運命というものを信じるか?
王国護衛隊に入隊して間もなくの頃、コブラ様にそう問われたことがあった。
俺はその時、分かりませんと正直に答えることしか出来なかったわけだが……。
コブラ様には何とおっしゃて頂けたのだったか……。
そんなことを思い出すのは、この場に何とも嫌な気配を感じるからだろうか。
今、眼前で繰り広げられる光景は、副総帥殿のホストデビューを知った女海兵が己の欲求のままに動いているだけ。
副総帥殿が偉大なるホストになられるであろうことは疑いようのないことだが、俺にアシスタントが務まるものだろうか……。
いいや、これは今考えるべきことではないな。
副総帥殿が偉大なるホストへと階段を登っていく様は、順風満帆そうに見える。
にも関わらず、俺の中にある何かがこの場はまずいと警鐘を鳴らし続けている。
ビビ様のお言葉が理由だろうか。
……そうかもしれないな。
注意して、し過ぎることはないのだろう。
ここで副総帥殿を失うわけにはいかないのだ。
副総帥殿は口数の多い方ではないが、心優しきお方。
この商会に加わって間もない我らに対しても、気遣いを行動で示して下さる。
そして何よりも頭の切れるお方だ。
まあ、この商会は頭の切れる方が存外多いわけだが。
副総裁殿もまた、商会の方々が云うヤマ、案件というものを俯瞰で見ておられる。
俺としても、少しでも副総帥殿のお役に立つためには、同じように考えておく必要があった。
最終的なこの場における結末を考えれば、それは逃げの一択しか考えられないように思う。
今の状況は分が悪い。
女海兵は四商海という立場上では味方になるはずが、どういうわけか敵であり、そして傘男がいる。
人数ではこちらに分があるが、傘男の強さは異常過ぎた。
それに相手がこれ以上増えないとも言い切れない。
である以上は考えておかなければならないこと。
それは逃走ルート。
この場からどうやって離脱するのかは、頭の中でイメージしておく必要がある。
海列車は先ほど折り返しからの出発があったばかり。
そろそろ5分は経つかもしれないな……。
!!
……感じる。
何だ、この感覚は。
……気配?
それも知った気配だ。
まさか、これが見聞色の覇気と云われるものか。
この島へ来ていたのだな……。
君も。
女海兵は副総帥殿の後を追って移動し始めている。
傘男の出方を読めないところだが……。
――運命というものはあるのかもしれないし、無いのかもしれない。
――ただどちらにせよ、未来を決めるのが己であることに違いは無い。
――己を信じ、皆を信じよ。
コブラ様がおっしゃられていたことが瞬間、脳内に甦る。
俺は直ぐ様に決断を下し、パウリー殿とフランキー殿に目で合図を送った後、
ふざけやがって。
この世に存在しやがる全てのハレンチというハレンチ野郎は、この俺が片っ端から縛り上げてやる。
そうやって1分前までの俺は、ハレンチをどう撲滅してやるかで頭ん中はいっぱいだったが、そんなことを一気に吹き飛ばすようなことが目の前で始まろうとしていた。
ワーテルローの男に合わせて、ハレンチ海兵が縁へと向かい、下へと手を伸ばそうとして、見えそうになる瞬間、叫びだそうとしたのも束の間だ。
いつの間にかハレンチ海兵の側には優男も移動して、傘を生み出してやがった。
次の瞬間、突然現れたピンクの羽コートを羽織った金髪野郎がピストル片手でハレンチ海兵に取って代わりやがったわけだ。
カードと同じじゃねェか。
突然、場面ってのは変わりやがる。
予兆を感じ取れねェから俺はいつも負けるってのか。
あの鳥の男は……。
くそッ、考えてる場合じゃねェなッ。
「フランキーッ!!! っておい、コーラ飲んで寛いでる場合じゃねェぞッ!!!!」
