東方創星神録 ~始まりと終わりの物語~〖凍結〗 作:星の屑鉄
月編は早いですが、もうそろそろ中盤が終了します。かなりハイペースに、時系列を進めていく予定です。
それでは、本編をどうぞ。
時間は朝。今までであれば、月の都に慌しく出勤する者は居れども、玉兎の旧集落に訪れる者は少ない。しかし、月の王として人星が玉兎達に認知された今となっては、その場所に訪れる者が非常に多かった。
「国王様。玉兎と移住者、共存のための和平の話に決着がつきました。これが、その資料となります」
「世話を掛ける。しばらく待て」
旧集落にある鈴仙の住居を拠点にしている月の国王、人星は玉兎に労いの言葉を掛け、渡された資料を確認する。ここ6ヶ月、交渉には武闘派などの者のせいで難航したものの、ようやくこうして条文も作成し、後は人星の了承……指印を押すだけで、それが現実となるところまで来た。
今までの過程も書類上、目を通していた人星としては、もう変な条文……例えば、玉兎は恒久的な労働力として扱われる……などというものは無いと思ってはいるが、もしもの場合もある。人星は毎回、書類の確認だけは怠らなかった。
『 条文
第一条:月の兎(玉兎)と、移住者(以後、月の民)は、恒久的平和を築くため、互いの問題解決に武力の一切を用いることを禁止し、また対等な立場として扱われなければならない。
第二条:人星は月の国王であり、月の象徴とされる。
第三条:国王は政権を持たず、また決定権、並びに拒否権を有さない。ただし、国の条文の決定には、国王の指印を必要とする。
第四条:月の兎、月の民、両者の人権は月の国王のもと保証され、何者にもこれを侵すことは許されない。
第五条:国王より与えられた星の力を宿した器は、玉兎、月の民、並びに両者のもとで管理する。これら三つの所有権は、種族ごと、並びに両種族全員に共有されるものとする。ただし、個人に付与された第四の器は、与えられ受け取った個人のもと、厳重な管理と、責任のある使用をしなければならない。
第六条:国王より与えられた星の力を宿した三つの器は、星の守護のために用いることのみを許すものとする。ただし、個人に付与された第四の器は、これに該当しない。
第七条:政権はそれぞれ月の兎、月の民に平等に有するものとし、有事決定権を持つ者は議員に選出された月の兎6名、月の民6名のみである。ここに置いての決定は、満場一致のもとで可決されなければならない。ただし、星の存続危機にあたる案件については、過半数より多くの票のもと可決されることが許可される。……』
……といった風に、内容は大まかでありながらも細かい。難航した条文は、最初は両者の権利と議員数、次に人星が国王であること(これは玉兎と八意××の激しい説得、そしてとうとう人星自らが発言と条件を付けることにより、ようやく形となった。費やした時間は半月に及ぶ)、最後に力……星の力を宿した器の保有数についてだ(これについては、どの星の力をどの程度宿した者が与えられるか、また鈴仙の持つ器をどのような扱いにするか、不公平ではないかと、半月弱もの時間を費やしてようやく折り合いをつけた案件である)。
結局のところ、星の力を宿した器の問題については、人星の一声によって解決した。曰く、「器について争うならば、月の民の器は我が見定めた個人に保有させるぞ」と。そして、その一声を以てしても収拾がつかなかったことで、人星が有言実行した。月の民の器は、条文上共有すると書かれているが、所有権は事実上、八意××に一任されている。月の兎の器については、揉めることなく玉兎の中での共有管理という形で事態が収拾した。
