ソードアート・オンラインIF ver.アインクラッド 作:モコモコ毛玉
『 "私は、茅場晶彦を自称した者の言葉を信じている。" 』
二〇二四年、七月末日。
第五十五層主街区《グランザム》の血盟騎士団本部内にある一室で静かな声が響いた。
「ただ、誤解しないで欲しい。信じるというのはあくまでも可能性の一つとして視野に入れておく必要があるという意味だ。シャルテ君の言わんとする事は察しがついている、それについてはやり方としては卑怯だが私自ら最後の "ふるいをかける" 予定だった」
"もっとも、今更何を言ったところで言い訳としか見られないかもしれないがね" ――ギルドマスターの私室で机を挟んで椅子に座る眼前のヒースクリフは言いながら表情を曇らせ真っ直ぐ僕の目を見つめてきたが、その意図は察するまでもない。悩んだ末に下した決断が全て自分の納得いく形で納まるかと聞かれれば答えは否、そう綺麗にまとまれば端から悩みなどしないだろう。
「団長……ふるいにかけるとは、どういう事でしょうか」
目を閉じ、ゆっくりと息を吐くヒースクリフに仲介役として此の場に居たアスナがそんな事を尋ねる。
その疑問に彼は直ぐ答えず、少しの間を開けてから "言葉通りの意味だ" と言葉を続けた。
「いきなりではあるが、今から私のする質問に素直な答えを返して欲しい……アスナ君。キリト君。そしてシャルテ君も、キミたちは茅場晶彦と名乗った存在の発言についてどう考える――?」
それは僕がヒースクリフにした質問と全く同じ、つまるところそういう事か。僕を除いた二人が唐突な問いかけに戸惑う中、真っ先に答えを口にしたのはキリトだった。
「俺は本当だと思ってる……ナーヴギアの仕組みを踏まえれば不可能ではない筈だ。用心するに越した事はない」
「私は……どちらか断言する事はできません。ですが、だからこそ危険性が高い方を念頭に置いています」
「一応、僕は信じてますよ。アスナの言う通り危険性が無いという確実な証拠は無い以上、有る事を前提に据えるべきでしょう」
彼に次いでアスナ、最後に僕も答えるとヒースクリフは小さく頷きながら相槌を打ち、今度はキリトとアスナのみを名指しした上で問いかける。
「キミたち二人は "人を殺めてしまう可能性を知りながらも自らの意思で、躊躇いもなく、その手に握りしめた刃を振りかざす事が出来ると誓えるか?" 」
そんな事を聞かれるとは想像もしていなかったのか、あるいは彼らもヒースクリフの意図に気づけたのか、恐らくは後者だろう。。二人揃って言葉を詰まらせているが無理もない。それが普通なのだ。
聞かれた事は至極単純で、要約すると『人を躊躇いなく殺せるかどうか』である。それに直ぐ答えを出せるほどキリトやアスナは極端ではなく、世間一般で言われる『異常』とも違う。
言い淀み、言葉が見つからないのか俯いてしまった二人を見て彼らをそうさせた当人はあくまでも表情を変えないまま言葉を継ぐ。
「そう暗い顔をする必要はない……直ぐに答えを出せないのは君たちが『健全』である証拠だ。だがしかし、今回の作戦ではそれが仇となってしまう可能性が極めて高い。恐らくラフィンコフィンとの戦闘は避けられないだろう。そこで相手がキミたちと同じ『健全』かを考えた場合、答えは自ずと違ってくる」
たとえ此方側がレベル・人数で圧倒的優位を保っていたとしても今回の作戦目的は "掃討" 。即ち、根絶やしする事にある。そこに半端な情けが立ち入る余地はなく、持ち込む場合は邪魔でしかない。仮に実力が拮抗しているのであればそんな優しさは命取りになりうる。
ましてやギルドマスターである『PoH』を始め、幹部クラスとされる『赤目のザザ』や『ジョニー・ブラック』など主要メンバーの強さはいずれも未知数なのだ。攻略組と同レベル帯であってもなんら不思議はない。
「わかってくれたかね。『ふるいにかける』とはそういう事だ……納得できないと言われても仕方ないのは私も自覚しているよ」
そう言って苦々しい表情のまま口を閉ざすヒースクリフにキリトも、アスナでさえ何も言葉を返せなかった。
彼だってこんな事をするのは本意ではないだろうに、だがしかしラフィンコフィンの存在はこのまま放置するには難しいほど強大な物となってしまったのもまた、事実である。
(プレイヤーを守る為にプレイヤーを殺す、か……嫌だね、本当に。)
安寧の為に自ら平穏を脅かす外敵を駆除するのは当然の事だ、それが人間だろうと虫であろうと本質的な変わりはない。ただ、同族を殺すとなれば人間は強い拒絶感を示す。
もっとも、この世界に拒絶感を露わにするプレイヤーが居るかどうかは別問題なのだが。
それ以降は雰囲気に当てられたせいか会話も無くなり、自然とその場は解散となったが、二人は最終的に「覚悟を決めた」とラフィンコフィン掃討作戦へ参加する事をヒースクリフに宣言していた。
『キリト君、アスナ君――君たちは今回の作戦に参加しない方が良い。』
しかし、去り際にヒースクリフが口にしたそんな言葉を彼らはどう受け取めたのだろうか――背後から逸る感覚にせっつかれ、浮かんだのは一ヶ月も前の出来事。あの時に是が非でも二人を引き止めるべきだったなんて今更でしかない。
(チッ、無駄に時間取られた! お願い……お願いだから、生きててよ。)
太陽に真上から見下される中、僕は自らの意思で制御可能な限界速度を維持して生い茂る樹々の間を縫い目的地へ向かっていた。
約束の時間はとうに過ぎている。辿り着いた先で広がる光景を勝手に描いては自分の手で握りつぶしを繰り返した果てにようやく開けたスペースへ抜け出ようかという時、視界前方の草木の隙間から覗く光景に目を疑った。
光を呑み込むような黒色のポンチョを身に纏う人間が振り上げた出刃包丁の圏内には見知った『黒』と『白』とが計二つ。それが何なのかを認識した時点で世界から音が消えた次の瞬間、手に伝わってきたのは硬い感触。同時に "眼前" で楽しそうに口角を吊り上げた男の姿が目に入る。
「――アメイジング……予想より随分と速い到着だ」
笑みを深めた男は出刃包丁の腹で受け止めている黒い刃を払うと同時に距離を取り、僕の傍で固まるキリトたちに退くように声を飛ばすも二人は動く気配を見せない。が、当たり前だ。直前まで此方に武器を掲げていた人間の言葉など信じる方が無理である。
警戒や恐怖の念が込もる目を向けられた男は長く息を吐き、僕の方を見るなり大袈裟に呆れた素振りを見せた。
「みすみす生き延びるチャンスを見逃すとは、理解に苦しむな……死にたくなければ早く去れ。騙し討ちを気にしているならそれは杞憂だ。お前たちには、不意をつく価値すらない」
侮辱ともとれる男の声にようやく二人が反応を示すも武器を取る事も、逃げる事さえせず、悔しさからか表情を歪ませて此方に視線を向けるだけ。
「二人とも……ヒースクリフに言われたでしょ。その優しさを棄てきれないキミたちは作戦の邪魔になるだけ。僕なら大丈夫だから、早く逃げて」
残酷かも知れないがそれは紛れもない事実なのだ。
キリトやアスナは別に武器を壊されたワケではない――だというのに男が振りかざした出刃包丁を身体で受け止めようとしていたのは "何かしらの恐怖で戦意を喪失した" か "優しさが邪魔して武器を握る事に忌避感を感じたのか" 。
もっとも、それ以前の問題として『戦場で自ら武器を手放した者』に居場所は無く、死にたくなければ即刻退場すべきだ。彼らにとっては不服かも知れない、だがそれでも今は逃げて欲しかった。
( "アレ" は……今までのとは違う。)
一撃で仕留めようと男の頭部を貫くつもりで放った死角からの突きを、彼は平然と受け止めた。それこそ攻撃される場所が分かっていたかのように見向きもせず、 "僕が突きを放つ過程で生まれた僅かな空白が終わるよりも早く、男の出刃包丁はそこに在った" のだ。
「シャルテくん……ごめんなさい」
重い腰を上げたアスナの小さな声に僕は小さく手を振り、さっさと行けと突き放す。どちらか片方でも動いてくれるのなら問題ない。無事に逃げ切れるかは不明瞭だが両方共に置物状態よりも遥かにマシである。
そうして遠ざかる二人の気配を背に僕はゆっくりと息を吐く。
「オマエ……『普通』じゃない」
「それはお互い様だろう。幾ら仮想空間とはいえ、身体に染みついた物はそう容易く拭えるモノでもない」
本能が警鐘を鳴らす中で意識せず及び腰になる身体を意思で黙らせ平静を装う僕とは対称的に余裕を醸す男は出刃包丁しまい、口に孤を描かせる。
「知った口を叩かないでくれるかな。獣になり果てた存在と一緒にされるのは、不愉快だ」
何を言っているのかとでも言いたげな男の発言にそれが故意の物と知りながら僕は不機嫌を隠す事もせず答えを返した。
だがそんな事は言われずともわかっている。彼を普通ではないと判断したのはただ向き合っているだけで目を逸らしたくなるような威圧感があったからではない。時に嗅覚と味覚は同調して共通の認識を示す。それが感覚で起こったとでも言うべきか、男は全身に実体のない臭気を纏わせていた。
鉄錆と酷似したソレは本来この世界に存在しない筈の物――『血の臭い』だ。
「そう苛立ってくれるな。確かに俺はまだオマエがどういう存在か、その確信を得るには至ってない。だがオマエと同じ様に俺の目の前にいるのがマトモな人間じゃない事だけは断言できる……日本の言葉で表すなら『同じ穴の狢(むじな)』・『類は友を呼ぶ』だったか」
一人朗々と話し始めた男の目は此方が逃げる事を許さず、募る不快感に自然と眉間へ皺が寄る。意味も無く見つめられる事でさえ嫌いだというのに男の視線には以前ヒースクリフに向けられたモノと同じ、相手を見透かそうとする意思も混ざっていた。
故に気に入らない線を断ち切るべく僕は一気に距離を詰め、短剣で薙ぐ。
「――僕にアンタとのんびり会話をするつもりなんて無い。御託を並べる暇があるなら剣を抜け」
零からの急加速で両断可能な間合いから短剣が仕留めたのは薄皮一枚。元々警戒されている状態だったのだ、当然避けられる可能性は無かったワケではない。が、こうもあっさり回避されるとは思いもしなかった。
たった一度の回避でおおよそ一メートル近く後退した男は自らの頬に残った傷を指でなぞると愉しげな笑みを湛えて拍手をする。
「良い一撃だ。しかしそうか……なら戦いの前に一つだけ質問をさせてもらおう」
『 "オマエは今まで何人殺した――。" 』
その言葉に追撃へ向かう歩は一瞬だけ止まってしまい直ぐに頭を切り替え放った二度目の攻撃を男は一歩でかわし、三度目も、四度目も、質問を無視して放った追撃の刃はことごとく空を斬る。そうして淡々と答えるよう促す男に僕は答えを吐き捨てた。
直後、刃の進行が硬い物に押し止められた事で今度は互いに距離をとらされてしまう。しかし男からの追の刃はなく、高笑いをしながら日本語ではない別のナニカで叫ぶ姿が僕の目には何処か興奮しているように映って見えた。
いったいなんだと言うのか。浮かんだ疑問に構う間もなく急に雰囲気を一転させて落ち着きを取り戻した男が地を駆ける。
「良いじゃないか、俺はたった今確信したぞ! やはりオマエは此方側の人間だ……理性に従って動く獣が、どうして向こう側についている」
勢い良く放たれた袈裟を屈んで避ける。しかし眼前には膝。それを後ろへ跳ねる事で回避して、着地と同時に突きを放つ。
だが真っ直ぐ伸びた切っ先は男の出刃包丁の腹によって上へと流され、彼は無防備を晒す此方の右腕を左で掴み、引き寄せる。そうして勢いは殺さず、同じ方向に力をかける事で僕はバランスを崩された。
(マズ――い゛ぃッ!)
