そして指を指した。
「「ん」」
何やらデジャヴを覚えつつ、視界に入り込んだ、もう一つの一指し指の主へと視線を向ける。
黒に近い紺色――長髪。艶やかな髪を引き立たせるかのように、その服装は真白く、まるで秩序という文字が具現化されたようだ。
……視線が合う。
見つめていると、まるで深淵に吸い込まれそうな赤い瞳。
無機質、無感情、無表情。人形のような人間。そんな第一印象だった。
「……ポンデリングは、私のもの」
「いや、そう言われても」
「……ポンデリングは、私のもの」
「いや、別に私が譲る理由にはならないし……」
現場はかぶき町内の
店内にはデザートの甘い香りが漂っており、ショーケースの中には色とりどりの、ドーナツを初めとした焼き菓子が置かれている。
どうやら別々のカウンターで、同じものを注文してしまったらしい。更に奇妙な巡り合わせなことに、ケースの中に鎮座しているポンデリングの残数は一個。
戦争が始まる予感がしてならない。
こんなところで剣なんか抜いたら、出禁確定だと思うが。
「……貴方のこと、知ってるわ」
唐突な言葉に、身体の内側が強張る。
「新星の如く現れた、真のラスボス……かぶき町のフードファイター。通称、鬼木刀……!」
「そっちかよ!?」
確かにここ最近、かなり噂になってしまっているらしいけど!
……でもアレ、原因は絶対に陸奥さんとの食事だからな!
大食い三昧の旅にあの人と連れていかれたら、そりゃあ抑制も効かなくなるわ!!
空としての行動だったから、ほとんどの記憶はないけど!!
知らぬ間に有名になってた時の肌寒さといったら!!
「…………あー、とにかく、だ。私のことを知っているなら話は早い。おとなしくここは引いて貰おうか」
「嫌」
予想通りの答え。
であれば。
「――よし分かった。仮にも同じドーナツ好きの同士だ。無為な争いはやめよう。だから私はこのポンデリングからは手を引く」
「……含みのある言い方ね?」
そりゃあな、と内心呟き、ニヤリと口角を上げ――
「すいませーん、ここにある期間限定のドーナツだけ全部くださーい」
「なッッ……!!?」
*
「おや、昨今名を轟かせ始めた期待のルーキー、フードファイター鬼木刀こと絶条ソラさんではないですか。こんにちは、奇遇ですね」
「ほんへぇわー」
ドーナツを頬張りながら雑に挨拶する。
江戸の町中。道行く人々が、その目立つ服装に視線を向けていた。
目の前に現れたのは、真白い制服に身を包んだ男性、佐々木異三郎。
今日は会うかもなと思っていたが、まさか本当に会えるとは。
「随分な荷物をお抱えで。ドーナツ、マイブームなんですか?」
私の両手には、六箱を越えるテイクアウトドーナツがあった。
人々の視線が向いているのは、この多すぎる荷物も理由の一つだろうか。
「最近、食にはまっていてですね。ドーナツも新作出てましたよ。買い占めましたけど」
「それは健啖な。しかし食べ過ぎると医者にかかる事になりますよ」
「生まれてこの方、虫歯にも糖尿病にもかかったことないんでご安心を。あー、それともあれですかね。新作ドーナツ買い占めた事、怒ってます?」
「別に怒ってませんよ。貴方がどこでいつドーナツを買おうと私の知ったことじゃありません。そもそも新作ドーナツが出ることなんて今初めて耳にしました」
「……嘘。本当は一昨日からずっと楽しみにしてた」
そんな声が足元から聞こえた――最初からずっと私の足にしがみついていた女性、今井信女である。
――見廻組とエンカウントしたのは、割と最近のことだ。
例の如く松平さんに将軍の護衛に呼び出され、今日は合同任務だぞー、と紹介されたのである。当時、居合わせたのは佐々木一人で、しかも彼は見廻組の制服を着てなかったので、合同任務とは名ばかりの顔合わせに近かったが。
その時ついでにメアドも交換された。
一日五通くらいメールが届くので、こっちも八回くらい携帯を捨てているのだが、何をどうやってもあらゆる伝手で新しい携帯が手元に届くようになった。
……携帯代が浮くようになったのは有難いことだが、完全にリアルホラーの領域に踏み込んでいる。
「……何故、私の部下が貴方の足に?」
「目の前で買い占めちゃったからでしょうかね。新手の背後霊みたいですよ」
「……、」
何度か振り払おうとしたのだが、恐るべき握力でしがみつかれているのである。
ドーナツへの執着恐るべし。
そしてドーナツの恨み恐るべし――である。
「そんなに新作楽しみだったんですか二人とも? けどまあ、もうお金払っちゃいましたからね私。何を積まれても何を取引材料にされようと、譲る気ありませんよ?」
「私が楽しみだったこと前提で話を進めないで頂きたいのですが――」
そこで携帯が振動した。
『ウソだお。
ホントはチョー楽しみにしてたお。
P.S ゼッちゃんうらやましいな☆』
「たかがドーナツの一つ二つで揉めるほど子供じゃありません。のぶめさん、帰りますよ」
……合ってない!!
言動と心の声が致命的に合ってない!
