阿礼狂いに生まれた少年のお話   作:右に倣え

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書きたい場面を書くの楽しいぃぃぃぃ!!(キラキラした目)


霊夢と阿求の不思議な一日

 それは完全に偶然だった。

 神社の食糧の備蓄が減ってきたので、買い出しに来ている途中の話だ。

 人里まで文字通り飛んできた博麗の巫女、博麗霊夢は寒さで白くなる息を吐いて、行きつけの店まで歩いていく。

 

 今の人里では天狗などが飛んで来ることも多いため、店の真上に直接飛んでいっても良いのだが、お店のお婆ちゃんが毎回驚いた顔をするのが心苦しく、歩くことにしていた。

 そうして歩いている途中で――視線の先に一人の男性を見つける。

 もう人里の長老と言っても過言ではない歳であるのに未だその動きに衰えはなく、寒さに背中を丸める者たちの中で背筋を伸ばして歩く立派な装束をまとう人物だ。

 稽古相手として苦手意識を持ち、狂人として近づきがたいものも感じ、同時に家族としては大好きなその人物――火継信綱を見つけ、霊夢は駆け寄ろうとする。

 

「あ、爺さ――」

 

 普通に手を振って近づこうとして、はたと思い至り口をつぐむ。

 幸い――というか奇跡とも言うべきことに信綱は霊夢に気づいた様子がない。

 

 ならばこれは千載一遇の好機ではないか、と霊夢の心がささやく。今なら信綱の後ろをこっそり尾行して、彼の知られざる一日を知るチャンスではないか。

 幸いまだ買い出しはやっていない。つまり手ぶらで動ける。

 おそらくこんな好機は二度と来ない。同じ状況があったとしても、今度は信綱が霊夢に気づいて声をかけるパターンだろう。霊夢が信綱に気づき、信綱が霊夢に気づかない。そんな奇跡は二度も起こらない。

 

 行くべきでしょう私、と霊夢の中の面白いことを至上とする自分がささやきかけてくる。

 しかし、同時にやめときなさいよ私、という霊夢の中の慎重な自分もまた声を上げていた。

 

 なにせ相手は霊夢が戦って一度も勝てていない男だ。彼の過去を全部知っているわけではないが、自分以上の修羅場をくぐってきたことは想像に難くない。

 今は何かの間違いで自分だけが気づけているが、尾行などやれば瞬く間にバレて折檻を受ける未来が容易に想像できてしまう。

 彼は間違ったことを言わないし、理不尽なことも――まあ、稽古以外では言わない。頑張れば褒めて、だらければ注意する。そういう道理に則ったことを道理に則って言ってくる男だ。

 

 その彼に対して尾行を仕掛けて怒られない未来が想像できるだろうか。否である。

 きっと見つかった時には翌日の稽古五倍とか、そういう霊夢が絶望できるお仕置きが待っているに違いない。

 

 そこまで考え、霊夢の頬に冷たい汗が流れる。落ち着いて考えた結果、得られるリターンと背負うかもしれないリスクが全く見合っていない。

 やっぱり諦めて買い物に戻ろう。そしてもう一度会ったら荷物持ちでもお願いしよう。そのぐらいなら引き受けてくれるはずだ。

 そう考え、霊夢はため息とともに店に戻ろうとして――

 

「あ、霊夢さんじゃないですか。こんなところで何してるんですか?」

「――阿求、ちょっと爺さんの後を尾行するわよ」

 

 信綱の後を尾けることを一秒も迷わず選択するのであった。

 

 

 

 霊夢と阿求はこそこそと道の端を歩いて信綱の後を追う。

 道すがらに霊夢は事情を話しており、それを聞いた阿求は目を輝かせて祖父の後を追うことに同意していた。

 

「私も興味あります! 普段のお祖父ちゃんが何をしているかって全然知らなくて……」

「私も知らないわ。でも私一人だと見つかった時が怖い。そこで――」

「私が霊夢さんを庇えば霊夢さんは怒られないという寸法ですね!」

 

 完璧である。霊夢と阿求は完全に一致した利害を確かめ、お互いにうなずき合う。

 ここに同じ男性を家族と慕う少女たち二人の同盟が結成され、信綱の後を追っているという経緯である。

 

