天災兎の愛は重い   作:ふろうもの

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天災兎とクリスマス

 時刻は午後8時。場所は食堂。

 普段ならばこの時間であってもそれなりに生徒にあふれ盛況の場所ではあるが、冬休みに入った今は閑散としている。というか照明も最低限に落とされていて、地味に怖いんだよな。

 手早く用を済ませて帰るとしよう。

 

「おっ、お前もケーキを取りに来たのか?」

 

 む、誰かと買う時間が被るかと思っていたが、一夏だったとは。

 何を隠そう、この度IS学園食堂では希望者にクリスマスのケーキを購入できるようになっていた。それがまた事前予約は必須であるものの、各種様々なケーキを1切れから1ホールまで、個数も大きさも自由自在に指定ができるという嬉しい仕様である。

 それを利用して俺はケーキを取りに来ていたわけなのだが。

 

「じゃあ一緒にするか、クリスマスパーティー?」

 

 一夏の両手に掲げられたケーキの箱の山積みが入った袋。

 ちょっと待て待て待て山積みのケーキの箱ってなんなんだよ。甘党とかそういう次元じゃないだろ、一人で食い切れるような量じゃないだろそれは。俺だって束さんと食べるとはいえラウラもクロエも不在だからフルーツタルトの4号を一つだぞ。

 ……まぁこの時点でおおよそ話が読めたが、一応、一夏に聞いておかなければならない。

 

 ――それ、一体だれが来るんだ?

 

「ん? それはもちろん箒に、鈴だろ、セシリアとシャルは予定が合わなかったけど、簪にそれにクラスメイトからはのほほんさんが筆頭だろう――」

 

 ああ、もうやはりというかなんというか話の流れは大方わかった。

 どうせ篠ノ之あたりが“二人で”クリスマスを祝いたいという話を、どこをどう取り間違えたのか“みんなで”クリスマスを祝いたいに変化させたに違いない。正直発案者は凰でも構わない。発案者が誰だろうが一夏の思考回路の不可思議な流れはそう変化させるのだ。

 それでクラスメイトどころから同学年の女子連中を結集させたような大規模クリスマスパーティーを開催することになったのだろう。もしかしたら他学年の先輩もいるかもしれないが……篠ノ之や凰、更識たちは多分、一夏と二人きりだと根本的に勘違いしたままなのは疑いようもない。

 

 ――まぁ、頑張ってくれ。

 

 以上。俺からはこれだけだ。絶対この後面倒くさいことになる友に手向ける言葉はない。

 これでも一夏との付き合いは結構長い。その後の予想なんてしなくてもよくわかる。結局、わちゃわちゃとした挙句、一夏が痛い目見るなりなんなりして、最後にはなんかいい感じに収まるのだ。ついでに篠ノ之やら凰やらの胃が痛むくらいか。

 そして彼女らには哀しいかな、一夏の勘違いを俺は訂正するつもりはない。俺には俺で束さんとの予定がある。それにだ、どちらか一方の味方をして、一方から筋違いに睨まれるなんてゴメンだ。だから、関わるつもりは毛頭ない。

 一夏のお誘いは嬉しいが先約があるとやんわりと断っておく。

 

「先約って……ああ、束さんか!」

 

 本当に自分のこと以外は爆速理解だな、一夏。俺も人のことを言えた義理ではないが、その理解力の一割でも女心に発揮されれば、篠ノ之たちも浮かばれるだろうに。

 能力適性とはかくも残酷なものである。

 

「また時間があったらどっか遊びに行こうぜ」

 

 じゃあな、と一夏と別れる。

 心の中で南無南無と念仏を唱えながら、俺は一夏を戦場へと送り出していった。

 それにしても……本当に大規模なクリスマスパーティーらしい、俺は寮に戻るが一夏はまったく別の方向へと向かっていた。教室を使うのか体育館を使うのか。いったい何人規模になるんだろう。もしかしたらケーキ運びも一往復で済まないんじゃないのか?

