ソードアート・オンラインIF ver.アインクラッド   作:モコモコ毛玉

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第一話

 

 最近、メディアで話題になっているオンラインゲームがあった。

 

 『ソードアート・オンライン』。

 

 略してSAOと呼ばれるそれはナーヴギアという最新鋭の機器を使ったフルダイブ――要するにナーヴギアで脳の電気信号を読み取り、出力先にある世界にいるような感覚でプレイをできる、ややオーバーな言い方をすれば生きている人間をそのまま仮想空間の中に取り込むとも呼べるだろう形式――で遊ぶ事ができるオンラインゲームだった。

 正規版よりも前に抽選でリリースされたβ版(端的に言えばテストプレイ)よりも以前から既に人気を集めており、β版当時の抽選枠は一〇〇〇人。対して応募数はその百倍である一〇万をも超える争奪戦。更に正式版の初期出荷数は累計一万本、それら一万本の内β版プレイヤーには優先的に購入する権利が与えられたのだ。つまり当選から弾かれたβ版希望者を含めて後(あと)から興味を持ち、購入を決めた一般人によって残る九〇〇〇個の争奪戦が始まる事は誰がどう見ても明らかだった。

 

 ――はぁ。

 

 短く息をついて『話題のSAO、いよいよ発売まで一週間!』、そうデカデカとかかれた某有名なまとめサイトを僕は眺めていた。何故なら、かくいう僕も後になって興味を持った一般人の一人――と言っても "購入に関してはある程度諦めはついている" 。客観的に考えればわかる事だろう、倍率にして百人に一人も当たらない。一体何日前から人が並ぶのかさえ想像もつかないのだ。

 

 もっとも、問題はそれ以前――僕が争奪戦に参加ができない事にある訳だが。

 

「おーい××。回診に来たぞ……って、いや、そんなに睨まないでくれよ」

 

「鳥井さん、その名前で呼ばれるの、僕が嫌なのを知ってるよね?」

 

「それはわかってる。わかってるけどな……だからって名字で呼んでも睨むんだろ?」

 

「よくわかってるね。何、以心伝心?」

 

「この前やられたばかりだからな。このやりとりだって通算にして三桁越えてるんだ、嫌でもわかるさ」

 

 部屋にやってきた僕の担当医でもある鳥井(とりい)はそう言って苦笑いを浮かべた後、僕が横になっているベッドの隣に置いた椅子へと腰をおろした。

 彼は、礼儀正しく患者への対応も優しければ顔もそこそこ整っている。天が二物まで与えた様な人物だ。此処(ここ)は彼が務める病院の隅も隅にある病室。周りに患者が入っている病室はなく、病院の中でも明らかに浮いた場所にあり数年前から僕の専用部屋となり果てている。

 そして、鳥井と僕は数年来の付き合いだったりする。

 

「『目は口程に物を言う』、分かりやすかったでしょ?」

 

「わかりやすいが口で言え、口で。……で、パソコンで何を見てたんだ? まさかあれか、ちょっとアレな動画でも見てたか」

 

 僕は「ちょっとアレなのは鳥井さんの頭何じゃないの?」なんて軽口を叩いて、移動式のテーブルに乗っているノートパソコンを回転させ、鳥井の視界へと収める。先程と変わらず、液晶にはデカデカとSAO発売までの残り期間を告げる文字が移っていた。

 

「ああ、これか……。同僚の間でもよくよく話題にあがってるんだ。『ゲームの新天地!』とか『夢が現実になった!』とか。でもまあ、倍率が倍率だけに皆諦めてるみたいだけどな……」

 

「まあね……百人に一人も当たらないとなれば皆よってたかって何日も前から並ぶだろうし、どっちにしろ病院に勤務してるならそんなに長い期間の休みは簡単には取れないでしょ」

 

 病院には二十四時間体制で状態に気をつけないといけない患者だっている。医者や看護婦・看護士が新作ゲームをやりたいが為に休みをくださいなどと言えば最悪、永遠のお休み――つまりはクビにされたって不思議じゃない。

 人命とゲーム、天秤にかけるまでもないのだから。

 

「ああ。だから今回は「次の販売に希望を持とう。やるときは皆一緒に」って約束したんだ」

 

「へぇ、そうなんだ。鳥井さんってみかけによらずインドア派でゲーム好きだもんね」

 

 天に二物も与えられた様な男にも場合によっては欠点となる事があった。それがゲーム、ひいては所謂二次元と呼ばれる類の物が大好きという事。家には無数のフィギュアが陳列され、抱き枕、シーツ等、薔薇から百合までジャンルなど関係なしに全てをカバーしている節操のなさだ。

 

「まだ何個かクリアできてないゲームが積まれてるからそっちを先に片付けなきゃいけないからな、すぐに手を出す訳にはいかないだろ。今日からしばらく休みが入ってるからダメ元で並べなくもないんだけどな……約束した手前、抜け駆けするのは申し訳ないし」

 

「ふーん……休み、ね」

 

 『休み』・『並べなくもない』。この二つの言葉を聴いた時、話しの前半などまるで無視して僕は口に綺麗な弧を描かせた。滅多に浮かべないそんな笑みに鳥井の頬が引きつる。

 

「――ねえ鳥井さん、僕もやりたいんだけど……お金は用意するから変わりに並んで買ってきてくれない?」

 

 僕の言葉に、鳥井のそう来たかと言いたげな目線が飛んできた。それでも真っ正面からつっぱねようとはせず、鳥井は溜め息の後に口を開く。

 

「理由を聞いてもいいか?」

 

「感覚を忘れたくないから。 "走った" ・ "物を掴んだ" とか……それだけじゃない、このままだといつか辛うじて残っていた感覚まで見失いそうだから――僕だって、たまには夢を見てみたい」

 

 そんな言葉に鳥井は黙って僕の頭を撫でた。その度に肩まで伸びた僕の長い髪は気ままに揺れる。彼の表情にも陰りがさし、部屋全体の気温が数度下がった様にも思えた。

 

「いや、しんみりして欲しかった訳じゃないんだけど……まだ仕事残ってるんでしょ? そんな顔してたら患者さんが心配になる。笑顔が一番だよ」

 

僕の苦笑いに、小さく「すまん」と返事が帰ってきた。謝る事でもないのにどうして謝るのかなんて聞かない、鳥井が優しいのは昔から。僕と初めて会った時から全く変わらない。

 

「同情するなら買ってきて?」

 だから僕も、変わらない態度で返す。曖昧に、儚げに、首を傾げて笑顔を作る。

 

「……仕方ない。可愛げない患者さんからの珍しく可愛い頼み事だ。並ぶだけ並んでやるけど、期待はするなよ?」

 

「それでもいいよ、ありがとう。……今日から並んでも間に合うかわからないけど、頑張って。体調崩して風邪を引かない様に、ね?」

 

「あのなぁ、俺だって医者なんだ。それくらいわかってるさ。これだけ話せてるし、みた感じ体調の方は今の所大丈夫みたいだな。俺は他の患者さんを見てくるから何か身体に異変があれば叫ぶなりナースコールを押してくれ」

 

 そう言って部屋から出て行く鳥井の背に、僕は小さく手をふった。静かに閉められる扉、再び誰もいなくなった病室に僕の溜め息がヤケに響いた気がした。

 先程見た鳥井の暗い顔を記憶から消すためにノートパソコンで閲覧途中だったサイトの記事を見ようと思い、パソコンの向きを直そうとして――それができなかった。

 

 ――パスッ。

 

 そんな寂しい音がした。

 音源を目で辿るとパソコンまで後少しという所まで伸ばされていた自分の手は、力なくベッドに落ちている。

 

「『また』、か……イヤになっちゃうよホント」

 

 自分の手に悪態をつきながらも上体を完全に起こして、顎や首を使って無理矢理パソコンの向きを戻す。そして『こういう時の為に』と昔、鳥井がベッドサイドに取り付けていった円形のホルダーに入っているエル字型をした太い棒の短い方を口に咥え、長い方の先端でマウスのホイールを回しスクロール、左側を叩く事でクリックする。

 

 今の様に、ある日何の予兆もなく突然四肢が動かなくなる――それは僕が抱えている病気の症状の一端であり、特徴でもあった。

 

 病名『The Moody Illness《ムーディーイルネス》』。別称として『気分屋の病気』などと呼ばれているこの病(やまい)は症例も少なく、治療法も確立されていない所謂(いわゆる)不治の病の一種。

 現在唯一はっきりとしている事は『この病気が直接的死因になる事はない』とされている事だ。というのも、今までこの病によって亡くなった患者の死因は全て『症状に耐えきれずに自殺・安楽死』とされているからである。これにはもう一つの特徴も絡んでいて、それは症状が多岐にわたる事だ。

 

 慢性的なホルモンバランスの欠如・四肢麻痺・失明・失声・激痛・昏睡等、他にも各臓器に関する病気まで発病させ、そのいずれも患者の命を奪う事はなく、発症期間もバラバラであるが必ず症状は収まり完治する。それがこの病気の一番恐ろしい所とされていた。

 

  "死にはしないが『病状の悪化につれ、それ相応の苦痛を伴う』という半殺しにされ、完治したと思った矢先にまた半殺しにされて再び完治するが延々と繰り返される。"

 

 そして『気分屋の病気』という別称に違わずその発症期間も、重症具合も、果ては悪化する、好転するといった事にまで統一性がまるで無い。『その日の病気の気分次第で病状が二転三転する』様は正(まさ)に気分屋そのものだった。

 やがて振り回される患者は付き合いなくなった時、自ら死を選ぶ。質の悪さまでお墨付き。

 僕が発病したのは小学校三年生。それからこの病気とは約八年の付き合いだ。内、入院生活も七年目となればお見舞いに来る人間なんて誰一人としていない。

 だから "今では病室が僕の部屋であり、家だった。"

 

 ――カチッ、カチッ……カタッ。

 

「うぁ……キツい。顎(あご)疲れた」

 

 棒を噛む顎が限界を迎える前に某有名動画サイトへとページを切り替えて、僕はそれをただジッと眺めていた。

 

 ――そんな生活をする事一週間。僕の病室に笑顔を振りまく鳥井が訪れた――その両手に、大きな紙袋を抱えて。

 

「よっ、元気にしてたか××!」

 

「――!?」

 

 鳥井の言葉よりも僕の意識は彼の手にある紙袋に向いていた。まさか、もしや、本当に? 頭の中を期待が駆け抜けていく。無意識に思い切り目を見開いた僕の顔を見た鳥井は一瞬、噴き出しそうになっていた。

 

「そんなに目を見開かなくてもいいだろ、で、ほら、頼まれた通りにちゃんと買ってきたぞ? また手足が動かないんだろ。今被せてやるからジッとしてろよ」

 

 こういう時だけは名前を呼ばれようと素直にジッとする僕へと鳥井が近づき、箱から取り出したナーヴギアを被せた。

 ナーヴギアから伸びるコードはベッド脇にあった僕のデスクトップパソコンへとつながれ電源がつけられる。

 

「あっ……鳥井さん。もう一つ、我が儘。しばらくはログアウトしないつもり、何か異常を感じたら自分からログアウトするから……身体の世話、頼んでもいいかな」

 

「おう、任せておけ。お前の世話は俺の仕事でもあるが習慣にもなってるんだ。……ただ、発作だ何だに気づくのが遅れるかもしれない、そこは許してくれ」

 

「うん……大丈夫」

 

 妙な間のあいた返事に鳥井が「どうかしたのか?」と聞いてきたが僕は何も言えず、首を横にふった。

 

  "ありがとう――" ようやく絞り出した僕の声は情けない、か細い物。

 

「……外の世界、目一杯楽しんでこいよ」

 

 僕の考えていた事を察してか、聞こえてきた鳥井の言葉に僕は背を押されて一度深呼吸した後にナーヴギアの起動キーとなるワードを口にした。

 

「――リンク、スタート」

 

 * * *

 

 第一層にあるタウンの一つ、《はじまりの街》。この世界にログインしたプレイヤーが一番最初に訪れる場所であり、僕がログインした頃には既に沢山の人で賑わいを見せていた。

 パッと見た感じアバターの男女比は女性の方が多いが、理由がどうであれ別段不自然な事ではないだろう。

 

 そんな比較的華やかな周囲に比べれば、僕のアバターは意図的にそうしたという事もあり地味だった。

 髪は黒い短髪で服装は悪目立ちしない様にと可能性な限り地味な物を選んだ。容姿はちゃんと周りからも男に見える様に弄り、それでも何かアクセントが欲しいとアクセサリーに首をグルグル巻きにして口も隠せるマフラーを選んだり、名前を決める時には色々とハイになっていた事もあり『Scharte(シャルテ)』と、とある単語を人物名らしく勝手に弄った物にした。

 

 ただ、こうして想像以上の現実味のある街の様子に感激して気分が高まったのも束の間で、僕は多い人だかりに直ぐ酔ってしまい人目を避けながらフィールドに出る。そこでまず先んじて行(おこな)ったのは "僕が走り方を忘れていないか" という確認だった――。

 

「痛い……」

 

 結果は案の定と言うべきかどうか、走れるには走れたが一メートルも行かずつま先を地面に引っ掛けて盛大に転んだ。SAOが赤面まで表現できるのなら多分僕の顔は羞恥でそうなっているだろう、だからこそあまり人がいないフィールドを選んだ。

 しかしまあ、人がいないというワケではない。

 

「そこのキミ、大丈夫か――?」

 

 当然、見ている人がいてもなんらおかしくはなかった。

 

 顔を上げた僕に対して正面からかけられた声にしばらくの間何も考える事ができなかった。しかし、あれを見られたなら初心者以上のド素人と見て狩りをする人がいる可能性がないワケではない、そう硬直の解けた頭で考え『今の見たな?』と威嚇の意味も込めて少しだけ警戒を濃くすると、声をかけてきたバンダナ男が直ぐに誤解だと説明してきた。

 

 『自分も初心者である事』・『隣にいるイケメンの彼からレクチャーを受けていたという事』・『盛大に転んでいる姿を見て放っておけなかったから声をかけた』と言われ、バンダナ男の様子に嘘がないと判断した。

 が、ここ数年の間は鳥井以外の人間と話した記憶もなければ僕は元より対人もコミュニケーションを取ることも苦手で、悪い人ではなさそうとわかっても何と返して良いのかもわからずに相手の方をジッと見たまま頭の中では『どうしよう』と泡をくっていると、バンダナ男の隣にいたイケメンが転んだままの僕に目線を合わせてから「初心者か?」と、そうなら頷くように言われて頭を縦にふる。

 

 それから幾つか質問に受け答えした末に、僕は二人にゲームのチュートリアル以前。走り方・走ってる途中からのジャンプの仕方など全く別方面の基礎を教えてもらい、ある程度動きができて来た事でようやくゲームの基礎であるメニュー操作などから戦闘の仕方を教えてもらっていると、気がつけばレベルは二に上がっていた。

 

「おっ、シャルテもレベルが上がったみたいだな。初レベルアップおめでとう!」

 

「なかなか良い動きをするな……。レベルアップおめでとう、シャルテ」

 

 そう言ってわざわざ拍手までしてくれる二人に僕もサムズアップで答える。

 恐らくはアバター越しという事が大きいのだろう、既に日も暮れ始めて彼等と一緒にいた数時間の間に僕は言葉を交わさずともジェスチャーで反応を返せる位には、この二人に慣れはじめていた。

 

「なんて言うか、すげぇよな……自分で実際に身体を動かしてゲームの中でこうして冒険ができる日が来るなんてよ」

 

「クラインは、フルダイブ型のゲームを遊ぶのはこれが初めてだったのか?」

 

「ああ。フルダイブも初めてだし、このゲームの為にナーヴギアも買ったからな。初回一万ロットの物を買えるとも思ってなかった――正直、近所にある店が一週間位前になるまで並ぶのを禁止してたから何とか買えたんだよ」

 

 確かに1ヶ月位前から並ばれては店からすれば邪魔である。バンダナ男とイケメン――クラインとキリトの会話に耳を傾けていれば、キリトがβ版での話しをし終えた後に『それにしても』と言葉を続けた。

 

  "まさか走り方を教える事になるとは思わなかった――"

 

 微笑みながらそんな事を言うキリトに恨みがましい視線を送ると彼は苦笑いを浮かべ「それでも筋は良いと思う」だなんて、気づかいなのか本心なのか。

 

