東方創星神録 ~始まりと終わりの物語~〖凍結〗   作:星の屑鉄

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 UA数3000突破ありがとうございます!

 今回はグロ描写があります。ご注意ください。

 それでは本編をどうぞ!


五章 第三話 掌の予定調和

 

 拳骨によって気絶を余儀なくされた勇儀の復活は早かった。最初はどうしようか、と頭を抱えた人星だが、ものの5分で立ち直った勇儀のおかげで、その後の対応に追われずに済んだ。

 

「いたたた……」

 

 そして現在は、既にタンコブは治まった脳天を手で押さえている。どうやら、まだ痛みが引かないようだ。

 

「トリシューラ」

 

 見かねた人星は、懐からコラプサーとは別の、神槍トリシューラの力を使い、氷を創る。次いで、それを『創造する程度の能力』によって適当な袋を生み出してその中に氷を入れて勇儀に渡す。

 

「これで冷やせ」

「お、悪いねぇ……」

 

 当てた瞬間に苦悶の表情を浮かべたが、すぐにもとの表情に戻り溜息を吐く。そして、彼女は恨めしそうに人星を睨み付ける。

 

「にしても、拳骨はないよ。喧嘩の仲裁をするならともかく、当事者が拳骨をするなんて……」

「悪かった。またお互いが都合の良い時にでも、喧嘩をしよう。それと、今度俺が研究して作った美酒を飲ませてやる。それで手打ちだ」

「おっ、話しがわかるねぇ。約束だよ」

「もちろん。美酒の方は、この件が終わればすぐにでも、俺の故郷に行って飲みに行こう」

「あっ、そうだ。それだよ。あんた、結局此処に何しに来たのさ?」

 

 喧嘩に夢中になっていたため忘れていたが、人星も目的があって此処に来ている筈だ。真っ先に喧嘩で出迎えた勇儀は、そのことがすっかり頭から抜け落ちていて、今ようやくそれを思い出した。

 

 

「あぁ、何でも鬼共が人間と戦うために人間を攫っていると聞いたからな。少々、遊び相手でもして、この阿呆なことを辞めさせようとしただけだ」

「手厳しいねぇ……まぁ、それなら先に進めばいいさ。この先に居る萃香っていう鬼を倒せば……まぁ、交渉次第で何とかなるよ」

「そうか。なら、先に進ませてもらおう」

 

 先に進もうとして勇儀を横切り、その直後、「あっ」と思い出したように声を上げる。

 

「それと、これは鬼共全員に言えることだが」

 

 人星はたっぷり、五秒ほどの間を置いて、息を吐き、聞き手の関心が最高点に達したところで言葉を口にする。

 

「人間を舐めるな。追い込めば追い込むほど、人間というのはその内の怪物を表に出す。精々、闇討ち、だまし討ちされる前に……何より、貴様等鬼共が人間に対して失望する前に、追立を辞めることだ」

 

 それを言い終わると、今度こそ、人星は鬼共の本拠の方へと行ってしまった。

 

 最後の言葉に、勇儀は悩まし気に氷袋の上に手を置く。ひんやりと冷たく、今はそれが気持ちいい。思考がクリアになっていく。

 

「……私たちが人間に失望する前に辞めろ、ね」

 

 なるほど。やはり人星は、人足り得れども、人間足り得ない。人間とは妖怪に畏怖の念を抱き、また妖怪とは違いか弱き存在だ。真っ直ぐな意思を持った清流のような人間も居れば、心に悪を孕む者も居る。それが、人間だ。

 

 しかし、あれほど人間に当てはまらない人も珍しい。畏怖の念、諦観、偏った思考、そうした概念から逸脱してしまった人は、人間には成り得ない。あれは人間の形をした、別の生命体だ。そう、まるでその斧を平等に罪人の首に振り下ろす、死刑執行人のような存在。

 

「……それで、いつまで隠れている気だい?」

「ありゃ、やっぱりバレてた?」

 