「ところで爺さんは何してるの?」

「多分見回りです。私が小鈴と遊びたいな、とか思った時はそっと離れてくれるので」

「……なんでそういうのがわかるのかしら」

「お祖父ちゃんは私のお祖父ちゃんですから」

「……確かに。爺さんならやってのけそうね」

 

 誇らしげに胸を張る阿求と、爺さんなら不可能ではないだろうと思ってしまう自分がおかしくて霊夢の口元から笑いが溢れる。

 そして二人は信綱を追いかけ、市場の方に入っていく。

 

 阿求の記憶の中にある阿七の記憶では、この場所は人間たちが思い思いに店を出して大層賑わっていた場所だった。

 今は――妖怪もその中に混ざり、あの頃よりもさらなる賑わいを見せている。

 寒さに負けない威勢のよい喧騒と道々に並ぶ商品を少しでも値切ろうと交渉に励む者たち。そして彼らの間を飛び交い、情報を集めていく烏天狗の姿。

 すでに人里ではどこでも妖怪の姿が見られるようになっているが、この空間はそれが特に顕著で、この場所だけ別世界のような錯覚すら覚えてしまう。

 

 霊夢と阿求はそれを呆けた様子で眺め――信綱が歩いていくのを見て慌てて追いかける。

 

「すごいわね。私はあんまりこの辺りの市場ってやつには来ないんだけど、熱気が凄まじいわ」

「私もです。買い物に出る時は大体お祖父ちゃんが一緒で、行くお店も霧雨商店とかでした」

 

 気を抜いたら人混みであっという間に迷子になりそうな空間を、信綱の姿だけを頼りに歩いて行く。彼の一本芯の通った立ち居振る舞いは見つけやすくてありがたい。

 

「なんで爺さんはこの辺をうろついているのかしら」

「やっぱり人が多いからだと思います。人が多いってことは、それだけの価値観があるということで、そのぶつかり合いも多くなります」

「なるほど、やっぱり目的があったのか……あっ!」

 

 信綱が市場を歩いている理由がわかって、感心したようにうなずいていた霊夢が唐突に声を上げ、阿求の手を引いて人混みに紛れるようにする。

 

「きゃっ、霊夢さん、どうかしました?」

「今、財布をスリとった人がいたの。んで、爺さんが一瞬で気づいてそれを捕縛した」

 

 阿求には全くわからなかった。信綱が人間離れしているのはその通りだと認めるが、信綱に負けない速度でスリに気づいた霊夢も十分に人間離れしていると思ってしまう阿求だった。

 

「じゃあ一旦離れた方が良いですよね」

「見つかったら終わりよ。ちょっと離れて様子を見ましょう」

 

 こっそりと店と店の間の暗がりに隠れ、そこから顔だけ出して信綱の様子を伺う。

 後ろ手を押さえられた盗人が天狗の自警団に突き出されている光景が目に入り、間もなく騒ぎが収まることが想像できた。

 

「天狗に渡すんだ」

「はい。あの辺りは空から見た方が発見が早いですから、烏天狗や白狼天狗の方々が見回っているんですよ」

「へぇ、人間はどうなの?」

「居住区とか人里の外縁部とか、その辺りですね。妖怪が見て回ると安心できないって声もありますから」

「ふぅん……」

 

 人里で暮らしていない霊夢にはわからないことばかりである。

 しかし、意外と人里は上手くやっているようだ。

 

「動き始めたわね、追うわよ阿求」

「合点です、霊夢さん!」

 

 そうこうしているうちに信綱が再び歩き出したため、霊夢と阿求は再び追いかけ始める。

 十分に距離を取って信綱の後ろを追っていると、信綱は不意に足を止めて誰かと会話を始めた。

 

「む、足を止めた」

「あ、椛さんです。妖怪の山を哨戒している白狼天狗なんですけど、昔は人里での警備もしていたみたいで人里にも馴染んでいるんです」

「よく知ってるわね、阿求」

「お祖父ちゃんとも子供の頃から知り合いだそうです。その縁で私とも仲良くしてます……ハッ!」

 

 途中である事実に気づいた阿求が慌てて霊夢の手を引き、わざと人の多い場所に入っていく。

 阿求の焦りようは尋常でなく、霊夢は手を引かれながら不思議そうに聞く。

 

「ちょっと、どうしたの?」

「あの人、能力を持ってます! 千里先まで見えるって能力が!」

「あ、それは詰んだわね」

「諦めるの早いですね!?」

 

