――パシャッ。
響く軽快なシャッター音。
一瞬視界を遮ったフラッシュに、坂田銀時は目を細めた。
「午後七時五十分。十分早い」
「……悪ィな。俺ァデートの約束には十分前行動する派なんだよ」
平淡な声に言い返しながら、銀時は目の前にいる絶条ソラ――の姿をした何者か――を見据える。
あれから。昼間、銀時が意識を落とされた後のこと。
目覚めると、そこは住み慣れた我が家の自室。起きるや否や、眼鏡の助手やチャイナ服の同居人に引っ張られて外に出てみれば、そこには次郎長率いる溝鼠組が総勢で待ち構えていた。
ガングロ組長に首根っこを掴まれたもっさり娘が、テヘッとベロを出す。
『ゴメンなさいアニキ~。全部
『おめーさんが、万事屋って組の頭かィ』
最初こそ殴り込みにでも来られたのかと身構えた銀時だったが、しかし蓋を開けてみれば、相手が銀時たちに持ってきたのは、協力要請の話だった。
昼間、次郎長一家に並び、万事屋――お登勢の勢力へ、売りつけられた喧嘩の落とし前をつける、といった名目の。
聞けば本日、かぶき町には私闘を禁ずる新しいルールが敷かれたという。
これに反した陣営は、他の勢力によって一兵卒に至るまで叩き潰す――ただでさえ緊張状態のこの町で、その法は抑止力にも爆弾にもなる代物だった。
そしてそんな爆弾の上で、たった一人、これに自ら着火した者がいた。
『華陀様には同情しますね~。まさか期待して雇い入れた用心棒が、まさかの裏切り行為に走るなんて~』
そんなことを抜かした平子も、元はと言えば、その華陀とやらと協力関係を結んでいた黒幕だったらしい。しかも組長たる次郎長に黙ったまま。
『それで結局、俺らが殴るのはその孔雀姫って事になるのか? 用心棒は裏切ったらしいんだろ。だったら――』
『助けを求めて此方に来る、か? 可能性としちゃあるが、孔雀姫を裏切るたぁ相当肝が据わってやがる。そんな奴が、わざわざ他の元に来るかねぇ』
それにな、と次郎長は続ける。
『当人の思惑がどうあれ、四天王を裏切った奴が無事で済むかよ。
――間違いなく用心棒は、孔雀姫に処刑されるだろうな』
万事屋の方針と目的は、その時点で決まったようなものだった。
落とし前をつけるという名目の下、騒ぎの渦中にいるであろう彼女を取り戻す。
一方で次郎長一家は、華陀の陣営と全面対決の構えであり、用心棒に関しては捕まえ次第、その沙汰を決める事で、一時的に万事屋との協力体制が敷かれた。
しかし、いざ敵の根城へ行ってみればこの地獄の惨状である。
けれども未だ孔雀姫華陀は健在。
一足遅かったのか、間に合ったのか。
それは、目の前にいる用心棒の思惑次第で解ることだ。
「で、テメェ一体何者だ。絶条ソラか、それ以外の
「……、」
空は応えない。否、その問いに対する答えを、彼女は持ち合わせていなかった。
辟易したように、銀時は僅かに肩をすくめる。
「だんまりかよ」
「
そう言葉を差し込んだ浅黒い肌の老爺は、年齢に反して気迫がある。
溝鼠組組長・泥水次郎長。第一次攘夷戦争という激戦を潜り抜けた古強者。全盛期のその実力は、第二次攘夷戦争で名を上げた攘夷四天王をさえも凌ぐのではないか――と推測される人物。
自分ではない自分の記憶から知り得た情報を踏まえ、空は眼前の老兵を観察する。
「率直に訊くぜ、嬢ちゃん。アンタが華陀に雇われた用心棒――そして
「……だとしたら?」
「――昼間、
