ソードアート・オンラインIF ver.アインクラッド 作:モコモコ毛玉
―― "シャルテが、消えた。"
私がキリトからそう聞かされたのは今から少し前、攻略組は愚か上層の主街区を軒並み破壊し尽くした、たった一匹のエネミーの討伐が完了した後の事だった。
が、当時の私は自分でも驚く程冷静に彼の言葉を飲み干していて。
「キリト、一応念の為に言っておくけど気をつかって嘘をついてるなら止めて。死んだなら死んだ、生きてるなら生きてる、ちゃんと本当の事を教えてちょうだい」
此処では体力の尽きたプレイヤーはポリゴン片となり "消える" ――もし、仮にキリトの口にした『消えた』がそういう意味なのであればやや遠回りな表現というだけでその言葉に偽りはない。しかし、それでは腑に落ちない点があった。
真っ直ぐに此方を見つめて紡がれた言葉や彼の雰囲気からは暗い色味などまるで感じられず代わりにあるのは戸惑いか、私の問いに視線を落として眉尻を下げたキリトはたどたどしくも彼が見たという『事実』を話してくれた。
「――俺も、戦いが終わった時はシャルテが死んだと思ってた。でもそれだとフレンドリストからシャルテの名前が消えてない事に説明がつかないんだ」
「それは、システムのバグとか……そういうカーディナル側の不具合って可能性はないの?」
「いや。その可能性も零じゃない……でも、戦いが終わってから此処に来るより前に始まりの街で石碑を確認した時にはまだシャルテの名前が残ってたんだ。だから直ぐにアルゴに連絡して似たような話しがあった聞いてみたんだがそんな話しは噂程度にも聞いた試しがないって」
バグかも知れなくともシャルテが生きている可能性があるなら俺はそれを信じていたい。そう続けた彼に対して私は何と声をかけて良いのかわからず、曖昧に「そうね」と濁す事しかできなかった。
アインクラッドへ迫っていた危機は確かに乗り越える事はできたが、その代償はあまりにも大き過ぎた。
それから約一週間前後。未だ傷は癒えぬまま止まっていた攻略は再開されてキリトやアスナ・ウルズたちは三度目のクォーターポイントに挑む事となり、私は皆の帰りをいつもと同じように自分の店で鍛冶をこなしながら待っていた――そんな時の事だ。
突然地鳴りが聞こえたかと思えば次の瞬間には視界が白く塗りつぶされ、色彩を取り戻した時には見慣れた街が見知らぬ街へと変貌を遂げていた。
(えっ……どういう事? 私さっきまで自分の家に居た筈よね。)
辺りを見れば私以外にも沢山のプレイヤーがおり、皆が一様に動揺を隠せずにいた。かくいう私もそんな大多数の一人で、あまりにも突飛な出来事に状況整理が追いつかないままひとまず転移結晶を使ってみようとして灰色に塗りつぶされた文字を見てそれが使えない事に気づかされる。
違和感からステータスを開いても結晶無効化を示すモノはなく、同じ系統のアイテムでもある回復結晶は変わらず使う事ができた。
「いったい、何がどうなってるのよ……」
混乱し始めた頭では何を考えたところで纏まる筈もなく、私は一旦この場を離れて落ち着ける宿を探す事にした。同時にまだ気づいてない違和感を求めてインベントリやステータス、フレンドリストなども一通り眺めてみたものの成果は零。他に気になる箇所もなく、見慣れたモノが並ぶだけ。
落ち着ける借り宿を見つけてからもそれが変わらず、念の為キリトたちにメッセージに送った後、私は万策尽きたと言わんばかりにだらしなくリビングにあったテーブルへだらしなく上体を投げ出していた。
「はぁ……ホント、次から次にわかんない事ばっか重ねないで欲しいんだけど。頭が痛くなってくる」
この世界がデスゲームへ姿を変えた時も同じような状態になった事がある。
日常のちょっとした息抜きとして――そんな軽い気持ちで始めた筈が突然ワケの分からない事態に巻き込まれて、正直、心が折れそうだった。それでも完全に折れる事はなく前へ進めたのは偏に "諦めたくなかったから" 。そうして臆病者の私が辿り着いた答えこそ、『鍛冶師』としてプレイヤーのサポートをする事だった。
(なんて、何を感傷に浸ってるんだか……資金はあるし鍛冶スキルに関しても問題なし。インゴットもまだストレージにあるわね。)
確認し、自ら頬を叩いて頭の中を切り替える。弱気になっている暇など要らない、私は私に出来る事を探して専念すれば良いのだ。
