東方創星神録 ~始まりと終わりの物語~〖凍結〗   作:星の屑鉄

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 それでは、本編をどうぞ!


二章 第五話 君の誕生に祝福を込めて

 

 ――人星が村に誕生して、一年が経過する。

 

 これまで、特に面白いことは無かった。人星のこれまでの生活習慣は、朝と昼に博麗と行動を共にして村や森を回り、夜には八雲紫の様子を見る、他愛の無い話をする、行動する、といったところだ。

 

 大きな変化は、今はまだ無い。

 

 些細な変化といえば、八雲紫が本格的に、あの大老樹を住処にし始めたこと。あの大老樹の洞穴を、『境界を操る程度の能力』により拡張していたことと、度々、外へと出かけることがあること。そして、博麗の敬語が無くなり、妙に親しくなったこと。人星の周りの変化は、その程度だった。

 

 

 ――時は夜。美しい満月が空に浮かび、綺麗な湖面に反射する日――

 

「それで、此処で何があるのかしら?」

 

 揺れない水面。湖の畔で腰を落ち着ける八雲紫は、自分の隣に居座る人星に訊く。

 

 彼の瞳には様々な感情が浮かんでいた。美しいと、風情を尊ぶもの。ようやくだ、といった喜びのもの。そして、嗚呼、と今にも美声を響かせそうなほど深い慈愛の色。

 

「くくっ。なに、ようやく、我が子が誕生するのだ」

「……はっ?」

 

 八雲紫は思う。とうとう、頭がおかしくなったのか、と。彼女の懐疑的視線に気づいたのか、人星は肩を竦めてみせる。

 

「別に、頭がおかしくなった、ということではない。文字通り、我が子どもが誕生するのだ。能力の残滓と大自然によって融合した、奇跡の生命が、誕生するのだよ」

 

 その答えに、八雲紫は「あまりに奇跡的な確率ね」と返す。人星の能力をある時に教えられた彼女は、「能力と自然が混ざり合えば、生命の創造くらい、有り得ない話ではない」と考えていた。故に、説明された瞬間にストンと疑問は喉を通った。

 

「嗚呼、愛らしい。愛しい子よ。奇跡の御子よ。早く、その姿を我に見せておくれ」

 

 人星の子どもへの愛情。まだ誕生してないにも関わらず、それは異常なほどに深すぎた。八雲紫にとっては、底の見えない奈落を見せられている気分だ。同時に、気分の高揚の仕方がおかしいと、少なからず彼女は彼に対して疑問を抱いていた。

 

「水を差すようなことをしたくはないけれど、これだけは問わせてもらうわ。……貴方、何があったの?」

 

 たとえ人星の機嫌を損ねるとしても、問わずにはいられなかった。彼に逢ってから、日を追うごとに、彼はおかしくなっていく。まるで、何らかの強迫観念に駆られ、ジリジリと追いつめられているかのように。刻々と、その狂気は膨れ上がっていく。

 

「……そうか。貴様に気づかれるほど、我はおかしかった、か」

 

 ふと、その場の雰囲気が冷めた。既に子に溺愛する父の姿は無く、そこにはただ、威厳に満ちた絶対者の姿があった。

 

「済まぬ。しかし、我ほどの力を持っていても、恐ろしいのだ。死期、というものは」

「……正直、想像出来ないわね。貴方が死ぬなんて」

 

 それは本心からの言葉だった。彼も彼女も、ただ本心からそう呟いた。

 

 八雲紫からの答えに、人星は薄く笑う。

 

「わかるのだ。我ほどになると、自身の死期さえも。自然を見て、空を見るだけで、どうしても分かってしまうのだ」

「そういうもの、なのかしら?」

「ああ、そういうものだ」

 

 彼は空を仰ぐ。満天の星空。きらめく星たちがこの大地を照らし出し、湖を照らし、そして二人を照らす。満月は煌々としている。

 

「……八雲紫よ」

「何かしら?」

 

 あまりに綺麗な夜。二人を照らす大自然。人星はその状況に身を委ねて、口を動かした。

 

