「────て」
もう少し寝かせて欲しい。
「──きて」
せめてあと五分
「おーきーて! ね?」
吐息で耳がこそばゆい。
こんな蠱惑的な目覚まし時計をセットした覚えはない。覚えはないんだが、また束さんに変なイタズラでもされたのだろう。まどろみの中から腕を引き摺りだして、枕元に置いたはずの携帯に手を伸ばす。
「やんっ♡」
探しさまよった手が、何か大きな物に触れた。
マシュマロみたいに柔らかく、グミの様に適度な弾力があって、クリームチーズの光沢に似た質感の、何か。寝る前に飲むホットミルクと変わらない温度も快い。
手が、脳が、本能が、この掌の中にあるものを離すことから拒否している。
「あっ♡ こら、怒るゅぅんっ♡」
心の底から幸せだ、ずっとこのまま、触っていたい。
「も、もうっ! 朝からエッチなんだから!」
手首を掴まれて心地よいものから引き剥がされる。ついでにペチ、と額を優しく叩かれた。まったく痛くはなかったけれど、それは俺を夢見心地から覚醒させるのに十分な刺激だった。
大きな欠伸を一つして、目を開ける。寝起き特有のぼんやりとした視界の中に、誰かが立っていた。寝ぼけ眼をまばたきさせること数度、クリアになった視界で、髪をポニーテールに結った束さんがにこやかに笑っている。
「おはよう、弟くん」
俺はまだ夢を見ているのか。
少し、ほんの少しばかり束さんが若返ったように見える。年齢不詳で貫き通せる美貌が、いつもよりも気力に満ち溢れている様に見えた。それとも単に、目の下の隈がないからそう感じるだけなのだろうか。
「さ、早く起きて顔を洗ってきて? そしたら朝ご飯にしようよ」
ふぁい、とひどく気の抜けて間抜けな声が出た。色々と思うところはある筈だが、何よりも頭に残っていたのは。
──“弟くん”か。
束さんにそんな風に言われるのは久しぶりかもしれない。いや、あれは正確にはワールド・パージの中の束さんだからノーカウントか。
しかし、今日は一日中そう呼ばれるのだと思うと、どうにも背中がかゆい。
ここで欠伸をもう一つ。脳全体に酸素が行き渡って思考が冴える。そういえば、俺が起き抜けに触っていたものは、感触や大きさ、束さんの反応からして──
「おーい、二度寝はお姉ちゃんが許さないよー!」
トレーに朝食をのせてきた束さんを見て、深呼吸をしてからベッドを出る。
寝ぼけていたのがかえって幸運だった。あまり生々しい感触を覚えていたら、今もベッドから出ることができなかったのは間違いない。
もっとも、残念な気持ちも強いのは偽らざる本音である。
「さあさ、朝食は一日の元気の源! お姉ちゃん特製のブレイクファストを召し上がれ!」
机を挟んで向かい合って座る。
朝から豪華な朝食だ、英国王室もかくやといわんばかりのモーニングセットである。しかしそれ以上に目を引くのが束さんの格好だった。一体何故にIS学園の制服の上にエプロンを着ているのだろう。
「え? そりゃあお姉ちゃんも弟くんと一緒の学校に通ってるからだよ」
そう言いながら束さんがコーヒーに口を付けた。俺も同じ様にコーヒーを口にする。
なるほど、束さんが俺と同じ学園の生徒なら制服を着ているのは当たり前だ。正規のIS学園制服を着ているのは当たり前である。エプロンは食事の用意の為であって、別段不思議なことはない。不思議な事は──
──はい?
思わずコーヒーを噴き出しそうになったのを堪えて飲み干す。束さんが、高校生?
