東方創星神録 ~始まりと終わりの物語~〖凍結〗 作:星の屑鉄
それでは、少々時間ぎりぎりなので、先に本編をどうぞ!
早朝。アユムは守矢神社の裏手に出て腰に差した刀を撫でる。何の変哲もない凡刀。しかし、それが今の自分にこの上なく似合っているように思えた。いわば愛刀。数年間、手入れを欠かさず、使い続けてきた相棒だ。
そんな愛刀に銘なんて立派なものはない。しかし、それで良いのだ。凡刀らしく、名無しの刀の方がちょうどいい。立派なものなど、オンリーワンなど、そんなものは必要ない。
必要なものは唯1つ。誰もが持つ力の延長線上にあるもの。それだけだ。それだけあれば十分。樹形図に存在しない特異などに頼らずとも、神を打倒することは出来る。
「ふぅ」
息を吐き、体の力を抜く。左手を鞘に、右手を柄に添えて、目の前の仮想の敵を見つめる。
「ふっ!」
直後、抜刀。音を置き去りに、刀は確かにその喉元を切り裂いた。もちろん、仮想だ。現実に切り裂いたわけではなく、血潮が飛び散るわけでもない。
「ふん!」
抜刀して切り裂いた直後、流れるように回転斬り。そこから泥臭い足技を使い、拳を使い、刀を使わない間にそれを鞘に納め、ゼロ距離で再び抜刀。
それは後に、抜刀術と呼ばれる、剣術の1つだ。今はまだ一般ではないが、いずれ人が到達する領域の技術。ただ合理的に考えた結果に生み出された、1つの終着点。刀を鞘に納め、そして抜刀と同時に斬りつける。もはや何百万回と繰り返された動作に無駄はなく、それは自然の摂理の如く放たれる。
アユムの動作に、いちいち名前など特別なものは無い。何故なら、それは特別ではなく、到達して当然の領域。呼吸と同じようなものだ。それをいちいち、特別扱いすることが馬鹿らしい。
――出来て当然。そうなることが当たり前。
バカのように思い込み、ただひたすら繰り返され、研鑽された動作は、すべてが特別ではなく普通へと帰化する。それが一体どれだけ恐ろしい事か、アユムは理解などしない。出来る筈がない。
今日もまた、淡々とこなされる動作。しかしその実、より効率の良いそれへと変えるため、適応するために、考えながら一撃、一動作、一呼吸が繰り出される。
気づけば汗を流していた。まるで滝の様だ。動作の確認と適応を終了させたアユムは、すぐ近くにある湖の水で汗を流す。見て、そして触れた感じ、汚れた水というわけではないので、水浴びとしては最適だ。
「すぅ……はぁ」
呼吸を整える。そして思考を切り替えて、今度は深い溜息を吐いた。
「はぁ……修羅の道にでも入った気分とは、このことか」
武の道に全身浸り、ただ一直線に歩き続け、後ろを振り返らず、前を見続ける毎日。それが今日、ようやく終着点へと至る。
ふぅ、ともう一度、力を抜くために溜息を吐く。精神を統一し、乱れた心を落ち着ける。そんな中、自分の在り方が随分と変わったものだと、アユムは思わず自嘲する。
「凡夫の俺に、果たしてどれほどの価値があるというのか」
ばさ、とアユムの頭に布が不意に落とされる。
「なら、供物兼神主ってことで、此処に居座ってほしいかなぁ」
そして聞こえてくる、幼い女の子の声。聞き間違える筈もない、洩矢諏訪子の声だ。
渡された布で頭や体を拭きながら、アユムの諏訪子の方へと振り返る。
「利点があるようには、見えぬが?」
「それは追々わかるよ。バカと犬は使い様ってヤツだよ」
アユムは諏訪子の瞳の奥を見る。そして、また面倒事か、と半ば呆れたような、疲れたような顔をして溜息を吐く。
「老後まで、ゆっくりと生活したいものだ」
「それこそ、守矢神社に居座ればいいよ。『神狩り』を従えたってなれば、私の評判も上がるし、アユムも神社所属となれば、きっとそれなりにゆっくり過ごせると思うよ」
「……全ては、八坂神奈子を打倒してからだ。目的を達成すれば、しばらく此処に居座ろう」
「あ、本当? それなら、迎え入れる準備をしておかなくちゃ」