 声を掛けると、返事が聞こえた。その直後、勇儀の目の前に霧の様な、モヤみたいなものが集まる(萃)。それは最初、ただの雲の様な不定形のものだったが、そのすぐ後には人の形……幼い少女の姿となって、それは現実に顕現する。

 

「はぁ……盗み見も程々にしておきなよ」

「分かってるって」

 

 ぐびぐび、と手に持った瓢箪を口に持っていき、その中身を呷る。常時飲み、酔っ払っている萃香の姿を見て、勇儀はまたも溜息を吐く。

 

「……ぷはっ。それで、戦った感想はどうなのさ?」

「最高だね。これ以上にないほど、楽しかったよ。……まぁ、最後のアレは無いと思ったけど、それ以外は満点だ」

「あぁ、アレねぇ……。いやぁ、鬼子母神のアレも相当ヤバいけど、大丈夫?」

「もう二度と、食らうのは御免だね」

「あはははっ、それには同感だよ」

 

 ぐびぐび、と再び瓢箪の中身を呷る。顔は相変わらず真っ赤で、しかし楽しそうに笑みを浮かべている。

 

「遠慮なんて、しちゃあいけないよ。人星は、人間じゃあない」

「知ってる。酔っ払っても、目が腐ることは無いよ。……真面目な話、アレの右腕はおかしい。あの右腕だけ、他とは密度が違うもん。あれだけの密度、今まで見たことが無いよ」

「やっぱりねぇ……。力比べした時も、おかしいとは思ったんだ。左腕はそうでもないけど、右腕だけ異常に力が強いって」

 

 やはり、人星は異常だ。何度考えても、考え直しても、その結論は変わらない。

 

「それにしても、私たちが失望する前に追立をやめろだなんて、おかしなことを言う奴だね。普通、人間が根絶する前に、とかだと思うんだけど」

「本当に、変な言い回しさ。これじゃあまるで、私たちが心配されているみたいに、ね」

 

 あの言動はまるで、弱者の側につく、とでも言っている様だった。そしてその解釈を正しいとするならば、人星が弱者と見定めたのは、人間ではなく、鬼の側となる。

 

 しかし、そんなこと、有り得るはずがない。人間と鬼では、まず基礎能力からして天と地ほどの差がある。それはけして常人に埋められる差ではない。人間が鬼に勝っているものといえば、物量と技術力そして知恵と、その程度だ。たかがそれだけで、種族という絶対の差を、崩せるはずもない。

 

 人星は人間ではない。名乗りを上げるときも、人星、裁定者と、その二言を口にしただけだ。これはまず間違いのない事実だろう。

 

 しかし、そこから先が見えない。まるで、初めから入り口が無いように、人星の行動目的がわからない。まさか、純粋に鬼の為、などという馬鹿な理由ではあるまい。

 

「さぁて、そろそろ行くね。待たせても悪いし、やっぱり頭ともなれば、本拠で堂々としているものだし」

「あぁ。気を付けてね、萃香」

「当然だよ、勇儀」

 

 萃香は再び霧散して、その場から消える。勇儀は「あー」とただ声を出しただけの様な、呻いたような声を上げて、一つ呟く。

 

「どっちにしても、伊吹山の連中のところに世話になるだろうねぇ……」

 

 さて、と彼女は腰を上げて、本拠の方を見て、そちらに進む。

 

「戦を摘みに、酒でも飲もうかねぇ」

 

 後に、勇儀、萃香は知ることになる。

 裁定者が如何なる存在か。人間がどんな本質を持った生物なのか。

 

 ここで言えることは、ただ一つ。

 

 呑まれた者に、未来は無いということ。

 ただそれだけだ。

 

 

 

 ◆

 

 

 

 人星は峠を上る間、暇を持て余して手の中で胡桃を転がしていた。彼の握力を以てすれば胡桃の殻など容易く割ることは出来るが、しかしまた手持無沙汰になるのも面白くない。それに、今中身を食べようとは思わない。

