「元カノって……あの元カノ?」
凍り付いた空気の中で、いち早く立ち直ったガハマちゃんが驚いた様子を残しながら問う。
「どの元カノかは知らないけど、一般的には別れた彼女のことを指す言葉だね」
「あたしは別れたつもりないけどねー」
「は?お前あの時わかったって言ってたじゃねえか」
横から口を出してきたかおりに俺は何言ってるんだ?といった顔を向ける。
「わかったとは言ったけど、別れるとはいってないしー」
「……二人だけで話を進めないでくれる?とっても不愉快なんだけどー」
かおりとの会話をイライラしながら聞いていた喫煙席に座る陽乃さんが正体を現す。
うわー……。すげえイライラしてんなぁ。元カノって聞いた瞬間は驚いていたような顔してたけど、今はそんな顔どこにもないし。
「ここで全部説明しろと?」
「そうだよ。そこにいる君の弟君は何も言わなかったからさ。颯太に聞くしかないでしょ?」
八幡に聞いたのか……。まあ、八幡は中学の同級生位にしか言わなかったんだろう。できることならこうならないように立ち回ってほしかったなぁ、八幡よ。一応は試みてくれたんだろうけど……。
「初対面の子もいるんですけど……」
「……」
「あ、私かえりますね……」
「そう?ばいばーい」
陽乃さんがかおりの友達らしき女の子に目を向けると、女の子はびくりと肩を震わせ自分の頼んだもののお金だけおいて帰ってしまった。
「これで話してくれるよね?」
「……はいはい」
俺に拒否権がないことくらい知ってますよ……。
「かおり、いいか?」
「あたしは別にいいよー」
相変わらず軽いというか楽観的というか、まあこういうところがこいつの悪いところであり良いところでもあるのかもしれないが。
「さて。まず、最初に言っておくと、俺は中学校の頃いじめられてた」
「えぇ!?あの、お兄さんがいじめられてたの!?」
「信じ難いわね……」
まあ、驚くのも無理ないと思う。今の俺しか知らない雪ノ下さんやガハマちゃんからしてみれば、俺がいじめられてたなんて事実を信じられないだろうからね。
それに対して、一年生の頃の俺を知っている陽乃さんや八幡は落ち着いて話を聞いている。かおりに関しては懐かしいーなんて呟いている。
「……原因はなんだったの?」
驚きの抜けきらないガハマちゃんは恐る恐る聞いてくる。
「簡単だよ。俺が三年生の春、女の子からも人気があって、もちろん男子からも人気のあった女の子がいたんだけどね?俺がその子から告白されて、断った。その時は三年生ということもあって、部活のことしか頭になかったから、女の子からすれば結構傷つくような言葉でね。そしたら、女子、男子共に妬みと怒りを買っちゃっていじめられてたってこと」
「色恋絡みのいじめね。私もよく受けてたわ」
そうだね、雪ノ下さんモテるもんね。
「まあ、そのうち流行りも過ぎ去るだろうって思ってたんだけど、俺がやり返さないのを良いことにイジメはどんどんエスカレートしていった。二年苦楽を共にした部活仲間もその中に混ざってたのを見た時は流石に堪えたね」
膝から崩れ落ちそうになったからな。仲間だと思っていた奴らに裏切られるというのは意外に堪えるもんだ。
「それでも俺は何もしなかった。そして……」
「八幡!その傷どうしたんだ!」
「なんでもねえよ。そこらへんでこけただけだ」
俺がいじめられ始めてから二ヶ月がたったある日、学校から帰宅した八幡の腕に無数の傷があった。そう、俺をイジメていた者達の矛先は八幡へと向いていったのだ。
「……そうか。次からは気を付けろよ」
「兄貴?何を考えてるんだ?」
俺が素直に引き下がったのを不思議に思った八幡が問いかけてくる。
「なんでもないよ。八幡は気にしないでいいんだ」
俺はその問いかけをバッサリと切り捨て、自分の部屋へと戻っていった。
翌日、クラスから半分の生徒が教室から消え、部活からも同級生がほとんどグラウンドから消えた。
俺が何をしたのか、それは簡単なことだ。暴力に訴えたわけでも、彼等彼女等を脅したわけでもない。ただただ、全てのことを洗いざらい先生にお話しただけだ。
覚えている範囲の人間とされたことを話せばそれが最後、捕まった者達の裏切り祭りが始まる。あいつがやった、あいつがやっているのを見たなど、次から次へと呼び出される生徒が増えていった。
結果、俺は所属していた野球部を辞め、志望校もうちから進学するものがほとんどいない総武高校へと変更した。最悪のチクリ魔なんて汚名まで授かったがそれほど気にしていない。
それでも多くの目に見つめられながら集団生活を送るのは思った以上に根気がいるもので、精神的疲労はどうしてもたまっていくのだった。
「とまあ、そんなことがあったわけですよ」
「人間の闇が垣間見えるわね……」
ここまでの話を聞いて雪ノ下さんも流石に複雑そうな顔を浮かべる。
