ソードアート・オンラインIF ver.アインクラッド   作:モコモコ毛玉

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第一話

 『 "これはゲームであって遊びじゃない。" 』

 

 自らを茅場晶彦と名乗った存在は確かにそう言った。そして、この世界において体力の全損は外へ置いてきた肉体の死を意味するとも。最初は私だって信じていなかった。そんなのは嘘だ、狂言だと思っていたのだ。

 でも二〇二三年のあの日――よく一緒に宝箱集めをしていた子が私の目の前でトラップに引っかかり、逃げる間もなくポリゴン片へと姿を変えた時。私はようやく気づけた。

 何故そう感じたのか、理由は今も分からない。ただそれでも最初の茅場晶彦を名乗った人物の言葉は真実だったのだと、自分自身の認識の甘さを改めざるを得なかった。

 

 それからの私は、自分で言うのも可笑しな話しだが随分と用心深くなった。

 宝箱を漁る際はフィールド毎に決められたトラップの傾向を前もって入念にチェックし、僅かにでも危険と感じた時は素直に手を退く。これはレベル上げなどにおいても同じで、私は自分の身の丈にあったフィールドを意識して選ぶようにしていた。

  "全ては命あってこそ。死んでしまっては元も子もない。"

 

 だから、あの時も私は細心の注意を払った上でトレジャーハントへ出向いていたのだが――今思えばそんな考えこそが驕りだったのだろう。

 

 その日は珍しく宝箱の中身が良質な物ばかりで私はすっかり上機嫌になっていた。浮き足立つ気持ちを抑えながら『万が一にも奪われないように』と、普段は使わない転移結晶を使って身体全体を専用のエフェクトが覆い転移が完了するまでの僅かな間、視界にノイズが走って、気がつけば私は『管理区』という名のついた真っ白な空間に居た。

 最初は何かのイベント、或いは件のチュートリアルと似た類の物かとも考えてみたが待てども待てども変化はなく、痺れを切らして再び転移結晶は使おうとした私の目に飛び込んできた "エリアを指定できません。" という警告に私の考えは根底から覆される。

 突然の予期せぬ事態に心は半ばパニック状態へ陥っていたがそれでも頭だけは冷静で、ひとまずは現状を把握しなければならないと探索させる為に身体へ指示をだす。その結果、此処は安全圏内である事の他に起動できない転移門と小型の端末型アイテムショップが備えつけられている事が判明した。幸いな事にこのアイテムショップに関しては在庫に再現がないようで、コルさえ支払えば無限に回復アイテムなどを調達出来るという事実は私の波立った心を僅かにだが宥めてくれた。

 これなら外部に探索へ赴くにも些か気が楽になる。そんな淡い希望は、現実を前に容易く砕かれた。

 

 出現するエネミーは軒並み自分よりも倍近く高いレベルであり戦いなど挑めたモノではなく、それこそ戦うだけ命の無駄。勝つ為には何回死ねばいいのかも分からない有り様だった。しかしだからといって立ち止まるワケにもいかず、私は敵をやり過ごしながら慎重に少しずつ探索する事にしたのだ。

 ただ、そんな高レベルなエネミーの中にも極稀に私でも楽に倒せてしまうようなエネミーがいた。それを倒した時の経験値の入りが異常なまでに良く、当分の間はソイツを倒してレベル上げを行った。

 

 ――そうして探索を進めていく中で私は奇妙なエネミーと出会った。

 いや、最早それを "エネミー" と呼んで良いのかも解らない。

 

「アナタは……誰。私の敵?」

 

 ポツリ、呟かれた不意の言葉に面を食らい対応に戸惑った事を『肯定』と受け取られたのだろう。目の前には "私と瓜二つ" の存在が居て――。

 

「ちょっ、いきなりなんなの!?」

 

「排除する……アナタは、私の敵だから」

 

 何の躊躇いもなく、問答無用と言わんばかりに斬りかかってきたのだ。もしかしたら話し合う余地もあったのかも知れないが、当時の私にそんな余裕はなかった。

 右には左、左には右。上へ避ければ相手も上に飛び、下から足払いをかければ同じように足払いをかけてきた相手の足とぶつかり合う。

 似ているのは容姿だけではない。戦い方や些細な癖までも寸分違わず私と同じに感じられた。だからなのか、数時間斬りあっても互いに有効打と呼べる一撃は与えられず戦いはガードの上から削りあう消耗戦になり、私は自分の体力が赤く染まる前に意識して回復アイテムを使っていたが目の前のワタシからは一向に回復アイテムを使う気配が見られず、結局その最期までアイテムを使う事は無くポリゴン片へと還っていった。

