「あ、ありえませんわ」
あやかは清水寺の前で呆然とした。朝倉は、冷めた目で周りの様子を見ていた。
そこにあったのは、人、人、人。
以前に来たときには考えられないほどに人が敷き詰められていた。
「別に、これが普通なだけなんでしょ」
朝倉は、坂を上るときに買った八つ橋クレープを食べながらあやかの疑問に答えた。
朝倉は事前にブログなどで実際の様子を知っていたために驚きは少なかったようだ。
「けれど、前に来たときは修学旅行シーズンでしたのに、もっと少なくなかったですわ。これでははぐれてしまいそうで」
「だから、それも魔法なんでしょ」
拝観料を払って入る二人。その先には、記念撮影をしている人がいて、目の前を通りづらい雰囲気になっている。それをよけて本殿まで進んでいった。
先にあるおみくじやお守りを売っている所を通りながら、本殿から見える景色を眺めた。そこもまた、人でごった返している。
「みなさんを連れてこなくてよかったですわ」
ぽつりと漏らした言葉。朝倉とあやかは、京都に行くのについでと寺を巡っていたが、朝倉の様子によっては他のクラスメイトも誘おうと考えていた。別行動でも、彼女らにしっかりとした京都旅行をしてほしいと、そう思っていた。
しかし、これでは
「人が多くて、見た気になりませんわ。これでは、地主神社の岩の願掛けも、人にぶつかってしまいますし」
その先にある、音羽の滝の水を飲むための行列は、何分待てばいいのか見当もつかない。修学旅行の快適な清水寺とは雲泥の差だった。
「観光地に人がいないわけがねえだろ、いいんちょ」
「そう言われれば……」
「これも、魔法だったの?」
「人払いの符だな。麻帆良の生徒のために、わざわざ張った符だ。たまたま同じ日にここに来るはずだった人は、ご愁傷様って感じのな」
「そうでしたの。千雨さ――」
あやかは慌てて後ろを振り向いた。そこには、後で会うはずの千雨が、和服姿で立っていた。
「よ、久しぶりだないいんちょ」
「お久しぶりですわ。それにしても、いきなりですのね」
「こっちも色々と詰まっててな。先に済ませてもらおうかと」
千雨と連絡を取った雪広は、朝倉の様子を見ながら慎重に日程の調整をしていた。しかし、予定道理に行かないと言うのが世の常だ。
こちらの都合も考えずに予定を割り込んで頼みごとをしてくる魔法関係者の多いこと。
交渉をする人間はある程度話せる人物が多いのだが、その段取りをする人間が無茶をしたり、京都の人間を下に見ているので高圧的な物言いになっていた。
そして今日も、たかだか子供ひとりと会うための予定だと、無理やり予定をねじ込まれたのだ。門前払いになりそうになった相手は脅しをかけてきた。交渉相手を知っている千雨はそれを警戒したわけではないが、予定を変更することにしたのだ。
「今日はお暇ということでしたけど」
「こっちの予定を無視する奴なんてざらにいるからな。別に緊急事態ってわけじゃねぇから気にすんな。むしろ遅れて行った方がいいかもしれないしな」
相手の立場を教えるために。そう千雨は心の中で付け足した。
こう何度も見下されたような交渉をされ、その後に相手が愚行に気が付く。それを何度も繰り返して、千雨にも疲れが見えていた。千雨が表に出る回数はそう多くはないのだが、それでも報告のようなものは毎日あり、想像以上に仕事があったのだ。
「それより、話すなら移動するし、観光するなら見て回ろうぜ。京都に何回も来ていても、観光とかはしたことないんだ」
「そうなんですか」
雪広はチラチラと朝倉を見ながら答える。朝倉は、先ほどまで景色に向けていた視線を外し、千雨に釘付けにしていた。
雪広はそれをハラハラしながら見ていたが、千雨は気にせずに二人を誘導して行った。
坂を下りて、直ぐ近くにある喫茶店。その一つに3人は腰を下ろした。
関西呪術協会の隠れ詰所にもなっているこの店は、3人が入ると準備中の札を出して貸切にする。
「ここの方が話しやすいだろ」
千雨はそういうと、とりあえずと抹茶とおはぎのセットを頼む。出されたセットは、苦みのある抹茶と、甘さが控えめながらもしっかりと効いているおはぎと、満足のいくものであった。
舌鼓を打ちながら、千雨は朝倉の様子を見ていた。
雪広から聞いていた朝倉の様子。そして今までの自分の経験から、どのようなことへと思考が移行しているのか、なんとなくだが分かっていた。
しかし、千雨はそれを率先して聞いたりはしない。それは朝倉が自分から伝えることなのだから。
雪広はチラチラと朝倉の方を見ながら、千雨にならいおはぎを口に運ぶ。
朝倉は差し出されたものをじっと見ながら俯いていた。
沈黙は続き、千雨が食後のお茶を飲みきるまで一言も発されることはなかった。
「長谷川」
「なんだ?」
ポツリ、やっと出た言葉。
「教えてほしいことがあるんだ」
声を震わせながら続ける朝倉。震えの原因は何なのか。
それを察することは、雪広にはできなかった。ただ、心配そうに朝倉を見つめている。
