阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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書きたい話を書くだけというのはメッチャ楽(確信)
というわけで先代ルートです。本編後のお話になりますから、本編の余韻を壊したくないという方はブラウザバックお願いします。


IFルート それはきっと果たされる未来の約束

「……ようやっと来たかい。もうすぐだと思って待ってたよ」

「別に待つ必要などないだろうに」

「とんでもない! お前さんがどんな数奇な人生を辿ったのか、聞かなきゃ損ってもんさ!」

「面倒な」

「あたいに見つかったのが運の尽きさ! ほら、乗った乗った――ってもう向こう岸!?」

「座礁してないか、この船」

「三途の川幅は死んだ人間が死後に向けられた気持ちや金銭の量で変わる。お前さんはよっぽどいろんな人に涙を流してもらえたんだろうねえ」

「……泣かれるのは好きではないのだがな」

「泣かれない葬式なんて虚しいだけだよ。ほら行った行った! こうなったら後で根堀葉掘り聞かせてもらおうじゃないか!」

「もう会わないと思うが……まあ、会えたらな」

 

 

 

 

 

「転生ですね」

 

 是非曲直庁。そこに入った青年を待っていたのは悔悟棒で口元を隠し、しかし隠しきれていない微笑みを浮かべた四季映姫の言葉だった。

 青年――火継信綱はその言葉に特に感慨もなくうなずく。

 

「あいわかった。では次はどうすればいい?」

「……意外ですね。殆どの人は下された裁きの理由を尋ねるものですが」

「尋ねたら答えてくれるのか?」

「罪人に理解をもらうのも裁く者の務めです。とはいえ、私の感覚を説明して理解がもらえるのは稀ですが」

「だろうな。他者を問答無用に裁ける者の世界など想像もつかん」

 

 肩をすくめる。映姫の方も説明するのは面倒だったようで、こくりと小さく首肯して話題を変える。

 

「しかし、ふむ……青年の姿ですか。通常、死後の魂は霊魂のみになって姿を形どることは珍しいことです。それに記憶もよほど強く残ったものでない限り消えてしまう。……あなたは別のようですが」

「他者と比べたことがないからわからん……が、年老いて死んでも心は変わらないということか」

「三つ子の魂百までとも言います。あなたは……生まれてから死ぬまで、変わらなかったようです」

「愚問だな」

 

 阿礼狂いとして生まれ、阿礼狂いとして死んだ。最期まで道を違えることなく、御阿礼の子に仕え続けたことは信綱にとって死してなお色褪せない誇りである。

 

「通常、記憶の欠落も見受けられるものですが……なにか思考にモヤがかかっているとかはありませんか?」

「さあな。何を忘れているかなど俺にはわからん」

「ご尤も。では今後のあなたについてお話しましょう」

「転生ではないのか」

「するにも準備が必要なんですよ」

「だが、裁かれる衆生の大半は転生だろう。いちいち時間がかかるというのは考えづらい」

 

 信綱の知識では死後の存在は再び輪廻転生し、功徳を積み上げて解脱に至るというものだ。

 そのため、よほど大きな罪を犯していない限り、地獄で罪を贖うことはなく転生に至るものだとばかり思っていた。

 そんな信綱の思考がわかったのだろう。映姫はクスクスと楽しそうに笑って理由を説明し始めた。

 

「まず転生をするにあたって、前世の記憶を完全に消す必要があります」

「道理だな。俺は常人より覚えているものが多いということか?」

「それもありますが、同時にあなたという魂を洗ってやる必要もあります。現世は穢れに満ちており、魂も多少は影響を受けてしまう」

 

 言っていることは理解しづらいが、要するに一から転生するために中古となっている魂を新品同様に磨くのだろうと解釈してうなずく。

 

「その上で――あなたの魂は外からの干渉を受けた形跡があります」

「なるほど」

「……驚きませんね」

「むしろ納得した。阿礼狂いなんて狂人揃いの一族が自然に発生するはずもない」

 

 驚くことなく淡々と事実を受け入れる信綱に映姫は何やら物申したそうな視線を向けるものの、特に追及はしなかった。

 彼にとって自分の一族が異常極まりないものであるというのは当然の事実のようだ。

 それが理解できる環境に身をおいてなお、狂人であり続けた彼の精神が映姫には理解できなかった。

 

 とはいえ信綱の魂の歪みは彼によるものではなく、彼のはるか昔の先祖によるもの。その責任を信綱に問うのは筋が通らない。

 

「そしてさらに、あなたは多くの試練を超えることで魂が練磨されている。このまま下手に転生をさせてしまうと――」

「させてしまうと?」

「赤子の肉体が耐えきれずに破裂するでしょうね。それほどにあなたの魂は一線を画している」

「……それは困るな」

「なのでこちらも入念に準備をさせてもらうというわけです」

「わかった。ではどうしていれば?」

「後ほど小町に白玉楼へ送らせます。冥界で生の疲れを癒やし、準備が整うまで待ちなさい」

 

 桜の少女と雪の少女剣士、二人が管理している場所だったか、と信綱は自身の知識を掘り返して首肯する。

 もはや阿礼狂いとしての使命も終えた身。特別動く理由がない限り、自発的に動くつもりはなかった。

 

 もう話すこともないと判断して踵を返そうとした信綱だが、映姫より再び話しかけられる。

 

「ああ、最後に一つだけ言っておくことがありました」

「……まだ何かあるのか」

「そんな顔をせずとも、一言だけですよ」

 

 辟易した表情を隠さない信綱に映姫は苦笑し、その次に慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。

 

 

 

「――お疲れ様でした。あなたが御阿礼の子を支え切ったこと、彼女を見てきた個人として嬉しく思います」

 

 

 

「……お前に言われたからやったわけじゃない。俺が、俺の意思であの方に仕え続けた。それだけだ」

 