 

 時に弾いて、時に回して、時に胡桃でお手玉をしてみる。しかし、それに飽きると、彼はその二つを着流しの内に収めた。

 

 そしてもう数分ほど進むと、ようやく鬼の拠点と思われるボロな寺と思われる建物の前に到着。道中、鬼に襲われることはなかった。見ることも無かった。誰かの差し金か、あるいは偶然か。

 

 それもきっと、建物の中で分かるだろう。そう直感した人星は、迷うことなくその中へと足を踏み入れる。

 

「待っていたよ。そこの色男」

 

 中は存外に広かった。百人が集まって宴会をしても、余裕だろうと思わせる奥行と広さがある。そして最奥には、二本の捻じれた角、薄い茶色のロングヘアーを先のほうで一つにまとめており、服装は白のノースリーブに紫のロングスカートで、頭に赤の大きなリボンをつけている。また、どういうわけか腰などから鎖で三角錐、球、立方体の分銅のようなものを吊り下げている、幼い少女の姿がある。

 

「…………」

「……………………? え、何か言うことないの?」

 

 人星は無言でコラプサーの御札を右腕に貼りつける。そして、御札と右腕を同化させたところで、あらぬ方向に折れた左腕をもとの方向に曲げ直し、「ふぅ」と溜息を吐く。

 

「言葉で語らうよりは、拳の方が早い。まぁ、前口上だけは慈悲として述べてやる」

「……偉そうに言うね」

「天上天下唯我独尊、というやつだ。俺以上に尊ばれる存在は、この世には存在しない」

「本当に、偉そうだよ。たかが片腕。そんな状態で、鬼に勝てると思っているの?」

 

 相手のその問いに、人星は「くくくっ」と声を押し殺して笑う。それは不気味にボロの建物内に響き渡る。

 

「……気味の悪い奴」

 

 ポツリ、と相手は嘘偽りなく思ったままに口にした。人星はそれが聞こえているのか、それとも聞こえていないのか、あまり人にみせられたものではない、獰猛であくどい笑みを浮かべる。

 

「俺はこの世の裁定者だ。それは即ち、何者でさえ平等に罰することが出来るということだ。この後は、言わなくてもわかるだろう?」

「わかるけど、だから何なのさ」

「ならば問おう。貴様は、太陽の10の10乗倍の質量をほこるものを、破壊出来るのか?」

「……は?」

 

 何だ、その問いは。そういわんばかりに、相手は訝しそうに人星を見る。

 

「あぁ、その目でわかった。破壊出来るわけもない。……さて、貴様が挑むのは、その質量をほこるブラックホールという、星の成れの果てのわけだが――」

 

 人星の右腕が、真っ黒に染まる。ただただ、真っ黒。それ以外に受け付けないように、その周囲の光さえも捻じ曲げている。

 

「逆に問おう。鬼如きが、天体最強にして最恐の存在に、勝てると思っているのか?」

 

 それは言葉の通り、格が違う。右腕から溢れる不気味な何かに、相手は……伊吹萃香は気圧される。未だかつて、彼女はこれほどの圧力を感じたことは無い。これほどの密度、質量を見た覚えもない。自分の能力で散らそうと思っても、規格外が過ぎて、間違いなく押し負ける。それが見ただけで本能的に、理性的に、視覚的に理解できる、この異常性。

 

「これが、慈悲だって?」

 

 冗談じゃない。こんなものは、断じて慈悲ではない。これならまだ、理解する前にやられた方が、救いがあった。少なくとも、絶望を知らずに済んだ。その右腕は異常の塊。全てを破壊せしめる邪悪の化身。全てを食み、呑み、殺す、最悪の存在。

 

