私、重巡洋艦なんです!   作:探照灯要員

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わたしの名は。

 1942年 エスペランス岬沖海戦。日本軍の呼称に従うならばサボ島沖海戦。

 

 ここで、進出していた日本海軍の水上部隊の指揮官は致命的なミスを犯す。

 

 

 ある程度戦史に通じている者ならば、『ワレアオバ』と言えば通じるだろう。指揮官は敵艦隊を友軍の輸送艦隊と信じて疑わなかった。状況はそのまま悪化。

 

 

 

 この話を初めて聞いた……いや、自分の周囲にこういった話を聞かせてくれる人はいなかった。だから、読んだ(・・・)という表現が適切か……その時、自分はなにを思っただろうか。

 

 何も思わなかった。

 

 帝国海軍のお家芸であるはずの夜戦での敗北。米軍レーダーの性能の証明。それらがこの戦争の顛末を象徴していたことも、戦隊指揮官のある意味では当然の油断が全てをもたらした事も、初めてその事実を知った自分には理解できていなかった。自分はそこまで頭が回るほど思考を熟成させていなかった。幼すぎた。

 

 ただ間違いないのは、この記事を読んだ自分は胸糞悪くなり、閲覧窓を閉じた。

 ボードゲームで負けた子供のように。

 

 

 

 

 ……まだ、自分が私でなかった頃(この理解不能な状況に陥る前)

 

 自分は軍艦にある程度の興味を抱いていた。

 それが自分が所謂(ミリ)オタというやつだったからなのか。それとも工業製品として、技術力の結晶としての軍艦に興味を抱いたのか。はたまた倒錯した狂信的愛国心によるものだったのか。それは覚えていない。

 

 でもとにかく、自国の海軍に強い興味を抱いていた。初めは現代艦艇に強い興味を、関心を抱いていた……といっても、ミサイル護衛艦(DDG)汎用護衛艦(DD)の違いもよく分かっていない程度だ。

 

 そして何がきっかけだったのだろう。自分は旧海軍、帝国海軍の艦艇に現代艦以上の興味を持つようになった。

 

 第二次世界大戦。これはまさに海戦のすべてが詰め込まれた、詰め込むに値するほど長く続いた戦争であった、そして自分の国はそれに関して後ろ向きな姿勢を取っている。

 自分の国は自分が住んでいた頃も未だに敗戦国と周囲に後ろ指を指されているし、大戦以前の組織は旧軍と呼ばれ、自国民たちにとっても無意識下にて蔑視の対象であった。尊敬もしないのである。

 

 だから無関心を隠れた主軸とする教育方針に従うように、自分は過去に興味も持っていなかった。

 

 きっかけは何だったろうか。護衛艦の名前に旧海軍の焼き直しがいやに多いことに気付いた頃だろうか? ともかく私は興味を持ったのだ。

 

 興味を一度持てばあとは早い、自分は軍事に対して無知の知を自覚するほどには物事を知った。

 

 

 ……そんな中で知ったのが、軍艦古鷹であり、軍艦青葉だった。

 

 

 過去という敷き詰められた事実の石が造る街道を歩いている自分にとっては、この二隻はただの石ころに過ぎない。いや石ころどころか、塵にもみたない存在ではなかろうか。なんせこの二隻が沈もうと沈まないと、精々の違いは内地引き上げに参加する艦艇が増えたか増えないかの違いである。

 

 例えそれが数千の人間を救うにしろ、そもそもその二隻により何百人の生活が賄われていたとしても、そんなことは問題にならない。

 結果として、国は滅びたのだ。

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「どうして今更……って思っているんでしょう?」

 

 

 しかし今、目の前に「青葉」が在る(いる)

 

 

 どれほどの沈黙が流れたことだろう。いや、それは間違いなく一瞬だ。夕日に照らされる時間はあまりに短く、しかし濃密な事象の重なりが繰り返される世界。だからこそ、カンマ一秒も一分間のように感じられるのだろう。