「さてと、もう少し狩りに行くか?」

 

 それに僕は片手を上げて答えたが、クラインは行きたい所なんだがと自分のお腹に手を当てた。少し遅れて続いてきたのは空腹を知らせるサイン。

 

「腹へっちまってよ……そろそろ頼んでおいたピザも届く頃なんだ。一応飯(めし)の後にはまたログインするつもりではいる」

 

「そうか……」

 

 クラインの言葉に少しだけ寂しそうな顔をしたキリトにクラインの方から『自分の仲間も一緒にこのゲームをしているから、その仲間ともフレンド登録をしないか?』と誘うも、彼は戸惑いを見せるだけだった。

 

「ああ、いや……無理強いはしない。これからやっていけばアイツらとも会う期間があるだろうからな」

 

「……すまない」

 

 湿っぽくなった空気をクラインが笑い飛ばし、別れの挨拶をしてログアウトする――はずが、何度も宙に手を彷徨わせていた。それを疑問に思い自分もメニューを開くと、納得がいった。

 

  "ログアウトボタンがない"

 嘘も捻りもなく、言葉通りに。操作を確認した時にはあったはずのボタンがメニューから消えていたのだ。

 

「キリト、お前のメニューにはログアウトボタンがあるか?」

 

「はぁっ? そんなのあるに決まって――」

 

 クラインに言われてキリトも確かめる。言葉が途中で切れたのは違和感に気がついたからだろう。その後も何度が手を動かしていたが、やがて諦めたのか表情を曇らせ首を横にふった。

「バグ、なのか?」

 

「いや……こんな致命的な不具合が出たならGM(ゲームマスター)から直ぐに連絡がないのはおかしい。それと、さっきGMコールも試してみたがダメだった」

 

 ダメだったとはどういう事なのか、キリトの顔を見ていると気がついた彼が説明してくれた。

 

 GMコールをした場合、自分がコールした時点で何件のGMコールが寄せられているかが一応の待ち時間の目安として表示されるらしく、たった今キリトが試した所その数字はゼロだったらしい。それなのに返事がないという事は対応を放棄していると取られるも同意であるという。それは運営のイメージダウンにも繋がる。

 

 クラインもキリトの言葉に戸惑いを見せており、彼は彼で何かを考える様な素振りを見せるなか、僕はこの事態を受けとめていた。元よりしばらくログアウトするつもりはなかったのだから。

 そんな最中(さなか)、突然鐘の音がしたと思えばアバターの周囲が光だした。それは他の二人も同じようで、目も眩む様な強い光に目を閉じる。しばしの浮遊感の後で地に足がついた事を感じてから目を開くと、そこは最初にいた、はじまりの街。その広場だった。

 しかし最初に見た景色とは違い、夕焼けの鮮やかな空は赤く染まりシステムアナウンスを告げる警告で覆われている。そして一際大きな転送音がしたかと思えば、中身のない赤ローブが宙に浮いていた。

 

「諸君、ようこそ私が創り上げた理想郷(このせかい)へ――」

 

 ――それは男の声だった。

 

「『茅場晶彦(かやば あきひこ)』、それが私の名前だ。そして諸君らがログアウトできないのはこのゲーム本来の "仕様" という事を理解してもらいたい」

 

 突然の告白に周囲がざわめいた。僅かな喧騒の後から様々な罵詈雑言(ばりぞうげん)が飛んでも尚、変わらない態度で自らを茅場と名乗った男の言葉は続いていく。

 

「今、この時をもって、この世界は君たちにとってもう一つの現実となった。ここにおける体力はプレイヤーの命その物――体力がゼロになった場合、そのプレイヤーのナーヴギアから脳に高周波のマイクロウェーブが照射され、死に至る。他にも無理矢理ナーヴギアを外そうとした場合、一定時間電源が遮断されるなどしてナーヴギアの機能が停止した場合も同様の処置が施される」

 

 言葉に続きローブの両手が上に広げられると、宙には幾つかの報道番組が投影された。そのどれもに今この場の映像が生中継されており、キャスターやアナウンサーの慌てている様までもがはっきりと映されている。

 

 『 "――これは、ゲームであって遊びじゃない" 。』

 

 動揺するプレイヤーを宥める様な声色で茅場はそう言った。

 

「この世界から抜け出す方法はただ一つ。百層ある浮遊城、アインクラッドの踏破だ――そして、インベントリを見て欲しい。私からの餞別(せんべつ)が入っている」

 

 餞別とは何なのか、プレイヤーが一斉に腕を動かす姿はある意味で滑稽(こっけい)とも言えるだろう。

 僕もメニューを呼んで自分のインベントリを確認すると《手鏡》という名前のアイテムが入っていた。それを選択し、使うという項目を押すと自分の手に本物そっくりな手鏡が現れた。

 これは手鏡で何かを見ろという意味なのだろうか? 物試しにと自分の顔を写して、そこにある現実を思わず二度見する。

 黒かった短髪は肩よりも少し長い長髪となり、その殆どが白髪に変わっていた。健康的を目指して作った肌も病的に白くなって、男らしさを残していた顔立ちは何処(どこ)か遠い向こうに消えていた。もしやと思って全身を見ると中にきている服は初期に設定した物だったが、体感では身長も縮んでいて現実と同等の物になっている。

 先ほどから上がる悲鳴はどうやら女性アバターを使っていた男性プレイヤーのモノだと、声から察する事ができた。

 

「では、頑張ってくれ――諸君等(ら)の健闘を祈っている」

 

 茅場を名乗った赤ローブはそう言い残して姿を消した。赤かった空も鮮やかな夕焼けを取り戻している。

 

 それはともかく、この格好を隠そうと取りあえずマフラーを軽く引っ張って口元を覆うと少しばかり波立っていた心が落ち着いた。

 

「なあ、そのバンダナ。お前……もしかしてクラインか?」

 

「あ、ああ。……って、俺の名前を知っていてその格好……もしかしてキリトか!?」

 

 両サイドから聞き覚えのある声がした。一歩下がって二人を見れば、長かった髪は全体的に短く、うなじの辺りは刈り上げられているがバンダナを巻く姿にはクラインの面影が残っていた。一方でキリトの方もやや背は縮み顔立ちは幼く少年らしい物に変わっていたが、彼の作っていたアバターの少年期と言えば通じそうな程度には面影があった。

 

 二人は互いに顔を見合わせた後、ナーヴギアに脳の破壊が可能なのかなどを話しあっていた。キリトが言うにはナーヴギアを構成しているバッテリーはかなり容量があり、原理だけで言えば可能らしい。その話しを聞いて、僕は考えを切り替える――少しでもその可能性があるなら、現実と変わらないならこんな子どもっぽい感情は邪魔にしかならない。

 切り替えを終えた僕の目の前では一緒に先へ行かないかとキリトがクラインを誘っていた。それをクラインは一緒にやるって約束した仲間がいるはずだからと断り、思い出してかの様に視線を彷徨(はまよ)わせ始める

 

「んっ? どうしたんだ、クライン」

 

「いや……俺の隣にキリトがいたって事は転送直前の状態でここに飛ばされたんじゃないかと思ってよ。それなら近くにシャルテがいるんじゃねぇか?」

 

「たしかに、そうだな。でもアイツのアバターで特徴って言ったらマフラー位しか……」

 

 左右を見ていたキリトが不意にその動きを止めてゆっくりと下に視線を下ろす。そして僕と目をあわせると再び周りを確認して僕の方を見る。

 

「もしかして、シャルテか?」

 

 それに首を縦にふると隣で聞いていたクラインまで信じられないという感じに驚いていたが、直ぐに持ち直して一緒に来るかを聞かれて、僕は首を横にふった。

 執拗に誘われる事もなく「気をつけてな」と彼は街の人だかりに消えていく。

 

「シャルテは、これからどうするつもりなんだ? クラインの誘いを断ったって事はソロか、先に進みたいって事……なんだよな?」

 

 言ってしまえば策なんかなかった。それでも、立ち聞きしていたキリトの話しを考えると止まってもいられない。結局は前に進むしかないのだ。だからこそ、彼の言葉に頷いて僕は少し前まで狩りをしていた街の外を指さした。

 それを見てキリトは少しだけ迷いを見せてから "嫌なら断っても良い" と前置きを置いてから言葉を紡ぐ。

 

「さっきの話しが聞こえてたなら知ってると思うが、俺は少し前に三人で狩りをしていた場所の先にある村に行くつもりだ。今から行けばまだ日が暮れる前にはたどり着けると思う――だから、そこまでシャルテも一緒に行かないか?」

 

「――いいの?」

 

 非常事態ならば仕方ないと割り切って僕は一言だけ小さな声を捻りだす。僕が声を発した事にキリトは瞬(まばた)きを繰り返したが、直ぐに "良い" と言葉が返ってきた。

 

「じゃあ、キリトについてく……後、時間があって嫌じゃないなら……スキルについても知りたい」

 

「大丈夫だ。今から目的の村まで最短ルートで向かって、そこで話す」

 

「ん。ありがとう」

 

 ぎこちない僕はキリトの案内を受けてポーションと呼ばれるアイテムを五つだけ買い、真っ先に街を抜け出した直ぐ先で僕と二、三言交わした後に彼は片手剣――正式な分類は片手用直剣――を手に駆け出した。

 

 * * *

 

 幸いにも猪型のエネミー――《フレンジーボア》は集団で現れる事もなく、目の前に立ちふさがる敵をキリトは全てソードスキルを使い一撃で仕留めていた。硬直を考えて手際良く敵は葬られていき僕が通るのは彼が切り開いた一本道。寄生と言われても仕方ないのではと自分でも思うが、これはキリトからの指示でもあった。

 そうして余り時間をかけず目的の村である《ホルンカの村》に到着できたが、予想よりも早くついたにも関わらず空は少しだけ暗みを増している――冬場は日が暮れるのが速い。五時を過ぎればそうなるのは当然で、道中の敵を全てキリトが倒していたのもこれを見越して『敵との無駄なエンカウントを避ける為』である。

 日が沈んでしまうと現れるモンスターも変わってしまい視界までもが悪くなるため危険度は跳ね上がる――そうなる前にこなしておきたいクエストがあると、僕は《はじまりの街》を出た直後に彼から説明を受けていた。

 

 村の入り口から少し奥に入った所にある建物の近くでキリトは歩みを止めて、その壁に背を預けて地面に座り込むと顔を上げて僕の方を見る。

 

「シャルテが聞きたかったスキルの説明っていうのは、どれが有用か……って事か?」

 

「それもある。でも、ソロの時に、あると良いスキルとかも知りたかった。……キリト、ソロプレイに詳しそうだから」

 

 同じ穴の狢とは言えないが彼の反応や態度から会話その物を忌避(きひ)しているとは思えない、僕の目にはキリトがコミュニケーション自体が苦手というより、その間にあるやり取りで戸惑っている様に映っていた。

 

「詳しそうか……間違ってはない、な。一応だがソロでやる場合とって置いた方が良いスキルは確かにある、それを教えるのも、俺はかまわないと思ってる。……でも、ソロは止めた方が良い。初心者なら特にだ」

 

「それって、キリトにはβ版の知識や経験がある……でも僕にはそれがない。走る事すらままならなかった初心者の僕に、ソロは危険すぎるから――そういう事?」

 

「あぁ。たしかにシャルテの飲み込みは早かったし武器の扱いだって覚えが良かった。でも、それとこれじゃあ話しが違う」

 

 真剣に目を逸らさずにキリトは言い切った。その心配は最もであり、彼は決して間違った事を言ってはいない。あの自称茅場の言うことを事実と絡めた上で彼は僕と同じく『是(ぜ)』と思っている。

 ならば生き残る為に弱い者が数で挑むのは至極当たり前の帰結(きけつ)。

 

 ――だが、それだけでしかない。

 

 無理強いはしないと付け足したキリトに気持ちだけ受け取る旨を伝えると、彼は複雑そうな表情を浮かべた後で聞きたかったスキルについてを教えてくれた。

 

「スロットがあまりない初期からあった方がいいのは『索敵(サーチング)』と『隠蔽(ハイディング)』の二つだ。索敵は一定範囲内の敵やプレイヤーの存在を識別できる。逆に隠蔽は視覚を頼りにしてる相手から姿を認識されにくくするスキルで効果のある敵から逃げる場合これがあると無いでは安心感に雲泥の差がある。当然索敵の習熟度より低い習熟度の隠蔽は見破られるし、その反対も同じだ。この二つはソロでやる場合、俺は必須だと思ってる――」

 

 それ以外のスキルは個人の戦い方次第な面が強いとの事だがアジリティにボーナスのつく『疾風(しっぷう)』・習熟度上げこそ今となっては危険だが、一定時間毎に定量の体力を自動で回復してくれるという『戦闘時回復(バトルヒーリング)』などがあり、他にも習熟度が一定量貯まる度にそのスキルに関する派生スキルが出現し、幾つかの選択肢から一つ選べるようになるとの話しだった。

 

 ひとまず自分のスキル一覧を開き、空いていた残り二つのスロットに教えてもらったキリトが思う必須スキルをいれる。これらパッシブスキルの使い方に関してはソードスキルとは違って頭の中で使用する指示をだすイメージでスキル名を唱えれば良いらしい。

 僕がウィンドウの操作を終えて彼にお礼を言うとキリトは「礼を言われる様な事ではない」と笑顔で返してくれた。そこで会話は途切れたがキリトの視線は僕に刺さったまま固定されてままだった。

 

「なあ……その、シャルテさえ良ければしばらくパーティを組んだままにしないか?」

 

「んぇ? キリト、クエストあるんじゃないの?」

 

「そうだが……その、此処まで一緒に来て初心者を放り出すのも気が引けるんだ。俺は今からクエストを受けるけどシャルテは宿屋で待っててくれればいい」

 

「それなら僕も行くよ。足手まといにはならない様にするから」

 

 置物は嫌だ――もしかしたらそれは建て前なのかもしれない。SAOでは敵に与えたダメージ量で経験値配分が決まる以上寄生ではないとしても、ワガママなのは承知していても待っているだけのオブジェになるのは御免(ごめん)だ。

 

「わかった……でも絶対に無理はするな。回復アイテムが少なくなって体力が危ないと思ったら俺を置いてでも逃げろ」

 

「本当に危なかったらそうする。でも、僕が原因なのはわかってるけど縁起でもない事を言わないでよ」

 

「あぁ……すまない」

 

 少しだけ怒気をはらんだ僕の言葉。

 キリトは申し訳なさそうに一言だけ言って落ち着けていた腰を動かし立ち上がる。

 

「まずはクエストを受けて、それから少しアイテムを揃える。予備の武器も用意した方がいい」

 

「わかった」

 

 そんな事務的にも思える会話をして 僕はキリトの後ろをついていき、村の隅にある木造民家に着くと彼はドアをノックした。すると家の中から声が聞こえて、ドアを開けて現れたのは一人の老婆。

 

「おや、お客さんなんて珍しいねぇ……もしかして家の孫娘(まごむすめ)のお友達かい?」

「いや――村の人から最近体調を崩して床(とこ)にふせていると聞いたんだ。それで何か手伝える事はないかと思って尋ねてみたんだ」

 

「なんと……! 娘の病を治すには薬が必要なんじゃ……ただ材料がなくてのぉ。せめて "ネペントの胚珠(はいしゅ)" が一つあれば――」

 

 老婆とキリトの会話はそこで一度途切れ、軽快な音と共に彼女の頭上にはビックリマークが現れる。それとほぼ同時にクエスト発生を知らせる文字が浮かび、文字を確認したキリトが彼女に再び話しかけると今度は『クエスト:森の秘薬を受注しました』というメッセージが表示された。

 そのまま流れる様にNPCのアイテムショップへと移り、換えの武器を二本買うと手元に残ったコル――この世界における通貨――は悲しい事に一桁となる。

 

「キリト……回復アイテムって五個あれば足りる?」

 

「わからない。今回のクエストターゲットはちょっと面倒なんだ、だから万が一を考えるとあればあるだけ心強いんだが……もしかしてコルが無くなったのか」

 

「予備の武器を二本買ったら一桁になった」

 

 変に隠したりはせず素直に相談すると直ぐにキリトからトレード申請が飛んできた。それをそのまま承諾する様に促され、視界に浮かぶウィンドウの承諾ボタンを押すと僕のインベントリには回復アイテムであるポーションが五個から十個に増えていた。

