偉大なる航路 『中枢地域』 シャボンディ諸島
「イット―、久しぶりだな。お前とこんな場所で再会することになるとは思っていなかったよ。ジョゼフィーヌが知れば泣いて喜びそうなものだがひとつ聞いておきたい。お前が借金取りとは一体どういう了見だ?」
顔には白粉、力強く描かれた黒眉、目の両端が赤く塗られ、深紅の着物を羽織ったイット―に尋ねるべきことは多い。銀髪垂らすこいつはどういう経緯なのか定かではないが、俺たちの幼少期にベルガー島へと現れた。ジョゼフィーヌの剣の師匠のようなものを務めていたがある時忽然と姿を消している。
「ジョゼフィーヌがおるんは知ってるんやけどなぁ。せやかて今は仕事が先なんや。闇金王のル・フェルドから話は聞いてるさかい。ハット、実はネルソン商会の借金150億ベリーはわてらで買い取ったんやで。ル・フェルドは福の神とか言われてるらしいけど。そりゃそうやろ。あいつはといちでやってるさかいなぁ。せやけどわてらはそないな温いことは言わへん。いっとやで。今丁度、0時を回ったさかい、利息は20億ベリーで170億ベリーや。せやから耳揃えて早う払わんかいって話どすえ」
「イット―だけにか。ふざけやがって、どこの世界に1日10億ベリーの利息を付ける奴らがいる」
「イットットッ、ほんまやなぁ。ハットにしてはおもろいこと言うやないか。まあでも、ここにわてみたいな奴がおるんやから諦めなはれや。ほれ、しょーもないこと抜かしてんと、払うんか、払わんのかどっちにするんや? わてはいらちなんやで。早う決めんと、この一物抜き晒してまうで」
腰に差した刀の柄に手を掛けながら脅してくるイット―の目は細まっていく一方だ。実に厄介な事になってきた。借金取りが早々に現れるであろうことは予期していたが、まさかその相手がイット―になろうとは思いも寄らなかった。当然ながら今ここで170億ベリーなど払えるわけはない。今ここでなくとも払えるカネを持ち合わせてなどいないのだ。俺たちのカネはまだ15億ベリーでしかないのであるから。コールに応え始めているので、もしかしたら鰻登りで入金は増えているかもしれないが、たとえそうだとしても170億ベリーには到底及ばないだろう。
結論、イット―が言うあの一物とやらに対峙するしか道はなさそうであった。
辺りに目を配ってみれば、残骸と化したガレーラ事務所の跡地から火の手が上がっている。この一帯は造船所とコーティング職人の作業場がひしめき合う一画。深夜のこの時間帯はさすがに真っ暗闇となるはずだが、燃え上がる炎が辺りを照らし出している。湧き上がるシャボンの存在を。天高く聳え立つヤルキマンマングローブの幹を。その上で生い茂る無数の葉を。
そして傍らにてアイスバーグを背負って立つクラハドールを。ガレーラの社長を休ませるためのベッドは俺が蹴りだしたことでどこかへと吹き飛んでしまっていた。俺が背負ったまま守りながら戦うことは不可能に近い。いつかのローのような芸当を真似する気にもなれない。ゆえにその役目はクラハドールに負わせるしかないだろう。
「で、俺の眼鏡は誰が上げるんだ?」
「ンマー……心配するな。俺が上げてやる。どうだ? こんなもんか?」
両手が塞がった状態になったため、ずり下がる己の眼鏡を心配するクラハドールに対して、背負われてるアイスバーグが背後から眼鏡を上げてやっている。どうやらぴったりの位置があるようで加減が難しいらしい。
まあ取り敢えずは仲睦まじくやっているので何よりだが、それはつまりクラハドールは戦闘参加が不可能になったということであり、この場で戦えるのは俺だけになったということでもある。戦局はこのままでは2対1となるのは必定。余裕があるかと踏んでいたこの戦いも、あっという間にいつもの地獄を駆け抜けるようなものへとなりつつあった。
「イトゥー会か、しばらくだな」
そこへ放たれたアイスバーグからの言葉は俺の思考を中断させるには十分の内容で、
「あんた、イット―を知っているのか?」
直ぐ様問わずにはいられない。
「ンマー……そういうことだ。俺が“ベクトル”を教わった相手はこの男だからな」
「よう見たらアイスバーグやないか。そう言えば、そないなこともあったなぁ」
人間驚くべきところで繋がっているものだ。ただそうなるとイット―は“ベクトル”とやらを操るということになる。しかも相当な手練れということに。
「割り込んで申し訳ないが、俺たちの借金を取り立てたいというのであれば、さっさと解放した方が良いのでは? ここに留めても金は入ってこないでしょうに」
クラハドールが本題へと押し戻すようにして尤もなことをぶつけてゆく。