横から飛んできた殺気に此方の左腕が側頭部を庇った直後、腕を砕かんばかりの衝撃に僕の身体は容易く吹き飛ばされて地面を転がった。だが、痛みに悶える隙もない。追撃されないよう体勢を立て直し、距離をとる。
「ふっ。咄嗟に頭を庇ったのは良い判断だが……惜しいな。オマエの腕は細過ぎる。それで防げるような軽い一撃を狙って出せるほど、俺は器用じゃない」
(はっ……やる気でやった癖に。)
喜色に満ち溢れた顔で何をぬかしているのか。視線から読み取るまでもなくありありと醸し出される『嘘』の雰囲気に毒づき、僕は力なく垂れ下がった自らの左手へ視線を移す。
痺れこそしているが左腕に関してはまだ動く。しかし手首から先は手の形をした肉の塊になっている、こうなっては悪あがきの盾として利用する他あるまい。手首だけなら腕を失った場合と比べて回復にそう時間は取られない、どちらにせよ使い物にならない事実は変わらないが斬り落とすよりはマシだろう。肝心な時に欠けてもらっていては困るのだ。
(細腕なのは自覚してるけど速度も合わさった蹴りならともかく、只の一発で手首を砕くって……コイツ、敏捷型じゃないのか?)
それだけではなく、男は蹴りの標的を寸前になって的の小さい手首へ変えた。目が良いにしても芸が細かすぎる。もっとも根拠はなく、それこそ目の前で起きた出来事を信じたくないが為の自己弁護とされても仕方のない事だが、目の良さとは違う別の要素が絡んでる気がしてならない。
そも筋力値は単純な力勝負以外にもダメージを伴わない打撃全般にまで影響力を持つ。敏捷よりも筋力へ重きを置くキリトと模擬戦をした際にも似たような事をされたが一撃で部位を破壊される事はなく、精々痺れる程度に済んでいたのだ。
しかし男の蹴りで受けた衝撃は体感なら以前戦ったクエスト補正による強化を施されたウルズの剣と同等の物。今の僕でもマトモに受けてしまえば防ぐ事は愚か、先の様に骨を砕かれ吹き飛ばされるのが関の山だろう。
しかし、仮に男のステータスが筋力値へ特化させた物だとするなら今度は動きが速すぎる。辻褄を合わせる理由として簡単に思いつく原因は『レベル差』だが、それでも違和感は拭えない。はっきりしている事といえば、此方が圧倒的不利に立たされている事と、この辻褄合わせが事実なら僕の勝ち目は限りなく零へ近づいてしまう事くらいか。
(そんな事よりも厄介な可能性があるんだけどね――。)
睨み合いで生まれた静寂を先に打ち破ったのは此方。何の工夫もない、疑念に対する答え欲しさの愚直な正面突破だ。
しかし男との距離が一定以上縮まる事はなく、渋い表情を浮かべる僕に彼は愉快そうな声色で話しかけてくる。
「どうした、踏み込んでこないのか?」
「そっちの得物が邪魔なんだよ。どうしても踏み込んで欲しいなら自分の得物を壊した上で投降してよ」
腕の長さや体格の差から生まれる僅かな距離が今はどうしようもなく遠い物に感じた。此方が近づけば狙いすましたように男の出刃包丁が振るわれる。それを避けては距離を取られ、ならばと短剣で流してもそれを読んでか追撃を加えるよりも早く男は僕の攻撃圏内から姿を消す。いたちごっこ、堂々巡り、終わりなんて見えたもんじゃない。
一方的に攻めたてている此方に対して相手は防御と回避に徹している。状況だけ見れば優位に立っているのは僕だろう、しかし実態は真逆だ。僕の踏み込みたい的確な場所へ先んじて得物を向ける事で此方が取れる行動の余地を奪い、残った択に対して適切な処理を施す。
結論を先に言ってしまうと、僕はこの男に遊ばれているのだ――しかし所詮は個人の主観・一人称から見た世界で得られた情報を元に導き出した終点でしかない。当然そうではない可能性も確実に存在するが、この場において男が手を抜いている事は明らかだった。
「どうした、刃が乱れてきたぞ? そう焦れるな……しっかりと俺を狙え。最初の殺気はどうした。考え事に現を抜かす暇は今のお前にとって必要ない物だ」
不満気な声と共に男の握る出刃包丁が突きを放った僕の短剣を弾いた事で体勢は崩れ、一瞬の隙をついて至近へ迫った彼の拳が青い光を帯びる。
見覚えのある『それ』を咄嗟に回避しようと後ろへ飛びのいたがどうやら完全に避ける事は叶わなかったようで、遅れて訪れる鈍痛は僕の眉間に皺を刻むには充分過ぎる物だった。体力の減りもそこまで酷くはないとはいえ数十も喰らっては駄目な威力である事に変わりはない。
(あの至近距離で反応が間に合わないとか……やっぱりおかしい。何者だ、この男。)
本来であれば眼前一メートル先から急接近されようと遅れる事なく反応・対処が可能の筈だった――それがどうだ。反応出来たのは男がソードスキルの発動する直前。男は特別早いワケではない、恐らくは僕よりも遅いだろう。だというのにこうも当たらず、避けられもしない理由として真っ先に思いついたのは至極簡単で、最も単純な答え。
この世界において唯一レベルじゃ補えないモノ――即ち『 "技術" 』である。
それも無駄を削ぎ落とし洗練しただけではなく最低で最大を発揮する、ありふれた表現をするなら『プロの動き』とでも称すべきか。
(そういう職についた事のある人間か、経験者……それとも僕が知らないだけで今は一般人でもこんな動きをするのが居るのかな。)
そんな思考へ気を回せたのも束の間、此方に振り下ろされる殺意の塊を半歩後ろへ下がる事で避ける。
「 "シアイ" の最中に相手から意識を反らすのはマナー違反だ。今この時、俺との戦いにおいて、『情け』・『容赦』・『慈悲』・『枷』も必要ない。貴様が内に孕んでいる物全てをぶちまけろ……そうでもしなければ万に一つの勝機も霞むぞ? 戦場では勝った者こそが『正義』だ。敗者やその発言に耳を貸す者は戯言と聞き流される。グリーンのオマエがオレンジである俺を殺す事に躊躇する必要もないだろう」
"どうせ、罪に問われる事もない。"
そう続けて彼が言葉を締めくくった時、男の目から殺気が失せて寂しさや虚しさが姿を現したが、それも刹那の間で充填される濃密な害意に上塗りされていく。
「自刃を望んでるなら勝手にどうぞ。オマエの言う事に付き合う義理はない」
現状を打開できる術を考えなくては只でさえ不透明な勝機が完全に見えなくなってしまう。だがそれを考えてばかりいても戦闘と同時並行の作業ではどちらも粗末になり、持久戦へもつれ込んだところで自力に劣る此方の敗北が色濃くなるだけ。
"ならば既に在る手札を切って戦う他ないだろう" 、半ば強引に踏ん切りをつけ警戒心を維持したまま何食わぬ態度でインベントリから取り出した『ある物』を男の顔面へ投げつける。
それは当たる直前に出刃包丁で切り裂かれてしまったが問題はない。
(端から当てようなんて思っちゃいないんだよ。)
ボフン。と間の抜けた音を立て『煙玉』が炸裂した事で辺り一帯は白煙で包まれ、強制的に視界不良を引き起こす。
たとえ強制だろうと視認さえされていなければ《隠密》を使う事ができるのだ。クイーン・サラマンドラとの戦いでも用いた手法だが、これだけでは届かない。男に刃を突き立てるにはまだ足りない。だからこそ、一寸先すら見えない白煙の中で向かってくる気配の有無に神経を尖らせながら僕は事前の安全策としてハイポーションを使い、体力が全快した事を確認して静かにスキルを発動させた。
(《閃打》の威力から考えて体術系スキルでも半分を切れば確実に危うくなる……状態を維持して戦えるのは保って四十秒が限界か。)
五秒置きに失われる体力は残存する全体の五パーセント、何もしなくとも一分と十秒も経てば僕は自動的に半分――実数で換算すれば六六三四の体力を失う事になる。四十秒だとおおよそ三分の一が消える計算だ。
たとえ掠っただけでも極端に低下した防御力は此方に大惨事をもたらすのは火を見るよりも明らかで、無謀だという事も理解している。
(――でも、立ち止まるワケにはいかないんだ。)
完治した左手で回復結晶を砕き、体力が全快した頃には最初の[代償]が支払われた。しかし慌てる事なく一度煙の中を気配と正反対へ向かい、今度は全速力で男の元へ駆ける。
白で塗りつぶされた空間に青い燐光が尾を引いてぶつかり合い、煙が弾けるほどの強い衝撃に短剣を握る僕の右腕が悲鳴を上げようと止まる事だけは許されない。
他の誰かの為でもなく、僕が僕である為に――。
衝突の度に空気が揺れ、身を隠していた白煙は斬り刻まれる事で姿を眩ましていく。
幻影疾駆[代償]の効果で短くなったソードスキルのクールタイムを利用して仕掛けたソードスキルの乱打は一見拮抗を示していた。
《アーマーピアース》に《アーマーピアース》を。《トライピアース》には《トライピアース》を重ねて相殺し、互いに《ファッドエッジ》を放った後は《ラピッドバイト》で背後へ回り込む。
振り向きざま――短剣重五連撃ソードスキル《インフィニット》。
続いて短剣最上位五連撃ソードスキル《ライトニング・リッパー》。
五回連続の高速突きは綺麗に切っ先が噛み合い、四方からの回転斬りはすれ違う度に火花を散らせる。十秒足らずの間でゆうに二十合を超える打ち合いは全て "同じソードスキル" で相殺されていた。
(クソッ、後何秒残ってる。二十秒……十五秒か? 足りない。速さも、時間も。)