 しかしどうしろというのだ。千里先が見えるなら霊夢たちなどどこに隠れても無駄である。

 短い尾行だったな、と霊夢がこれまでの時間に思いを馳せていると、意外なことに信綱と椛は普通に別れてしまう。

 

「あ、あれ?」

「なんか普通に離れるじゃない。もしかして見つからなかった?」

「……かもしれないです。椛さん曰く、見たい場所をちゃんと決めておかないと頭がパンクするって」

「たまたまこっち見られてたらアウトってこと……」

 

 信綱に未だ気づかれていないことと言い、なんだか九死に一生を拾いまくっている気がしてならない。

 

「まあ何にしても見つかってないならラッキー。このまま追うわよ」

「ですね! あ、今度はお店の前で止まりましたよ!」

 

 阿求が興奮したように指を差す先には、寒い中であるというのにござを敷いて店を出している河童の少女がいた。

 緑のつなぎに青い髪。見た目こそ人間に近いものの、それらが妖怪であると雄弁に語っている。

 

「河童のお店ね。装飾品とかは河童の右に出るものはいないって聞いたことがあるわ」

「私もです。……実はこの花の髪飾り、お祖父ちゃんが阿弥に贈ったものなんですよ」

「む、それを言ったら私だってこのマフラーは爺さんに買ってもらったものよ」

 

 むむむ、と阿求と霊夢はほんの一瞬だけ顔を見合わせて対抗するように見せ合うが、すぐにやめる。

 彼が御阿礼の子を優先することはわかり切っていることである。

 ……だが、霊夢に寒さで風邪を引かないようにと贈ったマフラーの価値が揺らぐものでもないのだ。

 要するにもらったものを比較するのではなく、素直に喜ぼうという話である。

 

「あの河童とも知り合いなのかしら?」

「そこまではちょっと……あ、でも結構親しそうですし、知り合いなのでは?」

「みたいね。あの河童、リュックサックから何か取り出そうとして――あ、爺さんが無理やり止めた」

 

 河童の頭を鷲掴みにして強引に。

 離せー! という声がこちらまで聞こえてきそうな様子でジタバタする河童に、信綱は霊夢たちから見てもわかる呆れた顔になって一言二言告げた後、河童のお店を後にする。

 

「あ、離れた」

「追いかけましょう、霊夢さん!」

 

 誘った霊夢が言うのもあれだが、阿求にここまで興味を持たれる信綱は災難だなと言わざるを得なかった。

 きっと後で信綱の知り合いについてあれこれと聞かれるのだろう。

 

(爺さん、ゴメン。でも怒られたくないから許して)

 

 反省しているようでその実一切の反省が見えない謝罪を心の中でしていると信綱が不意に立ち止まり、空を仰ぐ。

 今度はなんだ、と釣られた霊夢と阿求も空を見ると、信綱の元に近寄る烏天狗が見えた。

 

「あれは……射命丸文、だったかしら」

「霊夢さん、ご存知で?」

「異変を解決した時にやってきたわ。文々。新聞に載せたいから取材良いでしょうか、って」

 

 ちなみにもらった新聞は貴重な紙として重宝している。情報としての価値? 娯楽の暇つぶしとしてはそこそこである。神社で暇を持て余すことの多い霊夢としては結構ありがたかったりする。

 

「そうなんですか。お祖父ちゃん、本当に顔が広いのね……」

「同感。いや、あの天狗はわかるけど」

 

 信綱から聞く断片的な情報のみではあるが、彼は伝説と呼ばれるにふさわしいだけの偉業を成し遂げていることはわかる。

 それを考えれば情報を求める天狗が群がるのも理解できた。あの射命丸という天狗が微妙に信綱から距離を取りたがっているのはわからないが。

 

 信綱と文は数分の間立ち話を続け、それで欲しい情報が得られたのか手帳を片手に持った文は再び空に戻っていく。

 それを見送った信綱は再び歩き出し、今度は市場の出口に向かっていく。

 

「あ、もう市場から出るみたい。見回りは終わりかしら」

「ですね。あ、今度は男の烏天狗です」

 

 まだ妖怪と会うのか、と霊夢は信綱にある種の戦慄すら覚えてしまう。

 ここまで妖怪の知り合いが多ければ、妖怪との付き合いに辟易するのもわかるものである。

 