「……それで?それがどうこの子と付き合うことに関係あるの?」
俺の話を黙って聞いていた陽乃さんが棘のある態度で先を促す。
なんか、今日の陽乃さんはやけにイライラしてんな。さっきの電話では結構機嫌良さそうだったんだけどなぁ。
「えっと、それから少し経ってからのことなんですけど……」
あの学校始まって以来最悪のいじめバレ騒動が終了し一ヶ月がたったころ、このくらい時間が経てば指導に入っていた連中もぞろぞろと教室へ戻ってくる。
戻ってきた連中は俺に形だけの謝罪と共に、この世の誰よりも俺を恨んでいるような視線を向けてくれた。それに立ち会った先生は何も言うことはなく、謝罪を終えた生徒を連れて戻っていく。これが何度も繰り返されているのだ、先生の方も気が滅入るのも仕方ない。
実際、被害者である俺の方も同じことの繰り返し、感情のこもっていない謝罪を受けることへの苦痛は凄まじいものだった。
そんないるだけで精神的疲労がたまっていく教室に居たくない俺は、休憩時間になる度に教室から出ていく。学校の裏側にある非常階段の下が主な隠れ場所だ。
そんなことを続けていたある日の昼休み、人気がほとんどない階段下に迷い込んだ者がいた。
「あれ?こんなとこで何してんの?」
くしゅりとしたパーマが当てられたショートボブに少しつり目の女子生徒。その言葉の端々から、彼女が明るい性格をしていることがわかる。
そんな陽の存在がこんな暗い階段下に現れたのだ、きょとんとした顔を隠せるわけがない。
「君こそ何してんの」
「あたし?あたしは……なんだっけ」
なんだ、この子は鳥なの?三歩歩いたら忘れちゃうの?
「あ、そうだ!あたしらかくれんぼしてたんだけど、ここなら見つかりにくそうじゃん?」
校内でかくれんぼとか見つかったら先生に怒られるぞ。てか、そういうのは小学生で卒業しなさい。
「確かに見つかりにくそうだけど、ここにいたら休憩中に見つからず終わるぞ」
「それあるー!てか、こんなとこに一人でいるとか、まじウケる」
「いやウケねえよ。てか、君何年生」
「二年だけど?」
「俺三年。敬語使え、敬語」
初対面の奴にいきなりため口使えるあたり、三年生かと思ったけど違ったみたいだな。てか、こいつコミュ力高すぎるだろ。
「敬語っ!ウケる!」
なんかむかついてきたぞ。俺、何かウケること言いましたかね!説教してるんですけど!説教!
「それで、先輩はなにしてんの?」
「教室に居にくいからここにいるの」
「え?イケメンなのに?」
「イケメンは関係ないの」
いや、あるわ。イケメン超関係あったわ。イケメンのせいでこうなったんだったね。
「なんかあったん?」
「聞いてないか?三年生がいじめられてた話」
あれから一ヶ月経ったんだ、この話は学校中に広まっているだろう。
「あー、なんか先生が言ってた。友達のお姉ちゃんもイジメてたって聞いたよ」
「その友達言ってなかったか?いじめられてたやつがチクったから全員ばれたって」
「言ってたかも」
やっぱりそこまで広まってんだな。
こいつの相手するのもそろそろ面倒くさくなってきたし、さっさと本当のこと話して退散してもらうとしよう。
「それチクったの俺だから」
「ふーん。ウケる」
は?
「えっと、チクったの俺なんだぞ?」
「うん、わかった。それで?」
……なんだこいつ。退散どころか続きを促してるんですけど。え?
「全部チクった。俺悪い奴。わかる?」
「別に悪くないっしょ。悪いのはいじめた方で、先輩はひがいしゃ?じゃん。どう考えても悪くないっしょ」
まあ、確かにそうなんだけど、生徒の立場から見ればチクった方が責められるのが一般であり、嫌われるのは俺の方なのだ。悲しいことに。
でも、なんかこの子の言葉を聞いて憑き物が取れたような感覚になったのは、無意識にその言葉をかけてもらいたかったからだろう。俺も案外傷つきやすいんだな。
「そっか。そうだよな。俺は悪くない。君、名前は?」
「お?なんか元気になったね。あたしは折本かおり!二年二組!」
「そっか。俺は比企谷颯太。三年一組だよ。二組っていえば俺の弟と同じクラスだな」
確か八幡も二組だって言ってた気がする。
「え?先輩って比企谷のお兄さんなの?似てないわー!ウケるー!」
「ははは、よく言われるよ。でも、あいつは俺の自慢の弟だぜ?」
「ぷふ、ウケる……」
この子の笑いのツボがわからん。
でもまあ、悪い子じゃないというのはわかる。確かに空気が読めなかったり馴れ馴れしすぎるところはあるが、それもまたこの子の個性なのだろう。
「ねえ、先輩って大体ここにいるんでしょ?暇だったら来てもいい?」
「俺と話してるといいことないぞ」
「大丈夫!ばれないようにするから」
そのあと、何度が説得したのだがまたここに来るということで押し切られてしまった。この子、小町より押しが強いんじゃないか?