残された手札は後一つ、これも防がれるようであれば今の僕がどう足掻いた所で男に食らいつく術はない――。諦めと酷似した曖昧な感覚を覚えても尚、僕の足は止まる事なく前を向いていた。
選択肢など端から一つのみ。そんな空気を感じとったのか、男は不意に剣を降ろし、声高に叫ぶ。
「この争いが起きてから既に一時間……いや、二時間弱か。楽しい時間はいつも早く過ぎるからよろしくない。オマエとの楽しみに幕が降りるのは残念だが、潮時だ。次の一撃で終わりにしよう。かかってこい……オマエの出せる全てをもって俺を殺してみせろ!」
爆発的に膨れ上がる殺意が男の言葉は本気であると示している。正真正銘、次で終わり。半端にかかれば首を狩られ、背を向けようモノなら串刺しにされる、脳裏へ浮かぶ選択を誤った自らの屍の上に立つ "現実" の僕が選べる答えは一つだけ。
身体はまだ動ける、まだやれると叫んでいるのに臆する必要も、ましてや立ち止まる必要など何処にもない。だからこそ、最後の手札を切る事に躊躇いはなかった。
僕が順手に握る短剣の切っ先を狙いを定めるかのよう男へ突きつけると "身体の線を沿い、全身が淡い青を帯びる" 。
『短剣特殊連撃補助ソードスキル《シュトゥルム》』
[代償]の果てに得たのはソードスキルらしからぬソードスキル。
刹那の間で息を吸い、僕は走りだした。
「 "まだ早くなるのか" 。面白い……なら、最後に此処まで楽しませてくれた礼に一つだけ、恐らくオマエが抱えている筈の疑問の答え合わせをしよう。何故姿や気配が感じられないオマエの攻撃に俺が対応できたのか――」
姿が見えないというアドバンテージを消すソードスキルの発生を意味する光を遥か後方に置き去り、男の背後へ回り込んで無防備を晒す背を斬り裂こうと掲げた刃を振り下ろした先には誰もいない。
"残念だ――" 。
傍らでそんな声が聞こえた頃にはもう遅かった。背中に走る強烈な痛みに脳は正常を見失い、瞬く間に減っていく自分の体力を眺めながら、僕の身体は糸が切れた人形のごとく無抵抗に地面へ崩れた。
「オマエの居場所を教えてくれたのはオマエが抱えていた俺に対する害意だ……。殺し、特に暗殺を生業とする人間は自らの気配を薄めると言われているが、それは意図した行動じゃない。医療関係者や公務員・技術者たちが仕事と関係ない日常で専門用語を使ってしまう事と同様に、長年携わった結果、無意識下で行われている職業上の癖だ。ヤツらが何よりも率先して隠そうとする物は自分の気配ではなく対象に対する『敵意』や『悪意』・『殺意』といった害意の類……それが最も滲みやすく、悟られやすいモノと理解しているからな。オマエは此処へ到着して以来ずっと俺に敵意を向けていた。命を狩りにくる筈の凶刃よりも先に実体のない刃が俺は貫かれていたんだ。一般人なら気づけずに無視するだろうが、相手が悪かったな」
朦朧とする意識の中、曖昧に溶けていく感覚でもシステム的な安全を越えた痛覚だけは立派に生きているようでうつ伏せに倒れた僕の背を踏みつけるような感触と共に訪れた痛みは一瞬で意識を現実へ引き戻し、無様な悲鳴を上げさせる。
普通であれば起こり得ない反応を男は疑問に感じたのだろう。動けないでいる此方の手を掴むと勝手にウィンドウを開き、ペインアブソーバの段階を確かめた。
「 "三" ……なるほど、オマエもペインアブソーバのレベルを操作していたか。それならあの反応速度もある程度の理解はできる。しかし弄れるのは十から六段階が限度の筈。どうやったかは――残念だが聞けそうにもないな」
男の言う通り、一度は覚醒した意識も既に沈み始めている。ぼやけた視界に移るのは見慣れた大地のみ。
「このまま苦しみ続けるのも酷だろう。せめてもの情けだ、楽に逝け」
苦しまず楽に逝けるのなら、それは苦しくても死ねないよりもずっと幸せな事だろう。考えのまとまらない頭でもそんな事だけは理解できた。
確かに在った筈の足場がゆっくりと崩れ落ちていく感覚は以前ファフニールとの戦いで僕が追い詰められた際に体験したモノと同じ。強すぎる痛みは出血毒と似ている。頑なに縛り上げた支えほど毒の効き目は恐ろしく、容易く溶かしてしまう。そうして抗おうとする意思さえも奪うのだ――。
しかし、身勝手な途中棄権が事はなかった。
「どうやら俺もお遊びが過ぎたようだな……」
「その通り――ウルズ君、今のうちにシャルテ君を」
聞き慣れた声に続いて再び僕の手を掴む感触がしたかと思えば痛みは吐き気を催す不快感へ急激に姿を変える。おかげで身体は幾分か楽になったが依然として思考は麻痺したまま、辛うじて機能していた聴覚が遠ざかる男の足音を逃さず、しかし意識と切り離された所で繋がった身体を動かす事は許されない。
もう終わったのだと耳元で聞こえた声に身体を支えていた糸が切れた僕はウルズに背負われ、そのまま宿への帰路につく。
――ベッドに横たえられた物言わぬ人形がはっきりと意識を取り戻し、液状化した思考が形を取り戻したのは宿に到着してから数時間が経過した頃。窓から覗く外の景色は時刻からして既に日が沈んだせいか黒で塗りつぶされていた。
これから待っているであろう出来事に嘆息を一つ、何をするにも今はまず起き上がらねば始まらないと最初に右手、次は左手と順を追い不具合の有無確かめていき、全身に残る気だるさ以外の問題がない事を確認した僕は壁や床を支えに一歩ずつ、転んでしまわないよう慎重に皆が居る筈のリビングへ向かう。そうして部屋を抜けた先はやはりと言うべきか、息が詰まるほどの重苦しい空気に占拠されていた。
その中を突き進んでちょうど良く空いていたアルゴとウルズの間にある椅子へ座りヒースクリフを始めにキリトやアスナ・クラインといったラフィンコフィン討伐戦に参加していた面々と向き合うと、隣に居たアルゴから声をかけられる。
「シャル……もう大丈夫なのか?」
「万全の状態とは言えないけどね、一応は。……で、どこまで話したの?」
幾ら朦朧としていたとはいえ気を失っていたワケではないのだ。目の前にいる四名が僕の隠し事に気づいたという話しはしっかりと耳に残っている。恐らく僕がリビングへ姿を見せた途端に重さを増した雰囲気からしてある程度の話しは既に終えているのだろう。ならば同じ話しを繰り返す必要もない。
「君がペイン・アブソーバのレベルを操作していた事と単独でラフィンコフィンの末端を相手に戦ったという所までだよ、簡単な事の経緯と結末も全て二人から聞かせてもらった」
「そうですか。じゃあ、残りがあるとすれば僕が何でそんな真似をしたか……かな」
返ってきたヒースクリフの言葉に内心では嘆息を零れたがどうしようもない、そこまでバレているなら今更何をどう繕っても不信感を煽るだけ。完全な手遅れである。
一定量の事情を知っているウルズやアルゴから向けられた不安そうな視線に「大丈夫だよ」といつもの調子で返した僕は静かに言葉を紡ぐ。
「じゃあ、まずは簡単な方から話させてもらうけど……ラフィンコフィンの末端たちを僕が単独で相手したのは単純に自分で蒔いた種だったから。あんまりにもしつこくちょっかいをかけてくるもんだから僕がアルゴに頼んで彼らを誘い出してもらったんだよ。個人的にはもう少し余裕をもって動く予定だったんだけどね……まさかラフィンコフィン掃討戦が割り込んでくるとは思わなくて、そこだけが誤算だった」
一度動き出した計画はもう引き返す事の出来ない段階まで進んでいたが故に予定通り決行する以外の対応がとれなかったのだ。キリトやアスナに頼めば手伝ってくれた可能性もある。結局は全員を黒鉄宮へ送り込む事になったがそれはあくまでも結果論に過ぎず、何の拍子で相手の命を奪う事になるか分からない中へ彼らを連れていきたくはなかった。
しかしこれは所詮僕が抱えた一方的なエゴであり、誰かへ話す事でもなければ話したところで言い訳と取られるのが関の山。ならば黙して語らず秘めたままの方がずっと良い。
「それで多分一番気になってると思うペイン・アブソーバに関してだけど、これは僕が無理に頼んでウルズにやってもらったんだ。危険だって言うのは当然分かってたよ」
『ならどうして――?』
そう言いたげな二つの視線とは違いヒースクリフは目を細め、クラインは一人思案顔を浮かべた。
「少し説明が難しいんだけど、身体をワザと危険に晒す事で強引に自分の反応速度を上げてるって言えばわかるかな……。痛みは基本的に辛い物って認識は間違いじゃない。ただ、人間が日常生活を送る中で痛みに助けられてる部分も相応にあるんだ。たとえば間違って熱い物を触った時に咄嗟の反応で手を離す行動とか、病気の前兆を知らせてくれるが良い例だと思う。そういうメリットの一つとして痛みには『危機意識を高める』効力があるんだけど、それを強制的に喚起させるって事」
表現の仕方の問題を無視するなら『危機意識』というスキルを上げる為に必要な作業とでも言うべきか――そんな上澄みだけを掬ったところで解る筈もない。
無言で立ち上がるキリトと唇を一文字に結んだアスナを制して僕を見たクラインの表情には申し訳なさが滲んでいて、飛んできた拳を僕は避けなかった。