 

  "いったいアレは何だったのか――。"

 

 確かめる事は叶わず、ただ事実として私のカーソルはオレンジ色に染まっていた。それは、私がプレイヤーに危害を加えた事を意味している。

 

「どういう事……? アレは、プレイヤーだったの?」

 

 私と容姿や戦い方ばかりかプレイヤーネームまで同じ存在が居るなんて事はまずもって有り得ない筈なのだ。初のキャラクタークリエイトの時点で一言一句同じプレイヤーネームが弾かれてしまうから。

 

  "ならば彼女は何だったのか" ――得体の知れない気持ち悪さに冷静だった頭もとうとうパニック状態へ陥り、覚束無い足取りで管理区まで戻った私はその場に膝をついて倒れ込んで在りもしない何かを吐き出そうと痙攣を繰り返す身体に私の視界を少しずつ暗闇が覆っていき、やがて視界は完全に閉ざされた。

 

 * * *

 

 そんな出来事が起きてからどれだけの時間がたった頃か。私は一人の男と出会い、度々その人物と共にパーティを組んで探索をするようになっていた。

 暗褐色のポンチョをまとったその男が何者か私は知らない。ただ彼の持つ雰囲気からしてあまり関わらない方が良い種類の人間である事は朧気ながらも想像はついた。それでも独りで居て不安に押し潰されるよりかはずっとマシに思えたのだ。

 

 しかし独りでないとはいえ常に一緒というワケではなく、また見えない出口を探す行為は私が自分で考えていたよりも肉体的・精神的に多大な負担となっていたようで。

 当て所もなく一人で探索をしていた折に偶然見つけたのが体力を赤く染めた白髪の子ども――シャルテだった。

 

「んぁ……おかえりフィリア。今日は随分とまた帰りが遅かったね、死んだかと思ったよ」

 

「ただいま。帰ってきて早々に縁起の悪い事言わないで欲しいんだけど……珍しいわね、シャルテがこんな時間まで起きてるの。いつもなら寝てるのに」

 

 人目を気にする様子もなく大きな欠伸を漏らして瞼を擦る姿にほんの一瞬だけ「帰りを待っていてくれたのでは?」と、私の中で期待にも似た感情が湧いたのは意識せずとも手に取るように分かった。口には出さないまま、まだ自分にそんな心が残っていた事に驚き半分。残りは彼にまた茶化されるかもしれない面倒くささで。

 一緒に過ごし初めて日は浅いものの彼が他人のそういった機微に勘がいい事は身をもって体感している。だからこそ今回もまた茶化されるのだろうと、そう思っていた。

 

「別に、ただの気まぐれだよ。じゃあ僕はもう寝るから……お休みなさい、フィリア」

 

 言って、彼は何もない空間から野営用の寝袋を呼び出すなり中へ潜り込んで動かなくなった。

  "せっかく身構えていたのに" ――口をついて零れそうになった悪態を呑み込んで、私は彼に「お休みね」と返すとその場へ腰を下ろして静かに息を吐く。

 

 (こうしてシャルテと一緒になって……もう一週間近く、か。)

 

 実のところ、私はシャルテの事があまり得意ではない。

 見た目こそ可愛いらしいが口を開けば生意気で無愛想、オマケによくよく毒を吐く。綺麗な花には棘があるとはいったい誰が考えたのか、全くもってその通り――いや、彼の場合はそれ以上かもしれない。

 とはいえ、彼に優しい部分が無いと言えば嘘になる。先ほどのように普段よりも遅く戻った時はワザワザ起きて待っていてくれたり細かい事にも気がついてさり気なくフォローをいれてくれるのも事実で、それが私の心の安寧に一役かっていたのもまた事実である。が、如何せん棘が鋭すぎるのだ。

 

 (感謝してるし『嫌い』ではないんだけど……って、私は何考えてるんだか。)

 

 悪夢の始まりでもあったチュートリアルから今に至るまで、全てとは言える筈も無いが私も色々なプレイヤー・各階層の惨状を見てきた。その中には性別を問わず自らの容姿を品に金を稼ぐ者や、理不尽にそうされる者もいた。

 だからこそ意識せずとも気にはしてしまう。もっとも、今となっては彼に対するそんな気持ちもかなり薄れてきたワケだが。

 

「……ホント、黙ってれば可愛いのに」

 

 吐き出した呟きに頭を横へ振り、軽く頬を叩いて柔らかくなった『私』を叱咤する。弱さが癖づいてしまってからでは手遅れなのだ。

 