 

 ――まぁ、いいか。

 

 俺は部屋に待ち人(束さん)を待たせている。一夏のこの後に興味はあるが、束さんの方が遥かに重要だ。踵を返して心持ち足を速めながら寮へと戻ることにした。

 クリスマスで気分が浮かれているのは、どうやら俺もだったらしい。鼻歌でも歌いそうな軽快なステップで、寮への道を急ぐ。もちろん、それでいて転ばないようにだ。

 

 ◇

 

 自室前、ノックを数度、そしてとどめにインターホンを押す。

 実際は特にノックやインターホンなどする必要はない。ないのだが、一応、念の為にしておく。束さんなら扉の外の様子など普通に感知できるだろうが、それでもするのだ。

 これまでの経験上、束さんから思いもつかない何かを仕掛けられている可能性もあるわけで。そうした何かがあった時の為に、言い訳の理由くらいは確保しておきたい。

 それにクリスマスにまで織斑先生の手を煩わせたくはないし。

 

『はーい、今開けるよう』

 

 インターホンからいつもの束さんの声が返ってきた。

 浅はか極まりない理由で行われた俺の一連の行動に、束さんは大して気分を害した様子もなく、むしろご機嫌と言った感じの返事だった。

 待つこと僅か数秒の後、扉が束さんの手によって開かれる。目の下の隈がすっかりと薄くなった束さんは柔和に微笑んで、俺を出迎えてくれた。

 

「ふふっ、おかえりなさい」

 

 そう言いながら笑顔の束さんの声は、とても優しい。が、すぐに束さんは照れたようにほのかに赤い顔をそむけた。なんだろう、俺は私服ではあるがそこまで変な格好をしているつもりはないのだが……。

 どうやら、俺はとんでもなく見当違いなことを考えていたとすぐにわかった。

 

なんだか、これだと新婚さんみたいなやりとりだね……

 

 恥ずかしそうに、それでいて誤魔化すようにえへへと笑ってみせる束さんである。

 しかし、小声ではあったが、人がおらずしんと静まり返った寮では、俺の耳にはしっかりと束さんの声が聞こえていた。

 うんともすんとも言いづらい、なんとも言えない空気が束さんとの間で流れる。ええい、何を今更なことを。こういう時は俺が強くいかなければ。

 束さんの気持ちに応える一言はもちろん。

 

 ――ただいま。

 

 そう笑って返すと、束さんはパッと大輪の花を咲かせたような笑顔になった。

 ああ、やはり束さんは笑っている方が良い。照れた顔も誇らしげな顔も、みんな可愛らしくて愛らしいのだが、やはり束さんは笑っているのが一番だ。

 

「うん……あのね、おかえりなさい、私の、旦那様……。さぁさぁ準備はできてるよー!」

 

 何気に凄いことを言われたような気がするのだが、束さんも恥ずかしいのか部屋から飛び出し俺の背中側に回り込むと、急いで急いでというかのように背中をぐいぐい押してくる。

 いや、ぐいぐいというのは少し語弊があるかもしれない。急に人から背中を押されれば普通は前につんのめりそうなものだが、束さんの押し方にはそれがなかった。絶妙と言わざるを得ない力加減で、ぐいぐいと押されるのである。

 これには俺も驚いた。驚いたままに入って入ってと促され、部屋の中に入っていく。

 

 ――すっご……。

 

 更に続けてシンプルに驚いた。

 部屋を出て20分も経ってないが、部屋の中が完璧にイルミネーションされている。部屋の真ん中にはほっこりこたつ仕様と化したローテーブルがあり、天板の上にはクリスマスキャンドルが置かれている。お互いに向き合って配置された座椅子がなんともつつましい。

 隅には完全にデコレーションされたクリスマスツリー、部屋を横断する万国旗に色鮮やかなバルーンが漂っている。そして極めつけはふわふわと浮かぶ綿あめのような白雲……雲? 室内で? スモークではなく?

 いや、束さんのことだから室内で雲が浮かんでいようと何も不思議ではないのだが……相変わらず謎の超技術である。実際、これを謎技術だからまぁいいかで流していいのだろうか? 下手したら常識の一つや二つが変わるくらいの発明なんじゃないか?

 

「とりあえずクリスマスケーキは机に置いとくね。それじゃあはいこれ」

 

 束さんに流されるようにクリスマスケーキを回収されると、代わりに手渡されたもの。紙製で円錐状の、錐のように尖った先から尻尾のように紐が伸びている、そう、クラッカーだ。

 クリスマス用らしく、小さなクリスマスツリー柄のカラーリングが施されたこれは、自分が輝く瞬間を今か今かと待ち構えているようである。

 ローテーブルにクリスマスケーキを置いてきた束さんも、手に同じクラッカーを持っている。立ってないでどうぞどうぞと座椅子に案内され腰かけると、束さんも反対側の座椅子へと座った。

 そしてお互いに、クラッカーを天に向ける。

 

メリークリスマース!

