ソードアート・オンラインIF ver.アインクラッド 作:モコモコ毛玉
約 "六三〇七二〇〇〇秒" (ろくせんさんびゃくななまんにせんびょう)。
日数ならば七三〇・年数にして二年――それこそが、僕がこの鉄の城で過ごしてきた時間である。
最初は身体の動く感覚を忘れてしまわぬようにと一日数時間のリハビリとして始めたつもりが、いつの間にやらこんなにも長引いてしまった。走って、走って、邪魔するモノは薙ぎ倒してでも強引に、ただひたすら前へ進んだ結果がこの様だ。あまりにも理不尽で、しかし或る意味では当然の帰結だろう。
何せ今まで散々ワガママを通し続けてきたのだ、貯まりに貯まったツケと考えれば納得もいく。
「キミはもう十分に頑張ったよ……だから、ね? ―― "もう終わりにしよう" 」
積み重なった屍の上で、僕は『彼』にむかい語りかける。
全身に擦過傷や斬り傷を刻み、多量の返り血で赤黒く染まった姿などとてもではないが見るに耐えるモノではない。
「ふざけた事をぬかすな……此処まで来て、そう簡単に終われるワケがないだろ」
息も絶え絶えに此方を睨みつけてくる彼の目は今にも光が潰えてしまいそうなほど暗く、痛みに満ちたモノだった。口では幾らそう言ったところで事実として『彼』は既に限界だ。むしろ限界を超えて臨界状態にあると言うべきか。このまま放置してしまえば遠からず『彼』は自ら喉を掻ききって自刃するだろう。
僕が『彼』に・『彼』が僕に刃を掲げ殺しあってきた今までとはワケが違う。辛うじて保たれていたバランスは決壊してしまえば最期、何が起きるかなど想像したくもない。
だからこそ、僕も此処で怯むワケには行かないのだ。
「キミに戦う意思が残ってるかは関係ないんだよ。キミはもう限界だ」
「黙れ。『僕』の限界は『僕』が決める……弱いキミに指図される謂われはない。泣き虫は今まで通り、山を見上げながら膝を抱えてジッとしていれば良い」
膝をついたまま立っているだけでも精一杯の様相で、本当は誰よりも挫けそうな癖に、尚も抗い続けようとするのは何故なのか。理由など聞かずとも知っているし、解っている。
『 "僕は決して強くなどない――弱いからこそ、強くあろうとするのだ。" 』
自ら張りつめた糸を緩める余裕すら無いのであれば誰かが代わりに断ち切ってしまう他に方法はない。
僕はその場に身を屈め、足下に落ちていた血濡れの短剣を拾うと両の手で柄をしっかりと握りしめる。
(せめて、一撃で……どうか苦しむ事のないように。)
目はしっかりと此方を捉えていながら未だ短剣を振り上げた事にすら気づけていない膝をついた『彼』(ぼく)に一言。
黙祷を捧げ、無防備に晒された首を狙って僕は短剣を振り下ろした――。
* * *
――随分、嫌な夢を見ていた気がした。
もっとも内容などまるで覚えていないのだが、出る筈の無い冷や汗をかいた感覚に襲われている事が証拠としては手頃だろう。或るいは今しがた目覚める原因となった『揺れ』から来たのか。
抜けきらない眠気から欠伸を一つ、霞む視界に目を擦る事で少しでも早く意識を現から実のある方へと引きずりだせば棚やテーブルは倒れ、荒れ果てた室内の中で窓から身を乗り出しているウルズの姿が在った。
「どうかしたの? 飛び降りたいなら背中押してあげよっか」
なんて、棘のある冗談を口にしても反応は無く、依然として固まったままの彼女に違和感を覚えた僕は身体を引きずるようにしながらベッドから降りて彼女の横へ移動し、鎧を小突く。
すると漸く此方の存在に気がついたのか勢い良く振り向いた彼女と視線がぶつかる事数秒。何食わぬ顔で窓を閉めるウルズから伸ばされた手を避け、僕は身体で窓を押し上げるとそのまま枠へと腰かけた。
「何をしているシャルテ……早くコッチへ来い。そんなバランスの悪い場所に居て万が一にでも落下したら危ないだろう」
「大丈夫だよ。前に実験で飛び降りた事もあるし、今はペイン・アブソーブのレベルも安全圏だから。落ちて砕けたとしてもちょっとしたスリルを味わうだけさ」
言って、僕はウルズの忠告へ耳を貸しもせず自身のインベントリから双眼鏡を取り出すと彼女が見ていたであろう方角を眺めた。
