奉仕部へ相談という名の泣きつきをした日から数日経った頃、遂に恐れていた事態が起こり、めぐりと共に雪ノ下家へとやって来ていた。
そこまでは良かった……いや、そこまでも全然良くはなかったのだが更に最悪の事態が起こった。
「あ、あの、陽乃さん?」
「んー?」
恐る恐る優雅に紅茶を飲む陽乃さんに説明を求める。
「何故お母様がここに?」
「何故だって、お母さん」
「うふふ……」
怖いよ!うふふってなんだよ!ちゃんと質問に答えてくれませんかね!
そう、陽乃さんの呼び出し以上に最悪の事態とは、大魔王こと雪ノ下母がこの場にいることだ。ついでと言ってはあれだが、大魔王の隣にはきまずそうに苦笑いを浮かべる雪ノ下父もいる。
「私は止めたのだがね……」
お父上に申し上げたいことはいくつかあるのだが、そんな心底申し訳なさそうな苦笑いを浮かべられると逆にこちらが申し訳なってくるよ……。
「うふふ、そろそろ本題に入りましょう?じっくり聞かせていただくわ」
「そうだね。回りくどいのは颯太も嫌いでしょ?」
雪ノ下母の言葉を合図に二人の鋭い笑みが俺とめぐりに向けられる。
鋭い笑みってこの二人にしか使うことないと思うわ……。めぐりなんか小さく震えながら俺の手を握って離さないし。
「うふふ……」
「あはは」
その様子を見て二人の機嫌がさらに悪くなったんですけど!めぐり空気読んで!お願いだから!
そんな殺伐とした空気の中、魔王と大魔王によるお話という名の尋問は始まった。
「さて、颯太、めぐり。私に何か伝えなきゃいけないことあるよね?」
紅茶を飲みながら厳しい目を向け、俺達を問いただす姿勢を見せる陽乃さんの姿に思わず息を呑む。
めぐりは恐怖で震えているし、とてもめぐりの口から伝えることが出来ない状態である為、必然的に俺が伝えなければならない。
……こぇぇ!陽乃さんだけでも悪魔級に怖いのに、その横でさらに鋭い目をしている雪ノ下母がマジこえぇ!
でも、言葉にしなければこの状況はどうにもならない。覚悟を決めるしかないか……。
「俺とめぐりは付き合うことになりました」
せめての強がりで、はっきり伝わるよう大きな声でゆっくりと言葉を口にする。
陽乃さんはその言葉をゆっくり飲み込むように目を瞑ると、紅茶を一口飲むと再び口を開く。
「私は認めないから」
ハッキリと。鋭い笑みを絶やさず陽乃さんはそう告げた。
「ねえ颯太。私の気持ち知ってるよね?颯太が気づかないはずないもんね」
陽乃さんの気持ち。わかる……いや、本当のことを言えばわからなかった。鋭い笑みの中に少しだけ隠しきれず顔をのぞかせている悲しみの表情。怒の中にある哀の感情。
雪ノ下陽乃は俺に恋をしている。
この表情を見るまで俺はわからなかった。
いつだったか、俺は自分のことを鈍感ではないといったことがある。まあ、その相手は一であり真っ先に否定されてしまったが。
今ならハッキリ言える。
俺は超鈍感野郎だ。いわゆるテンプレ天然鈍感クズ系主人公ってわけだ。まあ、主人公かどうかはわからんが。
「私は誰かに颯太を取られるなんて嫌だ。それがたとえめぐりであっても同じ。私が独占したい!」
陽乃さんはいつしか笑みを保つことも忘れ、本来の雪ノ下陽乃の姿で俺に言葉をぶつけてくる。熱く、強く、重い言葉が俺を貫いていく。
「いつだって颯太の隣にいるのは私がいいの!……私はめぐりが羨ましかった。いつも颯太の隣にいて、同い年で、特別な感情を向けられるめぐりが羨ましかった!私も……私がその場所にいたかったのに!」
陽乃さんの涙を見たのはいつだったか、いや、一度きりだ。陽乃さんの卒業式の日。あの時だけ。
その姿を前にして俺は遂に口を開くことさえもできなくなってしまった。
そしてふと気づく。先程まで服の肘部分をつまみながら震えていた手が優しく俺の手を包んでいることに。
「はるさんは欲張りですね」
震えの無い小さな、絞り出したような声。小さいのにやけにはっきり聞こえるその声はその場に静寂をもたらした。
「でも……私はもっと欲張りです!颯君を独占したい気持ちもはるさんよりずっと強い!颯君に特別な感情を向けてもらえるのも私だけでいい!はるさんがどう思おうと、はるさんがどんなに颯君のことが好きでも、颯君は絶対私のものなんです!誰にも、はるさんにも渡すつもりはありません!」
めぐりが陽乃さんにこれだけの反論をしたのは初めてだろう。正直、俺も驚きすぎて言葉を出すことが出来ない。