 

 パンパン!とクラッカーを鳴らす俺と束さん。当の束さんではあるが、いつもの不思議の少女アリスめいたドレスコーデである。クリスマス仕様か首元にファーが付いているが、それ以外に目立った変更点はない。

 まさかのミニスカサンタが来るか!と正直ちょっと若干凄いマジな期待をしていたところは心の隅にあった。嘘だ、心のど真ん中にあったりした。

 そんな俺の不健全な視線を察したか、束さんはたははと笑いながら頭をかく。

 

「いやー、ちーちゃんにね。あんまり風紀を乱すような恰好をしようというのならばたとえどんな理由があろうとも許可を出すつもりはない、どんな状態だろうと部屋に突撃してとっちめてぶん殴るって鬼のような形相で言われちゃってさー。

 さすがの私もちょっと考えるきっかけになったんだよね」

 

 やれやれとでも言いたげな束さんに、俺は複雑な気持ちを向けることしかできない。

 ミニスカサンタ禁止と、教職として織斑先生が言うことは至極真っ当なものであるが、反面、よくもやってくれたなぁ!やってくれたなぁぁぁ!という気持ちが存在するのは純然たる事実だ。背丈があってグラマーな束さんであるから、ミニスカサンタが似合うことは間違いない。

 そしてもちろん、その姿を目撃した俺は目の錯覚を疑って三度見することは絶対だった。

 

「まーせっかくのクリスマスだし、別にちーちゃんを無視しても良かったんだけど……ね」

 

 そう続ける束さんの言葉に、もしやワンチャンあるか?と期待を抱いたのも瞬間。

 

「ちーちゃんにルール違反を見つけられて君との時間が少なくなるのは、私にとって良くないこと、だからね」

 

 束さんがこたつの中で足をのばしたのか、ツンツンと俺の足に束さんの足が当たる。表立っては見えないその行為を前に、俺の感情はボコボコに打ちのめされていた。

 束さんはこんなにも俺と過ごすことを考えてくれていたというのに、俺は一体なんなんだ。ただ、俺の雑念があまりにも身勝手な我欲で、束さんを見ていただけなんて。

 だというのに、束さんはぐっと身を乗り出して優しく俺の頬を撫でてくれる。

 

「今日はずっと、一緒にいようね……」

 

 そう言って優しく笑う束さんを前に、俺は一瞬前の自分を恥じることやめた。

 今の俺にすることは後悔ではない、束さんとクリスマスを楽しむことなのだ。

 

「よし! 気分も切り替えられたようだし、本日のメインイベント! ケーキ入刀だよ!」

 

 出して出して、と束さんに促されながら、箱からフルーツタルトを取り出す。刹那、部屋全体に広がったフルーツの甘い香りが期待をさらに増幅させていく。

 

「これは綺麗だね」

 

 束さんが呟いたのに、俺も全く同じ感想を抱いていた。

 パネルに展示されていたものと寸分たがわないそのフルーツタルトの姿は、専門店との提携を謳っていたことをありありと思い出させるものだった。旬の季節のものからハウスでとれたものまで、彩り鮮やかなフルーツたちがまるで一面の花畑のようにぜいたくに使われている。

 その花畑のごときフルーツの敷き詰め加減は美しさと量とを兼ね備えたものであり、一緒に使われている生クリームとカスタードが一見するとまったくわからないほどである。

 

「うーん、どうやって切ったものかなぁ。君はどのくらい食べたい?」

 

 いつの間にかケーキナイフを手にした束さんがああでもないこうでもないと勘案していた。見れば二人分のお皿とフォークも用意されている。相変わらず、束さんは俺のフォローを知らない間にやってくれる。いつでもどんな時でも、そういえば用意していなかったな、というものをさっと取り出してくれるのだ。

 そんな束さんに少しばかり、申し訳なさがある。束さんの手を煩わせるばかりでいいのかという、ちっぽけだが自尊心(プライド)は俺にも存在するのだ。

 

「ふふっ、そういうところ。初めて会った時から変わらないね、君は」

 

 ひどく美しい所作でケーキにナイフを突き立てた束さんは、優しく微笑みかけてくれる。

 

「君のお世話ができなくなったら、それはそれでお姉さんは寂しいんだよ?」

 

 綺麗に四分の一にカットされたケーキを、ケーキサーバーで皿に盛り付けると、束さんはフォークと一緒にこちらに寄越してきた。俺は是非もなくただ受け取る。よほどケーキナイフの切れ味が良いのか束さんの腕前なのか、一切の形崩れが見られないケーキは、まさに束さんその人を表すのにふさわしい“完璧”といえた。

 