「そうだよー、篠ノ之束16歳! 愛しい弟くんの愛しい幼馴染みのお姉ちゃんであり、なんと同じ学園の同級生なのだー! これって正に運命って呼ぶにふさわしいよね!」
満面の笑みで両手を広げる束さんに、俺は唖然とするしかなかった。
◇
束さんお手製の朝食は、それは美味しかった。更には食後の紅茶まで淹れてくれた上に後片付けまでしてくれたのである。こうして後は着替えるだけになった時、束さんは『じゃあ私は外で待ってるからね』と部屋の外へ出て行った。
ああ、はっきり言おう。最初俺は、束さんにしては珍しいなと思うだけだった。その言葉の意味を、もう少し深く考えるべきだった。
「ふんふふふんふーん、弟くんと一緒にとうっこうっ♪」
束さんに後ろから抱きつかれたまま、廊下を歩く。
単純な話、廊下に出た瞬間に待ち構えていた束さんに抱きつかれたのである。しかし、これは見た目以上に歩きづらい。束さんが軽く背伸びをしながら抱きついている為に、いつもより歩幅を縮めて歩く必要がある。そうしないと、ぴょこぴょこつまさき歩きの束さんがついて来られなくなるからだ。
もちろん、並んで歩くのはどうかという提案も既にしたのだが。
『別にいいでしょー? 朝からお姉ちゃんのおっぱい触ったんだから抱きついたって』
と、言われてしまってはぐうの音も出ない。落ち度があるのは俺の方である。
「あぁー……弟くん成分100%天然ものがお姉ちゃんの生きるパワーの源なんだよねぇ……すー、すー、すー、すー、すぅぅぅぅ」
吸うだけではなくたまには吐き出して欲しい。
「いやぁ、いくらでも吸えるよね、これはぁ……はふぅ……」
束さんは上機嫌だが、俺はここではないどこか遠くを見つめて心を消し去る。
天災科学者をおぶっての登校はヤバいくらい目立つ。しかも学園で二人しかいない男子生徒の内一人がおぶっているのだから、否応なく目立ちっぷりは頂点に達している。
だが、それだけならまだいい。
俺は今、背中に束さんの豊満な胸がしっかりと押し付けられている。それはもう朝に触った時以上の面積と密着度で半端ない柔らかさだ。首に回された腕の温かさもそうだし、零距離から漂ってくる束さんの匂いで嗅覚的にも興奮が一層かきたてられている状態だ。
馬鹿みたいに注目されている中で、男の
──仁義礼智忠信考悌臨兵闘者皆陣烈在前
「……あれ、弟くん? 弟くーん? おーい?」
「聞こえてないのかな?」
「まぁいいや、それならもっと堪能させてもらおうっと」
首筋に当たる鼻息がこそばゆい──いや、心を無にしなければ──
◇
道中色々あったかもしれないが、教室最後尾に机の数が一つ増えていた。
まぁ、そうなるだろうとは思っていた。束さんの言う通り同級生で幼馴染みのお姉ちゃんなのだから、同じクラスに机くらいあるよな、そりゃあるよ。
そんな風に俺が納得している中で、当の束さんは自分の椅子を一番後ろから一番前に持ってきて、俺の机の横っちょに座っている。
「それで、弟くんは勉強の方はどうなのかな~? ちゃんとやってるの? お姉ちゃんがみてあげるから、一緒に勉強しよう?」
俺の机に両肘を付けて両手に顎を乗っけている束さん。クラスメイトのみならず同学年から上級生ら、果て見知らぬ教師までもが押しかけてきているというのに、脅威の平常運転である。
もっとも、俺は俺で慣れたものだ。今更パンダを眺める観光客に気を割いてもなんにもならないのはよくわかっている。という訳で、束さんに勉強を見てもらう機会を有効活用する為に勉強道具を取り出した。
「ではではノートをごはいけーん……ほうほう、これは結構捻くれた間違え方してるねー。こっちは単なる勘違いだね、その教科書の168pに類例がわかりやすくて参考になるよ! ああ、二行目から四行目にかけて特に重要だからマークしておいてね」
パラパラと教科書をめくっていく。
束さんのことだから教科書も全て頭の中に入っているに違いない。指定されたページには当然のように必要な情報が違わず載っていた。俺は舌を巻きながらページに付箋を貼ったり、マーカーで色付けしたりと最高に真面目な学生をやっている。
