東方創星神録 ~始まりと終わりの物語~〖凍結〗 作:星の屑鉄
ただ、これは今回の話を描いていくためには、どうしても欠かせないものであったことをここに記載します。
それでは、本編をどうぞ。
ふと、人星は違和感を覚えることで意識が覚醒する。そして、さて起きようかとした時、両手が動かせないことに気が付く。次いで、体も何かで拘束されているかのように動かないことに気がついた。
「……太陽よ」
面倒だ。即座に怠惰な思考に走った人星は、その場で自身の保持する熱量を太陽の表面温度と同質にする。
刹那、ジュワァ! という何かが焼け切れると同時に溶け、蒸発する音が響き渡る。その音を認識すると同時に、人星は自分の保持する熱量を元に戻すため能力を解除する。
「ふん……言っただろうに。最低でも、太陽の表面温度に耐えられねば意味はない、と」
面白くなさげに吐き捨てて、人星は周囲をざっと見回した。そこからわかることは、光が差していない(即ち現在この場所は太陽の光が浴びていないという)こと。天井が見えることから、少なくとも人工建築物(それも拘束されていたことから、おそらく牢屋)の中に居るということ。何者かの手によって、こちらに手引きされてしまったということ、この三つだけだ。
「しかし……随分と粗末な」
間違いなく、鉄格子があることなどから牢屋なのだろうが、その出来はあまりに酷かった。
まず、逃げられないために用意された鉄格子が融解していて、どうぞ出て行ってください、と言っているようなものだった。続いて床だが、おうとつがあまりに酷い。まるで高温によって溶かされた大地が、その後自然と固まったかのように整地がなっていない。
明らかに、その全てが人星のやったことなのだが、本人はそれに気づいていない。常識の基準がズレているのだ。
「粗末なのは、あなたが能力を使ったせいでしょう」
室内に声が反響する。何かと思いそちらを見てみると……長い銀髪と緩い三つ編みが特徴的な女性が居た。
――はて、誰だったか。
人星は瞬時に頭を働かせて考える。そしてふと、昨日の件がフラッシュバックした瞬間、ぶるっ、と全身に震えが走る。
「貴様……先日はよくも部位破壊してくれようとしたな」
そう。その女性は、人星の顎に見事な右アッパーを決めたあと、漢字の通り“玉砕”を実行しようとした無慈悲な相手だった。
星の恩恵を一身に受けている人星といえども、出来ることと出来ないことがある。部位破壊をされては、星の再生力を以てしても数日はそのままなのだ。そんな辛い経験、人星は当然ながら体験したいとは思わない。
「それに関しては、非常に申し訳ないと思っているわ。そのお詫びとして、これを着るといいわ」
ぽふ、と人星のもとに投げられたのは、古代ギリシアの男女が用いた衣服、キトンと呼ばれるものだった。
「……太陽の熱には耐えられるのか?」
「問題ないわ。その衣服には、神の加護が込められているの。その加護がある限り、太陽の表面温度程度で消失はしないし、仮に衣服が破損したとしても、貴方の何かしらの力を充填すれば自動修復される筈よ」
ほぅ、と感心するように吐息がこぼれる。続いて、人星は立ち上がり、渡されたキトンに着替え始める。
途中、妙に集中したような視線を人星は感じるが、別段害があるわけでもないので放置する。
「ふむ……着心地も悪くない。これは素晴らしい」
うんうん、と何度も頷いて上機嫌な人星。
その反応を見ていた相手は、クスリ、と小さく笑う。
「気に入ってもらえたみたいね。それと、とても似合っているわ」
しかし、彼女は二つほど疑問に思ったことがある。
1つ、どうして上半身を曝け出しているのか。これについては、大体の答えを出していた。ズバリ、裸族の毛色があるからだ。
この問題に関しては、もう半ば諦めていることから、さほど気にしてはいない。
問題はもう1つ……その上半身、その身体の至るところに赤く刻み込まれた文字である。