先ほど固まり様から考えるに何かしら良い事があったワケではなく、その逆――碌でもない物が起きたと見るべきか。例を挙げればキリがないものの僕を誤魔化そうとした時点で大まかな分別はできてしまう。
(起きている事態を見てしまうと僕が飛び出してしまいかねないと判断したか、単に彼女が取り乱していただけか……なんにせよこの手の物は自分の目で確認するに限る。)
仮に問題があったとしても他者の話しを鵜呑みにせず自ら目で確かめ、下した決断なら文句の一つとて零す必要もない。
下肢はウルズへ向けたまま、僕は右手で窓枠を掴みバランスを保ち空いた左で双眼鏡を支えて遠くに移る黒を捉えた。そこには予想していた通り "キリト" の姿があって――窓から飛び出そうとする僕をウルズは慌てて室内へと引きずり込んだ。
「幾ら心配だからといって飛び出す馬鹿があるか! それに、今はまだ大丈夫だ。大丈夫だから大人しくしていろ!」
「無理。離して。こんな場所でふてくされて、諦めてる場合じゃないんだよ」
「えぇい、暴れるな! 焦る気持ちも心配する気持ちもわかるが今回は貴様が行ったところでどうにかなる類いの問題ではないのだ!」
そんな事は言われなくとも解っている。今のマトモな装備すら出来ない自分が争いへ首を突っ込んだところで解決する問題ではない事くらい理解しているつもりだ。しかし、『理解できる』と『納得できる』は必ずしも等号で結ばれるワケではない。
前には床、背にはウルズ。片腕を取られて床へうつ伏せに組み伏せられた体制から何とか抜け出そうとする僕に彼女は苛立ちを露わにして「人の話しを聞け!」と、次いで背中へ触れた指先の感触は服越しではない直の物。たったそれだけで身体は萎縮し、一切の身動きが封じられてしまう。
そうして大人しくなった事を確認した彼女は背に触れている指を離すと固まったままの僕を抱え上げてベッドへ戻し、此方を見下ろしながら嘆息を吐いた。
「いいか。双眼鏡からは確認出来なかったとは思うが幸い、今、あの男の傍にはストレアが居る。だから少なくとも "今直ぐ" キリトが消される心配は限りなく零に近い……万が一キリトの身に危機が迫った時はストレアが身を挺してでも助ける――そういう、 "手筈" なのだ」
耳に飛び込んできた言葉に目を見開いて視線だけをウルズへ向け、尋ねる。
"裏切ったの――?"
"誰を" ・ "何を" を省いた問いに彼女は首を横へ振り否定を示した。
ならばどういう事なのか。次いだ質問に僅かな逡巡こそ見せはしたが拒まれる事はなく、ウルズはゆっくりと息を吐いて――。
「裏切り者は私ではない。裏切ったのはストレアだ……勿論、此方へ寝返ったという意味でな」
表情を曇らせたまま、彼女は続ける。
「元々アイツはオベイロン――と言ってもシャルテには分からぬか……なら仕方ない。少し長くなるが全部吐き出させてもらうぞ? 最初に聞きたいと願ったのは貴様だ……今更拒否権などくれてやると思うなよ」
紡いでいた言葉は半ばで一度途切れ、そこから捲くしたてるようにして話された内容に僕は短い肯定の言葉を返した。
が、元より拒否するつもりはない。恐らくこうしている間にも剣戟は続いているのだろう、しかし今の僕ではそれを確認する事すら不可能だ。ならば彼女が言った『手筈』を信じ、事態の把握へ努めた方がよっぽど賢明である。
そんな此方の反応に「そうか」と、息を吐いた彼女は視線を外してベッドの縁へと腰かけた。
「ストレアはな、役割こそ違うが私と同じで正規のプレイヤーとは呼べない存在なのだ」
ポツリ。
静かに吐き出された言葉の意味は直ぐに理解できた。
「正式な呼称は "MHCP―002(メンタルヘルスカウンセリングプログラム―ゼロゼロツー)" 。このアインクラッド内でプレイヤーたちの精神衛生を管理する為に生み出されたAI……それがストレアだ」
当初は幽閉された全プレイヤーの監視を行い、精神状態が危険域へ達した者が居ればそのデータを開発者たる茅原晶彦へ送信すると共に適切な対処を施すという役割を与えられていたらしい。しかし人間の抱える精神的不安というモノはそう単純に解決できる物ではなく、解決へ導く為のアプローチが多岐に渡りすぎる事から製品版のリリースに際し元来持ち得た権限は大幅に削られ、その役割も限られた範囲内での監視と報告に留められたという。
