「では、お気をつけて」
それは、いつものように、したたかに酔ったお客様を見送っていた時のこと。
視界の端に、ふらりとした足取りの女性が映りこみました。
――こんな夜中にどうしたのでしょう?
そんな疑問が、頭をよぎったのが始まりです。
「……生体反応にブレが見られます。推定疲労度120%。下手をしたら過労死しかねません。嫌なことがあるなら飲んで忘れましょう。さぁ中へ」
「…………何、アンタ」
「『スナックお登勢』の従業員兼、
「えー……いやいいって……」
拒否の反応を示されましたが、特に抵抗する力も残っていないご様子。
結局ぐいぐいと私の引っ張る力に負け、店へ引き入れることに成功します。
「――お? 何だい、見ない顔だね」
「お登勢様、この方はひどくお疲れのようです。日々溜まっているうっぷんをここで晴らせてあげましょう」
「いや別に……」
「遠慮スンナヨ! サッサト全部吐イチマイナ!!」
ばしっとキャサリン様に背中を叩かれ、観念したのかやっとカウンターの席に腰を下ろし、腰に差していた木刀を傍に立てかけます。
……銀時様と同じ物――? しかし、解析してみるとあれよりもっと上質なもの。折角なのでデータに書き加えておきましょう。
「で、何飲むんだい?」
「……じゃあ焼酎で」
はいよ、とお登勢様が準備を始め、その間にキャサリン様はテーブル拭き、私は床掃除を開始。
おそらく今日のお客様はこの方が最後。日々溜め込んでいる愚痴を洗いざらい吐いて、スッキリしていただかなくては。
「アンタ、名前は?」
「……絶条ソラ」
それを聞き、私は一瞬ピタリと動きを止めました。
その名は確か――
「おや、じゃあお前さんがチャイナ娘の言ってた用心棒かィ?」
以前、神楽様が話していた話の中にあったと記憶しています。
「あの娘……」
ギリ、と苦虫を噛み潰したような顔をなさるソラ様。
何故そんな表情を……あまりご自分のことは話されたくないのでしょうか。
「……一応、聞くけどさ。どんなこと話したんだアイツ?」
「『ソラが酢昆布を買ってくれないー』とか『絶対あの木刀高く売れるアルー』などと記憶しています」
私がそう言うとガックリと肩を落とされました。
……嫌なことを思い出させてしまったのなら、申し訳ありません。
「あー、いやいや。アンタが謝ることじゃないって……やっぱ同じようなことしか言ってねーのなあいつ……」
「? ソラ様のことについてなら他にも『人を傷つけて金もらう仕事なんて早くやめればいいアル』と言っていましたが……」
「たま、それは陰口っていうんだよ。堂々と本人に言うもんじゃないの」
「ソウダヨ! 他ニモ『あんな大金、ボッタクリ商売に違いないネ』トカ言ッテタダローガ!!」
「……いや、あの。報酬で金くれんのはお偉いさんだけで、基本食料なんですけど……」
――食料?
お金ではなく、食料が、報酬?
「理解しかねます。商売とは通常、金銭を頂いていくものではないのですか?」
「そうだけど……もうこういうやり方の生き方が染み付いちゃってるからなぁ」
「食料って……というか、一体何の仕事してんだィ?」
「ただの用心棒ですよ」
用心棒。
雇われて人を護る者。
新八様が言っていた「一旦護ると決めたものは何が何でも護り通す」という侍とは、少し違うもの。
「……では、今の疲労度もその仕事によるものですか?」
「んー……仕事っていうか……まぁ自分でまいた種を自分で刈り取ってきたというか……」
「そりゃあ大変だったねェ。で? 上手く処理できたのかい?」
「色々ありましたけど、とりあえず丸く収まりましたよ。ったく、
人に――物を――?
……ソラ様は用心棒だけでなく、教育者としても働いているということでしょうか?