「ねえ、シャルテ……もし私が自分の私利私欲の為にアナタの仲間を売ったら、その時アナタは私を殺すのかしら?」

 

 ―― "クライアント" からのオーダーが入った。万が一キリトというプレイヤーを此処で見かけたら殺すか、そのまま引き渡して欲しいそうだ。

 

 今日、私はPohと共に探索をしていた際に彼からそんな話しをされたのだ。

 真っ先に浮かんだのはクリスマスの日、シャルテと殺し合いをしていたあの少年の姿。

 

「キリトって、攻略組にいる『黒の剣士』?」

 

「そうだ、そのキリトで間違いない。それと肝心な報酬の話しだが――」

 

 伝えられた提案はとても魅力的で、私にとって喉から手が出る程欲しいと望んだ代物だった。が、突然垂らされた蜘蛛の糸を疑いもせず飛びつくほど正気を失ったワケでもなく、私は彼の言うクライアント "オベイロン" と会う事となり最終的に彼の依頼を呑む事にしたのだ。

 きっと条件が殺害のみであれば私も承諾できなかっただろう。しかし引き渡す程度であれば私にも出来る筈――。

 私がキリトと対面を果たしたのはそれから数日後。運悪く見つかってしまった巨大なムカデ型のエネミーを相手にしている最中の事で、当初はその目論見も、考えも、揺らぐ事なんて考えもしなかった。

 

 少しやり口に汚さを感じたが、それでも別に命を奪うワケでもないのだから問題はない。そう結論づけて共同でムカデ型のエネミーを倒した後、僅かに空気が緩んだ一瞬の隙をついて私は彼に刃を向けた。

 

 (反応が早い……でも、もう遅い!)

 

 多少の迷いと共に放った右上への斬り上げが目標の腕を切断するまでは一秒もない筈である。しかし、そんな期待とは裏腹に聞こえてきたのは金属同士がぶつかる音。手に残ったのは肉を斬る感覚ではなく強い痺れ。そして――視線の先には困惑顔の少年が一人。

 私の短剣は、彼の剣に受け止められていた。

 

「嘘……なんで」

 

 思わず、そんな声が零れた。

 同時に『直ぐ離れろ』・『反撃に備えなければ』と頭ではアラートが鳴り響くも予想外の事態に身体は反応せず、沈黙が降りる。そうして先に動きを見せたのは彼の方で――数瞬の後に待つであろう "死" に私が目を瞑れば、飛んできたのは黒い刃ではなく、またも私の予想を裏切る物だった。

 

 ――結果から言えばキリトが私へ剣を向ける事はなかった。その代わり、というワケでもないが彼から事情の説明を求められてしまい私は素直に応じる道を選び(とはいえ当然彼に関わる依頼などは全て伏せてだが)どういった経緯で此処へ来たかをありのままに打ち明けた。

 そうして私の話しを疑う素振りさえ見せず受け入れた彼は複雑そうな表情を浮かべて一人考え事を始めてしまう。その素直さに、何故か私の胸が痛んだ。

 

「ねえ……その、アナタ普通に私と話してるけど警戒とかはしないの。カーソルの色が見えないワケじゃないでしょ?」

 

 私を指すオレンジ色は謂わば犯罪者の烙印(らくいん)だ。攻略組でなくともアインクラッドに居る者なら誰しもが知っている事だろう。そもそも "自分と同じ姿形をしたプレイヤーを倒したらこうなった" なんてそう易々と信じられるものでもない筈。

 

 『何で、恐がらないの――?』

 

 その態度が所謂 "強者の余裕" なのかまではわからない。ただ、気づけば私は声に出していた。

 慌てて口を閉ざしたところで時すでに遅く、キリトは目を瞬かせながら此方を見つめて思案顔を浮かべたのも束の間。

 

「いや、何でって言われても……少なくとも悪意は感じなかったから、かな」

 

 ポツリ。紡がれた答えに今度は私が目を瞬かせる羽目になった。仮に冗談ではなく言っているのであればあまりにも警戒心が無さ過ぎる。理解が追いつかず停止寸前の思考を総動員させて彼から放り込まれた発言を噛み砕いていくと最後に残ったのは『勘』の一文字。

 あまりにも、馬鹿げていた。

 呆れ半分に放心する私を見てか、バツの悪そうな表情を浮かべた彼にワザと大きな嘆息を吐くと目の前の彼はゆっくりと私から視線を逸らす。

 

 (これじゃあ力づくは無謀かなぁ。一応あの説明で納得してくれたみたいだから手遅れにはならずにすんだけど……少し時間がかかるけど仕方ないか。)