更にウルズの知るストレアとは大分ズレがあるらしく、以前はあれほど自由奔放な性格でもなければ容姿も若干だが違ったそうだ。
「それに、一言で『知ってる』といえど私がまだ生まれて間もない頃に多少面識があった程度で此方へ来て以降は一度も接触した事がなくてな。あのストレアが私の知る彼女だと確信できたのはアイツが私たちへ絡んでくるようになって以降の事だ」
仮にウルズの話しが全て真実なのだとするなら此方の世界へ来て以降初めて接触し、今のストレアと彼女が知るストレアと判明したのは僕がこの宿へ泊まるようになってから数日後。不満や苛立ちを募らせる僕を見かねたキリトが気分転換になれば、と街へ連れ出してくれた以降の出来事となる。
その旨を口にすると彼女は頷き、肯定を示した。
「信じてもらえるかは分からないが、その通りだ。あの日から何日かが経った後でストレアから話したい事があるとフィールドへ呼び出されてな……そこでアイツから "自分はウルズの知るストレアだ" と。少し前に私が口にした『手筈』についてもその時に聞かされたものだ。それと――」
淡々と続けるウルズの話しを纏めると、僕が双眼鏡で覗いた際にキリトと戦っていた男はオベイロンを名乗る者であり、ストレアが彼と協力関係にあった事は間違いない。だがそれはストレア本人としても従わざるをえない理由があったが故の行動だそうで。
「――ストレアはずっと見ていたのだ。デスゲームが始まってからずっと、与えられた役割を全うする為にプレイヤーたちを監視し続けていた……だが、ある日突然カーディナル側から得た情報を報告する権限までをも剥奪された」
自発的な対処は出来ず、実状の報告すらも許されない。ただ見ている事しか出来ないのではMHCPとしての仕事を失ったも同義である、と彼女は言う。
そして、その日々から助け出してくれた存在こそが件の男なのだと。
「報告を拒否するようになった時期は聞いた限りでは茅場がヒースクリフとして此処に現れた後の事だ。当然オベイロン自らが仕組んだ可能性を否定はできない、もしかすると意図したモノでなく偶発的だったのかもしれない……だが当時のストレアにとってそんな事は些事だった。過程がどうであれ、事実として彼女はオベイロンに救われたのだからな」
しかしオベイロンとストレアの間柄は決して好ましいモノではなく、悪い言い方をすれば主従関係に近い物だったそうだ。
「だからこそ、陽に焦がれたと」
其処まで聞いてようやくおおよその結末が予想できた。 "できてしまった" 。
そうして零れた言葉はウルズの耳へ届いてしまい、彼女は目を瞬かせる。理解してくれたのかと、期待に溢れた視線はこの汚らしい身体にはよく刺さるというのに。
「キミは、優しいんだねウルズ……そこまで簡単に他人を信じられるなんてさ。少しは疑う事を覚えて方が良いよ。そんな "ありふれた話し" 、僕が鵜呑みにするワケないって分かってるでしょ?」
「あぁ、分かっているさ。鵜呑みにし難いこんなありふれた話しだからこそ貴様は信じるという事 "も" 理解しているつもりだ」
らしくない含みと粘り気のある声でそう言ってのけた彼女はゆっくりと振り返り、普段と変わらぬ笑顔をつくるとわざとらしく首を傾げてみせた。
そんな笑みを見せられた此方としては、はっきりいって背筋が冷えるどころの話しではない。笑みを讃えたウルズは僕が苦手とするヒースクリフと会話した際と同等か、それ以上の嫌な目をしていたのだ。久しく味わっていなかった総毛立つ感覚に頬は引きつり、寝ながらにして後退る身体を見た彼女は更に笑みを深めて無言を貫く。
「はぁ――続き、早く話して」
昔の自分であれば恐らくこんな状態にあっても平静を装い、結果は変わらずとも意趣返しの一つや二つを添えられたのかもしれないが、生憎今の僕にそんな余裕はなかった。
* * *
ストレアとオベイロンの間柄は主従関係に近い物だったと彼女は言っていた。
だからこそ、一度知ってしまった陽だまりの存在は重く、離れがたいモノへ変わってしまったのだろう――大切な陽の根幹をなす存在を守る為に自分を助けてくれた恩人へ仇なす事となっても尚、そこに居たいと思えてしまうほどの場所に。キリトを守る為であれば命を賭しても構わないと思えるほどに。