「それでも……それでも私は認めない」
しかし、めぐりの言葉を聞いた陽乃さんが引き下がることはなく、むしろ失っていた冷静さを取り戻しているようにも見えた。
目は赤く腫れ、小さく涙は浮かんでいてもめぐりに真っ向から向かい合う陽乃さんの姿はいつもの陽乃さんより強く見える。
「はるさんの許可なんてもらう必要ないですよね?それなら今まで颯君に告白した子や颯君を好きになった人全員に許可を貰わなくちゃいけないじゃないですか」
そんな陽乃さんの断固として認めない姿勢をめぐりは言葉で薙ぎ払う。
いつものめぐりからは想像もできないようなその強気な姿勢は、一歩も引かないというめぐりの固い気持ちを如実に表していた。
今回のようなことは俺も初めての経験であるため、どう止めに入ったら良いのかわからないし、迂闊に介入すれば火に油を注ぐことにもなりかねない。
そんな膠着状態の中、重い口を開いたのは意外にも雪ノ下父であった。
「比企谷君。少し私達は席を外そうか」
「え?」
雪ノ下父から発せられた提案に俺は気の抜けたような声を出してしまう。
この状況で席を外す?そんなの陽乃さんが許すはずないと思うんだけど……。
「ちょっとお父さん。意味の分からないこと言わないで」
予想通り陽乃さんから冷たい視線で咎められる。
しかし、そんなのお構いなしに俺の腕を引き雪ノ下父は扉へと向かっていく。
「お父さん!」
「陽乃、少し落ち着きなさい。女性には女性の、男性には男性の話の仕方というものがあるのだよ」
そう言い残すと俺と雪ノ下父は扉の外へと出ていった。
「さて、比企谷君。少し付き合ってもらおうか」
「は、はい」
俺は彼に黙ってついていくことしかできなかった。
「ふぅ、生き返る。やはり風呂は良い。そう思わないかね、比企谷君」
「は、はぁ……」
そこら辺の銭湯よりも大きな浴槽、白い湯気が立ち込める中、俺と雪ノ下父は裸で語り合っていた。
あの後、俺が連れてこられたのは雪ノ下家の浴室だった。
どこか懐かしさを覚えるのは、昔はそこら中にあった銭湯の雰囲気によく似ているからであろう。壁に富士山が描いてあるところなんてもろそれだ。
「比企谷君は銭湯に行ったことはあるかい?」
「えっと、昔一回だけ親父に連れられて」
昔と言っても小学生、それも低学年の頃のことであるため記憶は曖昧だ。
「そうか。ふぅ……。俺は昔、毎日のように通っていたよ」
……いかん、いきなりの口調変化に相槌を打つことも忘れてしまった。今まで何度か会ったことのある雪ノ下父だが、自分のことを俺などと呼んだことは一度もなかった。
「驚いたかい?」
「え?えっと……正直」
「だろうね」
そう言って悪戯が成功したみたいに笑う雪ノ下父は普段の姿からは想像できない程無邪気だった。
「俺は婿養子なんだよ。生まれは普通の一般家庭さ」
「そう……だったんですか」
昔、陽乃さんから聞いたことがあったような気もするが、すっかり頭から抜け落ちていた。それほどまでに今のこの人は立派に雪ノ下家当主を務めているから。
「あぁ、俺が雪ノ下家の婿養子になるのにも様々な困難があった。結婚を認めてもらうのにも相当苦労したのを覚えているよ」
雪ノ下父は当時を懐かしむように笑う。
その当時に何があったのかはわからない。しかし、今に至るまで相当な困難を乗り越えてきたことは容易に想像できる。
「何度も諦めようとした。普通の生活を送ることが出来ればどんなに楽だろうってね。でも、俺はこの道を外れることはなかった。どうしてここまで出来たのか……わかるかい?」
「お母様が好きだから」
俺は迷いなく答える。間違っているならそれでいい。しかし、俺はこの答えに自信を持ちたかった。そうであってほしいと強く思った。
「ふふ……。正解だ。彼女がいたから俺はここまでやってこれたんだ。君ならそう答えてくれると思ったよ」
そう言って笑う雪ノ下父は心底愉快そうであった。
「できることなら君には陽乃を選んでほしかった。俺と同じように婿養子に入ってもらって次世代の雪ノ下家を創ってもらいたい。そう思っていたのだがね……」
「それは……」
「わかっている。……比企谷君、そんな他人の思いなど関係ない。他人の言うことなど気にするな。恋愛というのはワガママになりきれた者が成功を手にできるのだよ。迷う必要などない」
雪ノ下父の言葉は俺の胸に重く響き、固まっていた思いを更に強固にしてくれた。