両種族の共有財産となる器は、綿月姉妹と選抜された玉兎二名によって、厳重に管理されることで、この条文は可決されることとなった。
そして条文全てを決めるのに費やした時間は6ヶ月。国王の件……権利などについては玉兎を中心として揉めた。それ以外の案件の八割ほどは月の民の一部……人星をあまり良く思っていない人物たちを中心にして揉めていた。残り一割は、単純に折り合いをつけることが難しい案件があったせいだ。
そうしたトラブルや難航があったものの、条文は現実に形として、何とか成立させることが出来た。残りは指印を押すだけ。それだけで、条文が現実になる。しかし、人星は条文の確認が終わった後も考え抜き、ある結論を出した。
「……少々、雑になっているかもしれぬな。10年、この条文を仮施行するものとし、その間に玉兎、月の民、両者とも親交を深めつつ、斑(ムラ)を探せ。6ヶ月も働き続けたのだ。流石に、集中力が衰えているだろうからな」
人星がペンを取る。そして次の瞬間、条文のサインの枠に達筆な文字が刻まれる。『10年間の仮施行とする。仮施行終了後、もう一度条文を確認、場合によっては加筆、削減することを命ずる』と。
人星はあくまでも慎重だった。それを見た玉兎は「ぶれない御方だ」と心のうちで思い苦笑する。
「……待たせたな。これを議会に提出せよ」
「御心のままに」
「言葉が硬い。もう少し砕けさせても良いのだぞ? 幸い、ここは公の場では無いのだからな」
「……それもそうですね」
玉兎は笑顔を浮かべて、「それでは」と口にして家を出た。人星はそれを見送った後、大きく溜息を吐いて肩の力を抜く。
「慣れぬものだ」
寂しげに呟いて、先日手に入れた月の酒が入った徳利と盃を片手に外に出る。月の兎、月の民たちの時間帯では既に朝なのだが、空に光が差すことは無い。季節もなく、あるのは遥か遠くに存在する星の瞬きだけである。
「独特の風情……良いとは思うが、変わることが無いというのも退屈よな」
四六時中、明るくもなく暗くもなく、星の位置が変わることなく、ただいつもの風景が固定されたように映るだけの毎日。刺激が無い生活ほどつまらないものは無い。地球のように四季があるわけでもないことが、特に辛い。
いつもの桃の木の下。徳利の酒を盃に注ぎ、それを一口味わう。
――紛れもない美酒である。しかし、これほど風情に欠ける状況で、月の美酒を飲むことにも気が引けた人星は、徳利とまだ酒の残っている盃を置いて空を仰ぐ。
「……やることが無いという状況ほど、退屈なものはなかろうに」
仕方なく、人星は様々な星の恩恵を行使することで、自身の周囲に半円状に守護結界を張る。そして、その両手に空間が歪むほどの黒い渦……ブラックホールを出現させたかと思うと、その力を別のものへ変形させようと力を籠める。
しかし、その追随を許さぬ破滅の力はそれを受け入れない。人星の力の行使を拒んだかと思うと、すぐにその場から消滅してしまった。まるで、人星に愛想を尽かしたような反応に、彼は溜息と苦笑を混ぜて脱力する。
「はぁ……目的無く封印しようとするのが、いけないのだろうな」
ブラックホールという天体の力を器に封印出来ない理由。それは人星が一番よく分かっていた。しかし、それを解決できるほど、今の人星の思考は活発ではなく、またやる気も軽薄だ。
倦怠感に包まれ、何かをしようとするやる気を全て削がれ、その場に横になって眠ろうとした、まさにその時。
