーを出発したときに決めたよな。向かう先にいる奴らに到達するためには覚悟を持つ、腹を括るって。俺たちは俺たち自身を守りつつ奴らに向かうだけで精一杯の筈だ。この先こんなもじゃ済まない程の覚悟を試される瞬間が無数のように待ち構えているぞ」
そこで一旦言葉を切る。俺自身も覚悟を持って言わなければならないからだ。次に発するつもりでいる厳しい言葉は。
「……わかってる。……わかってるけど……でも……、目の前の一人を何とかすることぐらいはできるかもしれないわ。……だって人間だもん、哀しいじゃない」
ジョゼフィーヌの言葉は俺にも痛いほどに突き刺さってくる。……だが突き刺さった刃を引き抜いて腹から血を流すような思いで、
「……ダメだ。……何とかして感情のスイッチを切れ。…………おまえが本当は心優しいことを俺たちはわかってるから」
と心を氷のように見せかけて言葉を紡ぐ。
妹の瞳は哀しみに歪んでいる。多分心の中で涙している。俺も言う程に感情のスイッチの切り方をしっかりと習得しているのかどうかといえば何とも言えないところはある。
それでも総帥である立場上は俺がぶれる訳にはいかないのだ。
ローが無言で肩を貸し、何とか立ち直らせて俺たちは船へと戻った。
空気が乾ききった通りを歩いて……。
夜の帳が下りている時刻、俺の船室はランタンのオレンジ光に包まれている。
昼間の暑気とは打って変わって涼しさを漂わせているこの国の気候は何とも理解しがたいものがある。夕食も終えてこんな時間はゆっくりとウイスキーに舌鼓をうちたい気分ではあるが、そうも言っていられない状況である。
俺たちはソファに坐してテーブルを囲んでいる。俺が中央に、右方にはロー、左方にはクラハドール、対面のボード前にはジョゼフィーヌ。既に錨を上げているためロッコは当直で甲板に立っており、オーバンはこの会議内容を聞かせたくはないニコ・ロビンに付いている。
カールは小間使いを卒業してこの船室にはおらず新たな日課となった夜な夜なの鍛錬にべポを付き合わせていることだろう。
よってこの船室を切り盛りするのは新たに執事に就いたクラハドールである。3年の執事経験は伊達ではなく、今も手際よく人数分のコーヒーと若干1名分の緑茶を用意した後に席についている。
ネルソン商会の今後の方針会議……。
総帥、副総帥兼会計士、船医兼俺の右腕、参謀、俺たちの頭脳を集めての重要なものである。
「俺たちの目的はドンキホーテファミリーを潰すこと。さらに政府の五老星を引きずりおろすこと。これは言うまでもないが、アラバスタ突入を前にして、これから本格的に第一の目的ドンキホーテファミリーにぶつかる様相が見えてきている。それを踏まえて方針会議を始める。だが、その前にだ」
口火を切って、まずは俺から会議を行う目的を説明し、
「ロー、このタイミングでおまえにネルソン商会の副総帥となってもらいたい」
と重要な人事を伝える。伝えられた本人は寝耳に水ではあろうが。
「何言ってんだ、ボス。ネルソン商会だろ? ネルソン家の人間が務めるのが筋ってもんだ」
ローが当然のようにして受けられないとばかりに首を左右に振って見せながら反対してくる。
まあ、こいつのこういう反応はわかっていたことではあるが、
「ジョゼフィーヌと何度も話し合って決めていた事だこれは。あとはタイミングの問題だった。ネルソン商会だからネルソン家の人間が務めるなんていうのは下らないだろ。より相応しい人間が務めるべきであり、お前こそ相応しい」
と話を続けていく。
実はこれはローを迎え入れた瞬間から決めていたことでもある。時は流れて機は熟したということだ。当のローは黙したままであるが。
「……お前がわがネルソン商会に加入してくれて10年、色々あったよな。ベルガーを最後に出発してからこれまでだけでもさらに色々あった。お前が言うジョーカーを目前にして、俺の右腕であるお前を正式に右腕とするんだよ」
本当に色々あった……。筆舌には尽くし難い情景が次々と脳裏に浮かんでくる。
こいつも同じ情景を脳裏に思い描いているだろうか?
