ネルソン商会記 ~黒い商人の道筋~   作:富士富士山

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第30話 16年前、誇りと現実の狭間にて

偉大なる航路(グランドライン)” サンディ(アイランド)北東部

 

 

 

「フッフッフッ……、やっと来たか。待ちくたびれたぜ……。……さぁ、てめぇらが望んでた“1億を越える首”だ。取引といこうじゃねぇか……」

 

 人が生きていけるかどうか疑わしい灼熱砂漠の真っ只中とはいえ、暗闇に支配されたその場所はどちらかと言えば寒かった。昼間は照りつける太陽によって地獄が如く熱気に覆われていたであろうが、夜の帳が下りて漂う外気は冷やされており、吹き(なび)く風が静かに砂を舞い上げている。

 

 ローの能力によって“ポイント”に足を踏み入れたところで、俺たちの耳に入ってきた声の主は正面左側で円卓に足を投げ出していた。その主な出で立ちは随分と特徴的で、短く刈り込まれた金髪、身に纏うピンク色の羽コート、両の目を覆う赤紫色のサングラス、さらには忘れもしない表情が側で燃え盛っている篝火(かがりび)によって、はっきりと目に飛び込んでくる。

 

 紛れもなく……奴、ドンキホーテ・ドフラミンゴが俺たちの前に存在していた。

 

 奴が座る円卓の対面には、もじゃもじゃ髪にバンダナを巻き、髭を自然の伸びるままにして胸前をはだけ、何ともだらしのない格好をした奴。

 

 紫の髪にマスクを被った奴。ブーメランの様な帽子を被ってタイを締め、右目のレンズの方が大きい特異なメガネを掛けた奴。ハット帽を被り白髪を左右に垂らして今にも死にそうな表情をしている奴。

 

 それに“静寂なる森(サイレントフォレスト)”で出会った奴。以上の5名が鎮座している。一様にしてドフラミンゴと頭の位置が大して変わらずであり、優に3メートルに届こうかという大男であろう。

 

 こいつらが黒髭海賊団の面々なのかもしれない。奴らが囲んでいる円卓の中央にはこれ見よがしに宝箱がひとつ置かれている。

 

 だが問題なのはそんなことではないのだ。空席が3つ存在しているのである。ドフラミンゴが放った言葉は取引相手に向けられたもの。一体どういうことだろうか?

 

 

「ゼハハハハ、確かに“1億を越える首”だ。有難ぇ、探す手間が省けるってもんだぜ。悪くねぇ取引だな……」

 

 この場の状況を理解しようと頭を巡らしている中へ、もじゃもじゃ男の言葉が乱入してくる。

 

 俺たちは奴らの取引に殴り込みを掛けたつもりでいたのだが、どうやら俺たち自身が取引の対象であり、飛んで火に入るなんとやらが如く招き寄せられたようである。

 

 ナギナギの実はあの宝箱の中にあるのだろう。焚かれている篝火(かがりび)の爆ぜる音がしないのだから。ナギナギの実を持っていったのはあのマジシャン風の男。奴はドフラミンゴの命で動いていた筈。であるのにただの受け渡しではなくて()()という形になるということはどういうことか?

 

 それは多分に奴らの関係性に何かしらの亀裂が入っているということだろう。もしかしたら奴の慕う相手がドフラミンゴではなくなっているということなのかもしれない。

 

 ラフィットという名らしい男が慕う相手は黒髭へと代わっており、ドフラミンゴにナギナギの実を引き渡すのに条件を付けてきたのではなかろうか。

 

 そしてドフラミンゴはドフラミンゴで是が非でもナギナギの実を欲していて、1億を越える賞金首を用意するという条件を呑むことにして、ダンスパウダーをエサに使って俺たちをこんな場所まで招き寄せたのではないだろうか。

 

 奴の背後にはテントが張られており、その横には台車が停まっていて巨大な袋が(うずたか)く積み上げられている。それがダンスパウダーでなければ一体なんだというのか。

 

 とはいえ、こんなことは考えても仕方がないことでもある。何にせよ俺たちがやって来ることをドフラミンゴは知っていたということに変わりはない。

 

 俺たちのやるべきことはダンスパウダーと一度は逃したが突然降って湧いたように再出現したナギナギの実を手に入れて、さっさとここを後にすることである。長居すればするほど俺たちの命は危うくなると考えた方がいいだろう。

