別室で待機していた千雨は朝倉を見て確信した。
朝倉が憎んでいるのは魔法世界ではないと。
「ちなみに、今の交渉はセラスさんの読み違いだな。大方決裂してもいいからと無理やり連れてきたんだろう。私と千草姉さんが交渉の席に着くことで、あの男に何かしらを学ばせようとしたんだろうが、私はこの通りここにいた。目論見が外れたわけだ」
「さすがに、あの人と交渉できるとは思いませんが」
「いいんだよ。お偉いさんなんてあんなもんだ。舐められたらまずいんだよ、下の奴にはな。部活のたちの悪い上級生と同じだ。役に立たないで偉そうにしながら、自分は被害のないところで遊んで上には媚び売ってんだ。もう一つの地球の勢力の中で上位に位置する、しかも連合という世界の最大勢力の権力の力を借りてる奴が、日本の下にある関西呪術協会と対等だと思うか?」
TOYOTAが弱小企業のねじ工場の営業にペコペコお辞儀をするか。そんなもんだと言って雪広に説明する千雨。ただ、関西呪術協会はNASAでも求めるような最高技術を持っている小企業であり、それを手にするためには誠意をもった交渉をしなければならないと言うことを相手が理解していなかった。それだけだ。ついでに言えば、あちらの不祥事を知っており、相手側を世界のだれもが信用していないのにもかかわらず傲慢な態度を取り続ける相手に、誰も見向きもしていないのを気が付いていないのだ。実際に各界に顔を出さない限り理解することのない、理解できない巨大組織の欠点ともいえる状況。そのため、セラスや彼女に従っている人間以外はいまだに自分たちが一番だと錯覚していた。
これから後に行われるクルトによる告発を待たなければ、彼らの意識が変わることはないのかもしれない。いや、一縷の望みをかけて千雨の下へ男をよこしたのがセラスだった。
「まぁ、あっちの男からしてみれば見方は変わるけどな」
男にしてみればいきなり変わったのはセラスなのだ。
韓国の高官が日本人に会い、自国に帰ったら晴れ渡った笑顔で「竹島は日本のものです。私たちに所有権はありません」と言ってきたようなものなのだ。それは男にしてみればセラスの正気を疑うと言うもの。逆に日本でそういったことの署名を行った外交官がいたという事実があるため、日本人にしてみれば大したことはないのかもしれないが、外国の人間にとってはかなり重要なものなのだ。
「頼りすぎというか、自分の思い通りに事が運ぶような想定しかしていないからそうなるんだ。手駒が少なかったとしても、そこでやれるだけのことをやるのが普通の事なのに」
千草、千雨、小太郎のみで全てを終わらせる準備をしていた千雨はそうつぶやいた。戦力分析をしない、できない人間は上に立つべきではないと言うのが彼女の持論だ。千草を説教しているときに切に感じた持論だった。
「英雄の求め方も自分の傀儡を求めているだけだしな、魔法世界は」
千雨だったら求めるのは織田信長や徳川家康のような、もしくは桂小五郎や坂本竜馬のような組織として上に立つ英雄だ。しかし、相手が求めているのは本多忠勝や宮本武蔵なのだ。個人の能力しか求めずに、それを上に掲げることで英雄を操っている。おそらくは組織的な動きをされて反抗されるのを防ぐためだろうが、そもそもそのようなことにならないように政治をすべきなのだ。
結局は自分たちの都合のいいようにまわしたい人間が上にいた。そのせいで国がおかしくなった。それだけの話だった。
「それで、どうするんですの?」
「どうするっても、このままお帰り願うだけさ。私が出ることでもないだろう? まず身内のごたごたを何とかしてくれないとな」
面倒そうに立ち上がる千雨。ふすまを開くと、そこには先ほどまで監視していた部屋にいた少年が立っていた。
「これを……」
「ん、ありがとな」
差し出されたものを受け取った千雨は、その中身を確かめる。
「これじゃダメだろ。本当におかえり願ってもらえ」
少年は頷いて立ち去った。
書かれていたのは潜んでいた魔法使いの数と配置。
便乗して仕掛けようとしている連合の数が20と、アリアドネーの人間が30、それにどこからかわからない傭兵らしい人間が30、それぞれが違う場所で狙っていた。
実際に行動には起こさないものの、いつでも相手国に内部に忍び込めるような歴史と関係ではないために、こうやって外から監視をするしかないのだ。
今回のアリアドネーの行動は、セラス自身も隠す気がなかったために筒抜けとなっており、各国も慌ただしくなっていたのだった。