 

「……ありがとう」

 

「気にしなくていい、時間を考えて道中で戦ったモンスターは俺が全部狩っちゃったしな。一応まだ何個か余裕はあるからもし足りなくなったら言ってくれ」

 

 そうは言われたモノのポーションは単価一〇〇コル、キリトだってカツカツのはずだ。

 

「キリトの方こそ、足りなかったら言って」

 

「ああ、その時はしっかり言うよ。……じゃあ、行くぞ」

 

 ――そうしてネペントの胚珠があるという場所についた頃にはだいぶん日も沈んでいて視界も薄暗くなり始めていた。

 

「ネペント、正しくはリトルネペントって言うんだが、そいつには大きく分けて三種類いるんだ。まずは頭に花がついた通称 "花つき" ・次に花ではなく実がついた "実つき" ・最後は花も実もないタダのネペント。この花つきだけがネペントの胚珠を落とすんだが、まず花つき自体のポップ率が低い。だからひたすら出現するまでタダのネペントを倒し続けなきゃならないんだ。そして何より問題なのは実つきのネペントなんだよ……アイツの実に攻撃が当たるとソレが破裂して結果的に大量のリトルネペントを呼ばれる――今のレベルじゃ囲まれた場合に逃げるのは難しい」

 

「うわぁ……なに、それ」

 

 なんとまあ面倒くさい敵なのか、体内に子をかかえた虫や体液に寄る蜂でもあるまいし。

 そんな事を思い露骨に嫌な顔をする僕にキリトは苦笑いしながらも見た目で分かりやすいから乱戦にでもならない限り問題はないと言っているが、何事にも "うっかり" はある。それを考えてしまうと自然と気がしまる。

 

 そしてキリトの索敵スキルに何かが引っかかったのか、森の中、進めていた足を急に止めると僕の前に手を伸ばして静止を指示した。

 

「シャルテ、俺の右斜め先にある樹があるだろ。その近くに濃い緑色の生き物がいるんだけど見えるか?」

 

「――なんとなくは見える」

 

 樹と樹の隙間から見える菱形の下にタコ足が生えた様なエネミー、あの珍妙な生物こそリトルネペントなのだろう。

 

「基本は各個撃破だ。ネペントはシャルテよりも少しレベルが高いから、あまり俺から離れるなよ」

 

「了解……気をつける」

 

 レベル差というのはゲームによってはステータスよりも大事になる。どれだけ恵まれたステータスだろうとレベルが低いだけで負けるなんて事もあるのだ。

 

 ――かくしてネペント狩りは始まった。

 前衛をキリト、中衛は僕が担当して一体ずつだが確実に仕留めていく。幸いにもネペントはさして速いワケでもなく比較的単調な動きしかしてしない、フェイントもないためステータスを筋力値(ストレングス)よりも敏捷値(アジリティ)に振っている此方としては攻撃を避けるのは容易い事だった。

 何よりキリトのソードスキル一回で最低でも体力の半分を削っていくのも大きい。

 

 しかし一時間たって五十体近くのリトルネペントを倒しても花つきは愚か実つきすらポップする気配がない。定位置の狩りでスピードがゆっくりとは言えキリトは「確率調整されたか?」と独り言を零していた。

 

「前は五十体も倒せば実か花が一体は出たんだけどな……」

 

 インベントリにはリトルネペントがドロップする触手が数十個もまとめられており、僕のレベルも途中で一つ上がって三に。キリトは直前で四になっている。各個撃破という事もありポーションの使用は最低限で済んでいるが濃度の増した暗闇は髪も防具も黒一色のキリトを隠す自然の迷彩(めいさい)として機能し始めていた。彼だけではない、僕だって服やマフラーは暗い色で目立つのは髪色程度。互いに索敵を解除したら居場所を見失ってしまう可能性は大(おお)いにあった。

 

 こんな状態でリトルネペント以外の敵に見つかってしまうか、それこそ実つきを攻撃してしまったら目も当てられない。だからこそキリトにどうするのか聞こうとして、僕の声をキリトが掻き消した。

 

「――そこにいるアンタ! 俺達に何か用か?」

 

 彼が声を飛ばした方向を見て見るが目視ではわからない、しかし間を置いて僕の索敵にも反応があった。相手はプレイヤー・カーソルはノーマル、次第にその人は近づいてきて暗闇には橙(だいだい)が灯る。

 

「こ、こんばんは……はじめまして」

 

 暗闇から現れたのはキリトとそう変わらない背の少年で、腰に片手剣をさし手にはランプを持っていた。警戒心をむき出しにする此方に怯える彼にキリトはどう判断したのか、構えていた剣をおろすと息をつく。

 

「もしかして……君たちも森の秘薬を受けてるの?」

 

「君たち『も』って言う事は、アンタもあのクエストを受けてたのか」

 

「うん、報酬のアニールブレードは強力だからね。それで結構倒したんだけど一向に花つきが出なくて……気がついたらこんな時間になってたんだ」

 

 ――そうしてランプの彼が帰ろうとした時に索敵に引っかかる人がいて、遠目ながらにレベルアップの表示が見えたので「もしや」と思い見ていたらしい。

 

「そうだったのか……俺たちも一時間位ここで粘ってるがダメだ。タダのリトルネペントだけで花も実も出てない」

 

「そっか……じゃあ、もし良かったら此処で君たちと一緒にネペントを狩ってもいいかな……」

 

 彼の声にキリトは「良いか?」と僕の方を見た。それに頷くとキリトは彼に向き直る。

 

「ああ、かまわない。俺はキリト、こっちは一緒にパーティを組んでるシャルテだ」

 

「僕はコペルって言うんだ。よろしくねキリト、シャルテ」

 

 コペルと名乗ったランプの彼に僕は言葉を飲み込み、「よろしく」の意味を込めて静かに頭をさげる。

 それからキリトも自分のインベントリからランプを取り出して腰にぶら下げると僕に灯りの範囲からは出ない様に声をかけてくれた。再開した狩りも人数が一人増えた事でより広い範囲のリトルネペントを倒せる様になり、効率は遥かに良くなる。

 会話を最小限にひたすら作業の様にリトルネペントを倒し続けていると、突然キリトが顔を上げて動きを止めて僕とコペルを呼んだ。キリトが指差した先にあった少しだけ小高い丘、樹々(きぎ)に遮られず月明かりに照らされたその場所には特徴のある二体のリトルネペントがいた。

 一つは頭に花が咲き、一つは頭に実がなっている。

 

「――コペル、胚珠はどうする?」

 

「キリトが先に見つけたんだからキリトが取るべきだよ。この調子で狩っていけば直ぐにもう一体もでるだろうし、実つきは僕が引きつけるからキリトとシャルテは花つきをお願い」

 

 その言葉に頷いて三人で駆け出してまず最初にコペルが実つきの胴体を袈裟に斬りつけた。当然ヘイトは彼に移り、近くにいた花つきも彼へ敵意を向けた。

 そこでキリトが花つきに剣をふってヘイトを此方に向ける。例え花があろうと実があろうとネペントはネペント、一対一ではそう時間はかからず花つきは綺麗な緑色の球体を遺(のこ)してポリゴン片に姿を変えた。花つきがドロップした球体をキリトがインベントリにいれてコペルの方を振り返ると、何故か彼は実つきの正面に立って剣を振りかぶっている。

 

「おい、何やって――!」

 

  "ごめん" 、微かに動いた彼の口はそう言っているようだった。

 

 柔らかな実は切り裂かれ、中からは勢い良く桃色の粉が飛び散ると同時に彼はランプの灯りを消し、索敵でも識別がし辛くなった。

 

 数瞬(すうしゅん)の静寂の後で騒がしさを増した森から湧き出るリトルネペントに嫌悪感を覚える――その数が五や十では済まなかったからだ。

 

「あれじゃあ意味がない……もしかして、知らないのか?」

 

 そう呟いたキリトは急に走りだし、僕も咄嗟に彼を追った。目指しているのは恐らく識別がしにくくなったコペルらしい反応が移動した先だろう。

 

 しかし "コペルと同じく実によってマーキングされた僕たちを" 迫ってくるリトルネペントは見逃してくれない。僕とキリトは分断され、囲まれた。そして直ぐにコペルの悲鳴も聞こえてきた。

 

 リトルネペントにも小さいが目はある――だけど視覚や音を主(おも)に感知している訳じゃないんだコイツは嗅覚感知型なんだ。普段の動きはトロいが実つきにマーキングされたら迷いなく触手で狙ってくる。

 

 それはキリトと狩りをしている時リポップ待ちの際に聞いた情報だった。つまり、隠蔽は無意味。

 

「一撃じゃ倒せないんだし、一点突破なんて無駄だよね……」

 

 此方に十、キリトにも十程、コペルの方には何体いるのかもわからない。独り言を呟きながら右手に持っていた短剣を逆手に握り、目の前にいるタダのリトルネペントの胴体をすれ違い様に斬りつける。柔らかな抵抗は瞬く間に弾け、丸々とした身体に刃は綺麗な線をつけた。

 深そうな傷とは裏腹に、ネペントの体力の減少は微々たる物でしかない。

 

 (十分の一程度か。十体で百回、二十で二百――)

 

 目測で計り結論を割り出していると悲鳴を上げていたネペントは嗅覚を頼りに間接のない触手の先にある鏃(やじり)の様な葉で僕がいる場所を正確に突いてきた。

 

 (左右からの挟撃)

 

 一歩前にでて避けると背後から風切り音が聞こえた。間髪いれず右にズレると触手は僕の左肩を掠めながらも主(あるじ)の身体に突き刺さる。

 

「痛くないってのを今程舌打ち事、ないかも……」

 

 削られた体力は横目で確認した所、威力に補正がかかっているワケではない。そのまま順手に握っている短剣で前にうずくまるネペントの前に出る際に片方の触手を切断した。

 

 (包囲が薄い場所を抜けて、囲ませては抜けてで一体ずつが堅実か)

 

 三方向から迫る触手を避けて僕は弱っているネペントを斬る。

 避けて、避けて、避けて、斬って――立ち位置を変えながら腕を亡くして弱ったネペントを盾にしながら徹底的に狙っていく。ソードスキルは使わない、こんな状態で使えば僕では硬直の隙でサボテンにされるのが関の山だろう。そうして一体のネペントがポリゴン片に姿を変える前に別のネペントの触手を斬り落とす。

 

 それでも掠り傷は確実に命を蝕んでいく。二体のネペントを倒した頃には体力がイエローになりポーションが一つ無くなったが気にしている余裕なんてなかった。

 確実に、堅実に、自分が生き残る為の戦い方をしていると突然僕を狙っていたリトルネペントの体力がレッドゾーンを下回り、瞬く間に倒される。

 

「シャルテ、無事か――!」

 

 暗闇を橙の灯りが照らし、緑の壁に穴を開けて声の主は現れた。

 突然の乱入に矛先を彷徨わせている間にキリトは僕が相手をしていたリトルネペントの横腹に青い光を伴ってぶつかり、深々と刺さった彼の剣はネペントの体力を容赦なくゼロにする。

 

 ――片手用直剣突進ソードスキル《レイジスパイク》。

 

 それがキリトの放ったソードスキル。

 システムアシストによって加速する渾身の突きを放った代償として硬直する彼を狙う触手に僕は彼の腕を引っ張って無理矢理狙いを外させ、目標を失い地面に刺さった邪魔な触手を短剣で落とす。

 

「シャルテ、俺はソードスキルで攻める。だからさっきの要領でフォローを頼めるか」

 

「了解。やってみる」

 

 キリトが突進し、硬直する彼に触手が迫ろうなら無理矢理避けさせて触手が僕に迫った時はキリトがソードスキルで強引にそれを叩き落とす。無理矢理に強引を重ねた純然たるゴリ押しだが、事実としてリトルネペントは瞬く間に倒されていく――やがて最後のリトルネペントをキリトの剣が貫き、その姿を消した事を確認すると彼は静かに剣を収めた。

 

 場に降りた静寂に僕は短剣を手にしたまま『戦闘の邪魔になる』と途中から切っていた索敵を発動させて "ここにいないもう一人" を探すがプレイヤーの存在は見つからなかった。そこで再びスキルを切る。

 結果は、僕の所に来た時のキリトの表情で薄々気づいていた。

 

「キリト、動ける?」

 

「あぁ……大丈夫だ」

 

 声をかけられた事に肩を跳ねさせる彼に近づいて顔を覗くと、目は忙しなく小刻みに動いている。顔色も悪くどう見ても大丈夫ではないが、今はそれを言うべきではない。

 少し酷だがキリトにコペルの持っていた武器は何処にいったかを聞くと彼は無言で指を指し、僕の手を引く。向かった先は森と丘の境目でその木陰には主人を亡くした片手剣が一本、寂しそうに倒れていた。

 

 僕はそれを左手に取り、樹の根元に突き立てる。

 

 ――戻ろっか。

 

 ポツリ、彼を宥める様に言った僕はちゃんと悲しめているだろうか?

 

 簡易の墓標に手をあわせていたキリトが僕の声に頷いて、僕たちは静かにその場を立ち去った。

 

 * * *

 

 帰り道、僕は索敵で敵を避けながらキリトの手を引いていた。無事たどり着いた《ホルンカの村》には既に何人かプレイヤーが集まっており決して陽気とは言えないがそれなりに賑わいを見せていて、彼等ともなるべく距離を取ったままクエストを受けた民家へと向かい彼が達成を報告。老婆は「孫娘を助けてくれてありがとう」なんて礼を言って、アニールブレードという片手剣が報酬として彼の手に渡された。

 

 自分の手にのせられた剣を見つめ、肩をふるわせるキリトを眺めていると不意に後ろから声をかけられた。しかも、声が呼んでいるのは僕の事だろう。振り返ると背の低い小柄なプレイヤーが立っていた。フードから覗く髪は金色で、顔の両サイドに横線が縦に三本入っている。 声からして女性だろうか――彼女に対して確認の意味も込めて人差し指を自分に向けると、首を縦にふって肯定を示された。

 

「とりあえずこっちに来な。あんまり人目につけない方が良さそうだしナ」

 

 そう言った彼女に手招きをされるが、ついて行って良いものか。しかし今のキリトを人目に晒(さら)さない方が良いのもたしかだ。

 

「……シャルテ、アルゴは俺の知り合いだから大丈夫だ。それと、ごめん……肩をかりてもいいか」

 

 アニールブレードはインベントリにしまったのか、手には何も持っていないキリトに後ろからそう言われて僕は黙ったまま彼に肩をかしてゆっくりとアルゴと呼ばれた彼女の傍に近づいていく。

 

「こっちだ。オレっちについてきてクレ」

 

 言うや否や踵を返した彼女の背中を追って村中央にある広場の影にあった真新しい木造家屋(もくぞうかおく)に着き、そこの扉をくぐっていったアルゴから中に入るよう促され、僕とキリトも家の中に入る。

 

「とりあえずキー坊はそこの椅子にでも座らせてやるといい……キミも、椅子に座っててクレ。立ち話っていうのもアレだからナ、今飲み物を持ってくるヨ」

 

 言われるがまま、アルゴが言っていた円形テーブルの椅子にキリトを座らせると彼はそのままソコに顔を伏せた。僕は彼の隣の席に座ると、程なくして戻ってきた彼女の手にはマグカップが三つ握られている。そのどれからも湯気が出ていた。

 一度それらをテーブルの上に置き、内一つをアルゴはキリトの前に置いた。

 

「これでも飲め。気休め程度には落ち着くかも知れないゾ、キー坊」

 

「あぁ……ありがとう、アルゴ」

 

 彼女の声に緩慢な動作で顔を上げたキリトは自分の前に置かれたマグカップに口をつけてゆっくりと、それでいて一気に飲み干し、空になったカップはテーブルに戻されて彼は肘を立てて組んだ指で顔を覆うと、深く息を吐いた。

 

 そんなキリトを見ていたアルゴの視点は僕に移り、手つかずの飲み物を見て「ニャハハ」と苦笑いを浮かべると彼女は自分のマグカップに入っていた飲み物に口をつけた。

 

「毒物なんて入ってないゾ」

 

 真っ直ぐに視線をそらさず此方を見つめられて、そこでようやく僕はマグカップの中身を一口だけ含み、飲み込むと再びカップをテーブルに戻す。

 別に口にあわなかったワケではない。ただ、刺さり続けるアルゴの視線から何となく話しの続きが待っている気がしたから。

 