――ゴォ! 不意に、風が唸りを上げた。それは桃の花を散らし、舞い上げ、白色ではなく、桃色の吹雪を発生させた。
桃の花が舞い散る、舞い上がる中、見慣れた空の星が瞬くその光景。人星の体を今の今まで支配していた倦怠感が嘘のように消え、その景色にただ目を奪われた。
「――綺麗ですよね。桃の吹雪」
隣から声が上がる。ふと我に返りそちらに目を向けると……やはりというべきか、鈴仙が居た。
「そうだな。……会議は良かったのか?」
「最近、様子がおかしいと思いましたから。それを理由に、早めに抜け出しました。国王補佐として」
「……次からは控えよ。辞任させられるぞ?」
「その方が楽なので、私としてはそっちの方が良いんですけどね……」
鈴仙の言葉に、人星は苦笑する。彼女はお世辞にも、政が得意という部類の性格、性質ではない。本来は人の上に立つことすら億劫なのだろう。小心者というべきか、単に臆病というべきか。間違いないことは、彼女が精神的にそれほど強くない、ということか。
人星は置いていた盃を手に取り、それを眺める。美酒の上に浮かぶ桃の花びら。波紋を響かせていることから、花びらが落ちてまだ間もないのだろう。
「……飲むか?」
酔いたいと思うような気分でもない。残った酒を鈴仙に勧めると、彼女は「いただきます」と即答して一口、その口の中で転ばせて風味を楽しむ。それからも、一口、一口とちびちびと、そしてじっくりと味わうように飲んでいく。
「はぁ……何で私が、議員に選出されたのかしら」
誰に言うでもなく、鈴仙がひとり呟いた。顔が少し赤い所を見ると、既にほろ酔い程度には酔っているようだ。……いや、あれだけスローペースなのに早過ぎではないだろうか。
「それについては、十中八九我のせいだ。器を持つ者として、議員に箔をつけたかったのだろうよ。実際、八意××は議員になっているのだから、この傾向は間違いないだろう」
「あ、別に責めているわけじゃないわよ。ただ、私よりも優秀な仲間はいくらでもいるのに、どうして私なのかなって、やっぱり思うのよ」
「……まぁ、期待されている、ということだろうよ」
弄られキャラとして、そして能力的な面の成長率、玉兎達はそれらを期待して鈴仙を議員に選出していた。他にも、鈴仙には国王補佐、などという名前だけの役職に就いているのだが、そちらは人星からの推薦という事情があった。他にも防衛面にも積極的に携わっていることから、鈴仙は意図せずとも多忙の身となっていた。
もっとも、八意××の方は器云々の関係は無しに、その優秀な能力面から議員に選出されているのだが、まだその詳細を知らない二人がそれに気づくことは無い。
「その期待が重いというか……。本音を言うと、そろそろ休暇を取りたいわ」
「ふむ……。我も少し不満がある。変わることのないこの景色、独特な風情はあれども変化のないものはどうにも気に入らない。この際、我と鈴仙で駆け落ちしてみる気はないか?」
「っ、こほっ! き、急に何言い出すのよ!?」
ちびちびとしか飲んでいないにも関わらず、鈴仙は息を詰まらせて咳き込んだ。顔は先ほどよりも赤く、一瞥しただけで酒だけのせいではないことがわかる。
「くくっ、その顔の色と桃の花、似ているではないか。なるほど、こういう楽しみ方もあるのだな」
「っ、恥ずかしげもなく、よくそんなことを言えるわね……!」
「事実を惜しげもなく言うのは時に美徳とも悪徳ともなる。この場合、美徳になるものだと思ったが……違わないだろう?」