 変わらない信綱の言葉に映姫は感慨深そうに目をつむる。

 その目蓋の裏にはどのような思いが渦巻いているのか、信綱は自分より長い期間を御阿礼の子と過ごしたであろう閻魔の言葉をじっと待ち続けた。

 

「……八雲紫に御阿礼の子の転生スパンを短くするのを聞いた時はどうなるかと思いましたが、あなたが側にいてくれて良かったと、心から思います」

「閻魔大王としてか?」

「彼女を見続けてきた四季映姫個人としてでもあり、衆生の幸福を願う閻魔大王として、です」

 

 記憶を保持したまま転生する御阿礼の子であろうと、そんな御阿礼の子を守り抜いた阿礼狂いであろうと、閻魔大王の前では等しく衆生。

 衆生により良く生きてほしいと願うがゆえに裁きを下す閻魔大王は、厳正な瞳の奥に使命を果たしたものへの労いと慈愛の感情を浮かべ、笑うのであった。

 

 

 

 

 

 そうして白玉楼に連れられた信綱は、船を漕いでくれた小町に頭を下げる。

 

「助かった」

「これぐらいお安い御用だよ。お前さんの歩んできた人生についても聞けたし」

「死神などをやっているお前の方が面白い人生だとは思うがね」

「他人の人生が輝いて見えるのは万国共通ってことさ。ここから先の階段を登っていけば白玉楼だ。後はそこでのんびり疲れを癒やすと良いよ」

「そうさせてもらおう」

 

 生涯を通してみてもあまり疲労感を覚えたことはなかったが、小町の言葉は善意から来ているのでとりあえずうなずいておく。

 あまりに暇になったらどうしようかとも思い、その時になったら考えれば良いかと適当に放り投げながら信綱は階段を登って行く。

 

 無節操なほどに咲き乱れた桜が穏やかな風になびき、花びらを散らしていく。

 散った花びらが石段の上に積もり、灰色の無機質な石の色に艶やかな桜の色を添える。

 こんな景色が楽しめるのならば、確かに冥界は死後の者たちが安らぐに良い場所なのだろう。信綱も良い景色が見られることに悪い反応は示さない。

 

 気分良く歩いていくと、やがて階段にも終わりが見え始めてきた。

 視界を上げ、視線の先の門前で二人の少女が佇んでいるのを見つける。

 

「――お待ちしておりました。冥界の主、西行寺幽々子があなたを歓迎いたします」

「……覚えていないでしょうけど、お久しぶりです」

 

 穏やかな笑みを浮かべて信綱を待っていた桜の少女――西行寺幽々子と、彼女とは対照的に複雑そうな顔を浮かべた雪の少女――魂魄妖夢が信綱に頭を下げる。

 

「……ああ」

 

 信綱はそれに言葉少なに答え、彼女らの前に立つ。

 

「ここで世話になるのか」

「はい。部屋への案内は後ほど妖夢にさせます。それより今は――あなたを待つ人がおります」

 

 幽々子がそう言うと、妖夢がサッと動いて白玉楼への門を開いていく。

 徐々に明確になっていく屋敷内の風景に――一人の少女が立っていることを認識する。

 少女は照れたような顔で後頭部をガシガシとかきながら、信綱の方に歩み寄った。

 

「……なんて言えば良いかしら。久しぶり、が適切なのかしらね」

「…………」

「ん、私がいるのがおかしい? あんたほど悪巧み三昧の生活してたわけじゃないし、私も転生するのは当然でしょう。ちょっと長めに待たされているみたいだけど」

「…………」

 

 ペラペラと話していく少女の言葉に対し、信綱は反応を返さない。

 さすがに訝しみ、少女は信綱の顔を覗き込んだ。

 

「ちょっと、大丈夫?」

「……いや、すまない」

 

 

 

 

 

 ――お前は誰だ?

 

 

 

 

 

「ほんっとうにあの男は……! なんて薄情な男なんですか!! 半世紀以上連れ添った伴侶を忘れるなんて!!」

 

 場所は変わって中庭にて。妖夢は掃除箒を片手にプリプリと怒りを撒き散らし、縁側に座っている少女――かつて信綱の妻であった先代がその様子を見て苦笑する。

 

「結婚してからは二十年ぐらいよ。それにまあ……予想してなかったわけでもないわ」

「なんでですか! あんなハッキリ形を保っているなら、あなたと同じくらい記憶も保持していないとおかしいんです!」

「私だって霊夢や旦那ぐらいしかハッキリ覚えていないもの。あいつが主以外を覚えていなくても不思議じゃないわ」

「あなたはそれで良いんですか!?」

「良いわけないわよ。このままじゃ私の一人相撲じゃない。……ま、根比べといきますか」

 

 先代はそう言うと立ち上がり、台所に向かって歩き出す。

 

「あ、どちらに行くんですか?」

「お茶を用意してあいつのところ押しかけてくる。一緒にいれば思い出すものもあるでしょ」

 

 行ってしまった先代を見送り、一人になった妖夢は箒を置いてその場に立ち尽くす。

 妖夢と先代の付き合いは先代がこちらにやってきてからすぐに始まっており、そのさっぱりとした付き合いやすい気質や面倒見の良さを妖夢は心地よく思っていた。

 

 しかも霊夢が博麗の巫女に就任する前に博麗の巫女を務めた人であり、その実力は折り紙つき。稽古相手ができることは妖夢にとっても喜ばしい。

 

 だが、あの男はいただけない。

 無愛想で無骨。まるで抜き身の刀のような佇まいに振る舞い。きっと生きている間は辻斬りとかしていたに違いない、と妖夢は自分を棚に上げた罵倒を心の中で行う。

 言うまでもないが、彼女は初対面で殺されかけたこともあって、信綱への心象は基本的に最悪をぶち抜いていた。

 そこへあの言葉である。せめて覚えていれば家族を大事にしたのだと多少は評価を上げていたかもしれないのに、完全に忘れているなど言語道断。

 