 

 赤い太陽が燃える。その可視域ギリギリの波長で飛び込んでくる光は、水面を、彼女を、そしてどうしてだがここにいる私を、全て平等に照らしている。

 彼女の顔にくっきりと二本の線が走っていた。彼女も私もこれまでの戦闘により少なからず汚れており、だから彼女の流す清らかな流れに洗い流された二本の線は確かなメッセージとして私に認識される。

 

 メッセージとは、拒絶であった。

 

「青葉は、古鷹さんに言葉を返されるのが怖かった」

 

 

 唐突に始まった彼女の独白。彼女の目論見通り、今の私は会話に割けるほど領域に余裕を持っていなかった。口を閉じるも開くもできず、次の言葉を待つ。

 

「……だから、今、名乗りました」

 

 もう、言葉を交わすこともないでしょうから。

 

 そんな私を見つめる彼女は、首を傾げ、表情を崩した。崩れた表情は笑顔になる。

 

 

「青葉は卑怯ですね……」

 

 

 目の前にいるのは……だれ?

 

 私は今更、この世界の異常性に直面する。目の前の彼女が青葉な訳が無い。

 

 だって、だって、軍艦青葉は

 

 私に拳銃を向けて一丁前の駆け引きをしないし、

 

 あちち、と言いながらインスタント麺を啜ったりしない。

 

 私を写真に収めて喜んだりもしないし、

 

 ましてや私の服装を選んでくれたりはしない。

 

 海に浮かぶ黒鉄(くろがね)の城ならば自動車に乗る道理はなかったし、

 

 奇妙な機械を見つけたからって子供のように頬を紅潮させたりする訳が無い。

 

 

 ……うん、知ってる。

 その言葉が、全て私に返ってくることぐらい。

 

 私は確かに喜怒哀楽を持っている。

 だがその一方で、明確に「自分は人間である」という自覚が、感覚がある。

 

 

 軍艦が感情を持つことはありえない。

 

 私が、いや自分が言いたいのはその一言に尽きる。

 

 

 おかしな話だが、今の自身は明確に二つの存在に分離していた。

 

 

 一方は青葉と向き合って、そして今更その顔に懐かしみを見出している「私」。

 もう一方は、そもそもこの世界を拒絶している「自分」である。

 

 自身『が』軍艦古鷹である。そして目の前の彼女は軍艦古鷹が身を呈して護った軍艦青葉。

 

 そんなこと、あり得るはずがないのだ。

 

 でも目の前の彼女は感情を極まらせ、眼球にこびりついた異物を排除するにはやや過剰な体液の放出を行なっている。

 

 

 感情を持ってるじゃないか。

 なんでだって軍艦青葉を名乗るのだ。

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 大日本帝国やら、大日本帝国海軍。

 

 こういったものは自分にとっては過去の符号に過ぎない。

 しかし、国家とは、組織とは人間の集合体である。

 

 だから、そこに魂が吹き込まれる。

 

 艦の構成員の意識が全て一方向に集中されたとき、それは一つの意志と形容しても差し支えないものになる。

 

 

 

 軍艦青葉、1945年に大破着底。

 動かなくなった二番砲塔は、それでも空を睨んでいた。

 

 背後には、江田島出身の人間には馴染み深い古鷹山。

 軍艦青葉は、身を呈してまで第一次ソロモン沖海戦にて自身を護ってくれた軍艦古鷹の、その山を護って散ったのである。

 

 

 ……結論から言えば、妄想に塗り固められた文章だ。軍艦青葉がなぜ二番砲塔を掲げたか? 単純に装填が終わって敵機が上空にいたからだ。そして山など護ってなんの価値があろうか。地図を見れば分かるが、軍艦青葉の着底場所は古鷹山の遥か遠く。美化にも程があるというもの。

 

