ソードアート・オンラインIF ver.アインクラッド 作:モコモコ毛玉
プロローグ
上を見ても白、前を向いても白。見渡す限りほぼ一面が白く塗り潰された空間にある安全地帯で嘆息を吐いたところで今は誰一人として答える者はいない。
――何がどうして、こうなっちゃったのかなぁ。
未だインベントリに残っていた手鏡に自らを映せば、そこには紛れもない "自分自身" が在った。もっとも、鏡とは本来そういう道具である以上それだけであれば何のない――そこに在る自分の姿が幼い頃のモノでなければ、何の問題もないのだ。
この場には居ない臨時でパーティを組んでいる "彼女" 曰わく死に体で横たわる僕を発見した時にはこの有り様だったようで、安全地帯である此処に連れてこられて以降、他の異変がないかを確認したところスキルに関しては変わりはなかったがレベルや筋力値などの数値は軒並み文字化けしており最早解読など不可能だった。更に武器は愚か防具まで装備する事が出来ない事態に身の安全を確保するという名目で軟禁生活が始まったのは今から一週間も前の話しである。
「キリトたち、大丈夫かな……ちゃんと折れないで前に進めてるといいけど」
勝手に消えた癖に何を今更と笑われるかも知れないが生きている、生き延びてしまった僕にとってそれは何よりも気がかりな事だった。ちんちくりんな身体でも此処から出られるのであれば今直ぐ駆けつけたい。しかし転移結晶や回廊結晶は使ったところで使用不可の表示が浮かぶだけ、直ぐ近くに存在する転移門らしき物もどういうワケかアクティベートを受け付けないのだからどうしようもなく、出来る事と言えば彼らの無事を祈る事くらいだろう。
何度となく辿り着いた結論に大きな嘆息を吐いた直後、聞こえた音に僕は耳を疑った。
―― "フィリア" 以外にも此処に来たプレイヤーが居るのか?
聞こえてきたのは紛れもない、耳に馴染んだ友の声。
「ええ、最近になって一人だけね。アナタが本当に攻略組だったなら見覚えはあるのかも。あの子、自分が攻略に参加してたって言ってたから」
硬い床を踏みしめる音に身体は強張り身動きが取れなくなる。駆けつけたいという気持ちがまるで嘘のように真逆のモノへ変貌していく様は滑稽その物で、突然の事に混乱する頭は最早使い物にならず呆然とする事しか許さない。
「そうか。でも、あんまり攻略組で親しい相手は居なかったからな……知り合いだと、良いんだけ、ど――」
声はそこで途切れ、近づいてくる足跡は傍らで止まり、数瞬の間を置いて彼は存在を確かめるかのように僕の身体へ手を伸ばす。
「もしかして、シャルテなのか?」
「そうだよ……今はこんなちんちくりんな身体になってるけどね。クルーエルとの決着以来だからだいたい一週間ぶりかな」
『 "久しぶり、キリト。" 』
此方の言葉にキリトは自分のウィンドウを可視化させて此方へメッセージを送る。その意図を察して僕も彼に倣い、受信メッセージの一覧を彼へ見せるとようやく納得できたのだろう。安堵の息を吐いてほんの一瞬だけ破顔した彼はしかし、直ぐに表情を暗いモノへと一転させた。
が、だからといって何かを話すワケでもなく、キリトは無言で大きな深呼吸をしてゆっくりと顔をあげ、淡々と今まで起きた事を一方的に告げていく。ヒースクリフの正体が茅場晶彦でありログアウトをかけて戦った事・決闘が第三者に邪魔されてアインクラッドは崩壊したという事・目を覚ましたら此処に居たという事――そして、アスナは彼を庇い命を落としたかもしれない事。
その言葉を聞いてショックを受けなかったワケではない。だがこの世界において亡くなったプレイヤーはフレンドリストからも存在を抹消される仕様となっているのだ。にもかかわらず、未だリストには "アスナ" の名前が刻まれている。この違和感には彼も気づいていたようで、だからこそ『かもしれない』などという曖昧な言い方をしたらしい。
「もしかして二人とも此処に飛ばされてるんじゃないかと思って探し回っていた時にフィリアと会ったんだ」