「私が代わりに成敗すればよかったです!」

「ほう、誰をだ」

「もちろんあなたを――うひゃぁ!?」

 

 怒りに任せて箒を動かしていたところ、横合いから声が聞こえてきて驚いてしまう。

 視線を上げると廊下に信綱が佇んでおり、感情の乏しい顔が妖夢を見ていた。

 

「……何かご用ですか?」

 

 彼もここにいる以上は冥界の客人であり、妖夢は彼をもてなす立場だ。

 しかし個人的な感情では彼のことが大嫌いなため、自然と妖夢の声は冷たくなる。

 そんな常人なら怯みそうな妖夢の声だったが、信綱は特に気にせず話を続ける。

 

「先ほど、あの亡霊から部屋の案内をしてもらってな。手持ち無沙汰になったからうろついていただけだ」

「そうでしたか。先代さんがお茶を用意してあなたの部屋に向かうそうです。戻られてはいかがですか?」

「……それをする理由はないな」

「……っ、あなたの奥さんですよ!!」

 

 激高する妖夢に信綱は肩をすくめ、そのまま歩き始めてしまう。

 

「あ、どこへ行く!!」

「暇だから歩いていると言っている。適当に歩くだけだ」

「あの人はどうでも良いのか!」

「誘われたわけではない。俺が彼女にそこまでしてやる義理はない」

 

 信綱の言葉がいちいち妖夢の神経を逆なでする。

 相手は無手で自分は常に持ち歩いている刀がある。今なら確実に殺せるだろうし、ここで斬った方が彼女のためになるのではないだろうか、という考えすら浮かんでくる。

 

 殺意の混じった妖夢の視線を受けて、信綱は怪訝そうな顔になって口を開いた。

 

「……あの女が俺の妻であるとして、だ」

「絶対にそうだ。私はお前よりあの人の言葉を信じる」

「嫌われたな、当然か。――で、お前は俺に彼女を覚えていてほしいのか?」

「え……?」

「お前の言うように俺は人でなしだ。阿礼狂いと呼ばれた狂人で、御阿礼の子を優先する意思は今なお翳らない人間だ。――そんな男に覚えていてもらいたいのか」

 

 俺はゴメンだ、と吐き捨てるように言って、信綱は立ち去っていく。

 その場に残された妖夢は信綱のいなくなった廊下を睨みつけ、つぶやいた。

 

「――それを決めるのはあの人だ。お前じゃない」

 

 

 

「いやあ、あんたの部屋に行こうと思ったんだけどいないんじゃないかと思ってうろついててよかったわ。用意したお茶も無駄にならないし」

「…………」

 

 妖夢と分かれて数分。

 信綱はものの見事に先代の勘に捕まり、妖夢のいる場所とは違う場所の庭で並んで桜を眺めていた。

 上機嫌にお茶をすする先代とは対照的に、信綱は呆れたような困ったような顔で先代を見ている。

 

「ん、どうかした?」

「……いや、なぜ俺を誘う」

「こうしていれば何かを思い出すかと思って」

「……俺がお前の良人だったという話か」

 

 信綱の言葉に何も答えず、先代はただ微笑むばかり。

 

「そうねえ。愛しの旦那はなぜか私のことを忘れたみたいだけど」

「……そういう男だったということだろう。見限ってしまえばおしまいだ」

「さて、どうしようかしら」

「どうせ転生すればここでのことは全て忘れる。何よりここは死後の世界だ。生前の縁にとらわれる必要などあるまい」

「生前からの知り合いがいれば気になるものでしょう」

 

 のらりくらりと信綱の言葉をかわす先代に、信綱は苛立ったようなため息をこぼす。

 

「……妻を忘れるような薄情な男をなぜ追いかける。理解できん」

「私はあんたのことが本当の意味で理解できた時なんて一度もないわ」

 

 阿礼狂いの精神性を真の意味で理解できる存在など、同じ阿礼狂いだけだろう。

 しかしそれを告げる先代の顔に暗いものはなく、ある種の確信を持った顔で信綱を見ていた。

 

「答えになっていないぞ」

「あんたはそうかもしれないけど、私は覚えている。独りだった時に来てくれてどんなに救われたか。霊夢の面倒を一緒に見てくれたことも。……私を看取ってくれたことも」

「…………」

「さすがに転生したら消えるかもしれないけど。その時まで私はこの想いを無にしたくない」

「……相手は無にしたようだがな」

「さあ、どうでしょう?」

 

 何もかもわかっていると言わんばかりの優しい目で見られてしまい、信綱は憮然とするしかない。

 いつも以上の仏頂面でお茶をすする信綱を横目で眺めて、先代は不意につぶやいた。

 

 

 

「――あなた、意外と可愛いのよね」

 

 

 

 絶対の自信を持っているのだと伺える先代の言葉に、信綱は付き合いきれんと立ち上がる。

 予想されていたのだろう。信綱が立ち上がるのに合わせて先代も自分のお茶を飲み干す。

 

「春とはいえ、長居すると冷えるわね。場所を変えましょうか」

「つきまとうな、迷惑だ」

「たまたま私の行く方向にあんたがいるだけよ。あんまり神経質になるとハゲるわよ?」

「…………」

 

 ままならない人生というのは死んでも続くらしい。

 信綱は生前と今を振り返り、どちらにしても都合よく物事が動かないことを実感してため息をつくのであった。

 

 

 

 

 

 結局、彼女はついてこなかった。

 何がしたかったんだ一体、と内心で愚痴をこぼしながら信綱は外で何をするでもなく月を眺める。

 冥界では転生が決まるまで休むことが仕事のようなものとなる。

 しかし、いざ休んでいろと言われると困るのが信綱という男だった。

 

 釣りという趣味があると言えばあるものの、釣り竿も持っていない現状では何もできないし、魚を釣っても使いみちが浮かばない。

 かといって剣を振るのも面白くない。御阿礼の子の力になるのなら一切の休みを入れずに振っていられるが、自分のためとなると途端にやる気がなくなってしまう。

 