 そう、物語性を持たせるのはちゃんちゃら可笑しいのである。存在するのは事実だけだ。そこに少しでも脚色を加えれば、それは讃美、もしくはその逆になる。

 

 軍艦古鷹が身を呈して軍艦青葉を護ったのは事実だ。なんせ、軍艦青葉はそのときの第六戦隊旗艦である。指揮系統を守るのは軍隊という組織の基本である。

 

 だから、別に軍艦古鷹は軍艦青葉それ自体を守ったわけではない。旗艦というハード、司令部というソフトを護っただけのこと。

 

 

 でも、なのに、それなのに、

 それを読んだ自分は、確かに胸に火をつけられる思いをしたのではなかったろうか。

 

 

 それが信じられなかった。そこで語られる軍艦青葉は無人の鉄屑である。そこに魂を吹き込んでくれる乗組員はいない。人間が感動するのは、人と人との結び目だけではないのか?

 

 ……そのときはそこまで深くは考えなかった。しかし今なら分かる。

 自分は、無意識下で青葉に人格を持たせていたのである。

 

 無機物(軍艦青葉)有機物(人間)に昇華させていたのである。

 

 

 

 ★

 

 

 

 

「許して、なんて言葉は言いません。戦争だったから、任務だったから、そうあなたはうわべだけの言葉で青葉をきっと許してくれる。そう知っています、わかるんです」

 

 

 

 嗚呼、目の前の彼女は感情を持っている。どうしてそんなことが言い切れるのかはきっと彼女も分かっていないのだろう。でもわかるって「言い切れる」。人間の直感、未だ解明されぬ方程式に基づいた未来予測。

 

 しかし自分には、その予測が当たっているかどうかも分からない。

 

 なんせ、自分は軍艦古鷹じゃあ、ないのだから。

 そう当たり障りのないように言い訳したかった。

 

 したかったはずのなのに。

 

 ……本当に?

 私は自問してしまう。本当にそう思っているの? 

 

 じゃああの高揚はなに? 私は確かに軍艦古鷹として砲を撃ったではないか。あの時自分を塗りつぶしていたのはなに?

 

 答えなんて、分かってるじゃないか。

 

 

 

「古鷹さん……」

 

 彼女が、名残惜しそうに私に手を伸ばす。

 

 触れる直前に僅かに躊躇い、でも結局手が触れる。頬を撫でる青葉の手は冷たい。

 まさに黒鉄の冷たさであった。

 

 彼女は確かに、軍艦青葉であった。

 

「ごめんなさい」

 

 見えた。

 

 彼女の真後ろに軍艦青葉が「見えた」。

 

 それは魂を吹き込むはずの乗員を失い、偽装も解け、腹を剥き出して傾き、着底した軍艦青葉の姿だった。無残な姿と成り果てた203mmの連装砲が虚空を睨む。

 

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 

 誰もいないはずの抜け殻が言葉を放つ。

 

 ごめんなさい。

 

 でも、それだけしか言っていなかった。言葉というよりか壊れたラジオのようで、もはや執念で発音される意志。

 

 

 何に対しての「ごめんなさい」?

 

 軍艦青葉が、一体全体なんの過ちを犯したというのだ。何もしてはいまい。軍艦青葉が軍法会議にかけられると言うならば、英戦艦プリンス・オブ・ウェールズなど晒し首である。

 

 彼女の手が、私の頬からゆっくり降ろされる。

 

「……青葉の自己満足です。こうして、あなたに謝りたかった」

 

 

 なにを言っているんだ。軍艦青葉に責められる所以などない。

 

 そして彼女は背を向ける。向かう先は崖の下。

 

 繋がらない。

 青葉は言った。ここが死に場所だと。

 

 死に場所? 死に場所だと? どうしてそうなる。

 

 

 軍艦青葉が死を求めている?

 

 そんなはずがない、あの艦は、青葉は、不死身の軍艦ではないのか? 最期の一瞬まで護国の浮き砲台たらんとした、栄光ある海軍艦艇ではないのか?