だが聞かされたストレアとウルズの手筈というのは博打も博打、得られる結末は零か百の両極端で挙げ句失敗する可能性が圧倒的に濃く見えてしまうまったくもって当てにならない物だった。それは、その後にウルズから告げられた『打開策』についても変わらない。
"茅場晶彦は死んだワケではない" ――と、彼女は言った。
そしてオベイロンに捕らわれているであろう茅場晶彦を解放できたのならキリトが犠牲になる必要はないとも彼女は口にしていた。
まるで妙案を語るような彼女の態度が気に入らなくて、溜まっていた苛立ちを片腕以外無事に戻ってきたキリトへぶつけてしまったのは本当に申し訳ない事をしたと思っている。
しかしキリトもキリトだ。
ウルズから聞いていた通り、オベイロンからキリトへ提示した道は二つ。自らを犠牲に他のプレイヤーを助けるか・自分の命大事に他を巻き込むか――彼は想像していた通り後者の道を選んだ。
「ホント、どうしてこうも抱えたがりな奴ばっかり集まるかなぁ……類は共を呼ぶとかありがた迷惑も甚だしいんだけど」
知らぬフリを貫いて忘れたまま生きていけるのであればどれだけ楽な事か。
悪態を吐いたところで何が変わるワケでもなく、誰も居なくなった室内ではどれだけ悪態を吐いても文句を言う者など居る筈もない。
インベントリを一瞥した僕はベッド縁から立ち上がり、越える必要のある壁の有無を確認すべく扉から顔だけを覗かせる。
「うぇっ……やっぱり起きてたんだ」
「まあね。あの子が動くとしたらアンタの監視が緩むこの時間帯しかないでしょ」
ウルズが部屋を抜け出す前から声は聞こえずとも気配だけは在り続けた為もしやとは思っていたが、やはりと言うべきか、リビングには鎧を外した寝間着姿のリズベットがあった。
「安心しなさい。今のアンタが何をしようとしてるのかは想像つくし、それを止めるつもりもないから」
あっけらかんと、普段と変わらぬ言ってのけた彼女は呑気に欠伸を噛み殺す素振りさえ見せている事に呆気に取られたのも束の間。彼女に此方を止める意思がないのは好都合である。
しかし見逃してもらうだけでは足りないのだ。と口にするまでもなく、時間が無い旨を告げた僕から視線を外したリズベットは椅子の背もたれに身体を預けた体勢で "知ってる" と続け――。
"――独りの腕じゃ足りなくても二人なら届くかも知れないでしょ。だから、キリト(アイツ)の事は任せなさい。"
そう言ってくれた事が嬉しくて。
「リズベット――」
自然と紡げた言葉に面を食らう彼女の姿を一瞥し、僕は前へと歩を進める。
「ごめんね。ありがとう――キリトの事、任せたよ」
託したのならばもう振り返る必要もない。
遠くに感じるウルズの気配を見失ってしまわないよう、僕は急ぎ足で宿を後にした。
* * *
"どうして" ――背後から聞こえた声は困惑の色味を含んでいた。
「どうしても何もないよ。言ったでしょ……僕の限界は僕が決めるって。勝手に終わらせないでよ」
弱虫な僕が驚くのも無理はない。何せ雀の涙程度しかない勇気を振り絞って介錯をしようとした結果、まさか自分が仕留められるなんて夢にも思っていなかっただろう。
「此処から生きて帰る為にも後少しだけ、僕は立ち続けなきゃならないみたいだからさ……君は先で待ってなよ。どうせ直ぐに追いつくさ」
ドサリ。人の崩れる音がして、また一つ死骸の山が積み重なった。直に僕もこの山の一部と化すのだろう。実際、限界が近いというのは紛れもない事実なのだ。
しかし、まだやり残した事がある。二年間という長い期間、この世界で僕が僕で在り続ける事が出来たのは偏にキリトたちのおかげがあったから――だから、これは所詮『自己満足の恩返し』。
目の前に居る獲物は排除しなければならない敵である。容赦も、情けもこの期に至っては必要ない。
振り上げた黒い大鎌で狙うはただ一つ、『王』の首。
しかし凶刃は見えぬ壁に阻まれ、残念ながらその命を摘み取る事は叶わなかった。
(ちぇっ……仕留められなかったか。)
与えられた一度の権利を使い切ったのだ。であれば順番に従い大人しく退き下がるのがルールであり、身の為だ。