「男の烏天狗なんて珍しいわね」

「というより、お祖父ちゃんに男の人の知り合いがいたことが驚きです」

「さり気なくひどいこと言うわね、阿求……」

 

 阿求の中での信綱の評価が聞いてみたいところだが、こらえておく。

 霊夢たちの視線の先では信綱と男性の若そうな烏天狗が会話している。

 

 烏天狗の方は実に親しそうに、それこそ十年来の親友と接するように会話を楽しんでいた。

 対して信綱は顔をしかめて嫌そうな空気を発し、一言一句に気をつけながら話しているように見えた。

 しかし烏天狗はそれすらも楽しんでいるようで、そのまま揃って歩き始めてしまう。

 

「あ、マズイ。並んで歩き出したわ」

「どうしましょう、さすがに烏天狗とお祖父ちゃんの二人はごまかせませんよ」

「それを言ったら爺さん一人でも怪しいけどね!」

 

 ともあれ尾行は続行する。どうせバレても阿求という錦の御旗がある以上、その場で怒られることはないのだ。

 ……後で怒られる可能性は極めて高いが、その辺りは考えないことにする。

 

 なるべく人混みに紛れるように阿求と霊夢が並んで歩いていく。

 視線の先には信綱と烏天狗が話しながら歩いている姿が映り、剣呑な空気を出す信綱と朗らかな烏天狗で非常に対照的だった。

 

「お祖父ちゃんが……振り回されてる、のかな?」

「かもしれない。というか、爺さんを不機嫌にさせて楽しめる奴なんているのね……」

 

 幻想郷は広い。霊夢の中では信綱に逆らえるものなどいないと思っていたのに、その彼と対等以上に話せる存在がいるのだ。

 阿求と霊夢が普段は見られない信綱の様子を面白そうに見ていると、信綱らの前に大柄な女性が現れる。

 

 成人男性として見ても体躯の大きい部類に入る信綱をさらに上回る巨躯の持ち主で、見上げる霊夢たちの目には立派な一本角が飛び込んでくる。

 

「鬼まで来た! 爺さんの交友関係本当にどうなってんの!?」

「あ、烏天狗の人がそそくさと逃げていきます!」

 

 相性って大事なんだな、としみじみ思う阿求たちであった。

 信綱は鬼の少女を見上げ、普通に会話を始める。鬼の少女も豪快に笑ってそれに答え、信綱の肩をバシバシと叩いた。

 

「脇腹に肘がモロに入ったわね」

「痛そう……」

 

 そんな鬼の少女に対しても信綱は容赦なかった。

 霊夢と阿求には知る由もないが、巨躯の鬼の少女――星熊勇儀の膂力は尋常の鬼すら上回るものなのだ。その力で肩を叩かれては砕けてしまう。

 肘鉄だけで済ませているだけ、信綱の対応は優しい方ですらあるのだ。絵面として問題があるのは確かだが。

 

 鬼の少女は痛みに顔を引きつらせながらも、信綱から離れようとはしなかった。

 かなりの入れ込みようであることが二人にも伺え、改めて信綱という人間がどういう人生を辿ってきたのかわからなくなってしまう。

 

 その鬼の少女も信綱に手を振って別れ、飲み屋に入っていってしまう。鬼は大酒飲みと聞くので、酒飲みの人間たちと楽しむのだろう。

 そして移動を再開した信綱を追いかけようとして――足はすぐに止まる。

 

「今度は慧音先生?」

「先生は仕方ないか。それにしても……歩けば棒に当たるくらいにお祖父ちゃんの知り合いって多いのね……」

 

 美しい銀髪を翻し、学士帽のような帽子を被った少女――上白沢慧音は霊夢も阿求も知っている人物だ。

 非常に立派な人物で寺子屋の教師を霊夢や阿求のみならず、信綱ですら子供の頃に教わったというほど続けている、信綱とは別方向の偉人である。

 ……だが、授業が難解かつ話し方も複雑なことから、子供たちには半ば子守唄のようなものであることだけが難点であった。居眠りでもしようものなら容赦なく頭突きが降ってくる。

 

 信綱も慧音には常に敬意を払っており、よほどのことがない限り丁寧な態度を崩さない。彼にとって頭の上がらない数少ない人物なのだ。

 