「そ、それは……そうかもしれないけど……」
「ならば、何も問題はないだろう」
正面から言い負かされた鈴仙は「うぅ~」と悔しそうに、恥ずかしそうに唸り声を上げる。恨めしそうな視線を向けられるも、人星は怯みもしなければ罪悪感も抱かない。むしろ、更に嗜虐心は湧いてくるものだから、彼女の意図とは全く逆の効果をもたらしていた。
「……綺麗なものだな」
鈴仙と桃の木。どちらを見ているともわからない視線の中、しっかりと、目の前に居る鈴仙に伝わるような声音で、人星は呟いた。当然、聞こえていた鈴仙は先ず人星の瞳を見てその真意を確かめる。しかし、一秒も経たないうちに俯いたかと思うと、盃に残った酒を一気に呷る。
「んっ……ふぅ。そうね。悪くはないわね。――駆け落ち」
「そうか。………………は?」
一瞬、他の話題と勘違いした人星は、鈴仙の言葉を正しく認識した途端に素っ頓狂な声を上げ、珍しくその顔を驚愕に染める。
「いや、聞き間違いか。あの鈴仙が、まさか自分から恥ずかしげもなく、あのような発言を――」
「駆け落ち、私は賛成よ」
冷静に、間違いだろう、とひとり呟いて暗示をかけようとした瞬間、鈴仙から口を挟まれ頓挫する。そしてまたも呟かれた言葉に、今度こそ人星は言葉を失い呆然とする。
……数秒の沈黙。ようやく混乱から脱出した人星は、ただ困ったように溜息を吐いて鈴仙を見る。
「鈴仙、貴様謀ったな?」
「……何のことかしら?」
「酔った風に見せかけて敬語を無くしたのも、先ほどの提案に乗ったのも……全て、この俺の間抜けな面を見るための演技だろう?」
「……ぷっ」
人星が追及した途端、言い訳が出来ないと悟った鈴仙は、とうとう我慢することが無駄だと知って吹き出し、大きな笑い声をあげた。
「……俺を謀るなんて、随分と大胆かつ素敵な真似をしてくれたな? 鈴仙」
その双眸でギロリと睨み付けるが、気分が最高点にまで高揚している鈴仙は、お腹を抱えて笑っていた。
「さ、先に弄ってきたのはそちらじゃないですか……ぷっ。あの時の顔、と、とても可愛らしかったですよ……ぷすっ」
「そうか。そこまで言うか鈴仙。自らの主人……いや、王に対してその狼藉を働くか。俺をここまで虚仮にしてくれたのは、お前が初めてだよ」
言葉の所々に混じっている笑い。人星は誰かに虚仮にされたことはおろか、弱みを見せたことすらなかった。故に、それらに耐性が無い彼は堪え性なく、行動に移った。
人星は左手で鈴仙の右肩を掴む。一瞬、ビクッと驚いたような反応が返ってきたが、それに構うことなく彼は前にもやったように、鈴仙の顎を右手で、くいっ、と上に向ける。
「っ、そ、その手には騙されません。前に、それで弄られたことがあるんですから」
「そうか、抵抗しないか。……ならば今度こそ、その愛らしい唇をいただくとしよう」
前回と同じような台詞。彼女を真っ直ぐ見つめながら近づいてくる双眸。どうせ、また騙そうとしているのだろう。なら、絶対に騙されるものかと、鈴仙は堂々とその双眸を見つめる。しかし、そんな態度にも関わらず人星は動揺した様子もなく、顔を近づける。
お互いの鼻と鼻が触れる。しかし、それでも人星は止まることなく、ゆっくり、ゆっくり顔を近づける。
鈴仙の鼓動が早鐘を打つ。
――まさか本当に。そんなわけがない。でも、更に顔が近づいてくる。止まる気配が無い。
様々な考えが頭から出てきては消えを繰り返す。そしてとうとう、堪らなくなった鈴仙は人星の瞳の奥を見る。
――そこに、ふざけている色は無かった。
(つ、つまり本気なの!?)