 

 

 最大のチャンスというのは一番最初にやってくるものだ。

 

 

 俺の考えを言葉を発さずとも理解しているかのようにしてローが右手人差し指を前方に伸ばし、

 

「タクト」

 

ドフラミンゴの背後で砂に沈み込むようにして停まっている台車を軽々と宙に浮かせ始め、さらには左手で前方を掴むような仕草を見せた後に、

 

「すぐに戻る」

 

と短く言葉を放って、

 

「シャンブルズ」

 

宙に浮いていた台車、円卓の上に置かれていた宝箱、さっきまで横で両腕で別々の動作をしていたローの姿が一瞬にしてこの場から姿を消した。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

「急げっ!! 台車を客車の後ろに繋げるんだ」

 

 時間は1秒でも惜しい。

 

 あの場にボスを一人残したままにするのは非常に危険だ。正直何が起こっても、話がどういう方向に転がっても不思議じゃねぇ……。

 

 能力によって俺自身とダンスパウダーを積んでいるであろう台車、そしてナギナギの実が入っているであろう宝箱と同時に3つのものを入れ替えて、亀のバンチへと戻り指示を出す。

 

「べポ、ロープ!!!」

 

「了解ですっ!!」

 

 既に客車の外に出ているジョゼフィーヌさんが車内から持ち出したランタン片手に、客車の上に立っているべポに声を張り上げる。

 

 べポも客車上から、台車そばへと移動した俺に向かってロープを投げ寄越し、そのまま飛び下りてこちらへと向かってくる。クラハドールとカールも直ぐに近寄ってくる。

 

 緊迫した状況の中で皆の動きは相当に機敏だ。

 

 4人で手際よく台車と客車をロープでしっかりと繋ぎ、バンチが両方を牽引出来る状態にする。その傍らでジョゼフィーヌさんは台車に積み上げられた巨大袋にランタンを翳しながら自身の刀を差し込んで、中身を丹念に調べている。

 

「うん。間違いない。ダンスパウダーだわ」

 

「よし。クラハドール、俺たちは戻るぞ。ジョゼフィーヌさん、直ぐにでも南へ抜けてくれ。多分、パンク野郎がバイクに跨って待ち受けてるかもしれねぇがな。どうするかは任せる……」

 

 作業を終えて2人に指示を出し、

 

「カール!! こっちへ来い」

 

砂の上で佇んでいる宝箱に近付いていく。

 

 

 一瞬だけ瞳を閉じ、在りし日のあの人を頭の中に浮かべた後に蓋を開ける。中に入っているのは歪な程に綺麗な球体の形をした果実。

 

 間違いねぇ……、“静寂なる森(サイレントフォレスト)”のオークション会場で見た悪魔の実そのものだ。

 

 

 コラさん……、久しぶりだな……。

 

 

 ミニオン島で最後に見たコラさんの姿は雪の中で冷たかった。あの姿を見たときに俺は誓いを立て、その相手が直ぐ近くにいるのだ。

 

 背後にカールが立っている気配が感じ取れる。感傷に浸っている時間は俺たちにはない。

 

「……なぁ、カール。……おまえ、ナギナギの実に興味あるか?」

 

 カールに背を向けたまま、敢えてゆっくりと言葉を紡ぎ出してみる。時間がないことは百も承知の上でだ。

 

 

 カールの返事はない。だが、否定の言葉が返ってくるわけでもない。迷ってんのか……。

 

「カール……。生きてく中で本当に重要な決断ってのに許される時間はな……、5秒もねぇぞ」

 

 

 イチ……。

 

 

 ニ……。

 

 

 サン……。

 

 

「頂きますっ!!!!」

 

 3秒間を心の中で数え上げたところで、“少年”ではなく“男”の決断を下した声がはっきりと聞こえた。

 

 振り返ってみればそこには凛々しい面構えをしているカールの姿が認められ、俺は球体の実を渡して歩を進める。

 

「……まぁ、食えたもんじゃねぇだろうけどな……」

 

 背後で噛り付く様子を見せているカールへ向けて、経験者として一言添えておく。

 

 

 程なくして、

 

「ロー船医、これすんごい不味い~っ!!!!!」

 

カールの叫びが嗚咽と共に飛んできた。

 