「それで、それから何度か話していくうちに、かおりから告白されて付き合うことになったんです」
「颯太ってそんなにちょろい子だったんだー。ふーん。なんか幻滅ー」
「半ば無理矢理聞き出しておいて勝手に幻滅しないでください……」
あんたが話せっていうからここまで話したってのに、なんで俺は幻滅されてるんだ。
「それで?なんで別れたの?」
「それは陽乃さんにも話したことあるでしょ?」
「あの時颯太ってば、『俺と一緒に居たらだめだからです』としか言わなかったじゃない」
「その通りですよ。俺と一緒に居たらかおりが良い目に遭わないからです」
「それは最初からわかってたんじゃないの?」
陽乃さんはそう言うと鋭い目で俺を見つめてくる。
陽乃さんの言う通り、そうなることなんて最初からわかっていた。だけど、あの時の俺はすがってしまったのだ。俺を肯定してくれるかおりという存在に。
「かおりちゃんもそれがわかった上で告白したんでしょ?そんな理由で別れを告げられて、よく平気な顔してられるね」
俺に向いていた矛先は静観していたかおりへと移り、陽乃さんは俺に向けていた鋭い目を崩さず睨む。
「うーん。別に良いんじゃないですか?あの時の颯太先輩がやばかったのはわかってたし、誰かにすがりたい気持ちを持っても仕方ない。誰だって弱ってるときは誰かに頼りたくなるもんだし。ていうか、颯太先輩がそういう気持ちで付き合っているのもわかってたし、その中にもちゃんと好きっていう気持ちが入っていたのもわかる。それに……」
陽乃さんの冷たい目に臆することなく言葉を紡ぐかおりはそこで言葉を切ると、俺も何度か見たことのある幸せそうな顔を浮かべ口を再び開く。
「好きな人があたしのことを本気で思ってくれて、本気で考えてくれたなら……これ程嬉しいことってないじゃん?」
その言葉を聞いていた人間が言葉を失ってしまう程、かおりの言葉にははっきりとした思いがあった。あの陽乃さんですら驚いた様子を隠すこともなく目を見開いている。
「そ、それで好きな人と別れることになってもそれが言えるの?」
「だから今言ってるじゃん。それが質問の答えじゃん?」
あぁ、陽乃さんの肩がプルプル震えてる。これ、あとで俺が被害被るパターンじゃね?あとかおりさん?最初は敬語使ってたのに、今は普通にため口になってますよ?あれだけ直せと言ったのに……。
「それに、あたしは颯太先輩のすべてを肯定できるから」
「かおり、まだそんなこと言ってるのか。頭おかしいぞ、お前」
「兄貴がそれ言うのか……」
「あたし知ってるよ!そういうの、おまいうっていうんだよね!」
「おまいうっていうのが何か解らないのだけれど、意味が凄くあっているということだけはわかるわ」
あれ?何故か奉仕部連中から総ツッコミを受けてしまった。
「それある!颯太先輩いっつもそう言うけど、颯太先輩が言ってるのを聞いて、それある!って思ったから使ってるだけだよ?」
「はぁ?俺がいつ言ったよ」
「いつも比企谷の話するときに言ってたじゃん!」
「八幡は特別だし。あと小町もな」
「ぷふ!ウケる!」
何を当たり前のこと言ってるんだこいつは。こらー、奉仕部連中は何を溜息吐いてるんだー。呆れたような目でこっちを見るんじゃないよ。
「……帰る」
「え?陽乃さん?」
「帰る!なんか嫌だから帰る!じゃあね!」
投げ捨てるように言葉を吐くと、陽乃さんは自分の伝票をもってレジへと向かっていってしまった。俺、数日後生きてられるかな……。
「ねえ颯太先輩。あの人なんだったの?」
「……さあ?」
わっかんねー!すべてがわっかんねー!いや、ガチで。
「ふふ……ふふふ……。くっ……!ぷふふ……!」
雪ノ下さん?なんでそんな素晴らしい笑みを浮かべてるの?なんだか怖いわよ?
「折本さんといったわね」
「え?うん」
「これから、仲良くしましょう」
「う、うん」
すげえな、あのかおりが若干引いてる。
こうして、俺への尋問は陽乃さんの退出により終了し、かおりと雪ノ下さんの間には一方的な友情が芽生えたのであった。
……俺の胃はもうボロボロよ。
どうもりょうさんでございます!
というわけで、かおり本格的に絡んでまいりました。かおりのキャラが若干おかしいかもしれませんが、この小説ではこうなのです。
次回以降もよろしくお願いします!
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