何で、どうして、といった疑問が次々と浮かんでは沈んでいく。自問自答を幾千と繰り返すうちに今度は、自分がどうしたいのか、といった疑問が浮き沈みを繰り返す。
(わ、私は……)
思い返される記憶。一番新しい記憶は、生まれたばかりの頃。月によって生物として完成させられ、その存在意義を植え付けられた時の記憶。集落を作り、月が招いた客人……人星の奴隷となれ。月が玉兎に与えた存在意義はそれだけ。しかし、いくら待ってもやってこない客人。何千年もの間、月で生活を続けていった玉兎たちは、存在意義とは別に自我を持ち始める。そして遂には、人星に逢う百年ほど前には、それぞれが個として確立していた。
故に、玉兎達は表面では肯定しながらも、恐怖していた。奴隷になるということに。人星という人物に。この自由な生活が全て、泡沫の如く消えてしまうのではないかと。
安穏と、しかし見えない相手のことを気にしながらも、何十年が経過し、もはや来ないだろうとタカを括って、いつも通り安穏と生活をしていた時。まるでそれを嘲るかのように現れる、地球からの移住者。
まさか、この相手が月の招いた客人なのか。それとも、違うのか。徐々に存在意義を忘れていった玉兎達に、相手を区別することは極めて困難なことだった。なし崩し的に月は都として発展していき、便利な生活というものが到来する。代わりに、様々な雑務を押し付けられたわけだが、その利便性と比較すれば安い対価だった。
しかし、暗闇はすぐそこまで迫ってきていた。事実、そのすぐ後には、先の……人星が登場する戦争が勃発する。玉兎の扱いについて揉めていた移住者の、強硬派の勢力がついに実力を以て玉兎達を支配しようとしたのだ。
当然、玉兎達は抵抗する。全戦力、とまではいかないものの、同士数十人でゲリラ戦法を用いて応戦する。数と力を圧倒的に差がある状況で、玉兎達が取れる手段はそれしかなかった。
戦闘していた期間は1日弱といったところか。度重なる濃密な奇襲と追撃、逃走と追走を繰り返していた両者は、しかし戦闘経験のほとんどない玉兎側が圧倒的に不利だった。精神的、肉体的に既に限界が見え掛かっていた。
そしてとうとう、玉兎の中でも特に実力の高い鈴仙が相手からの攻撃を無防備に受けそうになったとき、人星が現れる。
彼は鈴仙へ攻撃しようとした相手を特殊な力――曰く、『重力』――を用いて自らの手元に引き寄せ、力一杯に殴りつけて無力化する。これほど肝を冷やした経験を、当然ながら鈴仙はしたことがなかった。もしも人星がいなければ、彼女は良くても重症、悪ければ命を落としていただろう。
――命の恩人。鈴仙が最初に人星に抱いた印象だ。半裸だったことは、その後に気づいて最初は戸惑ったが、今更指摘するのもおかしいと感じ、今の今まで何も言わないでいる。
人星が現れてから、鈴仙の時間は……いや、玉兎達全員の時間は、まるで誰かの意図にはまったかのように進行が遅くなった。体内時間が加速したかのようだった。今に至るまでにも、様々な出来事があった。
例えば、一番大きなイベントを言えば、人星と鈴仙の対話だ。お互いの意見が食い違い、それでも猶、お互いに我を通そうとした結果、立場として上に居る人星が意見を強引に通した。”玉兎は国民であり従者である”という解釈を、押し通した。
鈴仙が人星の視点から物事を見れば、間違いなくそのことに対するメリットは無いと言い切れる。しかし、彼はあろうことか玉兎の存在意義を意図的に曲解し、『月の王である人星の国民にして従者』というものを定義したのだ。それまでの玉兎達に、人星の意見を覆すほどの権限は存在しない。
それ故に、どれだけ拒もうと受け入れなければならない存在意義の定義。奴隷になることを嫌った玉兎達は、それに対して心の底から感謝し、人星を称えた。戦争を止めただけでなく、存在意義すらも当たり障りのないものにしてくれて、何と寛大な人物なんだ! 意図的に私たちの存在意義を改善し、その上で私たち玉兎に恩恵と力、そして移住者たちとの問題の解決に取り組んでくれるなんて、彼こそが月の英雄だ! 人星の声を聴いた者の誰もが、人星という存在を肯定することに、3日と掛からなかった。