「自己紹介がまだだったな――オレっちはアルゴ。ここでは情報屋をやっていてな、 "鼠(ねずみ)" のアルゴって呼ばれてるんダ。マフラーのキミの名前は『シャルテ』でいいのカ?」

 彼女の問いに首を縦にふると、少しの間を置いて再び次の言葉が飛んでくる。

 

「じゃあ、シャル…… "いったい何があった?" 」

 

  "シャル" とは自分の事なのだろう、そしてアルゴは再び視線をあわせてきた事で僕はゆっくりと彼女から目をそらす。

 

「むっ……オネーサン、嫌われちゃったかナ?」

 

 横目に見える彼女の表情は依然として真剣その物で、視線は変わらず僕を射抜いていた。少しでいいから視線を外して欲しいがそれを言えれば苦労しない。どうするべきか手をこまねいといる時に助け舟を出してくれたのは、キリトだった。

 

「……アルゴ。シャルテは、初対面の人と話したりするのが苦手なんだ」

 

 彼の言葉にアルゴの手が宙をなぞる。そうして指で何かを押す様な動作を続けると彼女の手の手には文字の書かれた小さな紙が現れ、それを僕に向けると視線を僅かにそらしてくれた。

 

「筆談ならできるかナ?」

 

 そう書かれた紙には続きがあり、筆談の方法が記されていた。『インベントリのリストから貴重品のタブを選択、そこにある再生紙を選んで使うを押す。そうしたらキーボードで書きたい文字を打ち込んで、終わったら決定』、書かれていた通りにやってみると僕の手にもオブジェクト化された紙が出てくる。この紙に書かれた内容は強制的に可視化されるらしく、書いたら紙をそのまま見せればいいらしい。

「筆談なら問題ない」

 

「わかった。じゃあ、何があったのかオネーサンに教えてくれないかナ?」 彼女の言葉にキリトの身体が強張った気がするが、僕はただ黙って事実を打つ。

 

 『キリトの受けたアニールブレードが報酬のクエストをクリアするためにリトルネペントを狩っていた時、同じクエストを受けたというプレイヤーとあった。』・『そのプレイヤーが意図的に実つきのリトルネペントを攻撃して実を割って乱戦になった。』・『そのプレイヤーはリトルネペントが敵を感知する方法を知らずにハイディングで身を隠してやり過ごそうとしたみたいだった。乱戦が終わった時、そのプレイヤーの姿は無くて剣だけが落ちていた――。』

「キリトはその剣が落ちていた場所を知ってたから、助けようとして間に合わなかったんだと思う。殺しにかかるタイプには見えないし」

 

「なるほどな……事情はわかった。なら、今日はもう遅いし外には出ないで此処に泊まっていけ。空いてる部屋はオレっちに一言くれれば好きに使ってもらってかまわない……とりあえず、先にキー坊を運ぶカ」

 

 状況が状況だ。そう言い聞かせて猜疑心を縛り上げ、僕はキリトの隣まで行って肩をかす。彼の歩調にあわせてゆっくり歩きながら僕は一つの部屋の扉近くに立つアルゴの下へ向かい、部屋の前まで行くと彼女はそこの扉を開けた。外から見える室内にはベッドと机・椅子以外の物が無いがそれだけで完結している。

 僕はそのままキリトをベッドまで送ろうとして、手と言葉で制された。

 

「此処までで大丈夫だ……ありがとう、二人とも」

 

 元気がないなりに無理矢理作った精一杯の笑顔を見せて部屋に一人で入ろうとするキリトの肩を僕が掴んで、背伸びをする事で彼の耳元に口を近づける。

 

「あの時、ボクはソードスキルを意図的に使わなかった。隙が生まれる事が恐くて、わざと通常攻撃だけで戦ってたんだ。僕がキリトみたいにちゃんとソードスキルを使って早く倒していれば、もしかしたらコペルも助けれたかもしれない……だから、だから―― "キリト一人で抱えなくてもいいんだよ" 」

 

 それはアルゴが出した飲み物と同じで良くても『気休め』にしかならないだろう。こんな言葉、慰めにもならない。

 

  "ごめん" 、と彼は一言だけ呟いて部屋の中に入っていった。扉も閉められて中の様子も見えなくなり、僕とアルゴは元のテーブルに戻って椅子に腰を下ろす。

「――優しいんだな」

 

 視線を少しずらして此方を見るアルゴがそんな事を呟いた。キリトの事を言ってるのか、僕が紙に書いて尋ねると半分正解で半分は不正解だと彼女は言う。

 

「たしかにキー坊は不器(ぶき)っちょだが優しい、でも今オネーサンが言ったのはシャルに対してだぞ」

 

  それなら消去法で僕が優しいとでもいうのだろうか。有り得ないと捨てたはずの選択肢が答えだった事に、僕は直ぐに否定した。

 

「優しくなんかない。ただ事実として、僕は自分の身を優先してソードスキルを使わない戦い方を選んだ。だから彼があの少年を助けられなかった事に自分を責めてるなら、その非は僕自身にもあるという事になる。それを教えただけ」

 

 本音五割の言葉に目を細めたアルゴがそらしていた視線の先を再び戻し、僕はそれを真っ向から受け止める。

 

「そうだとしても、言っておく。無理はしない方がいいゾ?」

 

「大丈夫、無理なんてしてない」

 

 見方によっては突き放したとも取れる僕の言葉を見てアルゴは一言だけ呟くと、彼女の指は言葉を書く時とは違う動きをしてみせた。

 そうして軽快な音と共に飛び込んできたのは彼女からのフレンド申請で、少しだけ目を丸くした僕にアルゴは「こうやって会えたのも何かの縁だ」と、そう言った。

 それに『申請の許可』という無言の "よろしく" を返す。

 

「図々しいけど、今日はもう疲れたから、僕も寝ていい?」

 

「ああ、明日はテキトーに起こしてやるから存分に寝ていいゾ。この家には家主にコルを払って一週間はオレっちが貸し切ってるから、オレっちの許可なしには誰もはいれない。安心して寝るとイイ」

 

 疲れているのに付き合わせて悪かったと言ったアルゴに「気にしなくていい」という意味を込めて僕は首を横にふった。 そうしてキリトの時と同じく彼女に空き部屋を教えてもらい、扉を開けて僕は一度アルゴと向き合う。

 

「ありがとう……アルゴ」

 

 小さな声でお礼を言ってから室内へと入り、扉を閉めると僕は寝るのには邪魔でしかないボロボロのレザーアーマーを外してからゆっくりとベッドまで近づいて、そのまま身体を倒した。

 自由に動ける事への喜びを前にしても乱戦などで積もった肉体と精神的疲労感は強く、一周回って眠れる気などまるでしない。実際の肉体は全く動いてすらいない癖に疲れまで表現する辺り本当に手が込んでいる。

 ベッドに顔を押しつけながら痛む目に刺さる光を少しでも遮断しようとして、僕は大人しく立ち上がって部屋の電気を消した。

 

 暗闇の中でなら多少なりは楽になる。僕が再びベッドに身体を預けた時に視界の中で音と一緒になって手紙のマークが現れ、メニューから確認すると二件のフレンドメッセージが届いていた。

 二通目はアルゴから僕への "お休み" が五文字で書かれていて、僕もそれに "お休みなさい" を六文字で記して返す。

 

 そして一通目はキリトから。「すまない」のたった四文字が酷く重いように見えた。

 

「責められるべきは僕だ」

 

 そう返事を送った後に、もう一つ。

 

「――少なくとも、僕はキリトに助けられたよ」

 

 

 そういう問題ではないとわかっていても全てを助けられなかったワケではなかったという事をキリトはわかってくれるだろうか――?

 

  返事をし終えて、眠れる気もしない中ただ目を休める為だけに、僕は静かに目を閉じた。

 

 * * *

 

 カチッ、カチッ――時計の針はこんな世界でも変わらずに進み続けている。自分が呼吸する微かな音でさえ大きく感じる程静まり返った室内に響くそれはあまりに大きく、刻々と、一方的に命を削られている気がしてならなかった。

 

 何度目かも分からない時間の確認をするとまだ朝の一時。どうしてこう、手持ち無沙汰(ぶさた)の時ばかり時間の経過は遅く感じてしまうのか。そんな事に僕は心の中で八つ当たりをして、迷惑を承知でフレンドリストから彼女にメッセージを飛ばすとしばらくしてノックの後に扉が開いた。

 

「シーちゃんは朝が早いんだナ。オネーサンもびっくりの時間だ」

「ちょっとだけやりたい事があったから」

 

「そうか……なら、だいぶん早いけど先に朝食でもとるか? 一応お風呂も沸かせてはいるぞ」

 

 僕の文字にアルゴは綺麗な笑顔で答えた。あまりにも整いすぎている笑みを見て僕が咄嗟に一歩後ろに下がると彼女は表情を崩す。

 

「そんなに警戒心を露骨に出されるとオネーサンだって逆にイタズラをしたくなるってもんダ。一睡もしてないんだろ? ……というよりそれだけ警戒しているのにマトモに眠れるワケもない、カ。とにかくだ、やりたい事があるにせよ先にお風呂にでもゆっくり浸(つ)かってシーちゃんがリフレッシュしてからだナ」

 

 そう言った彼女に背中を押される様にして浴室まで押し込められ、僕がお風呂を上がって浴室を出たのはそれから一時間程立ってからだった。

 思っていたより長くいてしまったがそれを気にする様子もなくアルゴは昨日と同じようにテーブルに座っていて、僕はその対面に座り筆談を持ちかける。

 

「――レベル上げがしたいカ。キー坊と違ってシーちゃんは随分と立ち直りが早いんだナ、昨日もそれほど取り乱してる様には見えなかったゾ」

 

「別に何とも思ってないワケじゃないよ? ただ彼のは自業自得に近かったから。黙って泣いてるだけで先に進めるなら、幾(いく)らだって泣くよ」

 特に皺(しわ)がよっているという事ではないが、書かれた文字を見たアルゴは眉間に少しだけ力を入れた気がした。彼女がまるで僕の書いた紙とにらめっこするかの様に無言のまま見つめて数秒、彼女は顔をあげて真っ直ぐ此方を向く。

 

「わかった……特別にオレっちが家主である間でもシーちゃんがここの玄関と自分の空き部屋だけは出入りを自由にしておく、だから好きなだけレベル上げをしてくるといい。ただし、二人を無料で泊めるのはキー坊が立ち直るまでだ。それ以上となるとタダでは住まわせないゾ?」

 料金については一種ケジメのような物なのだろう。僕はアルゴの声に頷いてキリト宛の伝言を彼女に残し、早くレベル上げをしようと玄関まで急いで外に出る直前になって足を止めて彼女の方を向いた。

 どうかしたのかと言いたげなアルゴに僕は何も言わずに一礼をして宿を後にし、直ぐフレンドリストから彼女にメッセージを送ってから昨日の乱戦で耐久値が雀の涙になっていた武具を買い換えに向かった。

 

「クロムダガーが一つ、アイアンダガーが一つにレザーアーム、更にポーションが七つで一五〇〇コルだな。まいどあり!」

 

 プレイヤーどころか律儀にNPCさえも外にいない早朝の村でもショップ関連は変わらず営業していた。昨日は買えなかった少し値のはる短剣と《はじまりの街》でも売っていた安価な短剣に防具も合わせて買い、ポーションも余分に仕入れておく。それから自分がセットしているスキルから索敵を外し、武器防御という別のスキルを入れて各プレイヤーが本来なら自分自身でしか動かせないオプションを少しだけ弄ってようやく最初の準備は完了した。

 

 レベル上げで狩るエネミーはフレンジーボア。平原に出た僕は狙いの猪を見つけると道端にオブジェクトとして転がっているアイテムを手にとって相手の近くへと投げる、気づいた猪は此方に向き直り短くも逞(たくま)しい前脚(まえあし)で地面を蹴る事数回。よーいどんで駆け出した猪に僕は構え一つせず突き飛ばされた。

 地面を転がる自分の身体を襲った衝撃に少しだけ息がつまったが痛みはそれ程なく、体力を確認すると削れていたのは最大体力を十分割したソレよりも下。これなら問題はないと再び向かってきた猪の攻撃が自分に届く寸前に避けると同時に右手でアイアンダガーを抜いて一撃。走る相手の背を見送り、止まる前に再び距離をとっては突進を誘ってまた避けるを繰り返す中で少しずつ "寸前" を狭めていく。

 相手の体力がレッドゾーンに入ったら次は武器防御の練習に移り、避ける代わりに刃の腹を牙に軽く当てて流し、時にはいなす。それもある程度反復したら次は武器の絵は無手で打撃を加えてみた。

 結果、武器の柄で殴った場合ダメージはあり確率でノックバックが発生した。それは無手でも同じようで、避けられて呆ける猪の側頭部を殴打したらしっかりとノックバックをしてくれた。

 

 当然失敗して何度となく突き飛ばされたが大したダメージにはならず、一連の反復が終わればトドメをさす。時々混ざる狼型エネミーのウルフでも同じ事をしながら周りに目を向けながら敵が増えたら隠蔽で一体だけを誘いだしてはこの三セットを三時間近く繰り返し、僕は朝日が顔を出した頃を見計らって武器を収めアルゴが借りている宿へと戻る。途中、キリトに会って腕を引かれながら一直線に目的の宿に引っ張り込まれた。

 

「――何で、一人で行ったんだ」

 

 扉は閉ざされ、僕の腕を掴んだままのキリトは此方を見ずにそんな事を口にした。彼の声はふるえていて、自然と彼の手の力も強くなっている。

 

「あんな状態のキミを僕のレベル上げに連れていって死なれでもしたら後味が悪いから……それに、自分の力で立ち直るべきだからね。こういう類の問題は」

 

 小声で僕が返した言葉にキリトは少しだけ俯いたが、それでも直ぐに顔をしっかりと上げて此方に向き直り、僕の目を真っ直ぐに見てくる。

 

「俺は……俺は、もう大丈夫だ。だからシャルテ、一緒にレベル上げに行かないか?」

 向けられた彼の言葉に僕は無言でウィンドウを開いてキリトへ向けてメッセージを送ると、直ぐにパーティーへの招待が届いた。それを承諾して張り詰めていた空気が僅かだが和らいだ声を感じてか、椅子に座りテーブルに肘をついてずっと話しを聞いていたアルゴから声が飛んでくる。

 

「不謹慎だが、二人に誂(あつら)向きのクエストがあるんだ。報酬は短剣だからシーちゃんの戦力強化にもなると思うゾ」

 

 やるかやらないかの二択を迫られ、僕は特に問題はないとキリトに判断を任せた。彼もアルゴの話しに耳を傾けてクエストの情報を聞く事になり、二人で教えられた場所に向かい発生したクエストの内容を見て僕は彼女の言葉に納得した。

 

 クリア条件は―― "リトルネペント二十体の討伐" 。

 

 事前の準備が終わると、森へ向かうまでの道中でキリトは一言たりとも言葉を口にはしなかった。そうして邪魔な敵だけを相手にしながら森に到着して早々僕たちを待っていたのはリトルネペントからの熱烈な歓迎で、まるで昨日を彷彿させる光景に隣にいるキリトを見ると脚が震えていた。僕はそんな彼の耳元に背伸びをして口を寄せ、囁く。

 

「 "――コペルの弔い合戦だ" 」

 

 そう、彼に言い聞かせる様に意識して声をだす。あまり褒められた手段ではないが恐らくキリトには効果があるだろうと判断しての事だが間違いではなかったらしく、僕の言葉に彼の顔つきからは怯えが消えて真剣その物になり脚の震えも消えていた。たった一言でこれだけ雰囲気を変えてしまう辺り、昨日の事がキリトの中でよっぽどショックが大きかったのだろう。

 

「シャルテ……絶対に死なないでくれ。もし危なくなったら直ぐに逃げろ」

 

「それはお互い様。今のキリトは自分の心配をしなよ」

 

 互いに背を合わせ自分たちを囲うリトルネペントに僕は短剣を、キリトは片手剣を握るしめる。合図は無く、それでも彼とほぼ同じタイミングで僕は眼前のリトルネペントに向かって姿勢を低くしたまま駆け出した。

 