四人しか居ない中で在る筈のない五人目からの攻撃に振り返ったオベイロンは此方を認識するなり明確な動揺を示す。しかし、強張る身体も、怯えたような表情も、残念ながら僕へ向けられたモノではない。
「どうして、しっかりと "拘束" した筈なのに……何故アナタが此処に!? どうやって、そこの二人はいったい!」
「その問いに答える義理は無いよ――しかし、私が閉じ込められている間に随分と好き勝手をしてくれたようだね」
赤と白を基調とした鎧を纏った男は低い声で彼にそう告げる。不気味なほど普段通りの調子で紡ぐ言葉とは裏腹に、淡々とした様子の男からは隠しきれなくなった怒気が滲み出ていた。
男の反応は至極当然な事で、自ら築き上げた『理想郷』を部外者に荒らされたとなれば誰だって怒るだろうに。しかし全ては自業自得だ。恨むのであれば他者ではなく、偏に自らの浅慮を恨め。
「ウルズはストレアを、シャルテくんはキリトくんを安全な場所へ――彼は、私が引き受ける」
鬱憤が溜まっているのは何も僕一人だけではないのだ。むしろこの場において一番苛立ちを抱えているのは鎧を纏った男。ヒースクリフこと茅場晶彦の方だろう。
そうして下された彼の指示に僕とウルズは逆らう事なく、弾かれたように動き始める。言葉の雰囲気こそ優しげだが含まれる意味には優しさの欠片もない。
『 "巻き込まれて死にたくなければ離れていろ。" 』
――意訳をするのであればそんな所だろうか?
此方としては理不尽な流れ弾など頼まれたとしてもお断りだ。直ぐにキリトの下へ駆け寄り、大鎌を支えている右とは違い自由の利く左手で戸惑う彼の後ろ襟を捕らえると何の躊躇いも無く引きずり始める。
途中、キリトからオベイロンの不死耐性について報告されたが合流したウルズから「案ずるな」とシステムは既に茅場晶彦の手中にある事を告げられていた。次いで彼女が運んだストレアの容態を確認すると大事には至ってないそうで、安堵の息を零したキリトの頭に僕は素知らぬ顔で蹴りを入れる。
「いぃっ――!?」
「ふん……バーカ」
別に、変な感情が湧いて出たワケではない。断じてない。ただ何となく頬を緩めたキリトに苛立ったから蹴りを入れただけの事。
向けられた物言いたげな視線を無視して、僕はストレアを一瞥する。倒れていた彼女に刻まれていた大きな外傷が見えない辺り、恐らくバックアップデータを用いてリカバリーが成功したのだろう。
(なら、後はあっちが片付くのを見守るだけか。)
それが終われば最後の山が待っている。しかし、これに僕の出番はない。
静かにゆっくりと息を吐けば僕の身体は簡単に膝から崩れ落ちた。
「疲れた……ウルズ、もう僕の役目終わったよね。寝たい」
「まだだ。疲れたとは思うが我慢しろ」
そうは言われてもこの先の結末など火を見るよりも明らかだ。どうせオベイロンの剣はヒースクリフに届かない。そして、あるであろう仕切り直しの決闘でキリトが負ける事は有り得ない。根拠のない自信は嫌いだが、今はどこか確信めいたモノを感じられるのだ。
やがてオベイロンは討たれ、予想していた通り始まった決闘もキリトが勝利を納めた事で二年間にも渡るデスゲームは幕を降ろした。
――しかし、身を包む白光にログアウトしたのかと思えば全く見知らぬ場所に居て傍らには自らを茅場晶彦と名乗る白衣を着た青年の姿があった。
「驚かせてすまない。君がログアウトする前にどうしても話したい事があったんだ」
「何ですか……もう満身創痍なので横になりながらで良いなら構わないですけど」
不満を隠さず吐き出した言葉を青年は嫌な顔一つせず呑んでくれた為、此方も遠慮する事なく透明な床の上で仰向けになる。自分が望んだ行動とはいえ溜まる疲労が軽減される筈もない。積もり積もった精神的疲労は確実に身体を蝕み、今となってはただ立っているだけでも精一杯な有り様だ。
だらしなく横たわる此方の姿に申し訳なさそうな雰囲気を醸した彼もその場に脚を伸ばす形で腰を降ろす。
「君たちプレイヤーがアインクラッドでの生活を強いられてから約二年……外の者たちは一人の狂ったプログラマーが生み出し鉄の檻などと揶揄していてね。他にも言い方は様々だ」
―― "しかし、君の眼にはこの世界が映っていたのかな?"