「長谷川、あいつらのことをもっと教えて。あいつらが何をやってたのか。これから何をするのか。私たちはどうなるはずだったのか」
そして、朝倉は一旦言葉を止めた。千雨はせかすことなく朝倉を見る。
「後、これだけは教えてほしいんだ。あいつらの、あいつらへの復讐の方法を」
先ほどまで向けられることがなく、見えなかった朝倉の目が、やっと二人の視界に入った。ギラギラとした目。その奥には復讐の炎がともっているように雪広には思えた。
千雨はそれにため息を吐いて、軽く手を振る。
「前半はいいが、後半は無理だ。私はあいつらに復讐しようなんて思ったことはない。そんな気も起きない以上、教えることもできない。それが聞きたいことなら、帰ったほうがいいな」
犬を追い払うような仕草で朝倉を返そうとする千雨。朝倉は立ち上がり、テーブルに強く叩いた。
「何でよ! 長谷川はあいつらに復讐したじゃない! できたじゃない」
朝倉の目の奥から、憎しみが千雨に向けられた。千雨はそれをものともせずに雪広に話しかける。
「ちょっと、こいつ外に出すのは早すぎたんじゃねぇの?」
「仕方ありませんわ。以前の明るかったクラスは、今は影も形もないのですから」
バラバラになってしまったクラス。彼女らは何を信じていいのかが分からなくなった。周りの者すべて、完全に信じきることなんてできなくなった。仲のいい友達でさえ、その友達自身を信頼していようが、実はあやつられているんじゃないかという懸念が頭から消え去ることはなかったのだ。
周りの一挙一動に敏感になり、今も昔のように振舞えるのは龍宮、那波、雪広くらいのものであった。綾瀬は普段道理に振舞えると言えば振舞えるのだが、別の事情で普通ではなかった。
周りの異常性の中でもひどかった朝倉だが、彼女の精神状態を考えると連れてこざるを得ない状況下にあり、さらには雪広の判断基準も周りの状況によって下がっていたのだ。
千雨はその事実をクラスメイト本人から聞いてため息を吐いた。そして朝倉をいったん座らせる。
「私は魔法の呪縛から逃れるためにやった行為が結果的に復讐のようになっただけだ。結果は同じだが、本質は全然違うところにある」
「どういうこと?」
「私がやろうとしていたことは、関西呪術協会を関東魔法協会の傀儡状態から解放することで、自分の居場所を確保すると言うことだ」
麻帆良の情報を伝え、修学旅行での行動をもってして関東との立場を考え直さる。それでだめだった場合は長を排除する。千雨のみではそこまではしなかった。復習と呼ぶには稚拙すぎるそれは、ただ関西の、日本の未来を考えて行動を起こすものと、千雨の自身の居場所を確保しようと言う行動と、千草の、魔法使いへの復讐心という悪感情が合わさってできたものだ。即物的な復讐を求める朝倉に出せる答えは、千雨は持ち合わせていなかった。
「けど、長谷川は魔法使いたちを、高畑と学園長を麻帆良から追い出したじゃない」
「あれは結果論だ。近衛詠春が傀儡であることをいいことに、好き勝手やってくれたからな。勝手にドツボにはまっただけだ。仮契約執行の魔法陣を旅館に引くなんて誰も考えつかねぇよ」
千雨は、朝倉に対して言葉を選ぶことはしなかった。淡々と事実だけを述べていく。
朝倉の起こした行動は、魔法使いにとって悪手であったが、だからと言って責任がまったくないと言うものではなかったのだ。
「それに、復讐というなら、お前がやった行為自体が復讐になってんだろ。それがきっかけで麻帆良を潰せたんだから」
千雨たちの行動がすべてうまくいったとしても、麻帆良をどうこうできる予定はなかったのだ。ネギとカモの暴走によって、それに朝倉が加わったことによって事態は好転し、麻帆良の魔法使いを排除できることになった。そういった意味で考えるなら、朝倉は既に復讐を追えていると言えるだろう。
「朝倉、お前は何に対して怒ってるんだ? 自分たちがいいように使われていたことか? 自分が利用されたことか? 自分がクラスメイトに冷たい目で見られることか? 知らないうちに性格を曲げられていたことか? 人生を勝手に決められた挙句に死の蔓延った戦場へと送り出されそうになったことか? それともそんな場所にクラスメイトを陥れそうになったことか? それが分からないうちは復讐をしようとしてもどうすればいいかなんてわかってこないだろうよ」
朝倉は問いに対し答えることはできない。怒り、恨みの感情が先に来て、千雨の言葉を聞くまで、何に対しての感情なのかわからなかったのだ。
分かっているのは復讐の対象だけ。学園長、カモ、ネギ。そして、その中で今生きていて、復讐の対象にできる人物は……。
「まぁ、何も聞いてきたのはそっちの事だけじゃないしな。前者の方を教えてやるよ。魔法使いのことを知り、お前のカメラでそれを写して真実を社会に出す。その行為が復讐になるかもしれないしな」
そう言って千雨は立ち上がった。
「まずは、相手がどう考えているのかというのを教えてやる。魔法世界からの使者が来てるから会わせてやるよ」
懐から取り出した手紙には、アリアドネーからの手紙であった。