「あァ!? どうしたってんだッ!?」
「あいつがやベェ、行くぞッ!」
「姉ちゃんの見えそうで見えねェのがそんなにやベェのか!?」
「おま……、ハレンチ言ってねェで、行くぞッ!!」
「行ってどうなるもんでもねェだろうがッ」
「そっちじゃねェッ、やベェのは野郎の方だッ!!!」
フランキーの野郎、コーラ飲みながらハレンチ眺めてやがったとは、どんだけハレンチ野郎なんだ。
しかも肝心なその後は見てねェときてやがる。
こいつは後で縛り上げだなと脳内に刻みつけながら、ロープに手を掛けようとした瞬間だった。
「来るなッ!! ガレーラ屋に海パン屋ッ、とにかく動き続けろッ!!!」
一番やベェはずの男から切迫した叫び声が挙がったのは。
いまだにカードの勝ち方はさっぱり分からねェ俺だが、必死なヤツの叫びそれだけで、本当にやベェのがどっちなのかは、はっきりと分かった。
「フッフッフッフッ、最後まで足掻くか? いいだろう―――」
ジョーカーを前にした、このどうしようもねェ絶体絶命の窮地を脱する上で、俺の脳裏に浮かんだ選択肢はたったひとつで、それは逃げることを最優先するだった。
故に俺の口が発した第一声はジョーカーへのものではなく、ガレーラ屋と海パン屋に向けたもの。
右のこめかみに突き付けられている冷えた銃口の感触。
万力のような力で掴まれ、身動ぎひとつできねェ右腕の無力具合。
傘の持ち手から離したくとも離せねェ、左手の脱力感。
足場のねェ空中にいることで、這い上がってくるような両足の覚束なさ。
何としてでも俺を絶望へと叩き落とそうとしやがる、その有象無象すべてを頭の片隅からも払いのけてやり、上げるのは俺自身の口角だ。
「他人の
「死に際に俺の背中を見せられねェのが残念だ。ハートの絵に
俺の生存率は1%。
滅多なことでは覗かせねェこいつが、感情を滲み出してやがるんだ。
この場を脱する一本道は必ずある。
ヤツの眉間がみるみると険しくなっていくのが見て取れた。
俺の脳内は畳み掛けろと大合唱だ。
「なァ、ジョーカー! 手向けに俺の願いを聞いてやるってのはどうだ。コラさんを蘇らせてくれりゃァそれでいい。そうしたらボスたちと一緒にお前を破産に追い込んでくれるだろうからなァ」
右腕に掛かる力が一際強くなりやがった。
運命なんてのはどうだっていい。
最後にモノを言うのは俺自身を信じ切れるか……。
その一点だろう。
俺の死に場所はここじゃねェ。
脱する一本道はそれだけだ。
引き金が引かれる気配を感じた瞬間のヤツの顔は笑っちゃいなかった。
代わりに俺が更に口角を上げて、歯まで見せてやった瞬間。
最初に感じたのは右腕の圧迫が消えたこと。
最初に視線が向かったのはヤツの
糸……、分身体だ。
そして、俺の感覚に久しぶりに現れたあいつ。
「アイアイー!!! ドクターッ!!! 助けに来たよーッ!!!」
飛翔するハヤブサの背に乗って飛び込んできたベポだった。
「エレクトローッ!!!!」
ミンク族特有らしいその技を使う姿を初めて目撃しながら、左手を決して離そうとしなかった傘の持ち手の力が一瞬弱まったのと同時に、俺の一本道は更なる先へと延びてゆく。
次の瞬間にはROOMを展開する。
最大限に。
俺たちの一本道を完遂するには能力を出し惜しみしてる場合じゃねェ。
「副総帥殿、海列車出発後、7分経過してます」
「分かった。ベポは預かる。俺が動いた瞬間、最高速度で逃げ切れ」
ハヤブサの考えとの一致に自然と口角は上がり、下に鼻屋とゾロ屋の無事を確認しながら、左手で縁べりを掴んで、足が付く壁面起点に跳躍する。
跳躍しながら考えを巡らすのはROOMの最先端。
間に合った。
もうひとつのROOMを咲かせるようにして海列車に残した後に、考えるべきは数キロ先の線路上にある雲の数。