 

 俺たちにまた一人能力者が加わった瞬間である。

 

 

 

「カール!! おいで。出発するよ!!!」

 

 今の俺たちには余韻を楽しんでいる時間も存在しない。

 

「奴がナギナギを本当に欲してんなら、実そのものでなくとも、食った奴そのものを奪りにくることも考えられる。奴は何とか俺たちが止めるから、出来るだけ南へ行ってくれ」

 

 その言葉を残して俺とクラハドールは再び戻る。

 

 

 落とし前をつけなきゃならねぇ奴の下へ……。

 

 

 

 

 

****

 

 

 

 

 

「……悪いな、あいつは今や()()()()なもんでね。取引対象のもう片方が消えてしまったな。……さあどうする、ドンキホーテ・ドフラミンゴ?」

 

 この場から3つのものが同時に姿を消した後で、俺は意地悪くもそんな言葉を奴に投げ掛けてみる。

 

「冗談は程々にしとくんだな。ガキが図に乗って生きていけるとでも思ってんのか?! ……フフッ、フッフッフッ、だが()()としちゃあ上出来だ……。これでも俺は嬉しいんだぜ、久しぶりにお前に会えて……。お前の頬に傷が残ってんのを確かめることが出来てな……」

 

 取引が成立しない状況に陥りつつあるにも関わらず笑っている奴の表情、指をサングラスに当てる仕草、投げ掛けられてくる言葉。

 

 

 俺とドフラミンゴが久しぶりの()()であるというのを知っているのは俺自身だけだ。

 

 

 あの日のことを口外したことはない。

 

 

 

「ここは砂の王国だが……、今の時間はこんなにも寒い。……フッフッフッ、そしてあの時はもっと寒い日だった」

 

 

 一拍置いて放たれた奴の言葉は俺に呪いでも掛けるようにして向かってくる。

 

 

 奴があの日のことを持ちだしてくるであろうことは想像が付いていた。

 

 

 あの日のことは墓場まで持っていくつもりだった。

 

 

 ()()()ではない今でもそう思っている。

 

 

 あの日、あの場所は確かに寒かった。今よりもずっと……。

 

 

 まざまざと甦ってくる情景……。

 

 

 己が踏みしめている、辺りを覆い尽くしている砂が次第に真っ白いものに見えてくるのは気のせいだろうか?

 

 

 16年前……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北の海(ノースブルー)” スパイダーマイルズ

 

 

 

 父が亡くなったことを知ってから6年、自分の商売を始めるために海に出てから1年が経とうとしている。

 

 

 商売の状況は芳しくない、否、最悪と言っても過言ではない。

 

 

 当主がいなくなったことでベルガーの名は地に堕ちた。“北の海(ノースブルー)”において栄華を欲しいままにしていたにも関わらず、今や嘘のように忘れ去られつつある。

 

 

 故に俺たちはゼロから始める必要があった。

 

 

 ネルソン商会として……。

 

 

 そして、ゼロから始める者が出来ることはたかが知れていたのだ。

 

 

 

 俺たちが商売で扱うものは、否、()()()()()は魚肉。この海において魚は掃いて捨てる程に獲れるものだが、ほとんどの人間は見向きもしない。

 

 魚の肉を食するのは主に社会の底辺で暮らす者たちだ。よって売れたとしても手元に残るのは雀の涙にしかならない。魚肉を使って利益を出そうと思えば、それこそ腐るほどに売る必要があるわけだが、そもそもに需要があまりない。

 

 さらには俺たちが使っている船はいつ沈んでもおかしくないようなぼろい小舟、ハンザ・コグである。これで利益を出そうということが土台間違っていると言っていい。

 

 利益は全くと言っていいほど出ない。時には赤を出す。となると無理をしてでも売ってトントンへと持っていく。この繰り返しでしかない。嫌になる程の無限ループ。

 

 行く先々の市場で買い付けを行うわけだが、魚の肉は本当に隅に追いやられている。メインは牛の肉であり豚の肉なのだ。それらは上流階級が好んで食すものであり、必然と高値で取引されていく。

 

 身なりの良い奴らが市場の中央で牛肉や豚肉を買い付けて行く姿を横目に見ながら、俺たちはみすぼらしい(なり)をして市場の端で細々と買い付けをしている。

 