思い立ったが吉日。借り宿を改装する為に椅子から立ち上がった私の耳へメッセージの着信を告げる音に差出人を確認し、直ぐにメッセージを開いて内容を確認してから私は差出人たる彼女へと此処の場所を記したモノを返信した。
それから時間にして十分も経ってはいないだろう。私一人しか居なかった宿には私を含めて三人が同じテーブルを囲うようにして席についていた。
「ヒースクリフの正体は茅場晶彦で、此処は七十六層の主街区。何の前触れもなく転送されたのはヒースクリフが私たちをアインクラッドの崩落から守る為で一応此処の外にもフィールドはあるけど敵が強過ぎて攻略組クラスのプレイヤーじゃない限りは危ないと……悪気がないのは解ってるけど、アンタたち私の頭をパンクさせる気?」
言われた内容を復唱すれば私の両前に座るキリトとウルズは申し訳なさそうに俯き、黙り込んでしまう。言いたい事も、聞きたい事だって山ほどあるし何かを隠している事にも気づいている。しかしそれに時間をかけては話しが進まない――だから受け入れて、呑み込む事を選んだ。
「良いわ……状況は納得するから、私にも協力出来る事があるなら遠慮なく言ってちょうだい。実際に手伝えるかは分からないけど……指くわえて待ってるだけってのは性に合わないのよね」
黙して語らずでは変わらない、語ったところで変わる保証は何処にもないが言うだけならばタダである。暗に本題を急かせば重苦しかった空気が少しだけ軽くなったような気がした。
始めは一瞬の沈黙。次いでウルズとキリトが互いアイコンタクトをした後に口を開いたのはキリトの方で。
「――会いたくないし顔も見たくないっていうなら無理強いはしない……でも、もし会いたいなら道案内は出来る」
語られた内容に、限界ギリギリで踏みとどまっていた私の思考は容易くパンクしてしまうのでした。
* * *
「久しぶりだね、リズベット。元気そうで何よりだよ」
目の前にいる白髪の持ち主の声も、彼の時々浮かべていたヘラヘラとした笑みも、忘れる筈がない。重なっていく姿にキリトの言葉が真実だという事を疑う余地はなくなり、心の底へと落ちていく。
たとえ背が縮んでいたとしても中身はまるで変わっていない――紛れもない、あの日を境に忽然と姿を消したシャルテ本人である。
「久しぶりね……石碑にあるアンタの名前が消えてないのはキリトから聞いてたけど、シャルテの方こそ無事で何よりよ」
「このちんちくりんな有り様は無事って一言で片付けて良い物なのかな。命あっての物種とは言うけど、それでもこれはあんまりだと思うんだよね」
「あら、抱き枕にはちょうど良いサイズじゃない」
ふてくされ半分に諦めたようなシャルテの態度は『抱き枕』という単語だけで一転して頬をひきつらせ、身体を強ばらせた。が、それでも何とかして平然を装おうとする彼の姿は何処か懐かしくて、それだけで少しだけ心が安らいだ気がして――。
( "良かった……ちゃんと、生きててくれた。" )
気がついた時にはその場へ座り込み、出るはずの無い涙を拭っていた。
「泣かないでよ――泣かれたら僕が血反吐を吐いてでも抱き枕にされなきゃならない空気にい゛っ!?」
「少し黙りなさい。じゃないと三日三晩こうしてアンタの事を抱きしめ続けるから……今は、聞いて欲しいの」
困り顔のシャルテが全てを言い切る前に抱きしめれば聞こえてきたのは僅かな悲鳴で、密着している為か彼が酷く萎縮している事も手に取るようにわかってしまう。
強引だという事は理解していた。しかし、それでも行き先を失った塊は良くない結果を導いてしまうよりはずっとマシな筈である。溜まりに溜まった感情は爆発してしまえば最後、手がつけられなくなる事を私は身を持って体感した。
だからこそ恐いのだ。私が私でなくなってしまうかもしれない事が――それを否定しきれない自分が、堪らなく恐いのです。
「シャルテ。前にも言ったかも知れないけど、私はアンタに無茶するなとは言えないし口煩く言うつもりもないわ……どうせ全部解った上でやってるでしょう? だから、何も言わない。でもこっちの気持ちも察して……お願い」
叩きつけたのは一方的なワガママで、見方を変えれば脅迫か。彼の一番嫌がるであろう事を提示して逃げ道を塞いだ上での汚い一手。