「あ、一番大切なのは復習なんだから、マーカー引いただけで満足はしちゃダメだよ!」
ぴしゃりと心中を言い当てられてしまった。流石──
「君の自慢のお姉ちゃん、でしょ?」
にっこりと笑いかけてくる束さんに、俺は苦笑を返すしかなかった。
──ああ、本当にこの人は、ズルい。
とまぁ、こんな感じで呑気に朝のプチ勉強会をしていたわけだが、クラスでたむろしているということは火種も当然やってくる。
それは束さんと話をしてみたい命知らずだったり、額に青筋を浮かべた織斑先生だったり、胡散臭い生徒会長さんだったりと様々に考えられるが──今回は火薬庫に松明を持って飛び込むレベルの火種が飛んできた。
「な、な、な、何をしている……!?」
教室前の人の山をかき分けて現れた篠ノ之は、わなわなと震えながらこちらを指さしている。
人を指差すのは良くないと一夏がたしなめてはいるが、あの興奮状態では聞き入れてはくれないだろう。
束さんも束さんで、篠ノ之を冷静にさせるつもりもないようだし。
「何って、弟くんの勉強を見てるだけだよ」
「お、おと、お、弟!? 弟だとぉ~!? それはおかしいだろう姉さん! 貴女は私の姉であって血が繋がっているのは私だし、そもそもなんで学園の制服を着てこのクラスに居るんだ!?」
篠ノ之はひどく混乱しているようだ。言っていることがちょっとばかり滅茶苦茶である。
しかし、怪我の功名か篠ノ之の疑問全てが皆の思いの代弁となっていた。みんなから盛大な拍手を贈られても良いだろう。
「ちっちっちっ、これはそんなに難しい事じゃあないんだよ箒ちゃん」
一方の束さんは立てた人差し指を振りながら余裕綽々である。
「一つ! 幼馴染みのお姉さんに血の繋がりは必要なし! 二つ! IS学園の生徒である束さんが制服を着ているのはおかしくないどころか当たり前! 三つ! 何故なら私も一年一組の生徒なのだ!」
篠ノ之はポカンという擬音が聞こえてきそうな顔をしている。
ここは他の誰かに感想を聞いてみたいところ。ラウラに意見を求めて視線を送ると、少し戸惑った後に笑みを浮かべて小首を傾げた。ラウラはごまかしかたも可愛い。
「い、いったい何を……いったい何を言っている!」
この光景を眺めているほとんどが篠ノ之と同じことを思っているに違いない。
しかし、これこそが束さんクオリティだから、理由を求めるだけ無駄である。長く束さんと接してきた俺が言うんだから間違いない。諦めの境地ともいえるが、そっとしてほしい。
そんな
これで今回の騒動は終わる──その筈だった。
「おはよーございまーす、ちーちゃ……織斑先生!」
「お、織斑先生! まさか姉さんが学園の生徒だなんて言わないだろう!?」
「教師には敬語を使え、馬鹿者。それに残念ながら束……いや、篠ノ之姉が何を言ったかは知らんが、そいつはお前たちと同学年で同じクラスに在籍するれっきとしたIS学園生徒だ。それだけは私が保証する」
「う、嘘だ……」
「信じられないか篠ノ之? ではこの名簿を見てみるといい。まだ納得できないなら、戸籍も学籍もなんなら身体測定結果も見せることができるぞ?」
「きゃっ、個人情報の保護をしてよー! 横暴だよーう!」
「お前にそんな観念があるとは知らなかったな。まったく、よくもまぁこんな細工を1日でしたものだ」
織斑先生も呆れ顔だ。束さんは頬を膨らませながら『1日じゃないもーん、10分だもーん』とぶつくさ言っている。さらっと恐ろしい作業スピードを激白していた気がするが、驚く気力が今日はもう残っていない。そんなものは朝起きて早々に使い果たしている。
「しかし、私の目が黒い内は学生の本分から逸脱するような真似は絶対にさせん」
「ぶーぶー、私が学生じゃなくても邪魔してるでしょー」
「なに寝言を言っている。お前の恋慕している相手は未成年の学生だということを忘れるな。では全員席に座れ、授業を始める」
──え、このまま授業始めるんだ……。
言葉がなくともクラスメイトの心がシンクロした奇跡の瞬間である。
「法律、制度、規則……どれであっても問題がないように細工されているのだ。だったら、私は教師としての職務をまっとうするだけ。以上だ」