 

 

「なんでって……青葉はもう、見たくない」

 

 なぜ通じたのだろう。彼女は振り返って言う。

 

 見たくないんです。そう繰り返す瞳には、何故か生気が宿っていた。

 

 

 見たくない。それはきっと、軍艦青葉の壮絶な艦歴のことをいうのだろう。軍艦青葉は古鷹・青葉型最後の艦である。全ての同型の最期を看取り、自身も死の淵を彷徨った。その度に僚艦の助けを乞い、その僚艦は皆々沈んだ。時には事情から同じように助けを求める僚艦をも見捨てた。その誇り高く磨かれた甲板を木々で醜く隠し、ただただ生き残るべく身を潜めた。

 最後に、報国の瞬間があると信じて。

 

 目を覆いたくなる艦歴である。

 しかし、それも誉ではないのか?

 

 それを彼女は「見たくない」とのたまう。

 

 ……それに、その後ろ向きな姿勢に、瞬間に私は同情してしまった。

 なんで? なにに同情しているの? 彼女はこれから逃げようとしているのだ。目を閉じていようと事象は起きる。現実を否定することにはならない。

 

 「見たくない」なんて、なんと人間味があることか。あなたが軍艦青葉だなんて信じられない。

 ……だから、彼女の眼は生気を孕んでいるのだ。確かにここで生きているのだ。

 

 そんな彼女を守りたくなった。今、怯えを蛮勇で隠さんとする、彼女を。

 

 

 

「……ここを、ここから古鷹さんを生還させられれば、変われる気がするんです」

 

 不思議ですよね。そう彼女は笑う。

 

 私が生還したところで、彼女はもう沈む腹積もりだ。なにが変わるというのか。

 

 でも……間違っていない気がした。本当に変わってしまう気がした。だって私たち、こんなところに突っ立って話してる。包囲下にあるはずなのに、拳銃弾の一発も飛んでこない。そんな不思議な空間にいる。

 

 なぜ?

 

 だって、ここは、私の場所だから。

 

 

 

 私の……? 自身の言葉に思考が止まる。

 

 そして気付いた。

 

 あぁ、なぜ気付かなかったのだろう。

 

 ここはどこだ? 少し疑問に思えばすぐに航海科が私に海図を差し出し、私もそれを認識する。これまでの航路が刻まれた海図。

 

 

 瞬間、私の視点は唐突に鳥瞰視点へと変貌する。海に佇む二隻の軍艦を遥か上から見下ろす。それは雲や波の表情が消え去り、冷たい海の図のある一点がとてつもなく大きな意味を持つ。

 

 ……疑いようもない。

 

 ここが、私の場所だ。

 後付けの緯度経度などいらない。誰かが名付けた島の名も、冗談みたいな鉄底海峡(アイアンボトムサウンド)の名称もいらない。そこに映し出された一点が全てだ。

 

 

 軍艦古鷹の、墓標だ。

 

 

 

 彼女が背を向けて微速前進。

 

 ……彼女が『また』過ち(あやまち)にすら気づかずあっちへ行ってしまう。

 

 

 助けなくちゃ。

 

 

 使命感だった。自分が感じる使命感じゃなくて、どこかから伝わって、

 

 

 伝わってくる……?

 

 

 

 刹那、核分裂反応のごとく連鎖する証明。

 

 

 私が感じた高揚、盲目、使命感。

 

 私を戦場へ駆り立てた『なにか』。

 

 ここまで、つまり軍艦古鷹の墓標へと導いた『なにか』。

 

 

 陽が落ちる。太陽が水平線に沈みきる。

 私の心を示すように、すうっと一段階暗くなる。

 

 

 全部。

 

 そう、全部。

 

 軍艦古鷹の差金なのだ。

 

 

 軍艦古鷹が、全てを強いているのだ。

 

 

 軍艦古鷹は要求した。海に出ることを。

 