「シャルテよぉ……お前が体力を赤くしたまま回復もせず戦ったり、平気な顔して無茶をする度に不安や心配で気が気じゃなくなるコッチの気持ちを考えた事があるか。キリトも、アスナさんも、シャルテの事だから言えば「そういうのは煩わしい」・「さようなら」って言いかねと思って言いたくてもずっと我慢してきたんだ。シャルテからしたら "その程度" の事かも知れなくても、二人にとってはそれだけじゃない事は、お前が一番良く解ってるんだろ……違うか?」
「そうだね……クラインさんの言う通りだ。それ "も" 、解ってるよ」
何も彼らに限った話しではない、僕と関わり続ける者はもれなく大なり小なり僕に対して我慢している事がある。そこにたとえ如何なる理由があれど相手にとっては『只の我が儘』でしかないのだ。
好き勝手に我が儘を言う点だけを見るなら駄々をこねる幼児とも似ているが、なまじ年齢を重ねているぶん質も悪いとくればそんな人間と好んで付き合い続けるのは同族を除いた場合、余程の酔狂か物好きくらいだろう。
「幾ら言われても僕は変わらないよ……でも、それ以外について叶えられる範囲なら、キリトやアスナたちの言う事を一つだけ聞いても良い」
持ちかけたのは妥協案にすらなっていない幼稚な延命処置、言う事を聞くから我慢してと願うふざけた物だ。当然、納得なんてされる筈もない。
悲しい気持ちが無いワケではない、寂しい気持ちも嘘なんかじゃない――でも、いっそふざけるなと一喝して僕を遠ざけてくれるならそれも構わないと思った。
"それなのに――。"
まさか抱きしめられるなんて予想だにしていなくて、殴られた際に椅子から転げ落ち、座りなおす事をせずそのまま床へ腰を落ち着けていたせいで抱きしめられると同時に二人からのしかかられた状態に少しずつ冷や汗が流れる。平素でさえ堪えるモノを病み上がりの身体で耐えられる筈もない。
しかし震える声で呟かれた願い事は僕の頭を白く塗りつぶして、どうすれば良いのかも分からないまま、時間だけが虚しさと共に過ぎていく。
――そうして一人、また一人と宿を去り、残ったのは僕とアルゴの二人だけ。
「今回の件は全部僕が悪いんだけどね……皆、あんまり気にしないでほしいんだけど」
「それは諦めた方が良いぞ? オネーサンの主観ではキー坊を初め、シャルの周りには何だかんだ罪悪感を感じやすかったり責任感の強い人間が多いからな。そういうタイプは "気にしない方が難しい" 上に "一人で抱え込む癖がある" 」
「そうなんだよねぇ。迷って悩んだ挙げ句に自爆するとか、何もないと良いんだけど」
少し前まで此処に居たウルズも「夜風に当たってくる」と宿を出て行った。すれ違う際の彼女の表情は見覚えのあるモノで、間違っても早まる真似はしないでほしい旨を伝えたが僕の言葉が届いた確証もない。
(ホント、当人はこんななのにさ……。)
やり場のない気持ちに嘆息を零した僕はだらしなくテーブルへ身体を預けていれば、不意に対面のアルゴから真剣な声色で疑問をぶつけられた。
隠していたのみバラして良かったのか。下手なごまかしや比喩がない直球に僕は伏せていた顔を上げ、体勢はそのままで彼女の目を見て口を開く。
「んー。まあ良くはないけど、今回ばかりは隠すにも難しかったからね……仕方ないよ。別に全てを打ち明けたワケじゃないしね。これで全部を白状してたなら話しは変わるけど、盛大に自爆した場を迅速におさめる為の経費としてはむしろ安く済ませられた方だと思う」
「そうか……わかってるとは思うがヒースクリフの言った通り当分は安静にした方が良いぞ。オネーサンもしばらくは大人しくしてる予定だ。下手に動いて信用を損ねたくはないからな」
「それは、ね……。僕も身体の調子が戻るまでは動くに動けないし、バラした秘密はリズベット辺りにも広まるだろうから追加で一波乱は覚悟しておかないと。考えたい事だってあるのに、気が重いや」
目を閉じて眼前に浮かぶのは今からほんの少し前の光景だ。
『 "死なないで。" 』
それは、本当は嫌だけどという前置きの後で無理をしても良い・無茶をするなとも言わないからと告げられた二人の願い。
「あんまり抱え込むなよ、シーちゃん」
「解ってるよ。心配してくれてありがとう……でもほら、僕は大丈夫だから」
今出来る精一杯の笑顔をつくればアルゴは眉を潜めて僕の頭に手を置いた。が、何かをするワケでもなく本当にただそれだけ。それだけでも言いたい事はわかってしまった。
『 "素直じゃないな" ――。』
『―― "お互い様だよ" 。』
揃って苦笑いを浮かべ、また明日と別れの挨拶を交わした日の深夜。洗面台の前で一人膝をついた僕は延々と中身を伴わない嘔吐を繰り返す。
「人を殺した感覚に、笑ってんじゃ、ないっつの……っはぁ、気持ち悪いんだよ」
鏡に写るのは綺麗すぎる笑顔を浮かべた僕の顔。それに対して僕は短剣を取り出し、何の躊躇いもなく自らの目に刃を埋める。鋭い痛みから声にすらならない音を漏らし、床をのた打ち回ろうと構わなかった。
(獣になんか、なって、たまるか――。)
* * *
いったい何十、何百と自分の目玉を抉り続けていたのか、途中で気を失った僕が目を覚ましたのは同日の昼で、真っ先に視界へ飛び込んできたのは自室のベッドで横たわる僕を見下ろすウルズの表情は憤怒に染まっていた。
状況からして彼女が何故そんな顔をしているのか容易に想像がつく。
「まだもめてから一日もたっていないというのに……貴様は、ペイン・アブソーバのレベルを下げる事がどれだけ危険な行為か十分に理解しているのだと思っていた。だが、友の願いならと甘い考えで動いてしまった私が悪かったのだな」
「ウルズは悪くないよ。これでも理解した上でやってるんだけどね……流石に朝のは自分でもやりすぎた自覚はある。でも、色々と落ち着かせるには痛みを与えるのが一番確実なんだ」
そう、僕が口にした言葉を聞いたウルズは片手で頭を抱えるようにうなだれて短く息を漏らす。
「貴様の性格を知りながらみすみす方法を与えてしまったのだぞ? 私に責任がないと言うには幾らなんでも無理がある。はぁ……今まで街に広がっていた噂は姿を隠して手配書もなくなった貴様は自由の身、しかし私は血盟騎士団の仕事よりも貴様の監視に専念しなければならない。自業自得だが、処理しきれてない仕事が山のように重なっていく光景は目を背けたくなっていかん」
「それは、その……なんて言えばいいのかな。いや、僕のせいなんだけど、うん……ご愁傷様?」
まさか仕事が積まれているとは思いもしなかったとは言えず、かといって気の利いた言葉を吐けるような空気でもない。他に理由があるかもしれないが少なからず僕が我を通し続けてる事による影響はあると考えた方が利口。というよりも恐らく事実だ。
今まで一度足りとも恨み言を口にした試しがなかったウルズからぶつけられた言葉に面を食らった結果、混迷を極めた僕の頭はまったくもって検討違いな返事を生み出す。そうして彼女から注がれる恨めしげな視線と露骨な嘆息に僕は頭を下げる。
――巻き込んで、ごめんなさい。
ポツリ。零した本音は引き戻される。
「止めろ。らしくもない……貴様はいつも通り皮肉を口にしていればいいのだ。そう落ち込まれては私の調子が狂う」
一見素っ気ない言葉だがふてくされたようにそっぽをむくウルズを見ればそこに嫌味のない事など透けて見えた。その姿に "優しい" と言えば "茶化すな" と声が返ってくる。
要するに『 "気にするな" 』という事を彼女なりに伝えた結果がアレであり、その不器用さに小さく笑い声を零せば目つきを鋭くした彼女に睨まれて、そんな様子が可笑しくて、僕はまた笑ってしまう。
「いやぁ……互いに慣れない事はするもんじゃないね。今のウルズ、すごい面白いよ」
「えぇいやかましい! ちっ、全快していれば容赦なく殴れるというモノの……それとも、その口が悪いのか? うん?」
いかにも不満そうな物言いで僕の両頬をつまんで引っ張るウルズに抗議の声を上げるも、面白がってか、それともささやかな仕返しのつもりなのか彼女はつまむ手を離さない。
おおよそ一分程遊ばれた後、満足気な表情のウルズによってマトモに話す事を許された僕は目を閉じて深呼吸を一つ。
『 "後一個だけワガママ聞いてくれる?" 』
真っ直ぐウルズの眼を見つめ静かに紡いだ言葉に彼女は怒る事なく、黙って先を促してくれた。
「ペイン・アブソーバの数値なんだけど、常に四以下にしても良いよ。でも条件がある……万が一、僕が、僕の意思とは無関係に味方へ牙を向く様になったら、その時は――」
「 "わかっている" 」
此方の言葉を遮り重ねられたウルズの声に僕が瞬きを繰り返すと、彼女はやれやれとワザとらしい素振りを見せて僕の額へ手をのせる。
「――言われずとも、シャルテが言わんとしている事くらいわかってる。だから安心しろ。万が一にでも貴様がとち狂い、貴様の意思とは関係なく、不本意に仲間へ牙を向けた時は……その時は、私が止めてやる。正気に戻る為に痛みが必要とあらば私がそれをくれてやろう。痛みに声をあげて悶える貴様を眺めるも、落ち着きを取り戻すまで互いに全力で剣をぶつけ合うのも一興かも知れないな」
寂しそうな表情を浮かべながら、なんとまあ物騒な単語の混ざる言葉を吐いたモノだ。声と顔が一致しないとはこういう事を言うのだろう。視線にこもるは憐憫か、はたまた同情の念か、形容し難い様相の彼女に何と声をかけてよいかが僕にはわからなかった。