流石織斑先生、教師の鑑だ。投げやりともいえるけど。
「何を言いたいかはわかるぞ」
パシッと軽い名簿の一撃を貰ったのを合図に、一組は普段通りの授業が開始された。
◇
──深い、深い溜め息を一つ。
やっと授業が一つ終わった。
終わるまでにいつもより数倍もの時間が掛かった様な気がしてしょうがない。これも、後ろから注がれる熱視線が気になって気になってしょうがなかったからだ。
机に突っ伏してもう一度溜め息を吐く。
「大丈夫? なんだか疲れてない?」
心配そうに話しかけてくる束さんにおかげさまで、と返す。
ちょっとした嫌味の一つくらい言わせてほしい。
「いやー、あんまり後ろ姿って見る機会ないからさ、かっこいいなーって思うとつい見惚れちゃって……ごめんね?」
顔を赤くしているのを自覚しながら、すみませんでしたと嫌味を言ったことを謝る。我ながら単純すぎる話だ。好きな人に『かっこよかったから見てました』なんて言われて嬉しくない筈がない。しかもそれに対して嫌味を言ったなんて、自分が嫌になる。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、束さんはさして気分を損ねた様子はなく。
「じゃあ疲れが取れるおまじないしてあげるよ!」
と、嬉しい提案を満面の笑みでしてくれたのである。
何か元気が出る怪しいドリンクでも出してくれるのだろうか、などと冗談っぽく思っていたのだがそれが甘かった。もう少し、今日の束さんが
「はい、こっち向いてー?」
机から身体を起こして束さんに向き合う。
「ぎゅー♪」
──気付いた時には膝の上に束さんが座っていた。
鼻いっぱいに吸い込まれる束さんの、女性らしいとしかいえない不思議な匂い。胸板で押し潰すほどの勢いで密着された胸の暴力的な柔らかさと、むっちりとした肉付きの良い太腿が、衣服という薄い膜を越えて束さんの体温をじわりと伝えてくる。
「んー、癒されるなぁ……弟くん分の補給だよう……」
束さんが愛おしそうに身動ぎする度に、触れ合った頬と頬に挟まれた髪の毛がこそばゆい。すぅすぅという束さんの息遣いが耳元から奥底まで染み込み、胸の鼓動が全身の骨格を伝わって全身を揺らすのを感じられて、身体が溶けていくようだ。
──これは、いわゆる、対面座位。
あまりの気持ちよさに思考が置いていかれていくのがわかる。ありとあらゆる感覚が束さんに甘く包まれていく。その中でただ視覚だけが、クラス中のざわめきとこちらを指さして何事かを叫ぶ篠ノ之の姿を映すが、とても意味のあるものには見えなかった。
「はい、おしまい!」
束さんが膝から離れると同時に、目が覚めたように視界がクリアになる。
はっとして時計を確認するも、俺がとろけていたのは僅か5分ほどの短い時間でしかなかった。しかし、先程まで鈍化していた感覚は、もっと長い時間であったと訴えている。現実と感覚の明らかなズレに、束さんは時間も操れる魔術師なのかとぼんやりする頭で考えていると。
「ふふ、休み時間ごとにしてあげるからね♪」
そんな束さんの宣言が、額への軽いキスと共に伝えられた。急にそんなことを言われた俺は、目を白黒させて束さんの顔を見ることしかできない。
馬鹿みたいに困惑している俺の表情を物足りなさからくるものだと勘違いしたのか、束さんは小悪魔めいた微笑を魅せる。
「もうっ、キスは二人っきりの時に、だよ♡」
束さんの人さし指が、熟した林檎のような艶やかな唇に触れた。そして、その人さし指を俺の唇にそっと当てる。果実の様な甘酸っぱさが広がっていくのを感じながら、束さんの白く細い指が再び唇に付けられるのをただ見ていた。
「は、は、破廉恥だぞ姉さん! 」
篠ノ之の叫び声で我に返る。教室はわなわなと震えながらヒートアップする篠ノ之、困り笑いをするラウラと一夏、遠巻きから面白そうに推移を見守るクラスメイトたち。そして当事者の一人であるのになんとなしにスルーされている俺。
再び
「えー、そうやってすぐエッチなことに繋げて考えてる箒ちゃんの方がエッチじゃないのー? お花摘みに行って早くパンツを着替えないと……」
「どこへ行く! 逃げるな!」
「逃げるなと言われて待つ気はないかなー!」