 

 軍艦古鷹は要求した。硝煙に塗れた圧倒的勝利を。古鷹の強さを証明することを。

 

 

 軍艦古鷹は要求した。この私に彼女(あおば)の名を知ることを。

 

 

 そして最後に要求しているのだ。

 

 

 証明しろと。

 

 この私『が』軍艦古鷹であると。

 

 

 

 

 

 軍艦古鷹ならば、旗艦(あおば)を救い、自らの骸をここに納めよ、と。

 

 

 

 

 

 

「……し、」

 

 

 瞬時に軍艦古鷹の言わんとすることを理解した自分は、間違いなく冷静さを失っていた。

 

 信じられなかった。

 

 本当に信じられなかった。

 

 握る手に力が篭められる。自身の細胞が破壊されない程度の自動セーフティがかかり、ぎりぎりと筋肉が蠢く音が聞こえる程だった。

 

 

「失望しましたよ、青葉さん……!」

 

 

 彼女は振り返る。その眼は全く『驚いていない』。

 

 

 ――――そう言うと、思ってましたよ。

 

 

 無言で僅かに微笑んだ。

 

 ……そう言うと、思っていた……?

 

 なんだそれは。名を明かせば私に失望したと言われるのが分かっていたと?

 ……私はその、その姿勢に失望しているんだよ?

 

 彼女を、青葉をここまで導いた軍艦古鷹。

 そしてそれを「死に場所」と喜ぶ青葉。

 他者を、国を、完全に度外視したおままごとではないか。

 軍艦とは国家の、国民を護るものではないのか?

 

 私には申し訳ないが、私は完全に「キレた」。

 信じられない。ここまで、ここまでワガママなのか、貴様らは。

 

「その顔ですよ……! なんですか、全てを分かりきった様な風を装って!」

 

 

 彼女は動かない。ピクリとも表情を動かさない。

 

 故に、私の怒りも収まらない。

 

 

「いいでしょう……! あなたの心境を一文で表してあげますよ!」

 

 

 我ニ現実ヲ直視スル能力ナシ、オ先ニ失礼(・・・・・)

 

 

 青葉が、僅かに表情を動かした。

 

「か、軽々しく……」

 

 彼女が軍艦青葉なら反応しないはずがなかった。軽々しく言うな? そりゃあそうだろうとも。この言葉は軍艦青葉を否定するものに違いない。

 しかしあなたの方が、よっぽど理不尽を私に押し付けようとしている。その確信があるから、私は口汚く罵れる。

 

「なにが軽々しくですか! さっさと退場しようとしているのはあなたですよ!?」

 

 そう言いながら視界の中の彼女が歪む。

 

 悔しい。とても悔しい。

 

 目の前にいる彼女はあまりに自己中心的で、こんなことなら軍艦青葉などと名乗ってくれないまま沈んでしまえば良かった!

 軍艦青葉を幻視してしまった私にとっては、もはや彼女が青葉にしか見えないのだ。

 軍艦青葉は、こんな(ふね)じゃない。

 欲もなく散った、崇高な愛国者の鏡でなければならないはずなのに。

 

 怒りは燃える。

 

 それと同時に悔やんでもいた。

 ……彼女をこうしてしまったのは、軍艦古鷹(わたし)だ。

 

 全ての感情が混じっている。それは私の真下に眠っているのであろう軍艦古鷹の強烈な後悔、無念、怨念。自分の軍艦青葉、軍艦古鷹その両者に抱いてしまった途方もない失望、怒り。混ざって大きなうねりになる。激しくぶつかり合ってより暴力的な奔流となる。

 

 当然ながらこの娘の身体に収めるには大きすぎる負の感情。

 ただただ吐き出すため、喉の千切れんばかりに怒鳴り散らす。

 

「軍艦青葉は誉れ高き艦艇と思っていたが、それはどうやら大きな間違いだったようですね?!」

 