そう言って何故か苦笑いするキリトにフィリアの方へ目を向けると彼女は少しばかり気まずそうに視線を逸らしていた。たったそれだけでも二人の間に何かしらがあった事を想像するには容易いが、ワザワザ僕が首を突っ込む必要もない。
知らぬふりをして相槌を打ち、直ぐ傍にある動かない転移門の存在を彼に教えると僅かに考える素振りを見せた後でキリトは断りを入れてから転移門へ近づき有効化を試した。すると視界には第七十六層へのアクティベートが成功した旨を示す一文が浮かび上がり、白い空間にファンファーレが鳴り響く。
「多分だが……シャルテやフィリアが転移門を起動出来なかったのはバグなんかじゃない。元々此処はどこにも繋がってなかったんだ。だけど茅場晶彦が道を繋げた――」
「そう考えれば辻褄はあう、か……何にせよ、道がないよりはずっとマシなんじゃないかな」
進むべき道もなく、退路までもが断たれた状況というのは存外精神的に堪えるモノなのだ。たとえそれが "茨の道" だとしても無いよりはきっと、ずっと良い。
そうして二人だけでの話し合いの結果ひとまず繋がった先を確認するという事に落ち着いたワケだが、不意の視線にふり返った先で此方を見つめて眉を潜めるフィリアの姿に瞬きを幾ばくか繰り返し、納得する。
「シャルテ、街の様子の確認には俺一人で行く。リズベットたちが居るなら混乱するかもしれないし落ち着いて確認するどころじゃなくなるからな・・・・・・それに、フィリアも寂しいだろうから」
恐らくはキリトも彼女の態度に気がついたのだろう、こぼした言葉にも悪気はない筈。ただ、本人の前でそれを口にしてしまっては意味がない。
またたく間に顔を赤くするフィリアに失言だったと気づいたところで既に手遅れである。
「と、とりあえず俺は街に行くぞ。もし皆が居たらシャルテについても話して、それからだな。ちゃんと大人しくしてるんだぞ!」
言いきるや否や逃げるように転移門へ触れたキリトに彼女の伸ばした手は届く事なく、移動の完了を意味する独特な音が彼はもう此処から去った事を告げていた。
(別に逃げなくても良いと思うんだけどね・・・・・・。)
口に出さないまま呟いて流れ弾がこないようその場を離れる為に踏み出した足はしかし、背後から聞こえてきたフィリアの声に引き戻される。
「ねえ――何を勘違いしてるのかは聞かないでおいてあげるから、アナタも行っていいのよ?」
いたって普通の、むしろ此方を気づかうような優しい声色はどこか寂しげで、僕はゆっくりと振り返り彼女の提案に首を横へふって答えた。
「フィリアがどう思ってるかは置いといて、別に大丈夫だよ。元々街の確認はキリトだけで行ってもらうつもりだったからね・・・・・・仮に顔馴染みがいても今のままじゃ気まずいだけだから」
勝手かもしれないけどさ――そうつけ足して、僕は口を噤む。会いたい気持ちがないと言えば嘘になる。会えるものなら僕だって会いたい。が、我が儘を貫いた挙げ句勝手に消えたなど最早笑い話しにすらならないだろう
身勝手な言い分だという事はわかっている。でも、どうしようもなく恐いのだ。拒絶されてしまう事が、そんな現実を突きつけられる事が。
(なんて、身体と一緒に精神まで退化したのかな。)
随分とまぁしおらしくなったモノだと内で悪態をつきながらフィリアの表情を確認すれば、彼女は静かに僕から目を逸らす。彼女とて断片的に事情を耳にしているのだ。
「その、何て言えばいいのかわからないけど・・・・・・ごめんなさい」
「謝る必要なんてないでしょ。それに、もしかしたら此方に居た方が安全だからね・・・・・・迂闊に会いに行ったら "勝手に動きすぎるから" ってそろそろ監禁されるかも知れないし」
「ちょっと、監禁って……縁起でもない、冗談を言うならもっとマシなのにしなさいよ。真顔で言うから一瞬だけ信じちゃったでしょ」
「本当に冗談だったら良いんだけどね……実際に監視役をつけられたり、縛られて無理矢理安静をとらされた経験はあるからさ。否定したくてもしきれないんだよ」