問われた質問に気怠げな視線を向け目を閉じる事数秒。
"まあ、悪くはなかったよ――。"
返す答えに目を瞬かせ、僅かに表情を緩めた彼に対して僕は言葉を続ける。
「散々な目にあわなかったかと聞かれたら嘘になるし、ドロドロした黒い部分を見たり反吐がでるような事は腐る程あったけど、夢も希望も語るだけ無駄な現実世界よりはよっぽど眩しかった。それこそ、ずっと此処に居てもいいと思える位には」
現実世界において、力無き者は無力だ。どれだけ切に願おうと形無きモノだけでは現実という壁の前に等しく砕かれる。
しかし、この世界では形無きモノを力に出来たのだ。
「人の命を軽く見すぎているって批判する連中もいるかもしれないけど、そんなのどっちでも変わらない。外の世界でも自分が気づかないだけで毎日沢山の人間が死んでるんだ。それを今更、何を偉そうに……ってさ」
「ふっ……君も随分と穿った見方をするね。いや、この場合は捻くれたの方が正しいか」
「それが何か? 僕が人間として捻くれているなんて、それこそ今更でしょう」
呆れ半分、嘆息混じりの言葉に彼は眼を瞑る。
『そうか―― "眩しかった" 、か。』
零れた小さな声は何処か揺れているようにも思えて、僕は彼から目を逸らした。
見上げた空は青く、雲一つありはしない。
「茅場さん。この世界は、もう死ぬんですよね?」
「ああ……君たち全員のログアウトが完了した時点で、アインクラッドを含めたSAOという世界は完全に消滅する」
"なら、肉体を持たないウルズやストレアはどうなるのだろう――?"
彼女たちは明確に自らの意思を持っていた。
しかし、器たる肉体がない以上はこの世界と共に死にゆく運命(さだめ)なのかもしれない。仮にそうはならず外へ逃げ出せたとしてもほぼ間違いなく辛い現実が待っている。ならば今、此処でアインクラッドと共にデータの海へ沈んだ方が彼女たちにとっては幸せなのかも知れない――そう素直に割り切れる人間であれば、今頃こんな捻くれた存在にはなってなかっただろうに。
( "憎むなら好きなだけ憎めばいい――。" )
「あの……ウルズとストレアって、仮にまとめてパソコンに住ませるならどれくらいの容量を喰われるんですか」
そんな突然の問いかけに、外れていた茅場からの視線が急激に向きを変えて突き刺さる。
「あっ、いや、引き取り手があるなら別にいいんですけど……もしそうじゃないならこのまま死なれて夜毎枕元に立たれても迷惑ですし、心臓にも悪いですから」
我ながら何とまあ情けない嘘だ事で。刺さる視線が孕む色も『驚き』から一転して喜色を含んだモノへと変わり、穏やかな彼の声が飛ばされた。
「容量に関しては恐らく問題ない。でもまさか君からそう言ってくれるとは、正直驚いたよ……実のところストレアに関しては彼女の姉と共にキリト君が引き取ってくれる事になっていてね。ウルズは君に引き取ってもらえないか頼むつもりだったんだ」
「そう、ですか。ならついでに外部からつつかれないような工作諸々もお願いしますね。はっきり言って彼女たちの存在は周囲の人間や組織―― "特に国辺りにとって" は喉から手が出るほど欲しい『物』でしょうし、僕みたいな非力かつ無力なクソガキ一人足掻いたところで敵う相手じゃないのは目に見えてます」
彼の事だ。言わずとも事前に手はうってあると思いたいが『天才』とて人間である事に変わりはなく、万が一がないワケとは考え難い。故に念には念をと注文をしてみたのだが、返ってきた彼の言葉に僕の考えは杞憂に終わった。