掴みかからんばかりの篠ノ之を華麗にかわすと、束さんは教室から走り去っていく。あれでは誰も捕まえられないだろうなと思いつつ、俺は篠ノ之に気付かれぬように小さくなって机に突っ伏せる。
今更になって恥ずかしさが興奮と一緒になって大暴れしているのだ。ちょっと人にお見せできない状態でもある。
そのおかげかはわからないが、篠ノ之は激昂しながら束さんの後を追って教室から走って出て行ったようだ。
「流石にな、教室であんなことは擁護できないぜ?」
とりあえず騒動が終わったとみたか、一夏が苦笑を浮かべながら話しかけてくる。そんなことはわかってるよ、と俺は気のない返事だけをした。
一難去った後にはまた一難がある。少し冷静になれた俺はそのことで頭が一杯だ。
『休み時間ごとにしてあげるからね♪』
リフレインされる束さんの言葉と太腿の感触を、頭から追い払った。
今日の授業が終わるまでに俺は無事でいられるだろうか。
正確に言えば俺のズボンとトランクスは無事でいられるだろうか。
どうにも気が重い──が、身体
どうやら疲れをとるというおまじないは、本当のようだった。
──ちなみに。チャイムの鳴る数秒前に束さんは席に着き、束さんを追いかけていた篠ノ之は数分ほど授業に遅れることになった。
──無論、織斑先生が授業遅刻を許すはずなどなく。篠ノ之は織斑先生から教育的出席簿指導を受けてしまうことになるのだが、これが休み時間ごとに繰り返されるとは俺も篠ノ之も、織斑先生ですらも予想してなかったことである。
◇
昼休憩を知らせるチャイムが鳴ると同時に、猛獣の唸り声にも似た声が出た。蓄積された精神的疲労が一気に噴出したのである。
だが肉体的な疲労の方は休み時間ごとの束さんのハグで吹き飛ばされているから、どうにもアンバランスな疲れ方をしていた。首を回したり肩を回したりしても、疲れているのは精神面なのだから少しも紛れない。
無駄なあがきをやめて、今日の昼ご飯はどうしようかと席を立った時。
「弟くん弟くん、お昼ご飯にしようよ!」
とてとてと後ろ手でやってきた束さん。
何かを企んでますと悪い表情をしているが、その顔がどういう意図なのかはわかる。でも、ここでわかってますという空気を出すのは良くない。あくまで“一体なんだろうな? ”という雰囲気を出すだけだ──もし万一違ってたら恥ずかしいし。
「はい、ここでびっくり
後ろ手に持っていたお弁当の包みを、顔の横に持ってきて披露する束さん。
おお、という感動半分安堵半分の呟き。弁当を手作りしてきてくれたという感動と、予想が外れていなかったことの安堵から出たものだ。が、我ながらリアクションが地味すぎる。
それは束さんも同じなようで、“たはー”とでも言いそうな顔だ。
「反応薄いなー! 愛しいお姉ちゃんの手作りお弁当! 略して愛姉弁当だよ!」
愛妻弁当をもじったのだろう。でも、どうにも言いにくい。
「うん、正直言いにくい。だからねー、弟くんがお姉ちゃんをお嫁さんに貰ってくれたら、愛妻弁当って言いやすい方で言えるのになー」
そんなことを言って流し目でアピールをする束さん。
俺としては束さんをお嫁さんにしたいとずっと思っているので嬉しい限りである。返事はもちろん“その時はよろしくお願いします”だ。
束さんは一瞬硬直したかと思うと、みるみる内に顔を真っ赤に染めていく。
「えぅ!? あっ……その、えっと、わ、私もよろしくお願いしましゅ……」
ようやくそれだけを絞り出した束さんは、ゆっくりと手を差し出した。
俺は何のためらいもなくその手を取り、指を絡めてしっかりと握り直す。
「じゃあ、あの、ど、どこか二人っきりになれる場所に……行こう? 」
今にも消え入りそうな束さんの言葉に頷く。
この学園でそんな場所は多くはないが、屋上は空いているだろう。俺と同じく屋上常連の一夏も丁度、篠ノ之とオルコットに挟まれ凰の乱入の後に、デュノアに連れて行かれるところであった。なんだかんだ、あのメンバーだとデュノアが一番したたかである。
一夏の背中を押しながらの去り際、デュノアがこちらに向かってウィンクをした。
──そっちも上手くやりなよ?