そして、そのなかでアリアドネーの人間は、セラスが千雨に対し自国の教員を指導してくれるように頼んだ時に、その事実を否定し、亡き者としようと動いたものが多数いたのだ。
「あの人も、自分がしてることがまずいことに気が付けばいいのにな」
「どういうこと?長谷川」
隣で見ていた朝倉が聞いてきた。
「セラス総長は自分たちの行動がどのようなものだったのかを、麻帆良の人間が好き勝手していた時に気が付いた。それで今回私達に頼みに来たんだが、それ自体もまずいんだよな」
お茶を一口飲んで千雨は続ける。
「逆に言っちまえば、それくらい薄っぺらいってことなんだ。自分がなんでそのような行動をしていたのかをしっかりと説明できない。だからすぐに自分たちの非を認める。確かに間違いではあったけど、それはその行動に対してだ」
そして画面の先にいるアリアドネーの二人を指す。
「そんで今回、新しく講師をしてくれと言いに来たんだけどな、自分たちの指導が間違っているという自覚を持ってセラス総長はここにいる」
「自分の行動を顧みることはいいことではありませんの?」
「それ自体は間違いじゃない。けど、それを他人に押し付けるのが間違いだ。気が付かせることができるかどうかってのは環境が大きく関係する。自分が正しいと思っていても、実際正しくてもそれを受け入れる環境が必要なんだ。私にそれを求められても無理だ」
それは千雨だから無理なわけではない。相手が画面の向こうの男だから無理なわけではない。
「たとえ私の言葉で感銘を受けて今から心を入れ替えると言われても私は信用しない。それが本心からだったとしても、それはいつまで続くんだ? 完全に反対の人間が掌を返したように賛成になっても、そんな奴は絶対に自分というものを持っていない。結局、変わろうが代わるまいが信用できないんだ」
だからすり合わせと相互理解が必要なのだ。なのに、是か非かでことを決めてしまおうとしているから詰まることになる。
「では、結局セラスさんはどうすればよかったんですの?」
「どう思う? 朝倉」
千雨はあやかにされた質問をそのまま朝倉に返した。朝倉は無言のまま返答できないでいる。
「――わからない。長谷川はどう思うの?」
「私は、事実を伝えればいいと思う」
朝倉とあやかの質問に一言で答えた。
「何を押し付けても駄目なんだ。自分の考えをするやつを量産しても駄目なんだ。洗脳じゃなく、自分の考えを持たせること。それが一番いいことだ。自分で考えた結果ならそれはしっかりとした意志になる。いままではあっちが正しいこっちが正しいという主張だけだったからな。たまたま馬鹿なやつが変なことをやってくれただけであっちの膿が出てきただけだ。もしかしたらこっちの政府もこれから同じことやるかもしれないしな」
朝倉の方を見て千雨は続けた。
「これから必要なのは情報だよ。こちらがどんな立場であり、あちらがどんな立場であるかをしっかりと明かして、お互いに世界の違いを知らなければいけないんだ。文化の違い、身体能力の違い、知識量の違い、常識の違い。違うところだけじゃなくて共通点にもなるが、それを知るにはどうすればいい?」
必要な情報を隠蔽されていたから魔法世界はあそこまで一つの考えにまとまった。考えることもなく、無意識のうちに統一されていく。洗脳のような人民統合をしていた。それは、連合しか情報を表に出さないからだ。一番大きな口が声を上げる。結局戦争をしてきた帝国でさえ、しっかりと声を聴いてもらえなかったのだ。
それを解決するには
「知らせる側が増えればいい。しっかりとした事実を何人もが声をあげればいい。それをしたいんだろう? 朝倉は。正しい情報を伝えればいいんだよ。私が適当に声をあげてもいいが、それは自分の意見でしかない。事実をしっかりと伝えることの方が大事だよ。もちろん知識がないとできないけどな」
千雨は朝倉の頭を何回か叩いて部屋を出て行った。
残された朝倉はただその先を見ていた。
今何ができるかと言われれば答えられないだろう。そして、朝倉が動くころには状況も変わるだろう。
具体的には千雨は何をしろとは言わなかった。
しかし、朝倉にその言葉は届いた。
けれど、朝倉はそれを受け入れて、その後すぐに動いてはいけない。考えなければいけない。
千雨の意見を受け入れるだけなら、カモの言葉を聞いた昔の自分と何ら変わっていないのだから。
しかし、少なくとも前より一歩進めている気がした。