とてとて、と諏訪子は神社の方へと向かっていった。気が早いことだ、とアユムは苦笑して、湖を見つめる。
「チルノと博麗の様子を見に行くのも、また一興か」
湖を見ると、どうしても思い出してしまうあの笑顔。神社にくると、どうしても思い出してしまう、美しい巫女の顔。一体、どれだけの年月が経ってしまったのかはわからない。しかし、何となくではあるが、両名とも、まだ生きているような気がする。
「しかし、まずは目の前のことだ」
後のことは、いくらでも考えることが出来る。そのため、まずは目の前のことに集中しようと、アユムは頭を切り替える。
朝日は昇り、あと数時間のうちに決闘が始まる。
けして楽な戦いではないだろう。しかし、負ける気などは毛頭ない。
愛刀を撫で、彼は大胆不敵な笑みを浮かべる。
水面に映るその顔は、余りにそれらしいことに、彼が気付くことはなかった。
――正午。太陽が頂点に居座る時――
守矢神社のはずれにて、四本の御柱を背中に待機させている八坂神奈子と、一本の凡刀を腰に差したアユムが対峙していた。見物人は洩矢諏訪子と守矢の巫女、そしてハクロウの三人だ。
「決闘前の決め事をしよう。どちらかが死ぬか、意識を失うか、負けを認めたときに決着。それ以外に制約は一切ない。どうだい?」
「良いだろう。もともと、そのつもりだ。その中で殺さず、貴様に負けを認めさせよう」
「随分と大口を叩くねぇ。勝負開始の合図は諏訪子、頼んだよ」
「はーい」
諏訪子が手を振り上げる。
アユムは左手を刀の鞘に添え、右手を柄に置く。そして、腰を落としてやや前方へと体を傾ける。
八坂神奈子はその意図を汲み取ったのか、御柱の一本を振り上げる。
「それじゃあ……はじめ!」
諏訪子の手が振り下ろされると同時に合図。
刹那、アユムの姿が神奈子へと迫る。既に3メートルを切っている距離に、しかし慌てず神奈子は振り上げていた御柱をアユムへと振り下ろす――!
「ふん」
一息。たったそれだけ。聞こえ終わった時には、既に刀は抜刀され、振り終わっていた。スーパースローカメラのように、目の前の光景が神奈子の目に映る。見てみれば、御柱は半ばから見事に切断されている。
確認した直後、神奈子の体感時間がもとに戻る。アユムはそこから、流れるように一歩踏み込んで、肘打ちを繰り出してくる。神奈子はそれに合わせるように、神力で強化した肘をぶつけて相殺。しかし、それを初めから予想していたように、またも流れるような足運びから、右手の刀が振られる。
半ばから切断された御柱。それのもう半分を刀へとぶつけ、その間にアユムの攻撃範囲から神奈子は逃れる。それとほぼ同時に、御柱の半分は、今度は縦に、真っ二つになる。
「……正直、なめていたよ。その武器。そんな脆そうなもので、私の御柱を切断するとは思わなかった」
八坂神奈子の状況。それを一言で表すならば、不味い。何がどう不味いかと言えば、アユムの動作の1つ1つが不味い。あの流れるような動作、あまりに自然でつい見逃してしまいそうなほど、些細で細かな動き。まるでこちらの警戒を針の穴に糸を通すようにして抜けてくる、攻撃の予備動作。神奈子は先の攻防で、全ての場面において後攻を強いられた。
それが不味い。先攻を選べなかったあの状況は、神奈子に防戦一方を強いた。あの刀から繰り出される一撃は、間違いなく致命傷となる。御柱を切断したのがその証拠だ。
「それと、動作にも目を見張ったよ。どうやったら、あの短い時間でそこまで流麗に動けるようになったのかはわからない。でも、これだけはわかるよ」
油断なく、神奈子は御柱を構え、拳を構える。そして、神力の制御を始める。
「アユム、貴方はあの時よりも……強い」
――だからこそ。
「全力を以て、相手をさせてもらうよ!」
直後、御柱から恐ろしい数の弾丸が現れる。数は二百、いや、三百。それが一瞬のうちに現れたかと思うと、アユムに向けて容赦なく放たれる――!