首には『Sol』と刻まれている。そこから少し下の鎖骨あたりには『Mercurius』と。その下の胸の中心部分には『Venus』と。更に下の鳩尾には『Terra』と。そのすぐ横には『Luna』という文字が。鳩尾とへその中間地点には『Mars』と。へその部分には『Main Belt』と危うく見失ってしまいそうなほど小さく刻まれている。そこから更に下、露出した右足の腿(モモ)には『Jupiter』と。左右対称になっているように、左足の腿には『Saturnus』と。右足の膝には『Ouranos』と。左足の膝には『Neptunus』という文字が見える。……更に注意深く見ると、まるで嫌われ者のように、額には『Pluto』と掠れた文字で刻まれていた。
彼女は刻まれているものが文字だということは理解出来た。しかし、その文字が一体何を示すものなのか、そこまで理解することは出来なかった。
――が、それも当然である。何故ならば、その文字……単語の数々は、全て未来の言語であり、また名称なのだ。それを理解出来るのは、未来の者か、もしくは身体の持ち主である人星だけである。
「どうした? 我の肉体美に見惚れでもしたか?」
「安心しなさい。それは有り得ないから」
確かに、人星の肉体は言うだけの美しさがある。それは逞しい美しさというわけではなく、引き締まった美しさ。地道な鍛錬のもと、その形に沿った造形美がそこにはある。言うなれば、最高の彫刻師によって造形された作品のような美しさなのだ。決して、見苦しいとは言えない。むしろ、人の形としてはこれ以上ないほど流麗だ。
しかし、だからといって彼女はマイペースに見惚れるなどという愚は犯さない。見ていたのは、その身体に刻み込まれた文字であり、決してその肉体美を見ていたわけではない。
「それにしては、顔が赤いようだが……まぁ、良い」
興味をなくしたのか、はたまた別のことを優先したかったのか、人星は気にした風もなく融解した鉄格子から牢屋を出る。
「自己紹介がまだだったな。我は人星。見ての通り、貴様らと同種の者だ。前までは地球に住んでいたが……今は月に招かれて、此処に留まっている」
簡潔な自己紹介。しかし、所々に違和感を覚えるには十分な単語が散りばめられている。ふと、彼女はある伝記の一部分を思い出した。
――世界が終焉の色に包まれる中、一筋の希望の光が世界を照らす。
――その者は風の翼で飛翔する。自らの身を顧慮することなく、背中に爆風を浴びて加速する。天上より落ちし神の雷はその右腕に宿り、同時に神の炎が右腕を覆い尽くす。
――咆哮は世界を震撼させる。それは神をも凌駕する星の咆哮だ。
――咆哮は止む。刹那の時、世界から音が消える。
――直後、星の誕生を思わせる爆音が世界を、星を包み込む。敵なる大岩は抉り取られ、一部は天上へと逃げ去った。
――その者は破壊した大岩を大地に返還する。足りない隙間は天より落ち、火の山にて精錬された星の鉱物によって埋められる。
――こうして世界は、大地は安寧を取り戻す。散り散りとなった大地の欠片は海を出て、新たな国として復興していく。
――復興に協力するその者は、後に星からの寵愛を一身に受ける。数多の星達は星の寵愛を受けるその者に興味を持ち、多くの星がその者へ切符を送った。
――その星でやることを終えたその者は、最後星に名前を授かり、先ずは月からの招待を受け入れるのであった……。
先ほどの自己紹介において、人星は何と言ったか。鮮明に覚えている彼女は、おそらくそうだろうとアタリをつけて、自らも自己紹介をする。
「私は……八意××よ。今は主に、家庭教師の仕事に就いているわ」
「ほぅ、××か。これはまた、懐かしい発音をするものだ」
驚く程すんなりと、彼女、八意××のカマかけに人星はハマる。しかし、当の本人である人星は、本当にただ懐かしんでいる、それだけだ。自分の出自を隠す気は毛頭なかった。それはファーストコンタクトの時から決まっていたのだ。
「……人星。貴方、過去に星を、地球を救ったことがあるでしょう?」
スッ、と鋭くなる八意の視線。
対して、人星は「ほぅ」と小さく感嘆を示し、その紺碧の双眸を怪しく輝かせる。
「まさか、あの出来事が伝承として残っているとはな……。これは少々、身の振り方を考えねばならないかもしれんな」