「あぁ、慈悲だとも。お前は今、鬼と戦っている最中の人間の気持ちを知った。実体験を以て知れたのだ。知識を与えてやったのだ。これは紛れもなく、慈悲だろう?」

「そんな慈悲があって堪るか!」

 

 少なくとも、純粋に力に任せて行動する鬼に対して、人間は技術という力を身につけて、対峙することで勝負が成立した。

 

 しかし、今の状況は勝負ではない。一方的な蹂躙に他ならない。力ない人間と最強の鬼が対決するほどに、容赦が無い。

 

「しかし、鬼と人間の差もまた、この絶望に似ている」

「似ているだって? そんなこと――」

 

 あるわけない、と口にしようとして、彼女は一度、考え直してみる。鬼たちは、人間に正々堂々の勝負を挑んでいる。お互いの力を競い合い、しのぎを削ってきた。最近は戦いをしたいあまりに、相手が戦わなければならない状況をつくって、それを正々堂々の勝負を強いてきた。

 

 しかし、一体鬼の力の前に、果たして人間の技術力というものがどれほどの役に立つというのだろうか?

 

 鬼と人間の種族の差は、けして物量や技術力、知識によって埋められるものではない。人間の中でその差を埋められるのは、英雄と呼ばれるような、たった一握りの人物だけだ。

 

 鬼はそんな人間と対決したいがために、人間との戦いを欲した。しかし、もしもその、たった一握りの人物ではない者が、鬼と対峙したのならば、どうなるか。その振るいから零れ落ちるようなものが、戦いを強いられた状況とは、一体どれほど、辛い状況なのか。

 

「……っ!」

 

 想像して、背筋に怖気が走る。それは今、自分の直面している状況と同じではないか。まさか、まさか……。

 

「そうだ。この状況こそが、追い立てられた人間の気持ちだ」

「っ!?」

 

 まるで心を読んでいるかのように、人星が答える。それに対して、彼女はただただ絶句するしかない。今まで、自分たちがやってきたことに。そして、それをずっと実行してきたことの恐ろしさに。目の前の人間の形をした何かの言葉に。

 

「さて、今まで人間を追い立てた罰は、軽いものではない。反省はしているようだが、罪は消えない」

 

 彼女の心に、その言葉は重くのしかかる。人星はあくまで事務的に、言葉を続ける。

 

「――故に、裁定者として刑を執行する」

「――ッ!?」

 

 彼女はすぐさま自分を散らせる。相手に先手を譲られるのは不味い、そう判断したが故の、即座の逃げの一手。

 

 しかし、霧散させた瞬間……正確には、霧散し切る前に、左の角が掴まれた。そのせいか、体は霧散させることが出来ても、頭だけはそれが出来ない。見てみると、一体いつの間に近づいたのか、彼と、あの恐ろしい右腕が、彼女の左の角を掴んでいる光景が目に映る。

 

 おそらく、その右腕には能力無効化のような力があるのだろう。だから、彼女は『密と疎を操る程度の能力』で全身を散らせることが出来ない。

 

「っ、放せぇ!」

 

 掴まれながら、彼女は右の拳で人星の黒い右腕を殴りつける――

 

「あ、ぐぅ……!」

 

――が、まるで効いていない。それどころか、殴りつけた彼女の拳の方が痛みに襲われる。

 

「終わりだ」

 

 ベキ、バキ、という何かが軋むような、折れそうな音が響く。それが何なのか悟った瞬間、彼女は必死の形相で「や、やめろ!」と叫ぶ。

 

「おかしな事をいう。古来より、やめろ、といわれて行動を止めた者が、今までにどれだけ居たと思う?」

「っ!」

 

 本気だ。人星は本気で、実行しようとしている。もはや自分にあとが無いと知った彼女は、咄嗟に『密と疎を操る程度の能力』を行使して高密度のプラズマ球を作ろうとして……失敗する。こちらも、能力が不発。あの腕に掴まれた瞬間から、能力が使えない。やはり、能力無効化の力があるとみて、間違いない。

 