なんとなくだが、そう言われた様な気がした。
「ん」
デュノアを見送っていると、握られていた手の力が強まった。
束さんは少し不安そうな目をして、こちらを見上げている。
ごめんなさいと、手を強く握り返す。
「ん……」
──束さんのお弁当、楽しみです。
「! 腕によりをかけてつくったから、楽しみにしてね!」
やっぱり、束さんは笑っている方が可愛い。
笑顔の束さんと二人、手を繋いだまま屋上へと向かう。今日はいい天気だ。きっと、気持ちがいいことだろう。
「ふふっ、外はお昼寝日和だね。ご飯の後で膝、貸してあげるから」
そう束さんに耳打ちされて、転げそうになったのは内緒だ。
──ああ、束さんのお弁当は本当に美味しかった、とだけ。
◇
疾風怒濤の一日が終わる。
──今日は終始束さんのペースだった。
いざ全てが終わって冷静になると、恥ずかしさが一気に襲い掛かってくるのだから始末に負えない。いや、相応に良い思いをしていたのだから何も言えないが、今日はちょっと俺らしくなかった気がする──本当に?
一方で束さんはずっと上機嫌だ。夕食を食堂で食べていた時も、ずっとニコニコとしていて今からでもどこか行こうかと言い出さんばかり。それをなんとかなだめすかして、朝と同じように束さんをおぶって自分の部屋まで戻ってきた。
ここまで来てふと思ったが、束さんは寮に部屋を用意してあるのだろうか。
「じゃあ弟くん、一緒に寝よっか♪ 部屋の用意は今の今まで忘れてたんだけど、お姉ちゃんと弟くんだから問題ないよね♪」
確信犯だ、この人。
「懐かしいなぁ。子供の時はいつも一緒にお昼寝してたよね」
──記憶にございません。
「やだなぁ。私と弟くんの仲なんだから恥ずかしがらなくてもいいのに。一緒にお風呂にも入ったじゃない」
──記憶にございません!
そんな事実はないのに、一体何を言っているのだろうか。
たまたま廊下に出ていた同級生たちからの視線が凍てついたものになる。慣れたものだが、慣れてしまっているという事実が悲しい。そして好奇の視線はあっても助けようという酔狂な人物がいないという事実もまた寂しい。
そんな中、束さんの頭を出席簿で叩ける人が現れた──実際に一発叩いたが。
「話は聞かせてもらったが、不純異性交遊だ」
「えー! だってだって私と弟くんだよぉ!? 問題ないじゃない!」
「高校生の男女同衾が許されるわけないだろう! 出直してこい!」
「むー、いいもん! ちーちゃんがそういうなら私にだって考えがあるもんねー!」
そう言うと束さんは俺の部屋に飛び込んで行った。
いや、俺はまだ部屋の鍵を開けていないのだが、最新鋭の電子ロックなど束さんには無意味なのは今更か。部屋の鍵交換を担当していた織斑先生が天を仰いでいる。ご苦労様です、本当に。
そして再び扉が勢いよく開かれると、俺の腰に軽い衝撃が走った。
「パパー! 一緒に寝ようー!」
学園祭の時と同じく、子供になった束さんが俺に抱きついていた。あの時とは違って記憶の封印などせずに純粋に肉体だけを子供にしているようである。
子供なら問題はない、束さんはそう振り切ったようだ。
「ほう、子供となったか。そうかそうか、そうきたか」
織斑先生、一体なにがそうきたかなんでしょう。
「子供の姿になったということはIS学園生徒であることをやめたと同義! 部外者として出て行ってもらう!」
「久しぶりに会ったお兄ちゃんと一緒に寝ようとするくらいいいでしょー!?」
「ダメに決まってるだろうが! こっちにこい!」
「きゃー♪」
「ええい、ちょこまかと……! ああっ、クソっ! どこへ行く!」
ひとしきり俺の周りで追いかけっこをした後に、いずこかへと走り去るミニ束さん。織斑先生は飛び跳ねる束さんを追いかけて行ってしまう。あれは多分、捕まらないだろう。
世界一有名な鼠と猫の喧嘩を思い出しながら、俺は自室に帰ることにした。
──眠れるかな……。
全身に残る束さんの残り香に、一晩中悶々としていたのは誰にも言えない秘密である。
記号や特殊タグを使ってみました、環境によっては記号が文字化けする可能性も…?
愛の重さが減っているような…マンネリも…?
元々オリ主に括弧を使って喋らせない様にしているが力及ばなくなっているなぁと痛感
束さんが同級生で幼馴染でお姉さんぶってたら可愛いのでは?というコンセプト
しかし実際そこまで幼馴染感とお姉さん感が出し切れなかったのでは?という個人的な課題
相変わらず更新が遅いですが、お楽しみいただけたら嬉しいです
hisashi様、脱字報告ありがとうございます
甲 零様、誤字報告ありがとうございます