だから、曖昧で不明瞭な、それとない微笑みで返してみれば彼女は歯を食いしばるかのように表情を歪めてしまった。
「そんな表情にさせたかったワケじゃないんだけどなぁ――ありがとう、ごめんなさい」
」
「ふん……礼も謝罪もいらん。貴様が態度と行動で示してくれさえすれば私は十分だ。それと以前にも忠告したがペイン・アブソーバのレベルは最大でも『四』までに収めておけ。それよりも下まわると外にある貴様の身体にも影響が及ぶ――酷な話しだが、現時点で後遺症の一つや二つはあると覚悟しておいた方が良い」
深刻な面もちのウルズからは嘘をついているような気配がまるで感じられない辺り本当も本当、危険な橋を渡っている事は間違いではないのだろう。目玉と背中で被害がでるならば視覚や下半身といったところか、周囲は知らないクイーン・サラマンドラ戦で腕を焼かれた事やそれ以前の諸々を踏まえた場合は全身に後遺症の可能性が残る。
(どれもかしこも "身からでた錆" ・ "自業自得" か……。でも仮に植物状態になったとしても脳が生きてさえいればナーヴギアを使ってコミュニケーションを図れるし、淡い期待を抱かせるぐらいなら絶望の底に叩きつけてくれた方がずっと楽なんだよね。)
――もっとも、そんな事を思ったところで口に出す筈もないのだが。
「後遺症についての覚悟なら今に始まった事じゃない、随分前から腹は括ってる。それとペイン・アブソーバに関しても善処するよ。これ以上好き勝手やってて堪忍袋の緒を引きちぎったキリトたちに縄で縛りつけられた挙げ句僕が頷くまでくっついて離れないとか、そんなのやられた暁には発狂しかねないからね……考えただけで胸が悪くなる」
「んっ? そうか、その手があったな……。ワザワザちょこまかと五月蝿い貴様を縄で捕らえる苦労を考えれば私が力づくで貴様を取り押さえて直接触れた方が確かに手っ取り早い」
「ちょっと、本気でやるつもりないよね? 頬なり手ならまだしも服で隠してる部分とかを直接触られるのだけは本当に駄目だよ。最悪逆効果になっちゃうから」
まるで画期的な方法を閃いたと言わんばかりに頷くウルズへ僕が念を押す形で拒否を示した事に彼女は首を傾げ、頑なに拒否するだけの理由があるのかを尋ねてきたが僕は明確な答えを出さないまま『色々ある』と誤魔化すに留めておいた。
誰にだって触れられたくない過去の一つや二つはあるものだ。しかしこれがその類かと問われれば答えは『微妙』の一言に尽きる。
しかし重箱の隅をつつくような真似はされずに探るような目を向けた彼女はおもむろに時計を確認し、大袈裟なリアクションと共にワザとらしい咳払いを一つ吐いてから言葉を紡ぐ。
「少し、お喋りが過ぎたようだな。私はそろそろ血盟騎士団へ仕事をしに向かわねばならない……でだ、私は団長から『シャルテを安静にさせる』という任を預かっていてな。決して私個人の趣味や嗜好、ましてや悪意があるワケではない事をわかってくれ」
「へっ――?」
いったいどういう事なのか、硬い鎖が擦れあう音と錠が閉まる時のそれは此方が尋ねるよりも早く言葉の意味を知らせてくれた。
呆然とした状態でゆっくりと音のした手元へ視線を向けてみれば案の定、僕の手首には冷たい金属の枷がつけられている。そこから伸びる鎖は自分が眠るベッド下へと続いている事から察するに、恐らくはベッドの足と繋がっているのだろう。
(前に縄で縛られた時も思ったけど手錠まであるとか、アイテムとして拘束衣程度ならあるんじゃないのかな。そもそもこういうのを実装してるって……実装されてる分には気にならないけど力の入れ方が間違ってる気がするんだよね。)
「何も一日中拘束しておくワケじゃない、私が帰ってくればちゃんと外してやる。シャルテの体調がある程度戻るまでの辛抱だ。ちゃんと大人しくしてるんだぞ?」
「あー、うん。はいはい。大人しくしてるからサッサと帰ってきてください」
本意ではないと言いつつどこかニヤケ顔の彼女に抗議の視線を飛ばしながら投げやりな返事で部屋から去る後ろ姿を見送った後、短剣で腕を切り落として脱出できないかを試みたが淡い期待は視界へ映った『現在アイテムは使用できません』という警告によって一瞬の内に砕かれる。
ならばと装備欄を確かめてみるもつけていた筈の短剣は外されており、本来であれば武器の名が表示されるそこにはバツ印が刻まれて触れる事すらできずクイックチェンジまで封じられて、極めつけはソードスキルを使おうものなら行動を阻害させるべく微弱ながら電気が流れるという始末に僕は抵抗する事を早々に断念せざるを得なかった。
「むぅ……これ絶対力の入れどころ間違ってるよ。完全に拘束目的のアイテムじゃん」
不満を零したところで現状は何も変わらない。
そんな軟禁生活は僕の体調が元に戻るまで――日にちにしておおよそ一週間も続いた。が、当然回復したからといって完全に自由を取り戻せるワケもなく当分は監視役としてキリトかアスナ、ウルズのいずれかと常にパーティを組む事が義務づけられた上で僕はようやく軟禁状態から解放された。
そしてもう一つ。僕が大人しくしている間に砕けた鎖があった。街に存在していた筈の『味方殺し』を指す手配書や噂などが完全に姿を消えたのである。
"これで少しは煩わしい視線や面倒事を避けられて必要以上に気を張らずに済む" 。そう思っていたのに――。
「ねえシャルテくん……その、せっかくこうしてパーティを組んでるんだから何か一緒にやりたいなって、何か行きたいクエストってあるかな」
「此処のクエストって結構難しいのが多いんだよ。ついでにレベル上げもできるし、どうだ……?」
「……はぁ」
苛立ちを隠す事もせず吐き捨てた嘆息は二人からかけられる気遣いの言葉に対してではなく周囲の人々へ向けた物である。
キリトとアスナに連れられて久しぶりに街へ出た僕を迎えたのは、今までの対応が嘘のように馴れ馴れしく、気まずさが色濃く顕れた視線だった。
(罰が悪そうにチラチラと見るくらいなら堂々と見れば良いのに…… "今更" 態度を変えられたところで気持ち悪い事だけなんだよ。)
人間、個人差はあれど許容できる我慢にも必ず限度という物が存在するのだ。立ち止まり、腰に差してある短剣を抜くと共にまるで猫が威嚇するかのごとく敵意と警戒心をぶちまけてしまえば途端に場は静まり返ってしまう。その滑稽さときたらない。
「さっきからさぁ……僕は "見せ物" じゃないんだよ。散々他人(ひと)の事を好き放題言った後に顔を合わせ辛い事は理解できる。でも、別にそれはどうでもいいと思ってるんだ。 "そう決定づけるだけの理由" をもって行動してたんだろうし―― "まさか自分で考える事もせず周りがそう言ってたから" なんて馬鹿げた理由で動いてたんじゃないよね?」
別に馴れ馴れしく話しかけられたりチラチラ見るだけならば無視するだけで済むのだ。僕が我慢ならなかったのはそこではない、視線や言葉に含まれた自己弁護に対してだ。
「自分で一切の証拠を集める事も、探す気すらない癖に周囲からもたらされた情報を鵜呑みにしてさも自分が正しいかのように振る舞って、それで正義面してるんだから世話ないよね。オマケにそれが間違いだったとしても学習の一つすらせず手の平を返して自己保身に走る……呆れも過ぎれば笑う気にすらならないんだよ」
大衆は勧善懲悪を好む。そこに真実は必要ないのだ。自分の意見と称した空っぽの言葉を振り回して周囲と同調できればそれで満足であり所詮は優越感に浸りたいだけ、自らのちっぽけな自尊心を埋められれば第三者がどうなろうと知った事ではない。そうして無害な人間を平然と食いつぶし、自らが築いた屍の山など知ろうともせず素知らぬ顔で亡骸の上で胡座をかいてふんぞり返る。
"そんな存在(ニンゲン)が大嫌いだった" 。
「別にいいんだよ? 牙を向きたいなら向けばいい。かかってきなよ……ほら、デュエルなら受けつけてあげるからさァ! 味方殺しを此処で殺せばキミたちは晴れて英雄の仲間入りだ!」
大げさに手を広げ、一歩、また一歩と人だかりへ近づいていくと周囲の人々は表現を強ばらせながら少しずつ後ずさりしていく。その何とまあ、つまらない事よ。
「この世界を楽しむのも良い、慣れるも良いし束の間の癒やしを満喫するのも良い。それはキミたちの自由だ……でも、そんな正義面(ヒーローごっこ)がしたいなら余所でやれ。もし次に同じような真似をして無関係な僕の友達にまで手をだしてみろ――オマエたちが泣こうが喚こうが知った事か。その時は容赦なく殺してやる」
冗談など欠片もない言葉に怯えきった様相を晒す人たちの姿へ嘆息を零し、今更態度を変えてもらわずとも構わない旨を吐き出していれば一緒にいたキリトとアスナの手で僕は瞬く間もなく両脇を抱えられて強制的にフィールドへ移動させられてしまった。
まだ言いたい事があったのにどうして邪魔をするのか。不満をぶつけても彼らは表情を曇らせるだけで何も言わない、しかしそれが明確な殺意の提示を見せつけられたからではない事くらい目を見ればわかる。 "わかってしまう" 。
キリトやアスナからは僕を恐がる素振りはおろか気配一つ感じられなかった。それでも思うところが無いというワケではないようで、代わりにあるのは『戸惑い』か――。
『同じ一歩引いた距離感でもリズベットのそれとは全く異なるモノ―― "その距離が、僕にとっては痛いのです。" 』