 総じて――信綱という男は、自分のために時間を使うのが極めて苦手なのだ。

 

 さっさと寝てしまっても良かったのだが、それはそれで味気ない。

 どうせなら冥界から見える月でも拝んでおこうと思い、部屋の外で誰を待つでもなく月を眺めているのが現状だ。

 

「…………」

「隣、良いかしら?」

「……ここの家主はお前だろう。俺の許可など不要だ」

「では遠慮なく」

 

 自身の隣に少女――西行寺幽々子が座る気配を感じながら、信綱は視線を月から動かさない。

 彼女に話したいことは何もない。何もない以上、信綱から口を開く理由はなかった。

 

「…………」

「……誰かを待っていたのかしら」

「なぜそう思う」

「あなたの隣、誰かを待っていそうな空間に見えたから」

「目の病気だな」

「あらひどい」

 

 にべもない信綱の言葉に、しかし幽々子はおかしそうにクスクスと笑う。

 

「人里で会った時のあなたとは別人ね。今の姿が素かしら?」

「…………」

 

 無言を貫く信綱だったが、幽々子はあくまで楽しそうに笑うばかり。

 やがて何を思ったのか、幽々子は指を伸ばして信綱の頬を突き始める。

 

「えいえいっ」

「…………」

「あ、ごめんなさいちょっとした冗談というか意地っ張りな男の人見てるとつい指が痛いからやめて!?」

「次やったらへし折る」

「警告でもなく事実を告げているだけのような言い方ね……」

 

 事実その通りなので信綱は訂正せず、視線を再び月に固定する。

 そんな信綱に幽々子は困ったように笑う。死んでもこの男が自分に辛辣なのは変わらないらしい。

 懲りた様子もないまま幽々子は信綱の憮然とした横顔を楽しそうに見つめていた。

 

「…………」

「…………」

「……何が用があるなら言え。鬱陶しい」

 

 最初は我関せずと無視を決め込んでいた信綱だったが、やがて苛立ちの方が勝ったのだろう。

 眉根を寄せ、睨むような視線で幽々子を射抜きながら信綱が口を開いた。

 

「いえ、特に用はございませんわ。ただ、この場所は特等席なの」

「月見などどこでもできるだろう」

「月見はどこでもできるわ。でも、ここから見上げる月が一番綺麗」

「…………」

「あなたもお目が高いわね。この場所を一度で見つけたのはあなたが二人目。一人目は――言うまでもなく気づいているようね」

 

 信綱の顔を見て察したのだろう。幽々子はクスクスと笑い、信綱は怒る気にもなれないとため息をつく。

 どうせ相手の中で答えは出ているのだ。付き合うだけ馬鹿馬鹿しいと、徹底的に無視する構えのようだ。

 これより先は踏み込むだけ痛い思いをするだけだ。幽々子は静かに立ち上がると、信綱に背を向ける。

 

「これ以上怒らせるのはやめておきましょうか。……でも、一つだけ」

「…………」

 

 

 

「――自分でも正しいと思えない意地を張るのはよくありませんわよ」

 

 

 

「せめて意地を張るなら確信を持ちなさいな。でなければ私やあの人にいじられるだけよ?」

「…………」

 

 何も答えない信綱に幽々子は仕方がない、と困ったように笑ってその場を立ち去るのであった。

 やがて誰もいなくなったことが気配でわかると、信綱は大きくため息をつく。

 まるで途方に暮れた子供のようなそれを吐き出し、信綱は独り言を漏らす。

 

「全く、死んでからの方が疲れるとはどういう了見だ……」

 

 

 

 

 

「はっ!!」

「っと!」

 

 振るわれる木刀を紙一重で避け、反撃の拳が妖夢の顔に迫る。

 一切の躊躇なく顔面を狙うそれに内心冷や汗を流しながら、それを回避。

 しかしそれが失策であったと実感するのは、拳を避けたにも関わらず殴られた衝撃が頬に走った瞬間である。

 大きく吹き飛ばされるも、かろうじて体勢を立て直して背中から落ちることだけは避ける。

 ジンジンと熱と痛みを発する頬を意図的に意識から外し、すでに構えを取っている先代を見上げた。

 

「……今のは一体?」

「結界を拳にまとわせるの。手の保護もできるし、結界で殴れば相手は痛い。一石二鳥ってわけ」

「結界ってそういう用途じゃないですよね!?」

「動き回る手を守る結界だからあんまり固い結界だと腕が動かせなくなるし、霊力込めてぶん殴った方が早いのは確か。でもできる手は多いに越したことはない。こんな風に、ね」

 

 パチリと茶目っ気あふれるウインクをした先代の顔を見て、妖夢は直感的にこの状況自体が危ないと理解し、その場を離れようとする。

 しかし時はすでに遅く、すでに妖夢の足元には先代が話している間に作り上げた多重結界の術式が輝いていた。

 あとはこれを起動するだけで妖夢は実に簡単に、何の感慨もなく消し飛ばされるだろう。詰みだ。

 

「……参りました」

 

 妖夢がうなだれたように敗北を認めると、足元の結界が霧散する。

 先代との稽古は大体いつも、こうして妖夢が手玉に取られる形で終わってしまう。

 

「はい、おしまい。未熟というより、視野狭窄ね。相手が何をしてくるか、というところに思考が及んでいない」

「斬れば全て同じでは?」

「それで馬鹿みたいに突っ込んで私を斬れた?」

「それは……」

「純粋に腕が立つ相手では相手にもされないでしょうし、同じくらいの相手でも知恵が回ればあっという間に手玉に取られるわ。なんでも斬りたいと思うのは結構……いや結構じゃないけど、目的のための思考というのを磨きなさい」

「目的?」

「戦いに勝つと言っても相手を下すことだけが勝利ではないってことよ。例えば……ほら、ちょうどいいところに」

 