 そして身体にこびりついてしまっている臭い。魚の生臭さが俺の身体全身から醸し出されている。

 

 誇り、プライドがズタズタに切り裂かれていく日々。

 

 

 

 とはいえ、皆はよくやってくれている。

 

 ロッコがいなければ俺たちは海へ出ることさえ叶わなかったであろう。

 

 ジョゼフィーヌがいなければ魚肉で利益を出すことさえ覚束なかったであろう。

 

 オーバンが作る美味い食事がなければ、俺の心はあっという間に打ち砕かれていたであろう。

 

 

 俺が何とかしなければならないのだ。この現状を打破する起死回生の何かを引き起こさなければならない。

 

 

 

 そんなところへ降って湧いてきた話があった。相手は“北の海(ノースブルー)では知らぬ者などいない、ドンキホーテ・ドフラミンゴからだ。ドフラミンゴ自体は仲介者であるが、依頼主の要望に応えれば報酬がもたらされるという。その額なんと1億ベリー。

 

 第一印象として悪い話ではないなと感じていた。ドフラミンゴが相手というのは得体が知れないところは確かにあるし危険を伴う可能性は大ではあるが、今の俺がそんな贅沢を言っていられる身分にないことは痛いほどに分かっていた。これは千載一遇のチャンスではないのか……、そういう思いも多分にあった。

 

 こうして俺は今港町スパイダーマイルズに来ている。もたらされた話を受けるべく、たった一人で……。

 

 一人で行くことにしたのは要らぬ心配を皆にさせないため、リスクは己一人で背負いこむつもりでいた。

 

 

 

「ガキがウイスキーなんざ飲みやがって……、何の冗談だ、オイ」

 

 待ち合わせに指定されたバーのカウンターで柄にもないものを飲みながら思考の深淵に転がり込んでいたところへ、一枚扉を押し開く音が聞こえたと同時に声が聞こえてきた。

 

 顔を向けてみれば、金髪に鋭角のサングラスを掛けて、ピンク色の羽コートの中に黒シャツを羽織り深紅のタイを締めた男。傍らには丸サングラスを掛けて……とにかくベトベトした何とも下品そうな男が居る。

 

 これがあのドンキホーテ・ドフラミンゴか……。ベトベトした奴は部下なんだろうがどうでもいい。

 

「趣味だ……。悪いか?」

 

 精一杯の強がりと粋がりを言葉にして返しはしたが、正直きつい。

 

 だが不思議と胸に沁み込んでくるものが感じられるのはなぜだろうか?

 

 

 そんな俺の思いなど掻き消すようにして二人は無遠慮に俺が座る両側に腰を下ろしてくる。

 

 店内に他の客はいない。カウンターの向こう側に老いたマスターが居るだけである。決して明るいとは言えないが、かといって相手の様子が見えないわけでもない。

 

「いいや。……虚勢を張るのは自由だ。……お前がネルソン・ハットだな、ベルガーのところの」

 

 俺の左側に座って即に出された赤ワインを嗜みながらドフラミンゴは見透かすような言葉を投げ掛けてくる。

 

「んねーんねーお前ベルガー同盟の御曹司だって? 見る影もねーなー。本当にベルガーの人間か? 本当に? 本当に? んねー」

 

 俺の右側に座るなりベトベトした奴はそのベトベトを所構わず擦りつけるような近さで迫ってくる。

 

 近すぎるし、うざすぎる……。

 

「お前をここへ呼んだのは他でもねぇ、お前に俺たちの()()()()()()()()()からご指名が入ってな。ここへやって来たってことは話を受けると捉えて構わねぇよな?」

 

 俺のベトベト具合などお構いなしにドフラミンゴは話を続けてくる。どうやらベトベトの奴はこれが正常な状態らしい。

 

「詳しい内容を教えてくれ。1億を出すなんて余程のことだろ」

 

 俺としては至極尤もな質問をぶつけてみるのだが、当のドフラミンゴはワイングラス片手に俺の方を真顔で見つめながら、

 

「おまえの目……、足りねぇな。まだ地獄を見てねぇ目だ。それに……、0を1にするより、100を200にする方が笑えるくらいに簡単な事はわかってんだろ?」

 

 そんな言葉を発してくる。

 

 足りない? 足りないって何だよ……。俺の目が地獄を見てないだと。俺のこれまでの16年間の内、最近の6年間は十分地獄と言えるものだった。それでもまだ足りないと言うのか。