「欲しくないか? 我が力の断片」

「あら、魅力的な提案ね。でも、あの死の力はいらないわよ」

「違う。貴様に渡すのは、星々の加護が宿る最高の宝飾品だ」

 

 言い終わり、人星は左手にいつの間にか持っている九色の宝石が飾られたネックレスを見せる。八雲紫はそれを視界に入れた瞬間、思わず見惚れてしまった。

 

 一番左端にあるオレンジ色の宝石には〈Sol〉と刻まれている。左から二番目の透明な宝石には〈Mercurius〉刻まれている。左から三番目の黄金色の宝石には〈Venus〉と刻まれている。左から四番目の白濁色の宝石には〈Luna〉と。左から五番目の赤色の宝石には〈Mars〉と。左から六番目の緑色の宝石には〈Jupiter〉と。左から七番目の土色の宝石には〈Saturnus〉と。左から八番目の空色の宝石には〈Ouranos〉と。ひだりから九番目の海色の宝石には〈Neptunus〉と。……よく見てみると、ネックレスに使われている美しい蒼色に発光する紐には〈Terra〉と刻まれている。

 

 しかし、ただ美しいだけの宝飾品ではない。そこに宿る力は、八雲紫でさえ計り知れない。まるで、星と対峙しているような感覚。即ち、話しにならないほど格上の者を相手にしているような、そんな錯覚を覚える。

 

「受け取れ。貴様には、いずれ必要になる。未来永劫、寿命以外の要因で貴様が死ぬのは、あまりに損失が大きい。しかし、これを持っていれば、そのような世界の損失は起き得ない」

 

 それだけの言葉を用いられて、暗に何を言いたいのか理解出来ないほど、八雲紫は馬鹿ではない。故に、問い質さなければならないことがある。

 

「どうして、私なのかしら?」

「貴様ならば、無駄に星を傷つけることもなく、この力を我の想像以上に有用に使うだろう。いわば、貴様に対する期待値、とでも思えばよい」

 

 八雲紫は扇子を開き、口元を隠す。人星はやはり、妖怪だからといって差別するような者ではないらしい。それは即ち、彼女の観察した人星の人柄は、正しいことを裏付ける。

 

 そしてもう一つ。これだけの存在に期待されることは、ただ嬉しかった。

 

「なら、どうして損失なんてするのかしら? 私の能力は、使い方次第では貴方を一時的に凌駕するわ」

「しかし、貴様が勝つためには常に後出しが出来る状況でなければならない。そのような情報戦、いつも出来るわけがなかろうに」

 

 それに――と、人星は言葉を付け加える。

 

「貴様、また妖怪を集めて何かをしているだろう? ……大方、月へ攻め込もうとでもしているのだろうが……忠告だ。今の貴様に、月は落とせぬ」

「……それはお節介の間違いではなくて?」

 

 八雲紫は眉を顰める。どうにも、本調子の彼にはどうしても情報の後出しが出来ない。それは果たして観察眼なのか、それとも天性の勘によるものなのか。彼女は、おそらく両方だろう、とあたりをつける。

 

「くくっ、確かに、お節介かもしれぬ。しかし、貴様が出来るのは、精々自衛と逃走くらいであろうよ」

 

 ――それに、月には貴様より強い者が、少なくとも四人いる。

 

 人星はそう付け加えた。迷いの無い、確かな言霊。あまりに堂々としている故に、八雲紫は怒りを覚えることもなく、呆れたように溜息を吐く。

 

「なら、貴方はどうして、この土地に侵入しようとした時みたいに、私を止めないのかしら?」

「なに、宝を過保護に守るだけでは、真の輝きも分からぬというもの。余興程度の戯れは、許してしかるべきだと、我はそう思っただけのこと」

 

 あまりに酷い言い様に、さしもの八雲紫も不快そうに怒気を漏らす。扇子で隠れている口元には、きっと冷笑が浮かんでいるだろう。

 