低い声で語られる話の内容に、空の背後にいる孔雀姫が震える。その法は他でもない、彼女自身が提案したものであった故に。
そんな華陀の様子を知ってか知らずか、付け加えるように銀時が口を開く。
「だが、ここに来る前にそっちのジジイの娘が全部吐きやがった。元々そういうルールの上で争いを起こし、最終的には天下の次郎長がかぶき町を支配するっつー手筈だったってな。ったく、とんだ孝行娘だ」
「ガキの思惑はともかく――んな結果を、そこの女狐が許す筈がねェ。せいぜい、戦争を起こした後、疲弊した四天王勢力をまとめて潰す算段でも立ててたんだろう。――嬢ちゃん、オメーさんが孔雀姫を裏切るまではな」
次郎長の声がより低く変わる。敵意を帯びた硬い声色に。
「雇われの身でありながら法を犯し、殺されそうになったら徹底的に殺り尽くす。喧嘩売られた云々関係ねェ、んな危ねード外道か、四天王の一角を単騎で潰す化物か――どちらにせよ、この街の番人としておめーさんを放っておくワケにはいくめェよ」
ギシ、と帯刀する刀の柄に握られた彼の手に、力が篭る。
それを咎めるように銀時が声を上げる。
「ジジイ」
「わぁってらぁ。てめーとの約束を違える気はねェ。さっさと訊きな。もっともあちらさんは、答える気があるのかどうか……」
「黙ってろ――おい用心棒! 俺らに喧嘩を売りつけてきやがった以上、一発殴り返すのはもう確定事項なワケだが……殴る前に一応確認しとくぜ」
ちらと、銀時の視線が、この空間に散乱する死体に向けられる。
「この惨状を作り出した理由、そしてそれに伴ったであろうテメーの目的だ。答えによっちゃ俺たちは、テメーを殴るだけじゃ済まねぇ。その腰にある妖刀ごと、テメー自身を斬り刻むことになる」
随分と甘ェ対応だ、と隣で次郎長は内心呆れてさえいた。
銀時の言葉は、脅しにも聞こえるが、同時に彼女へ慎重に答えろ、という意志も暗示していた。自分は彼女の素性を知らないが、どうやら事前に聞いた万事屋の情報によると、今の「絶条ソラ」の状態は、普段とはかなり異なるらしい。
それも人格ごと、まるっきり別人ともいえる言動を繰り返しているときた。
そんな分かりにくい、遠回しな最後の温情に対し、彼女は顔色一つ変えずに返答した。
「
――空気が冷える。
よもや聞き間違いであってほしいと、銀時はその一瞬、心底願った。
「私の狙いは初めから彼女一人。邪魔をするなら死んでもらう」
「……本気で言ってやがんのか、テメェ」
「華陀は春雨の
「!? 貴様、なぜ知って――!?」
うろたえる華陀に、平然と空は即答する。
「貴方のお友達から色々と」
「……って事はおめーさん、初めっから別口に雇われてたって事かィ」
故の殺戮。孔雀姫だけを狙った犯行であるなら、その配下はただの障壁に他ならない。その線でいくと、華陀の部下として、四天王に喧嘩を売った理由にも説明がつく。華陀を表舞台から孤立させ、奪取する。その後、元の依頼人へ彼女を売りつけ、より強固なパイプを得る――
だが、銀時は思う。
たとえ目の前にいる相手が、己の知る者とは別人だろうが、本人の意志に基づいた「何か」だとしても。
そんな仕事を、こんな方法を、あの絶条ソラが行うか?
――万事を護ってきた貴方たちは尊敬に値する――
昼間の話が脳裏に過ぎる。あれは確かに、目の前にいる彼女自身の言葉だった。
彼女は用心棒である。それは間違いない。
一度護ると決めたものを、引き受けた依頼を、果たして彼女は、本当に放棄する人間だろうか?