敵意、不快感、憎悪、殺気。そうした気配は全く感じられない。
しかし、八意××は無意識のうちに後退る。彼女は人星の、その圧倒的な存在感に当てられていた。
今の人星の風体、それはあまりに未知の領域に踏み込みすぎていた。
本来、人や神という存在は大小あれども底が見える程度には浅い存在である。そうでない常人の域を超越してしまった者でも、ある程度の器の深さは感覚的に知ることが出来る。それは、八意××のような、同族の中でも一際規格外な存在であれば尚更だ。
しかし、その八意××を以てしても、人星という存在は計り知れない。例えるなら、本来であれば見える人としての器、それが神隠しに遭遇したかの如く、見つけることが出来ないのだ。計る以前に、器がどういうものなのか、どういった質のものか、そうしたことを感じ取ることさえ出来ない。どのような些細なことさえ、情報を掴ませるということをさせてはくれない。
――故に、あまりに未知に過ぎる。それが、八意××が人星に下した評価である。
「滑稽なことだ」
実に愉快だと言わんばかりの、喜色の声が聞こえてくる。言うまでもなく、発生源は人星であった。
「……何かしら?」
言いたいことがあるのであれば、ハッキリと言えばいい。八意××が視線で訴えると、人星は一度頷いて、それに返答する。
「いや、なに。世界を、星を、可能性を、それらを計り知るなどという、愚にもつかぬ事を実践している姿を、滑稽と言わず何とする?」
くくっ、と押し殺した嗤いに、八意××はゾクリと悪寒を覚える。それは確かに、彼女の心の奥底で芽生えた、未知への『恐怖』であった。
「探究心は悪くはない。しかし、それ故に盲目。八意××よ、貴様が計り知ろうとしているものは、究極の『無』であることを理解するべきだ。そしてその答えは、『無』から『有』が出来たのか、『有』から『新』が出来たのか。どちらかを原点に置く行為と知れ」
人星の言葉。それは要約すると、始まりは『無』か『有』か、その答えを出そうとするほどに自分を計り知ることは愚かな行為である、と言っているのだ。
――大言壮語。
誰もが思うだろう。あまりに行き過ぎた言葉である、と。そして自分を知ることがそれほど難しいなどと、これほど堂々と言い張る者は人星以外には居ないだろう。
本来、そのような事を言われれば、八意××は内心で呆れ果てるだろう。酷い誇大もあったものね……と。
しかし、今回ばかりは事情が違った。あまりに堂々とした物言いに、未知に過ぎる存在。加えて、自身を星と同義と公言する人星は、それを真実と思わせしめるほどにその場の空気を制していた。
事実、八意××は殆ど納得してしまっていた。認めてしまっていた。
――そう。これが星を救った者の実力なのね……と。
圧倒され動けない様子の八意××に対して、人星は特別声を掛けることもなくその横を通り過ぎる。一瞬遅れて、八意××はそのことに気づき、人星の腕を掴み静止させる。
何だ、人星は煩わしそうに問いかける。不機嫌そうな声色だったのは、自らの行動の初動を邪魔されたことが原因だ。
「何処に行く気?」
勝手は許さない。八意××の瞳がそう熱弁している。
意図を理解した人星は、ただただ面倒だと言わんばかりに、易々と手を振り払い、先に進んでいく。
「っ、待ちなさい――」
再び手を掴もうとした時、彼女の手はスカッと宙を切る。それを認識した瞬間には、既に人星の姿は目の前には無かった。一体何処に、と周りを見渡しても、そこに人星はいなかった。
「まさか……!」
八意××は走り出す。最悪の未来が待ち受けていないことを祈りながら、彼女は同族の居る場所へと駆け出すのだった――。
「時間が無駄にしたか……」
気付けば、人星は溜息を吐いていた。友好的に話をしようと思ったが、ついついテンションが上がりすぎてしまい、短気になってしまった。調子に乗りすぎていたことを自覚した人星は、自らの気持ちを鎮めるために八意を撒いたのだ。
ただし、それはほんの一部の建前であって、本当の理由ではない。