 

 地獄を味わえば1億ベリーが手に入るとでも言っているのか。

 

 だが後半部分に出てきた数字の自明の理は納得するしかない。その通りだ。俺は0を1にする塞ぎ込みたくなるような苦しみを放り投げて、何とかして100を200にする段階へと進みたくて仕方がないのだ。

 

「ああ、分かってる。嫌という程分かってるよ。話は受ける。そのためにここまで来た」

 

 俺には端から選択肢はひとつしかないのだ。どう考えを巡らせようとも……。

 

「フフフッ、決まりだな。場所はこの町の“ダンスホール”だ。もちろん、依頼はダンスの相手じゃねぇけどな……」

 

 ドフラミンゴがワインを飲み干したあとに言ったその言葉を俺は聞いているようで聞いてはいなかった。

 

 なぜなら、俺が飲むウイスキーグラスの前に置かれているボトルのラベルに記されている原産地がベルガー島となっていることに今更ながら気付いたから。

 

 それは何だかこの先の成功を約束してくれているような、そんな気がした……。

 

 

 

 

 

 雪が舞っている。雪が降り積もっている。

 

 

 ドフラミンゴは確かに場所はダンスホールだと言ったが、ここはどう考えてもスケート場であり、屋外であった。

 

 

 連れて来られたのは特設会場とでも言うべきところであり、真っ白な氷の一面をぐるりと柵と所々の柱で取り囲まれている。ただ柵の向こう側は黒い幕が下りていて見えなくなっており何とも不気味な空間だ。

 

 奴はただ要望に応えればいい、簡単な事だと言っていた。

 

 だが入って早々、俺には悪い予感しかしない。

 

 

 突如として、柵を取り囲んでいた幕が開くと同時に、柱に備えつけられていたランタンに火が灯っていく。柵の向こうに存在しているのは大勢の人だ。しかも皆一様にして仮面を被っているではないか。

 

 観衆というわけか、ショーを始めるってわけなのか?

 

 程なくして、俺が入って来た入口から見知らぬ奴が入ってくる。こいつも当然のように仮面を被っている。だが右腰には剣を差し、左腰には拳銃を差しこんでいる姿からは、さらに悪い予感しかしてはこない。

 

 

 雪はただただ淡々と舞い降りてきている。

 

 

「抵抗はするな。ただ言われた通りにすれば、それでいい」

 

 地獄から這い出てくるような声音で言葉を投げ掛けられて、俺は頷くことしかできない。

 

 四方八方から俺を見つめる目を意識してならない。

 

 俺は氷上で無抵抗のまま、両手を後ろ手に縛られていく。

 

 

 悪い予感は今や確信に変わりつつある。

 

 

「お前の父親はネルソン・ボナパルトだな?」

 

 “ショー”はとても静かな声音で始まりを告げた。

 

「私の父親、ネルソン・ボナパルトはーっ!!!!! 最低のクソだったーっ!!!!! さあ言えっ!! 叫べっ!!! 力の有らん限りにな」

 

 突然にして、両腕を盛大にも広げて見せながら奴が大音声で叫びを上げる。

 

 

 何を言っている?

 

 

 俺の頭の中は一瞬にして真っ白になる。

 

 

 だがそれさえも許さずに、奴は目にもとまらぬ速さで右腰の剣を抜くと俺の右腕に切りつけてくる。

 

 

 切りつけられた傷口から滴り落ちる鮮血……。

 

 

「どういうつもりだ?」

 

 

 わけが分からず俺はそんな言葉を口にする。

 

 

「“余興”だ。とびっきりのな……。さあ、叫ぶのだ」

 

 

 狂っている……。

 

 

「私の父……」

 

 

「小さいっ!!!」

 

 

 再びの剣閃が俺の左腕を切り刻んでくる。真っ白な氷上に点々と深紅の円が描かれつつある。

 

 

 狂ってやがる……。

 

 

 こいつは、こいつらは父に恨みでもあるっていうのか? 

 

 

 何だ? 何だっていうんだ? 