「貴方、本当に私のことを価値があると思っているの?」

「当然だ。何せ、実戦に近い形で模擬戦をさせることが出来る。加えて、我は貴様に伝言を託せるというわけだ。それに、その力は後々、この土地を更に輝かせるだろう。我からしてみれば、貴様は他を上手く嚙合わせるための最後の歯車なのだ。いわば、西洋でいうところの……機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)といったところか。易々と、失うことは出来ぬ」

「……そう。評価はしてもらえているのね」

 

 正直なところ、八雲紫にとっては想像以上に高い評価だった。てっきり、ただ一つの事を起こした後の事後処理係、程度の認識しかされていないと思っていたため、その評価は非常に嬉しかった。

 

「評価をしているとは、またおかしなことを。我はこの星の中で、貴様を一番信用している上に、信頼もしている。だからこそ、だ」

「そう」

 

 素っ気無く返す八雲紫の頬に赤みが差す。まるで、熟れて仄かに甘い林檎を彷彿とさせる。しかし、人星は別段、そのことに対して何かを言うことなく、話を続ける。

 

「さて、伝言の件だが……ふむ、どう言葉を選ぶか、難しいものだ」

 

 人星は考える。一体、どのような言葉で、何を伝えればいいのか。考えて、考えて、考え抜き、その状態が数分続く。

 

 ふと、今まで揺れを感じさせなかった水面に波紋が広がる。人星は「困ったものだ」と苦笑して、八雲紫に告げる。

 

「こうしよう。『星墜つる夜、我は再び輪廻する。次は我が忘れぬよう、迎えにでも来ておくれ』と」

 

 八雲紫の表情が、一転して急激に青褪める。それは先ほどとは正反対、まるで土のように血の気を感じさせない顔。これほど取り乱す彼女も珍しい。人星は良いものをみた、とばかりに喉を鳴らす。

 

「あなた、ねぇ……!」

 

 今にも胸倉を掴みかかってきそうなほど、怒り心頭の様子。わなわなと体を震わせ、冷静さを欠き、人星の様子にお構いなく、彼の下にスキマを発生させる。

 

「っと、何処に運ぶつもりだ。奇跡の誕生を見逃すかもしれないだろう」

 

 軽いバックステップ。それだけで、彼はスキマを避けた。

 

 言いながら、人星はふと気づく。自分の手に持っていた、星々の力の宿る宝飾品が無くなっていることに。まさか、と八雲紫を見てみると、彼女の手には先ほどまで彼が持っていた宝飾品が収まっている。

 

「この件は貸しよ。対価は今、私の手によって奪われたのだから」

 

 なるほど、そういう手口かと人星は舌を巻く。奪い返すことは容易だが、もともと渡す筈のものを、わざわざ奪い返すというのはおかしな話だ。そんなプライドが邪魔して奪い返さないことを知っているのだろう。八雲紫は、それ故に人星から宝飾品を奪い取り(つまり所有権を無理やり自分に移して)、伝言することの対価を貸しとした。対価としようとしていた宝飾品は、彼女が話を了承する前に奪い取ったため、既に所有権は彼女へと移り、それは対価とは成り得ない。

 

 まったくもって上手い話だ。その上、この貸しは非常に大きなものになるだろう。何せ、月まで伝言を頼むわけだ。距離的にも、危険度的にも、少々のことで返せるほど小さなものではない。

 

 人星はまんまと、八雲紫に一本取られてしまったわけだ。

 

「ならば、ついでに頼もう。我が故郷、此処の管理人を任せよう」

「あら、此処は本来、貴方の領地ではないでしょうに。乗っ取るつもり?」

「我の能力を以てすれば、同じ場所に世界を二つ創ることくらい、容易い。民の選定、貴様に全て一任するとしよう。……面白いだろう? 貴様好みの世界を創れるのだぞ」

「えぇ、それは確かに、面白いわねぇ」

 

 怪しい笑い声が、透き通るような夜に響き渡る。人星も、八雲紫も、心底面白そうにしている。その顔に浮かべているものは、まるで悪戯を思いついた子どものように無邪気だ。

 