 

 落ち着きを取り戻した頭で手短に結論づけ、私はキリトへ向かい道案内役を名乗り出る事にした――が、流石にいきなりクライアントの場所へ連れて行くような真似をするつもりは毛頭ない。むしろ道案内役を受け入れない可能性の方が高いだろう。万が一彼が受け入れてくれたとしても先程の行いがある以上迂闊な行動は慎むべきである。

 とはいえ力づくが通じない以上、今優先すべきは彼と友好関係を築く事に他ない。都合が良いにも程があるのは自分でも理解していた。それこそ吐き気がするくらいに。

 

 (人ってこうして荒んでいくのかな。)

 

 別に聖人君子を気取るワケではないが少し前に自らの意思で彼へ剣を向けた手前、私にそれを嘆く権利など在るはずもない。たとえ彼に対する態度が偽りだとしても胸の奥へと埋まっていく痛みだけは本物だと、信じていたかった。

 

 * * *

 

 一人より二人、二人より三人、人は個よりも群を好む。

 確かに仲間や友達と呼べる存在は多ければ多いほど頼もしいのだろう。私もそれを否定するつもりはない――。

 

「しっかしよぉ、キリト。俺の勘違いじゃなければお前のフレンドリストって半分近く異性の気がするんだが気のせいか?」

 

「仕方ないだろ。元々フレンドリストに登録してる人数自体が少ないんだ」

 

「いやー、キー坊の言い分も分からなくはないが全体の人数で見ても多い方だと思うけどナ。ちょっとそこのところ無頓着というか、その内背後からグッサリされるんじゃないかって心配になるんだゾ」

 

 が、しかし、頼もしさを得る有り難みと一緒に騒がしさまで増すようでは考えものである。これで彼らの実力が分不相応なら幾らか注意しやすいもののそれを可能とする力があるだけに実力で言えば一歩足りない此方は口が出しづらいのだ。

 

 (はぁ……。)

 

 如何せん単独で動いていた期間が長すぎる故に馴染みかけていた部分も少なからずあったのだろう。一人でいる間は静寂が嫌で人恋しくなったりもしたがいざ複数人で固まるとなるとそれはそれで悪い点ばかり目についてしまう。そのなんとまあ、贅沢な悩みか。

 彼らには彼らなりの理由があって会話をしているのだ。注意し難い以前の問題としてそこへ正面から水を差す勇気など私は持ち合わせていない。だからこそ可能な限り顔にも出さないよう胸の内で息を吐いたのだが、背後から刺さる視線に振り返ってみれば先に居たのは申し訳無さそうな目をした金髪の少女。

 

「――さて、と。馬鹿話は此処までにしないとフーちゃんが怒るかもしれないからな、オネーサンは一足早く黙っておくヨ」

 

 にゃははと可愛らしい声を上げて笑ったのはアルゴという小柄な女性プレイヤーだった。

 突然会話の枝が伸びてきた事に少し戸惑いながらも私は首を横へ振り「怒りはしない」と否定の言葉を口にする。騒がしいのは苦手だが何もそこまで目くじらをたてるような事でもない。この程度、シャルテの毒と比べたら随分とカワイイ方だ。

 

「話してた方がアナタたちは気が紛れるんでしょ? ならそっちの方が良いと思うけど」

 

 そう言うとキリトやクラインは苦虫を噛み潰したような顔で俯き、アルゴの表情にも陰がかかる。それは私も同じで、今こうして四人で動いているのも目的があっての事だった。

 

 『シャルテと彼の友達が姿を消した。』

 

 キリトからその話しを聞いたのは今から二日ほど前、彼とシャルテが再開してからおおよそ二週間が経過した頃の午前中。

 少なくとも昨晩の内は姿を確認されていたが今朝になって宿を確認したところ、既にもぬけの殻で宿主としての契約は解除されていたらしい。仮にフィールドへ出たのなら唯一の通過点である此処を必ず通っている筈だが私が戻ってきたのは今朝早くで問題の時間帯はちょうどオベイロンから依頼完遂の催促を受けていた最中である。

 

 必要最低限の答えを偽り無く告げるとキリトは端から見ても分かるほど肩を落とし、大きく息を吐く。

 『落胆』・『悔恨』・『疑念』――思い返すと重苦しいそれに込められたモノが全てを語っていた。

 

 こうして始まったシャルテの捜索はしかし、一週間もせずに中断を余儀なくされた。

 理由は単純明快で痺れを切らしたオベイロン自ら重い腰を上げて動き始めたから。彼が手にした "理不尽" を前に英雄は撤退を余儀なくされたばかりか残酷なまでに追い詰める。