 

 

 1億ベリー、俺たちの商売、ドフラミンゴ、ベトベトした奴、亡き父親、ベルガー同盟、御曹司、魚肉、身なりの良い奴ら……。

 

 

 1億ベリー……、1億ベリー……、亡き父親……。

 

 

 頭がまともに働かず、ただただ単語の羅列が脳内を駆け巡る。ベリーの札束と亡き父親の面影が交錯していく。

 

 

「言えっ!!! 叫べっ!!! ネルソン・ボナパルトは最低のクソだったーっ」

 

 

 今度は左膝に刻まれる血線……。

 

 

 

「私の父親、ネル……ソン・ボナパルトはーっ!!!!! 最低のクソだったーっ!!!!!!」

 

 

 俺を縛り付けていた何かの(たが)が外れて、狂気に身を委ねる。

 

 

 痛み……。

 

 

 剣による切り傷だけではない。今度は拳銃から放たれた弾丸が俺の右頬を抉り取っていく。

 

 

「いいぞ!! もっとだ!! 何度でも、何度でも、叫び続けるのだっ!!!!」

 

 

「私の父親、ネルソン・ボナパルトはーっ!!!!!! 最低のクソだったーっ!!!!!!!」

 

 

 そこから何回叫び続けたのかは数えようもない。

 

 

 罵り、嘲り、観衆からの悪意に満ち満ちた視線……。

 

 

 身体の痛み、心の痛み……。

 

 

 何がどうなっているのか、何がどうなのか、俺は誰なのか、俺は何をやっているのか……。

 

 

 ただただ狂っていた。狂いに身を任せた。狂気の行き着く先の先へとただ只管に進み続けた……。

 

 

 

 

 

 その狂いの果てに……、

 

 

 

 

 

「約束通りの1億ベリーだ。受け取れ……。いい余興だった。…………父親なんざクソだ……。最低のな……」

 

 ドフラミンゴがそう言い残し、ベリー札の詰まったアタッシェケースを置いて去って行った。

 

 

 雪はまだ舞い降りている。ただ只管に……。

 

 

 氷上にも、柵の向こう側にも、既に誰一人として存在してはいない。

 

 

 アタッシェケースは開いており、整然とベリー札が敷き詰められている。そこに舞い落ちる雪……。

 

 

 空虚だ……。

 

 

 1ではなく100を俺は手にしたのだが、とてつもなく空虚だ……。

 

 

 誇り……。

 

 

 現実……。

 

 

 容赦のない現実を前にして……、俺は誇りを失った……。

 

 

 自然と涙が溢れ出てきているのがわかる。

 

 

 切りつけられた、抉り削られた痛みなど、どうだっていい……。

 

 

 空虚で、ただただ只管に空虚で、心の奥底に存在していた筈のものが削り取られた痛みに比べればどうだっていい……。

 

 

 氷上の深紅が凍ろうとも、俺の涙が凍ることはなかった。

 

 

 

 

 その後から俺は煙草に逃げ場を求め始めた。己の体内に悪いものを取り込み、少しでも心に罰を与えてやる意味においてもだ。

 

 

 

 そして、ベルガー島へと戻り皆にこう告げた。

 

「俺たちのウイスキーを作ろうじゃないか」

 

 少しでも誇りを取り戻さんがために……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

偉大なる航路(グランドライン)” サンディ(アイランド)北東部

 

 

 

 あれから16年か……。

 

 真っ当に商売を始めてそれを軌道に乗せ、ドフラミンゴの影を嗅ぎ回ってロシナンテに辿りつき、ローを迎え入れ……。

 

 

 ようやく()()までやって来た。

 

 

 ()()まで戻って来た。

 

 

 奴は目の前にいる。

 

 

「待たせたな」

 

 

 能力でこの場に戻って来たローもいる。クラハドールもいる。

 

 俺の右腕と左腕だ。

 

 

「カールが食った」

 

「ああ、そうか」

 

 ほんの短いやり取りでも深く意思を確かめ合うことができる奴らがいる。

 

 

 こいつもこの場で思うところはごまんとあるだろうが、そこに言葉は必要ない。

 

 

 奴は笑みを浮かべている。

 

 

 

 クソ食らえだ……。

 

 

 だが今は、

 

 

「ゼハハハハ、何があったか知らねぇが、てめぇらの首で成り上がらせて貰うぜ」

 

 

このもじゃもじゃ髪をした黒髭とやらをどうにかすることが先決だ。

 

 

 己の魂に誇りを纏って……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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