「アンタも大分酔ってきたようだね。まだ飲むかい?」
いつの間にか、ソラ様のコップは空になっていました。
なにか吹っ切れきてきたご様子です。やはり溜め込んでいたんですね。
*
世渡りどころか、読み書きさえ知らない。
知っているのは、己がこうと決めた生き方のみ。
ソラ様はもう、何年もそんなお方と付き合っているということです。
「……で、今回は金の使い方について教えようとした、と」
「そ。中々金を返さねー野郎には厳しく当たれ、ってね。けどやっぱり自分から動くモンじゃねーわ。相手の出方を伺って行動すんのが一番性に合ってるわ」
聞き上手なお登勢様との対話、そして何より酒がまわってきたことが大きいのか、大分ご自分のことについて話してくれるようになりました。
一方、キャサリン様は既に向こうのソファでぐっすり眠ってしまっていますが。
「それで結局、『取り立て』はどうなったんだい?」
「……きっちり回収してましたよ」
やっぱ起きてるときは起きてんだなぁ、と感慨深そうに語るソラ様。
起きる? いつもぼんやりしている方なのでしょうか。
「しっかし、そんなに長く付き合ってやるなんて、アンタも相当なお人好しだねェ」
「――……お人好し、ね」
ほんの一瞬だけ。
ソラ様の表情に陰りが見えたような気がしました。
しかし、次の瞬間には何事もなかったかのように酒を飲み始めています。
「お人好しといえば、あんた等もなんじゃないですか? こんな見も知らない私の愚痴聞くなんて」
「こいつは性分さね、もう治らんよ。けどおかげで面白い連中とも会えたがねェ」
ある男はこうさ、とお登勢様が語り始めます。
曰く、雪の降った寒い日のこと。気まぐれに旦那様の墓参りに出かけ、供え物を置いて立ち去ろうとしたら墓石が口をきいた、と。
『オーイ、ババア。それまんじゅうか。食べていい? 腹減って死にそうなんだ』
『こりゃ私の旦那のもんだ。旦那にききな』
そう言うと、間髪いれずそのお方はまんじゅうを食べ始めました。
『なんつってた? 私の旦那』
「……そう訊いたらそいつ、なんて答えたと思う?」
懐かしそうに、お登勢様は言います。
この話は、もしかして――
「死人が口きくかって。だから一方的に約束してきたって言うんだ。
『この恩は忘れねェ。アンタのバーさん、老い先短い命だろうが、この先は……あんたの代わりに俺が護ってやる』――ってさ」
おそらく銀時様との出会い。
……あの方は、昔から変わらないんですね。
「死人が口きくか……かぁ。ははっ、そりゃそうだ」
自嘲気味に笑ったのはソラ様。
何か、思うところでも――?
「……さて、結構飲んじゃったし、私はもう行きます」
「いいのかい? まだいてもいいんだよ」
「大丈夫です。お代、ここに置いてきますね」
懐の財布から小銭を出して立ち上がり、立てておいた木刀を腰に差して出て行こうとしましたが――
「お待ち下さい。これでは少し多いです」
「いいよいいよ。あげるって」
しかし、と言いかけたところでお登勢様に止められます。
もう何を言っても無駄……と感じ取られのでしょうか。
仕方がないので見送りだけでも、とソラ様の後ろについて外へ出ることにしました。
辺りはもう真っ暗。夜空にはまるい満月が昇っています。
「……あのさ、一つ相談なんだけど」
ふと、ソラ様がそう口を開きました。顔はこちらからでは見えません。
「……もしも、捨てたくても
それは、一体何を指してのことなのか。
用心棒という仕事? 神楽様とのご友人関係?
「――その捨てられないものの性質にもよりますが」
この方が何を思って質問したかは分からない。けれど、
「最後まで抱えて、いくべきだと判断します。そしてその最期は、両者の納得する形で終わりを迎えられれば……と」
答えると、ソラ様はクックッと肩を震わせて笑い始めました。
……何か、おかしなこと言ってしまったでしょうか。
「……そ、やっぱりそうだよなァ」
笑いを堪え、か細い声で呟くソラ様。
やっぱり、ということから察するに、ソラ様自身も既にこの答えを……、
「うん――分かった。おかげで決心がついたよ」
ゆっくりと、こちらを向く。
「ありがとう、
にこりと、儚げにそう笑ったソラ様の顔に、もう陰りは見えませんでした。