曰わく――もし外の世界で茅場本人または彼が認めた相手以外が彼女たちに危害を加えようものなら例えオフライン状態であろうと茅場の下へ転送されるようになっているらしい。
「現実の私は先ほどの戦いで事切れているだろうが、私の意思はこうして生きている。もし彼女を理不尽に奪われ此方へ転送されてきた時は私が責任をもって君の下に送ろう」
ならば問題はないと僕は無言の首肯で話しを打ち切った。色々と気になる単語が飛び交っているもそこまで言及できる体力も、気力も、残されてはいないのだ。
「用はそれだけ?」
「ああ。念の為、ウルズに関しては君がログアウトした後で私が信をおく数少ない人物に直接届けさせるよ。じゃあ――」
笑みを湛えた茅場が光に包まれて姿を眩ます間際、転送音と被せる形で告げた言葉に僕は反射的に飛び起きた。
今この男は何と言ったのか。入れ違う形で現れた新たな気配に意識せずとも身体が跳ねる。
『言い忘れていたが、私以外にもシャルテ君に会いたがっている者が居てね。たった今此方へ転送した、ログアウトまでの時間は限られているが存分に語らうといい。』
どうやらあの男、最後の最後にとんでもない爆弾を置いていったようだ。
背後から近寄る気配に嘘だと思いたくとも聞き慣れた足音がそれを否定する。お前の予想は正しいと、現実を突きつけてくる。
次第に近づく足音は直ぐ後ろで止まると一拍の間を置いた後に無言で手を回された。
「う゛ぅっ……ちょっと、離れて」
――すまん、嫌だ。
聞き慣れた黒の声に僕にはもう時間切れまで逃げ場はないのだと悟る他に道がなくて。
「あぁ、そう……じゃあくっついたままでいいよもう。それより用件はぁっぅ!? ちょっ、脇腹つつかないで!」
――何故か言葉の途中で脇腹を触られた。
背後から腕を縛るようにキツく抱きつかれた現状では抵抗する事もままならず耳元で吹き出されたせいで更に上擦った声を上げてしまい、腹立たしさから笑い声のする方へ頭を振れば小さな悲鳴がして笑い声は止み、「ごめん」と彼が口を開く。
「シャルテ……その、だな。今から言う事は変な意味ではなくて、本当に変な意味じゃないから純粋な意味で捉えてほしいんだが」
(いや、人間そこまで念押しされると僕じゃなくても邪推したくなると思うんだけど。)
何を言いたいのかはまるで分からないがたどたどしくも前置きに前置きを重ねる辺り、よっぽど切り出しにくい話しなのだろう。しかし具体的な数字までは知らないがログアウトまでの時間は短いとの事だ、早く話して離してもらわねば困る。
なので "今更何を聞かれても怒りはしない" 旨を伝えると、意を決したのか彼は遠回りしながらも少しずつ話してくれた。
消えたと思っていたアスナが無事だった事――。
ストレアを引き取った事――。
思えばこの二年間、アスナと並んで一番長い時間一緒にパーティを組んでいたかもしれないという事――。
ずっと、僕について "解って気でいた" という事――
「それで、その、マナー違反だとは分かってたんだがクラインとかリズベットとは別れ際にリアルでもまた会おうって、本名を明かしたりしたんだ。だから、シャルテとも会えたらって……思って」
要は『もっと知りたい』・『友達でいたい』という事なのだろうか。素直に尋ねると肯定され、彼が言い淀んでいた事にも合点がいった。
今まで僕が自らキリトたちへリアルに関する話題をした事は殆どといって言いほどなく、むしろその手の話題をふられても大半は露骨に流してきたのだ。理由は単純に知られたくないからで、要は僕が臆病なだけ。
(どうせ、本当に会いに来てくれる保証なんてないし……今まで散々ワガママに突き合わせちゃった礼としてなら、良いよね?)