それからは、月への移住者たち……今の月の民たちとの交渉の日々に移る。人星が全面的に矢面に立ち、互いに対等な条件のもと、平和的に問題は終息へと向かい、そして今がある。
鈴仙から見て、それまでに見てきた人星の人柄というものは、けして悪いものではない。確かに、鈴仙は何度となく弄られることはあったが、理不尽な目にあったことは一度もない。最近では、妙に『王』というキャラを演じているような節はある。あの録音機器から発せられた声からにじみ出るカリスマ性というものを、片鱗すら見せることが無い。しかし、だからといって人星に対する印象が大幅に変わるかと言えば、否と即答する。
顔も悪くはない。むしろ誰もが美形と認めるような容姿だ。その肉体は最高の創造主に造形されたかの如く美しく引き締まり、実力は紛うことなく最強。基本的に快楽主義な面を見せるが、性格は良好な部類に入る。器も広い。前に力を封印、分割するという話からも、危機管理能力も非常に高い。その場の風情を楽しみ風流を理解するだけの心も持ち合わせている。
纏めると、人星は命の恩人にして、玉兎という種族の解放者であり、とても心の広い人間だ。
人星は、鈴仙の男性の好みから外れているわけではない。むしろ、これまで弄りと称して何度、心臓が早鐘を打ったかわからない。今も顔が近づき、その後の光景を想像してしまうが、不思議と嫌だと思うことは無かった。むしろ、心が温まる気分だ。
(もしかして、これが……)
――好きって感覚なの? 鈴仙は自問する。今までは無自覚だったが、何だかんだいって、人星と話している間、行動している間、悪い気分になったことは一度もなかった。出逢った当初から、悪い感情を抱くことは無かった。
何度も思い返して、鈴仙は確信する。自分の気持ちに、偽りはない。間違いはない。これが、自分の本心なのだと。
彼女の頬に赤みが差す。今までのように激しい混乱のもと生まれた赤色ではない。ほんのりと薄い、優しい赤色だ。
鈴仙は口元を綻ばせる。紅い瞳の奥に決意の色と、半分の悪戯心が混ぜ、喜色を表現する。
そして、次の瞬間――
――たんっ、と軽快な音が鳴る。
刹那、桃の花びらが祝福の舞を踊る。無いはずの風が巻き起こり、美しい桃色を巻き上げる。散り行く桃は儚くも美しく、蒼穹の星々は満天の煌めきをみせ、それらを背景に影が繋がる。
意図せず広がる桃の楽園。力強く、美しく、儚く、まさに絶景が現れたその様は、見る者すべてを取り込んだ。神聖と即ち、この景色を表現するために存在する言葉である。
これぞまさに。
――”泡沫に謳う桃源郷”――
「……驚いた」
人星は素直な感想を呟いた。鈴仙はそれに対して、小悪魔めいた笑みを浮かべる。
「驚かせたのよ」
――なるほど、これは敵わない。
悟る人星が次の行動は、肩を竦めてからのニヒルな笑みだ。そこには「負けたよ」というコウフクの意味が込められていた。
「嬉しそうね」
「あぁ。非常にイカンながら、嬉しいさ」
「素直にそう言えばいいのに」
「そうかもしれないが、ここは男の俺がリードしたかった。それだけだ」
「つまり、私の思惑は成功ってことね」
ふふん、と得意げに胸を張る鈴仙。それを見た人星は、肩を竦めて溜息を吐く。
「覚えておけよ、鈴仙。俺は負けず嫌いなんだ」
「やっぱり、そっちが素なのね。いいわ。その挑戦、受けて立つわよ!」
先ほどの雰囲気は何処へ行ったのか。まるで好敵手を見つけたかのように、お互いに火花を散らすかの如く見つめ合う。そして数十秒そんな状態が続いたところで、埒が明かないと思った人星が先に折れ、「帰るか」と切り出した。鈴仙も「そうね」と答えて、同じ帰路へと立つ。
――しかし、平和な時間ほど、長く続くものが無いことを、二人はまだ知らなかった
果たしてこの描写で正しかったのか、少々不安に思いながらのあとがきになります。
月編は、この話を以て進行率が50%になりました。あと50%、毎日更新をしていきますので、もしよろしければ御目通しの方をよろしくお願いいたします。
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それでは、次回は10月29日、21:00に投稿いたします。また、後日にお会いしましょう。