スキャンで把握するその数と、俺がくたばるギリギリ手前の能力負荷とを吟味する。
跳躍後に舞い降りたタワー屋上で行使するのは特大の能力。
ROOMの外へと雲を一気に追いやる。
と、同時に視線を向けるべきは5人。
ガレーラ屋と海パン屋は忠実に動き回ってやがるな。
ハァ、良しッ。
「おいッ、お前ッ、大丈夫かよッ!!」
「ファンキーじゃねェか。生きてらァッ!!」
「……ああ。いいから良く聞けッ! ガレーラ屋、傘屋を頼む。海パン屋、……お前は女海兵の相手だ。だが、立ち止まるなッ!!」
言うべきことを言った後に相対するのはジョーカーだ。
ガレーラ屋と海パン屋の文句みてェな応酬は聞かなかったことにする。
「フッフッフッフッフッ、てめェを殺そうとした瞬間に、俺が殺されそうになるってのは笑える筋書きじゃねェか、なァ、ロー。怒りを通り越して笑えてくるってもんだろう。……俺を殺そうとした相手、気にならねェか?」
確かに気にならないと言えば嘘になるが、……ハァ、今それは後でいいことだ。
「……そう、カリカリしねェ方が長生き出来るんじゃねェか」
「黙れッ!! “ナポレオン”のヤツめ、てめェの飼い犬の躾はしっかりしとくもんだ」
「……お前がそれを言うのか? アラバスタでのラフィットもそう。まあ、……元を言えば俺もか」
「黙りやがれッ!! ……フッフッフッ、どうした? 突っかかってくれるじゃねェか。セントポプラじゃあ、お前の仲間たちを殺し損ねたってのになァ」
ハァ、何だと……。
ハァ……ハァ、いや、惑わされるな。
ギリギリだ。
湧き上がらせるように顕現させるのは5つのROOM。
「……言っただろう。俺たちはお前を破産させてやるってな。……お前が俺たちを殺したくて堪らねェように、……俺たちはお前を破産させたくて堪らねェ」
「フッフッフッ、てめェら、ここから生きて逃れられると本気で思ってやがんのかァ!? 俺たちを知った以上、全員きっちりと殺してやるよ。フッフッフッ、さっきから、息が上がってるようだが」
ハァ……俺たちだと?
ハァ……ハァ、ジャヤでの女王屋からの耳打ち。
ハァ……ハァ、ターリー屋は
ハァ、もう一人のジョーカー。
ハァ……ハァ、じゃあビビが言ってたコラソンは誰だ?
ハァ、ヴェルゴか、いや……。
「……ハァ、そうだな、ジョーカー。ひとつ聞かせてくれ。
ハァ、間髪の二の句は無し。
上出来だ。
ハァ、時間だ。
「……全員ッ、聞けッ!!! 今直ぐに、そいつを纏えーッ!!!!!!」
ベポ。
ガレーラ屋。
海パン屋。
鼻屋。
ゾロ屋。
ハァ、それにハヤブサ。
時間だ。
最後の
そこにすべてを懸けろ。
「
「
己から生み出したROOMを纏わせるは妖刀“
走り出した覚醒の序章は誰にも止められやしねェ。
止めさせやしねェ。
伸ばすは突き刺さる一本道が二つ。
ジョーカー以上にクリンガもまたやベェ。
「フッフッフッ、それは覚醒のつもりか? 覚醒ってのはこうやんだよ」
突如としてタワーが崩れてゆく。
いや、糸に。
無数の糸に変化し続けてやがる。
武装のマイナスにこの先の人生すべてを懸けろ。
無数の糸は鋭い錐へと変わり重なり。
「“
目視不能な速度で、一点を突いてくる刺突となって襲い掛かる。
「“
一本の
ヤツの覇気を消して、内部まで辿り着き、根源的な痛みを衝撃と共に爆発させる一撃だ。
その結果は如何に。
ジョーカーの口から迸る、血反吐。
ターリー屋から噴き出す、紅そのもの。
俺の口から吐き出される、鉄の苦さ。
ただ、まだ辛うじて意識はある。
確かにある。
ならば、良し。
「カエルム!!!」
ハァ…ハァ…ハァ、地獄の業火、一本道。
ハァ…ハァ…ハァ、何が何でも、駆け抜けてやるよ。
………。