「そらそうやなぁ。まあ正論やで。……それはつまりはや、……払えんと、そういうことでええか、ハット?」
イット―からの問いは最後には相当ドスが利いたものとなる。とはいえ、凄まれたところで俺たちには首を縦に振るしか答えは存在していない。
―――プルプルプルプル―――
で、このタイミングで掛かってくる電伝虫。まさかのコールかと戦々恐々とするも相手はヒナ。とはいえ、出ないわけにはいかないだろう。このタイミングで掛かってきたというところに尋常ではないものを感じてならない。何とかしてクラハドールにも聞かせたいところだが生憎アイスバーグと一緒だ。だがそれでも背に腹は代えられないだろう。よって、クラハドールに頷いて見せれば、奴はすまんと断った上で背に負うアイスバーグに肘打ちを食らわせた。多分に最大限のモヤモヤを行使して。つまりは瞬間的に覇気を使って。そうして一時的にアイスバーグの意識を刈り取った上でヒナの声に耳を澄ましてゆく。
「かなんなぁ。自分らは四商海になったんやから、金はどんどん入って来るんやろうけど、わてらは今必要なんや。ほんま、いらちやさかいに堪忍やでぇ。こうなったら自分らのそっ首斬り落としてから、ぶら下げたもん“青い薔薇協会”に持ってってどうにかするしかあきまへんなぁ。って聞いてんのかいなぁ?……まあええわ、せや、あんたはんはどないするんや?」
イット―が俺の答えに対して戦慄ものの言葉を並べ立てたことは何とか辛うじて聞き取れてはいる。だがヒナが短い言葉に凝縮して伝えて来る内容の方が更に戦慄ものであったのも確か。この170億ベリーの借金を生み出した取引の背後に潜んでいたとんでもない計画と俺たちが陥ろうとしている窮地。クラハドールは凄味を増したかのような笑みを浮かべており、今にも声高らかに笑いだしそうだ。脳内を急速に駆け巡ってゆく有象無象を少しだけ脇に置いて、イット―が水を向けた相手に意識を傾けてみる。今まで押し黙ったままであったドフラミンゴの女に対して。
「私は私の仕事をするだけよ。その意識を失った男の命を貰い受ける。ただそれだけ……」
奴の妖艶な笑みは変わらずであり、燃え上がる炎に照らされてそれは官能的ですらある。
「そらええわ。ハット、わても昔の縁より目の前の仕事の方が優先や。……ほな、行こかぁ」
――――来る――――
敏感に察する己の見聞色が脳内に響かせる大音量の警報を感じ取り、クラハドールに目で合図を送った瞬間には剃からさらに斬へと入る。
考えなければならないことは山程に存在するがその一切を脳内から閉め出して眼前の二人に集中する。ヒナから齎された内容を咀嚼して吟味して思考を重ねていく役割はクラハドールへと託す。でなければここで生き残れない。アイスバーグの命も守れないだろう。
刹那の中を駆け巡りながら連発銃を取り出して発射するという一連の動作を最速で終えて、
「音速銃 黄金速射」
放つは王気を瞬間で最大限纏って音速を凌駕する一発。狙うはこの場で最も危険な相手であるイット―ただ一人。
目には見えぬその黄金弾を気配だけで感じ取り直ぐ様に、
「追跡放物線 黄金……」
追跡を掛けようとしたところで、襲い掛かる何かに意識を刈り取られるような衝撃を与えられた。
気付けば俺は突っ伏していた。
視界に入るのは彼方で炎によって仄かに赤く見えるマングローブの葉。瞬間には腹に受けたらしい傷が痛みを知覚させる。間違いなく血を流していることだろう。また何でかは知らないが頬の傷まで痛みだしており、俺は二重の痛みに衝き動かされるようにして起き上るしかない。あれは確かに斬撃だった。
そして状況は最悪だった。
なぜならクラハドールも戦わざるを得ない状況に追い込まれていたからだ。相手はヴァイオレットと名乗った女。そういえば斬に入った瞬間にあの女も戦闘態勢に入ったことを感じることが出来た。辛うじて聞こえていたような気もする。
―――十二拍子の蹴り―――
と呟いたのを。
アイスバーグはどこから持って来たのか壊れかけたような木製ベンチに横たえられていた。その周りで円を描くようにしてクラハドールは蹴りの猛襲から辛うじて守っていた。護衛をかなぐり捨てるところをギリギリのところで何とか踏み止まっているそんな状態だ。相手は明らかに覇気使い。クラハドールの奴はモヤモヤの最大限を使わざるを得ない状況へと追い込まれているに違いない。それにそんな能力行使はそう長くは保たないはずだ。
かなり拙い状況と言えた。
そうやってこの場を絶望一歩手前の状況であると確認したのちに、これを作りだした根源を見やる。
「何をした? あれは何だ?」
切迫した状況が俺から冷静さを奪い取りつつあるのかもしれない。言葉が細切れにしか出てこない。