「それはマグロに泳ぐのを止めろって言うのと同じ事だよ……だけど、そうだね。少し位なら自重してあげない事もないかな。一々泣かれても困るし抱き枕にされるなんてもっとごめんだ」
心底嫌そうに、露骨な嘆息まで吐いた彼は呆れたような笑みを浮かべたまま私の頭へ小さな手をのせてきた。そうしてまるで子どもをあやすように頭を撫でられる事数回。私は彼を離し、ようやく彼は身体の自由を取り戻す。
しばしの沈黙と気まずい空気の後にストッパーとして同伴したキリトとアルゴ、シャルテと一緒に居たフィリアという女性プレイヤーの後押しもあって彼を街へ連れて帰る事が決定した。
が、もしかするとこの選択を時点でこうなる事は決まっていたのかも知れない。
今まで無謀と言える状況でも何振りかまわず前へ進もうとしていた人間が急に手足をもがれ、止まる事を余儀無くされた。そこへ輪をかけるように鎖を巻けばどうなるか、冷静になって少し考えば分かる事なのだ。
―― "キリトの事、頼んだよ。"
あの日の晩、寂しそうな顔でそう呟いた彼を知るのは私だけ。止める権利など無いと見送って、残された「ごめんね」と「ありがとう」が私の中で暴れまわり、突き刺さる。
程なくしてフレンドリストから彼の名前が消えた事を確認し、深呼吸を一つ。
「アスナの代わりなんかなれっこない。それでも、止めないと」
吐き出した声を聞く者は誰もいないが、構わない。私は私に出来る事をやるだけ。そうしたいから、キリトを死なせたくはないから。
"独りの腕じゃ足りなくても二人なら届くかも知れないでしょ――だから、アイツの事は任せなさい。"
頬を叩き、私は気合いを入れ直す。
ウジウジと悩んでいる暇などもう残されてはいないのだ。
* * *
"大きな罅は、僅かなズレをも増長させてしまう" ――何の前触れもなく現れた自らを『王』と名乗る一人の男性プレイヤーの手によって小康状態を維持していた筈の現状は一変させられた。
それでも主街区の治安がある程度保たれているのは不幸中の幸いと言うべきか、或いは自棄になる気力も失い流れに身を任せようと考えているのかなど私には知る由もない。
「ねぇキリト、殴られたい? それとも四肢を奪われて地べたを這いずり回る方がお好みかな」
そんな良い意味で静まり返る街とは対象的に今日も私の借り宿は賑やかで、目つきを鋭くしたシャルテがキリトを睨みつけていた。
「――なんて、キミはキミの好きにすれば良いさ……今の僕にはキミを黙らせる為の剣も振るえないんだ」
まるで諦めたように嘆息を吐くとシャルテは眉を下げて鋭かった目つきも形を潜める。しかし棘にまみれた雰囲気だけは変わる事なく、キリトが謝罪の言葉を零すと今度は容赦なく彼の頬を張った。
『 "謝るな!" 』
叫ぶシャルテに私だけではなくその場に居たキリトやウルズも目を見開き、何より声を上げた本人までもが驚いていた。
そうして生まれた一瞬の沈黙はシャルテが布団の中へ逃げ込んだ事で終わりを迎え、私は何かを言おうとするキリトを連れて強引に部屋を出るとリビングにある適当な椅子へ彼を落ち着かせて私も対面の椅子に腰をおろす。
「はぁ……こうなるって、少しは気づいてたんじゃないの? アンタが焦るのも仕方ないとは思う、けど少し頭を冷やして落ち着きなさい。確かに自分が助かりたいが為にアンタの犠牲を喜ぶプレイヤーは居るでしょうね。でも、少なくとも私はちっとも嬉しくないし、むしろ腑(はらわた)が煮えくりかえるわ。シャルテやクラインたちもきっとそう……此処には居ないけど、アスナだって同じ筈よ」
「それは……でも、もし他に方法が見つからなかったら。俺が自分の身可愛さに逃げたせいで周りのプレイヤーまで道連れにするような事はしたくないんだ」
一度は上げた顔も言葉が進むにつれて下を向いていき、最後は元通り。再び俯いた彼の声も無く吐き出す息は傍目から見ても分かる程に重苦しい物で、私は口を噤んでしまった。
今の彼には此方が何を言ったところで届く事はない――去年のクリスマスを彷彿させる姿に背筋が凍りついていく感覚を嫌でも実感させられてしまう。
だが分かっていたところで私は何も言えず、彼は私に対して一言「ありがとう」とだけノコして宿を後にした。
(あぁもう、どいつもこいつも悟ったような面してんじゃないわよ!)