黙して目を閉じて俺の言葉に耳を傾けていたローはゆっくりとこちらを見つめると、
「わかった。あんたの頼みだ、受ける。受けてやるよ」
と言って、真っすぐな視線を寄越してくる。
ジョゼフィーヌも昼間の様な表情は微塵も見せておらず切り替わっており、頼もしくなった弟分を見守る姉の様な表情である。
いや待てよ……、小憎たらしい弟分を見つめる姉の様な表情……かもしれない。
実際、ジョゼフィーヌが会計士に専念することになっても、こいつらの関係性は大して変わりはしないだろう。俺たちが商会である以上会計士の言葉は絶対だからだ。ローもそれを理解できていればいいが……。まあ俺は高見の見物を決め込むだけだ、何とかなるだろう。
最初の懸念事項が首尾よく片付き、ようやくコーヒーに手を付けてから俺は改めて居住まいを正し、
「ではこれからの方針について始めようか。対ドンキホーテファミリーを考えるに当たって今一度奴らの状況を確認したい。ジョゼフィーヌ……頼む」
と、本題に移る旨を述べる。
ジョゼフィーヌは会計士として“
俺の言葉にジョゼフィーヌは頷きを返して、
「私たちはサイレントフォレストであいつらとオークション合戦をして負けたわ。あいつらは10億ベリーを普通の買い物をするみたいに出してきた。私たちが出せた限度額は8億ベリーがやっと。あいつらの資産規模は桁が違うのよ。多分1本ってところね」
と、右手人差し指を立てながら話し始める。
ジョゼフィーヌは玄人筋の商人が使うような表現を結構好む。1本っていうのは100億ベリーの事か……。
否、1000億ベリーの事だ。俺たちの全資産が今現在10億ベリーにも満たないことを考えれば全く話にならない戦いである。
「あいつらは“
ジョゼフィーヌの話は推測にすぎないが十分現実味がある。まあ100億単位はオーバーかもしれないが少なくとも数十億単位の取引はしていると考えられる。
「奴らの取引でもっともでかいものを潰して奪い取る必要があるな」
ローが言葉を挟んでくる。その表情は脳内の回転速度を速めている様子が容易に読み取れる。
「ちょっと、ロー。私が話をしているのよ。最後まで話させなさいよ。……とにかく、ローが横取りした通りあいつらの最大の取引を潰すしか私たちに勝機はないんだけど、肝心の取引内容まではまだ掴めていないわ」
やはり、こいつらの関係性は大して変わらないなと不思議な安心感を胸に抱きながらも考える。
そうなのだ。そこが最も重要ではあるのだが、こればかりは仕方がない。ヒナの報告書にも記載はなかった。海軍本部だけでは入ってくる情報には限りがある。ここはあいつがマリージョア入りしてからの情報待ちか、ドフラミンゴ本人に相対するかしかない。相対すれば俺たちには脚本家がいる。
「奴らに関する情報はまだ不完全だが、基本方針はそれでいく。俺たちはアラバスタ後には政府に対して意思表示をして四商海入りするつもりだ。そうなればジャヤを拠点化して、武器で取引を広げていく。W7でこの先に備えて新造船を発注する必要もある。そのあとはマリージョアへの進出だな」
俺が考えている展望に対してジョゼフィーヌ、ローが同意を示すようにして頷き返してくる。
ただ、クラハドールだけが黙したままであるがようやく口を開きそうな気配だ。
こいつは俺たちにどんな新たな側面をもたしてくれるのか?