「そこに横たわる奴が言ったことそのもんや。“ベクトル”。わての故郷では流桜とも言うんやけどなぁ。知ってるかぁ? 覇気には実体があるんや。せやから覇気は運ぶことが出来るんやで。流すことが出来るんやで。この王気纏う黒刀“甕割”。この中でも王気は流れ、運ばれてるんやで。これを外側へ運ぶとどうなるんやろうなぁ?」
イット―の真一文字の唇が最後には吊りあがり、禍々しくも黒く変色した奴の刀は振り上がってゆき、
「イット―流」
そのまま振り下ろされる。
飛ぶ斬撃。
己の見聞色が何とかそれを察知する。
直後、
一直線に抜けてゆく気配。
それは空気を真っ二つに、地を真っ二つに、直線上にあるヤルキマンマングローブの幹を真っ二つに、
した上で刹那のあとには、
弾くように、爆発させるかのようにして、その一直線の両側へと広がる斬撃の嵐。
「一刀両断 嵐」
回避するなどおこがましいにも過ぎることは瞬間に理解していた。それでも抗わなければ命は無いこともまた瞬間的に悟っていた。
ゆえに、
「黄金絶壁」
己の身体を黄金化した上で更なる黄金を生み出してゆき、絶壁と化して守りゆくのだ。クラハドールとアイスバーグまでも。
ただそれでも見舞われた斬撃の嵐は全てを切り裂いてゆく。否、切り裂くというには生温い。それは圧し潰すような斬撃。クラハドールとアイスバーグを守るに精一杯であり、己の身体は当然ながら無数の切り傷が刻まれてゆき、そこから溢れ出るように吹き出す血の嵐。それは間違いなく何箇所か骨まで逝っている。
背中から倒れ込まざるを得ず、無数の痛みが怒涛のように押し寄せてくる。それはまさに脳内を破壊しようとするかのような強烈な痛みの嵐。意識は今にも飛びそうであり、クラハドールとアイスバーグが発する気配のみが辛うじて己をここに踏み止まらせている。ヴァイオレットとか言う女も当然ながら無事ではないようだが動けないわけではなさそうだ。であれば蹴りは再開されることだろう。
「イット―流」
だがそんなことよりもイット―は容赦が無い。どこまでも容赦が無かった。
イット―は既に跳び上がっていた。中空にて黒刀を構える姿を捉える事が出来る。痛みに打ちのめされる己の身体は、全くと言っていいほど言うことを聞いてはくれそうにない。
死を意識する。
久しぶりに死を意識せざるを得ない。
戦闘で死の境地を見せられたのはいつ以来のことか。あれはアラバスタでの青雉の時だろうか。
あの時も何とか切り抜けた。
何とか切り抜けて見せたのだ。
ならばそれを今出来ないなどという理由は無いだろう。
動け。
動け。
動け、動け、動け、動けっ!!!!!!!
己の身体に対してこれでもかと発破を掛け続けたその先に……。
漲るのは不足感。
身体の奥底から渇望する何か。
否、これは何かではない。
覇王色マイナスの根源。
実体として確かにある覇王色マイナス。
そして、
己の能力、
ゴルゴルの能力が地に伝わってゆくのが分かる。感じ取れる。
ゴルゴルの能力が世界に繋がってゆくのがしっかりと感じ取れる。
これは覚醒だ。
その尻尾だ。
頭上に振り下ろされてくるのは黒刀の刃。
イット―の両の眼と己の視線が絡み合う。
「一刀両断 爆」
それは己の首目掛けて一閃された斬撃。
その一点を爆心地とするかの如くに凄惨極まる斬撃にして爆撃。
ただ、
たとえそうだとしても、
俺は一度目を閉じた上で見開いてゆき、
口角を上げてゆくのだ。
「覇王の黄金時代」
その瞬間、
地は黄金へと変わる。
実体としてある覇王色のマイナスを無意識に運ぶ。
己の喉元が斬撃の爆心地になるはずであったところを己のソレが吸収する。
その上で、
弾き飛ばす。
俺は立ち上がる。
全身は血だらけ。
頭は朦朧。
それでも、イット―が向こうで地に突っ伏していた。
否、奴もまた立ち上がる。
血を流していても、俺よりも動けるであろうことを己の見聞色は冷徹なまでに告げている。
最後か。
やはり最期なのか。
「いいえ、まだこれから。遅れてごめん、この人ったら叩き起こしてものらりくらりで」
振り返った先に立っていたのは申し訳なさそうにしながらも、少しホッとした表情を浮かべるチムニーだった。
そして、その横に立っていたのは、
「人の昼寝を邪魔するのは犯罪だぜ、小っこい姉ちゃん。でもあらら……、お前のピンチとなりゃ加勢したくなっちゃうね~。四商海になったんなら、こりゃ、味方だわな」
眠そうに欠伸をしながらも鋭い眼光と笑みを綯い交ぜにした表情を見せる青雉、クザン海軍本部大将その人であった。
どうやらガレーラの小さなスパイマスターは特大の助っ人を準備していたらしい。