 青葉はまだ沈黙を保つ。表情は、もう崩れていた。

 しかし私はそんなことに構う余裕はない。

 

「まだ言い足りませんか!? 何の意味もなくあなたは沈む、それを国家が、祖国が許すとお思いになっているんですか! 軍艦青葉ならそんなことはしないはずです! 何度も修理費用を国に捻出させて、あなたがどれほど国庫に負担をかけたか考えたことありますか!? 考えないのなら穀潰しよりもずっとタチが悪い!」

 

「ぁ、あお、ばを……」

 

 絞り出すような声。

 対するは、勢いだけで制圧する罵声。

 

「軍艦青葉を名乗るなと言っているんです! あなたは偽物だ! 軍艦青葉はそんな、そんなこと言わない!!」

 

「あ、お葉、をぉ……」

 

 震えていた。それが発言を躊躇う素振りなのかは判別がつかない。

 だから私は止まることなく叫ぶ。

 

「なんですか! 言いたいことがあるならはっきり言ってくださいよ!」

 

 

 

「青葉を、ぶ、侮辱するなァァ!!」

 

 

 

 確かに今、時が止まった。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「は、はぁ、はぁ……」

 

 二人共、呼吸を整えようとするが整わず、暗闇に染まり始めた空気を吸いこんだり吐いたりする。

 

 互いの視線が再び交差する。艤装を取り落としそうな勢いで叫んだ青葉は私を真正面から睨みつけた。

 瞬時に攻守逆転。

 

「古鷹さんこそなんですか! あの場でさっさと『オ先ニ失礼』したのはあなたの方だ! あの後青葉と、青葉と皆がどれほど苦労したかも知らないくせに!」

 

「分かりませんよ! わかる道理がない! あなたのポカで私は沈んだんですよ!?」

 

「そもそも庇いに来るのが遅すぎるんですよ! 青葉の乗員、何人死んでたと思ってるんですか!」

 

 もはや水掛け論の域である。というか、『オ先ニ失礼』は軍艦古鷹が沈んだ相当先の話であり、そもそも軍艦青葉と軍艦古鷹の会話としては成立しないはずの会話である。

 

 しかし、これに言い返しているのは自分ではなく確かに軍艦古鷹(わたし)であった。

 軍艦古鷹(わたし)は、命令であなたを守ったわけじゃない!

 

「助けた(ふね)に対する口の利き方がそれですか? 呆れますね!」

 

「なら助けなきゃ良かったでしょう! なんで助けたんですか!」

 

 

「そんなの……!!」

 

 

 そこまで言って、ようやく私の口は止まった。

 

「そんなの……」

 

 なんで私は、青葉のことを罵っているんだろう。青葉をこんなに追い込んで、追い詰めてしまったのは誰?

 他でもない私じゃないか。

 

 なんでこんなに青葉の顔はぐちゃぐちゃになってるんだろう。

 私がぐちゃぐちゃにしたんだ。

 

 熱が冷めるのを待たずに押し寄せる後悔。その勢いは削がれぬまま、別方向へと流れ始めた。

 

 青葉が、私が、こんな目に遭ってる。

 敵に囲まれて、お互いに罵り合っている。

 

 

 それもこれも……全部、軍艦古鷹(あなた)のせいですよ……!

 

 

 責任転嫁だと笑えばいい、でも自分は悪くない。自分は与えられた条件下でよくやってきたつもりだ。青葉が名乗らなかったから、軍艦古鷹(わたし)が介入してきたから、こんな面倒な事態になったのだ。

 

 私は攻撃することもない包囲網の一点を睨んだ。

 そこには人型がいた。

 

 纏う艤装は異形だった。顔の形を確認することも出来ない。

 だが今ならはっきり分かる。

 

 

 軍艦古鷹……貴女なんですね?