「……ふむ」
闘志を燃やす神奈子とは対照的に、アユムはあくまで冷静沈着に対処する。迫りくる三百の弾丸、その隙間を縫って彼は紙一重でそれらを避けていく。しかし、避けた先にはまたも同じように三百の弾丸。そしてその奥にも、また三百の弾丸が姿を現したことを、アユムは見逃さない。
「……動くか」
もはや柳の様には受け流せない。即断した彼は、先ほどの最小限度の動きで、紙一重の回避をみせたそれと違い、大地を力強く蹴って駆けだした。当然、神奈子はそれを弾丸で追いかけるが、独特の走り方にリズム……波長のようなものが、狙いと標的を一致させず、ずれを生じさせる。三百、三百、今度は五百と弾丸を撃ち続けても、当たる気配を感じさせない。
「ちぃっ!」
一方、神奈子は焦燥に駆られる。一見、弾丸を避けるのに精一杯に見えるアユムだが、その実、弾丸を避けながらも、着実に、確実に近づいてきている。あまりに少しずつだからこそ見逃してしまいそうだが、既に一度、あの流麗な動きをみせつけられた神奈子であれば看破は出来る。
少しずつ詰められる距離。しかし、神奈子もけして棒立ちになっているわけではない。彼女も弾丸を撃ちながら、アユムから少しずつ距離を開けようとしている。障害物も何もない神奈子の方が、移動は有利だ。だからこそ、アユムが例え必死で間合いを詰めようとしても、本来は詰められるはずのない距離。
しかし、現実にはどういうわけかアユムが距離を詰めてきている。だからこそ、神奈子は焦っている。どれだけ全力で振り切ろうとしても、間合いを詰められる。そして間合いに入れば、あの神速の一閃が待ち受けている。正しく一撃必殺を体現したようなあの攻撃。着実に詰められる間合い。これで慌てない者など、居る筈がない。
ジリジリと、まるで崖に追いつめられるような感覚。あまりに不気味なその気配に鳥肌を立てて、神奈子はとにかく距離を開けようと、途中で爆発する弾丸、神力の散弾、追尾型の弾丸などと搦め手を入れるが、そのどれもが避けられる。あるいは、神速の一閃がすべてを切り裂く。
「多くは語らない」
不意に、今まで声をほとんど発さなかったアユムが、言葉を放つ。その間にも、弾丸回避の応酬は続く。
「故に宣言だけする。次の一手で、貴様の詰みだ」
それはつまり、逆を言えば次の一手でアユムが勝負に出るということ。
思わぬ情報開示に、神奈子は笑みを浮かべる。
「やれるものなら、やってみなさい!」
次の弾丸を生成する。その数、おおよそ一千。更に、能力によって天候を操作することにより、黒雲を呼び出す。御柱を前方へと向ける。更には自分の持つ奥の手の準備も済ませた。
「貴方は一度――神の荒ぶる御魂を味わうと良い!」
それを合図に、弾丸がアユムに押し寄せる。更には、御柱の先に光が集まったかと思うと、そこから極太の光線が一直線に発射される。
「……行くぞ」
アユムは初めて、直線的に神奈子の方へと駆けだした。彼の目の前には、一千の弾丸。そして神力の光線。当たれば、重症は必至だ。特に、光線に当たれば間違いなく命中した箇所が消滅するだろう。それを理解していながら、しかしアユムはそれに立ち向かった。
――1歩目。アユムは抜刀し、目の前の弾幕を一文字に切り裂いた。そうして隙間が出来たかと思うと、そこに体を滑り込ませるように、柔軟にして独特な動きを以て、弾丸を避ける。
――2歩目。まだ弾丸が迫る。そして、光線がアユムの胴体を貫こうと迫りくる。既に抜刀した刀を鞘に納めているアユムは、その刀をまたも抜刀して、今度は神力の光線を真っ二つに切り伏せた。光線はアユムを避けるように左右へとずれ、そして通り過ぎた時には、既に刀は鞘の中。
――3歩目。突如閃光が世界を照らす。それは稲光だ。光速で落ちてくる雷に対して、アユムは避ける術を持たない。故に、光速に対して神速の一閃を以て対応した。
「――『雷切』――」
――気づけば4歩目。雷は神速の一閃のもとに両断され、またしても距離が縮まる。おそらく、これが神奈子に残された最後の迎撃チャンス。弾幕を張りながら、もう一度、二度と雷を落とし、御柱からは光線を放ち的確にアユムを狙い続ける。