「……この海に入ってすぐの岬で頭の上にめでたくも花を咲かせている男と出会った。視点を替えれば世界の見え方は180度変わる。これが奴との出会いから導き出せる言葉だ」
そう言いながらクラハドールはジョゼフィーヌにコーヒーのお代わりを注ぐという執事の役割もこなす。
「ドフラミンゴは“
……こいつは本当に興味深い考え方をする奴だな。
「ジョーカーを潰せばどうにかなる問題じゃねぇってことか。だがそうだとすると、俺たちは考え方を変えなきゃならねぇな……」
ローが考えを述べる。語尾を濁したのは何か思うところがあるのだろうか? とはいえこいつも興味津津であることは疑いようがない。
「貴様等、“
核心に迫りつつあるクラハドールの話はローへと矛先が向かい、向けられた当の本人はばつの悪そうな表情を浮かべながら、
「俺に出会ったときから想像できていたってわけか? ……、まあいいタイミングだ。これはミニオン島でのコラさんとの最後の日の話だ……」
ローの話によれば、ロシナンテはドンキホーテファミリーの商売相手に関するリストを海軍に渡そうとしていたらしい。結局それ自体は、渡した相手が何の因果かファミリーから海軍に潜入していたヴェルゴであったため握り潰されてしまったということだが。ロシナンテはそのリストを“
俺たちに話していなかったことがひょんなことから暴露したわけであるが、物事にはタイミングと言うものがあるので取り立てて気にはしない。そんなものは俺にもある。若干一名は鬼の形相でローを睨みつけているが。
それはさておき、俺たちも“
「コラさんの言葉とあの一件は俺の中でずっと引っ掛かっていたが、正直俺にはわからねぇことだった。……だが、お前の言葉で話が見えてきた。ジョーカーの裏にさらにバックがいる可能性がある。そしてそいつはあのリストが表に出てしまえば奴自体が消されるかもしれないぐらいのヤバい奴なんだな」
俺の過去へのプレイバックを遮ってローから言葉が出てくる。
「本当に危険な連中は名前が一切出てこない連中だ。奴らには名前を出させないだけの力がある」
クラハドールの言葉は妙に落ち着いており、それが現実感を伴ってうすら寒いものを感じさせる。
もしこいつの想像通りだと仮定すると、ドフラミンゴを潰せばその背後にいる連中をブチ切れさせることになるのか? それとも、そいつらはドフラミンゴを切ってしまって他の奴らと関係を持とうとするのか? 何にせよ闇の世界を揺さぶることになるのは間違いなさそうだ。
「脚本家、このアラバスタの件はどう見てる? 政府が感づいてねぇってことはあるのか? 俺にはそうは思えねぇんだが」
ローがジョゼフィーヌの視線による攻撃をどこ吹く風で躱しながら話を次の段階へと移してくる。
「……トラファルガー、おまえの直観は正しい。俺は今回の件は3階層に分かれていると考えている。ひとつめはクロコダイルによるアラバスタの国盗り、ふたつめはドフラミンゴによるその梯子外し、……そして最後に政府は全てを分かった上で様子見している。もちろん知っているのは政府の最上層部だけだろう。この件がこんなにも複雑怪奇なのは国盗りに裏があるからだ」
「……裏って何よ?」
ローへの視線攻撃を一時中断する程にクラハドールの話す内容はジョゼフィーヌの興味を惹いたらしい。
「……神の名を持つ古代兵器プルトンがこの島に存在するらしい。それが奴らの真の狙いだ」
古代兵器だと……。話がまた飛んでもない方向に向かいつつある。
「……ニコ屋からか?」
「そうだ。古代兵器と言う以上
ローとクラハドールのやりとりを聞きながら考えを巡らしてみる。
クロコダイルめ、大した悪党じゃないか。ドフラミンゴもプルトンをカードとして手に入れたいに違いない。奴も仲買人で終わるつもりはないのかもしれないな。
そもそも、古代兵器がアラバスタに存在するなどという情報をドフラミンゴはともかくとして、クロコダイルはどこから手に入れたのだろうかという疑問が湧いてくる。奴の背後にも何かが存在するのだろうか?