 

 

 あの人型は、軍艦古鷹(わたし)だ。海底に眠っているのであろう軍艦古鷹の(むくろ)を代弁するために、あの人型はここにいるのだ。

 

 

 自分をここへ呼んだのは軍艦古鷹に違いなくて、この娘としての生を強制させられて、一体何をして欲しいというのだ。はっきり言ってみろ!

 

 そう一度思えば、よもや軍艦青葉などどうでもよくなる。

 彼女も自己中心的である。だってきっと悩んで、それから出した人間らしい結論なのだ。私はそれを軍艦青葉の回答として認めるつもりは絶対ないけど、でも彼女は人間らしく悩んだに違いないのだ。軍艦青葉の名を汚す可能性と、そんな自身を下手にたてたせいで失われるかもしれない僚艦の未来を天秤にかけたのだ。

 

 そこには、独善とは言え他を思いやる心を感じる。だから私も彼女を守りたいと思う。その優しさを勘違いに託して、勝手に沈まないで欲しい。

 

 それに対して軍艦古鷹(あなた)はどうなんだ。

 

 軍艦古鷹(あなた)は、自身の怨念のためだけに動いている。

 

 貴女のせいで私が苦しい思いをする。

 貴女のせいで青葉が酷い目に遭う。

 貴女が望むのは軍艦青葉への復讐なんですか?

 

 もしそうなら、貴女には失望した。私が背負おうと気負った貴女はここまでも汚いのか。それとも他への優しさが隠されてるの? もしそうなら教えてよ!

 

 

 私は一歩前に出る。

 

 相対する軍艦古鷹が笑った、ように見えた。

 

 

「古鷹さん!!」

 

 がしっ。

 

 腕が腰に回されたと気づくのに一秒。

 

「……行かせませんよ……!」

 

 

 青葉は顔をぐちゃぐちゃにして、それでもなお、明確な志をその両眼に滾らせている。

 

 彼女にとっては、きっと私をここから救い出すことが全てなのだろう。

 でも私は、軍艦古鷹(わたし)を許すわけにはいかなかった。一度でも軍艦古鷹の名を背負おうとしたからこそ、同じ名を自身の欲望のためだけに用いる軍艦古鷹(わたし)が許せなかった。

 

 全くもって矛盾している。私だって私利私欲で動くに違いない。人間なんだから当然、私に軍艦古鷹(わたし)を罵る権利はない。

 いや、矛盾など端より前提なのだ。私が言いたいのはそんなちっぽけなことじゃない。

 

 

 

 軍艦古鷹(わたし)は、自身のことしか省みていないのだ。

 

 宇垣提督の書いた「戦藻録」という書物に、サボ島沖海戦に関する記述がある。

 そこにはこう書いてある。

 

 『殆ど衣笠一艦の戦闘と云ふべし』

 

 そこに古鷹を評価する記述はない。

 そう、私は戦力としても評価されてはいないのだ。

 

 ……青葉を守ったのがどれほど無意味なことであったか。

 

 そう思う気持ちもあるのだろう。

 

 ……軍艦古鷹の実力はこんなものではない。

 

 それが私をあそこまで戦闘にこだわらせたのだろう。

 

 強い思いがあるのは分かる。痛いほど伝わってくる。私も軍艦古鷹(わたし)だから。

 だが、そこには結局、祖国への、故郷への想いがない。

 

 軍艦古鷹は強くあらねばならない。何のためか? 断じて強さを証明するためではない。軍艦古鷹の強さはそれ自体が目的ではないのだ。故郷である、この国を祖国を護る。それこそが目的であるはずなのだ。

 

 だから、許せなかった。

 

 確かにこの世界の祖国を私は知らない。でも、軍艦古鷹はそれに想いを馳せることもしない。

 

 許せなかった。

 

 

 

 私は絡みついた二本の(アンカー)を手を使って丁寧に取り外す。抵抗を予想したが、全くそういった風は見られなかった。

 

 だから私は落ち着き払って、ゆっくり宣言する。

 