しかし、弾幕は紙一重で避けられる。雷は断ち切られ、光線は雷を切った後の二振り目にて裂かれる。もはや出し惜しみは許されない、その状況を把握した神奈子は、アユムが5歩目に入る前に、用意していた奥の手……細かい植物の蔓を召喚する。
――5歩目。踏み込んだ時点では、お互いの距離は5メートルほどある。しかしその直後、突然アユムが今までにないほどの速さで急接近してくる。神奈子は急いで植物の蔓を前にかざした。
そして一閃。振るわれた神速の一撃を、しかし神奈子は蔓を以て絡み付け、受け止めた。これで勝ちだ。ニヤリ、と勝利を確信した笑みが、彼女に浮かぶ。
神奈子は目の前を見る。御柱も既にいつでも撃てる状態。あと一秒の半分もあれば、アユムを打倒することが出来るだろう。勝利は絶対に揺るがない。そう思っていた神奈子は、しかし次の瞬間に目を剥いた。
「なっ……!」
用意した植物の蔓。それが絡み付けていたのは、彼の右腕だった。神奈子は思う。馬鹿な、どうしてあの場で素手を選択してきた、と。
右腕は蔓によって拘束されているが、左手は未だに自由だ。その左手は、刀の柄を握っており、既にいつでも抜刀のモーションへと移れる態勢になっている。
神奈子は急いで別の蔓を召喚しようとする。思考した刹那、不意に彼女の首にジワリ、と少量の水分が滴る。
「俺の勝ちだ。八坂神奈子」
彼の刀は、既に抜刀され、振り終わった後だった。それはピタリと神奈子の首の横で止められており、あと少しでも動かせば、動脈を切られる。この時点で、生殺与奪の権利は、アユムが保持していた。
「……参ったわ。私の負けよ、負け」
蔓を解除し、御柱を静かに下ろし、そして黒雲を消し去る。それを確認したアユムも血振りを行った後、刀を鞘に納め、「ふぅ」と溜息を吐く。
「これが、凡夫の戦い方だ。何の変哲もない、鍛錬量と技術力のもと、ただ出来て当たり前の応酬。時と場合によって決められた方程式に当てはめ、適切解を導き続ける戦い。貴様の敗因は唯1つ。俺が対処出来ないことを、1つも出来なかったことだ」
雷を切ることは、人間の領域でも可能だ。この後、歴史に名を刻む立花道雪は、刀千鳥を以て半身不随になりながらも切ったとされている。
また、長船兼光が作ったとされる刀『竹俣兼光』は、雷神を2度も切ったことから『雷切』とも呼ばれた。
故に、雷を切るということに、何のおかしな点も無い。
弾幕を避けることも、動体視力さえ良ければ、あとは体を動かすだけだ。片目だけとなってしまったアユムであっても、距離感と差異に慣れてしまえば、両目があることと変わりはしない。
光線を断ち切ることも、雷を切ることと何ら変わりはない。
歩法も、足運びも、独特なリズムも、全て鍛錬と実戦のもと、より最適解を導くために生み出されたに過ぎない。けして、たどり着けない領域の話ではないのだ。
故に、アユムは凡夫である。
そして凡夫でありながらも、神を打倒した。
「やっぱり、凄いなぁ……」
――勿体ないなぁ――
諏訪子の呟きを、アユムや神奈子が拾うことはない。しかし、近くにいたハクロウには聞こえていたのか、そのあとすぐに諏訪子を睨み付ける。それに対して、諏訪子はあはっ、と屈託のない笑みを浮かべて軽く受け流す。
「よし、決めた」
もとからある程度、考えていたことだ。準備もしていた。故に、この機会に仕掛けよう。
「捧げられたご馳走は、食べなきゃ失礼ってものだよ」
見てみると、アユムと神奈子は何やら楽しそうに話しをしている。今の今まで、争っていたとは思えない仲の良さだ。それを微笑ましく思いながら、諏訪子は二人に声を掛ける。
「神奈子~! アユムの仕返し成功の記念に、宴会でもやろうよ!」
「おっ、いいねぇ。良い事言うじゃない。私に勝利した記念だ。存分に、宴会を楽しむわよ!」
「はぁ……まったく。ハクロウ、酒の準備だ」
「わかってる。まったく、どうしてこうなったのやら……」
「あ、それなら私は酒肴を用意しますね!」