そうして街の空気も今に至るまで変わらず気持ち悪いまま。他に変わった事と言えばせいぜい一般プレイヤーに狙われる機会がなくなったくらいだろう。
新たな問題が浮上したのはそれから約一カ月弱が過ぎた、今からほんの数日前の出来事である。
現在の最前線は七十四層。偶然ボス部屋を発見したキリトとアスナがその姿だけでも確認しようと室内に足を踏み入れた結果、そこは結晶無効化空間となっている事が判明したのだ。
「ふぅん――要するに入ってしまった時点で脱出手段が入口から逃げ出す以外なくなるワケだ。随分とまぁ、厄介な真似をしてくれるもんだね」
二人がもたらした情報に辟易した態度を占めしたのは何も僕だけではない、この場に居る三人全員が一様に表情を曇らせていた。
要は今までどうしようもない状況へ追い込まれて退却を余儀なくされた場合に転移結晶などで逃げ出すというシステム的に許されていた権利が剥奪されたのである。更に言えば『結晶』と名のつく一切のアイテムが使用できない為回復もポーション類で賄うしかなく、状態異常に至っては時間経過以外に治す手段がなくなってしまうのだ。離脱方法・回復手段の全てが取り上げられたワケではないとはいえ、精神的な余裕を奪われてしまう事での負担は推して知るべきだろう。
「ああ……全くだ。だからこそ攻略するとなった時にはシャルテにも一緒に参加して欲しいんだけど、その……大丈夫なのか?」
「んっ? まあ攻略に参加する分には全然問題ないけど……さっきから視線も安定してないし挙動不審だよね。言いたい事があるならはっきり言って欲しいな。大丈夫、怒らないから」
口から流れ出た言葉こそ棘のない物だが逃げられないようにしっかり両肩を掴んで『吐け』と言わんばかりの笑顔を向けた事でキリトの身体は少しずつ強張っていく。
彼も口を動かそうとしては視線を逸らして口を閉ざすを繰り返している辺り、何かしら声をだそうとはしているのかも知れないが、彼が言葉を発するよりも早く心配そうに眉を潜めたアスナから渡された手鏡に映る自分の顔を見て納得できた。
「うわぁ……」
鏡越しに居る自分の肌は白を通り過ぎて薄らと青く、目の下には濃い隈が二つ並んでいる。これではキリトの挙動がおかしくなるのも無理はない。
「もしかして、シャルテくん気づいてなかったの?」
「うん。鏡とか見ない方だから、全然気づかなかった……ウルズからもつっこまれなかったし、びっくり」
渡された手鏡に感謝の言葉を添えてアスナへ返すと手鏡だけではなく、此方の手を包むように掴んだ彼女は真っ直ぐ見据えてくる。
「ちゃんと、夜は眠れてるの?」
「いや、別にそんな事どうでも良く――はないですよね。すいませんちゃんと素直に答えますからそんな恐い笑顔向けないでください」
綺麗過ぎる笑顔から滲み出る怒気に僕の身体は自然と後ずさろうとするも腕を掴むアスナがそれを許さなかった。そうして身動きを封じられている間に背後からキリトに両肩を掴まれては強引に振り切る事も叶わない。残された選択肢は二つだが実質的には一択だ。なにかされて無理に口を割らされるより、自ら素直に白状して場を穏便に済ませた方が被害は最小限に抑えられる筈。
「最近は夢見が悪いせいであんまり眠れてない……元々睡眠時間が少ない方だから実害はないに等しいし、言うほどの事でもないと思ってたんだけどね。でも他は特にこれといって問題ないよ。いつも通り」
「シャルテの場合はその『いつも通り』が既に怪しいというか、全然大丈夫じゃないと思うんだが……」
「材料に手を加えたら睡眠作用のある料理は作れるよ?」
「ううん。心配してくれるのは嬉しいけど、まだ不眠症みたいに眠れなくなったワケじゃないし大丈夫。本格的に困った時はちゃんと頼るよ。その時はアスナには料理を頼んで、キリトは縛りつけた上で一緒に寝てもらうから。――で、もう一度言うけど僕は攻略戦に参加するつもり」
まぁこれが落としどころだろう。この問題については既に対策もたてており厳密には眠れないワケではなく、夢見が悪すぎて眠りたくないだけなのだから。
言外に『もういいでしょ』と流れを打ち切り強引に話しを本題へ戻して話し合いの結果、僕の体調も考えた上で与えられた猶予は三日間。そしてそれが尽きた今日。迷宮内に結晶無効化を解除できるギミックの存在があるかを確かめる為に僕たちは朝早くから第七十四層の迷宮区へ降りていた。
「しっかしまぁ、信じたくはないけどよ……これだけ歩き回っても見つからないのは "そういう事" なのかも知れないな。キリト、お前はどう思うよ」
「断定はできないが、この迷宮区にあるとすればまだ見つけられてない隠し部屋や仕掛けを解いた先か……それともボス部屋の中か。少なくとも此処を普通に歩き回っていて探せる範囲に解除ギミックは存在しないだろうな」
捜索を始めてから既に二時間近くも経過しており、迷宮内の地図が出来上がるほど歩き回った結果入手できたのは酷く曖昧な、それでいて微々たる前進でしかない。これからどうするかを思案顔で話し合う声に耳を傾けながら僕は一人、皆から少し離れた場所で床へ座り壁に背を預ける。
与えられた三日間で得られた睡眠は計六時間あるかどうか。ここ数日と比べれば遥かにマシだが、それは比較先が極端なだけであり身体に溜まった疲労は完全に抜けきる筈もなく今もこうして僕の身体を蝕んでいる。
(眠気はないし戦ってる内は集中してるから実感ないけど、結構身体に堪えてるんだな……疲れ方が酷い。)
以前であれば数時間、長ければ一日中走り回っていようと疲労を感じる事などなかった筈がこの体たらく。見過ごせる限界が直ぐ傍までに近づいているのは自分でもわかっていた。だがそれでも、だとしても、彼らに弱音を零したくはない。
特にキリトには一度弱りきった姿を晒してしまっただけに尚更、そんな自分を知られたくはない。
僕の周りに居てくれる人はどうしてか必要以上に背負い過ぎてしまう者が多いように思える。だからこそ "こんな荷物" を背負わせるワケにはいかないのだ。
「そういえばこっちに来て熟睡できない事を恨めしく思ったの初めてかも……ホント、腹立たしいな」
しかし全ては自業自得でしかなく、とどのつまり散々好き勝手に我を貫いてきたツケがちょうど今回ってきただけの事。『因果応報』・『人を呪わば穴二つ』という言葉もある通り何かしらの行動をとる場合必ずそこには大なり小なりリスクという物がつきまとう以上、当然の帰結である。
幾度となく考え、その度に辿り着いてきた同じ答えを前に僕はゆっくりと息を吐いた。
(――バカらしい。)
弱りきった心など踏み潰せ。邪魔な物は切り刻め。
そっと閉じた瞼の裏で膝を抱えた "彼" を押し倒せば感情の抜け落ちた無機質な "彼" の眼と視線がぶつかった。逃げようと足掻く "彼" を離すまいと邪魔な四肢を切り落としてから僕は "僕" の心臓へ容赦なくナイフを突き立てる。無機質な目が涙を浮かべようと構うことなく何度も、何度も、息の根が止まるまで。そうして事切れた肉の塊を僕は乱雑に放り上げる。一体これで何人目になるのか、眼前の『山』を一瞥した僕は握りしめている真っ赤なナイフをその場へ投げ捨てた。
"もし叶うのなら、どうか二度と這い上がってくる事の無いように――" 。
閉ざしていた瞼を開ければそこには変わらない現実が待っていた。どうやら未だに話し合いは続いているようで、しかしそれも突然の来訪者によって終わりを迎える。
「――全員、その場で待機せよ!」
張りのある声の雰囲気からして男だろうか。声を上げた男を含めて金属で出来たフルプレートアーマーにグリーヴ、ガントレットと見た目だけは重装備の人間がザッと数十名。レベル上げ目的のパーティにしては些か大所帯であり、かといってボスを攻略するにはあまりにも小規模だ。
そうして此方へ向かい歩を進める男の存在にキリトたちは一旦話しを中断し、僕も重い腰を上げて警戒心を尖らせる。大声を出した時点で殺害を目的に近づいてきたとは考えにくいが念には念を。用心するに越した事はないのだから。
「話し合いをしていたところを申し訳ない、私は《アインクラッド解放軍》に所属する "コーバッツ" という者だ。貴殿らは攻略組の黒の剣士キリト殿・血盟騎士団に所属している閃光のアスナ殿・クライン殿と彼が率いるギルド風林火山の方々。壁に寄りかかっているのはシャルテ殿とお見受けするが、間違いはないだろうか」
此方から目測で一メートル程のところで立ち止まり姿勢を正すと右腕を水平に、肘から先を曲げる事で敬礼をした男は少しの間を置いてそう切り出した。
何も知らない人物からすれば "礼儀正しい" 、別の言い方をするなら "堅苦しい" 口調で自己紹介と此方側の名を尋ねただけに過ぎない。が、しかし、コーバッツと名乗る男が自らの所属を明かした途端にキリトたちは警戒を強め、空気には微細な棘がチラつき始めた。
というのもアインクラッド解放軍――通称『軍』と呼ばれるそこは『初心者の庇護や弱者の救済をする善良なギルド』という評判もある一方で『初心者を庇護する為という名目で通行者からはコルを巻き上げ、逆らう者には力に物を言わせて暴力へ走る』などという悪評も立ち並ぶ。そのどちらもが事実であり、相反する二面性を有するギルドとしてプレイヤーの間では有名なのである。