内で叫び声を上げて外に嘆息を一つ。これで鬱屈な態度を取る人間がキリトだけだったのならまだ余裕を持てたのかも知れない。しかしもう一人だけ彼以外にも思いつめたような表情をするプレイヤーがいるのだ、それも私の身近に。
態度を隠すならせめて綺麗に隠せば良いモノの雰囲気から既にバレバレでは気になって仕方がない。オマケに此方が聞いたところで何も言わず黙りと下手な誤魔化しを続ける始末。
(アスナが居ない今、二人にとって最も身近な存在は多分シャルテ。でも今のアイツに両方を止める余裕はどう見てもない……となると、私たちで何とかしてキリトを留めておくしかないのよね。)
一方的に架せられたタイムリミットは残り僅かで、もう直、日も暮れる頃合いだ。万が一彼・彼女らが秘密裏に動くのであればそれ以降の事だろう。
出来れば当たって欲しくなどなかった。それでも私の予想していた通り、 "彼女" は動いた。いつもと変わらず下手な嘘と、申し訳なさそうな笑顔を浮かべて宿を出るその背が扉に遮られたと同時、不快感を露わにした彼は不機嫌面を隠そうともせず部屋から顔を覗かせる。
「うぇっ……やっぱり起きてたんだ」
「まあね。あの子が動くとしたらアンタの監視が緩むこの時間帯しかないでしょ」
まるで面倒な奴に見つかったとでも言わんばかりの反応をしたシャルテに対して私は普段と変わぬ調子で返した。彼が何をしようとしているかなど分かりきっている。キリトとは違い、彼のそれを止める必要はない。
その旨を伝えれば彼は目を瞬かせ、しかし直ぐに真剣な面持ちを取り戻す。
「てっきり止められると思ったけど……見逃してくれるなら何よりだよ。生憎時間が無いんだ」
「知ってる。私は何も見てないし、聞いてもいない。アンタたちがいなくなった時間ちょうど私は夢の中に居た――独りの腕じゃ足りなくても二人なら届くかも知れないでしょ」
だからアイツの事は任せなさいと口にすれば彼は少しだけ口元を緩め、新たに紡いだ言葉に面をくらう私の姿を一瞥して前へと歩を進めた。
「ごめんね。ありがとう――キリトの事、任せたよ」
去る後ろ姿を追う事なく、此方の緊張や願いなどお構いなしに淡々と、無慈悲に時は流れていく。
――そうして、とうとう時間は来てしまった。
「アンタが死んだら一番悲しむのはアスナよ……それでも行くの?」
結局、彼を止める事は出来ず街に残っているのは私とキリトだけ。もう直、私も他のプレイヤーと同じく強制的にログアウトされてしまうのだろう。
「ああ……でも、死にに行くワケじゃない。皆が無事にログアウトした後なら俺は存分に "抗える" 」
答えたキリトの目からはクリスマスの時に在った暗い影など微塵も感じられず、ただ真っ直ぐに先を見据えているようにも思えた。
そんな彼の手をとって私は強引に自分の小指と彼の小指とを絡ませると精一杯の笑顔を見せ、告げる。
「約束よ。ちゃんと無事に帰ってくる事――守らなかったらわかってんでしょうね」
「何となく恐ろしい事をされるのは解ったよ。でも大丈夫だ、約束は守る」
"いってくる――。"
手を振って。
"――いってらっしゃい。"
振り返し。
白い光に覆われた私が次に目を覚ましたのは見覚えのない病室で、私の腕を取る両親の温かさに鉄の籠から抜け出した事を実感したのでした。