「先生と爺さんって仲が良いわね」

「人里での守護者という点では仕事内容も同じですから、よく話すんですよ。あと歴史書の編纂もしてますから、幻想郷縁起の関係で私とも話します」

「爺さんだけじゃなくって、阿求にも縁があるんだ」

「はい。ですからお祖父ちゃんと先生の付き合いは長いです」

「私も博麗の巫女として人里の守護者とお話することもあるでしょうし、覚えておいた方が良いわね」

「ですね。霊夢さんは覚えておいた方が良いかもしれないです」

 

 慧音がどれだけ人里に影響をもたらしているかを二人で再確認していたら、慧音と信綱は手を振って別れていく。

 慧音は市場の方に向かっているため、お互いに見回りをしていたらたまたま顔を合わせたとかそういった状況なのだろう。

 

「おっと、移動するわね。もう誰が来ても驚かないわ」

「そうですね。お祖父ちゃんはもう幻想郷の大半の妖怪と知り合いだと思った方が良さそうです」

 

 阿七と阿弥の記憶を辿っても、彼が妖怪と顔を合わせている場面は多くない。

 阿弥、阿求が生まれる前に知り合った妖怪が多いのか、それとも側仕えの役目を放り出さないまま知り合いを増やしていったのか。

 どちらにせよ彼が相当数の妖怪と知り合いで、なおかつ多くの妖怪から好かれていることは確かだった。

 

「……ん、あれ、レミリア!?」

「あ、レミリアさんと咲夜さん。レミリアさんは早速お祖父ちゃんに抱きつこうとしてますね」

「え、あの二人そういう関係なの!?」

「違いますよ、殴りますよ」

「阿求!?」

 

 ヤバい相方がちょっと怖い、と霊夢が阿求の将来に不安を覚え、同時に信綱とレミリアの関係に首を傾げる。

 レミリアと知り合いなのは良い。彼女は五十年前に吸血鬼異変を起こし、信綱が退治することで異変を解決したという話は知っている。

 だが、なぜレミリアはあんなにも信綱に構ってオーラを出しているのだろうか。ちょろちょろと信綱の周りを回る様子は子犬のようである。

 

「あ、拳骨が落ちた」

「レミリアさん頭抱えて涙目で見上げてますね。あ、もう一発」

 

 容赦ないなあ、という感想を同時に覚える二人だった。

 信綱も決してレミリアが嫌いなわけではないのだが、つい鬱陶しくなると手が出てしまっていた。

 

「嫌われてるのかしら、レミリア……」

「うーん……話す時は普通に話しますし、お祖父ちゃんは本当に嫌いな相手なら話そうともしませんから、嫌ってはいないと思いますけど……」

「……なんかキャラ的にそうなってるとかかしら?」

「……かもしれないです」

 

 二人は知らない。レミリアも有事の際にはきっちり信綱の期待に応えるため、信綱は彼女のことを信用していることを。

 

「しかしめげないわね。まだ構って構って、ってやってるわ」

「これでレミリアさんが普通の格好をしてたら、抱っこをせがむ娘ですね」

「あはは、言えてる。……あ、爺さんがついに折れた」

 

 霊夢と阿求が見ていると、信綱が呆れた顔をしながらもレミリアと言葉を交わしていた。

 レミリアの顔が喜色満面になっているところを見る限り、嫌味や罵倒を言っているわけでもないのだろう。普通に近況の報告などをしているのかもしれない。

 

 そうしてしばらくの間立ち話が行われ、満足したのかレミリアが信綱から離れていく。

 

「お、話も終わったかしら」

 

 また移動開始するかと思っていたら、今度は咲夜が口を開いて信綱と話す姿が見えた。

 

「咲夜まで爺さんと? 接点なんてあったかしら……」

「あ、咲夜さんはお祖父ちゃんと接点ありますよ。以前にお祖父ちゃんに一日だけ弟子入りしたんです」

「弟子ぃ? 爺さんと咲夜に何の共通点が……あったわね」

 

 そういえば信綱の本来の役目は御阿礼の子の側仕えであった。どのくらい続けているのかわからないが、おそらく相当な期間を続けていることは霊夢にも予想できた。

 

「どんな指導をしたのかは知りませんけど、あれ以来人里でも物腰が柔らかくなったって評判なんですよ」

「ふぅん……そういえば私と話すようになったのも結構最近ね。あの時はどうしたのかと思ったけど、そういうことか」

 