 

 『君に与えられた選択肢は二つ――自らの命を犠牲に全員をログアウトさせるか、自らの命大事に他の全員を見殺しにするか。』

 

 与えられた猶予は僅か一日、優しすぎる彼がどちらを選ぶかなど明らかだった。

 

「じゃあフィリア、彼の道案内をよろしくね? 私はあの王様に英雄の登場を報告してくるから」

 

 無機質に、事務的に、紫の髪を揺らしながら悲しそうな笑みを浮かべた少女は光に包まれて姿を消した。元よりオベイロンの狙いはキリト唯一人。他のプレイヤーは餌でしかなく、彼が訪れる事が決まった時点で約束通りログアウトが施された。

 そうして残されたプレイヤーは二人だけ。メッセンジャーという最後の仕事が与えられた私と、英雄の銘を着る少年だ。

 

「結局、こうなるのね……」

 

 遠き理想より近場の安寧。

 元よりオベイロンの高慢な姿勢と尊大な態度は気に入らなかったがそれでもログアウトする為だと少なからず自分に言い聞かせてきた。しかし彼がキリトを殺すつもりであると、その理由が最後の後押しとなって私はオベイロンを裏切る決心をしていた――が、そんな決意も今となっては意味のないガラクタでしかない。

 

 (フラフラと立場を変えて、ただそれだけ。私は何がしたかったの?)

 

 ふと足を止め、考え、彼の前へ立ちはだかり剣を抜く。相手が油断しきったところで放ったのは彼と出会った時と同じ渾身の一振り。

 パリン――と、ガラスが砕けるような音がして私の手からは握りしめていた得物の感覚が消え失せた。

 

「武器だけを壊したのは、情けのつもり……?」

 

「違う。情けとか、そういうのじゃないんだ。ただ、もう感情に呑まれたまま見境無く剣を振る真似はしたくないんだけで……今更そんな詭弁を並べても遅いのはわかってる。でも、それでも嫌なんだ」

 

  "俺はフィリアを殺したくない" ・ "俺が剣を向けるべきは君じゃない" ――そう続けられた言葉は『剣を抜かせないで欲しい』という彼の懇願にも思えた。

 

 (ねえ、どうして?)

 

 目の前にいる少年が言葉を失った私に何を思ったのかは分からない。ただ、彼は剣を収めると私に背を向け先へと進んでいく。

 

 (なんで――?)

 

 彼が進む先、扉の向こうには恐らくオベイロンが待っている。ゲームの中だけに留まらず外で眠る彼をも抹消すべく傲慢な王は玉座で獲物が来ることを待っているのだろう。

 実力だけで考えれば彼はオベイロンよりも遥かに強い。だが彼方にはその実力差を簡単に覆してしまう武器があるのだ。幾ら彼が『強い』と言えど所詮は多数居た一般プレイヤーの一人であり、システムという枠に縛られた存在でしかない。

 相手がそのシステムを操る側の立場にある以上はどう足掻いたところで勝てる筈もないのだ。現に彼は一度オベイロンに為す術もなく負けている。策も無しに挑めば敗北は免れず、そうなってしまえば彼は死んでしまうのだろう。

 

「死んじゃうかも知れないのに、なんで――"なんで平気な顔をしていられるのよ!?" 」

 

 先へ行こうとする彼に怯えの色はなかった。むしろ覚悟を決めたかのような目で前を見据えていて、こんな真似をする彼の神経が私には理解出来なかった。

 

「逃げれば良いじゃない! 無理に死に急ぐ必要はない、アイツを打ち倒すチャンスだって機会を窺えばまだあるかもしれないでしょ!? なのに、なんで!」

 シャルテがどうして彼を気にかけていたのか、何をそこまで心配していたのか、今になってようやく腑に落ちた。が、全ては手遅れだ。彼の支えとなっていた存在が消えた今、もう誰にも彼を止められない。

 

「――この世界には、不思議な力がある」

 

 ふと足を止め、立ち止まった彼は此方を振り返る事なく淡々と言葉を紡いでいく。

 

「その正体が何なのか、どういう理由で起きるのか断言はできないけど、でも、そんな力が確かに存在している事だけはよく知ってるんだ。それに……俺にはまだ動く手足が残ってる」

 

  "それだけあれば足掻くには十分だ" 。

 

 そう付け足した彼の背に何故かシャルテの姿が重なって見えて――。

 

 白に呑み込まれた先で待っていた薄い青が占拠した視界に、あの場に居た彼の姿はもう残っていませんでした。

 

 

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