「――とんだ二枚舌、いや三枚舌だな用心棒サンよ。そこのジジイやネーちゃんはともかく、この万事屋を騙そうっつったってそうはいかねーよ?」
次郎長が怪訝そうに眉をひそめる。当然の反応だ。確かに彼女のことを何一つとして知らぬ人間なら、彼女を裏社会の人間に通じる危険人物として、ここで迷いなく剣を向けるだろう。
けれども万事屋は違う。
たとえ、絶条ソラという人物の思惑も過去一つとさえ知らぬ者であれど。
その魂が持つ矜持だけは、きっとこの場の誰よりも知っている。
「貴方は人を疑う事を覚えた方がいい」
「だったらテメーは、この状況でもてめーを信じる馬鹿もいるって事を覚えた方がいいぜ」
「それは今知った。光栄の至りだが無意味に過ぎる」
「ハ、何がなんでも意地張り通すつもりか」
「邪魔をするというのなら、押し通る」
真剣を構えた彼女には、一部の隙も無い。
感情の機微さえも見られず、果たしてどこに真意が潜んでいるかも判然とせず。
ただここには、両者が対立するという、明確な事実のみが存在した。
「――上等だ。意地の張り合いってなら負けねェよ」
「ほォ、そんならこっちも番人の意地張らせてもらうとするかね。
「勝手にしやがれ。足引っ張るなよ、ガングロジジイ」
次郎長が構え、銀時が木刀を抜き放つ。
狙いの首はただ一人。
筋書きから外れた決戦の火蓋が、切って落とされる。
「覚悟はいいな。観念した暁には洗いざらいゲロしてもらうぜ――用心棒!!」
先手必勝。
飛び込んだ銀時の木刀と、それを受けた空の刀が衝突する。
その側面から斬り込んでくるのは次郎長の一太刀。神速に届くその速さに、しかし空は左手に掴んだ刀の鞘を使って防ぎ切る。
「腰の妖刀は抜かねぇってか。随分ナメてくれるじゃねーか」
「……」
正面の銀時の言葉に、変わらず沈黙のみを返し。
瞬間、二人を弾き返した空は、迷わず次の一手を次郎長へと向ける。白刃同士が火花を散らし、背後から襲って来た木刀を鞘で打ち払う。と同時、首めがけて振るわれた次郎長の刃に上体を逸らすことで回避、直後に跳ね上げた左脚で、彼の胴体を蹴り飛ばした。
「ッ……!」
刹那に迫る銀時の木刀。先の蹴りの勢いを利用して重心を移動させ、空は鞘と刀という疑似的な二刀流をもってそれに斬り返す。
太刀筋が見えぬその迎撃は、剣先まで殺しに特化している。僅かでも気を抜けば致命傷は不可避。
「無駄じゃ! そやつは不死の化物、貴様ら猿どもが殺せる道理はない!」
「不死だぁ? 部下皆殺しにされて、幻覚でも見たかよ姫サン!?」
華陀の声に構わず、銀時は追撃を仕掛ける。振り払った一閃の後――空は視界から消えていた。目を見張った瞬間、背後から斬撃の気配がする。
「ッヤロ……!」
木刀の刀身を足場にした空は、ガラ空きの背に刃を振り降ろす。
直前、横から入った次郎長の刀が、それを妨害する。受けた刀身を滑らせ接近し、彼女は鞘で番人の頭を殴り飛ばす。着地の瞬間、飛んできた木刀が鞘を握る手を直撃すると、即座に真剣が銀時の腕を切り裂いていく。
鞘が中空を飛ぶ。
新たな鮮血が畳を濡らす。
無感動な双眸と、侍の視線が交差する。
足払いをかけてくるブーツを避け、空が回し蹴りを叩き込む。
銀時と入れ替わるように出て来た次郎長の居合斬りが、彼女の鼻先を掠めていく。空が繰り出した次の斬撃は、次郎長に届く前に木刀が邪魔をする。だがそのまま斬撃は木刀を斬り刻み、破片と散らせていった。
「――ッ」
銀時が転がる死体の得物に手を伸ばすが、それよりも用心棒の一閃が速い。白刃が防御に回った次郎長の懐へ潜り込み、容赦なくその胴を両断する。
息を呑んだのは誰だったか。
「シメーだ」
――その瞬間、空は本能と直感に従い、柄をもって次郎長を吹き飛ばす。
何枚もの襖を突き破られていく音がする中、パキンと、彼女の持つ刀が根元から折れていく。
次郎長がいた位置に鮮血はなく、割れた煙管だけが落ちていた。
「いい加減にしやがれッ……!」
続けざまに、横から得物をかっぱらって来た銀時の一撃が放たれる。
それを防御するが、三手と持たずに、柄が弾かれていく。
飛び退いて次の得物を取ろうと手を伸ばした空だったが、それを許すほど万事屋も甘くはない。
ゴッ、と。
鈍い音と共に、空の頭部に衝撃が走る。頭突き、とすぐに解った。