 先代が指差す先にはフラフラと手持ち無沙汰そうに歩いている信綱の姿があった。

 どうにも暇を持て余してしまっているようで、白玉楼に来てからは何をするでもなくうろついている姿がたまに見受けられていた。

 そして暇だからか、時折厨房などにフラッと現れては料理などを作っているのだと厨房を預かっている亡霊が悔しそうに言っていたのを聞いた覚えがある。

 それを聞いた幽々子が彼を本格的に亡霊として雇ってしまおうかと考えていたことは秘密である。

 

 他にも妖夢が剪定しようとしていた部分の庭が綺麗に――本業の妖夢が見ても非の打ち所がないほど――整えられていたりと、随所で彼が無聊を慰めるために動いた形跡が見受けられた。

 

「あの人がどうかしました?」

「あんた、あいつに鍛えてもらいなさい」

「はぁ……はぁっ!? なんで私があんな人間に!?」

「あんたが嫌ってるのはわかるけど、あいつの強さは本物よ。それになんだかんだ面倒見も良いから、あんたがちゃんとお願いすれば手は抜かないはずよ」

「ぐむ……」

 

 先代の言い分に一定の理があると思い、唸る妖夢。

 あの男の強さは身をもって理解させられている。確かに教えを受けられるなら剣士として明確なプラスだ。

 個人的な好悪もあるのは事実だが――それはいずれ彼より強くなったら恨みを晴らせば良い。

 決心の付いた妖夢は先代に首肯を返し、信綱に駆け寄っていく。

 

「あ、あの!」

「なんだ」

 

 妖夢が声をかけると信綱は抑揚のない返答とともに、感情の読めない無表情で見つめてきた。

 その顔にかつての異変時に見た姿を思い出して怯みそうになるが、グッと堪えて口を開く。

 

「私に剣を教えていただけないでしょうか!」

「断る」

「教えていただけ……ないんですか!?」

 

 即答だった。一考する素振りすら見せなかった即答で、とてもではないが暇を持て余している人間の反応ではなかった。

 驚いている妖夢に信綱は説明するのも億劫な様子だったが、渋々口を開く。

 

「なぜお前に剣を教えねばならない」

「手持ち無沙汰そうじゃない! それにあなた、私よりも遥かに強いでしょ!」

「お前に教えるものなど何もない」

「なんで!」

「人里に何をしようとしたか答えてみろ。お前に教えても人間に害しかない」

 

 たとえ死んで生前の縁が全て切れたとしても、かつて人里で生きた者として同胞への不利益は見過ごせない。

 それに第一、彼女は人里を害するどころか御阿礼の子さえも傷つけようとした。未遂であり、すでに解決された異変だからさほど根には持っていないが、それでも所業を忘れることはない。

 

「お前は主のためなら同じことを何度でもする類だ。俺の主を害する可能性がある者になぜ教えを授けねばならない?」

「……霊夢とかは良いの?」

 

 信綱の指摘に妖夢が口ごもっていると、横からやってきていた先代の助け舟が出る。

 しかしこれにも信綱は軽く肩をすくめて答えていく。

 

「博麗の巫女が弱くて困るのは人里も同じだ。それに幻想郷の調停を担う役割の者が御阿礼の子を害するとも思えない」

「じゃあこの子もそうすればいいじゃない」

「……なに?」

「敵を増やすよりは味方を増やせ。あんたの常でしょう。この子がやったことは私も聞いたけど、次に同じことをするとも思えない」

「それを決めるのはこいつではなく、あの亡霊だろう」

「彼女もよ。もう異変の顛末で十分懲りたでしょうし」

 

 先代の言葉を受けて、信綱は無言で妖夢の方を見る。

 その目はもうあの方の敵にならないか、と問いかけているような、相手の意思を推し量るそれだった。

 ただの人間の目と侮るなかれ。彼のそれは幽々子をして敵わないと言わしめるほどのもの。

 妖夢は呑まれまいとグッと丹田に気合を入れて、決死の覚悟でその瞳を見返す。

 

「……私は未熟者だ」

「…………」

「お前に――あなたに比べれば天地以上の差があって、もっと強くなりたいと願っている」

「なぜ」

「弱いままでは自分の意思を通せない。……皮肉だけど、あなたが教えてくれた」

 

 善でも悪でも、何かを成すには力がいる。弾幕ごっこに形を変えても、その真理は不変だ。

 信綱は妖夢の言葉を聞いて、微かに眉を動かした。彼の琴線に触れる何かがあったかのように。

 

「もう幻想郷はスペルカードルールが普及されてるから、あなたや先代さんの使う技が必要な場面は少ないと思う。――でも不要にはならないだろうし、幽々子様が求められた時に力を振るえないのは恥」

「…………」

 

 感情の読めない瞳で妖夢を見下ろす信綱は、やがておもむろに彼女の隣を通り抜けて落とした木刀を拾う。

 ダラリと木刀を下げて、幽鬼のごとく妖夢に背中を向けたまま、信綱は口を開いた。

 

「……一つだけ約束しろ」

「なに」

「人里に害を及ぼす命令をあの亡霊が下したのなら、お前はそうならないよう立ち回れ。来てほしくない未来があるのなら、そんな未来が来ないようにするのが当然だ」

 

 主の命令は絶対服従。それは信綱もかつて従者だった者として理解を示せる。

 だが、主の命令を叶える方法が一つだけとは限らない。

 幻想郷縁起の編纂だって、信綱が適当にその辺の妖怪を問答無用で倒して引きずってあの手この手で話を聞き出せば終わったものもあるのだ。

 それをしなかったのは阿弥と阿求がそういったことを望まない心優しい少女であることと、手段を模索できるだけの視野を信綱が持っていたからだ。

 

 そしてその視野を与えてくれたのは信綱が生きている間に関わった人妖全てになる。

 故にこの未熟な剣士も知るべきなのだろう。幻想郷は閉じた狭い世界であるが、人間が一人で見渡せないほどに広い世界でもあるのだ。

 