 そこからは昨日と同じく一撃から撃破に必要なダメージを概算し、アジリティにモノを言わせたヒットアンドヒットの戦い方だ。遠くに離れずとも避けれるのなら離れる必要なんてない。 極論にしてとんだ暴論。しかしこの世界でそれは決して不可能な事ではないのだ。オマケに今回は武器の威力も上がっているため倒す為に必要な手数も僅かに少ない。

 

「シャルテ、胴と脚の付け根を狙え! そこがコイツの弱点だ!」

 

 飛んできた彼の声に僕は再び姿勢を低くして残り体力が二割を切ったネペントの懐に飛び込み弱点を短剣で薙(な)ぐと甲高(かんだか)い悲鳴を上げ、体力を一瞬で失ったリトルネペントはポリゴン片へと還(かえ)る。

 仲間の消滅を感じてか周りにいたリトルネペントが攻撃の手を強めた気もするが問題はない。右は左に左は右に、昨日よりも触手が自分の身体を掠める事もなく避けては斬りつけ、貫き、確実に一体ずつ葬っていく。そうして僕が四体目を倒し終えた頃、残りのリトルネペントは全てキリトの手によってが倒されていた。

 

「大丈夫か?」

 

「まあ、なんとかね……」

 

 息の上がっているキリトからの声に僕はそれだけを返して、互いに武器を手にしたまま地面に座り込む。 倒すべきリトルネペントは残り八体。疲労感の抜けない身体に鞭をうって立ち上がり、後は協力して一体ずつの討伐をする事に決めてからはクリア条件達成するまで時間がかからず、決着がついた時には僕のレベルは五に、キリトのレベルは六になっていた。

 

「お疲れ様、キリト」

 

「ああ、シャルテの方こそお疲れ様……」

 

 彼はそこまで言うと何故か言いよどみ、少しだけ視線を彷徨わせ始めた事に僕はキリトの背中を軽く叩いて「早く帰ろう」と村の方を指で示すと彼もそれに頷き、僕たちは足早に村への帰路についた。

 * * *

 

 アルゴの宿で僕は椅子に腰をおろしてテーブルに向かっていた。隣にはキリト、向かいにはアルゴがいてテーブルの上には刃の厚い頑丈そうな短剣が一つ置かれている。

 

「あの報酬はシーちゃんには重すぎたカ。流石にオレっちも必須筋力値までは、ナ……一応他の情報もあるにはあるがどうするんダ?」

 クエスト報酬のアロイダガーという短剣は能力を確認すると威力も高く耐久性も申し分ないモノだった――が、見た目相応に重く、必須筋力値を僕は満たせていなかった。

 それでキリトによって再びアルゴの元につれていかれて今に至るワケだが、どうするかを聞かれて僕はキリトの方を見て一枚の紙を渡す。

 

「いや、「僕の筋力値教えた方が早いよね」って確かにそうだが……良いのか?」

「別に、気にしない」

 

 他人にステータスを尋ねるのは本来マナー違反に当たるらしいが、こういう場合は仕方ないだろう。むしろこれで重たいダガーしか引けないよりは良いはずだ。 書いていた文字を消して、そこに自分の筋力値を打って二人に見せる。

 

「五か……ならちょうど良いのがあるゾ」

 

 そう言ったアルゴに二〇〇コルをトレード申請に出すも直ぐに却下され、彼女は自分のインベントリから一本の鳥の翼を彷彿(ほうふつ)させる白いナイフを取り出した。

 

「この通り、オネーサンが現物を持ってるんダ。フェザーナイフって珍しい短剣みたいで情報の対価として貰ったは良いんだがオレっちは使わないし、時期を見て売りに出そうと思って取っといてたんだが……欲しいカ?」

 

「何コルかにもよる。流石に五〇〇〇とかは無理」

 

 流石に現時点でそんな大量のコルは持ち合わせていないという意味で書いたのだが、アルゴは少しだけ眉を寄せてジッと僕の方を見てくる。キリトはキリトで乾いた笑い声を出している。いったい何だと言うのか。

 

「シーちゃん、流石にオレっちでも今の時点でプレイヤーがそんなにコルを持ってないだろうなってのは予想できるゾ」

 

 ならいくらなのかと結果を急かす文字を見せるとアルゴは一度息をついてからタダでいいと、僕は視界に彼女に礼を言ってから視界に浮かんだウィンドウにある承諾ボタンを押し、直ぐに此方からも彼女へトレードを申し込んだ。

「ん……シーちゃん、オレっちはタダで良いって言ったんだゾ?」

 

「もう数日、ここを借りたいから。キリトも一応立ち直ったみたいだし、延長は追加料金なんでしょ? それだと何日位になるの」

 

「ああ、そういう事カ。一〇〇〇コルだと……まあ、最長で五日だナ。キー坊はどうするんだダ?」

 

「えっ? あっ、俺も頼む。一〇〇〇コルで良いんだよな」

 

 僕のトレード申請は承諾され、キリトもウィンドウを弄る素振りを見せているのでトレード申請でもしているのだろう。ひとまず宿の確保はできたのだ、後はレベルを上げるだけ。

 

 その後はキリトからレベル上げに誘われ、夜になり宿へ戻った僕は「明日も朝から出る」と早めに床につく。寝る前に彼とアルゴにメッセージを飛ばし、この日、僕はこの世界に来て初めての睡眠をとった。

 

 そして、それから約1ヶ月後――。

 

 二〇十二年の十二月。

 この間(かん)に噂を聴く限り死者は二千人を越えたらしい。しかし、第一層の攻略さえ未だ成し遂げられてはいなかった。 それでも前に進んでいないという事はなく、現在はフロアボスのいる部屋があるという迷宮区とそこに通じる主街区《トールバーナ》までが発見され、迷宮区の探索にのりだすプレイヤーも少なくはない。

 キリトもその一人で、彼とはこの1ヶ月の半分以上を共に動いていたが互いにレベルも上がりソロでの活動に支障がなくなってきた事もあり、今ではこうして別々に行動する方が多くなった。

 

「今日は、疲れた……もう寝ようかな」

 

 徹夜でしたレベル上げの結果埋まりつつあったインベントリの整理を終えると背中を預けていた壁に手をついて立ち上がり、首に巻いてあるマフラーをつまんで口元を隠す。その時、僕の近くで一人の影が立ち止まった。

「――マフラーのキミ、ちょっと話をいいかな」

 

 声と影に顔を向けると、そこに立っていた銀色の鎧をまとった青い髪の剣士は爽やかな笑顔を浮かべていた。

 

「何ですか?」

 無視しようとも思ったが声をかけられたタイミングから考えると僕が座ってゆっくりしていたのが見られている可能性も高く、迂闊に断れば墓穴(ぼけつ)を掘るかも知れないと、無難な返しを書いた紙を目の前にいる剣士に見せつける。

 すると、最初は少しだけ驚いていたが直ぐに気を取り直して話しを始めた。

 

「はじめまして、俺はディアベルって言うんだ。いきなり呼び止めて驚かせてしまったかな」

 

「いえ、お気になさらず。それで話しって何ですか?」

 

「話しっていうのは端的にいうと俺達に協力して欲しいって事なんだ。今から少し前になるんだけど、仲間と一緒に第一層のボス部屋を発見した。今はその攻略を考えていて共に戦ってくれる有志を募(つの)っている最中かな」

 さっさと要件を話せと言わんばかりの文字列にもディアベルと名乗った彼は嫌み一つこぼさずに答える。迷宮区の探索がそこまで進んでいた事は僕にとっては予想外だった。このまま攻略出来るならそれに越した事はないが、僕は文字で謝罪し、目標のレベルに達してないからと彼の申し出を断った。「レベル上げなら手伝う」と言われたがそれも断る。

 

「目標のレベルと言っても二レベル上げるだけですから手伝ってもらう事でもないです。もし攻略に間に合う様であれば参加させていただきます、せっかく誘っていただいたのに申し訳ありません」

 

「いや、前向きに検討してくれるだけでも嬉しいよ! 一応攻略準備の会議は明後日に開く予定なんだ、場所はここの中央にある闘技場。参加するしないに関わらず良かったら顔を見せてほしいな」

 

 あくまでも自由意思と言うディアベルに頷くと彼は爽やかな笑顔を浮かべて街の人だかりに馴染んでいく。

「なんか、余計に疲れた……」

 

 別に彼が悪いワケではない。あの雰囲気に慣れないだけであって、少し目が眩んだだけだ。使ったアイテムを買い足す事もせずに僕は借りている宿に戻るなら直ぐに自室のベッドに飛び込んだ。そこそこ広く風呂つき・柔らかいベッドもあって月五〇〇〇コルの一括払いという形式以外は良い物件。

 無断では誰も入ってこれないシステム上の保護に幾分か安心してそのまま眠りの国へ向け船を漕ごうと櫂(かい)を手にした時、メッセージの受信を知らせる軽快な音が鳴る。それに僕は目を覚まして差出人を確認すると相手はキリトからで、久しぶりに一緒に動かないかという誘いだった。

 しばらく悩み、入室許可を出すから迎えに来てと返事を打って僕は目をこすりながら玄関の前にあるリビングに向かう。手狭な空間に一つだけある小さな白いテーブルの椅子に腰を下ろした所で一度意識が飛びかけ、キリト宛のメモを書いてテーブルに置いて身体をだらしなくテーブルに突っ伏せた。少しの仮眠を取るつもりで目を閉じて――次に目を覚ますと此方に伸びようとしたキリトの腕を僕が掴んでいるところだった。

 

「おはよう、キリト……」

 

「あっ、ああ、おはようシャルテ。こればっかりはちょっとびっくりするな、やっぱり」

 

 そう言って彼は自分の腕を掴んでいた僕の手を見る。

 

「つい、癖で……んぁ」

 

 ごめんねと言おうとした口からは欠伸(あくび)が先に飛び出してしまい、僕は自分の頬をつねって引っ張ってみるも眠気はとれない。

 そんな僕の様子にキリトからは「寝るか?」なんて魅力的な提案をされる。

 

「二徹した状態で良ければついて行きたい……少なくとも、戦闘中 "は" 寝ないから……」

「二徹って……やっぱり今日は俺一人で行く。シャルテはちゃんと寝て、良かったら明日一緒に行こう」

 

「んー……わかった。また明日ねー」

 

「――いや、部屋で寝ろ! 何自然な流れでテーブルに伏せてるんだよ」

 

 テキトーに手をふってテーブルへ伏せると聞こえてきたキリトの大声に少しだけ眉根をひそめる。もう動くのが面倒という雰囲気でも僕から出ていたのか、彼はため息を一つ吐(つ)いてから僕に肩をかして部屋の前まで送ってくれた。

 

 部屋に入った後も扉を閉める前に "ちゃんとベッドで寝ろよ!" と念押しされて、それを半分聞き流す形で僕は部屋の扉を閉める。

 再びベッドに飛び込んだは良いが、今思えば『キリトからのメールがなければ自分は今頃ベッドでグッスリ寝ていたのではないだろうか』。そう考えると先程のやり取りが妙にイラッとくる。

 

「キリト "ちゃん" 、明日一緒に行くなら許可設定がそのままだから起こして。ここにタダで泊まっていいから」

 

 少し嫌がらせも込めてそんなメッセージを送ると返事が五分もせずに返ってきた。

 

「――俺ってそんなに女顔なのか?」

 

 僕が想像するより堪(こた)えたのか、少しだけ気落ちした様に見えた文章にフォローをいれて、もう寝る旨も添えたらそれでお終い。

  "大丈夫、キリトはちゃんと男の子だよ" なんて、果たしてフォローになってるのだろうか。気にしたのは一瞬で、次の瞬間は闇の中。途中でまたキリトからメッセージが来た気もするが碌(ろく)に覚えていない。

 

 ――翌日、再び響いたメッセージの音に目を覚ませば昼。思ったよりグッスリと寝ていたらしい。

 差出人はまたもキリトで、彼との約束についてのメールかと思えば全く別の内容だった。

 

「寝てたらごめん。今攻略会議に来てるんだが、暫定的なパーティを組む事になってだな。その、俺のパーティー……二人しか居ないんだ。しかもその相手が女の子で……頼む、助けてくれ。同性のシャルテなら上手く空気も和らぐと思うんだ」

 

 メッセージから目に浮かぶ光景に、きっと今の僕は何とも言えない表情になってるのだろう。

 

 待ってて。それだけを書いて送信し、ベッドの上で軽く伸びしてから僕は昨日の様にマフラーで口元を隠してディアベルから教えられていた闘技場へと急いだ。

 * * *

 

 《トールバーナ》の闘技場にはかなりの人が集まりごった返しとなっていた。幸いなのはそれだけの人数が集まっても尚有り余る広さを闘技場が有(ゆう)していた事と、キリトの近くに目立つ青い髪とフードで顔を隠す人がいた事くらいだろう。

 

 人混みを極力視界に入れない様に下を向いたまま足早にキリトの傍へ向かうと、此方に気づいた彼は手を上げて、ディアベルからは昨日あったばかりという事もあって声をかけられる。

 

「キリト君が言っていたキミだったのか!」

 

「昨日ぶりですね、ディアベルさん」

 

 それに対して僕は差し障りのない挨拶を文字として返してから軽く頭を下げる事で一礼する。顔見知りという事に首を傾げたキリトとディアベルが話しを始めた隙に、一緒にいたフードのプレイヤーにも軽く頭を下げた。恐らくはこのプレイヤーがキリトの言う女の子だろう。

 向こうも同じく無言で挨拶を返してくれる中、僕は背後から突き刺さる視線が気になって仕方がなかった。

 

 ――あの子、綺麗だな。

 

 ――可愛いけど、言葉を話さないのは緊張してるからなのか?

 

 ――あの剣士、あんなに可愛いコと知り合いかよ。

 

 この手の視線には慣れたと思っていたのに。どことなく含みのある視線が混ざっている事に苛立ちから自然と目に力がこもる。それに気づいてかは知らないがディアベルの方からレベルは目標までたどり着けたのか声をかけられた。

 

「一応、大丈夫です。安全マージンは超えてますし、友達の頼みですから。多分このままボスにも参加する事になると思います」

 

「そうか……一緒に戦ってくれる仲間が増えて俺は嬉しいよ。ありがとう」

 

 レベルは昨日から上がってないが、僕は嘘をついた。ディアベルがそれを信じたかはわからないが彼は僕に一礼をして自分の所属するパーティーへと戻っていき、そんな彼の声で攻略会議という名の結集会は事実上の終わりをむかえた。

 それでも未だ刺さる視線に、僕はキリトとフードの彼女に文字を見せる。

 

「居心地悪い。どっか場所をずらしたい」

 

 箇条書きのそれに二人も理解を示してくれた様でとりあえずは近場のNPCレストランへと向かう事になった。店内には確かにプレイヤーもいるが数は疎(まば)ら、僕が隠蔽を使っている事もあってひっきりなしに視線が飛んでくる事はない。 あの会議の場で使えば良かったと今更後悔したが、後の祭りだ。

 キリトがフードの彼女にスイッチという一定のタイミングで交互にソードスキルを使う事でスキル後の硬直をカバーしながら戦う方法などを説明している横で一人頼んだオレンジジュースをストローで飲みながら、片手間にメモへ文字を打ってキリトの方にさしだす。

 

「自己紹介とかってもう終わったの?」

 

「あっ…………そういえば、まだちゃんとはしてなかったな。俺はキリト。で、さっきから文字で話してるのがシャルテだ」

 

 こっちに気を使ってか一辺に僕の事まで紹介してくれた事に感謝しつつ、僕は挨拶として彼女に小さく頭を下げる。

 

「私は、アスナ……。その、さっきから気になってたんだけど、シャルテちゃんって――」

 

「ちゃんと喋れます……苦手なだけです」

 

 ボソッとした聞き取りにくいであろうかなり小さな声だったが彼女には聞こえたらしく、目を見開いていた。 その様子を見て苦笑いを浮かべるキリトに連携の練習をするならアイテムを先に揃えたいと許可を取り、アスナからフードの入手場所を聞いてみると此処まででは《トールバーナ》に来る途中にあった街でしか売られていないとの事。更にそこまでは往復で二日、そうなればボス攻略戦に間に合わないとアスナに付け足されて僕は肩を落とした。

 

「あの、私、一応予備で同じのを何個か持ってるから……一つくらいなら、あげようか?」

 

「――いいの!?」

 