 ふと、そんな時に二人は肌寒さを覚える。人星は「嗚呼、ようやく」と呟いて立ち上がり、大きく両腕を広げる。まるで、今にも飛びついてきそうな我が子を抱きしめようとする父親のように。

 

 湖の上空に冷気が集まる。その冷気は最初、ただ無秩序に霧状に広がっていたが、やがてそれは1つの形を作っていく。人型、歳は10よりも幼い女の子、そして背中に小さな氷の破片のようなものを3対飾る。

 

「やはり、氷の妖精だったか。……ふむ、しっかりと、『輪廻する程度の能力』の一端を持っている。あとは本人の努力次第、土地次第で、弱者にも、強者にも、神にもなるだろう」

 

 言いながら、人星は湖の中に入っていく。そして、誕生しようとする氷の妖精の真下で止まると、先を予想して落ちてくるであろうと、両腕を前に出す。

 

 形を作った冷気は徐々に、徐々に煌めきを帯びていく。輝きを増していく。そしてとうとう、それらが絶頂を迎えた時だった。

 

「っ!」

「ほぅ」

 

 八雲紫は警戒心をむき出しに即座に能力を発動する。一方、人星はその姿勢のまま動かない。この二者の決定的違いは何だったのか、それは――。

 

 突如、世界から音が消えた。視界はホワイトアウトして何も見えない。まるで、世界が凍りついたかのように、時間が停止したかのような、静止世界。

 

 いや、八雲紫は見た。事実、世界が凍りついた。湖は水面どころか、その中身すら完全に氷結し、木々は比喩でもなく、紛れもない氷像となった。大地はスケートリングのように氷を張り、空に浮かぶ雲さえも凝固する。よく見ると、森全体が氷のドームに覆われている。八雲紫の境界も、半ば固まりかけている。

 

 それでは、人星はどうなのか。八雲紫が見たとき、彼は氷像となっていた。芸術的に美しい美男子の、生きたまま氷像となった姿。あまりに美しく残酷なそれを見て、彼女は思わず息を呑む。

 

 隔絶された世界に居る八雲紫は、一体外界がマイナス何度になっているのか、知る由もない。彼女の明晰な頭脳を以てしても、あまりに情報量が少なすぎてわからない。しかし、人間が一瞬にして、完全に凍りつくほどの温度だ。彼女にわかることは、少なくとも物理法則の枠組みに囚われた現象ではない……即ち、絶対零度よりも更に温度を下回る、ということくらいである。

 

 ただし、これは物理化学的な話であって、こうした神秘の出来事に枠組みを当てることはあまりにナンセンスだ。

 

 こうした情報のもと考えられるのは、能力的な問題である。自然現象によって瞬間冷凍したのではなく、能力的に世界を凍らせたのであれば、どうなるか。

 

 八雲紫の予測としては、『ありとあらゆるものを凍らせる程度の能力』という線だ。しかし、これはあまりにも笑えない答えだ。何せ、誕生と同時に爆発した能力がこの威力である。制御し、自由自在に操れるようになれば一体、どうなるか。

 

 ぞくり、と八雲紫の背筋に寒気が走る。境界から冷気が入ってきたわけではない。その恐ろしさに気づき、悪寒を覚えたのだ。

 

 八雲紫は音を拾うために境界を弄る。とりあえず、まずは情報を、と行動した結果がそれだ。そして、それは正解だった。

 

「……流石、我が子だ」

 

 消え入りそうなほど小さな声。それは間違いなく、人星の声だった。氷像にされたにも関わらず、自身の力を総動員して何とか喋っているのだろう。本来ならば、声帯そのものが凍っていてもおかしくないが、人星はどうやらそれを回避した様子。

 

 しかし、ここで凄いのはそんなことではない。人星は自分が凍っているにも関わらず、震えていない。凍りついて動けない、というわけではない。事実、声帯が生きていて、喋れるのであれば、少なくとも口の中は無事である。しかし、人星は歯をカチカチと鳴らすことさえしない。威風堂々と、彼はその場に佇んでいる。