「……これからお前に視野の広げ方を教える。あいにくと俺のやり方は剣を使う以外に知らないが……まあ、必要経費だ」

「何の必要経費!?」

「半人半霊と聞くし、多少熱が入っても死ぬことはあるまい」

「死ぬ危険があるの!?」

 

 教えを受けられることはありがたいが、なんだか剣呑な方向に向かっている気がしてならない妖夢。

 思わず隣にいる先代を見ると、彼女は無言で両手を合わせて拝んでいた。

 

「先代さん!?」

「言い忘れてたけど、あいつの稽古めっちゃキツイから。霊夢は泣き叫んでた」

「なんてもの私にやらせようとしてるんですか! ねえ!!」

「――二人とも、始めるぞ」

「しまった藪蛇!?」

 

 ぎゃーぎゃーうるさいので両方とも揉んでやろうと、信綱が木刀片手に振り返り、愉しそうな笑みを浮かべる。

 その心は久しぶりに身体を動かせること以外には何もないのだが――彼女らには悪魔が舌なめずりをしたようにしか見えなかったとか。

 

 その後、先代は死んで魂だけの存在になっても筋肉痛というものが存在することを、身をもって知る羽目になったのである。

 

 

 

 

 

 昼間は多少暇を潰せるようになっても、夜になればやることがなくなるのは変わらない。

 しかし、最近は夜になっても恒例の行事ができつつあった。

 

「花より団子、ってわけでもないけどやっぱり摘めるものは欲しいわよね」

「そうねえ。月を見てお団子を連想するんですもの、やっぱり昔から月とお団子は二つで一つなのよ」

「……訳がわからん」

 

 楽しそうに話し合う幽々子と先代の二人を横目で見つつ、信綱は呆れたようにため息をつく。

 幽々子曰く月見の特等席。初めて来た時、幽々子に散々からかわれた信綱は二度と来ない意思を固めていたのだが、先代に連れ出されたり幽々子に連れ出されたりと、気づいたらこの場所に毎日来るようになっていた。

 

 この場所に来てもやることは月を見上げてその日にあったことを話すだけという実のないものだったが、不思議と先代も幽々子もこの時間を嫌ってはいないようだ。

 信綱もどうせ引きずり出されるのならと団子や軽い菓子などを作っており、死んでも彼の面倒見の良さは変わらなかった。

 ……面倒を見なければならない相手がいるとも言い換えられるので、信綱にしてみればいい迷惑かもしれないが。

 

「ふふ、お客人が楽しんでくれて何よりです。いつもは人魂になっているからほとんど意思疎通も難しいんだけど、お二人とはちゃんと話せるから私も楽しいわ」

「そっちも会話できそうなのはあの子だけでしょう? 大変よねえ」

「……ええ、とても退屈なの。あなたたちが来てくれて嬉しいわ」

 

 答えるまでに一瞬の間があった。そこに信綱は何かしらの事情があると察するものの、口には出さないでおく。

 先代はもうすぐここを去り、新たな道を歩み始める。その前に余計な厄介事を引き寄せたくはなかった。

 

「それにしてもまだ思い出せないの? こんなに献身的に尽くしているのに」

「言葉の意味をもう一度調べてこい。お前が俺を引っ張り回しているだけだろうが」

「そうでもしないとあんた、私を思い出さないでしょう?」

「死んだ時点で大半の記憶は失われるのだろう。多少覚えていたことだって十二分に凄まじいことだぞ」

「そうねえ、大抵は人も妖怪も人魂になってしまうし。それでも生前に夫婦だったりすると、人魂でも一緒に寄り添っていたりするけどね」

 

 幽々子の言葉に信綱は一瞬だけ目を細める。

 自分より、先代よりも先に旅立った勘助夫婦はどうなったのかと思ったのだ。

 だが、幽々子の言葉を聞く限り不安に思う必要はないだろう。死ぬまで寄り添い続けた彼らは、死後も一緒に居続けたに違いない。

 

 信綱がそうして物思いに浸っていると、横から先代が首に手を回して引き寄せてきた。

 

「ほら、彼女の言葉通りなら私とあんたも一緒に居ないとおかしいでしょ? もっと近づきなさいよ」

「鬱陶しいから寄るな」

 

 先代の手を強引に振り払い、不愉快そうなため息をこぼすものの信綱にその場を離れる様子はなく、先代もそれを確信していたのか素直に離れていく。

 

「はいはいっと。ね、お代わりはないの?」

「結構作ったぞ。二人分には十分な量だ」

「あれくらいじゃ足りないわ。あなたの作るお菓子はどれも美味しいんですもの」

「…………」

 

 二人の催促に信綱は特大のため息をついた後、のそりと立ち上がって台所に向かっていく。

 

「追加を作るんなら良いわよ? さすがにそれは悪いわ」

「作り置きしたやつを持ってくるだけだ」

 

 言葉少なにそれだけ言って、信綱は二人の視線から消えていく。

 その姿を見送り、先代と幽々子は顔を見合わせる。

 幽々子は驚きながらも納得の感情を。先代はただ慈愛に満ちた微笑みをその顔に浮かべていた。

 

「……ね、あいつはああいうやつなのよ」

「半分くらい冗談で言ったのに、本当に用意しているとは思わなかったわ」

「このお月見も結構続いたからね。あいつも学習するわよ」

「私やあなたのワガママなんて突っぱねても良いのに。あなたの言っていた通り、貧乏くじを引く人みたいね」

 

 生前に顔を合わせた印象とは大違いである。

 道理に合わないことをすれば理路整然と反論するし、意外と気が短くてすぐに手が出ることもある。

 だが、そういったことをしなければ信綱は口では色々と言うものの、とても気の利く優しい人間であることがわかった。

 

「あなたが彼を好きになった理由がわかった気がするわ。彼、根っこは狂人かもしれないけど、とても人間臭い」

「そうなのよ。もっと肩の力を抜けば役目だけに集中できるはずなのに、全然そうしない」

 