それぞれが自分に出来ることを始める。ハクロウとアユムは瓢箪の酒を補充するために湖へ。神奈子と諏訪子は、宴会のための食料を用意するために倉庫へと入り、巫女は酒肴の下準備のために調理場へと向かったのだった。
――夜。守矢の神社の宴会にて――
一同は前日と同じく、各々気に入った酒を取り、料理を摘み、五人という小規模ながら、お互いに話をすることで小さな喧騒を広める。
そんな中、顔を赤くして酔っ払った巫女がアユムに酒を勧めていた。何でも、守矢の酒も味わってください、とのこと。アユムも自分の酒ばかりを飲むのも面白さに欠けると思い、今は自分の酒には手を付けず、勧められた酒ばかりを飲んでいる。
「ささっ、どんどん飲んでくださいね~!」
「……守矢の酒は、多種多様なものだな」
辛い酒。苦い酒。飲みやすい酒。甘い酒。出来の悪い酒もあれば、美酒もある。粗悪な酒を飲んだ時は顔を顰めたものだが、それでも勧められた分だけは全て飲んだ。
「あ、もう無くなりましたね。では、次のお酒を持ってきますね!」
酔いながら、巫女は忙しなく動く。主に酒を取りに行っているせいだ。宴会の席でもよく働くものだと、アユムは苦笑して次の酒を待つ。
一方、酒を取りに行った巫女の方はというと、偶然にも厠に行く途中の諏訪子と鉢合わせた。
「あ、調子はどう? アユムは出来上がったかな?」
「いえ、それがまだ効き目が出てこないみたいです。顔が赤くなっているわけでもなく、そわそわした様子もありません」
「あー、そういう耐性があるのかなぁ。私が直々に調合した強力な薬なんだけどなぁ……」
言いながら、徳利の中に小瓶に入った液体を入れる諏訪子。
「何か言われたら、この土地特有の隠し味だって言っておいてね」
「はい、わかりました。それでは、持っていきますね」
顔を赤くしながらも、理性をしっかり保っている巫女は、そう言って宴会の会場へと戻っていった。諏訪子はどうするかな、と考えながらも、倉庫に戻って追加の薬を用意し始める。
そして場所は宴会の会場に戻る。アユムは巫女に勧められた酒を飲み続ける。時折酌をしてもらい、再び飲み、無くなったら酌をしてもらい、再び飲む。
そうして酒が無くなると、また巫女が酒を取りに行き、諏訪子が薬を徳利に投入し、それをアユムに出して、そしてアユムが飲む。
こうしたサイクルが続く。そして、それが十週目に差し掛かったところで、ようやくアユムの顔に少しの赤みが差す。ほろ酔い、といったところか。あるいは、薬の効き目が出てきたのか。
「あ、そろそろ酔いましたか?」
「ん……そうだな。少し体が火照ってきたようだ。意識も、少し霞んでいる。――酔いを醒ますため、風に当たってこよう」
アユムは最後、ハクロウの様子を見てみると……彼女はどうやら、神奈子と話して盛り上がっているようだ。これならば自分は必要ないだろうと、アユムは宴会の席から外れる。
巫女はそれを見て、もう大丈夫だろうと安堵し、神奈子とハクロウの話の輪へと混ざることにした。極力悟られないように、少しでも時間が稼げるように、巫女は二人の話の聞き役に徹するのだった。
――同じ夜。宴会の喧騒が虫の声のように微かに聞こえる湖の前――
「あ、こんなところに居た。主役が何やってるのさー」
湖の前に佇むアユムに声を掛けてきたのは、諏訪子だった。彼女は何気ない顔で、アユムの隣を陣取る。
「何、少々酔いを醒ましていたところだ。……とはいっても、酒は抜けぬが」
「ふぅん……。それで、どうして湖の前で黄昏てるのさ?」
諏訪子は単純な疑問をアユムにぶつけた。それに対して、アユムは苦笑しながら答える。
「なに。少々、我が娘のことを考えていただけだ。今頃はどうしているのか、湖を見ると気になるのだ」
「あ、そういえば子どもが居るんだったね。既に父親かぁ……何となく、背徳的だね」
「……? 何が背徳かは知らぬが、まぁ、それもまた一興だろうよ」
そうかな、そうだとも、ちょっと罪悪感があるなぁ、それが醍醐味だ。流れるように返される言葉に、諏訪子はくすっ、と笑みをこぼす。
「そっか。うん。アユムって、そういう人だったね」