ふらついた隙を逃さず、彼女の左手を銀時が捕まえる。
「クッソ、とんだ石頭だな。手間ァかけさせやがって――」
「……」
その細い首元には、刃が突きつけられている。彼女が腰の妖刀を抜くより早く、どちらがどちらの命を奪えるかは明白だった。
「テメェ、俺らを殺すつもりなんてなかったんだろ」
少し考えてから、空は口を開いた。
「……かぶき町のご飯は美味しい」
その一言が、彼女の真意を物語っていた。
用心棒は初めから孔雀姫の用心棒であり。
たとえ依頼人を裏切る事になろうとも、かぶき町から被害を生まないことを目的に入れていたのだと。
「何をしている……貴様ッ! 早くそやつを殺せ!! そやつは化物ぞ! 化物は化物らしく――」
「悪ィが姫サン、あんまそれ以上無駄口叩くなよ。でなけりゃ今度はテメーをぶっ飛ばすことになるからな」
華陀へ向けられた殺気に、僅かに彼女が動く。
それを許さないと言わんばかりに、掴まれた手に力が込められる。
「おっと、逃げようとしても無駄だぜ? もうこの城の周りは、俺らの仲間が囲んでるからな。てめーらの逃げ場はもうねぇよ」
「邪魔をすれば押し通ると言った」
「なら、とっととてめーも沈めちまえばいい話だな?」
にやり、と銀時が笑った時だった。
『行って……来ォオオ――――イッッ!!』
城の外。
露台の側から聞こえた大声の主が、西郷の声だと空が気付いた時。
同時に外から、二つの人影が部屋に飛び込んできた。
「銀さんんンンン!!」
「こンの馬鹿用心棒がアアァァァ!!」
一つは、おそらくは投げ飛ばされた故の震え声。
一つは、わかりやすい罵倒交じりの怒号。
室内に滑り込んできた二人を前に、空の頭で最適解が弾き出される。
一瞬の後、彼らの一撃で自分は間違いなく沈む、と直感し――
「万事屋。『私』を信じてくれた事には感謝する」
「あ――?」
ずっと封じて来た切り札全てを、次の刹那に全て叩き込むことを決意した。
「だから次に会う時、
新手二人が走り出す。
追撃が背後から迫る。
番傘に木刀。どちらも絶条空の意識を落とすには十分だ。
「――よけ、ろ」
間際の伝達。かすれ声が、彼女の喉から発される。
その意志は、絶条空のものではなく。
次に彼女がとる行動を、その声の主は止められない。
妖刀を手にした用心棒が銀時を蹴り飛ばし、その拘束から逃れた直後。
「避けろォォオオ万事屋ァァアアアアッッ!!」
瞬間――星砕が抜刀された。
悲鳴にも似た声は、直後の緑光と轟音にかき消えていく。
全ての視界が、空間が光に満たされた後。
城の外に居た者たちが見たのは、孔雀姫の屋敷の屋根が、斜め切りされた光景だった。
それが龍脈による大斬撃と知るのは、絶条空という器の内に居る亡者のみ。
空は完全に気絶している孔雀姫の元へ駆け寄り、その身を持ち抱える。
粉塵の中、起き上がる気配は三つ。
それらを無視し、空は
「テメェ、待ッ――ッブッホァ!?」
声を上げた銀髪侍の顔面に、彼女の携帯が叩きつけられる。
その通話画面になった端末からは、第三者の声が発されていた。
『回収ご苦労でござる。よもや本当に完遂するとは。人の縁とは、どこでどう繋がるものか分かったものではないでござるな』
河上万斉。
鬼兵隊幹部の声に、今度こそ万事屋の思考が止まる。
『アレッ、聞こえてござるか? もしもーし――』
「ござるござるウルセェェエ! なんでテメーが用心棒の電話と繋がってんだァァアア!!」
『むっ、間違い電話か。白夜叉の声が聞こえるとは……』
「待つアルソラァァアア!!」
「神楽ちゃ……ッ!」
引き上げられていく梯子に掴まった用心棒へ、神楽が夜兎の身体能力をもって跳び上がる。
その手が届いたのは、その腰にある妖刀。そのままよじ登ろうとした神楽だったが、絶条空は存外あっさりと、その妖刀を手放した。
「ソラァァアア――――ッ!!」
落ちた夜兎の少女を、眼鏡の少年が受け止めるのを見届けて。
地上からの呼び声に、彼女がもう目を向けることはなく。
こうして筋書きから外れた騒動は、たった一日で幕を下ろした。
押し通るとは言ったし殺しもしないけど別に裏社会と繋がりがないわけじゃないし使えるものは全部使っていくスタイル。
ちなみに実況役はライフポイントマイナスを突き抜けたことにあたってセルフ幻覚夏休み中。