「それでも、男の子も女の子も独り立ちをする時は来るんだから、私はその時は胸を張って送り出してあげないといけないのかなー」

 

 そう言いながら、束さんは俺の分と同じように四分の一にカットされたケーキを自分の皿に盛り付ける。白魚のように細く美しい指が、踊るように華麗にフォークを操って、フルーツタルトの先端を切り分けた。

 

「でも、その時が来るまでは、存分にお姉さんに甘えて欲しい、かな」

 

 そう言っていたずらっぽく笑う束さんに、俺はなんとも答えることができず、ただケーキを小さく切り分けていく。

 束さんに甘えると言っても、今も十分に甘えているという自覚があるというのに。ダメだ、思考が堂々巡りしている。同じところを行ったり来たり、何も進んじゃいない。

 

「うーん、ちょっと意地悪だったかな? 悩む顔も素敵だけれど、今は君に笑っていてほしいなーって、束さんは思うかなーって。

 うん、でもまぁ普通はそう思っちゃうよね、だって男の子だもん。格好つけたいよね、女の子の前では」

 

 でも女の子って年でもないかーと、束さんはそんなことを言いながら立ち上がる。

 

「とにもかくにも、こういう時は温かいものを飲むといいんだよ?」

 

 ぱたぱたと扉の方へ向かっていく束さん。相変わらず状況に流されるままではあるが、ふと思い立つ。そちらの方には特にお湯を入れることができるものはない。あえていえばシャワーくらいならばあるが、そんなところからまさかお湯を取りはしないだろう。

 ぱっと振り返った時には、束さんは既にこちらに向いていた。両手にマグカップを持って。それらピンクの兎が描かれたものと、特に変哲もない白の無地のマグカップは、今まさに淹れたてですと言わんばかりに湯気が立ち上っている。

 

「はい、コーヒーだよ。ミルクと砂糖入りだけどあっつあつだよー、だから気をつけてね」

 

 コトンコトンと、マグカップが二つ俺の前に並べられて、俺は少し困惑した。いや、凄く困惑している。この兎の柄のマグカップは間違いなく束さんが飲むためのものだろう。だというのにマグカップは姉弟のように二つ並んでいる。

 一体束さんがこんな置き方をしたのは何故だ?

 

「はいはーい、それじゃあお邪魔しますよーっと。さぁさぁ後ろにさがってさがって、そう、座椅子ごと」

 

 てきぱきと案内をする束さんに言われるままに、座椅子ごと後ろにさがる。どのくらいさがればいいのだろうか、ふとそんなことを考えた。まさかこのままこたつから追い出されるということはないだろうけども。

 

「はい、ストップ!」

 

 ピタッと動くのを止める。丁度膝下くらいがこたつに入ったぐらいの塩梅で止められたわけだが、一体束さんの意図はどこにあるのだろう。戸惑いの視線を送る俺に、束さんはドヤっとした笑みを浮かべて足を一歩踏み出した。

 まさに、俺の脚と脚の間に、だ。

 ここまでくればどうなるかわかる。束さんは、俺の脚の間に座ろうとしている――!

 

「はーい、脚を開いてね、踏んじゃいたくないからさ」

 

 俺に否やはない。そのままポスンと、束さんは俺の脚の間に収まった。想像よりもずっと細い肩が、今俺の目の前にいる。

 

「んふふー、私専用の座椅子ってわけだね!」

 

 ぐっと束さんが俺にもたれかかってきた。

 その体は、とても熱い。部屋の暖房とかこたつの熱だからとかではない。束さんも、きっと恥ずかしいのだ。それでも、束さんは俺の体に全てを預けるようにしなだれかかってくる。暴力的なまでの柔らかさと、擦れた髪から漂う良い香りが俺と束さんの距離を意識させた。

 

 ――そして、無言の間が生まれた。

 

 どうしたらいいのだろう。多分、束さんもどうしたらいいのかわかっていないのだろう。俺の頭一つ分低いところで、束さんの耳が真っ赤になっていた。

 こういう時は、何かを飲むに限る。ぐっと前に乗り出してマグカップを手に取った。自然、今度はこちらから束さんにもたれかかるようになるわけだが、束さんが身体を硬直させたのがわかった。

 これは覆いかぶさるような形だということに今更気付いて、もっと恥ずかしくなる。気まずさから束さんから離れるように座椅子に思いっきり背中をつけ、横に向いてからコーヒーを飲んだ。甘味がきて、僅かな苦み――結局、気の利いた言葉の一つも浮かばず、マグカップを机に置くにはもう一度、束さんに覆いかぶさるようになることに気付くのはすぐであった。