これまで雪ノ下父とは何度か会ったことがあるが、印象としては雪ノ下母の一歩後ろに立ち、言ってしまえば尻に敷かれており、どことなく弱い印象を感じた。
しかし、この人の根底にはいつもこのような熱い思いがあり、積み重ねてきた経験による冷静さも持ち合わせている驚くほど太い芯の通った人であった。
そうだよな。雪ノ下家の婿養子になるような人が、あの娘二人の父である人が弱いはずがないよな。間違いなく雪ノ下家の当主はこの人だ。
「おそらく、いくら話をしても陽乃が比企谷君と城廻さんの仲を認めることはないだろう。万が一あったとしてもどれほどの年月が掛かるかわからない」
「そうですね。お父様に似て芯の太い人ですから」
「ははは!誇らしいことだ!それで、どうするんだ?」
「もちろんこっちも負けるつもりはないですよ。こちとら、もう結婚の約束までしてるんですからね!」
「ははは、それは負けるわけにもいかんな」
「はい!」
こうして俺と雪ノ下父の裸の語らいは終了した。
この会話の中で得られたものは非常に大きかった。
あとは実践するだけだ。
「ただいま帰りましたよ……って、ナニコレ」
風呂から上がった俺を待っていたのは、部屋の端へと追いやられた机と床に座るいろいろとヤバい陽乃さんとめぐりだった。
「女は女の話し合いをしていたのですよ。とても見ごたえがありました」
なんでこの大魔王はこの状況で笑っていられるんだ!?お宅の娘さん髪ぼっさぼさですけど!?一体この場でどんなことが起こったんだよ!
「うっふふ……」
「あははー……」
ねぇ!うちの彼女と先輩の笑い方がおかしいのだが!お願いだからその握った拳を下げてー!
「颯太!」
「は、はいぃぃ!」
「私は絶対、ぜぇったぁい!認めないから!」
話し合った結果、陽乃さんの思いは変わらなかったようだ。でも、俺の気持ちも変わらない。いや、明確に言えば変わったか。
「そうですか。陽乃さんの気持ちはよくわかりました。けど……」
俺は一呼吸置いて目を見開いて大きく口を開けて叫ぶ。
「そんなのっ!関係ありません!!俺とめぐりの仲を絶対に邪魔させません!」
「……颯君」
俺はここに来るまでなんとかして陽乃さんを納得させようとしていた。しかしそうじゃないのだ。ここに来る目的にふさわしいのは俺達の仲を認めさせることではない。
それは……覚悟を見せること。
認められなくても良い。
突っぱねられたって良い。
ただただ、あなたには邪魔させない。その覚悟を見せるためだ。
「今日はその覚悟を示すために来ました!」
「……」
「いひゃいです」
陽乃さんは黙ったまま俺の元まで近づいてくると俺の頬を力強く引っ張る。
「颯太のくせに……颯太のくせに生意気!私は絶対に認めないから……」
「はい」
その手は酷く震えていて、力は入っているのに弱々しかった。
「めぐり、大丈夫か?」
「うん、大丈夫。ふふ……」
あの後、めぐりと陽乃さんは二人で風呂へと向かった。戻ってきた二人がいつものように仲良さげに話していたのはただただ口を呆然と開けることしかできなかった。
今は雪ノ下家が用意してくれた車で送迎してもらっているところだ。
「ありがとね、颯君」
「俺は覚悟を示しただけだよ」
俺に寄り添いながらそんなことを言ってくるめぐりに俺は頭を撫でてやりながら答える。
「その覚悟が嬉しいんだよ。本気で私のことを思ってくれてるんだー、大切にされてるなーって思えるから」
「そりゃ、大切だし」
「うん。だから、ありがと」
「おう。どういたしまして」
そう言って俺達はどちらからでもなく手を握り合った。
「なあ、俺が席を外している間、何があったんだ?」
「んー?ないしょー」
「気になるんだけど」
「聞かない方がいいよー」
一体あの場でどんなことが起こったんだろう……。
それから数日、めぐりの浮かべる笑みが頭にこびりついて離れなかった。
どうもりょうさんでございます!
あけましておめでとうございます。去年は結局最後まで投稿が出来なくてすみませんでした。覚えていらっしゃいますでしょうか?りょうさんですよ。
年が明け、明日から仕事ということで今日しかないと思い書き上げました。
待っていてくださった方には本当に申し訳ないと思っております。
なんとか完結まで頑張りたいと思っておりますのでよろしくお願いします!それでは次の投稿で!
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