 願ってもなかった事に大きな声が出てしまい、集まる視線に直ぐ隠蔽を使って隠れる。隣の席で笑うキリトの足をテーブルの下で踏みつけてアスナには文字で話しを続けた。

 現物のフードと値段分のコルとをトレードし、僕はその場で直ぐに装備する。目立っていた髪は隠れ、視界についてはさほど悪いというワケでもなくその気になれば深く被る事で目元も隠せてしまう、今の僕にとってまたとない装備だ。

 

 その後、レストランを出て二人と一緒にアイテムの用意を済ませた僕たちは連携の練習をする為に初めて迷宮区へと足を踏み入れる事になったのだが――。

 

 「これで、トドメ!」

 

 アスナが放った細剣基本単発ソードスキル《リニアー》は金属製の鎧を身にまとった二脚の犬型エネミーであるルインコボルトの首を正確に突いていた。 相手は頭部を壊れたフルフェイスマスクで守り、首元も同じくヒビ割れた鎧で守っているのだ。いくらボロボロの防具とはいえ、隙間から覗く生身の首は十センチとない。そこを自分の意思で狙っていける程に彼女は細剣(さいけん)の扱いに長けていて、更には物覚えも良く連携自体は一時間もすればほぼ完成してしまっていた。 そのため敵を倒すスピードも速く留まっては迷惑になると、キリトの提案で少しだけ速度を落としてゆったりと最後のレベル上げもかねて練習を続けていたがどうしても敵のリポップは悪くなり、必然的に休憩の時間も長引いていく。

 

「――俺は今レベル十三なんだけど、そういえばアスナとシャルテはどれ位なんだ?」

 

 休憩中、周りにプレイヤーもいないタイミングを見計らってかキリトが突然そんな事を聞いてきた。

 

「私はキリトくんより一個下。レベル十二だよ」

 

「……秘密」

 

 アスナは素直に答えたが、僕は紙すら出さずに誤魔化(ごまか)して視線を明後日の方向に向ける。その様子に少し思い当たる節でもあるのか、キリトがゆっくりと口を開き「もしかして」と前置きを置いた。

 

「シャルテ……お前のレベル、十八じゃないのか?」

 

 予想すらしていなかった正解に、口を閉ざしていても僕の身体は少しばかり動揺を示す。「やっぱりか」などとキリトは息を吐いた。

 

「レベルが十八って、そんなにすごい事なの……?」

 

「ある情報屋の話しだと、現在レベルを情報として確認できているプレイヤーの中では最高レベルだ。次点で俺と同じレベル十三」

 

 つまり、限定的ながらもトップクラスのレベルという事だ。

 

「いったいどんなレベリングをしたらそんなになるんだ……?」

 

 その質問をされると思ったから、僕は答えたくなかったのだ。しかしレベルがバレている以上隠しても無駄なのかも知れない。

「なっ、なな、てつ――最高で七徹、した」

 

 何度か言葉を詰まらせながらも僕は正直に話した。

 

「……そうか、七徹か」

 

 キリトは静かに呟いて、誰へともわからない頷きを繰り返すと優しい笑みを浮かべる。もしかして何も言われずこのまま流してくれるんじゃないか。

 

「――後で説教だな」

 

 僕のそんな淡い期待はキリトの一言で粉微塵(こなみじん)にされた。例の一件があったせいか、彼は無理なレベリングを良しとしない傾向がある。このままだと説教だけではなく僕のレベリングの時間が制限されかねない、顔は笑っていても目が据わっているキリトにどうにかして許してもらおうと必死に方法を考えていれば、後ろから誰かが僕の肩を叩く。

 

「シャルテちゃん。私も少しお話ししたいかな」

 

 同じく目つきの鋭くなったアスナからもそんな事を言われる。

 試しに逃げようとしてみたが、その間にキリトからも肩を掴まれてしまう――どうやら僕に逃げ道はないようです。

 時間にして三、四時間の練習をこなし、まだレベルを上げる為に残りたいという僕の意見は二人に却下されて『明日に備えて身体を休よう』と《トールバーナ》に戻る事になった。

 そこで消費したアイテムを買い揃えていると、アスナがふと宿のベッドについて愚痴を零(こぼ)す。

 

「まあな……NPCが看板を掲げてやってるわかりやすい宿はどこもそうだと思う。ベッドは硬い、風呂も無い、慣れるまで寝れた気分じゃないだろ」

 

「ちょっと待って……わかりやすい宿 "は" って、他にも宿なんてあるの?」

 

「ある。看板を出してはいないだけで隠れ宿として一般の民家に紛れてたり、中にはNPCが『クエストを達成してくれたから』・『単なる慈善事業』みたいに何かしらの理由で寝泊まりさせてくれたりな」

 

 結構有名な話しだと思うんだが、そう付け足して締めくくられたキリトの言葉にアスナは肩を落としていた。彼女が言っていた言葉からして、恐らくこの1カ月お風呂にも入れていないのだろう。ここにおいてそれが問題のない事だとしても、気になるモノにとってはこの上なく気になる類の事だ。

 

「……キリトの泊まってる場所はお風呂つきだったよね、たしか」

 

 ――だから、というワケではないが僕はそれとなく舟を出してみた。

 

「キリトくん……それって本当?」

 

 すると案の定、彼女は舟に手をかける。

 

「一応、あるにはあるが――」

 

  "シャルテの家にもあるよな。" とでも続けるつもりだったのか。しかしそれを掻き消してアスナはキリトの肩を掴んで声を上げる。

 

 ――お願い、お風呂を貸して!

 

 響いた彼女の声に辺りのプレイヤーは皆一斉にキリトを見る。突き刺さる視線に冷や汗を流した彼は酷く慌てて、そのままアスナを借りている宿へと連れて行く事になった。当然誰かに宿を特定されない様、遠回りをしてだが。

 

 彼女は予めキリトに「覗かない」様に釘を打ち、そうしてお風呂への扉をくぐる。彼は彼で「終わったら声をかけてくれ」とリビングにあるソファで横になっていた。これだけなら男性の宿で見知らぬ女性が風呂を借りるという大問題以外は何の変哲(へんてつ)もない事で本人間の了解があれば概ね問題はないのだが――。

 

「アスナさんちょっと待って。腕引っ張らないで、お願い……」

 

「どうしたのシャルテちゃん。顔が赤いけど、恥ずかしがる事ないよ? 女の子同士ゆっくりお風呂に浸かりましょう。キリトくんが万が一覗きにきても私が追い出しちゃうから」

 

 笑顔で脱衣所まで僕を引っ張って来たアスナにようやく僕の声が届いてくれた。追い出すと言って《リニアー》を放つ真似をする彼女に向けて「違うんです」と、少しだけ大きな声だす。

 

「違うって、キリトくんがそんな事はしないっていう事?」

 

「たしかにキリトはそんな勇気ないからしないとは思うけど、そうじゃなくて…………僕、『女の子じゃない』です」

「えっ……?」

 

 ポカンと。そんな表現が綺麗に当てはまる様に呆けるアスナへ向けて、精神的なモノでもなく、僕は曲がりなりにも一応生物学的に男であると念を押す。それでもまだ信じられないという様子の彼女にそれを証明させる為、僕は自分が着ている上衣の裾を軽く捲った。

 

「ちょっとだけ、悪意ある感じに触って見てください。多分イエローのアナウンスがでるはずですから」

 

「えぇっ!? 悪意ある感じって言われても……シャルテちゃん、顔色悪いよ? 無理しなくても私はキリトくんには何も言わないし――」

 

 顔色が悪いのは身体に直接触れられたくないからです、お願いですから早く誤解を解いてください。口には出さず懇願し、まだるっこしいと業を煮やしてアスナの腕を掴んで無理矢理に僕の脇腹へ手を触れさせた。

 そして、何故か僕では彼女に対して警告表示が浮かんでしまったが、とりあえずはそれを確認させて僕はアスナの手を離すとほぼ同時に警告も消える。

 

「本当なら僕の方に警告がでると思ったんだけど……あれで、わかってくれました?」

 

「うん……わかった、けど……シャルテちゃん、キリトくんには伝えたの?」

 

「一応、口では伝えました。でも翌日になったら忘れられてたんです」

 

 まだ僕がキリトと別々に動き始める前の事だ。周囲を気にしたり飛び交う噂や慣れるまで精神的にも余裕がなかったのは仕方ない事だと思う。ただ、一つ宿の下で彼に気を使われてはかなわないと個人的に色々と考えながらも自分は女性ではない事を宿で二人きりの時に打ち明けた。それに彼も多少は驚いてはいたが受け止めてくれた様にも思えたというのに――翌朝になったらすっかりまるっと彼の記憶から抜けている。いくら仕方ないとわかっていても思わずグーで殴ってしまった光景は今でも鮮明に思い出せた。

 

「とにかく僕は失礼します。色々と、すいませんでした」

 

 顔を赤くするアスナから逃げる為に僕はそれだけ残して脱衣場から真っ直ぐ出口へ向けて走る。突然お風呂場から走って出てきた僕にソファで寝ていたキリトも気づいて何かを言っているがそれには答えず、自分の宿に戻る事を伝えて一目散に彼の宿から外へ抜け、目的の宿に到着すると何故かドアの前にアルゴが立っていた。

 

「ちょっと中で話せるカ? 一応シャルにも伝えておこうと思ってた話しがあるんだ」

 

 いつものおちゃらけた雰囲気は少しナリを潜め、神妙な面持ちのアルゴを見た僕は黙って宿のドアを開けてから手招きをした。彼女は中に入るとそのままテーブルの近くにある椅子に座って、僕がその対面に座る。

 

「フードで顔は隠せたけど身体の線は丸わかりだナ……良い防具が入れば紹介するゾ? 勿論情報料は取るけどナ」

 

「もし僕が見つける前に見つかりそうならお願い。フーデッドコートだっけ、そんな防具があれば良いんだけど……どうしても男性用ってなると守りが局所的な防具が多くてね。今みたいに顔を隠せるだけマシだよ」

 

 本題に入る前のワンクッションとして彼女が切り出した話しは僕が頭につけたフードの事だった。アルゴの言うとおり身体の線は隠しきれていないがこれに関して今は顔を少しでも隠せる様になっただけマシだと我慢するしかない。流石に安全圏内で外へ出る度に隠蔽を使って動き回っては悪目立ちが過ぎる。タダでさえ《はじまりの街》に籠もっているプレイヤーもいるだろう現状でそれは悪手でしかない。実際、既に何度か試しているが一部プレイヤーから視線が集まりすぎて逆効果でしかなかったのだ。

 

「まあそっちについてはわかったヨ。それで、本題についてだが――シャルもボス攻略に参加するんだってナ」

 

「ふぅん……情報が早いね。成り行きで参加する事になったんだよ。キリトからこんなメールが来なかったらレベルを二十まで上げてからボスに挑むつもりだったし」

 

 言って、僕はウィンドウを開いて今日キリトから来たメールを開くとそれを可視化させてアルゴに内容を見せる。笑いを堪える彼女に僕は『キリトが気を許している知り合い以外には聞かれても教えたらダメ』と口止めし、彼女もそれに応じて頷いてくれた。

 

「 "シーちゃん" はやっぱり優しいナ」

 

「今みたいにヘタレたメールを勝手に第三者へ見せる人間が優しいワケないでしょ」

 

 アルゴが不意にそんな事を口にし、僕は直ぐに言葉を返した。が、いつの間にか笑いを堪えていたはずの彼女は消えてしまい、宿前にいた時と同じ雰囲気をしている。

 

「そう何だかんだ言って、結局は "キー坊の願いに応じてる" だロ。それにシャルは『このゲームでの死は現実の肉体の死を意味する』って茅場の言葉を信じているんだろう? だからそれだけ隙が無い……ほら、また警戒心が強くなった」

 

 ジッと、まるで品定めをするかの様に此方を見つめて淡々と喋るアルゴから僕は顔を背けた。

 

「オネーサン、情報屋なんてやってるからそういう機微にも敏感なのさ。正解率はボチボチなんだけどナ」

 

 今更言われても遅い。反射的に強くしてしまった警戒心はそう容易く収まるモノではないのだ。ただアルゴはそこで一度言葉を切って、一言。

 

「――気をつけろヨ」

 

「うん……ボスに関しては堅実にいくつもりだから。心配してくれて、ありがとう」

 

 僕が素直にそう答えると何故かアルゴは表情を堅く、眉をひそめた。

 

「オネーサン、シーちゃんはキー坊と同じ穴の狢の気がしてならないゾ?」

 

「さあね。感謝すべき事だから僕は感謝した、当たり前の事だと思うけど。子どもが近所の人から飴(あめ)を貰ってお礼を言うのと同じだよ」

 

「そうかそうか――ところで気になってはいたんだけど、メモ帳で話さなくて大丈夫なのか?」

 

 急にそんな何とも露骨な話題転換をしたアルゴを一瞥して、一息ついた後に僕はゆっくりと口を開く。

 

「アルゴの堪の良さと僕が女じゃないってわかってる事が大きい、かな?」

 

 そう言う割りには未だに相当警戒心を張っている辺り、本当に隙がないなどと口にしたアルゴを見て「色々あるから。これ以上は情報料をもらう」、僕がそう返すと彼女は食いついてきた。

 

「何コルだ?」

 

「……そんなに気になるの?」

 

「個人的に、な」

 

「じゃあ、 "リアルに関わる個人情報だから教えられない" って情報は何コルになるか。査定してみてよ」

 

 少しだけ僕は言葉のアクセントを分けて返事をするとアルゴは「言い値を払う」と言ってきた。

 

「――なら、無料でいいよ」

 

 だから、僕はそう答える。アルゴは少し目を伏せ小さく唸り声を上げながらジッと此方を見てくるがそれに僕が何の反応も示さずにいると、彼女の方が先に折れてくれた。そうしてため息混じりに雰囲気を戻した彼女はだらしなくテーブルに身体を預ける。

 

「オレっち、シャルが苦手かもしれない……」

 

「それはお互い様って事にしておけばいいんじゃないかな。――話す事がもう無いなら僕は寝ようと思うんだけど」

 

 自分でも強引な切り上げ方だと思ったが、会話の流れをそこで断つ。アルゴも最後に一つだけと、だらけていた雰囲気を再び引き締めた。

 

 

「シャルにも念の為言っておくが、オレっちや他のプレイヤーが纏めたベータ版での情報を参考にするのはかまわない……でも鵜呑みにはするナ。あくまでもベータ版の情報でしかないんだ、全部ではないにしろ正規になった今、何らかの修正や変更がされていると考えた方が良い」

 

 何も言わずアルゴの忠告に僕はただ静かに頷いて、彼女もそのまま宿を出て行った。先程までの音がなくなって寂しさの増した宿の空気を気にもせず自分の部屋に戻って武器以外の装備を外してベッドにうつ伏せで寝転がる。

 本当なら最後のレベル上げにでも行きたいがせっかくキリトとアスナの説教からも逃げ出せたというのに、外に出て見つかればそれこそ面倒だ。ボス攻略は今日から二日後の朝にある。当日まで少しでも気を休められるなら休めたい。

 

 寝る前にアルゴとキリトにもう寝る旨を記したメッセージを飛ばし、キリト宛てのモノには明日も何かボスに向けてやるならメッセージを連打するなりして起こしてほしいと追記で頼んでおく。

 布団をかぶり、中で丸くなって僕は来る日に備えて目を瞑(つむ)った。

 

 * * *

 

 ――そうして、ボス攻略の日は訪れた。

 迷宮区の中、ボスがいるとされる部屋の前に集まったプレイヤーは四十を越え、その集団の前に立つディアベルが声を上げる。

 

「今、この場に誰一人欠ける事なく集まってくれた事が俺は嬉しい。だから先にお礼を言わせてほしいんだ……皆、本当にありがとう!」

 

 彼の言葉に僅かだが場の空気が引き締まる。それでいて固さが抜け、ディアベルに声をかける者もいればただ黙って目を閉じている者もいた。

 

「ベータテスターが善意から提供していた冊子によると、このフロアのボスは "イルファング・ザ・コボルトロード" という大型のコボルトになっている。更にコイツは取り巻きとして "ルインコボルト・センチネル" を三体使役し、体力のゲージが一つ減る度にその数は増えて最大六体になるらしい――だけど、これの最後には『あくまでもベータ版の情報であり正規版において正確ではない可能性があります』と赤字で書かれていた。だから皆もそれを頭の片隅にで良いからいれておいてくれ」

 

 そして、彼の口から各パーティーの班名との仕事が言い渡される。僕・キリト・アスナはE班、仕事は人数が少ない為比較的負担が少ないと思われる取り巻きの取り巻き担当、つまり配置された近くにいる他の班が狩り損ねたルインコボルト・センチネルを始末するサポート役があてがわれた。

 そんな僕たちの下にまるでゲームでよくあるトゲつき鉄球のような髪型をした男が近づいてきた。彼の姿を見るなりキリトは少し表情を強ばらせ、アスナに至っては明らかに顔をしかめている。

 

「あんたらの仕事はワイらのサポートや。こっちが対応できなくなった時だけ動いてくれればいい……くれぐれも独断で動いて邪魔だけはせんといてや」

 

 ぶっきらぼうにそう言った彼にキリトは「わかっている」と答え、それで満足したのか男は自分のパーティーへと踵(きびす)を返した。男が背を向けるとほぼ同時にしかめ面をする二人の肩を僕はつつく。

 

「ああやって虚勢を張って、少しでも自分を落ち着かせようとしてるんじゃないかな……なんて。この際真意なんてどうでもいい、さっきのは人数が少ないこっちが無理して危険な目にあって欲しくないから――そういう善意の言葉として受け取ればいいんだよ」

 

 できる限りキリトとアスナにだけ聞こえる声量で言ったつもりだったのだが、どうやらトゲトゲ頭の彼にも届いてしまったらしく僕を睨むような視線が飛んでくる。それを無視して僕は一人、ゆっくりと深呼吸をした。

 そうして全体の確認を終えたのか、ディアベルの声が迷宮に響く。

 

「俺たちはここを全員で突破して、未だ恐怖に怯えているプレイヤーに示すんだ。自分たちは戦える事を! 頑張れば百層だって突破できるという希望を! 勝とう――ただし、絶対に死ぬな!」

 

  "オォォォッ――!"