「こ、のぉっ!」

 

 拘束から逃れるためにも、右腕ではなく本体にその拳を以て全力で殴りつける……が、確かに骨を何本か折った手応えはあるのに、まるで効いた様子が無い。ならばもう一度、と何とか自身を鼓舞して拳を構えた時――

 

 ポキ、と何かの折れる音がした。

 

「あ、あ、あぁ……!」

「ふむ、存外、硬かったな」

 

 彼女は拘束から解放された。しかし、その代償はあまりに大きく、それを認知した途端、まるで魂が抜けていくような脱力感に襲われる。

 

「これを以て、刑の執行を終了とする」

 

 告げられた言葉は、あまりに残酷な結末を残した。人星の右腕には、彼女の半ばから折れた左の角が握られている。即ち、彼は彼女の左角を力任せに圧し折ったのだ。鬼の象徴とも呼べる、大切な角を。

 

「……よくも」

 

 随分と立派な角だ、などとぼやいていると、不意に幽鬼のようにおぼろげな彼女が、蚊の鳴くような声を口にする。

 

「よくも、何だ?」

 

 人星は彼女の左の角を着流しの中に収め、そして構える。

 

「よくも、私の、大切な角を! 楽に、楽には死なせない。骨という骨を圧し折った後、その目をくりぬいて、脳髄を抉り出して殺して、死体を引きずりまわした後に晒してやる――!」

 

 そんな呪詛が吐き捨てられた刹那、一歩の足音が床を破壊し、山を震撼させる。人星が気づいた時には、既に彼女は目の前で拳を構え、二歩目の動作を終えて、三歩目の動作が完了される瞬間にまで行動していた。

 

 しかし、人星は焦らない。制約制限に浸かり切ったこの身なれども、積み上げてきたものもまた人一倍であることを自負している。

 

 彼は直感に頼って、相手が攻撃してくるのであろう箇所に右ひざを滑り込ませる。すると、ちょうどその瞬間に彼の右ひざに並々ならぬ衝撃が加わり、同時に骨に罅が入る。

 

 しかし、それは左の拳による一撃だ。本命の、右の拳による一撃がまだ残っている。

 

 人星はそこで迷わず右腕を構える。そして相手の一撃に合わせるように、ただ直感に身を任せて、右の拳で正拳突きを打ちこもうとして――

 

「――っ!?」

 

 ――鮮血が飛び散った。それは紛れもなく人星のもので、痛みがする箇所を見てみれば、左腕が半ばから捻じ切られている。どうやら彼女は、右の拳を叩き込むと見せかけて、何らかの方法で人星の左腕を間合いも関係なしに掴み、力任せに捻じり、もぎ取ったらしい。

 

「ふん。案外、美味しいね」

 

 そして彼女は人星からいつの間にか遠ざかり、もぎ取った戦利品を見せつけるようにしてぶち、ぶち、ごり、と音を立てて齧り、ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、と人間であれば不快に感じる音を聞こえるように立てて咀嚼し、そして誰から見てもわかるように、ごくり、と喉を鳴らしてそれを飲み込む。

 

 人星の左腕を一口食べたら、これもまたどこから取り出したのか、瓢箪を口につけて(おそらく酒だろう)中身を呷る。

 

 そしてまた、人星の左腕を齧り、美酒を呷る。もはや、彼の左腕は彼のものではなく、彼女の酒の摘みと成り果てていた。

 

「いやぁ、うん。これは美味しい。癖になるね」

 

 血糊でコーティングされた歯をむき出しにして、また口元に果物に齧りついた時につく果汁の様に血をつけた姿は、まさに鬼の如し。威厳も、誇りも、その恐ろしさも、左角を失って猶、衰えてはいない。

 

「肉は歯応えがあって、肉汁(血と油)には旨味が凝縮されている。噛めば噛むほどいい香りが広がってきて、旨味も溢れ出る。皮膚もイカのようなものだと考えれば、この上なく美味しいよ。あぁ、本当に美味しい」