先んじて何かを喋ろうとしたのか一歩前へ踏み出すキリトをクラインが手で制し、変わりに返事をしたのはクライン。
「コーバッツさん。確かに俺は風林火山のギルドマスターの "クライン" で間違いない、他もあってる。……だけどよ、軍の人間がいったい何の用だ?」
「やはりそうであったか。偶然見かけてもしやと思い声をかけてみたが、人違いではなくて良かった。実は貴殿らに折り入って頼みたい事があるのだ――」
言って、コーバッツは自ら腰に差していた直剣を床へ置くと両手をあげて無抵抗を示す。
だがしかし此処は迷宮区の中、つまりはダンジョン内部である。僕たちが探索の際幾ら手当たり次第に敵を斬り捨てたとはいえ狩り尽くしたワケではなく、時間が経てば復活してしまう。そんな当たり前のようにモンスターが跋扈(ばっこ)する場所でコーバッツは自らの身を守る貴重な手段を躊躇いもなく手放したのだ、動じるなと言う方が難しい。
「これは私なりの『誠意』だ。反応を見る限り貴殿らも軍の噂……実体を見聞した事があるのだろう。それを承知の上で頼みたい事があるのだ。そちらが望むのであれば私は鎧を外しても構わない、話を聞いた後で断るも自由だ。聞くだけでも良い……どうかお願いできないだろうか」
そんな風に言われては彼らが断れるワケもなく、クラインたちは一定の警戒心を維持しながらも "願いを聞く" という肢を選ぶ。が、それでもコーバッツに武器を取る様子は見られなかった。彼の言う『誠意』が本当であるならば、恐らく床へ置いた武器に関しては話しが終わるまで一切手をだす事は無いのだろう。
自ら武具を外す事で形式上僅かとはいえ生殺与奪の自由を相手の手の平へ譲渡するというのは今回の場合、確かにある意味最も理に叶った『誠意』と呼べる。彼がキリトやクラインらの人柄を知った上でこの方法を選んだかは定かではないが、どちらにせよ相応の "願いの強さ" を持ち合わせているという事だ。
「――まず、我々が此処へ来たのは他でもない。アインクラッド解放軍のリーダーの一人であるキバオウ殿の命によりこの第七十四層に座すボスを討伐する為だ」
前置きとしてコーバッツの口から告げられたあまりにも突飛で無謀な目的に場の空気は一瞬で凍りついた。が、無理もない。彼がやらんとしている事は明確な自殺行為である。
そんな発言に彼と、彼が率いていた者を除いた全員が一様に眉根を寄せ、信じられないという視線をコーバッツへ向けていた。
「アンタ……正気か? 」
「正気だとも。クライン殿、私は決して気が触れたワケではない。ただこれは我々がやらねばならない事なのだ。貴殿らも知っているだろう? アインクラッド解放軍は今やこの世界において最大規模を誇るギルドと言われている……が、その実態は "ギルド" と呼ぶにも難しい組織と成り果ててしまった。巨大過ぎるが故に統率を取れず末端まで管理が行き届かない、中にはギルドマスターの意向に逆らい弱きを虐げる者・巨大なギルドの名を後ろ盾にしたいが為だけに所属している者もいる。だからこそ必要なのだよ。『攻略組』という肩書きが――名ばかりではない、真にアインクラッドという牢獄から人々を助け出す為に戦い続ける英雄の銘(な)が」
(あぁ――そういう事か。)
歯噛みし、時に表情を歪ませながら言い切ったコーバッツが何を頼もうとしてるか。漠然と浮かび上がった二択に僕は内心で息を吐く。多少度合いに差があったところでそんな物は無いも同意、なにせどちらも本質は変わらず "碌でもない事" なのだから。
「こう見えて私も元攻略組の端くれだ。場所に関わらず地図を完成させる事が如何に大変かは理解している。事後となってしまうが必ず礼を尽くそう。だからもし、貴殿らが地図を完成させているのであれば我々に譲ってくれないだろうか?」
程なくして再び言葉を紡いだコーバッツから聞かされた願いは、見事に当たってほしくもない二択の内一つを貫いていた。恐らくはそれが原因か、普段の僕ならきっとまだ静観していただろうに。
"甘いなぁ" ――と、浮かんだ心音を直ぐ吐き出してしまうほどに今は虫の居所が悪くて堪らなかった。
「ふむ……シャルテ殿、それはどういう意味だろうか」
「単純に、言葉通りの意味だけど。その防具は七十四層でNPCがやってる店で売られてるヤツだよね? 此処にいる敵を相手にするには少しばかり防御力が低いけど、それでも充分な値を持ってる。コーバッツさんが今率いてるような大所帯であれば二、三体敵を一方的に殴り続ける事だってできる筈だ――それにしては、今のアナタたちは明らかに疲弊の色が濃すぎる。此処まで来るだけでそんな調子じゃボスを倒すなんて無謀だ。それとも、犬死にしたいの?」
「誤解しないで欲しい。我々はむざむざ殺されてに行く気もましてや決死隊を志願したつもりなど毛頭ないよ。やるからには、勝つつもりだ。例え無謀・無理・無茶と揶揄され、またそれが事実であっても我々が先に負けを悟り退くワケにはいかんのだ……それでは何も変えられない。このまま事を放置しては遠からず軍は内部から瓦解を始めるだろう。しかしそうなってしまえばいったい誰があの街で恐怖に震えている者へ手を差し伸べる。それに私は、我々は、命令されたから死地へ向かうのではない――彼が託してくれた信に応えたいからこそ向かうのだ」
機嫌が悪くなるにつれ自然と言葉は棘を纏っていく。しかしそれでもコーバッツの表情に怒りはなく代わりにあったのは酷く既視感のあるモノで、そこへ含まれた感情に僕は無言のまま目を逸らす。
あれでは僕が彼らに何を言ったところで届く筈もないのだ。これが『自棄』ならまだ救いようの一つや二つあっただろうに――今の状況で『決意』を固められてはどうする事もできない。たとえ腕を落とし足を断ったところで第二、第三と行進は続いてしまう。
「現状を憂いているのはキバオウ殿も、そしてもう一人のリーダーたるシンカー殿も変わらない。しかしシンカー殿は些か優しさが過ぎるお方だ……禍根の無法者でさえも斬り捨てる事なく、状況が変われば態度を改めてくれる・本意ではない筈と信じ連日連夜身を粉にして事態の解決へ尽力してきた。だが状況は変わるどころか均衡を保つ事すら出来なかったのだ。故にキバオウ殿は自らを筆頭に軍の中でも比較的レベルの高いメンバーを集めて最前線へ赴き、ボスを討伐する事で再び攻略組の肩書きを得ようと考えた――それに待ったをかけたのは私たちだ。アインクラッド解放軍はシンカー殿とキバオウ殿、二人がリーダーに座してこそ "アインクラッド解放軍" 足り得る。どちらか一方が欠けてしまっても、ダメなのだよ」
――同じ "命がけ" でもクリスマスのあの日、自棄になったキリトを止めた時とはワケが違う。仮に他のギルドへ協力を呼びかけ総掛かりで討伐を手伝ったとしても今回の件は彼ら個人の功績でなくてはならない。そこを騙りでもしてみろ。押し寄せる羨望の眼差し・救いを求める者の手は彼らが死ぬか、アインクラッドから脱出するまで止まず、過剰に膨れ上がった期待は僅かな綻びでさえ見逃す事なく牙を剥く。
そうなったら最後、立て直すなど奇跡でも起こさない限りまずもって不可能だ。
それならせめて回復アイテムだけでもと僕は無言で取り出した回復結晶をコーバッツへ突きつけるも彼は受け取る素振りを見せず、代わりに何か言おうとしたのか僅かに開いた口は不意に閉ざされてしまい彼は右手で宙をなぞりだした。それが終わったかと思えば今度は突然頭を下げられる。
「すまないが先の願いは忘れて欲しい。たった今、外で情報を集めてくれている仲間から此処の地図を入手したという報告とトレード申請があったのだ。此方から突然話しかけておきながら申し訳ないが、我々は失礼させてもらう」
言って、表情を引き締めたコーバッツは詫びの言葉を残し床に置いた剣を拾うと自らが率いてきた部隊の元へ踵を返す前にキリトとアスナ、そして僕を視界へ納めるよう向きを変えた彼は柔らかな笑みを湛えていた。
「君たち若人が持つその力は "道を斬り拓く" 為に在る。周り全てが敵ではない。困り事があれば誰かを頼って良い。甘えたっていい――人の手というモノは『覚悟』を抱え続けるにはあまりにも小さく、脆いのだ。会って間もない人間から言われては気持ち悪いと思うかもしれないが、どうかその事だけは忘れないで欲しい」
と、そこで一度言葉を切った彼はクラインたち風林火山の方を向き深々と一礼をして部隊の下へ去っていく。やがてコーバッツたちが迷宮の奥へ消えても尚、取り残された重苦しい空気だけは依然としてこの場で漂い続けていた。
ある者は俯き、また別な者は目を鋭くするなど各々が様々な反応を示すも一様に口を閉ざして言葉を発さない中でメッセージを告げる音が耳を打つ。いったいこんな時に誰なのかと周りから怪しまれないように差出人を確認してみればクラインからで――。
(はぁ……。)
返事を送信せず敢えてクラインへ視線を飛ばせば申し訳なさそうにする彼と目が合い、その姿に息を吐いて僕が二つ返事に引き受けると彼からは謝罪を告げられた。
面倒くさいがこの役回りは確かに僕の方が効果的というのもまた事実。いざという時は僕が殿を務めれば良い。本調子ではなくとも防いでみせる。
―― "誰も助けに行かないの?"