なら、問題ないかな、と諏訪子は続ける。そして、何処からともなく徳利と猪口を取り出して、アユムにそれを見せつける。
「付き合ってよ。今は暇だよね?」
「……まぁ、そうだな。神の誘いを断るのも、不敬というものだろう」
「そうと決まったら、こっちだよ」
小さな手がアユムの手を握る。彼は無意識のうちに、その手を握り返す。その手がどことなく、子どもの手に似ていたためだ。
一方、手を握り返された諏訪子は、少し俯いて表情を伺わせない。そのまま、とてとて、と早足で歩き、宴会の大広間ではなく、そこから少し外れた、ある一室へと誘い込まれる。
「あ、ここだよ。ほら、入っていいよ」
「相伴に預かろう」
部屋の中は、非常に簡素なものだった。桐箪笥に、木製の長机、そして中央に布団一式が一セットだけ広げられている。長机の上に筆や硯が置かれているところを見ると、大方、仕事部屋といったところだろう。
アユムは中央の布団の手前で止まり、腰を下ろした。諏訪子も、それに合わせるように布団の手前、アユムの対面で座り、徳利の中にある酒を二つの猪口に注ぎ、その片方をアユムの方に寄越す。
「はい。神社の中でも、多分これが一番良いお酒だよ」
「そうか。なら、ゆっくりと味わって飲むとしよう」
――乾杯――
カチン、と陶器と陶器が軽く当たり、子気味の良い音が響く。アユムはその直後、猪口を傾けて中の酒を口に含み、それを味わうように転がした。
「……なるほど。確かに、良い酒だ。しかし、俺の酒には敵わぬようだ」
「あーうー、あれと比べるのはダメだよ。あのお酒は……悔しいけど、別格。比較対象が悪いよ」
ははっ! と諏訪子の言葉に愉快気に笑うと、アユムはまた一口、猪口の中身を口に含む。
「それにしても、本当に凄かったよ。まさか、神奈子に勝っちゃうなんて。一体、あれからどれだけ、鍛錬を積んだのさ?」
「毎日欠かさず、起きている間、ほぼずっとだ。歩き方を常に意識し、武器の性質から、どう動くのが良いかということも考え抜いた。その結果が、あれだ。起きている時間を全て費やした、と思ってくれて構わない」
おっかないね、努力は大切だ、そうだねー、と会話は穏やかに、静かに成立する。
また一口、アユムが猪口の酒を口に含む。そして飲み下したところで、諏訪子はアユムの猪口に新たに酒を注ぐ。
「おっと、すまぬな」
「いいのいいの。ささっ、飲んで飲んで」
勧められるままに、アユムは猪口の中の酒を飲む。また、猪口の中から酒が無くなる。諏訪子は再び、その猪口に酒を注ぐ。
「あ、そうだ。聞きたいことがもう1つあったよ。最初、どうしてあんな山に居たのさ?」
「最初……あぁ、神奈子が俺から奪った土地か」
「そう、それ」
はて、どうしてだったか。アユムは猪口の中の酒を眺めながら、思い出す。酒に映る自分の顔がやけに赤いのは、きっと気のせいではないだろう。
「気が付いたら、あの山の中に居た。今世が始まった時から、俺はあの場所に居た」
「……その前の記憶とかは無いの?」
「はて、何だったか。……あぁ、そういえば、歌を詠っていた」
「歌?」
おぼつかない思考の中、アユムはふと思い出した。最後の光景。自分が、光の粒となって天に昇る最中、詠ったのは……そう。
「越えてゆけ 愛を覚えた 愛しの子 雫散りさき 色は花めく」
声音がまどろんだ。蕩ける様な優しい声。思わず、諏訪子はその声に傾聴していた。
「――1つの壁を越えることが、終着点。そして今まで灰色だった世界が鮮やかに彩られることが、始まりかな。雫散りさきは……何だろう? 涙? それが地面に落ちて散った先に、って意味? ……まぁ、いいか。まとめると、この歌は自分の子どもが1つのことをやり遂げたことと、その門出を祝う歌ってことで合ってる?」
「そうだったか……あるいは、そうでないのか。最近、物忘れが酷くてかなわない」
ぐっ、とアユムは酒を煽る。そして、飲み終わると同時に諏訪子がまた酒を注ごうとするが、それはアユムが手を前に出すことによって止められる。