「問題は政府だ。今までに政府高官との出会いはねぇから、これは俺の推測にすぎないが、奴らもプルトンという強大な軍事力を欲しているんだろう。こういうのはどうだ? もしプルトンを手に入れることが政府にとって積年の野望だったとしたら、賢人で名高いネフェルタリの王は奴らにとって目の上のたんこぶだったはずだ。そこに今回の話、クロコダイルにしてもドフラミンゴにしても、プルトンに近付いた瞬間に、奴らに大義名分が生まれるんだ。その頃には厄介な賢人を倒してくれた奴らを罪に問う事で、プルトンも手に入り一石が二鳥にも三鳥にもなる状況が生まれる」
こいつはとんでもない筋書きを思い付くもんだな。
「……へぇ、古代兵器プルトンか。面白いじゃない、お金を生み出しそう」
ジョゼフィーヌがやけに興味を示して先走り始めている。頭の中でどんな算盤勘定をしているのか想像できるというものだ。
たしかにプルトンは俺たちにとってもカードになり得る。のちのちの対五老星においては。どのみちアラバスタ王には会う必要があったわけだ。ここでジョゼフィーヌがまとめ上げた海水淡水化装置の取引が意味を持ってくるな。
「……面白くなってきたな。あんたが言うように今回もでかいヤマになりそうだ。この後はどう動く?」
ローの言葉を皮切りにして俺たちはこの島においての動きの確認を夜が更けるのも構わずに続けた。
▼
“
いつの間にやら煙草の本数は3本目に達しておりそれもかなり短くなっている。気付けば横の物売りのお薦め品が絨毯から真っ白なターバンへと変わっている。俺が被る真っ黒なシルクハットを不憫に思い始めたのだろうか? とにかく何とかして俺に物を売りつけたいらしい。
そんな物売りの執念に対しても興味のない表情を見せて通りの情景を眺めていると、眼前にこの暑さでけだるげな表情をしたローが姿を現してくる。
「随分と手間取ったが荷揚げの人足手伝いは何とか話が付いた」
ローの声音は随分と疲れたものであり、交渉相手が百戦錬磨であったことが窺える。この手の交渉ごとは当然ジョゼフィーヌの領域だが、あんたが行ってきなさいよの一言でこうなってしまったようだ。どうやらネルソン商会では副総帥より会計士の方が偉いらしい。
さて……、そろそろ動くとするか。
このアラバスタの件が仮に上首尾で終わったとしても俺たちにはこの先にまだまだヤマが待ち構えている。ニコ・ロビンによればダンスパウダーの製造工場がキューカ島にあるらしい。そこを政府との取引材料にするために行かなければならない。
そして、ジャヤ……。
さらに、W7……。
あそこも問題だ。
あの島は既に島ではなく、何年か前に浮島となって移動可能となってしまった。今は“
まあまだ先の話だな……。
ひとまずはこのアラバスタ、そしてこのナノハナ。そろそろこの国に入っていそうな麦わらに一目会ってみたいものだ。ヒナの報告書によれば、奴らの一味は5か6名にアラバスタ王女となっていた。人数が確定していないのは“
「そうか、とんだご苦労だったなロー。さっき美味そうな料理屋を見つけておいた。確か『spice bean』って店だ。そこで休もう」
そう言って俺はローを労いながら立ち上がり、俺たちは通りを美味そうな料理屋へと歩を進めていく。
乾いた砂の感触を足裏より感じながら、クラハドールが可能性の問題として口にしたことが気になり、何気なく視線は周囲を警戒している。
政府が最後に勝ちを拾うつもりがあるなら、誰かを送り込んでいる筈であり、それはサイレントフォレストでのCPのような生易しいものではなくて、多分に五老星が直々に動かしている人間であろうと。
それこそ、最高峰の見聞色を習得しているような凄腕の諜報員が動いている可能性があると……。
そんな奴が本当に存在するのか……?
何にせよ、今回のヤマも相当でかいものになるのは間違いなさそうである。
読んでいただきありがとうございます。
次回に何が待ち受けているかはお察しのとおりでございます。
誤字脱字、ご指摘、ご感想、よろしければどうぞ!!