 

 ――何という、胆力。

 

 八雲紫は改めて、その異常性に驚かされる。あまりに強すぎる。肉体的にも、精神的にも。一体、何が彼をそこまで突き動かすのだろうか。少なくとも、今の八雲紫には理解することが出来ない。

 

 ふと、その両腕に抱えているものに目がいった。人星は、何かを抱えていた。一体、何なのか。八雲紫はスキマを開き、多方面から見てみると……そこには、まだ10歳にもならないであろう、女の子が抱えられていた。髪は薄めの水色で、ウェーブがかかったセミショートヘアーに青い瞳。背中には三対六枚の氷の破片のような翼が付いており、その愛らしい瞳を薄っすらと開いている。

 

「――ぁ」

 

 口が小さく、ゆっくりと動いた。この女の子こそが、先ほど誕生した、氷の妖精……人星曰く、実の子どもなのだろう。

 

 氷の妖精は人星を見ると、一瞬躊躇った様子を見せる。それは親が凍りついていることへの不安か、それとも絶望か、はたまた単純な疑問か。

 

「――大丈夫。君のお父様は、俺は、平気だよ」

 

 そこですぐさま、聞いたことのないような、優しい声音がまどろんだ。あまりに弱く、あまりに優しい故に、声は響かない。しかし、それでも聞こえてくる声音。

 

 その時の人星の顔をスキマから覗いた八雲紫は、思わず「えっ」と声を上げる。

 

 そこに、絶対者の姿は無かった。いや、それはもはや、人星であるかさえも怪しい。鋭い双眸は、今となってはトロンと優しく垂れていて、瞳の色はただただ慈愛と優しさに満ち溢れている。眉の形も穏やかなもので、鼻も、口も、顔のどの部分をとっても、とても大胆不敵、などという言葉が似合う人間には見えない。その様子はまさに、温厚篤実なる人柄がなせる外面。

 

 どきっ、と八雲紫の心臓が跳ねる。あまりに予想外なその様子に、胸がときめいた。驚き過ぎた。あの人外が、一体どうやったら、これほど変われるのか。強烈、冷徹、残酷の三拍子が揃うような者がどうして、これほど優しい顔が出来るのか。

 

 ……生命とは、もしやあの人星さえも変えてしまうほど、尊ぶべきものなのか?

 

 命が儚いことは知っていた。しかし、これほど人を変えるものだとは、知らなかった。一体、どのような理屈のもと、どのような変化が起きたのか。八雲紫には、どれだけ考えてもわからない。故に、取り残されたような気がした。

 

――人と妖怪(人外)の、境界線上に――

 

「ぅん……私も、平気だよ? お父様」

 

 消え入りそうな声。しかし、確かな命の宿った声音。安堵した、心底安心したような、子どもの声音。その表情もとても穏やかなもので、それはまさに親子の姿。父親のもとにいるからこそ、安心していられる子どもの姿。

 

 不意に、パキパキ、と耳障りな音が聞こえてくる。まるで何かが現在進行形で何かが凍りついているような音。注意深く見てみると、氷の妖精を持っている両手が、更に厚い氷に覆われていっている。

 

「まさか、両腕が更に凍りついているの?」

 

 おそらく、氷の妖精に触れているせいだ。能力、もしくは生物的問題からくる副次的効果なのだろう。しかし、だからといって耐えられるかどうかといえば、話は別である。全身を凍らされて、その上更に厚い氷が両腕を覆っていく。氷が内部から赤く染まっている。皮膚が凍傷で裂けたのだろう。氷が厚くなっているということは、更に被害は大きくなっている筈だ。痛覚が死ぬにはまだ早い。つまり、痛みはある筈なのだ。

 

 それにも関わらず、人星は苦悶の表情を浮かべない。表情を歪めることさえなく、動揺することさえも無い。冷や汗、脂汗といったものも浮かばない。起こるはずの生理現象すらも抑え込み、ただ自分の子どもを抱えている。

 