 

 プレイヤー達が彼の声へ応える様に叫びを上げ、全体の指揮はこれでもかと高めてからディアベルを筆頭に続々とボス部屋へ人が流れ込む。

 無機質な石造りだった迷宮区とは違い、室内は床と天井を除いて大部分がステンドグラスに似た何かで構成されていた。床も床で、有り体に言うなら『大理石の様』。

 総じて幻想的な美しさを醸す空間の奥には大きな椅子に座す王が一体、目算にして三メートル前後の大柄なコボルトが斧の先を床にたて、此方を見下ろしていた。

 

「――全員、配置についてくれ」

 

 威圧感さえ感じられる空気の中、ディアベルは落ち着いて指示を出していた。主だってボスの攻撃を受ける "タンク" という役割を与えられた二班が最前列に、中列にはメインとなるアタッカーの他に取り巻きを担当する班が並ぶ。指揮者でありアタッカーも兼任するディアベルもそこへ並び、サポート役である僕たちは中列左の取り巻き担当の後ろに回り隊列は完成する。

 各々が戦闘準備を整えると、まるでそれを待っていたかの様にイルファング・ザ・コボルトロードは鼻を鳴らすとゆっくりと腰を上げ――吠えた。

 

 突然の遠吠えに全員が対応できずに耳を塞いだ。そして、室内には王の声を皮切りに四体のルインコボルト・センチネルが現れる。

 

 ――フンッ。

 

 鼻を鳴らしたイルファング・ザ・コボルトロードはまるで自分が相手をするまでもないと言うのか、自分を守る衛士(えいし)たちに向けて鼻先で僕たちを示した。

 

「皆、くるぞ……! A班、B班は予定通りボスの前へ! GとHは今のうちにコボルトロードに攻撃だ、C・D・E・Fはセンチネルを頼む!」

 

 ディアベルの指示によって此方もようやく動き始め、各班各々の仕事をこなす為動いていく。が、出現したルインコボルト・センチネルは計四体なのだ。最初こそサポートするまでもなく取り巻きを担当した六人のグループは半分に分かれる事で対処を開始した。 つまるところ、僕たちは手持ち無沙汰。不謹慎ながら簡潔に言うなれば『暇』だった。

 

「意外と戦えてるんだね。もっと最初から苦戦するかと思ったんだけど」

 

「そうだね、このまま勝てるといいんだけど……」

 

 フェザーナイフを構えたまま持て余している身体を動かす僕の言葉に細剣を手にいつでも《リニアー》を放てる体勢を整えているアスナがそんな事を言う。この間にもルインコボルト・センチネルは倒され、瞬く間に補充されてはいるが戦線そのモノは非常に安定していた。

 

「本当にこのままで終われば良いんだけどな……誰も死なずにいけるなら、それが一番だ」

 

 緊張を緩めないキリトの言葉にアスナも僕も肯定を示す。いくら自分たちのレベルが高いとはいえ、それを理由に与えられた仕事を放棄して輪を乱し、今の安全性を欠いては本末転倒も甚だしい。もっとも、この場に置いてゲームの死が現実の死へ繋がると本気で考えている人間が何名いるかなどわからないのだが――。

 

「――どっちに転がるかは、茅場晶彦の考え方次第だと思う」

 

 ポツリ、零してしまった言葉に二人からの視線が突き刺さる。考え方と言ったが茅場の性格がどうこうというワケではない。 "この世界は君たちにとってもう一つの現実となった" といっていた彼にとって『現実』とはどう映っていたのか、その考え方だ。

 

「例えばだけど、もし彼にとっての現実が理不尽なモノなのだとしたら――」

 

 士気にも関わる内容だ。可能な限り二人にしか聞こえない声量に抑えて、僕は言い切る。その言葉にキリトもアスナも表情を曇らせた。それが全てとは言えないが現実とはそういうモノだ。

 いつだって、現実は理不尽の中にある。理不尽は現実であり、現実とは理不尽なモノなのだから。

 

 当たってくれるなという祈りを嘲笑う様に、気持ち悪い程順当に事は進んでいきゲージにして四本あったイルファング・ザ・コボルトロードの体力が残り二本になった時、理不尽は芽吹いてしまった。

 

「そこ……邪魔っ!」

 

 取り巻き担当の一人を挟み撃ちにしようと背後から近づいていたルインコボルト・センチネルの側頭部を、僕はアロイダガーの柄で殴打する。元々重量のある短剣だ、衛士のかぶっている兜(かぶと)は凹(へこ)み、情けない声を上げてたたらを踏んだ。

 よろけている隙に僕は装備をフェザーナイフに切り替え、鎧の間から相手の肘へ刃を入れて関節から腕を両断する。痛みからか悲鳴を上げたルインコボルト・センチネルに僕は容赦なくソードスキルを使った。

 

 短剣基本単発ソードスキル《アーマー・ピアース》。細剣の《リニアー》と似た刺突系ソードスキルによって僕の握るフェザーナイフは綺麗に敵の背後から喉元を貫いていた。

 使用したのは初期から使える基本も基本のソードスキルであり熟練度のおかげで硬直も短く済む。そのまま短剣を横に薙払ってから僕は空いた手で相手の頭を手で薙いだ向きとは逆に押し、首なしのルインコボルト・センチネルがポリゴン片に還(かえ)るよりも早く次の敵を倒しに向かう。

 一本目のゲージを削りきった時、確かに取り巻きであるルインコボルト・センチネルは増えた。しかし数は一体であり別段取りこぼす何て事はなく、順調にアタッカーはボスの体力を削り、タンクも隊列を乱す事が無かった。それが今ではどうだ。

 

「タンクは自分の体力に細心の注意を払え! アタッカーはタンクを攻撃しようとする取り巻きを最優先に処理するんだ!」

 

 ディアベルが大声で指示を飛ばし、戦況は綱渡りの一途を辿っていた。現在部屋にいるルインコボルト・センチネルの数は十二、開始当初の三倍でリポップまでの時間も早く数を減らしてもキリが無い。それだけの相手が王の指示に従い隊列を組んで動いているのだ。この状況で唯一助かっている事と言えばイルファング・ザ・コボルトロードが取り巻きに指示を出している為か攻撃の手は限りなく減り、取り巻きをリポップさせる度に僅かながら無防備な時間が生まれる程度。それを差し引いても部が悪すぎる。

 

「倒しても倒しても無限湧きとか……本当にイヤラシイ改変してくれるね」

 

「まったくだ……くそっ。このままじゃジリ貧だぞ!」

 

「キリトくん、シャルテくん、大丈夫!?」

 

 アスナから飛んできた声に僕は軽く腕を挙げて返事をする。サポート役として一カ所には余り留まらず、危ない味方の場所に行ってはそれを排除・処理が間に合わない場合は前線に上がり湧いた敵を逐次倒してを僕たち三人は繰り返していた。

 こうしている内にも新しく敵が生まれ、此方に向かって駆けてくる。一体のルインコボルト・センチネルがキリトに飛びかかるも彼は片手剣で棍棒を横へと払う。

 

「アスナ!」

 

「ハァァッ――!」

 

 キリトの声に、アスナは無防備になった衛士の首に渾身の《リニアー》を放つ。正確に鎧と兜の隙間を突いた一撃はその体力を一気に削った。かけ声がなくとも彼女の攻撃にスイッチしてキリトは片手用直剣基本単発ソードスキル《スラント》で残りの体力を全て削っていった。

 しかし十数秒後には倒したはずの衛士たちが再び産声を上げる。

 

「ロードの体力ゲージが四本目になったらセンチネルが更に倍の二十四匹とかで無限に湧かれたら、そんな事になったら流石に冷や汗モノ何だけど」

 

「そんな碌でもない事を言わないでくれ……そうなったら冷や汗どころの話しじゃないんだ」

 

 そう言っていたキリトの声には焦りが混ざっていた。実際にそうなってしまったら最早ボスに安定した攻撃をする事はまず無理だろう、レベルに物を言わせるにも限度というモノがある。

 

「私は左側に向かうからシャルテくんは右側の敵をお願い」

 

「ん、わかった」

 

 アスナの声で僕と彼女の二手に分かれ、近くで産まれたルインコボルト・センチネルを始末しに向かう。レベルに物を言わせる事に限界があるのなら限界でないうちはそのまま暴れていればいい。

 初撃で腕の関節を狙って落とし、次は膝か首を突く。ただでさえ数が多いのだ、無理に撃破を目指すよりも一時的とはいえ攻撃の要と移動手段を奪った方が安全である。

 

「危ない――シャルテちゃん、後ろに避けるんだ!」

 

 そうして僕が無い余裕を振り絞っていた時に聞こえてきた良く響く声に、張り倒したルインコボルト・センチネルへ振り下ろそうとした腕は動きを止めて身体は後ろに大きく飛び退く。

 

「うわ――っ!? 危なっ!」

 

 その直後、眼前約一メートルの床を大きな斧が半ば埋まる形で斬り裂いていた。

 まるで自分を守る衛士を庇うかの様な行動を見せたのはタンク等(ら)が引きつけているはずのイルファング・ザ・コボルトロード、どうやら派手に動いていたせいか僕にヘイトが向いてしまっているらしい。しかしディアベルの指揮によってタンクは直ぐに僕と王の間へと割って入り、数名のアタッカーが僕に対して溜まっていたヘイトを奪う。

 

「大丈夫かい? あまり無茶はしない方が良い」

 

「……すいません、ありがとうございます」

 

 駆け寄ってきたディアベルからかけられた言葉に表情を崩さず、少しだけ頭を下げて再び持ち場に戻る。彼の目に背を向けて何も持っていない左手でフードを目深にかぶり僕は顔を隠した。眉間に寄ろうとする皺は隠せているだろうか。

 

 『無茶でもしなきゃやってられるか』、そう毒づいてしまえば士気に関わる。

 此処にいるプレイヤーの中にはレベルが安全マージンギリギリかそれ以下という者も混ざっていると思って間違いはないはずだ。これ以上取り巻きに増えられてはボスに対して攻撃の手がかなり薄くなる。そうなれば結果として外野で取り巻きを相手にしている此方が目立ち、その分だけヘイトを稼ぎ敵からターゲットにされやすくなってしまう。

 なら、ターゲットになっても問題ない人間がヘイトを稼げばいい。たとえ極僅かだとしてもボスへの攻撃時間を増やせるのならやらないよりはずっとマシ、そうした場合適任は一番レベルが高いかも知れない僕だろう。

 そんな考え事をしながら戦っていたせいか、ルインコボルト・センチネルの持つ棍棒で横薙(よこなぎ)に殴打されて僕の身体は軽く飛ばされるがそれよりも早く近づいて相手の首を飛ばす。

 

「あー……やっぱり微妙な痛さだなぁ。本当にやりにくい。で、回復アイテムはジリ貧と」

 

 インベリトリからポーションを取り出して最後の一本となったソレを一気にあおる。イエローまで落ちていた体力は幸いにも一つで全快まで持ち直してくれた。ディアベルは膠着(こうちゃく)する戦況を打開すべく取り巻きの部位を破壊して放置する事で動きを制限する様に指示をだし、とうとうボスへの攻撃は再開される。

 

 ――新たな異変が起きたのは、イルファング・ザ・コボルトロードの最後の体力ゲージが赤く染まった時だった。

 

「みんな、気をつけてくれ! 敵の動きが変わるはずだ!」

 

 『イルファング・ザ・コボルトロードの最後の体力がレッドゾーンまで削れた時、それまで使っていた斧を捨ててタルワールという曲刀に持ち帰る』、冊子にはそう書いてあった。

 全員が全員、ディアベルの声に各々がいた場所を起点としてボスから離れる。

 

 (情報通り、なんて事は期待できないよね……)

 

 イルファング・ザ・コボルトロードは戦いが始まった時の遠吠えよりも一際大きい雄叫びを上げ、その声で部屋が震える。それに十二体もいたルインコボルト・センチネルは姿を消した。そして、王の持つ斧と盾までもが消えて新たに取り出した得物はやはり情報とは違っていた。

 

「……太刀?」

 

 得物の長さは王の身長よりもあり刃渡りは大凡その八割を占める、曲刀と呼ぶには見てわかるほどに反りが浅く、刀と呼ぶには長すぎる。長物(ながもの)を下段に構える姿には今までには無い明確な敵意と威圧感にプレイヤーたちがどよめく中、ただ一人、青髪の彼はボスへと突っ込んでいく。

 

「ダメだ……急いで後ろに下がれ、ディアベル!」

 

 誰もがそんな突飛な行動に驚いている中で、人混みの向こうからは届いた聞き慣れた声には焦りが滲んでいた。ただ、ディアベルはソードスキルのモーションに入ろうとしていたのか僅かに反応が遅れていた。その "僅か" がこの場では致命的だった。

 長物の刀による下段から上段への切り上げ――名前も知らないソードスキルによってディアベルの身体は強引に宙へと放り上げられる。たった一撃で彼の体力はイエローまで削られていた。それを見てようやく自由を取り戻せた僕は直ぐに彼の下へ駆け出した。

 

 ――王の長物が赤く光る。

 

 それが放たれるよりも早く僕が飛ぶ。

 アジリティで強引に近づいて、たった三十センチ程の慣れない跳躍でもディアベルの襟を引いて左脇に抱える事はできた。

 袈裟に振り下ろされた長物を受けるフェザーナイフに左手側面を添えて押し切られない様にで防いだがタイミングが遅過ぎたせいで流す事も弾く事もできず、それだけで悲鳴を上げる。 このままマトモに防ごうとすれば先にフェザーナイフが折れてしまう事は簡単に予想がついた。結果として二人揃って両断されるだろう。

 

(そうなるよりは――!)