 

 解説をしながら、彼女は人星の左腕を早くも半分ほど食べ終わっていた。よほど酒が進むのか、先ほどから瓢箪を傾ける回数が異常だ。一口齧れば三回は呷っている。

 

「それに、食えば食うほど、力が湧いてくるよ」

 

 彼女にしてみれば、まるで力の塊を食べているようだった。言葉通り、本当に食べれば食べるだけ、腹の底から力が溢れ出てくるのだ。癖になるほど美味しくて、食うだけ力が溢れてくる。こんな食材を手放すなんて、とんでもない。ひとかけら、一滴残さず、食い尽くしたい。

 

 そんな欲望に駆られながら、彼女は笑みを浮かべる。それは獲物を狩ることに喜びを覚える狩人のものだ。食う、食われる関係にある越えられない壁。一方的に相手を蹂躙する支配者の残虐を含むそれは、彼女の鬼という種族も相まってより一層恐ろしいものに見える。

 

「さて、追い詰められた裁定者様は、一体どんな顔をして――」

 

 顔を上げ、人星の表情を確認したところで、言葉が切れる。何故なら、彼女が想像していた表情と、まったく違ったからだ。きっと、自分の体が食われているところを見せつけられて、恐怖に顔を歪めているだろうと思っていたが……その表情は、実に冷静。まるでそれが普通だと言わんばかりに、泰然自若の様子。

 

 どれだけ音を立てて咀嚼し、食い千切り、飲み込もうとも、彼の表情が変わることは無い。ただ冷静に、彼女の姿をその双眸で捉えている。

 

「……何で、それだけ落ち着いているの? 鬼に自分の左腕を食べられているんだよ? 恐ろしくないの? 気持ち悪いと感じないの?」

 

 そしてついには、堪え切れず彼女が人星に問い質す。彼女には恐れられない理由がわからなかった。

 

「……? あぁ、左腕か。別段、食われることは珍しくも無いだろう? 妖怪は、物の怪は、化生は、人を食らう。自然の摂理、食物連鎖というものだ。何かおかしなことがあるのか?」

 

 しかし、人星の答えを聞いてみるに、様子を見てみるに、逆に何がおかしいのかが分からない、と本気で思っている様子。このことを経て、彼女は確信する。

 

「……人間じゃないのは知っていたよ。でも、今の言葉でわかったよ。……あんたは人間以前に、生物という枠組みから外れている」

 

 断言する。その言葉の何がおかしいのか、人星は「くくくっ」と喉を鳴らした。

 

「何を今更。生物の枠組み? ――そんなもの、生まれたその瞬間から超越していた」

 

 人星から言わせてみれば、自身含めた食物連鎖など、自然の摂理の一環としてしか見ておらず、起こることが当たり前。人が呼吸することと同じくらい、常識的な事柄なのだ。例え自分が食われるとしても、その価値観は不変であり、常識の範疇を出ない。むしろ、食われない、などと思っていることの方が可笑しい。

 

「――ただ、あくまでも生物の枠組みを超越しているのは、価値観だけだ。この身は生物の枠組みに入る。故に死もあり、生もある。しかし、だからといって自然を恐れてどうする? 自然など、所詮は俺にとって良き隣人に過ぎないのだ」

 

 その言葉には後ろめたさも、恐怖も、嘆きも、喜怒哀楽も、まして嘘などの気配も微塵も感じられない。あるのはただ、今も不変の態度で在り続ける、人星という名の埒外な存在の姿。

 

「……なら、その身に刻み込むといい。鬼が一体、どれほど恐ろしい存在なのかを――!」

 

 ぶちり、ばき、と左腕を噛み千切り砕く音と共に、彼女の姿が霧散する。人星は相も変わらず右腕を構えたまま、周囲を警戒する。

 

「無駄だよ。例えどれだけ警戒したとしても、私を捉えることは出来ない」

 