くだらない期待だと思った。
好き勝手にワガママを振りまいて望んで周囲を遠ざけても結局最後はこれか。そうやって匙を投げたのはもう何度目だろう。
いざ現実と向き合った時、苦しむのは間違いなく僕自身の方だというのに。
(ホント、嫌になる。)
都合の良いときだけ縋ろうとする自分が、堪らなく、憎く思えてしまうのです――。
「本名は、名前が嫌いだから教えたくない……でも――!」
きっと、今僕は顔を真っ赤にしている事だろう。現に熱をもっている感覚があるのだから間違いない。好きな異性に告白する思春期の子どもじゃあるまいしと笑われるかも知れないが、僕にとってコレはずっと勇気がいる事なのだ。
「本当に、どうしても知りたいなら……××病院にいる鳥井って医者に、自分がSAOプレイヤーって事と白髪混じりの生意気な子に会いに来たって伝えて。そうすれば、名前くらいは知れるから」
『会いに来て』――そのたった五文字が言えなくて、結局最後まで僕は僕のまま。
それでも光に包まれて身体が透けていく途中で聞こえた声は、きっと聞き間違いなんかじゃない。
ホントに彼は優しさが過ぎる。此方の気も知らず、最後の最後で此処まで耐え続けた残り一つの柱を容赦なく叩き割っていったのだから。
「人がせっかく頑張ってるのにさ……ズルいよ、そんなの」
『 "絶対、会いに行くからな。" 』
歪む視界の中、身体を包む光はやがて眩むような閃光となって――。
鉄の城は、その生涯を終えたのでした。
* * *
『大樹――。』
眩む光に目を閉ざし、恐らくは現実へ戻って一番最初に聞いた言葉がよりにもよって大嫌いな自分の名前とは何の嫌がらせだろうか。
オマケに頭なんて撫でてくるものだからくすぐったくて仕方がない。
嘆息一つ、僕は重たい瞼をこじ開ける。
「その名前……で、呼ぶなっていった……よね」
それは想像していたよりも遥かに小さな声で――でも、彼にはちゃんと届いていた。
突然の事でさぞ驚いた事だろう。目を見開いて彼が固まる事たっぷり数十秒、もしかしてショック死したのではないだろうかと心配にし始めた頃になって彼はようやく我にかえり、何をとちくるったのか抱きしめられた。
「大樹……お前、心配したんだぞ!」
「ちょっ……と、痛いし恥ずかしいから。触ってる、肌触ってるから」
幾ら慣れた鳥井相手とはいえ突然抱きしめられては此方も驚いてしまう。オマケにこの二年間離れていた温もりだ、心拍数は当然の如く跳ね上がる。
鳴り響く心電図のアラートに鳥井が慌てふためき、そんな彼を見ていれば『戻ってきたのだと』改めて実感が湧く。
「ただいま……だね、鳥井さん」
「あぁ……ああ! おかえり、大樹!」
だからその名前で呼ぶなと何回言えば彼は理解するのだろうか。
二年ぶりのテンプレートなやり取りはどこか新鮮で、柄にもなく、頬を濡らした。
はじめましての方もそうではない方も、改めてご挨拶させていただきます。はじめまして、モコモコ毛玉という者です。
今回はHFの短編、ひいてはver.アインクラッドを読んでいただけた事、誠にありがとうございます。
このエピローグを持ちまして当短編は一応形式的には完結となりますが、後一話だけ。シャルテ・フィリア・リズベット・キリト・シャルテときて最後にもう一人の視点で描きたい話しが残っています。そちらが完成し、投稿を終えた時がこのアインクラッド編全体での完結となる予定です。
シャルテという人物はお世辞でも好き嫌いがハッキリ別れる存在だと思っています。
それでも彼が何を思い、願い、アインクラッドという鉄の城で二年という歳月を駆け抜けたのか。少しでも考えていただけたのであれば幸いです。
最後に、此所まで読んでいただいた読者の皆様、並びにチェックに協力していただいた友人へ。本当にありがとうございました!
残すは一話。どうか、もう少しだけお付き合いください。
(※感想・批評・評価などいただける嬉しいです。)