 咲夜についての情報が共有できたところで視線を戻し、信綱と咲夜が会話しているところに戻す。

 信綱は相変わらずの仏頂面だが、役目を同じくする咲夜が相手だからかどこか空気が和らいでいる。

 咲夜もまた信綱と話をしていて楽しそうに笑っており、同時に手元に小さな紙も用意してあることから、勉強も怠っていないことがわかった。

 

「……楽しそうね」

「お祖父ちゃんも咲夜さんに物を教えるのは楽しいみたいですよ。自分の技術をまとめたものとか作ってましたし」

「私の時にもそういうのを作ってよ……」

 

 自分より目をかけてもらっているではないかと、霊夢は咲夜に嫉妬に似たものを覚えてしまう。

 自分の時はひたすら実戦あるのみと組手ばかりやらされ、その都度問題を指摘するやり方だ。

 咲夜のように鍛え方を紙に記してもらえるのなら、その方が良いに決まっている。書かれている内容さえきっちり覚えたらサボれるのだ。素晴らしい。

 

 霊夢のいじらしいのか邪なのかわからない念が横に漏れていたのか、阿求はそれを違うと否定してきた。

 

「ううん……咲夜さんに教えているのは技術です。特定の手順に沿ってやれば、誰だってある程度は同じ結果が出せるものです」

「……? 阿求?」

「対して霊夢さんにお祖父ちゃんが教えているのは、戦い方のはずです。それだったら、ひたすら実戦で覚えていくよりない……と、思います」

「…………」

 

 自信はないのだろう。だんだん尻すぼみになっていく阿求の言葉を聞いて、霊夢はほんの少し考え込む。

 信綱は教えることについて区別をする人間か。

 否。一度やると決めたら全力でやるのが信綱という人間であると、霊夢ですら知っていた。その彼が今さら出来の良し悪しで見捨てることなどするはずがない。

 それに――一番はもう決まっているのだ。二番目以降を揉めたところでさしたる意味はない。

 

「……阿求」

「はい」

「あんたの爺さんって罪作りよね。あんたが一番だって決まってるのに、他を見捨てないんだから」

 

 態度も言葉もハッキリと御阿礼の子が至上であると明言していて、その上でなお他者の相手もしている。

 それは彼の人間性とも言えるし、優しさとも言えた。

 

「でも、それがお祖父ちゃんの魅力だと思います」

「……爺さんに育てられた私が言う台詞じゃない、か。阿求も爺さんには感謝しなさいよ」

「いつもしてますよ。きっと霊夢さんが思うよりずっと深く」

 

 なにせ阿求の心には阿七、阿弥の記憶も一部とはいえ存在するのだ。信綱への思い入れは霊夢より長い。

 たった一人、自分の家族となってくれた存在だ。阿求は向ける笑顔で、言葉で、態度で、常に信綱への感謝を込めている。

 それはきっと――彼と別れる時まで変わらない。

 

「……阿求?」

「……あ、ほら! お祖父ちゃんが移動を再開しましたよ。追いかけましょう!」

「あ、ちょっと!」

 

 常と違う阿求の様子に霊夢は訝しむが、疑問が口に出る前に阿求が霊夢の手を引いて動き出してしまう。

 何も聞かないで欲しい、という願いが阿求の小さな背中から感じられてしまい、霊夢は何も言えないまま信綱の尾行を再開するのであった。

 そうして信綱が次に足を止めたのは――

 

「もうここまで来たら来るんじゃないかと思ってたけど、魔理沙が来たか……」

「魔理沙さんも知り合いですよ。魔理沙さんの祖父がお祖父ちゃんの親友だとか」

「親友! 爺さんがそう言ってたの!?」

 

 信綱がそこまで言うとは相当である、と思った霊夢は阿求に聞き返すが、阿求は哀しげに首を振った。

 

「……もう亡くなってます」

「……爺さんと同年代なら当たり前か。ごめん阿求」

 

 親友と言うからにはきっと付き合いも長かったのだろう。

 霊夢の母である先代も信綱と夫婦関係であり、彼女との付き合いも長かったと聞いている。

 そういった長い付き合いの人間が皆死んでいき、自分は生きている。その事実をどう思っているのか。

 