「待て。そろそろ、限界だ。体が熱い上に、目眩が酷い」
「ふぅん……大丈夫?」
「いや、済まないが、肩を貸してほしい。少々、酔いが回り過ぎた」
そうなんだ、と諏訪子は返しながら、アユムに肩を貸す。そして、彼が諏訪子の肩に全体重を掛けた途端。急に諏訪子が前方へと倒れこんだ。
「っ、重すぎたか?」
運よく、二人は布団の上に倒れることが出来た。これが畳の上ならば、鼻をぶつけて痛い思いをしていただろう。
「うーん、ちょっとね」
「そうか、済まない。ならば、ハクロウを呼んできてほしい。我が友ならば、俺を運ぶことぐらいは容易くやってのけるだろう」
「あー、違うって。そうじゃないよ」
楽な態勢になりたかったのか、アユムは仰向けになる。しかし、そこにすかさず諏訪子が、アユムの腹に跨る様にして圧し掛かる。
「……何をした?」
「うん、ちょっと一服……というか、十一服かな。薬を盛らせてもらったんだよね。あ、でも大丈夫だよ。毒薬だったりするわけでもないから。一言でいうなら、媚薬かな」
何でそんなものを、とは訊かない。代わりに顔を引き締め、体に力を入れようと試みる。
「本当に苦労したんだから。何せ、一瓶……本当に少量を飲ませればたちまち人間なら全身に力を入れることが出来なくなるのに、アユムは十一瓶目でようやく、効き目が出てきたんだから」
「……厠にしては長いと思っていたが、裏では薬を作っていたか」
「うん、正解」
諏訪子は帽子を布団のそばに置いた。
「あ、もちろん理由はあるよ? 最近、神奈子のおかげで信仰心が更に増えてきたからね。だからそろそろ、信仰心を消費して、子どもでも産もうかな、なんて考えていたんだよ」
「……あぁ、力の分散、ということか。俺も近頃、力を散らせすぎた」
「八咫鏡とか、八尺瓊勾玉とか、天叢雲剣とかを、天照大御神に献上したんだっけ? よく、あれだけの力の器を、ポンポン出せるよね」
そこまで知られていたか、とアユムは顔を顰めた。その顔を見た諏訪子は、機嫌を良くして話を続ける。
「本来、神様っていうのは性交なしでも、子どもは産めるんだよね。でも、私は番にアユムを選んだ。……この意味、わかるよね?」
「……差し詰め、俺の全盛期の力を子に宿し、あわよくば国盗り、といったところか?」
「半分正解。でも子どもを使って国盗りとかはしないよ。後が怖いし」
つまるところ、純粋に子孫の強化を図りたい。そういうことなのだろう。
「それで、もう半分は何だ?」
「うん。単純に、アユムが気に入っただけだよ。何で、って顔をしてるね。顔は平凡、体はちょっと引き締められている程度、実力も……まぁ、そこそこ。実際、神奈子と次戦ったら、負けるでしょ? だって、アユムが刀を抜けない状態にすれば、格上の私たちになす術も無いわけだし」
諏訪子の既に看破していた。アユムの致命的な弱点を。
確かに、アユムの独特な歩法や、抜刀術。それらの技術は、凡人が全てを賭したからこそ、至れた領域。ただ断ち切ることに特化した剣術。そして、間合いを操ることに特化した歩法。その二つは、それ以外を捨てたからこそ至れた、究極の一ともいえる恐ろしい技術だ。
しかし、それらは前提条件として、手足が自由でなければならない。更に踏み込むと、決め手は抜刀術、ただそれしか存在しない。つまり、攻撃の種類を1つしか持ち得ない。
ならば、アユムに勝利する方法は簡単だ。ゼロ距離まで近づき、刀を押さえてしまえば良い。それが出来ないならば、抜刀中にその腕を掴み、そこから刀を押さえてしまえば、何の問題もない。所詮は抜刀術。ただ直線的に動く腕を押さえるなど、神にとっては容易いことだ。
故に、断言できる。今の諏訪子でも、アユムに十中八九、勝利出来ると。
そもそも、神と凡夫では、基本的な身体能力のスペックが違うのだから。
そして、神奈子が負けた理由は唯1つ。慢心したからだ。初めから、あの蔓を大量に召喚すれば、アユムは手も足も出ず負けていた。その証拠に、アユムは右手を囮に使っていた。弱点は明白だ。