人星の本来の目的、それは月を支配しようと目論む愚か者を打倒することだ。客分として招かれている人星には……いや、それ以前に人星の能力によって、彼は星の様々な情報を、逐一受信しているかのように理解している。
先ほど、八意と話が終わった時、ちょうどその情報を得たときは、冷静に頭に血が上った。そしてどうするか、月と地球、太陽、ほかの星達に、まるでテレパシーのように頭の中で聞いたところ、阻止しろ、とのこと。
故に、人星はその重い腰を上げた。
「愚か者共……同族といえども、星を害する者は、我が許さぬ」
鳩尾のすぐ横に刻まれた『Luna』の文字が淡く発光する。
人星は手を開く、閉じる、二つの動作を数度繰り返し、体の調子を確認する。いつも以上に力が溢れ出す感覚、人星には未だに扱いに困りきっていた。有り体に言えば、加減が難しいのだ。実戦をしたことが殆どない彼にとって、力の制御は早急に解決すべき問題なのだが……下手なミス1つで星一つが壊れる可能性がある以上、迂闊に練習するわけにもいかなかった。
「……難儀なことだ」
ポツリと呟いたあと、さてどうするかと、人星は頭を悩ませる。今の人星が全力を出した場合、月という星の軌道そのものに変化を及ぼし、下手をすれば太陽にそのまま直撃する、あるいは地球に激突するといった事態に発展しかねなかった。
そんな星同士の心中は人星の望むところではない。そうなると、極力、月に影響を及ばさないように戦わなければならない、ということになる。
そうすると、身体能力を使うことはまず出来ない。今の人星の質量は、月と同質となっている。月に招かれたときに使用した重力を応用して、月に重量を掛けないようにしてはいる。だが、だからといって身体能力に任せて相手を殴れば、相手は冗談抜きに爆発四散する。
これは少し考えれば当然のことだ。素人が殴るような速度で、拳の大きさしかない月と同質量のものが人間に当たればどうなるか。それが答えである。
もちろん、質量を人間の状態に戻すという方法が無いわけではない。しかし、そうすると今度は人星の防御能力の面に関わってくるため、戦闘となるのであれば、迂闊に質量を戻すことが出来ないというジレンマがそこにはある。
しかし、このままでは様々な意味で勝負にならない。人星は考え抜いた結果、自身の質量を人間の状態に戻すことを選択した。
「この戦いに、地球も太陽も巻き込めないとは。月も健気なものだ」
そう。決め手は月の判断によるものだ。月は他の星を巻き込むことを是としなかった。即ち、これは人星に『月』以外の星の能力を使うな、というお達しである。
随分とワガママであり、第三者が見れば堪った状況ではないが、人星はそれを苦と思うことは無い。むしろ、「練習相手として悪くない」と考えている。
戦い方を決定してまもなく、月の戦力……月曰く「玉兎」と、侵略者側の人間たちとの戦場が見えてきた。
「随分と、勝手をしてくれたものだな」
もはや、それ以上の抵抗は許さないがな。人星は付け加えてそう呟き、戦場から離れているにも関わらず右の拳を引き絞った。そして左手は前にだし、足を軽く開いて構える。
――人星の異常な五感が拾うのは、悲鳴と怒号、そして映像。
――月の財産である玉兎を傷つける、外敵の姿。
――今まさに、ある外敵が玉兎に害をなそうとモーションに入った刹那。
「従え、力よ」
ズシッ、と人星の身体に押さえつけるような負荷が掛かる。それは広域の重力変化であった。人星は、月の重力を地球の重力と同程度に変化させたのだ。
続いて、左手に引力を込める。対象は、玉兎を傷つけようとする外敵の一人。
「来い」
冷たく言霊が紡がれる。
直後、人星が目をつけていた外敵の一人が、時速200キロは容易く出した状態で、まるで吸い寄せられるように、人星の方へと体が引っ張られる。
――戦場の誰もがギョッと目を見開いた。突然体を引っ張られるように横に飛んでく者は、未知への遭遇に悲鳴を上げる。被害に遭った人間はもちろん、その仲間、更には異常事態が発生したとみた玉兎達も動きを止めた。
――人間は遠くに引っ張られる。まだか、まだ飛んでいくのか。誰もの視線が、飛んでいく人間に集まり、それが果てしなく続くと思われた刹那、事態が動く。