 

 力に逆らうのではなく、フェザーナイフを振り切って力をかけられた方へと身体を押し出す。それでも、足りなかった――。

 

 受け身もままならず無様に地面に叩きつけられた僕たちを見下ろしながらイルファング・ザ・コボルトロードのソードスキルは宙を斬っている。

 

「ディアベルさん、生きてる?」

 

「……いや、ダメみたいだ」

 

 二メートルもないとはいえ背中から床に叩きつけられた衝撃は予想よりも遥かに強かった。それでも結果だけは確かめなければいけない一心で横になったまま力の入らない身体で声を出す。近くから聞こえた彼の返事は僕の声よりも弱々しくて、暗かった。横目で彼の体力を見ると、体力は全て真っ赤になっていて、それが徐々に減っている。そんな赤の向こうから見慣れた剣士が走ってくる姿が見えた。

 

「――キリト、ディアベルさんにポーション……僕、持ち合わせないんだから、早く」

 

 ただ見つめる事しか出来ない時間は焦れったく、ようやくキリトが到着してディアベルにポーションを飲ませようとしても彼はそれを拒否した。

 

「キリトくん……すまない、みんなの事を頼む。キミなら出来るはずだ……」

 

 それだけ遺して、彼の身体は血も、骨も、彼がそこに居た痕跡ごと砕けて消えた。その様子は周りからも見えているのだろう。

 

 一人、逃げ出すプレイヤーが現れた。二人、自棄になって敵に向かっていくプレイヤーが死んだ。三、四、五と、起きた事に錯乱(さくらん)して戦線は崩壊を始めた。

 

「……最悪だ」

 

 耐久が限界を迎える寸前のフェザーナイフから頑丈なアロイダガーに持ち替えて、キリトの支えも借りて僕はゆっくり立ち上がる。頭を隠していたフードは消滅し、長い髪が外気に晒され勝手になびいた。

 回復アイテムは尽き、体力はレッド寸前、一撃貰えば死ぬかも知れない――でも、ふぬけた感覚を煽るにはちょうど良い。

 そうこうしてる間にもキリトの制止を求める声が響いて、断末魔の様な叫び声が聞こえた。

 

「キリト……僕が時間稼ぎしてみるから、その間に使えそうなのだけまとめてみて。自信があるかないかじゃなく、足掻くか・死ぬかの簡単な二択だから」

 

 ゆっくり会話をしてる暇もない。自滅していったプレイヤーのおかげで動けずにいた僕がターゲットになることはなかった、でもこのままジッとしていれば無駄に死人が増えるだけ。

 真っ直ぐ走り、王の振った刀に横から《アーマー・ピアース》を当てて隙を作る。たったのそれだけでターゲットは僕に移る。

 

「遊ぼうか、犬の王様?」

 

 この場に相応しくない笑顔を浮かべながら右からの切り上げを屈んで避ける。返しとして振るわれた唐竹(からたけ)を王の足下まで走り攻撃圏内から出て、丸太の様な太い足にアロイダガーは小さな傷をつけた。蹴りを横に避け、バックステップの最中後ろから伸びてきた刀身を短剣の腹で流す。ひたすら弾いて、流して、避けて、ソードスキルにはソードスキルを重ねて叩き落とす単純作業の繰り返し。

 やがてその中に新たな剣が加わった。細剣を手にしていたアスナがソードスキルで剣を弾き上げる。

 

「一度下がって、シャルテちゃんは体力を回復して! そんな状態じゃ危ない!」

 

「大丈夫。どっちにせよポーションないし、危ない位がちょうど良いから」

 

 何言ってるのと言われても、擦り切れそうな自分の命を前に今の僕は感覚が冴えていた。当然ノーダメージなんて事はなく相手の長物が頬を掠めれば、その度に体力は僅かながらに減っていく。その綱渡りに、心が踊って仕方がなかった。

 

「僕はまだ戦える。走れる。動けるんだ……ただの使えない肉の塊なんかじゃない」

 

 僕は僕だ。他の何者でもない――。

 

 やや間があって、ようやく元の感覚を取り戻した手ごたえがあった。体力はレッドを越え、その半分。アスナからかけられる制止の声も無視しながら嬉々として短剣を手に駆け回っている僕の後ろ襟が突然誰かに掴まれて、そのまま一気に後方へと引きずられた。

 

「何するのさキリト――んぐっ!?」

 

「良いから黙ってポーションを飲め!」

 

 不満から睨みつけて文句を言うため口を開けた僕の口内に、眉を釣り上げたキリトがポーションの瓶口をねじ込んだ。突然の事で気管に入って抵抗してもそれが理由と気づかれず、中身が空になったのを見届けてようやく彼の手で瓶が引き抜かれ、咳き込む僕を見るキリトと目線が合う。

 

「うぇっ……はっ、ちょっと、いきなり止めてよ……。気管に、入ったでしょ」

 

「それは後で謝る。今はそれよりもアイツらが立ち直るまでの時間稼ぎが優先だ、回復アイテムも殆ど無い三人じゃどっちにしろ危険すぎる……せめて、逃げるなら逃げるで時間稼ぎ位しないといけないだろ。体力が回復しきるまでシャルテは後ろに待機しててくれ、その間は俺とアスナで引きつけておく」

 

「はぁっ!? まとめたから来たんじゃないの!」

 

「俺は言葉が苦手だからな、態度で示す方がずっと楽なんだ!」

 

 今度は僕の手を振り切ってキリトがアスナの隣に立った。じわりじわりと回復していく体力がもどかしく、未だ動けないでいるプレイヤーたちに疎ましげな視線と一緒に小さな舌打ちが自然と零れる。

 

「何で、何で戦えるんだよ……」

 

 回復する体力に気を緩めない様にしていると、遠くのプレイヤーの中から声が飛んできた。

 

「勝てなきゃ死ぬ、生きのびたければ勝つしかない……アナタたちが退きたければ退けばいい。誰も、それを責めはしないと思いますよ」

 

 面倒くさい。割り切りがつけられないならサッサと出ていけ、言外にそう込めて遠くに言葉を返して僕も防戦に戻った。逃げるなら逃げる、戦うなら戦う、どちらかに決まれば此方も動き様があるのに間で棒立ちされては舵のきりようもない。こうなったら体力がなくなるまで相手の足元でちまちま通常攻撃をしようとまで考えていた時、プレイヤーの集団から二人が抜けて、イルファング・ザ・コボルトロードへと牙を向いた。

 

「――どらァァアアッ!」

 

「――いい加減、倒れてしまわんかい犬っころがァ!」

 

 大柄でスキンヘッドの男が斧で王の刀を受け、ボス部屋前で二・三言交わしたトゲトゲ頭の男がそれを長剣で弾き上げる。

 

「子どもたちが命を張って頑張ってるんだ……大人である俺たちが怖じ気づいてどうする!」

 

「そうや……『 "ここで勝って、まだ動けないでいるプレイヤーたちに道を示す" 』。退くなんて選択肢、端から存在せぇへん。やるしかないんは皆一緒や!」

 

「エギル……キバオウ……」

 

「エギルさん、キバオウさんも……」

 

 そんな二人の叫びは棒立ちだったままのプレイヤーたちに届いたのか、徐々に戦線に復帰する数も増えてくる。それを戦いながら確認して王が他に手をやいている隙をついてキリトの傍までいき、声をかける。

 

「キリト、指揮。知ってるんでしょアイツのソードスキル」

 

 僕の言葉に少し戸惑いを示したが、それでも、彼はゆっくりと一度深呼吸をしてから大きく声を上げた。

 

「――タンクはアイツからあまり距離を取るな! アタッカーは後ろをとらない様に、出来る限り足下を狙って攻撃! ソードスキルを避けれないと判断したら一気に敵の足下まで走って屈め!」

 

 指示をだしているのが名も知らぬ剣士だとしても、それが防衛にまわっていたプレイヤーなら多少は聞く耳を持ってくれるだろう。

 

「俺も前線で指揮をしながらアタッカーをやる。アスナとシャルテも、アタッカーを頼む」

 

「うん、わかった」

 

「了解」

 

 残ったメンバーによる即興の部隊編成でも、バラバラよりはずっとマシだ。新しく与えられたアタッカーの仕事を真っ当する為に動こうとキリトに背を向けた所で、彼から呼び止められる。そこで言われた『万が一』に備えての対処に承諾の返事をして、今度こそ前線に上がる。

 取り巻きがいなくなった今、此方に相手のソードスキルを把握してる指揮者がいてプレイヤーたちはある程度の落ち着きと『勝つ』という共同の目的で統率がなっている事でボス討伐の難易度は格段に下がっていた。その証拠に、王の体力が瞬く間減っていく。

 

「――これで、終わりだ!」

 

 片手用直剣基本縦二連撃ソードスキル《バーチカル・アーク》。

 

 王の武器を打ち上げられ、がら空きになった懐にキリトが放ったVの字斬りは残り数ドットになっていたイルファング・ザ・コボルトロードの体力をゼロにした。

 王は砕け、部屋中央の真上にはプレイヤーたちの勝利を讃(たた)える文字が浮かぶ。その称賛は生者・死者に関わらず、分け隔てなく手向けられたモノの筈だ。

 

「お疲れ様、二人とも」

 

 重苦しい雰囲気の中、空気も読まず僕はアスナとキリトに声をかけた。が、二人からは落ち込んだ声色で返事がくるだけ。今現在残っているプレイヤーはザッと二十前後――大凡二十が逃げ、九人弱が死んだ。何より、リーダーであったディアベルが死んだという事実は予想以上に大きく残っていたらしい。

 そんなギリギリの空気は、たった一人の名前も知らないプレイヤーが口にした一言で嫌な音をたてはじめる。

 

 『どうしてお前はボスのスキルを知ってたんだ――?』

 

 それはキリトに向けて言われていた言葉だった。雰囲気からして万に一つもないだろうが、単純な疑問だったとしても "やり場のない怒りの矛先" を創るには、あまりにも充分すぎる。波は大きな波を呼び、ヒビは崩れて大きさを増していく。一度こうなってしまえばそう簡単には止まらない、そうして、 "知らない情報を知っている" という可能性を突き詰めていけば何処に行き着くかも明確だった。

 

「お前……ベータテスターなんじゃないか?」

 

「たしかに、それなら俺たちが知らない情報を知っててもおかしくないよな……」

 

「もしかしてあのベータ版の情報がかかれていた冊子も嘘だったんじゃないか?」

 

 悪い考えは良く良く連鎖する。そうして、あらぬ方向にまで飛び火していくのだ。

 

 小さな火種は『キリトがディアベルを見殺しにした』、そんな身も蓋(ふた)も無い話しにまで発展し、ベータテスター全体が悪いという風潮にまで広がっていく。キバオウは《トールバーナ》でベータテスターの糾弾をしようとしていたらしく、その流れを再現するかの様に周りはキバオウを持ち上げ始めた。

 しかし当(とう)のキバオウは困り顔で言葉を濁した事でキバオウにまで引火する始末。

 

「おい――アンタら、一つ勘違いしてるぞ」

 

 ポツリ。言葉を零したキリトは立派とは言えない作り笑いを浮かべてそう言った。

 

「俺が、 "元ベータテスター" だって? あんな素人連中と一緒にしないでもらえないか」

 

 それは、挑発としか受け取られないだろう。

 

「SAOのベータテストに当選した一〇〇〇人の内、殆どはレべリングのやり方も知らない初心者だった。今のあんた等のほうがまだマシさ。俺は、ベータテスト中に他の誰も到達できなかった層まで登った。ボスのソードスキルを知っていたのも、その時に刀を使うモンスターと散々戦ったからな。他にも情報屋なんか必要にならないくらいに、俺はこの世界について知っている」

 

 周りがキリトの言葉にざわめき、いよいよ持って矛先は一点に集中し始めた。「そんなのチートじゃないか」・「ベータテスターでチーターかよ」といった陰口の果て、ベータテスターでチーターだから『ビーター』という造語まで生まれる。

 

「はっ――ビーター。いい呼び名だな、それ。そうだ俺はビーターだ」

 

 彼も彼で、いつの間に買っていたのか見慣れない黒いコートを着て悪どい笑みを深める。

 

「第二層への転移門は、俺が有効化(アクティベート)しておいてやる。転移した先から主街区まで少しフィールドを歩くから、ついてくるなら初見のモブに殺される覚悟はしておけ」

 

 そう吐き捨てたキリトが有言実行の為、主を亡くした玉座の先に現れた階段に向かう。しかしまあ、此処で彼にも予想外の事が起きた。

 

「あっ……あの白髪の女もビーターと親しげだったぞ!」

 

「それにアイツ、確か一人でボスの攻撃を防いでたよな。もしかしてディアベルも救えなかったんじゃなくって――」

 

 ほら、やっぱり。

 

「――ワザと間に合わないタイミングで助けたんじゃないか」

 

 悪い考えというのは、こうして飛び火していくんだ。

 作っていた仮面が揺らぐキリトや慌てるアスナが視界に入ったが、正直、もう我慢の限界だ。

 

「さっきからピーピーピーピー、そう思いたければ勝手に思い込んでればいいじゃん……それでキミたちは満足するんでしょ? なら、どうぞお好きにしてください」

 

 そんな如何にも『眼中にない』態度が気に召さなかったのか、怒りの声は大きくなり『味方殺し』なんて安直な称号までつけられる。本当にバカらしい。

 

「キミたちの中にこのゲームでの死が現実の死と同じだって真面目に考えている人間が何人いる? どうせ、半端な、自分は死なな――むう゛っ!」

 

 淡々と喋っていると後ろから口を塞がれた。「離せ」という意味合いを込めて口を塞ぐ手に歯を立ててもビクともしない。横目で犯人の黒いコート――キリトを睨むが、彼も彼で「それ以上火に油を注ぐな」、そんな視線を送ってくる。

 

 (わかったからサッサと離して)

 

 アイコンタクトで送ってみても伝わらず、周りからは見えない様にかかとでキリトの足の指を踏みつけ、僅かに彼の力が緩んだ隙に拘束から抜け出して、僕はプレイヤーたちを一瞥した。

 

「どいつもこいつも、甘いんだよ――」

 

 どうせ言葉の意味も通じないだろうけど、別に構わない。それだけはどうしても言っておきたかった。『今、僕の表情はどうなってるのだろうか?』頭の片隅に過ぎるそんな事を余所に、僕は一人階段を上(のぼ)りに向かう。こんな場所、早く立ち去ってしまいたい。

 

 そう思い、先を急いだは良いが階段を上った向こうにある転移門を前に足止めをくらう羽目になった。ワンタッチで有効化出来るとばかり思っていたがそうではなかった様で、カーソルを転移門に合わせても『有効化されていません』の一点張りに戸惑っていると階段を上がってくるキリトが見えた事で僕は色々と弄っていた手を止める。

 

「……これってどうしたらいいの」

 

 疑問の声にキリトは黙って僕を手招きして、転移門の影に隠れている小さなスイッチを押すと灰色だったオブジェクトが水色に灯る。

 

「おぉっ……」

 

「詳しい話しは後にして先に二層まで行くぞ。今後ろから来られたら流石に危ないからな」

 

 此方を見ず、あくまで『ビーター』と認めた時の声色で彼は言った。それに異論はない。大人しく従い、僕はキリトに続いて転移門を使った。

 

 * * *

 

 第二層主街区《ウルバス》。キリト曰わく広大なテーブルマウンテンの上に出来ているらしい二層、その主街区は《ホルンカの村》の様に何処か和やかな空気を醸す集落だった。

 

 転移してテレビでしか見た事のないサバンナに似た草原に放り出され、その光景に再び感嘆の息を零したのも束(つか)の間。キリトからは街中でも隠蔽を使うか数日は借り宿にいた方が安全と注意を貰った。

 

「とりあえず、お疲れ様。僕は適当な隠れ宿を探して今日は寝るよ」

 

 ――またな、シャルテ。アスナもまたねだって。

 

 ――そう。……うん。またね、キリト。アスナにも伝えておいて。

 

 それを最後にキリト、アスナのパーティから離れて隠蔽を使いながら《ウルバス》の中で無事に隠れ宿を発見した。月一万コルと良心的な価格の割りには部屋も広く浴槽も完備、当然即決して、僕は疲れた身体を休める為に一直線に寝室に向かってベッドへ身体を預ける。

 それから武具一式の耐久を確認し、フェザーナイフからは目を背けて未だ耐久が三割近く残っているマフラーに安堵の息を零す。胴につけている防具に関しては耐久がギリギリの為買い替えは必至だった。諸々を明日に回そうと決めて習慣となったメッセージをフレンドに飛ばす。

 

「キリト、ベータテスターとチーターって混ぜたら『ベーター』じゃないの? ビーターって、ビーバーみたい。まあ、うん、何はともあれお疲れ様。ボス討伐した時に何かボーナスが出てたみたいだけど、良かったら今度教えて。それと、キリトがアスナさんとフレンド登録してたら「ありがとう」って伝えておいて欲しいです」

 

「アルゴ、疲れた。フード壊れた、フェザーナイフが虫の息。眠いから寝る。一応、生存報告」

 

 打ち終えて、一息ついた後に小さく丸まって僕は目を閉じた。

 

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