もっとも、そのいずれも原因は僕にあるワケだが。今まで散々周囲の気持ちを無視して我を貫いてきたのだから本来であれば文句を言う資格すら持ち得ないのだ。言うことを聞かないハネッカエリに首輪をつけるのは当然であり、これら全ては自業自得が招いた結末である。
オマケにキリトの事だ。恐らく街で彼・彼女等を見つけたら僕が生きている事と現状を正直に話すと見て問題はないだろう。そうして向こうが対面を断った場合は気まずそうにしながらもしっかりと教えてくれる。逆に会うとなれば彼は一緒に付き添ってくれると思いたいが、何にせよ全ては時間の問題である事に変わりはない。
こんな身体と文字化けしたステータスでは此処を逃げ出したところで生きぬける筈もなく、精々無様に逃げ回り無駄死にするのが関の山。つまるところ八方塞がりなのだ。
退っ引きならない状態に単調な乾いた笑い声をこぼせばフィリアも "冗談ではない" と感じたのか眉をひそめ、呆れたように息を吐く。
「あはははは……まぁ元はといえば全部僕が原因だからね。心配も、不安も、全部無視して我を通してたんだから仕方ないよ。むしろそれだけ友達から大事に思われてるなら、それは喜ばしい事なんじゃないかな」
確かに度が過ぎた行為である事は否めないが拒まれるよりは遥かにマシである。前者の場合、自ら注意などをすれば収まる可能性が多少なりとも存在するが後者ではそれすらも叶わないのだ。
「少なくとも私はそんな事されたら相手がどんなに親しい間柄でもプラスに受け取れる自信はない。やっぱり、アナタってなんかちょっと変わってるよ」
「そうだろうね。一応周りと見比べて変わってる自覚はあるし、よく言われるよ」
むしろこれが一般だと逆に大問題だろうに。
皆が皆、我を通そうと我が儘を振りまいていては社会は回らない。誰かの自由の下には常に誰かの不自由があり、誰もが何かしら鎖に縛られて生きているのだ。それに気づけるか、気づけないかで価値観もまた変わっていく。そして、鎖を断ち切る方法はそう多くはない。
(それを断ち切るには――って、何考えてるんだろう。駄目だ、弱りすぎ。)
著しく脱線を始める思考に嘆息を一つ、僕はフィリアの目を真っ直ぐに見つめて一方的に会話の終わりを告げる。このままでは何を口走るか分かったものではない。
「まあ……気まずいなら無理しないで此処に居たら良いんじゃない? 私はアナタを此処から追い出すつもりもないし、そんな権利もないもの」
まるで子どもをあやすかのような優しい声色に伸ばされた手から離れれば、フィリアは少しだけ不服そうな素振りを見せて僕から遠ざかる。
「じゃあ、私はちょっと探索に出かけてくるから」
「そう。わかったよ―― "いってらっしゃい、フィリア" 」
手を振って白い空間の向こうへ消えていく彼女の背を見送って、その姿が完全に見えなくなった事を確認してから僕は静かに息を吐き、その場に身体を横たえる。
此処まで気持ちが緩んでいる原因には少なからず心当たりがあった。
「キリトに拒絶されなかっただけでこれとか、情けないなぁ。ホント……不甲斐なさに泣けてくるよ」
キリトとアスナが未だに互いを想い続けているのであれば未だ分からぬ彼女の行方もきっと直ぐに見つかる筈だ。この世界は、そういう風にできているのだから。
「思いを力に……強すぎる思いを現実としてしまう理想郷、か」
(なら、茅場晶彦の願いは――?)
浮かんだ疑問の答えは以前として変わらない。それは此処が理想郷の体を為している事に感づいてからしばらくして生まれた疑念も同じで、僕はそのままゆっくりと目を閉じる。
「もしかしたら、このまま無事にログアウトを果たしたところで僕には戻る道がないのかもしれないな……」
呟いた声は誰に届くワケでもない。今はただ、自らの無力さに耐える事へ専念しよう。
そうでもしなければ僕は――。
『 "僕は、自ら望んで終わりを迎えてしまうかもしれない。" 』