 そこまで言って、先代は瞳に形容のし難い深い色を宿す。

 淡く憐れみ、深く愛し、強く彼を想う様々な感情の入り乱れたそれを、幽々子は僅かに目を見開いて受け入れる。

 

 

 

「ホント――最期に苦しむだけだってわかってたのに、変えなかったんだから」

 

 

 

 彼女の脳裏に浮かぶのは自身の最期の瞬間。

 手を握り、名前をささやいて、少しでも安らかに眠れるよう力を尽くして――表情だけは不動の男。

 悲しみを見出だせないことを悟られまいとしている彼の表情を、先代は直接見ていなかったが確信していた。

 

 自分との婚姻など口約束でしかなかったのだから破れば良かった。

 阿礼狂いであることは変わらないのだから、もっと冷たく無視すれば良かった。

 どちらかの行動を取っていれば、少なくとも彼が悲しめない己に嘆きを見出すようなことはなかっただろう。

 

 先代にさえ思いつく行動だ。彼が思わなかったとは到底思えない。

 それを選べば間違いなく楽になれただろうに、それでも選ばなかった。

 きっとその時の彼の思考は先代への不義理だとか、こんな自分に付き合ってくれた礼とか、自分がどれだけ苦しい思いをするかなど勘定にすら入っていなかったに違いない。

 

 そこまで考えて、先代は含み笑いを漏らす。こんなことまで考えてしまう時点で、自分も相当だ。

 そんな先代の様子を幽々子は染み入るように見て、感慨深く口を開いた。

 

「……ここまで愛されて、あの人は幸せね」

「さて、ね。あいつもあいつで面倒だからなあ……」

 

 冥界での信綱の態度のことだろう。

 幽々子は先代の答えがわかりきったものであると確信しながら、それでも彼女の口から聞きたくて言葉にする。

 

「薄情だって怒るかしら?」

「あいつらしいって笑う。あんたも気づいているんでしょう?」

「あなたほどの確証があるわけじゃないわ。私のはただの勘」

「じゃあ同じよ。私も勘だから」

「かつて博麗の巫女だった人の勘と同じなら、信じても良さそうね」

 

 そう言って幽々子は再び笑い――表情を真剣なものに変える。

 

「彼が戻ってくる前に言っておくけれど――もうすぐあなたはここを去るわ」

「だと思った。そんな予感がしていたのよ」

「私は単なる賑やかし。……どんな結末になるにしても、後悔だけはしないように」

「それは冥界の主人としての言葉?」

「あなたたちが悔いなく次生を迎えられるように願う、亡霊の言葉よ」

「――それはきっと、この冥界で何よりも心強い言葉ね」

 

 真剣味を帯びた幽々子の言葉に、先代は力強く笑って応えるのであった。

 

 

 

 

 

 そして、その日はやってくる。

 もともと先代は信綱より早く冥界に来ており、転生の準備自体も信綱より早く終わるもの。

 そのためこの日が来ることは必然であった。

 

 白玉楼の門前。彼女の次生の始まりを彩る灰と桜に見守られ、かつて博麗の巫女だった少女が立つ。

 見送るは彼女と懇意にしていた妖夢と幽々子。そして信綱。

 

 妖夢は彼がもう覚えていないから関係ないと突っぱねるのではないかと思っていたが、意外にも先代が来る前から門前に佇み、彼女を待っていた。

 冥界での暮らしで彼女に振り回されなかった日々はなかったのだから、彼にも思うところがあるのだろうと自分を納得させる。

 

「……ついにこの日がやってきましたね」

「そうね。ずいぶんと世話になったわ。桜も綺麗だったし、月も綺麗だった。死後の世界がこんな風に安らかなら、やるべきことをやった後に死ぬのも悪くない」

「ええ。これは生きてやるべきことを果たした者へのご褒美みたいなものですから。あなたたちは十二分に己の役目を果たしきりました」

 

 幽々子の言葉にくすぐったそうに笑い、先代は信綱の方に駆け寄っていく。

 

「あんたともこれでお別れかしら」

「……さあな。転生した後など誰にもわからん」

「それもそっか。でも無理とは言わないんだ」

「万に一つ程度なら、お前は平気で乗り越えて来るだろう。それぐらいはわかっている」

 

 憮然とした仏頂面でそう言う信綱に先代は笑みを深める。

 悲観的でも楽観的でもなく、淡々と現実を直視するこの男からこれだけの言葉が引き出せたということは、彼女にとって嬉しいことだった。

 

「ふふ、そこまで言ってもらえるなんて嬉しいわね」

「…………」

 

 先代の喜びようを見ても信綱は何も言わず、表情も変えない。

 それは見るものによっては彼の冷淡さが浮かんでいるように見えただろう。だが見る人によっては、必死に自身の感情を隠しているようにも見えた。

 そして先代はそんな信綱の表情を楽しそうに、実に楽しそうに見つめる。

 

「…………」

「…………」

 

 互いの瞳に互いが映る時間がしばし続き――やがて、先代が彼の耳元で口を開いた。

 

 

 

 

 

 ――演技、見ていて楽しかったわよ?