「……現時点をもって、軍艦古鷹の権限を私に戻します」

 

「……」

 

「軍艦古鷹はこれより吶喊。敵包囲の突破を試みます」

 

「ダメ、だめ……」

 

 青葉は、子供のように両手を目尻に添えて、めそめそと泣いていた。

 

 情けないと思った。仮にも軍艦じゃあないのか。さっきまで自分は突撃、古鷹さんは転進せよと言っていた蛮勇はどこへ行ったのか。

 

 でも、

 見ていて辛い。もうこれ以上苦しんで欲しくない。

 

 守ってあげたい。

 

 これに対して先ほどまで激高していた私の感情とは思えないほどの優しい感情。それがふつふつと沸き上がってくる。

 これが、これが軍艦古鷹の『感情』だというのなら、どうして軍艦古鷹(あなた)はこんな酷いことを彼女に課すのだ。なぜ彼女をこんな風にするのだ。

 

 全く理解ができなかった。

 

 

 いや、もう理解はすまい……私と軍艦古鷹(わたし)は、多分相容れぬ存在なのだ。だからこうして、敵味方として別れ、そしてにらみ合っているのだ。

 

 なら、私は私のやり方で、

 私の正しいと信ずるやり方で、軍艦古鷹の名誉を受け継ぐ。

 軍艦古鷹(あなた)のやり方は私にとっては軍艦古鷹を汚すものだ。よもやそちらの価値観など考えまい。

 

 僚艦の一隻や二隻を庇えずして、なにが軍艦古鷹か!

 

 

 私は青葉さんに真っ直ぐ向き直る。

 

「青葉さん……私は軍艦青葉を侮辱しました、謗り(そしり)はいくらでも受けます」

 

 ですが。

 

「今は……私に力を貸してくれませんか?」

 

 彼女が顔を上げた。汚い人間と笑ってくれ。

 

「ここは、私の場所です……私の沈む場所です」

 

 断じて、青葉さんの死に場所などではない。

 だから、そんな思い込みは捨てなくちゃいけない。

 

「でも、青葉さんとなら、変えられる気がするんです」

 

 

 変えられる確証なんてない。その気にさせるためのでまかせ(リップサービス)だ。

 

 でも、

 

 

「だって、私は青葉を……軍艦青葉のことを、私は尊敬してるから」

 

 

 でも、これは本当だ。尊敬してるからこそ私は彼女に失望できた。怒りをぶつけたいと思えるほど憤りを感じることができた。

 

 他でもない、軍艦青葉だから。

 

 

「……してやる」

 

 何かを口ごもる彼女の全身が生気に満ち溢れていくのが感じられた。先程までの彼女は目的だけが目に宿り、そしてそれが生きていただけだったが、今の彼女は間違いなく、頭からつま先までの全部が脈打っていた。

 

「終わったら……さんざん罵倒して、それから、さんざん殴ってやりますからね?!」

 

 

 そして、生き生きと笑っていた。涙と硝煙でぐちゃぐちゃになって、でも笑ってる。

 

 だから私も笑える。笑い返せる。

 

「えぇ、殴られるぐらいは覚悟の上です……好きなだけやってください!」

 

「言質! 言質取りましたからね!!」

 

 彼女は縋るように言う。絶対にここから二人で帰るのだと、そう約束しろという。

 

「絶対に沈まないでくださいよ!」

 

 その言葉を待っていたかのように、禍々しい雲が星空を全て覆い隠した。

 

 巧みに作られた闘技場、役者も準備は万端なのである。

 開演直前の舞台のように、無音、無光の世界が訪れる。

 

「沈む? そんなことある訳ないじゃないですか……」

 

 

 だから私は宣言できる。

 

 ここから、ここで、軍艦古鷹がなんたるかを、軍艦古鷹(あなた)に知らしめしてやると。

 

 

 

「……だって私は」

 

 

 ――――重巡洋艦なんですよ?

 

 

 

 

 

 

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