「……あぁ、そうだとも。どう足掻いても、一人では負ける。俺は常に、選択肢を三つしか持っていないのだから。……それで、酷評ばかりだが、何処が良いのだ?」
拗ねたように言うアユムを見て、諏訪子はクスッ、と小さく笑みを漏らす。あどけない、純粋な女の子の笑み。
アユムの鼓動が、少しだけ早くなる。
「その心だよ。もっと言うと、魂の在り方だね。妙に負けず嫌いなところや、諦め知らずなところ。それなのに、妙に潔いところ。自分の役割を弁えている、ともいうのかな。出過ぎた真似はしない。でも、手はしっかりと差し伸べる。なかなか居ないよ。アユムみたいな有言実行の出来る聖人は、ね」
「……その評価を聞いて、自分が気持ち悪いと思った。長所は華であり、短所は愛嬌だ。短所がない者ほど、つまらなく、不気味なものはない」
アユムは吐き捨てるように言う。表情が語っている。実に不愉快だ、と。
諏訪子は「まぁまぁ」とアユムを諫めて、話を続ける。
「確かにそうだけど、ちょっと違うかな。アユムの愛嬌は、自愛が出来ないところだよ。危なっかしくて、見てられない。母性本能をくすぐられる、と言ってもいいかな」
諏訪子の言葉に、アユムは納得する。確かに、それは自分の最も悪目立ちする短所だ。生死に対して意識的に欲求した覚えは、今までにない。死期が近づくことに恐ろしい、などと宣ったことがあったが、あれは言葉通りの意味ではない。何故なら、死期が近づくことが恐ろしかったわけではない。死んで、輪廻するまでの間、子どもと触れ合えなくなることが、恐ろしかった。途方もなく、嫌だった。けして、主語は自分ではない。
アユムが自分の心配をしたことなど、ただの一度も無かった。故に、それは非常に悪目立ちしている。
「だから、何となく包容したくなっちゃう。優しさを教えたくなっちゃうよ。あ、簡単に言っちゃったけど、他にもまだまだ、良い所はあるよ。ほら、例えば本気になった時の殺気とか、闘気とか、覇気とか。普段は甘々なところとか。あと、精力的に応えてくれそうなところとか、ね?」
諏訪子の顔が、アユムの眼前に迫る。そして、はっきりと、見せつけるように、妖艶な雰囲気を醸し出しながら、舌なめずりをする。
「私がたっぷり、甘えさせてあげるよ。ほら、力を抜きなよ。そして、溺れなよ。快楽の海に。私は受け入れるよ。だから、アユムも受け入れてくれなきゃ。これだけ私が求めているんだから、ね?」
顔を更に近づけ、耳元で諏訪子は言う。そして次の瞬間、アユムの耳たぶが、甘噛みされる。
「……随分と、一方的なものだ」
「違うよ。これから、相互関係になる。これくらいしなくちゃ、アユムは応えてくれそうにないからね」
――それに。
諏訪子は顔を上げ、アユムを見つめる。
アユムの目に映る諏訪子は、ひどくバランスが悪い。姿は童女のものなのに、気配はこの上なく妖艶ときたものだ。背徳感が、甘美にアユムの体に波打つ。
「アユムも、満更でもない様子だし――」
――だから。
諏訪子の顔が、溶けるように歪む。自分でも、欲求を持て余しているその様子に、アユムは反応せずにはいられない。
その反応が嬉しかったのか、打って変わって、諏訪子は誰にも負けない、綺麗な笑顔で言った。
「愛し合おう? アユム」
感情の波は対岸にぶつかり、それを受け止める。
時には波が防波堤を越えるが、潮の流れが打ち勝ち、波が押されることもある。
激流のような時間は、永遠のように思えて、しかし着実に過ぎていく。
名残惜しいなどと感じる暇は無い。少しでも気を抜けば、津波に一気に持っていかれる。モーセによって海が割られる。
陸も海も、互いに主導権を握ろうと争い続ける。お互いがお互いを支配しようと全力になる。
しかし、お互いの努力むなしく。互いに支配を免れた。
朝日が昇る頃には争いは終わり、そこには平穏が訪れる。
何者かが笑う。
何者かが喜ぶ。
何者かが歯軋りする。
――運命はまた1つ、その先へと進んでいくのだった――
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追記:次回の投稿は11月22日の17:00になります。