「そうか。なら、よかった。……そうだ。君の誕生に祝福を込めて、名前をあげないとね」

「……なまえ?」

「そう、名前。君がこれから一生使っていく、大切な呼び名だよ」

 

 声色に震えは無い。子を愛することに揺らぎを感じさせない。威風堂々と、優しく、慈しみに満ちた対応で、人星は氷の妖精に対応する。自分に対して、無意識とはいえども害を与えているにも関わらず、激痛が走っている筈なのに、そんな内面は粒子レベルでさえ見せない。どこからどう見ても、苦しんでいる者の姿には見えない。

 

「君の名前は、『チルノ』……覚えた?」

「……ちるの?」

「そう。でも、もうちょっと発音を頑張って。チルノだよ。チ・ル・ノ」

「……チル、の?」

「あとちょっと。チルノ、だよ」

「……チル、ノ?」

「それを繋げて、言ってみて」

「……チルノ」

「そう。それで良いんだよ。チルノ」

 

 凍った手にも関わらず、人星は氷の要請……チルノの頬を優しく撫でる。チルノはくすぐったそうに微笑みながら、口元で何度も、「チルノ、チルノ……」と、自分の名前を転がした。

 

「私は、チルノ!」

 

 ニィ、と歯を見せて無邪気に笑うチルノ。その様子を見た人星は釣られたようにはにかみ、チルノを抱えたまま頭を撫でる。

 

「そうだ。それで良いんだ。誕生、おめでとう。そして、ありがとう。チルノ、これからよろしく」

「うん! あたしも、誕生させてくれて、ありがとう! お父様、これからよろしくね!」

 

 チルノは人星の首に手を回し、自ら抱き着いた。人星はそれを受けて抱き返し、また体が更に凍っていくのにも構わず、優しく、優しくその頭を撫で続ける。

 

 外見はまるで違うのに、親子。生まれたてにも関わらず、人星とチルノの間には親子愛が成立している。

 

 スキマから覗いていた八雲紫は、困惑の極致に立たされる。一体、どちらが本物(素)の人星なのか、と。同時に、どうしてあれほど、自分を害する者を愛せるのかと。妖怪である八雲紫には、経験のない彼女には、結局、答えを出すことは出来なかった。

 

 しかし、そんな彼女にも1つだけ、わかることがあった。

 

「……あの子に手を出した瞬間、貴方は豹変するのでしょうね」

 

 子どもにこれほど溺愛している姿を見せられれば、嫌でもわかるというものだ。

 

「なら、私が貴方の子どもを、守ってあげるわ。貴方の友として、絶対に」

 

 八雲紫は、ようやく自身の立場を決断する。

 

「創ってあげるわ。きっと、貴方は忘れ去られるでしょう。だから、創るの。忘れ去られた者たちの楽園を。貴方の、帰るべき場所を」

 

 ――名前は、そうねぇ……。

 八雲紫はしばし考える。顎に手を当てて、頭の中からピッタリな言葉を探し出す。

 

「そうねぇ。名前は、そう――」

 

 八雲紫は決めた。これから創る、楽園の名前を。それは――

 

「――幻想郷――」

 

 そして運命の歯車は、回り始める。破滅と誕生、創造と破壊の未来の収束点に、容赦なく廻り続けるのだ――

 

 ――To be continued.――

 

 

 

 




 はい、氷の妖精はチルノさんでした!(わかり切っていたこと)

 人星が余計なことをしたから、若干魔改造されているご様子。とんでもないですね。

 少々、時間が推しているので本日はこれにて。

 感想、評価、コメント、ご指摘、批判、お気に入り登録などなど、常時募集中です!

 次回は11月5日の21:00にて。それでは。

あとがき追加11/4/22:07:

 チルノの他にも、今回は最後にぽつりと、八雲紫が呟いた世界。この時点で既に、この名前は確定しているんですよね。時代背景も、二章のある描写を見れば、大体そのあたりか、とあたりをつけることは出来るでしょう。

 さて、それでは次回はどういった話になるか。こうご期待あれ!
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