呟いた声は小さな物だったが、それでも静かな迷宮に響く分には十分だ。僕の声で此方を向いたキリトとアスナは目を見開いて瞬きを繰り返す。
「何その顔……幾ら向こうが一方的に内情を吐露しただけでもこのまま無視したら見殺しにするみたい気分が悪いでしょ? 別に行かないなら行かないでもいいよ。僕は行くってだけでキリトたちがどうするかを強制するつもりはない」
キリトとアスナが驚いたような表情をした原因は朧気にだが検討はつく。恐らくクラインが僕にこの役回りを頼んだのも同じ理由でコーバッツたちを助けに向かうとなれば真っ先に反対する人間は僕と判断したからだろう。実際、仮に彼らが自棄をおこした集団だったならそもそも此処を通したりはせず順次手足を斬り落として行動の自由を奪い軍へ強制送還する事も選択できたし、僕はそれを選んでいた。
「というかさ、皆どうせ僕が止めても助けに行くつもりなんじゃないの? なら変に気を使わないでとりあえず自己主張すればいい、もし本当に駄目と感じていたら僕はキミたちを殴ってでも止める。ただそれだけの事なんだよ……さっ、行くの? 行かないの? はっきりする!」
もし助けに行くのなら目的地へ着く時間は早いに越した事はない。返事を急かす僕の声にキリトやアスナは表情を真剣なモノへ変えて助けにいく旨を明言した。それに続いて風林火山の面々もやる気を示し、最後にクラインが大きく声を上げる。
「なら、全員参戦で決定だな……気ぃ引き締めてくぞ!」
その掛け声に漂っていた重苦しさから油断が消え去り、一変して張り詰めた空気へ変貌を遂げたがこれで良い。油断や慢心はもってのほか、些細な躓きでさえこの場においては命とりとなってしまう――もっとも、そういった点で考えるなら現状一番気をつけるべきは僕なのだが。
(いざ殿を務めるようになって役立たずとか、勘弁してよね。これが終わったら好きなだけ悪夢にうなされていいからさ……ホント頼むよ。)
ボス部屋を目指し迷宮内部を迷う事なく走るという行動は限界を間近へ控えた僕の身体を更に蝕んでいく。だがそれでも倒れる事なく辿り着いた部屋の前、キリトとアスナがこじ開けた扉の先に広がっていたのは満身創痍で床へ横たわる軍の人間たちと必死に彼らを庇うコーバッツの姿。
ところどころポリゴンが剥がれ落ちている死に体のコーバッツは完全に膝を地へついてしまい、無念からか表情を歪めるさまが遠くからでもみてとれた。
『ありえない――。』
悔しさが滲んだ言葉は現状を認めたくないが為の物ではなく "あってはならない" という意味であろう事は容易に想像できる。そんな彼に《ザ・グリームアイズ》と銘打たれた頭部が羊で蛇の尾を生やした人型の怪物は片手で握っていた身の丈に等しい、目測にして全長三メートルはゆうに超える大振りな剣を両手で握り直し左肩へ担ぐと部屋全体を震わせるような咆哮を上げた。
次の瞬間、グリームアイズの剣が赤い光を帯び始めソードスキルを放つ際に鳴る独特の音が響き――刑を執行すべく振り下ろされた断頭斧は中途で軌道を逸らしコーバッツの直ぐ横へと着地する。
「シャルテ殿……何故ここに」
「うるさい! 呆けてないでサッサと逃げろ!」
背後からの疑問にまともな対応をできる余裕など今の僕には残されていない。
幻影疾駆[代償]にシュトルムを重ね、最大限まで引き上げた敏捷値から制御可能な最高速度で放った渾身の突きを命中させてもズラせた軌道は人一人分の横幅にも満たない僅かな距離。右手一本の自由と大事な短剣の耐久を半分失った成果にしてはあまりにも割に合わない。オマケに相手の得物は未だ赤い燐光を灯したまま、踏み出した左足を軸に大剣を引きずるようにゆったりと右へ回転を始めている。それはソードスキルが中断されていない事を如実に示していた。
万が一に備え幻影疾駆[代償]を解除し、すぐさま右手の武器をしまって左手に使い捨ての短剣を握るも前触れもなく回り始めた視界に僕はその場でたたらを踏んでしまう。
(ならないで欲しかったんだけどな……あんな勢いで突っ込んだら、やっぱりこうなるよね。)
キリトたちの焦ったような声が聞こえてくるがこうなる事自体は元よりある程度予想はできていた。前を横切る車の土手っ腹に勢い良く追突すれば此方にも衝撃が及ぶのは当然だ。しかしグリームアイズの放ったソードスキルの軌道を逸らす事さえままならなかったのは完全な予想外で、上手く弾けず押し合いのような形となった結果逃げ場を失った衝撃は僕の腕を伝い体内で爆発を起こす。
その威力足るや、ペイン・アブソーバのレベルが以前のままだったなら僕は今頃気を失っていたかもしれない。それ程までに強烈な物だったのだ。
(――でも、左手が動くなら上等か。後は僕の集中力次第だ。)
本来このソードスキルで標的とされていたのは倒れ伏している軍の人間ではなくコーバッツ個人である。現にグリームアイズの振り下ろした剣はちょうど先端部で彼を両断する間合いだったのだから恐らく複数回攻撃でも高範囲を蹂躙するタイプの物ではない筈。幸いにも彼は味方に危害が及ばないよう倒れ伏した軍の人間とは距離をとっていたからこそ今の内に彼が離れてさえくれたなら僕はパリィを応用して自分の身体を弾けば良い。
結論に至るまで約二秒――左手が動き始めたそれよりも短い刹那の合間に身構える僕の身体は突然後ろへ引き倒される。
"何で――。"
急激に傾いていく視界が捉えた優しい表情を浮かべるコーバッツの姿に声を上げる暇もなく、コンマ数秒で現れた死神は僕の目の前で無慈悲に命を狩りとった。
"逃げてって言ったのに、何で?"
レベル差を踏まえれば僕を助ける意味などないに等しい、少なくとも自ら身を危険に晒してまでやるべき事ではなく利口とは程遠い判断だ。
宙に散らばる人間だった物へ手を伸ばしてみるもそれは指に触れた途端光の粒子となって風にさらわれ消えていく。死者は亡骸さえ残す事を許されず、後には何も残らない。
どうして、皆死んじゃうのかな―― "助けられなくてごめんなさい" 。
何で後少しの手が届かないのかな―― "それは僕が弱いからだ" 。
《はじまりの街》で聞かされた言葉がたとえ冗談であっても理不尽に人が死ぬ様なんて見たくなかった。自分が原因で誰かを理不尽な目に合わせるのはもっと嫌だった。だからこそ死なない為に、一人でも戦い抜けるようレベルを上げてきたのに。
それがどうだ――現実を見ろ。
君たち若人が持つその力は道を斬り拓く為に在ると、そう言った本人が死んでは駄目ではないか。
いくら道を斬り拓いたところで通る人がいなければ意味がない。
残された者が振り返った時に待っているのが血濡れた道や死体の山ではどうしようもない。
その為の自己犠牲など反吐がでる。残された者の気も知らないで――。
「でも、もういいや……守るとか、死にたくないとか、そんなの知らない」
誰かが後ろから僕の身体を掴んで何処かへ運んでいるが、その手から抜け出した僕はゆっくりと立ち上がる。
ザ・グリーム・アイズ――『悪意の視線』。
「キヒッ……イヒヒ、ヒハハハハハハ――ァァアアアア゛ッ」
容赦も加減も必要ない。無意味に、無価値に、無駄に、ただ死ねばいい―― "オマエは僕が殺してやる" 。
* * *
「シャルテくん……どこいくの?」
「別に。まだやるべき事があるから、それをやりにいくだけだよ……アスナたちはアクティベートとキリトをお願い。その調子じゃ当分夢の中だと思うから」
不安気な表情を浮かべるアスナへそう答え、疲労からか気を失い彼女に抱き止められているキリトを一瞥した僕は覚束ない足取りでボス部屋から外へ出る。そうして結晶無効化が解除されている事を確認すると、僕はインベントリから取り出した転移結晶を手に、行き先を告げた。
「転移……《はじまりの街》」
向かう先は第一層。久方ぶりに寄った街の空気は相も変わらず淀んでいた。賑やかさは喧騒へ名を変えており、路地裏を覗けば媚びへつらう男女の衆がたむろしている。最早当初の面影など残されてはいない。
道を行くだけで四方から伸ばされる手と好奇の視線を無視して僕は淡々と目的の場所へ歩を進める。恐らく彼らは待っている筈だ。自ら願いを託した戦士たちの帰還を――その生還を。
「お久しぶりです……キバオウさん、シンカーさん」
しかしそれが叶わなくなってしまった以上、誰かが代わりに結末を告げなければならない。
「少し、お話ししなければならない事がありますので……中、いいでしょうか」
数分足らずで到着したアインクラッド解放軍本部の前に立っていた二人は僕の姿を見て驚きこそしていたモノの、言葉から何かを察したのだろう。拒む事なく建物の中へ招かれ、そのまま応接室に通されるて置かれた円卓を囲う形で配置された椅子へ座るよう促される。
「少し前に第七十四層のボスが撃破されました。直に全プレイヤーへ七十五層の解放を知らせるアナウンスがあると思います……ですがコーバッツ、及び彼と共にボスへ挑んだアインクラッド解放軍の人間の半数以上が亡くなりました」
促されるまま席へつき、ボス攻略が完了した旨を伝えたところで僕は一度言葉を切る。そして呼吸を整えてから表情を陰らせる二人に事実だけを告げれば、沈黙が生まれるよりも先に表情を歪めたキバオウは無言のまま部屋を出ていった。
それでも僕は喋る事を止めようとせず、機械的に、淡々と事実だけを述べていく。
ボス戦へ行くコーバッツたちを無理に止めようとはしなかった事・自分たちがボス部屋へ救助にかけつけた時には既に彼らが壊滅状態であった事――そして、コーバッツは僕を庇って亡くなった事。
全てを伝え終えると彼から教えてくれた事に対する感謝の言葉を告げられて、僕は首を横に振る。その直後に小さなファンファーレが耳を打ち、視界には七十五層への道が開かれた旨を知らせるメッセージが流れるがこの場にいる誰一人として喜びの声を上げるでもなく、重苦しい沈黙に耐えかねた僕は彼へ一礼をしてから逃げるように場を後にした。
* * *
―― "シャルテ君は、もう限界かも知れないな" 。
血盟騎士団本部の団長室へ座る私の生みの親はそう言っていた。だが私はあくまでも可能性の一つでしかない・彼に限ってまだ折れたりはしないと高をくくっていたのだ。
しかし帰ってきた彼を見て、それこそが浅はかな考えであった事を痛感させられた。
「今日は一人で寝る。お休み」
帰ってくるなり此方の目も見ず自室へ向かったシャルテの表情に、私は動揺を気取られないようにするだけで精一杯だった。
シャルテの部屋へ通じる扉の横で膝を抱える私の耳には聞き耳スキルが拾う声なき慟哭が絶え間なく流れている。
もし私が "人間" だったなら、あの子の涙を受け止めてやる事が出来たのだろうか――。
考えたところで答えなど見つかる筈もない。私はプログラムであり、所詮 "人間の模倣品" でしかないのだから。
『 "人間扱い" って、ウルズは人間なんだから当然だよ……。少なくとも、僕はそう思ってるから。』
そうわかっていても、私を肯定してくれたあの子の近くにいるのに何もしてやれない自分が虚しくて――この気持ちだけは造り物ではない筈と信じる事も、私には許されないのでしょうか?