ドゴォン! まるで大砲が発泡されたかのように大きな音を響き渡る。しかし、当然のことながら大砲が発泡されたわけではない。
外敵、玉兎、それぞれがその光景を見た。
引き寄せられて飛んでいった者は、その先に居る元凶に殴り飛ばされたのだ。力一杯、引っ張られる力と殴る力、両方のベクトルによって生み出された衝撃を受けた。
当然、男は前方へと吹っ飛んでいく。その距離、およそ百メートル。血を流して、地面に転がり、最後にはピクリとも動かなくなる。
――誰もが言葉を失った。突然の乱入者に。
――誰もが目を見張った。正体不明の力に。
――誰もが理解する。この場の強者は乱入者であると。
「月光」
たんっ、と軽快な音が戦場の真ん中で鳴り響く。
誰もが見る。その人物の姿を。
狼のような黒髪。誰もが生唾を飲み込むほど整った風貌。鋭く力強い紺碧の双眸。露出した上半身に、下半身にしか纏っていないキトン、そして身体に刻み込まれた赤い文字はどこか神秘性を感じさせるほどに、神々しい。
いつの間に、何処から、まさかこいつが……。ヒソヒソと侵略者側から声が漏れる中、人星はギロリ、とその双眸を動かし、侵略者に憎悪を向ける。
「先ずは、名乗りを上げよう。我は人星。星達の恩恵を一身に受ける、唯一の者である。そして、月に招かれた唯一の者でもある。……侵略者よ、矛を収めよ。談合による解決であれば、我も干渉を控えよう」
――だが、と人星は言葉を続ける。
「もしも、矛を収めないのであれば……我も戦に参加しよう。月の力を以て、この星に勝利をもたらそう」
言い終わり、人星は拳を構える。双眸はスッと鋭利に細められ、切れ味の極限に至った刀を彷彿とさせる。その存在感は戦場を呑み込むほど大きく、先ほどまでの流れという流れがすべて消え去った。
「ふん。たった一人で、我々を邪魔するなど――」
誰かが状況を理解することなく発した言葉。しかし、一体誰だと目を向けた瞬間、その者は人星によって殴り飛ばされていた。遅れて、またもや大砲を発砲したかのような轟音が周囲を包む。
「さて、次は誰だ?」
――有り得ない。その場の誰もが戦慄を覚える。移動方法、攻撃手段、この場にいる人星以外の誰もが、知覚することすら許されなかった。音を置き去りに、とはまさにこのことだ。
「理解は求めぬ。しかし、物事の道理は覚えろよ、駄犬共。この星……月は、こう言っているのだ。暴力による支配は受けぬ、とな」
物事の道理。それは侵略者側が言いたかった言葉である。お前如きが、勝者である我々に敵うとでも思っているのか? それは奇しくも、侵略者が玉兎に言い放った言葉である。
だが、乱入者人星の登場により、すべてが覆った。
「……10秒だ。キサマらに残されたタイムリミットだ。選べ。話し合いか、蹂躙か」
決断するにはあまりに短い時間。しかし、侵略者は退くわけにはいかなかった。ここで結果を残さなければ、どちらにしても立場は無い。ある事情を抱えた侵略者たちは、暴力に訴える道しか、残されていない。
誰もが瞬時に判断し、敵意を抱いた、まさにその時。
「何だ、他愛の無い。……これでよくも、我が滞在する月に、手出しをしたものだな」
哀れみ、呆れといった意味が込められた言葉が誰もの耳に届いた。
「1つ、概念的な話をしよう。月とは、地球とはほんの少し……それこそ、知覚できるか出来ないかの時間ほどの誤差、時間の進み方が違う。だが、光にしてみればその時間差は非常に大きなものへと変わっていく。そもそも、同じ時に存在しているのか、という時点で怪しいのだが……まぁ、小難しい理論はどうでもいいだろう」
要約すると――と、人星は続けて言葉を紡ぐ。
「我はその時間の誤差という力を利用し、光速用いることにより、キサマらの言うところの過去、もしくは未来に攻撃が出来るのだ」
まぁ、そもそも月光というものが過去の遺物である以上、ここで時間の定義をすること自体があまり意味をなさないのだがな、と付け加え、更に――
「キサマらは一体、過去の光に攻撃されていつ、攻撃を知覚するのだろうな?」