「――嫌」
「痛い痛い痛い。足千切れますわ副長さん」
すると、有無を言わさぬ睨みが下から帰ってくる。
そんなに楽しみだったのかドーナツ。ごめんなドーナツ娘。でも今日はマジでドーナツしか口が受け付けねー気分なので、交渉するとかいうルートはないんだマジでごめんなドーナツ。
「こうなっては仕方ありません。絶条さん、そのまま本部まで歩いてきてくれますか」
「嫌だよ! こっちだって一人ドーナツパーティ楽しみにしてたんだよ! 今日は家帰ってずっとドーナツだけ食って寝るんだよ!」
「なにそれ楽しそうね」
「目を輝かせないでくれますかね? んな顔されてもドーナツあげませんよ。ついてきても私がドーナツ爆食するところ眺めるだけになりますけどいいですか?」
「成程――よろしい、戦争ね」
信女がすっくと立ちあがり、柄に手を置く。
此方も腰の妖刀を手に、臨戦態勢の構えをとる。
「ちょっと御二方。白昼堂々、殺し合いは止めてください――」
そう冷静に佐々木が声をかけてきた瞬間。
――爆音が市井に轟いた。
骨の芯に響く破壊音。
慌てふためく一般市民たち。
悲鳴を上げ逃げ惑う道行く人々。
その中で私たち三人だけが、凄まじく冷静に現状を観察していた。
「……爆発?」
「……さっき私たちが行った、甘味屋の方角ね」
「……ところでのぶめさん、その甘味屋付近をうろついていた過激派攘夷志士たちの動向は?」
「もう制圧したと思っていたけど――残党がいたらしいわね」
「お仕事中だったの!?」
いやそりゃそうか。
警察が何の用もなく市井をうろつくわけがない。
二の句を継ぐ間もなく、二人が走り出す。取り残された私はその白い二つの後ろ姿が地平に消えるのを見届け――
「……あ、一箱パクられた」
拉致されたドーナツを取り戻すため、その後を追いかけた。
鎮圧は驚くべき速さで行われていた。
流石エリートと言ったところか、どうやら大きい爆発の割には、死傷者もいなかった上、怪我人も少なかったようだ。そのエリート様が現場離れてまで執着するドーナツの価値が窺い知れる。
「……空っぽ」
「そりゃ最初に完食し終えた箱だからな」
瓦屋根の上にいた信女の背に声をかけると、弾いたように振り返られる。
気配を完全に殺していたから警戒したのだろう。ま、こちとら伊達に単独用心棒業で稼いでねーのである。
片手に持った最後の一箱を差し出すと、僅かに相手の目が見開かれた。
「最後の一箱、最後の一個だ。有難く受け取――」
「ドーナツ!!!!」
「ぎゃふっ」
飛び掛かるようにして奪い取られた。
一瞬ドーナツの鬼を見た。なにこの娘コワイ。
体勢を整えて向き直ると、そこにはじっっ……と箱の中を凝視するドーナツ狂が一人。
「……一個しかないわ」
「さっきそうだって言ったじゃん」
「異三郎の分は……?」
「丸々一個あるんだから二人で仲良く戦争して分け合えよ」
「……」
あ、箱閉じた。まさかマジで見廻組トップツーのドーナツ争奪戦とかやるんだろうか。
ちらと、信女がもう一箱もドーナツを持っていない此方を見た。
「……あれだけ買ったのに、もう食べ終えたっていうの……?」
「脅威の爆食期間中でね。今の私の胃袋はブラックホールだぞ」
「何? 病気? 体質か何か?」
「どっちかっつーと体質かなぁ」
そう、とそこで興味を無くしたように座り込む。最後の箱を大事そうに抱えたまま。
用も済んだので、私もここを立ち去ろうと踵を返した。
「――貴方は、何?」
「通りすがりの用心棒」
「だとしても、ただ者じゃないでしょう。罪人予備軍だというなら、ここで斬るに越したことはないわ」
「物騒だなぁ……」
ドーナツ、持って来ない方がよかっただろうか。
しかし見廻組に恨みを売りっぱなしは怖い。どこで仕返しされるか分かったものじゃない。
「貴方の経歴を調べさせてもらったけど、不明点が多すぎるのよ。松平公は、よく貴方を雇ったわね」
「昔は宇宙で色々やってたからなぁ。それに替えが効く人材は、雇っておくに越したことはない」
「本気で言ってる?」
「卑下じゃあないさ」
雇われた当時の私は、他所で名の知れた余所者だった。
しかも腕が立つ。
更に聞けば地球出身の人間だという。
出自がどうであれ、経歴がどうであれ、これほど使い勝手のいい駒はない。
それに替えが効くというのも、あながち嘘でもない。今の時代、探せば宇宙には私以上の傑物がゴロゴロいるだろう。
「この国がどうとか、今の将軍家がどうとかってのには、てんで興味がない。私は積まれた金の分だけ働くし、その金で好き勝手に生きる。ほら、普通の一般市民だろう?」
「絶条なんて名字の家、この国にはどこにもいなかったわ。どこからどこまでが貴方の正体?」
「難しい質問をするなよ。私は私だ」
答えは簡潔に、シンプルに。
問答は率直に、嘘偽りなく。
「……貴方の真実は一体どこにあるのかしら。本当に用心棒なのかも怪しいわ」
「さて」
それを言うのはまだ早い。
二重人格者なんて言ってしまえば簡単だが、それを証明する術はない。
証拠なんてなくとも、きっとこの世界は受け入れてくれるだろうけど。
「あえて言うなら、サギ師ってのが近いんじゃないか?」
過去を偽り。己を偽り。周囲を偽り。
多くを騙くらかしている私には、それが天職かもしれない。
真実を語るには設定がいる。
真実を話すには事実がいる。
だからまだ、全てを明かすこともできないし、するつもりもない。
「さしずめ、『今はその時ではない』――ってね」
そんな黒幕じみたことを言い捨てて、私は今度こそその場から立ち去った。
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