(……阿求に仕えられているから文句などあるはずもない、とか言いそうだけどね)

 

 などと霊夢が考えている間にも魔理沙と信綱の話は続いていた。

 魔理沙も信綱に懐いているようで、後頭部に腕を組んで笑っている。

 信綱も信綱でそんな彼女に対し、穏やかな様子で応えていた。

 

「親友の孫娘ってことで面倒見ているのかしら」

「だと思います。お祖父ちゃん、頼まれて引き受けたことに手は抜きませんから」

「それは知ってる」

 

 今でも時間ができたら霊夢の稽古に欠かさず来ているので身にしみていた。ちょっとぐらい手を抜いて欲しい。

 

「で、魔理沙とも別れて……甘味処に入っていったわ」

「お祖父ちゃん、結構甘いものとか好きなんですよ。私と一緒に出かけた時なんかはよくぜんざいとか食べてます」

「そういえば爺さんはお菓子とかも作れたわよね……」

 

 霊夢もたまに信綱の食事を食べることがあるが、今でも納得の行かない美味しさだった。あんな仏頂面のくせに作る料理はとても繊細なのだ。

 その時に菓子も出た覚えがある。あの時は買ってきたものだとばかり思っていたが、あれも実は信綱が作ったものかもしれない。

 

「……くちっ」

 

 と、霊夢が改めて信綱の摩訶不思議な存在っぷりに頭を抱えていると、隣の阿求が小さなくしゃみをする。

 それで気づいたが、自分も阿求もずいぶんと長い間外にいた。信綱の後を追いかけていたのであんまり冷えを意識していなかったが、一度寒いと認識してしまうともう止まらなかった。

 

「……私も寒いし、そろそろ戻りましょうか。阿求が風邪引いたら爺さんに殺されるわ」

「あ、あはははは……ですね。これ以上身体を冷やす前に帰りましょう」

 

 霊夢と阿求は最後に一度だけ信綱の方を見て、帰ることにした。

 彼は二人が尾行していたことなど全く知らないとばかりに熱い茶を片手にくつろいでおり、そんな彼の隣と正面には食べる人もいないのにほこほこと湯気を立てるぜんざいと、あつあつの酒饅頭が置かれていた。

 

 

 

 ――なぜ信綱の前に置かれていない?

 

 

 

「…………あー」

「霊夢さん?」

 

 全てを察した霊夢は額に手を当てて空を仰ぐ。なんかどっと疲れてしまった。

 阿求はそんな霊夢にどうしたのかと声をかけるが、霊夢は無言で信綱の方を指差すばかり。

 

「……爺さん、私たちのこと気づいてるわ」

「へ?」

「ほら、あのぜんざいと酒饅頭。爺さんが食べるんだったら自分の前に置くわよね。わざわざ隣に置いたりしないわ」

「…………本当ですか?」

「本当よ。ほら、阿求を手招きしてるじゃない。とっくの昔にバレてたのよ」

 

 今までの努力はなんだったのか。そう思うと疲労感が溢れるが――今は寒さをしのげれば何でも良かった。

 阿求と霊夢は一度だけ顔を見合わせ、そして同時に茶屋に駆け出して行く。

 

 最終的に信綱のことがわかったとは言えないが、彼の交友関係の一端が見られただけでも十分な収穫である。

 この後茶屋ではきっとお説教が待っているはずだが、霊夢たちの足取りは軽やかだった。

 

 これはそんな春になる手前の、冬の一日であった。

 やがて冬が終わり、暖かな春がやってくる。

 

 

 

 

 

 ――そして春はまだ、来ていなかった。




前話を投稿してから七時間ちょいで一万字が書けるとは思わなかったぜ……(やり遂げた顔)

ノッブもだいぶおかしい人間関係してるよね、というのを霊夢や阿求から見たお話です。ノッブはあまり自分が何やったか、とかを話しませんから霊夢たちにはなおさら不思議に映る。
ノッブはいつから霊夢たちに気づいていたか? 多分皆様は私と同じ想定だと思うので、あえてご想像におまかせします。

そして次回からは春雪異変が始まります。ノッブも人里の春を奪われちゃたまらないので動きます。どの程度動くかは……まあ、主人公を食って異変解決はしないとだけ言っておきます。もう主人公は霊夢と魔理沙、咲夜になっています。

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