問い掛けが終わった直後だった。
音もなく、侵略者たちが苦悶を浮かべて崩れ落ち、蹲る。よく見てみると、ある者は腹部、ある者は肩と、まるで焼き印を押し付けられたかのように、拳の様な跡がついていた。更に目を凝らしてみると、その跡はどうやら皮を、肉を浅くだが抉っているらしく、少量ではあるが血が滴っている。
「退け。力は強大過ぎるほど、加減が難しい。次攻撃した時、キサマらが同じように生きていることが常ではないと知れ」
それは誰もの耳に届き、全員が正しく意味を理解した。
――最終警告。即ち、次は殺すという宣言。圧倒的強者から弱者への、最後の慈悲。
「同胞を殺すことは、あまり褒められた行為ではない。しかし、その星の財を……月の財産である玉兎を、地球の者であるキサマらが傷つけるというのであれば……それも止むを得ないことだ」
同じ地球の者。同じ種族。そうしたレッテルを殴り捨て、あくまで星の味方をする者。口ぶりからして星と同等、あるいは一部の力を操ることが出来るのであろう相手は、誰がどう見ても、常軌を逸していた。
しかし、月の者である玉兎たちの目からはそうは映らない。玉兎から見た人星は、まさしくピンチに駆けつける英雄のそれである。月を救う英雄、もしくは神そのもの。それが玉兎たちの抱いた人星の印象である。
「……さて、戦意を喪失したのであれば、大人しく――」
刹那、人星という人間の存在感が爆発的に強くなる。ミシリ、と星そのものが軋むような気味の悪い音。立て続けに起こる、空間そのものが歪むような重力の渦。重力は正しく、刹那の時を以て黒い渦へと昇華していた。
人星の後方は、優しく白い光に包まれていた。それは月の加護が限界まで込められた月の光である。要するに、星の力が限界まで含まれた守護結界のようなものである。
一方、人星の前方では、少しずつ彼の方に引き寄せられる者の姿があった。また、一番遠くに離れていた、最初、人星に殴り飛ばされた人間は、その手に奇妙な扇子を持って顔を上げていた。
「森を素粒子レベルで分解する風を起こす兵器……よくも、玉兎達に向けて振り抜いたものだな。その力を」
人星の声に込められているものは、慈悲でも憎悪でもなく、純粋な怒り。星の財を消し去ろうとし、あまつさえ人道にも反したその行いに、人星の怒りは限界点を突破した。外敵ではなく、害敵を見つめる冷酷な双眸は陽炎のように揺らめく怒気を孕んでいる。
「1つ、良いことを教えよう」
温かみの欠片もない、冷酷にして無慈悲な声。侵略者たちの背筋に走る怖気は、しかし次の言葉で別のものへと変質することになる。
「この我の手にある黒い渦……これは重力を極限まで圧縮したもので、名をブラックホールという。これは少々、面白い特性を持っていてな……。これは無差別に、あらゆる物体を吸引し、圧縮する。例え神であろうと、小惑星であろうと、光であろうと……吸い込まれれば最後、脱出することは出来ず、単位がつけられないほど小さく圧縮される」
侵略者もバカではない。光が脱出できないという意味、小惑星が単位をつけられないほど圧縮されるという意味、正しく理解できない筈が無かった。故に、侵略者の怖気は絶望へと変質する。
「圧死というのも、通なものだろう?」
嗤った。目に純粋な怒気を宿したまま、表情だけが嗤った。
――嗚呼、絶望が生温い。
最後、侵略者の誰かが、そんなことを思い、それは最期の思考となる。
掃除機で吸い込まれるゴミのように、侵略者が黒い渦へと吸い込まれて消えていく。玉兎達にも、すぐ近くに居る人星にすら、悲鳴も、声も、音も届かない。光すらも逃さないブラックホールが、音如きを逃がす筈がない。
侵略者には、悲鳴、命乞い、遺言、懺悔の言葉すらも、赦されない。
そして後に残るのは、侵略者のいなくなった月面世界。
「屑が」
吐き捨てるように言って、圧縮された物質をスペースデブリにすべく彼方へと放った。重力の渦、ブラックホールは既にその手からは消えており、守護結界である月の光も、付加重力も解除する。
人星の咄嗟の対応。それが功をなしたのか、玉兎の数が減った風には見えない。しかし、万が一ということもあるだろうと、人星はその足を前に進める。