 突然、背後からの声。人星は慌てて振り返るが、そこには何者の姿も確認できない。どこから声が、と疑問に思った刹那、人星の左目から光が消えた。

 

「左目、いただいたよ」

 

 また先ほどの位置から、彼女は人星に向けてその人差し指と親指の間に摘まんだもの……人星の左の眼球をみせる。どうりで、光が失われたわけだと人星は納得して一つ頷く。

 

 そんな人星をよそに、彼女はその摘まんだ眼球を、味見でもするかのようにペロリ、と舐めた。そしてすぐに美味しそうに目を細めて、何度も、何度も、何度もそれを舐めてみせ、恐怖心を煽ろうとする。しまいには、それを口に含んで、飴でも舐め溶かすようにその中で転がした。けして噛み砕かないように、表面の旨味だけを舐めとっていく。

 

 そして十分にその眼球の味を堪能したあと、自分の口の中に親指と人差し指を入れて何かを摘み、口を開き、その摘まんだもの……彼の眼球を取り出した。それは彼女の唾液にまみれて、つぅ、と糸を引き、そして零れ落ちる。まるで、眼球そのものが涙を流したような光景にも見える。

 

「……あぁ、そうだ! この眼球、この伊吹瓢の中に入れよう! ずっと味が染み出てきたし、これなら良い酒の出汁になりそうだからね!」

 

 そういって、彼女は手に持った瓢箪の飲み口を、どうやってか大きくすると、その中に眼球を入れて、また飲み口を小さくしてしまった。そして瓢箪を混ぜるように緩やかに回転させると、またその瓢箪の中の酒を呷った。

 

「――ッ! ぷはぁ、すごい、こんなに美味しくなるなんて……!」

 

 一人で嬉々として、もはや角を折られた怒りは何処にやってしまったのか、彼女はすっかり自分の世界に入り込んで酒を浴びるように飲む。何度も、何度も、その瓢箪を傾け、時に人星からもぎ取った、まだ3分の1ほど残った左腕を齧り、噛み切り、咀嚼し、また酒を呷る。顔は元からゆで蛸の様に真っ赤だったが、今はその赤みが更に増しているように見える。もう酔い潰れるのではないか、とさえ思えるほどに、酔っている。

 

「女子供の柔らかい肉も、昔食べて美味しかったのは覚えているけど、それ以上だよ。何でこんなに美味しいの? 癖になるどころか、これじゃあ中毒になっちゃうよぉ……」

 

 だんだんと、彼女のその声音も変質していく。今までの幼くも妙におっさん臭いものから、艶やかで甘い声になっていく。

 

「……そろそろ、潮時か」

 

 今までその様子を見ていた人星は、今までの傍観から転じて、昔の感覚を思い出しながら、足で地面を何度か蹴り、数歩進んで、数歩下がり、右腕を前に出し、感覚の差異を確かめる。

 

「ふぅ」

 

 確認作業を終えた彼は、とん、とん、とその場で片足だけで何度か軽く跳んでみせる。その音に反応して我に返ったのか、彼女はニィ、と未だ血糊の付着した歯を見せて嗤う。

 

「あはははっ! 次、次はその右足をもらおうかなぁ!」

 

 人星は、彼女のその濁った瞳を見て、狂ったように叫ぶその姿を確認して、もう一度、「ふぅ」と溜息を吐く。

 

「それじゃあ、早速――」

「沈め、阿呆」

 

 いつの間にか、目の前には人星の姿がうつる。黒い腕を構えるわけでもなく、目の前で何かをする動作――いや、違う。これは足払いの動作――と気づいた時には、既に彼女は完全に態勢を崩していた。能力を使おうにも、完全に霧散するにはどうしても1秒弱の時間を用いてしまう。そんな僅かな猶予すら許さず、人星は間髪入れず、死なない程度に手心を加えた上で、その真っ黒な右腕を以て下段突きを彼女に打ち付ける――!