 

「だ、だ、大丈夫? うん、私は大丈夫、大丈夫だから、マグカップ、置くよ?」

 

 明らかに大丈夫ではなさそうな口ぶりであるが、束さんがそう言ってくれるのだ。ありがたくその気持ちを受け取ることにしよう。

 マグカップを手渡すと、数秒、束さんは何かを考えたように動きが止まり、そして何事もなかったかのようにローテーブルにマグカップを置いた。

 再び、姉弟のように並ぶマグカップたちを、ただ束さんの頭越しに見る。

 

 ――そして、再び訪れる無言の時間。

 

 ただ、さっきと違うのは、束さんが何かを決意したような息遣いを感じることだ。一呼吸二呼吸してから、よし、と束さんが強く意気込んだのを背中越しに受け取る。

 

「私、私ね、生まれた時から間違ったことは一度だってないんだ」

 

 訥々と、束さんが語り出す。

 うん、まぁ束さんならそうだろう。生まれてから一度も間違えたことがないと言われても納得しかない。しかし、どうしてその話を今にしたのだろうか?

 

「でも、でもね。クリスマスの今日ね、はじめて、間違えてみようかな……って」

 

 束さんはそう言うと、手を伸ばした。束さんの使っている兎がワンポイトのマグカップではなく、俺が使っている何の変哲もない普通のマグカップへと。

 俺は何も言えない、何もできない。これから束さんが何をするか、わかっていても。

 そっと、愛おしいものに触れるように、束さんの唇がマグカップへと触れた。一飲み。コーヒーを飲んだ束さんがゆっくりと俺のマグカップを机に戻す。白いマグカップには、コーヒーを飲んだ後が二つ重なっていた。

 

「えへへ、間違えちゃった」

 

 思わず、束さんの前に腕を回していた。いわゆる、あすなろ抱きというやつだ。まさか自分がこんな抱きしめ方をすることになるとは思いもよらなかった。けれども、今はどうしてもこうしていたい。腕の中にあるこの確かな温かさこそが束さんなのだと、一番近い距離で感じていたいのだ。

 

「わぁ、これじゃあ束さん、逃げられないなぁ」

 

 束さんの声が近い。息遣いもはっきりと聞こえてくるような距離を、束さんはそれでもまだ遠いのだと主張するように、甘える猫のように首を伸ばして俺と顔を近づける。自然、その距離はゼロとなって二人、頬をすり合わせる。

 優しく、傷にならないようにお互いを気遣ったゆったりとした頬擦りは、繰り返されるたびにふんわりとした香りをもたらしてくる。きっと、束さんと使っていたシャンプーの香りだろう。それがまた、心地良い。

 

「寂しいのかな? 束さんはどこにもいかないよ?」

 

 名残惜しそうに頬を離した束さんの目は、見るからに潤んでいる。お互いの距離を離したのを寂しいのだというように、これから何をするのかも期待しているかのようで。

 小鳥が啄むようなキスを数回。軽く唇を合わせるだけの、軽やかなキス。とても満足できるようなものではない、綿菓子のようなもの。しかし、ただその一瞬の内に伝わってくる熱は溶けてなくなるような儚さなど一切ない。

 

「このままずっと……、君に捕まえられていたいな……」

 

 そう言うと、束さんは俺の胸板に頬擦りをする。その度に、やはりふわりとした束さんの優しい香りが、鼻腔へと広がっていく。

 

「あっ、雪だね」

 

 窓の外を見ればちらちらと雪が舞っている。今年はホワイトクリスマスになりそうだな、と、ちょっとだけ意識が束さんから外へと向いた。

 

「やっぱり、だーめ」

 

 束さんが俺の頭に手を回し、そっと力を込めた。最初から抵抗などする気はないから、されるがまま顔が束さんの方へ向く。

 しんしんと降り出した雪にさえ嫉妬するかのように、束さんの顔が近づく。唇ではなく、今度は鼻と鼻とがぶつかり合ってなお、束さんは優しく微笑む。

 

「今だけは、私だけを見て欲しいな……」

 

 束さんの体から力が抜け、さらに俺へともたれかかってくる。ひょっとすると抱きしめ合うよりも、心と心の距離が近いかもしれない。と、そんなことを考えて、やめた。

 今はただ、この腕の中にある鼓動だけに浸っていたい。

 

「私も、君だけを見ているから……」

 

 束さんとの距離がまた少し近づいて。

 

「今日はずっと、一緒だからね」

 

 答えるように、キスをした。

 




メリークリスマス!

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