「玉兎達よ、大事は無いか?」
堂々と、力強く弱者に歩み寄る。彼は手を差し伸べ、ただ玉兎たちの心配をした。瞳には慈愛が込められ、雰囲気は優しく温かい。先ほどまでの冷徹な一面は、完全になりを潜めていた。
「は、はい……。えっと、貴方は、一体……?」
おそるおそる、といった様子で質問する玉兎。それを見た人星は、「あぁ、臆病なのか」とか、「だから逃げ腰だったのか」などと冷静に相手の特徴を分析していた。
「先ほども名乗ったのだが……まぁ、良い。我は人星。人間にして、星たちの恩恵を受ける唯一の存在であり、此度は月の意思により馳せ参じた。月に招待され、今まで惰性と惰眠を貪っていたのだが……我の存在を認知していなかったのか?」
「えっと……はい。失礼ながら、人星様は何時から、月に滞在しているのでしょうか?」
「む……。そうだな……地球が終焉を迎えかけた後、自然が回復し、人間が見え始めたとき、こちらに越してきたわけだが……。公転周期は1700を超えたあたりで数えるのをやめた」
「え……、えぇぇぇぇええええええ!?」
絶叫。玉兎の驚きの声が月を震撼させるほど響き渡る。話しかけてきた玉兎はあんぐり、といった具合にだらしなく口を開いて呆けていた。
――いくら可愛くとも、間抜け面のせいですべて台無しになっている。
見た目年齢は二十歳に達していない少女の姿をした玉兎。その顔立ちは非常に愛らしいのだが、状況が状況なだけに人星が下した評価はそのようなものだった。しかし、だからといって嫌いな反応、というわけではない。何とも言えない嗜虐心を唆すその風体に性格は、ある意味、人星の……好みではあった。
「くくっ、玉兎と聞いてどんな堅物かと思ってみれば、その正体は愛らしい童女だったとは。良い、実に良いぞ! 月も粋な計らいをするではないか。なるほど、月が綺麗だとは、まさにこの事を言うのであろうな」
豪胆、快活、爽快に笑う人星。そこには男の子のような可愛らしさと、男としての格好良さ、強者としての度量の広さ、その全てが内在していた。あまりにアンバランスに見えて、しかし芸術的なまでに整った笑みは、玉兎達を魅了する。
「つ、月が綺麗!?」
人星と話していた玉兎は、カァァア、と顔を真っ赤に染める。続いて、あたふたと何やら意味不明なポーズやジェスチャーをするものだから、人星は更に愉快そうに笑う。
「はっはっは! その上で初心ときたものだ! なるほど、人間、神も確かに素晴らしい種ではあるが、しかし、玉兎は総合的にそのはるか上を行くか! 狡猾も捨て難いが、初心というのもまたいじらしい。生きていなければ芸術性を発揮することの出来ない生物が、まさか月にも居るなど……いやはや、非常に愉快。そして……興味深い」
すっ、と自然な動きで人星は会話をしていた玉兎の顎に触れる。あまりに流麗な動きに、玉兎は最初、何をされているのかわからなかった。しかし、力強い紺碧の双眸が自分の瞳に近づくにつれて、彼女はその状況を理解する。
「っ、っ――!」
玉兎の口が開きかけたところに、人星はすかさず顎をクイッと持ち上げる。その口元には、隠しきれない笑みが浮かんでいた。
「先ずは……」
その時、人星の親指が玉兎の唇をそっと、触れるか触れないかほどの距離で撫でる。玉兎から見て、右から左への優しい撫でつけだった。
「その愛らしい唇から、いただこうか」
徐々に、徐々に近づく人星の顔。玉兎はゆでだこのように顔を真っ赤にして、あわわ、と唇を震わせ、心の臓を激しく鳴らす。そしてとうとう、お互いの鼻が触れたところで、玉兎の羞恥心が限界点を突破する。ボフン! とコミカルな音を立てて頭から蒸気を噴出した。そしてかくも見事な素早さを以て後方に跳び――
「みきゃあァァァ!?」
などという奇声を上げて、全速力で彼方へと、兎だけに脱兎の如く逃げて行った。
「くくっ、くくく、はっはっはっ! 頭から蒸気! 本当に噴出させる者など初めて見たぞ! それに何だ、あの奇声は! 我を笑い殺す気か!?」