 

 

 

 

 

 先代の言葉を聞いた信綱に驚愕の色はなく、しかしゆっくりと彼女から距離を取る。

 恥じ入るように片手で自身の顔を隠し、やってられないとばかりにため息をつき、口を開いた。

 

「……いつから気づいていた?」

「最初から」

「だと思ったよ。全く……」

 

 かなり無駄な回り道をした、とぼやく信綱の額を先代は楽しげに弾く。

 それを素直に受け止め、信綱はやれやれと首を振るばかり。

 

「え、えええええぇぇぇぇぇ!? 覚えてたんですか!?」

「あら妖夢、気づいてなかったの?」

「幽々子様も!? え? じゃああの冷徹無慈悲な言葉は何だったんですか!?」

 

 どうやら騙せていたのは一人だけで、しかも騙しても大して意味はない少女のみだったようだ。

 自分に演技の才能はないらしい、と死んでから学んだ信綱は大人しく自分の行動を説明していく。

 

「大体の理由はお前たちに言った通りだ。……阿礼狂いであり、今この瞬間だって御阿礼の子がいればそちらを優先するような男に覚えていてもらうのが、本当にこいつのためになるのかわからなかった」

「それが夫婦になって一緒に連れ添った女に言う言葉?」

「……俺だって確信があったわけじゃない。お前の幸福を考えるなら、お前に聞くのが一番だろう」

 

 だが、それをして万一自分との付き合いを忘れたかった、と言われたら聞きに行った時点で失敗となる。

 故に信綱も演技を行ったのだ。自分でも正しいと思っているわけではない、拙い演技を。

 

 忘れたかったのならばそのまま忘れれば良い。信綱は多少思うところが生まれるかもしれないが、御阿礼の子以外は些事と割り切れる以上、心に傷を負うこともない。

 そうでないのなら、一言言えば良かった。それなら信綱は自分が馬鹿なことをしたと認めるだけで良いのだから。

 

 信綱が理由を説明し終えると、先代はやれやれと言わんばかりに肩をすくめて、もう一度彼の額を小突く。

 

「む」

「あんたなりに私のことを考えてくれたのは嬉しいけどね。もうちょっとお互いが幸せになれる道を考えなさいな」

「俺なりに考えたつもりだったんだが……」

「じゃあ最初の態度でもう決めて良かったでしょう」

「……お前の死に、悲しめなかった男をお前は望むのか」

「望むわ。私が死んで悲しくなかったことが悲しい(・・・・・・・・・・・・・)と思えるあなたを、私は望む」

「……馬鹿な女だ」

「そうね、馬鹿なの。今だってあんたは私のために泣いてくれると確信しているくらいには」

 

 そう言って先代は一瞬だけ信綱に近寄り、そして離れる。

 その間に何があったかは――顔を真っ赤にして手で覆いながら、それでも指の隙間から覗いている妖夢の態度が物語っているだろう。

 

 先代と信綱は気にせず、かつて博麗の巫女だった者と、阿礼狂いの英雄として生きた者として最後の会話を楽しんでいた。

 仮に次があったとしても、次に会う時彼らは博麗の巫女でも阿礼狂いでもないだろう。

 

「次の人生でも会えるかしら?」

「さあな。人間以外に生まれる可能性もあるらしいぞ」

「だとしても。あんたは会えると思う?」

「転生したことがないからわからん」

「夢がないわねえ」

「もとよりこういう男だ。……だがまあ、待つぐらいならできる」

「それって……」

「初めて会った時、俺からお前に話しかけた。次はお前の番だ」

 

 

 

 ――待っていてやるから、俺を探してみせろ。

 

 

 

 そう言って信綱は彼女以外の誰にも聞こえない声量で、先代の名をつぶやく。

 その言葉を聞いて、先代は嬉しそうに、心の底から嬉しそうに笑って信綱に背中を向ける。

 

「じゃあ私は先に行ってどんな場所なのか見てきてあげる! ――またね、あなた!」

 

 彼女が石段を下り始めると同時、風が吹いて桜の花びらを巻き上げる。

 視界全てを桜色に埋め尽くすそれに妖夢と幽々子は目を閉じ、次に開けた時には先代の姿はなくなっていた。

 

「……行っちゃいましたね」

「そうね。……あなたは、何が見えたのかしら」

 

 妖夢と幽々子が再び日々の仕事に戻ろうとしている中、信綱は瞬きもせずに彼女の消えた場所を見ている。

 そこに何かがあったのだろう。幽々子はある種の確信を持って信綱に問いかける。

 信綱は幽々子の問いに小さく笑いを零し、質問に答えることなく白玉楼の中に戻り始めた。

 

「あ、幽々子様が聞いているんですよ!? 全く、あの男は……」

「良いのよ、妖夢。今のは私が野暮な質問をしちゃったわ」

「今のがですか?」

「そう。独り占めしちゃいたいような素敵な景色が見えたのだと思うわ」

 

 頭の上に疑問符が浮かんでいるような顔をしている妖夢に幽々子も笑い、白玉楼に戻ってしまう。

 慌てて妖夢もその背を追い、白玉楼の日常が再び始まっていく。

 

 

 

 あの瞬間、信綱は目を閉じなかった。

 先代の最後の瞬間を見届けるのが、曲がりなりにも良人として在った自身の役目であると、桜吹雪の中でも彼女の背中を見続けていた。

 そこで不意に、見えたものがあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ――それはきっと、今までと何も変わらず月を見上げて語らう男女の姿で――




Q.これって結局どんなお話?
A.変なところで意地っ張りなノッブを先代とゆゆ様がイジるお話

ノッブがちょいちょい過去の話とかしてたり、そもそも一回しか会ったことのないゆゆ様や妖夢のことをちゃんと覚えている辺り、何も忘れてねえなこいつというのは早々にわかってもらえると思います。
その上でノッブは自分が彼女のことを覚えていることが、彼女を傷つけることにならないかと思って忘れたフリをすることにしました。基本的にこいつは御阿礼の子以外のために動くとなると不器用な方です。
また、これが本当に先代のためになるかもわからなかったため、ノッブ自身も結構適当に演技してます。バレたらバレたで良いや、という感じでした。

先代とゆゆ様はそんなノッブの意地も全部見抜いて、その上であえてイジってました。ゆゆ様は賑やかしですが、先代はほぼ惚気も同然です。この人、ノッブが自分のことを忘れているとは全く思っていません。



さて――後は本作の主人公の相棒を務めた彼女とのルートで阿礼狂いに生まれた少年のお話は本当に終了となります。具体的には作品分類が完結済みに移動します。
少し早い言葉になってしまいますが、ここまで拙作にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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