 

 

 そして次の瞬間、ボロの建物はバキバキとまず床全面を砕け散らせ、またその震動が建物全体を揺れ動かし、壊し、倒壊させ、更には大江山という山1つを大きく、震撼させた。一部で土砂崩れを起こさせ、木々を揺れだけでなぎ倒し、その震動は都の方にまで伝播する。

 

 彼女に向けて、たかが一撃。しかし、それはまさに一撃必倒の威力を秘めており、彼女に向けて打ち付けた一撃は、それほどの二次災害をもたらすことになった。

 

 当の攻撃を受けた彼女はどうなったかといえば、目を回して気絶していた。死なない程度、かつ重症で戦闘続行不能程度に追いつめるつもりが、予想以上に人星の肉体がその効果を表わしたようだ。彼女は目を回している以外、ほとんど無傷だ。差し詰め、脳震盪の類を起こし、気絶しただけだろう。

 

「まったく……最強の鬼といわれるだけのことはある」

 

 庇うだけ損したではないか、と人星は溜息を吐き、自分の下に居る彼女を改めてみて、外傷がないことを改めて確認する。背中にとんでもない比重を背負いながら、しかしそれでも右腕を地面につけて、体を支える。

 

「……勇儀よ、居るのはわかっている! 傍観を決め込むのではなく、少しは手伝ったらどうだ!?」

 

 みし、みし、と体が悲鳴を上げる中、人星は瓦礫の山の中で叫ぶ。

 

「まったく、しょうがないねぇ!」

 

 返ってきたのは、紛れもなく鬼の四天王の一人、星熊勇儀の声だ。その声が聞こえると同時に、人星の背中に掛かっていた重圧が嘘のように吹き飛んだ。続いて、何か重いものが粉々になりながら吹き飛ばされたような、ひどい騒音が彼の耳に痛いほど衝撃を与える。

 

「ほら、早く手を……いや、やっぱやめた。握りつぶされそうだよ」

「英断だな」

 

 一度手を差し伸べて、すぐに手を引き戻した勇儀の判断は流石というべきものだった。あのまま人情に任せて人星に手を握らせれば、冗談抜きに勇儀の手が人星の右手によって握りつぶされていた。

 

 故に、人星も当然だと言うように口にして、一度立ち上がり、ついでに気絶している彼女……萃香を猫掴みして持ち上げる。

 

「それで、左腕と左目は大丈夫かい?」

「……そう見えるなら、貴様の目はとんだ節穴だ」

「節穴なのは人星、あんたの左目だよ」

「違いない。――トリシューラ」

 

 言葉遊びを余裕綽々とした後、人星は傷口全てを神槍トリシューラの御札の力によって凍結させる。これで、出血多量で死ぬことは無いだろう。

 

「……相変わらず、便利な力だねぇ」

 

 しみじみと、勇儀はそう呟いた。しかし、人星はその口元にニヒルな笑みを浮かべる。

 

「これでも随分と、便利が効かなくなった方なのだが」

 

 やれやれ、と言った様子で人星は肩をすくめてみせる。とはいっても、左腕が無い状態では、そのジェスチャーもひどく不格好だったが、幸いにも意味は通じたのか、勇儀は苦笑を浮かべる。

 

「そうかい。……まぁ、準備は良さそうだね。それなら、早く行くよ!」

「……行くとは、どこに?」

「――私ら鬼の隠れ住む場所……伊吹山に、だよ」

 

 ほら、早くついて来るんだね、と勇儀はとっとと自分だけ歩き始める。人星は溜息を吐き、何とも自分勝手なものだ、と苦笑する。

 

 こうして、鬼たちは星熊勇儀の先導のもと、本拠の大江山から去り、避難場所である伊吹山へと足を運ぼうとするのだった。

 

 

 




 次話は12月23日の21時になります。
 それでは、また明日に。
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