もちろん、そのようなことは決してないのだが、現実に人星は腹がよじれるほど大笑いしていた。人星としては、こうした大笑いという行為も初体験なために、内から湧いてく気持の良い感覚はまるで未知のものである。しかし、それに恐怖せず身を任せるあたり、彼の性格が窺える。
――あ、この人絶対に弄って楽しんでる。
他の玉兎の誰もがそう思った。玉兎にしては非常に珍しい意見の一致。一匹……いや、一人の玉兎が出汁に使われている事実に目を瞑れば、それはある意味では素晴らしいことだった。
「くくっ……月よ、これほど見事な歓迎をされたのだ。我は此処に長く腰を据えるとしよう。他の星からの招待も、この際だ。保留にし、星に大きな変化が生じるまで、観測者を気取るとしよう。――構わぬな? 玉兎達よ」
しかし、どれだけ仲間を弄って遊ぶ人間であろうと、人星は間違いなく英雄であり、最強の守護者になり得る人材である。そして何より、月という星そのものに招待されたということが、玉兎達の中では共通して大きな影響力を持っていた。
誰ともなく、「歓迎いたします!」と元気よく上がる返答に、「うむ」と大らかに頷く人星。
そして何より、玉兎達、月の兎にはある打算的な考えがあった。
――見ている分には、これ以上なく面白いよね。
これ以上ないほど、仲間意識の欠落した思惑によって人星を迎え入れた玉兎達は、果たして、これからどのような運命を辿るのか。
それは、神にも、星にもわからない、未知の領域の話であった――。
◆
「……何てことなの」
月面の戦場に到着した八意××は、あまりの出来事に目を見張った。
人星と玉兎が月の都に赴いて10分もしないうちに、彼女はその場に到着したのだが……そこには何も残っていなかった。いや、血痕が2か所だけ残っていたのだが、それ以外には何も存在しない。
八意××、その他月へと訪れた人間たちは、決して一筋縄ではなかった。中には強硬派、穏健派という派閥が分かれており、どのようにして月の支配を進めていくかを話し合っていた。
此処に向かう途中、通信機器によって強硬派が月の兎に戦争を仕掛けたという情報が入ったのだが、結果は何も起こっていないような月面。多少のおうとつ、血痕はあるが、それ以外に異常は見当たらない。
しかし、彼女はこの場所を監視していたカメラの映像データを見ることで、此処で何が起こったのかを正確に理解していた。
「……人星。星の恩恵を一身に受ける者」
危険だ。八意××は即断した。同時に、戦争を起こすことが如何に愚かしい行為かということが、これによって証明された。
八意××は、もともと穏健派の人間である。そのため、不和をもたらすような強硬派の行動は看過出来ないところがあった。今回の例は特に顕著である。しかし、だからといって強硬派戦力が皆殺しになるなど、想定している筈が無かった。
「……至急、都に戻って会議をしないと」
八意××は足早にその場を立ち去った。思い過ごしでないのであれば、彼女は正しく、人星という人間の行動パターン、許容範囲を理解していた。故に、このようなことを2度と起こさないためにも、伝えなければならない。同胞に。
……月の問題は、未だ解決の兆しを見せてはいなかった。
自分のタイトルセンスの無さに絶望しながら、あとがきに入りたいと思います。
今回登場した玉兎は、描写を控えたために誰だか分からない方がいらっしゃると思いますが、すぐに公開されることになるので、敢えて追及はしません。
あと、玉兎の全体的な雰囲気としては、果たしてこの感じで合っているのか、ということが少し不安な程度です。もしよろしければ、ご指摘を願えればと思います。
……あと、考えている人はいないと思いますが、一応。別に帝釈天と絡める気はありませんよ。今回の話で、それが成立しなくなったわけですし、帝釈天の話はそもそも地上での出来事なので、担当はどちらかと言えば別の兎の管轄なので。
あと、人星にはモデルとなった神は存在しません。概念的には存在しますが、そのあたりは追々、物語の中で明らかになっていきます。
次回の投稿は、10月27日の21:00になります。それでは、また後日、お会いしましょう。